Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「キャラ戦争」と「凡人として生きること」

 荻上チキ著「ネットいじめ ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」」と押井守著「凡人として生きるということ」の新書を読む。


 チキ君は「ウェブ炎上」とかの著書があるハチイチ世代で僕と同学年である批評家、ブローガーである。「ネットいじめ」では「学校裏サイト」「キャラ戦争」を扱っている。最近のワイドショーでも扱われる「学校裏サイト」であるが、ここでは「学校勝手サイト」と言う名前で話を進めている。


 「学校勝手サイト」のせいでいじめが起こっているわけではなくて、ほとんどの利用者が普通にコミュニケーションツールとして使っている、いじめや誹謗中傷などはネットだけの世界で起きるのではなく、現実の世界で起きているいじめがネットでも連続性を持って行われているということ。ということはネットの匿名性などが問題ではなくて現実世界でのいじめ等がネットでもあるということで、場所が変わっただけだ。


 一昔前ならネットの世界はネットだけの自分を演じられていたのだけど、SNSなどの自分の身近な環境の人間が関わるネットのコミュニティでは嘘はつけない、現実世界がそのままネットでも繋がっている。だから現実世界でいじめがあるのならば、その集団のコミュニティの中でもいじめはあるのは当然なことだ。
 「キャラ戦争」もいったん自分のキャラが固定されるコミュニティ内では覆し辛い、学年の変化や進学の最初の時期である意味勝負が決まる。ネットで本来の自分ではないキャラを演じるように、現実でも人間はその関係性の中で自分を演じているわけであって、そのキャラを演じて家に帰って落ち込むといった人もわりと多いのだろう。


 本書はチキ君のインタビューで中高生の「学校勝手サイト」を利用している人の言葉があり、メディアで取り上がられている「学校裏サイト」が悪だ、子供にネットをさせるのは危険だといった決めつけ論がメディからの一方的な言説であって、実際の利用者の声を反映せずに大人が手に負えない(ケータイ世代とはリテラシーや使い方のうまさなどの世代差がある)から悪者にしちゃえみたいのが見えてくる。
 大事なのは巧く使う事で、危険性があるなら使うなと言い出すと車とか乗れねえだろうってツッコミを大人はしない。利便性のあるものはもちろんそれ相当の危険性があり、ようは使い方と使う人間の意識が大切だ。ネットで大人が知らない間に子供が見た事も会った事もない人に出会う可能性が増えてきて危険性があっても、実際に行動するのは本人の問題だし、全てが凶悪事件に発展するわけではなくて、いい出会いだってあるのだから。


 深夜にもう一冊、押井守著「凡人として生きるということ」を続けて読んでいると、日テレで「機動警察パトレイバー」の映画がしていた。僕は映画の専門の授業の中で「うるせいやつら ビューティフルドリーマー」を観たぐらいなので彼の作品はほぼ観ていない。まあ、この本を読もうと思ったのは二日から公開の「スカイ・クロラ」の映画を観に行こうと思ったから買ったのだけど。原作の森博嗣の小説「スカイ・クロラ」ファンであるので観ようかなと思っていて、ぴあで初日の舞台挨拶付きのチケットが普通に取れたので公開初日に行く事にした。


 押井論である本書の最初はまず「若さに価値などない」という所から始まる。若い事がいいことって嘘、そんな作られた常識にみんな騙されてやないかと?
 若いうちの方が失敗が許されないなど語っている、オヤジのほうが自由自在、本音と建前を使い分ける事ができるのでズルく生きる事ができる。宮崎駿は建前で自分は本音で作品を作っているという。どちらも自分のスタンスとして本音か建前を前面に出して作品を作っているだけで本来はどちらも使う事ができると。


 他人の人生を背負い込むことこそ「自由」だとも言う、社会との接点や家族があることで「自由」になれる。ひきこもって社会との接点がないことは「不自由」でしかないと、犬や猫を飼って看取ってから子供を作った方がいいんじゃないかと提案もしている。それはそうかもなあと思う。めんどくさいだろうけど餌やりや散歩とかも経験することでそこに喜びや価値を見出すことはできる。命と付き合った上でわかるということはあるのだろう。でも僕は犬も猫も飼いたくないのだけど・・・。


 失敗はなくならない、起きないという事はない、でも勝負をし続ける事で負けないシステムを自分がわかってくる、だから仕事も恋も失敗をたくさんして原因を分析し二度も起こさないようにすることで「負けない」ことはできるようになる、すると勝てるようになる。
 ただ毎回勝とうと意気込むのは危険だ、無理だから「負けない」ようにすることが勝負し続けることが大事だと自分のマイ不敗伝説を語っている。
 あとは友達なんかいらない仕事仲間がいたらそれで充分だとか、いい加減に生きた方が振れ幅があっていろんなことを受け入れたりできる、アメリカやヨーロッパの民主主義は行き過ぎないいい加減さがある、日本人は性格上まじめすぎてがんじがらめになってしまうことが問題だったりすると。


 最後には今が一番言葉が大事な時期だと。有効性のある言葉が必要であると。意味の無い言葉が溢れ返る今だからななめに構えてその嘘を見抜いて本質を嗅ぎ取る事で自由な凡人になるのか不自由な凡人になるのかが決まるという。
 押井さんは映画監督なのでその辺のことは作品で表現されているだろうから、言葉にはできないが作品を観る事で伝わる何かを作品から感じたい。作家は作品で伝えていくことができれば、それが一番大事で作家性を出せるわけだから。土曜日が楽しみだ。

ネットいじめ (PHP新書)

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凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)