Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

ケイゾクハチカラカ

likeaswimmingangel2008-10-11

 ほぼ日手帳09が届いた、07年から使い始めて来年で三年目。ちなみにほぼ日を真似してるわけではないが毎日どうでもいいことを書いている。このブログを仲俣さんhttp://d.hatena.ne.jp/solar/に言われて書き始めたのは今年の春、charlieこと鈴木謙介氏に呼んでもらった春の花見を赤坂でして二次会の飲み会で仲俣さんの席に呼ばれて、「路字」メンバーはブログをしてるから君もみたいなノリで、少し酔っぱらっていた仲俣さんに言われて始めた、始めた時に一年間は毎日継続して書こうと決めた。とりあえず半年以上は継続中、ケイゾクハチカラカ?継続は力か?


 今日はABC(青山ブックセンター)六本木店で古川日出男ナイトvol.7がある。前回のvol.6から続けて二回目だが今日は「聖家族」刊行の関連イベントなので朗読で「聖家族」を聴けると思うと続々、いやゾクゾクする。今月中にもう一度「聖家族」を読もうと思う、一度目とは違うものが感じられるような気がする、あと読みきれてなかった部分も。


 今は古川日出男「13」「ボディ・アンド・ソウル」、鈴木謙介サブカル・ニッポンの新自由主義」、森達也「それでもドキュメンタリーは嘘をつく」を同時に読んでいるんだけどこれまた中々進まないものだ。


 録画してた番組の冒頭が緒形拳さんの追悼番組になっていた。少しだけ見た、亡くなった人の人柄はその人に関係してた人を見ればわかるとゴールデンウィーク初日に亡くなった祖父の葬式の時に叔父に言われたが、そうなのかもしれないなあと思う。人柄は亡くなった後にわかる、その人がしてきたことが残された人の中に嫌でも残り続けるから。


 撮っていたのはチャットモンチーの武道館ライブのドキュメンタリーみたいなやつ。スペシャ烈伝で観たのが最初だったチャットモンチーはライブの度に会場が大きくなり、ファンも増えてセールスも伸びて、フェスの舞台も大きくなっていったのを実際にライブで見ていたんだけど、売れて会場が大きくなるにつれてアイドルファンか?と思うようなファンも増えてきてそれはそれで観てる側としては痛い状況になるわけだが、女性アーティスト系はそういうファンが増えてくるのは仕方のないことだろう。


 以前にリキッドかクワトロでのライブでチャットモンチーのライブを観ていて急に脳内に映像が浮かんでそれを物語としてシナリオに書いたのが「夢幻(むげん)ガール」でそれを岩井俊二主宰のプレイワークスに応募して開発作品になって、半年がんばったけどやっぱり映像化はできずに終わった。

 
 途中での担当者のやりとりでやる気はかなり失われた、締め切りを守ってコメントという直しや指摘が専用のBBSに書き込まれるのが締め切りの一ヶ月後だったり、締め切りの意味ねえじゃんバカか、舐めてんのかと思ったし、そういうことを書けばこっちも仕事で急がしいんでと言われこっちもバイトしながらそれでもがんばって書いてるんじゃボケ、みたいな気持ちが増していった。おかげで双方ともに信頼感もなく、開発期間は終わって作品はプレイワークスにネタとしてストックだけはされた。らしいが、というのも担当だった人がこの作品の後のことは自分辞めるので次の人間に引き継いで連絡させますと言われてその後一切「夢幻ガール」に関しては特に知らされないまま、引き継ぎできてねえじゃんというもう怒る気すらしなくなり呆れた。おそらくは他の人もこのような状況化にあったと思われ、これだと人育たないよなと思う、信頼できないんだから。


 以前に映画のノベライズコンペがあった時も、結局すぐには決まらずにもう一度コンペしますと言われたまま、それに関しては音信不通、映画が無くなったとかノベライズの話なくなりましたとか、あなたはそこから外されましたぐらいの連絡ぐらいは欲しいものだが、やっぱり僕は飽きれてしまってシナリオを書いていない。小説の方に目が向いて行くような理由もかなりこの辺にあるわけだが。


 僕の中では浅野いにおソラニン」が映画化するという前だったし(今の所情報が出て来ないので頓挫したか?)、あの雰囲気を出して(僕の中では「ソラニン」と「ジョゼと虎と魚たち」を意識していて+上京ものという王道青春ロックで主人公は女の子ではなく夢を諦めて普通のサラリーマンになった彼氏で、夢を叶えてバンドとして東京で売れて行く元・彼女(チャットモンチー・ボーカルの橋本モデル)が自分の想像を超えてどんどん届かなくなって行くという話だった)チャットモンチーの楽曲が使用できれば最高だし、映像としても青春ロックものとして単館系でやれると思っていた。
 チャットモンチーの所属するソニーロッキンオンジャパンとか巻き込めれば客も集めれるし需要はあると勝手に考えていた。今や夢物語だし、結局は自分の力量が足りなかったことが一番問題あるわけだが、チャットモンチーの曲や詞のクオリティを考えれば売れて行くことは容易に想像できたのであの頃が一番ベストだったと自分では思うんだけど。


 でも、本当に「ソラニン」の映画化の話聞かなくなったな。


 まあ、仲俣さんとの繋がりとかもありつつ、今年は古川日出男にドンハマりしていくわけで、まあこの人は完全に異質な存在で書いているのものもやっぱり古川日出男でしかなく。古川日出男というジャンルがそこにあり、古川日出男以前以後と呼ばれるように、そこから新しい日本文学の光と影ができあがっていくんだろう。
 だからそういうものを受け継ぐような、影響を受けた者として小説を書きたいなと思うわけだが、それにしても自分の力量のなさをなんとかするしかないわけだが。たぶん、今日朗読聴くだけでもすごくビリビリとしたものを感じてそのあとにすげえダウナーになることも安易に想像できてしまうわけ、でもなんで行くかって言われるとある種の麻薬のように痛みすら感じながら光悦感があって、一度それを経験すると引き寄せられてしまうもの、それを持つ人だからなんだと思う、そういう創造者で彼があることは間違いない。