Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『KOTOKO』

 まずは最初に2007年01月20日に書いた『a day in the 塚本晋也』を。もう五年前なんだなあ、塚本さんの映画を劇場で観たのは。


 起きて渋谷のシネセゾンにて塚本晋也監督『悪夢探偵』を観る。
 やっぱり松田龍平は雰囲気のある役者だ。しかしほとんど喋らない役だったね。 hitomiの演技はうーむどうなんだろうか?顔がうさぎっぽいなと終始思ったけど。
 安藤君の悪夢でのシーンでの狂乱ぶちキレ演技はおもしろかったなあ、やっててすげえ楽しかったんじゃないかな。
 大杉蓮さんはなんか少しダメな刑事が似合う感じ、狂言回しというかメインではなく脇で観てる感じ。ドラマの『多重人格探偵サイコ』での笹山に近いかな。 塚本監督は演者としても出てるけど、一番おいしいのは監督でしたね。


 冒頭でのエピソードで松田演じる影沼こと悪夢探偵に悪夢に入って欲しいと頼むおっさんが原田芳雄さんなんだけど。
 今週観た『陽炎座』で龍平のお父さん優作さんと原田さん共演してたなあって思った。 よく考えたら龍平×原田は『9ソウルズ』で二人共演してたな。原田さんは松田親子と共演してるけど感慨深いのかななんて思ったりしたけど、どうなんだろ。
 帰ってテレビつけたらタモリ倶楽部くるりの岸田君とともに原田さんが電車マニアとして出てたのは笑った。電車大好きだな、このおっさんは。終始満面の笑みでしたよ。


 映画の内容としては恐怖もの、なのかな。深層心理にある死にたいという願望を持つ自殺志願者たちが一緒に死んで欲しいという電話をすると『ヤツ』が夢の中で体を切り刻む、すると現実世界では本人が自ら刃物で首を体を切り刻んで自殺するという事件が起き、刑事のhitomi扮する霧島、安藤君扮する若宮が悪夢探偵こと影沼に悪夢に入って犯人を見つけ出して欲しいという話です。


 最後まで観て思ったのは一番おいしいのはなんだかんだ言っても監督です、間違いなくね。だって、原作・製作・監督・脚本・撮影・美術・編集・出演だよ。


 あんまり血が出るのとかエグい映像苦手じゃなければ楽しめる作品です。


 観終わって歩いて下北沢まで行き、待ち合わせしてたかもとお茶をしてから本多劇場に行きました。
 塚本晋也演出、吉本ばなな原作、主演・市川実日子加瀬亮の『哀しい予感』の舞台を観ました。
 『悪夢探偵』と『哀しい予感』とパッと見真逆な、作品です。内容も真逆でした。


 席がD列で前から4列目だったのでかなり舞台が近かったです。D列の左のほうの一番端に普通に塚本さん座ってたのがびっくり、休憩のあとの後半になると後ろの列の真ん中で舞台観てた。
 D列と一つ後ろのE列の間は横の通路で、7番に座っていた僕の左手も縦の通路でした。
 始まると後ろの通路を虚ろな雰囲気の市川さん扮する弥生が歩いていきました。 
 観終わった後に一緒に行ったかもがあれはすごいと誉め讃えてました。本当にすごい雰囲気だった。 舞台も暗転でセットがぐるりと回り場面が4つ変わり、通路もかなり使ってました。


 舞台費用なのか塚本さんや演者さんの出演料が高いのかわかりませんが本多で7800円とかなり高い料金でした。
 前に本多で阿佐ヶ谷スパイダーズ観たときは5500円ぐらいだったのに。 まあ、観終わった後の感想としてはそのくらい取るよなあって感じの舞台でした。 とても優しい空気感のある舞台でした。


 映画でやってるメインの二人はやっぱり見せ方がうまいです。それに塚本演出ということで映像寄り的な見せ方という感じのする舞台だったと思う。


 音楽はビョークが流れてました。


 市川さんはなんか空気感が独自で、観ていて不思議な感じ。オーラなのかなあ。座ってる時とかたたずんでいる時とか動かないときの雰囲気が伝わってくるような、そこの空気感が伝わってくる感じがしました。


 加瀬君扮する哲生はこんな純粋な子がいるのかという感じでしたが、そういう空気を醸し出してました。
 二回ぐらい泣いてましたが、一気に感情を爆発させれるってすごいなあ。
 照明が暗がりで光が弥生と哲生をとらえた時に顔にピンスポが当たると加瀬君の目が涙で溢れ光り、頬を涙が流れていく。キレイなシーンだった。


 ビビったのは通路が道として何度も使われるんだけど、わりと始まって最初の頃に哲生と弥生が歩いてくるシーンがあって、僕の横の通路を何度か通るんだけど、立ち止まって話す時に左手に市川さん、真後ろに加瀬君が半径1メートル以内にいて、近すぎるしライト当たってるから首もきょろきょろできないから市川さんを見たら目が合って、合ったような、市川さんの目に吸い込まれるような気がして『うわぁ』って思って目を逸らして彼女の足下を見ていました。


 なぜかとても緊張しました、僕が見られているわけでもないに。すごく貴重な体験だった。演技してる人のテリトリーに入るとこんな空気なんだって肌に染みました。


 弥生と哲生が本音を言い合い、今までの関係が壊れ、新しい関係になった後の弥生の独白。
 その独白の最後に言った言葉がすごく染み込んできたのになぜか今は思い出せない。


 『哀しくて甘い暗闇』だったろうか?
 『暗くて甘い暗闇』だったろうか?


 『甘い』『暗闇』という単語はあったと思う。今小説で探したけどそのシーンの会話はないから、舞台用の台詞なんだろうな。


 一瞬で入り込んできて消えていったあの言葉は、きちんと思い出せないのに、甘く溶けたイメージだけが広がって残った。
 昼と夜で同じ塚本作品でまったく違う話でした、原作が吉本ばななさんということもあるんだろうけど、すごく優しい話でした。
 興味ある人は小説をどうぞ。


 『悪夢探偵』のほうは人間の暗黒部分というか闇の叫びとか都市における人間の生死の狭間での狂気や弱さを描いていたと思うけど、そういう話を作れるからこういう話もこんなに優しい雰囲気を醸し出せたのかなって思う。


 人間の残虐性や恐怖を描いている人って、優しさ故に逆のベクトルを表現して最後には優しさとか人間の何か根本的なものを表現しようとしてるのかなと思ったりもした。


 最近新しいスニーカーを買おうと探してたんだけど、昨日も映画始まる前に渋谷で探したけどいいのなくてどうしようかなって思ったけど、舞台で加瀬君が履いてたエアジョーダン4レトロのホワイト×スカイブルーがとても軽やかでキレイだったのでそれにしようと思います。



 ↑結局そのスニーカーは買って一年ぐらいで履き潰しました。


 それで今日はテアトル新宿に行って塚本晋也監督でミュージシャンのCoccoが主演の映画『KOTOKO』を観に行きました。
 友人の園子温アンカーズな三浦くんと前に飲んだ時に彼の家からの帰り道にこの映画観た感想を言われてやっぱり観ないとなあって思っていて。Coccoは凄い好きではないけどやっぱり気になる存在と言うか。


 前にブログに『カウンターパンチ』や是枝監督『大丈夫であるように』ってのを書いたしまあその文芸誌『パピルス』というか表紙が衝撃的でもあった。



 ここで語られていた自傷行為等は今作『KOTOKO』の中でも何度も繰り返される。観ているものには作品の中の琴子とCoccoがダブルに見え出して、作中の琴子は世界が二つに見えているのでそれも混ざりつつ目を背けたくなるようなシーン、しかしそこから目を背ける事はできなくなる。白か黒かではない灰色の世界、彼女は自分の一番大事な大事な大事なものを守ろうと鈍感さを捨てて鋭敏になればなるほどに血を流し我が子に近づく危険から回避するために傷つけて行く・・・。




キャスト:Cocco塚本晋也
監督・製作:塚本晋也
企画:Cocco塚本晋也
原案:Cocco、脚本:塚本晋也
音楽:Cocco



ストーリー(あらすじ)/「鉄男」「六月の蛇」の塚本晋也監督がシンガーソングライターのCoccoを主演に迎え、苦しみもがきながらも愛する息子を育て、懸命に生きるひとりの女性の姿を描き出したドラマ。ひとりで幼い息子の大二郎を育てる琴子は、世界が“ふたつ”に見える現象に悩まされ、歌っているときだけ世界が“ひとつ”になる。神経が過敏になり強迫観念にかられた琴子は、大二郎に近づくものを殴り、蹴り倒して必死に息子を守っていたが、幼児虐待を疑われて大二郎と引き離されてしまう。そんなある日、琴子の歌に魅了されたという小説家の田中が現れるが……。2011年・第68回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門で、同部門の最高賞にあたるオリゾンティ賞を受賞した。(映画.comより)


 観ながらCoccoが漫画家でコラムニストのしまおまほさんに似ているな、顔の系統がと全然関係事も思ったり最後の方に出てくる坊主頭な人が元くるりの達身さんで少し嬉しかったりしましたが映画自体はかなり観る側へのダメージがデカい作品だった。


 道端で琴子が抱いている大二郎に優しく話かける女性ともう一人その女性とまったく同じ人が襲いかかってくるのが見えてしまう、“ふたつ”の世界で彼女は我が子を守るためにそのどちらが真実なのか嘘なのかわからない、ただ彼女は我が子を守る為に相手を傷つけるしかない。転々と住む場所を変えていく。


 観る前はリスカとかもろもろCoccoにあるイメージだとかドキュメンタリーの『大丈夫であるように』とかの印象があったので庵野秀明監督『式日』みたいなものを少し思ってた。まあ、エンディングをCocco歌ってたし。


 『式日』の女の子みたいなヤンデレな感じというかトラウマありますねん、世界から見放されてますみたいな痛みを伴った少女に癒されるおっさん(作中では岩井俊二さん演じるカントクであり作り手である庵野氏)な物語はそこにセックスを介在せずに彼女を救おうとすることで自身が癒されるという、まあ付き合って一緒にいるとムカついたりイライラしたり途中で投げ出してそいつから離れたいと思うのだが。


 でも、それは前の十年に流行ったと言っていいのかわからないけどそういう傾向のものは確かにあって内面の痛みが表象としてのファッションにすらなってしまった。トラウマに甘えるようにそこにいる事で居心地を感じてしまう一部の人達もいただろう。そこからの脱却ははかられたのかされなかったのか。


 琴子はリスカし血だらけの手を見る度に生きろ生きろと言われているように感じる。自傷行為による生への葛藤を感じる事で日々を過ごしている。やがて“ふたつ”の世界で子供守る彼女は幼児虐待の疑惑をかけられて子供とは慣れて暮らすことになる。



 彼女にとって世界は“ひとつ”に見えるのは歌うときと踊っている時だ。焦点が合うようにその時ばかりは世界は統合される。


 『KOTOKO』のパンフの宮台真司さんのレヴューの中に園さんの『ヒミズ』の話が出てきて『KOTOKO』と合わせて論じられていた。昔も今も震災以前も以後も地獄を生きるしかない私たちへ向けてのこの二作品の論評。


 途中で小説家の田中(塚本晋也監督)が琴子に思いを寄せて交際を申し込んだりして、バスの中で歌っている彼女に惹かれるんだけど彼と一緒にいると世界が“ふたつ”じゃなくなる。でも自傷行為はやめられないしやめさせようとする田中はボコボコにされている。でも彼はそれを受け入れる。


 でそのボコボコにされる田中のシーンで何度か僕は笑ってしまって他のお客さんはあんまり笑ってなかったけどこれは園さんの『冷たい熱帯魚』でのでんでんさんが殺した相手を透明にするシーンで起きる笑いに似ていると感じた。
 極限の場面の緊張感はギリギリのラインの上を彷徨うので極上のコントにすらなってしまう。緊張と緩和の狭間で人は揺さぶられる。


 かつて松本人志は『ごっつええ感じ』でのコントの中でそれをやっていたと思う。映画を作り出す前からはもはやそれは失われてしまったようだ、『ビジュアルバム』の頃に映画に迎えていればあの作風は活かされたのかどうか。
 もし映画でそれができるのならば彼は映画作家としての才能をもっと出せるはずだけどもその作家性を今はみることはないと思う、一作目『大日本人』は好きだけど。


 そしてこつ然と田中は消えてしまう。ボコボコにされても一緒にいた彼は。彼は塚本晋也は琴子にCoccoに感染し世界を“ふたつ”に感じだしたのだろう。カメラの前で歌い踊る琴子。大事なものが守れないならばそれならば自身の手で大事なものを優しく壊してしまおうとする母性の行く先。



 ラストは案としてのAとBがあるような感じだ。Aで終わっても問題なかっただろうがその後にBが来るような“ふたつ”の世界が接続される。琴子=Coccoと田中=塚本晋也それぞれの解釈のラストが繋がっているような気がした。


 観終わって足がすくむというか気持ち悪くなるあの感じは体内が揺すぶられているようでlike a自問自答状態。


 『ヒミズ』『ドライヴ』『KOTOKO』は僕が今年観た映画でかなり揺さぶられている作品だ。ずっと揺れている、まだ揺れている。目に見えない放射能はそれでも舞い続けているその感覚とこれからの事。


 先週の金曜日の飲みから前から思ってたんだけど『AKIRA』『ARMS』『SPEC』における特殊能力を要する彼ら登場人物が原発事故の放射能被害によって遺伝子を傷つけられ生まれてくる子供たちとさらに重ねて想像してしまう。
 メタファーとしてのSF的想像力はどこまで現実と対峙できるのか創造することや作品が作りやすいのか作り辛いのかわからない時代だけど若い世代がそれで向かっていかなくてはいけないのだと改めて思っている。今メタファーとしてのゴジラが作れなくても戦い方や想像力の示す先に目を。


 僕らの現実を塗りつぶす様々な事柄の隙間から手を伸ばせ。

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