Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「ツナガリ」の現在”出会い過剰”の時代の希望@紀伊国屋ホール

 寝て二時間ぐらいでドアをノックする音で目が覚める。あまり気分のいいものではない。我が家にはインターフォンがないので用がある人はノックせざるおえないのだがノックの乾いた音には危機感というかなにかそういうものが含まれているのかすぐに目が覚める。
 アマゾンで頼んだものが来たのだけど朝の10時過ぎに来たら深夜帯に起きている人間にはしんどい。「愛蔵版 デビルマン」とユリイカのバックナンバー。「デビルマン」は以前ヴィレバンで見かけて買おうと思ってて年末に買いに行ったらもうなくなってて近所には売ってないので注文。

 
 去年は梅図かずお「わたしは真悟」を読んで、それは僕が生まれた年に連載開始された作品で勧められて読んだけど確かにその後のネットワーク社会を予見する内容でもあったし、今読むとツッコミどころ満載だけど(僕が一番不思議だったのは真悟=シンゴの名前の由来が真鈴=マリンと悟=サトルから取られたはずだけど彼らがその当時のコンピュータに打ち込めた文字はカタカナだったからマリンとサトルからシンゴにはならないはずで明らかに彼らの漢字を一文字ずつ受け継いで真悟なはずだから矛盾してるような、僕の勘違いかな、曖昧だけど)物語の展開がものすごいスピードでさまざまな場所に及ぶ。だから今読んでも圧倒的な物語性があって、これを思春期とかに読むとトラウマになるというかインパクトあっただろうなって。


 同じような理由で漫画の「デビルマン」も最後の終わり方がすごいトラウマを残すっていうのを聞いていて、あとアニメと違ってヒロインの美樹が殺される事によって人間を守っていたデビルマンが人間など守る価値がないと思うとか内容を少しだけ知っていて読んでみたかった。


 で寝起きで読んでみた。めっちゃ分厚い。読み終わるとぐったり疲れた。これはトラウマになる。
 サタンの設定に関しては途中で思いついたんじゃないかって気もしなくもない。たぶん、作者の永井豪さんも途中でここにこれをはめたら全てのつじつまが合うって思ったんじゃないか、でも物語の空白と言うか設定してなかった部分にちょうどはめるとパズルが完成するようにピタッとはまる時があってきっと無意識下で空白を作ってそこに意識がある状態の時に思い出したかのように空白を埋めている感覚。


 最後のデビルマンこと不動明とサタンが海辺というか並んで話しているシーンを読むと「エヴァンゲリオン」の碇シンジ渚カヲルが出会ったのは海辺だったはずだけど庵野秀明氏はここからのオマージュでそうしたのかもしれないとなんとなくだけど感じる。


 「わたしは真悟」は82年連載開始だからもう二十七年前とか「デビルマン」に至っては72年の作品なので僕が生まれるさらに十年前の作品の物語なのに全然その強度を失っていない。トラウマになってしまうぐらいの作家の世界観と伝えようとする物語じゃないとその強度は保たれないのかもしれない。でもきっとそういう物語を書いてる時ってある種のトランス状態というか神掛っている、あるいは物語が勝手に降臨してくる感じなのかな。


 僕らに影響を与えている人がさらに影響を受けたような作品、だから先祖帰りじゃないけどそういう作品を読むと何かの元ネタとかわかったりはするんだろうけど、気が向かないとやっぱり無理。昔の作品を読み返したり観たり聴いたりって膨大でもう手に負えない。
 僕も仲俣さんに言われなかったら画が苦手だって理由でまったく読む気がなかった楳図作品である「わたしは真悟」を読まなかっただろうし、バイト先の人が強引に貸してくれたつげ義春蛭子能収作品もそういうことじゃなかったら読んでいない。


 人間脳内ハードディスクと有限な時間の中では限界がありすぎてすでに年上の人からはベーシックな基本的なものですら読んでなかったりする。だから年上の人の紹介で勧められて読んだりするものが一番いいかな、あとは「文化系トークラジオLife」とかのサイトで参考資料とかで出されているような感じで出会うっていい出会い方だろう。


 物語とかでトラウマになるってその物語性に強姦されたような気になる。僕が好きな映画の一つに「ジョゼと虎と魚たち」があってあれは最後がああいう終わり方だからみんなの中に残ったと思うし映画館で観てすぐよりも徐々に月日が経ってから作品が自分の中に浸食してくる感覚があった。のちに恒夫みたいに自分がしたことで、していることで自分という人間が気持ち悪いと思って吐き気を覚えて吐こうとしても吐けずに泣いた脆さがある僕には時間が絶った後の方がより身近な作品になった。


わたしは真悟 (Volume1) (小学館文庫)

わたしは真悟 (Volume1) (小学館文庫)

愛蔵版 デビルマン (KCデラックス)

愛蔵版 デビルマン (KCデラックス)

ジョゼと虎と魚たち [DVD]

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 昨日7日は新宿の紀伊国屋ホールで『文化系トークラジオLife出張企画「ツナガリ」の現在"出会い過剰"の時代の希望』出演:鈴木謙介佐々木敦津田大介鴻上尚史(特別ゲスト)というイベントがあってお手伝いと観覧してきました。お手伝いらしいお手伝いをしていないような気もしますが、楽屋に荷物置かせてもらって、ほお、これが楽屋ってもんですかって思いました、入れることないんで。


 お客さんに渡すアンケートとか告知とかのセットを作ってて今度「Life」でやる2009年1月17日(土)20:00〜21:00 Life特番「2009年のチェ・ゲバラ」のスティーブン・ソダーバーグ監督、ベニチオ・デル・トロ主演の映画 『チェ 28歳の革命』(1月10日公開)『チェ 39歳別れの手紙』(1月31日公開)http://che.gyao.jp/のチラシあったんだけど表紙のベニチオ・デル・トロが本当にDragon AshのKjこと降谷建志の父上である古谷一行さんに激似!言われれば言われるほどに本人だと思えるぐらいに似てるからっ!


 そういえば松本人志×高須光聖「放送室」において高須さんがKjはもう一行さん追い抜いたなあって話をなんらかの流れでした時に松本さんがそんなことは断じてない、一行さんの方が幅広い世代が知ってるからまだ父親の方が有名だし追い抜いてはいないってことをトークしてた、僕が聴いているという時点で発売されているCDの初期の方に入っているはずだけど。


 チラシの中には鴻上さんの「僕たちの好きだった革命」を再演っていうのも入れたけど、この舞台というかお話は前にやった時に興味あったんだけど観てなくて観てみたい。
 昔ラジオで「日比谷公園でジェンカ」したいって言って早朝にしたりとかいろいろされてるんだなあ、初めて聞いたので面白かったです、それらのエピソード。で朝の六時とかに普通に集まってくるリスナーって。
 すごい関係性だよなあ、ネットとかない時代だからさらに。本当に来るかどうかもわからないし、本当の友達連れて行くか一人で行くしかないんだもん。


 charlieの第一声というか会場に出て来た時の第一声がちょっと上ずったから本当に緊張してるんだって感じて席も前の方だったから武者震いしてるようにも見えて憧れの人と一緒に憧れの舞台に立つって凄いなって思ってちょいと感動。それはcharlieがやってきた事が評価されて応援してくれる人がたくさんいてくれてそういう場所に立っているというのはやっぱりご褒美みたいなものだと思う。
 人生にはたまにサプライズがあって、みんながそれを絶対にもらえるわけじゃなくて自分のやるべきことをしてたりとかテーマでもあったツナガリの中で起きることだろうなって今書きながら思った。


 最終的にはお客さんも当日けっこう増えて三百人を越したみたいでよかったです。でも男子率高いなあ、やっぱりcharlieは男子を引き寄せる兄貴的なもんがあるのか、女子が寄らないのかわかんないけど。
 女子が増えるとさらにそのルアーを追い掛けるヤローが増えるだろうからもっと人が増えるしリスナーも増えるんだろうけど、文化系女子が食いつくネタや人ってなんだろう、誰だろう?



 終わって飲み会というか打ち上げに行って楽しくお酒飲んで知り合いの人と話をして新年会的な感じで楽しかった、いい雰囲気だったし。
 終電ぐらいで渋谷に出ていつもみたいに歩いて帰ってたらすぐに酔いも冷めた。旧山手通りと246が交差してampmが見える交差点手前でiPodをカバンのサイドから出そうとしたらイヤフォンのジャックが抜けて本体が地面に落ちてケースのプラスチックがカランって鳴った。拾ってからフルカワヒデオプラスのトラック4「無謀の季節」を聴きながら246を下る。


 空中に浮かんでいる建設中の大橋ジャンクションはいつできるんだろうなあ、いつも渋谷から歩いて帰る時、飲み会とかイベントごととかライブとか友達と会った後とかこの道通ってて東京の空ってやっぱりあんまり星が見えなくて、探せばあるにはあるけどあんまりなくて。
 楽しいことの帰り道のちょうど大橋ジャンクションが見える、建設されている部分ぐらいが見える辺りが気持ちが一瞬落ちる部分っていうか、見上げたら星ないのに建設中のジャンクション見えてて、そういうのをなんか物語にしたい。短編っぽいけど。
 そういえば読んだ事ないけど「箱崎ジャンクション」って小説があったような気がする。「大橋ジャンクション」ってなんかカッコ良くないなあ。「大橋ジャンクション(建設中)」もいまいち。