昨日は東浩紀著「クォンタム・ファミリーズ」を読了した。
あらすじ・2035年から届いたメールがすべての始まりだった。モニタの彼方には、まったく異なる世界の、まったく異なるわたしの人生があるのだ――。高度情報化社会、アリゾナの砂漠、量子脳計算機科学、35歳問題、幼い娘、ショッピングモール、そして世界の終わり。壊れた家族の絆を取り戻すため、並行世界を遡る量子家族の物語。
フィリップ・K・ディック「ヴァリス」や村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を以前に読んでいたので世界観がなんとなしにわかった。以前に仲俣さんに「クォンタム・ファリミーズ」が出る前に「ヴァリス」に世界観が似ていると言われていてお借りして「ヴァリス」を読んでいてよかった。「ヴァリス」を読んで面白いと思った僕には「クォンタム・ファミリーズ」ももちろん面白い作品だった。
「ヴァリス」は81年にアメリカで出版され日本では82年に刊行。サンリオSF文庫っていうとこから出てて今は廃刊になっているので、現在は「創元推理文庫」から刊行されている。
ディックは映画「ブレードランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を書いていたり「トータル・リコール」「マイノリティ・リポート」などの原作を書いたSF作家として非常に評価の高く、僕の生まれた年に死んでいた。僕の誕生した二十日前にこの世界からは消えた、だけど書籍は残って27才の僕が読んでいる。
彼は神経症の治療やその他の理由からアンフェタミンを常用した時期があり、自殺未遂を繰り返し、薬物中毒施設に入院した経験もあると説明されている、思いっきり「ヴァリス」はその手の経験を得た上で書かれた作品らしい。
「ヴァリス」に漂う世界観は同じくアメリカの作家スティーヴ・エリクソン「アムニジアスコープ」にも感じられた。多重人格的な世界観みたいな、平行世界、狂気的にも感じられながら惹き付けられる物語の構造。
「クォンタム・ファリミーズ」は完全にわかっていない、僕には理解というかどういうものなのかわからない単語も多々出てきたし、わからない部分はあるのだけどそれをある程度捉えて、理解したふりをして読み進める、先を読みたいという衝動が起きる作品だった。わからないことがあるのは仕方ないし、全てがわかるはずもない。この作品の構造上、とてもわかりづらいものであるのである種の混乱を覚える人も多いと思う。
村上春樹「1Q84」で印象的だった台詞の「説明しなければわからないことは、説明してもわからない」という言葉があるが、つまり説明しなくてもわかることは本能的にわかるのだ。この作品でわからない部分はきっとわかっている人に説明されてもわからないんだろうと思う。わかってないことがあっても物語自体を楽しむことはできる。実はわからない部分がある方が物語というものは興味深く面白く感じる。
読み進めて行く中でこの平行世界という多重にある世界、多重人格的な世界が同時進行で繋がる感じや「汐子」のキャラクターが僕には大塚英志著「ロリータ℃の素敵な冒険」に近いと思った。東浩紀と大塚英志の共通項はある、批評とかじゃなくて物語を造る上で似てしまう何かがあるのではないかと思った。
「ロリータ℃の素敵な冒険〜クォンタム・ファミリーズ」に書いたけど、
大塚英志「僕は天使の羽根を踏まない」文庫版あとがきより
少し前、物語の中途で現実を突きつける類の小説が嫌いだ、と、ある優れたノベルズ作家が書いているだか発言したらしい、と誰かのコラムで読んだ記憶がある。ああ、それは例えばぼくの書いてきた小説のようなものを指すのだろう、と思った。作者は読者が小説のページを開いている間は読者が現実ではない世界を生きる権利を保証すべきだ、というのが多分、その作家の考えるプロとしての作家なのだ、と思う。それはそれで正しい。しかし、ぼくは中途でしばしば物語ることを放棄するし、読者に小説の外側の世界をいつも突きつけようとする。なるほど、しばしの間、夢を見ていた読者にとってぼくは迷惑で無責任な小説家なのだろうが、しかし、ぼくにとって小説は夢を見せるためではなく、醒めさせることのためにある。
それは小説だけではなく、まんがや批評めいた文章や、あるいは大学の教壇で授業をすることを含めて、ぼくの表現はすべからく、夢を見せるためではなく、夢から醒めさせるためにある、と言える。
中略
大塚作品にはラノベ読者が小説に出会う仕掛けがほどこされていた。小説「多重人格探偵サイコ」の各章タイトルが大江健三郎の小説のタイトルだったり、中上健次の小説のタイトルだったりした。
宮崎勤をモデルにしたような連続幼女殺害犯として大江公彦というキャラクターが何作か登場している。同名タイトルがあるが出版されていない「サイコ」の後の物語の「試作品神話」ではイラク戦争の話になったり、これが「僕は天使の羽を踏まない」のあとがきにある「ぼくは中途でしばしば物語ることを放棄するし、読者に小説の外側の世界をいつも突きつけようとする」部分の代表的なものだったはずだ。
「クォンタム・ファミリーズ」には物語としての強さがあり、ある種の「小説の外側の世界をいつも突きつけようと」している感じが、感覚がした。僕にとって小説はフィクションであるけども現実と地続きなものである。まったくかけ離れていない場所にある物語だから、人は小説を書き続けるし読み続けるのだと思う。
という中にある「小説の外側の世界をいつも突きつけようと」している感じがキーワードにある「高度情報化社会」「アリゾナの砂漠」「量子脳計算機科学」「35歳問題」「ショッピングモール」「世界の終わり」によって物語の中で機能している。
この作品はゼロ年代最後にドロップされてテン年代最初に発見される小説になるのかもしれない。
本屋の新刊をチェックしていたら佐藤友哉「1000の小説とバックベアード」の文庫が出ていて何気なく手に取ったら「三島由紀夫賞」受賞作品だったので買ってしまった。積読本がたまっている、いつ読めるかわからないがつい買ってしまう。
星野智幸「目覚めよと人魚は歌う」と佐藤友哉著「1000の小説とバックベアード」の二冊は「三島由紀夫賞」作品で読んでないけど楽しみ、僕は三島由紀夫賞作品がどうやら好きらしい。
Twitter上で僕(manaview)のつぶやきに関して仲俣暁生(solar1964)さんが返してくれた「三島由紀夫賞」関連のつぶやき。
(mana)読む本がたくさんあるのに佐藤友哉著「1000の小説とバッグベアード」の文庫を購入してしまった。しばらく読めないけど。僕はどうも三島賞受賞作家が好きらしい。
(solar)ある意味、最後の三島賞作品かも。
(mana)え〜三島賞の品格の問題ですか?「QF」は三島賞っぽい感じな気が。
(solar)ちがうよ。選考委員の問題。福田・島田両氏がいたときの最後の受賞作だから。いまの三島賞はプチ芥川賞。
(mana)あ〜なるほど。選考委員の問題ですか。プチ芥川賞なんだあ〜。
(solar)けっこう選考委員かぶってるよ。
(mana)被ってたらダメじゃんっていうか賞の個性がないっすね〜。藤谷さんは三島賞候補になったんでしたっけ?
(solar)小川洋子、川上弘美がかぶっている。藤谷治が候補になったのは、選考委員が変わった初回かな。
(mana)小川さんは読んだことないっす、川上さんは一冊ぐらいです。
(solar)でも、QFは十分候補作にはなりうると思うし、平野啓一郎が選考委員にいるから、展開しだいでは面白くなるかも。小川・川上両氏の選評を読んでみたい。
仲俣さんが出演するTBSラジオ「文化系トークラジオ Life」の今年最後の放送は27日の深夜一時半からです。テーマは「文化系大忘年会2009」ということで予告を聴いてメールしてみてください。僕はもう送ったので。
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