Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

カウンターパンチ

 本屋に行って「papyrus26号」特集・Cocco「 愛と罪悪感の行方」ってやつを立ち読みしようと思ったら売り切れてた。珍しい、この手の文芸誌というか雑誌が出てすぐに売り切れるなんて。

papyrus (パピルス) 2009年 10月号 [雑誌]

papyrus (パピルス) 2009年 10月号 [雑誌]


 出た日に表紙のCoccoを見て、これは見てはいけないような気がして少しばかり読んだのだけどあとあと気になってしまった。表紙の彼女は前にRIJでSINGER SONGERとして観た時とはまるで違うまでに痩せてしまっていて、全身が病的に細く、顔も余分な肉がないためか引っ張られているような感じの皮膚感だった。両手にはリスカの痕が本来の肌とは違う色として刻まれている。


 少し読んだ時の記憶だと拒食症になっているみたいだ。本当に存在としての自分をさらけ出している、だから痛々しくもある。


庵野秀明監督「式日
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20081117


Cocco 「Raining」


 「式日」のエンディングテーマだったCocco 「Raining」が驚くまでに映画とマッチしていたのは驚きだった。「式日」の主人公である「彼女」の痛々しさ、この映画公開時にはなかったメンヘルという言葉を体現するかのようなこの少女と嫌でもCoccoは被ってしまう。

 
 優しい人ほど今の世界に適応できないのか、優しい人ほど哀しいということは実際に多々あるだろう。それを愚かだと言う人もいるだろうし、聖人のように崇める人もいる。心からの優しい行為を隣人にしても隣人から蹂躙されることはある、確かにある。そして壊れてしまう人はいる、優しさが人を壊してしまうこともある。


 そんな世界で生きるという事はやはり哀しい事なのかもしれない。哀しいから優しくなれたとしても、また優しさが哀しさを連れてやってくる。でも、その哀しさを共有できる誰かがいればまだ救いはあるのかもしれない。
 リスカメンヘルの女の子が彼女を見て共有できる傷を認めて、彼女の言葉や音楽によって癒されるのならば彼女の存在は海に漂う小舟から見える灯台の灯りになるのかもしれない。


 しかし、幻冬舎papyrus」の特集・表紙がミュージシャンが多い。佐々木敦さんのブログにも書いてあるんだが、文芸誌っていうよりは「SWITCH」っぽい。


 特集で小説家をあんまりピックアップしてないってのいうのは今はミュージシャンが時代の最先端としていろんな人の想いや傷を表現していて、文芸にその力はないということなのかもしれない。
 

「文化系トークラジオ Life」森山裕之さんの新雑誌、創刊!
http://www.tbsradio.jp/life/2009/09/post_138.html


 そういえばエンタメ系の雑誌のとこに「Life」サブパーソナリティで、元QJ編集長の森山裕之さんが編集長を務める新雑誌「マンスリーよしもとPLUS」置いてあったなあ。表紙は映画が公開される松本人志さん。最近森山さん「1Q84」の回ぐらいか、こうなったら「しんぼる」特集を番外編でやるとかね。
 


 昨日仕事中にメールが来て、僕のブログが2ちゃんねるに晒されていると。昨日観たZAZEN BOYS×凛として時雨のライブのブログ↓。
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20090901


 ううん? 晒されるってなんだ。凛として時雨を酷評したつもりもないしなあ、なんだろうと思ってて。
 普段のブログなんか1日200ちょいぐらいのカウンターしかないけど、1時間100ぐらいが四時間ぐらい続いてて、結局普段の三倍弱ぐらいになってた。


 で、何に引っかかったのかってのはThis is 向井秀徳さんが凛として時雨のライブ途中に帰ったのを僕が見かけたというところだった。特に晒されているっていうよりは向井さん帰るのを観た目撃者ってことだけだった。