Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「健全な肉体に宿る不完全な魂」

 「モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号」が「音楽誌が書かないJポップ批評59 SMAP「20+1抱腹絶頂ヒストリー」」が出ているか確かめに行ったら出ていたので一緒に購入した。とりあえず「音楽誌〜」のP108〜P109に掲載されている「奇跡の問題曲「らいおんハート」と傷ついた家族の再生」という記事書いたので載ってるかチェック。


 前のように買って帰ると宝島社から来てた。ので送ってもらった一冊は実家に法事で帰った時に渡して田舎の家族にSMAPのこととか書いてるぜって誤摩化そうと思う。祖母でも知っているだろうSMAP、そういう意味では最後の国民的アイドル。


 「モンキービジネス」の今回の対話号の売りはなんと言っても古川日出男さんが聞き手として村上春樹氏にインタビューしている、しかもけっこうなページ数で読むのも時間がかかるほど。今ちょうど村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」読んでる、去年は古川日出男作品をひたすらにとこしえに読みまくったので、ある意味先祖帰り。


 古川さんは村上春樹作品にかなり影響されて作家になった人、僕は古川日出男作品に一気に去年影響されたけど、村上春樹作品の長編は未読だった。古川さんは村上作品に影響されながら違う切り口で書いているし、文体も違うけど、この対話を読んでいるとやっぱり作家としての背骨の部分での影響がものすごくデカイんだなあって感じた。


 村上春樹さんと言えば健康的なイメージだけど、実際に30過ぎぐらいでデビューしてから体を鍛えていて毎年フルマラソンを一、二回走っているらしい、もう六十歳なんだけどね。古川さんもティラピスかヨガみたいなことをしてたような、実際に舞台でダンスしてたし体力的にはかなりだろう。
 インタビューの中で「贅肉つくと小説家はダメだな、と思いましたね。実感として」ということを言われていて長期スパンで作家としてやっていくためにそこは大事だと、古川さんももちろん同意。


 そこから繋がることでそこを重要視する意味としてお二人の見解としては「健全な肉体に宿る不完全な魂」が作家として必要だから。体がクリーンになったからと言って魂がクリーンになるわけはない、しかし肉体が健全ならば、自分の中に潜む暗い部分、狂気を孕んでいる部分を見つめることができる、それがないと小説は書けないという。なんかちょっとわかる気がする、絶対にどんな人間にもその部分があって、物語にそれがないとやっぱり嘘というか影のない人間っていうあり得ないものになってしまう感覚。


 このインタビューはかなり読んでて「そうなんだ」みたいに思える事がたくさんあって、僕が行ってた映画学校とかでも読ませた方がいいんじゃないかなって、物語を作ろうとしたり文字で物語を創ろうとする人にはいいテキストになっていると思う。ああ、とりあえずランニングをしてもっと健全な肉体にならないとなあ、でも「健全な肉体に宿る不完全な魂」に近い言葉をなんかで見た気がしたので調べたら新書で「健全な肉体に狂気は宿る」っていう本があった。この本のタイトルだけは惹かれて手に取った記憶はある、買わなかったけど。


 そんなわけでお二人の発言から影響されてきちんと計画的に運動を始めようと思いました、やっぱりランニングだな〜。計画的にというのは目標を定めて続けるということだけど、人にはそれが一番難しいことだったりもする。


 古川日出男作品で感じる身体性というものが実は村上春樹作品から受け継がれていたというか、二人の作家が直感的に小説に必要だと感じていることなんだな、体が軽い方が脳の動きもスムーズになっていく、身体性、文学と反対に見えるようなことが実は密接に関わっている、らしい・・・。


 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」上巻もようやく半分、話に繋がりというか「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」と交互に展開されている話、なんとなく二つが結びついてきた。図書館員とまあ寝てしまうような、まあ未遂のあたりでかなり二つの世界のことがって思うんだけど村上春樹作品って性的なシーンとか表現がでてきてもなんかどうも性的な匂いがしないんだよなあ、なんだろう。


 なんだろうな、匂いって実際にはしないけど本だから。でもなんて言うんだろうか実際の人間の陰毛の辺りってなんか発してる性的な匂いがあって、それがホルモンなのか、性器から発するのかわかんないんだけどあって、僕には嗅げるというか認識できる、性的な表現だとそういう匂いを思い出すというか。人って声と匂いがキーとなって記憶が奥底から出てくる。でも、村上春樹作品を読んでもそこだけはやっぱり性的な感じが濃厚にしてこない。


 村上春樹吉本ばななの作品読むと自分でも書けそうな気がしてしまうんだけど実際は書けないって大塚英志さんが書いてたけど、確かに読むとこれありなら書けるんじゃないかって思ってしまうとこが少しだけある。でも実際に多くの人が書けないのは二人の書く作品には構造がしっかりある。ある意味では構造が突出しているから英語に訳されても世界に届く表現に成り得ている。


 というのを思い出した。

モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号

モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

二〇〇二年のスロウ・ボート (文春文庫 (ふ25-1))

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13 (角川文庫)

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