Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『Figure It Out』

 台風の進路のせいか夕方帰る頃には秋の気配に似たような風が吹いていて、強く吹いていてさまざまなものを飛ばしていた。会社帰りの人たちが歩いて駅に、食事に、誰かと、たとえば一人でコンビニに行くような途中の横を自転車で通りすぎていく。いつも通りすぎていく。彼らの人生と僕の人生はとりあえずのところは交わっていないように見える。自転車で青山通りだとかを走っていると風に舞ったホコリが飛び込んできていたい、目に見えないけど目に何かが入ってしまってふいに涙に似たものが出てくる。かすんだ世界でも風が待っていて人々は歩いてどこかに向かっていく、それを横目にかすんだ世界の中でとりあえずペダルをこいで家路に向かう、そういう僕もまた一人なのだけども。一人と孤独は違う種類のものなんだろうと思う。好きな人と二人でいたり大勢の人たちといると感じる孤独は単純に皮膚の向こう側に誰かがいるという事実があって溶け合えないという刹那を連れてくるから孤独である、故に他者との距離はその人への想いによって感じられるのがそれなんだろう。例えば、いつもの出社の時にのぼっていく階段の色は同じであって、意識せずとも足は交互に降り出して上へ上へと進んでいく、これがなんとなく僕の思う一人だ。



Royal Blood - Figure It Out [Official Video]





 新潮最新号は昨日の橋本治恋愛論』からの繋がりな気もする「猫が死んだ」対談は横尾忠則さんと『恋愛論』の講演させた(当時、西武百貨店のコミュニティ・カレッジの写真だった)保坂和志さん。
 『新潮』をこの所続けて買っているのは古川日出男さんの連載『女たち三百人の裏切りの書』が載っているからなんだけど、今号は古川さんの『二〇一一年三月十一日を書くーフランスにて』も掲載されている。これは講演用の原稿を掲載したとのことだ。ここで古川さんは目黒川を舞台にした『LOVE』の話も交えながらご自身のファミリーネームであるfurukawaとは「大昔からある川」という意味であり川と都市について書かれている。確かに古川作品には川が何度も出てくる、古川さんも意識されているし、物書きになってからそのファミリーネームが示すものと自分の作品が結びついていると感じられたはずだ。僕はその川の物語というものが体験として消費、いや昇華した面がある。『LOVE』の目黒川沿いを歩いて天王洲アイル東京湾に出たこともあるし、『サマーバケーションEP』の神田川沿いを歩いて隅田川に出て晴美埠頭までの物語を四回ほど実践している。


 ファミリーネームとは勝手につけられている姓名の名と同様に自分では選ぶことができない。古川さんが「大昔からある川」の意味を持つ姓が物語に注いでる感じ。そこに猫や犬や鴉の視線が入る、川と都市と動物たちと人が確かに古川日出男作品であるといえる。僕は碇本だから英語ならアンカー・ブックで碇というぐらいなのだから海に関するものだ。
 「大昔からある川」から海へ流れていくその先にあるであろう船がいつかどこかに向かうために必要な碇であり、船上で読む本(物語)みたいになればいいなと強引に結びつけて考えてみた。たぶん、そうやって意味がないところに意味を結びつけてしまうなんてことは妄想なのだけど。物語はそんな破片が結びついて時に破壊しあって集積したものなんじゃないかなって思う。さて、『女たち三百人の裏切りの書』を読もう。

新潮 2014年 09月号 [雑誌]

新潮 2014年 09月号 [雑誌]