Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「Love Fall」

 目黒川=東京都世田谷区三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぐ。


 「LOVE」=古川日出男三島賞受賞作、目黒川が流れ東京湾に注ぐ流域の目黒区、品川区、港区が舞台。続編に当たる作品の「MUSIC」が来年刊行されるらしい。


 11月17日朝9時過ぎに自宅を出る、世田谷区から始まる。すぐに国道246を越える目黒区、そして目黒川。



 

 古川日出男さんにエクス・ポナイトでほぼ強引に僕の書いた小説を渡して、古川日出男ナイトvol.7でのサイン会の時に読んだよと言われもらったアドバイス、そして足りないものをは君自身で見つけろと言われ早一ヶ月、ほぼ放置していた。もう二、三のシークエンスが必要なのは自らでもわかっていて、終わり方というかもっと僕が物語りたい終わり方を探していた。


 以前に古川日出男著「サマーバケーションEP」を読んで一人で井の頭公園から始まる神田川の源流から神田川をずっと辿ると隅田川に出る、そして隅田川を下って晴美埠頭へ行った。
 それを勝手に「スプリングバケーションEP」と名付けて、春だったし。それを書いたブログを古川日出男vol.6でコピーしたのを渡させてもらった。それから古川日出男さんから直接の手紙と言うかポストカードが届いた、そのポストカードが入っていたのは真っ赤な封筒だった。


 という流れがあって、小説を渡して読んでもらおうとする暴挙に出てしまったのだが、恐ろしく優しい古川日出男さんは多忙の中読んでくださっていた、だからこそ最終形にしたかったし、小説という形にしようと考えたら考えるほど最後のほうをどうするかで悩んでいた。


 地図を眺めていると目黒川を沿って行くと東京湾まで余裕で歩けることはわかった、天王洲アイルまで行った後に北上して行くと東京タワーに行ける事もわかった。


 僕の小説のキーワードの一つが「東京タワー」だった。ある種のメタファー、ゼロ年代が終われば東京スカイツリーが11年にできて東京の象徴は変わる、ゼロ年代が終わることの一つの象徴として。


 前から「LOVE」の目黒川沿いを歩こうと思っていたので、歩いて東京タワーまでどのくらいで行けるのかどんな景色が見れるのか確かめようと思った。秋だと言うのにポカポカとしてて汗をかなりかく、歩くズンズンと。目黒川を沿っていく、次第に川は幅を広げる。


 
 落ち葉が道に落ちている、赤と黄色の色が鮮やかに敷き詰められている。


 目黒区から品川区に進入する。目黒駅が目黒区ではなく品川区にあることを確かめるのを忘れる。首都高速2号目黒線と目黒川が交差する交差点のすぐそばのおじいちゃんとおばあちゃんがやっているパン屋でチキンサンドを買って食べる。美味い、パンもふっくらしてて何か懐かしい。



 首都高速2号目黒線沿いを北上する。これは「LOVE」の検証でもあるので、国立自然教育園へ。確か「LOVE」の最後はここが舞台だった。坂道を登り続ける。途中でなぜかサバンナの八木さんとすれ違う、ランニングだったみたい、二度見してしまう。そのまま国立自然教育園へ、一時港区へ入る。広大過ぎる面積なので少しだけ歩いて登ってきた道を下り、目黒川まで戻る。



 五反田の地域に入っていく、専門の友人である只石がバイトをしていたイマジカの横を通る。実は只石に紹介されて働く事に一度なったのだがそれを辞めた経緯があり来るのはそれ以来だった。



 しばらく歩くと北品川に住所が変わっている。目黒川沿いの道を歩いていると疲れた方はどうぞとイスが二脚置いてあった。何か雰囲気のいいイスだったので気に入った。座ってみると川とその向こうの景色が見えた。



 そのまま進むと天王洲アイルに入る、テレ東がある。品川区港区の湾岸地域は江戸時代以降に干拓され海を埋めて作られた地域、かつては海、数百年前の海の上を僕は歩いている。



 「LOVE」=「愛」は明治維新以降に英語が入ってきてその訳として「愛=あい」という言葉が当てられ定着した言葉。だから「愛」という漢字は存在していたが「愛=あい」という意味ではなかった。首都・東京は海を干拓し侵蝕していった、近代以降の土地、そこを舞台にした物語。だからきっと「LOVE」なんだと僕は思う。



 少し寄り道をして品川駅へ、本当に品川駅は品川区にはなく港区なことを確かめる。物語への断片を見つける。芝浦下水処理場へ「LOVE」の舞台の一つなので。そのまま旧海岸通を歩く。まあお昼だったし、路上には車で飯を販売していて列を作って並んでいた。品川駅の周辺や八千代橋を北上し三田や芝地域に入るとサラリーマンやOLが多かった。東京タワーが見えた。



 交差点を渡る、僕以外はサラリーマンやOLだった。僕はここでは異物なのだと感じる。昼間から小説の舞台を巡り、ついでに東京タワーまで歩いている僕はここではマトモとは言えない。僕の年なら大学を出て社会人五年目だ、そういう未来もあった?


 僕は歩きながら考える。「選べなかった」事と「選ばなかった」事はまるで違う事だと。僕は中二の時の初期衝動から普通に企業で働くという選択肢を選ばなかっただけだ。
 でも僕らの同年代や「ロストジェネレーション」でくくられる僕らの世代の人の中には企業で働きたくても働く事が難しく「選べなかった」人もたくさんいることも事実だ。


 「選べなかった」と「選ばなかった」ということはきちんと僕の作品に取り入れようと思った。東京タワーが近づく。近づくと書こうとしている物語の最後部分が頭の中でイメージされる感覚。



 だけどきっと彼らは東京タワーの展望台には行かないと思う、だから僕も登らない。メールで人と浜松町で15時に会う事になった。東京タワーに着いたのは13時半前、家を出てから4時間半で着いた。


 東京タワーから浜松町へ歩く、大門というところを通って。浜松町に行くと時間が余りすぎてうろうろとする。駅前の巨大なビル、世界貿易センタービルだった。僕の小説の中には9・11の事は書いてあり、その時僕はコンビニの弁当工場でバイトをして上京資金を貯めていたことをフィクションに取り込んだ。
 事件の翌日の昼間も食堂の天井から吊るされたテレビで何度も世界貿易センタービル・ツインタワーに突っ込んで行く旅客機。



 ゼロ年代を終わらすためにというテーマが歩きながら浮かんでいたのできっとここの展望台に行く事は繋がりが見出せると思って登った。
 東京タワーが見える。333のテッペンが肉眼でも見える。東京タワーに登らなかったけど、東京タワーが世界貿易センターから見る事ができた。だから頭の中で話が繋がっていく。



 浜松町で約束してた人と会って渋谷まで帰る。渋谷の小さくなったブックファースト須藤元気「キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン」の小説を買う。シンクロニシティを教えてくれたのは須藤さんだったし、その後前の日に観た「式日」の後にロフトに作りに行った名刺を受け取りにいく。
 エレベーターの中で森三中の大島さんを見る。須藤さんならサイン貰えるのになあと思ったりもする。名刺はシンプルなやつにしたので受けとって家まで勢いでいつも通り歩いて帰る。


 かなりバテる。21時から原宿で友人の只石の作品が上映されるので行かねばならない、17時前には家に着くが歩きすぎて眠い、やばい起きれそうにない。只石からメールが来ていた。オリジナルなんかやっぱりなくて、言葉も誰かからの借り物の言葉だし、とかそういうことをやりとりする。
 でもそういう中でも滲み出る個性がフェイクを繋げてその人のオリジナルとなるはずだと。


 「キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン」を読み切ってしまおうと試みるが読みやすいんだけど眠気がある時の読書は睡魔の力を強くする。だからうとうとと寝てしまった。しかしドアをノックする音で目覚める。
 ネットで買ったスニーカーが届いた。アメリカから直輸入した、だから旅客機で運ばれてきたはずのそれが。



 JORDAN SPIZ'IKEと言う名のスニーカー。
 名器であるAIR JORDANシリーズの3〜6、そして20をREMIXしさらにスパイク・リーブレンドしたオリジナルを破壊しそれから再構築したスニーカー。


 履き心地を部屋で試して新しいスニーカーで家を出る。さすがに原宿まで電車に乗った。原宿KINEATTICへ。


 
 専門の友人である江尻と山下が来ていて一緒に映画を観る。前に観たときよりも何かさらにドキュメンタリーだなあと感じた。時間が経っているからからかもしれない、僕も当事者だったし。観終わってから原宿で三人で終電まで飲む。 渋谷まで帰ってたら日付が変わってた。電車は混むからまた渋谷から歩いて帰る。


 新しいスニーカーはまだ馴染まないけど感触がよくて歩きやすい、246を下っていく。このスニーカーを履き潰す頃にはゼロ年代は終わる。

 
 追記
 世界貿易センターから見える東京湾ウォーターフロント。ZAZENBOYSを聴こうと思った。地上に降りてから聴き始めた。古川日出男の世界とZAZEN BOYSのフロントマンである向井秀徳の世界は共鳴していて響いて共闘してるのを感じた。だからここはウォータフロント、そしてsabaku。

サマーバケーションEP

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LOVE

LOVE

キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン

キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン

ZAZEN BOYS4

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