Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「女教師は二度抱かれた」

likeaswimmingangel2008-08-12

 渋谷のBunkamuraシアターコクーンにて大人計画舞台、作・演出:松尾スズキの「女教師は二度抱かれた」を観に行った。



 ストーリー:演劇界の風雲児と呼ばれる劇団の演出家(市川染五郎)は、歌舞伎界の異端児と注目されている女形阿部サダヲ)とタッグを組み、新しい現代の歌舞伎を創造しようと、威勢よく狼煙を上げている。そんな前途洋々の彼の前に、高校時代の演劇部の顧問である女教師(大竹しのぶ)が突然現われる・・・。 これは、壊そうと思っても壊れないものと、壊れてほしくないのに壊れていくものの物語である。




 何といっても松尾スズキの演出に大竹しのぶが出るという事が観に行く理由になった。この二人以前にスパイラルホールで二人コントをして、それを観てから大竹しのぶの凄さがわかったし、松尾演出に大竹さんはノリに乗って思う存分暴れる、はっきり言って手に負えないようなオーラを出しているので器量がない演出家は食い潰されると思われる。松尾スズキ監督作品の「恋の門」「クワイエットルームにようこそ」にも大竹さんが出ているのはお互いが信頼しているからだろう。


 歌舞伎を観た事はないので初めて観た市川染五郎さんの今回の役どころは作・演出の松尾さんのポジションである。そして本来の市川さんの歌舞伎役者の立場を大人計画の看板俳優で「舞妓Haaan!!!」でも映画主演した阿部サダヲが演じる。ここの絡みはかなり含み笑いした。
 阿部サダヲ演じる歌舞伎役者の扱い方が中村勘三郎さんと仲がいいであろう松尾さんだからギャグのような笑いに変えている、はっきり言ってやりすぎですが笑えます。テンションの高さがすごい、あそこまで上げれるあんたはやっぱりすごい。「木更津キャッツアイ」の猫田先輩の何十倍うるさくテンションが高い、のでもちろん市川さんは動の阿部に対しては静である。


 松尾さんがミュージカルなどをしたせいかどうかわからないが、以前に観た「イケニエの人」時にはほぼなかったような気がするが舞台転回での歌が多い、もちろん歌の内容は舞台に関係しているのだが、大竹さんももちろん歌っている。まあ大竹さんはもうすんごいねというのに尽きる。
 「去年ルノワールで」の主演の星野源も歌ったり、普通に演技していたりと大人計画の幅の広さを知るわけだが。


 もちろん、大人計画所属の荒川良々皆川猿時村杉蝉之介平岩紙、が脇を固めている。荒川良々阿部サダヲの絡みは笑いが凄かった。村杉さんは今回わりと地味目だったけど、皆川さんはグループ魂と近いような感じかなあ、と。平岩紙はあの舌ったらずな口調と顔はあの役が似合う。


 客演の浅野和之さんと市川実和子さんもおいしい感じで、特に普段は厳しい先生役とか教頭とか主人公のお父さん役で観る浅野さんも笑わせる所があったりしていつもとは違う感じだった。まあしめる所はしめる役どころなんだけど。市川実和子は姉だよな、確か。去年の「哀しい予感」で妹さんは観たのだがお姉さんも舞台で観ることになるとは。市川・星野ペアの恋人関係では痛々しい、そういうのもいれてくるのが松尾さんかなあ。


 松尾さんは所々出てきて美味しい所を持っていく、この作品に流れている「壊そうと思っても壊れないものと、壊れてほしくないのに壊れていくものの物語」は「クワイエットルームにようこそ」にも繋がるし、やっぱり「マシーン日記」から繋がっている。


 途中から観てて物語がどう転んでいるかわかりづらくなったけど、途中に休憩20分を挟んで約3時間10分の舞台で最後のほうはなぜだか色んな感情が入り交じってくる、物語としては混沌としてるし色んなメタファーがあってこの解釈はこういうことだろうなあとか感じるんだけど、自分の中でまとまらないまま、物語はある種の終焉と再生をむかえる。


 「壊そうと思っても壊れないものと、壊れてほしくないのに壊れていくものの物語」はつね僕らの前にあり、客観的に捉えられるけどもちろん主観的にもとらえることができる。


 夢や希望や想い出や感情、繋がりや関係性、現実や絶望や嫉妬や虚無、はどちらにも当てはまる。その人それぞれに壊そうとするものと壊れてほしくないものがあって。それが混ざり合うと何かが壊れる、それでも残るものがあるんだけど、それが希望なのか絶望なのか、夢の終わりの現実なのか現実の続きの夢なのかは観る人の中で決まる。


 僕としてはあの終わりは余韻を残すが、一番タチの悪い光の射し方だとは思う。大人計画の舞台観た後のある種の嫌悪感ってのはなんだろう? あのものすごい熱量を消化しきれないんだよなあ、きっと。あとは才能っていうかそういうものを見せつけられるのでテンションは下がる。


 観る者と観られる者を非常にわかりやすいメタファーで物語の中で表現してるけど、躍る側と躍らされる側では躍る側の方がだんぜん楽しいと笑っている松尾さんの顔が浮かぶ。