Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

文化系トークラジオLife「地方を考える」

likeaswimmingangel2008-08-11

 米澤穂信のデビュー作「氷菓」を読み終わりました。この作品の後の物語の「遠まわりする雛」「クドリャフカの順番」は読んでいたのだけど。この古典部シリーズって身近な謎を解く物語なんですんなりと読める。ただ後にはそんなに残らない、米澤作品だと「さよなら妖精」「犬はどこだ」は残る終わり方をしている。


 で、一緒に買った中原昌也「あらゆる場所に花束が……」を読み始めた。読み始めてこの作品が三島賞受賞だとわかった、そういえばエクス・ポナイトで中原さんのライブに一緒に出ていた映画監督の青山真治さんも「ユリイカ」で三島賞受賞していたから、あのライブは三島賞受賞コンビが音を鳴らしてたんだなあと今更わかった。


 25時35分から放送した文化系トークラジオLife http://www.tbsradio.jp/life/
「地方を考える」の回だった。ゲストの本谷有希子さんの「地方の逆襲」っていう言い方はやっぱり本谷さんっぽい発言だと思うし、きっと、それをまたネタに戯曲なり小説に出てきそうだ。
 読んだ人に聞くとみなさん「グ・ア・ム」いいよと言われたので買って読もうと思う、舞城王太郎ディスコ探偵水曜日」もやっぱり勧められたので読もうかなあ、でも長いんだよなあ、そして二冊買うとかなりいい値段だし。


 お盆なのに初盆なのに実家に帰らないので東京にいるわけですが、僕がもう少し若くてネット環境とか整っていたら東京へ出ないで地元に残っていたかというとどうなんだろうと聴きながら考えましたが、たぶん出ていたと思いました。
 やっぱり「ここではないどこかへ」行きたかったし、できるだけ知り合いのいない場所に行く事が面白そうだと考えていたわけです。大学で大阪に1年未満いましたが、実家の岡山県は中国地方だけど意識は関西に向いている所なので幼い頃からある程度は触れている文化だったし、実際に行くと新鮮な感じはなく、岡山にいるときはツッコム時に関西弁を使っていても本物の関西弁の前でエセ関西弁を使うのは気が引けた。


 あとは単純に大学がつまらなくて四年も耐えれそうになかったし、実家に帰ってもやることもなくて車乗らないとどこにもいけない車社会に適応できない(運転が下手すぎて)自分の意識が向いたのが東京だったということ。
 自分がすごくミーハーな人間であるということは自覚しているので、田舎に生まれたなら一度は都会に出て価値感を広げようというのと都会にも住みたいっていう意識があって。
 僕が例えば英語が話せたら普通にNYやロンドンに行こうと思ったのかも知れないが話せないのだから日本の首都に行ったというだけ。きっと映画でも洋画が好きだったり好きな監督が海外の人だったりするとそうなったりするのかもしれないけど、僕はミニシアター系の邦画好きなのだ。


 僕の周りで東京に行った人間は皆無だったことも大きい、誰も自分を知らない土地にいる自分とその可能性に心が躍ったのが大きかったのかも知れない。地元を出れば地元っていいなと思うことは出てくるし、でも地元に戻って暮らしたいという願望はない。


 お盆とか年末に実家に帰ろうとは思わない、会社の長期休暇や大学とかの休みがあるから帰ろうっていうのは理解できるし、だからアホみたいに混雑するわけだ。
 祖父が亡くなったのは今年のゴールデンウィークの初日になる前のほんの5分とか日付が変わる前だったから連絡もらって帰る朝はひどかった。東京ー福山間ずっと立ち放しだった。
 ゴールデンウィークに帰る人間をあんなにも恨んだ事はない、連絡もらったのはバイト中で朝の五時まで働いて荷物だけ持って品川まで行って寝れずに立ちっぱで帰ってそのまま通夜して葬式だった。


 今年初盆だけど帰らないし、帰るのは少し寒くなってからにしようと思ってる。混む時期に帰りたくない。
 あと知り合いとも呼べないほどの顔見知りに会った時に「何してるの?」と聞かれるほどいやなことはない。説明できないんだよ、今のこの状態、できても通じないんだよってのがあって。
 僕は普通に故郷に錦を飾りたいというまでではないがある程度は説明できる状態になって帰りたいという想いもあって、それが余計に帰らさない原因になっているんだろう。


 あと今日の放送からだと、僕は地元にいた時に演劇を観た事がない、まあ興味もなかったけど。
 charlieも演劇してたし、ゲストの本谷さんも舞台の人だが、地方にいるとライブはメジャーなアーティストが来るけど演劇は来ないから触れる事はない。演劇というものは都市部(東京・大阪)でしか消費されてないような気もする。


 まあ、10月の本谷さんの舞台も観に行くのだけど今日は大人計画女教師は二度抱かれた」の舞台。
 やっぱり大竹しのぶという化け物としか言えない女優を生で観て空気で触れることは楽しみであり恐怖だ、それも演劇とか演技を勉強してない僕が思うのだから実際にやってる人は羨望と嫉妬の眼差しなんだろう。問題は時間までに起きれるかなのだけど。


 やっぱり地方にいる人は地方考えないよなあ、出た人が考えるんだよなあと。だって出ないと見えないことがあって、比べようがない。最近って東京に憧れる地方の子供も減ってるみたい、じゃあ何に憧れてるんだろう? 子供が何にも憧れないし期待もしてないとすると。
 憧れるほどの余裕も期待もこの国にはないのだとしたら、現実の閉鎖感に呑み込まれて複雑系のカオスだけが蔓延してるのだとすると、そこは想像力によって打破しないといけないんだけど。その想像力を何によって回復できるんだろう? でも憧れも期待もせずに生きる事が複雑系を回避する唯一の方法だったりするのかもしれないなあ。


 あと関係ないけど吉野家の鰻丼の鰻は小さ過ぎる。新手のボッタクリですか?