Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「アキレスと亀」

likeaswimmingangel2008-10-03

 風邪は治らず、咳はひどく、マイコプラズマ肺炎か?と疑うほど。やっぱり体を鍛えることをしなくなると抗体が弱くなる、季節の変わり目にすぐに体調を崩す。


 起きてからツタヤにDVD返却して一階にある立ち食いうどんの店で大判焼き(クリーム)を買って帰る。昔家の近所の郵便局の前に大判焼き売ってるお店があって、幼子の時にはばあちゃんにおんぶしてもらってそこに行って食べてたなあと過去の記憶が甦る。あの頃はふうまんって呼んでたし、ずっとふうまんだと思ってたら大判焼きってのが正式名称だと知ったのはここ数年だけど。


 少し寝て起きてから渋谷へとぼとぼと徒歩で。観ようと思って観てなかった北野武アキレスと亀」をシネアミュ−ズイーストウエストに観に行く。


アキレスと亀」オフィシャルサイト 
http://www.office-kitano.co.jp/akiresu/


STORY 
 裕福な家庭に生まれながら、突然の両親の死によってひとりぼっちになってしまった真知寿(まちず)少年(吉岡澪皇)。それ以来、彼はずっと描いてきた“画家になる”という夢だけを人生の指針として生きることにした。
 やがて、そんな真知寿(柳憂怜)の前に、一人の理解者が現れる。絵に対する彼の純粋さに心惹かれた幸子(麻生久美子)。2人は結ばれ、画家の夢は夫婦の夢となる。だが、彼の作品は全く評価されることなく、2人の創作活動は次第に街や警察をも巻き込むほどにエスカレートしていき、家庭崩壊の危機にまで直面していくのだが…。
 売れない画家の夫と、彼を支え励ます妻を描いた、愛と幸福の物語。若き頃の夫婦を柳憂怜と麻生久美子が、その後をビートたけし樋口可南子が演じる。


 最初の方はボンボンとしての真知寿が描かれて、農家の叔父の家に引き取られるんだけど、いつも画を書いている知的障害を持つ青年役の三又又三と出会う。この三又さんはかなりいい、役者としてすごいよかった印象。


 真知寿は基本的に画を書く事にしか興味がない、よって普通の感情というものが欠落に近い状態である。母が自殺し、叔父の家で葬式をする。母の顔を見ると顔半分が血まみれだが、それを壁に書いて叔父夫婦に気味悪がられ施設に追いやられる、などこの展開に近い事は後半もう一度ある。彼は肉親が死んでも感情を出さずに、それを画の対象か芸術にしようと試みる。そういう意味での基本的情緒が欠けている。


 青年期では良き理解者(麻生久美子)を得るのだが、絵の学校の仲間たちとアート的なものを集団で作ったりする。本人たちはアートだ言い張るが他人からするとそれはゴミを集めたりしただけだったり、絵の具をバラまいただけにしか感じられない。芸術とは何かという問いかけをされているような気持ちになる。


 少年期・青年期・中年期と基本的に人が多く死ぬ映画である。芸術にひたむきになる真知寿の犠牲になるように関係者が死ぬ、だけど彼は止めない、妻も一緒にシャッターにペイントするのを手伝ったりする。中年期になるビートたけし本人が演じるわけだが、なぜか急にあまり話さなかった真知寿がめっちゃ話すようになっている、うーむ、武さんの照れ隠しに見えなくもないけど。


 真知寿の父に画を売っていた画商・伊武雅刀の息子として青年期以降の真知寿とかかわる画商が大森南朋さんであり、彼のアドバイスにより真知寿はさまざまな試みをするのだけど、そのやりとりと中年期の夫婦のやりとりがコントか?と思えて面白かった。


 夫婦で様々なことをするのだけど、コント的なニュアンスがある。けれども本人たちは本気だということ。他人から見ると人の本気って笑えてくる所があって、本気だからもう本人たちはおかしいとか思ってないわけで。妻は正直家族というか共犯者ってポジションだよね、いないと困る。ただ妻として大事という風には見えない。


 芸術のためにけっこうな犠牲を払う。娘にはバイトという売春させててその金で絵の具買ったりとかむちゃくちゃなんだけど夫婦にとっては大事なのは芸術だということが全て。観てて狂気だなあと思う所もあるんだけど、そういう狂気が凶器に変わって人々に突き刺さる表現になることもありえる。


 うちのオヤジは小二の僕に息子よりも趣味のサボテンの方が大事と言い切ったおっさんなのでこういうオヤジがいることになんら疑問もないし、息子や娘や家族が一番大事って言える人は羨ましいけど、僕もそういう人間にはならないし、たぶんなれないので真知寿の言動や行動に特に違和感はないんだよなあ。息子や娘や家族が一番大事って言える人は観てて真知寿のこと最悪な人だと思うのかなあ、だったらきっと共感はできないんだろう。


 最後のシーンはインタビューでも武さんがよく言われてたけど、本当に照れ隠しっぽい。武さんが本当は描こうとしてたアンハッピーにしたら何にも救いようがないんだけど、それのほうが印象強く残ったかなあ、一つの事に執着して人生で取り組むと周りを巻き込んで救いがない、しかし当人はわりと満たされていたみたいな。


 終わって歩いて帰る、iPodシャッフルするとハナレグミ「そして僕は途方に暮れる」が始まった。


そして僕は途方に暮れる(cover)



 帰ると日テレで「夢をかなえるゾウ」の小栗旬主演のスペシャルがしてた。前に本は買って読んだ事あって、3週間で成功する的な啓蒙本というか
成功哲学の本だった。この手の本って読むともう満腹みたいな感じで実践できずにいたりするのが最重要課題というか問題。
 神様のガネーシャ古田新太さんってのはドンピシャだね、関西弁だし。


 僕は「夢をかなえるゾウ」よりは須藤元気さんの「風の谷のあの人と結婚する方法」とか「神はテーブルクロス」「無意識はいつも君に語りかける」をオススメするけど。僕はここ数年で須藤さんの本読んでシンクロニシティを意識するようになって色んな人と出逢えてるし、エッセイだから読みやすいです。偶然って思うか必然って思うかで人生ってわりと変わる気もするしね。
 

 エドワード・ローレンツが1972年にアメリカ科学振興協会でおこなった講演のタイトル『予測可能性-ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』に由来するバタフライ効果、「カオスな系では、初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらす」ということを詩的に表した表現なんだけど。wikipediaより参照。


 結果があるということは原因や始まりがあって、自分が行動する事で何かが起こったり関わったりするよって感じで須藤さんは書いてた。まあ、ようするに何かになりたいなら手に入れたいなら動かないと結果も生まれませんよってことで、僕もちょこちょこ動いてます。だいたい求める結果にはならなくて当然だし、動く事によって繋がりができる方が面白かったりする。


 「夢をかなえるゾウ」はニュースの後に連ドラでもしてて、それの主演は水川あさみだった。まあ、水川あさみの顔が好きだったりするわけだが内容は見やすい作りだったなあ。前にバイト先で隣りのレジで友達が会計してるのを見てた水川あさみがなぜか小躍りをしてるのを見た事があるが可愛かった。あの時声をかけていれば何かが始まった・・・いや始まらなかったんだろうけどさ、これは戯言ですが。


 シンクロニシティはわりとあるよってことと、端から見ると狂気に見えることも本人からしたら普通だったり、するわけです。


 追記1・「雨トーーク」の録画したのを見る。やっぱり本人が鉄板という出川さんシュークリームというていで口にいれるザリガニ芸はすげえ。出川さんはやっぱり芸人さんだ、と尊敬してまう。面白いことはカッコいい、ということだ。芸人出川さんは人間国宝にしてあげたい。


 追記2・追記
 radioheadの関連のサイト見てたら昨日の大阪二日目に「Fog」やってる!


radiohead「Fog」


 一番聴きたかったやつが大阪でしてる、radioheadは毎回セットリスト違うからもうやらないかな。
 あとは新作「In Rainbows」以外だと「Fake Plastic Trees」「Let Down」が聴ければいいのだけど。明日の埼玉スーパーアリーナは基本的に踊りまくるという前哨戦みたいな感じにして8日の国際フォーラム ホールAのワールドツアー最終日に奇跡起これば最高。「Creep」やったら、前回のサマソニ同様に好きでも嫌いでもないけど叫ぶと思う。


 radioheadの二回行くライブと26日のシガーロスの国際フォーラムでのライブで今年の洋楽ロックはもう最高な絞め方だけど、なんかもう来ないんじゃないかってなんとなく思うし、来ても2010年以降だろうし。


Gobbledigook (Live With Bjork at Naturra)



 うわあ、ビョークと一緒にしてる。日本では絶対にないね。
 正直な所、radioheadSigur Ros観たら、しばらく洋楽いいわってなるんだろうなあ。良い意味でも悪い意味でも凄過ぎるの観ちゃうと感覚がマヒするし、評価基準が上がりすぎてしまう。


 だけど「Fog」は聴きたい、と思わずにはいられない。

女たち

女たち

無意識はいつも君に語りかける

無意識はいつも君に語りかける

In Rainbows

In Rainbows

残響

残響