Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「摩陀羅」サーガ、あるいはその破片

 古川日出男「アラビアの夜の種族」文庫全三巻を読んでから、次に読んだのは急に懐かしくなったように大塚英志「ロリータ℃の素敵な冒険」を読んだ。「ロリータ℃」はなんだか自分の中では秋葉原の事件と少しリンクしたように読んでいて思えた。


 コピーキャット、オリジナルがない時代、模倣すること。


 今はその前に出た「僕は天使の羽を踏まない」をまた読もうかと思っていたがまだ読み始めていない。
 この「僕は天使の羽を踏まない」はかつて「摩陀羅」と呼ばれたシリーズの完結編ということも言える。
 「魍魎戦記 MADARA」シリーズは生まれて間もない主人公・摩陀羅が体の8つの部分を父に奪われ、父の魔王・ミロクの配下にその8つの体の部分をわけ与え、川に流し、ギミックをつけて生活するものがいる村に流れ付き、成長しやがて自分の8つの体を取り戻しに、そして父を殺しにいく話だ。


 双子の兄・影王は母の胎内に居る時に弟・摩陀羅に全てを奪われている。ミロクは摩陀羅の真王の称号とも言えるチャクラを与え、8代将軍の最高位にする。
 だから、これは兄殺しであり、父親殺しであり、ミロクを倒すもミロクの魂は次元の境目に逃げ、摩陀羅と彼の庇護である麒麟は追いかける。残された者は摩陀羅を追いかけようとする。
 青のカオス、赤のユダヤ。彼らは摩陀羅を探す転生の旅へ。

 この物語は主人公・摩陀羅は最初だけであり、その後さまざまな時代や場所に摩陀羅を追い求めて転生するユダヤやカオス、キリンが本来の主人公になる。


 カオスはやがて転生に疲れ果て壊れていく、彼は一度犯した罪で愛する者に7度殺されなくては罪を抗えない、その愛する者は同じく時を転生する赤のユダヤ
 ユダヤは転生する度に壊れていくカオスを自らの手で殺さなくてはいけない。そして、ユダヤは唯一の神殺しができる使徒、13番目の真王・摩陀羅の使徒ともなっているので摩陀羅を殺せるのはユダヤだけである。
 キリンはかつての幼馴染みであり弟のような摩陀羅を追いかける転生の旅の中でユダヤと恋人のような関係になる。


 ユダヤとキリンにとって最後の戦いだった「摩陀羅 転生編」、そしてその最後の戦いの後に始まる物語「摩陀羅 天使篇」では彼らは主人公ではなく彼らのあとの世代が彼らを引き継いでいく。「天使篇」は3巻で未完のままに終わり、「転生編」冒頭数話しか田島昭宇によってマンガで描かれていない。
 僕たちの時代を終わらすためにということで始まった「MADARA MILLENNIUM」として角川文庫で出された後に加執修正され徳間から出されたのが「僕は天使の羽を踏まない」だ。


 このファミコン8ビットの原作として世に出たマンガの最後はタイトルから「摩陀羅」という名前も消えて、少年と少女のライナスの毛布を手放す話として、現実に生きていく物語として終わらされた。

 
 「摩陀羅」の元ネタは手塚治虫どろろ」×三島由紀夫「豊穣の海」シリーズだ。


 大塚英志×田島昭宇の同じコンビによる「多重人格探偵サイコ」シリーズにもキリンと犬彦(ユダヤ)は出てくる。別に統一した世界観というわけではないが、大塚作品には同じ名前を持つキャラクターが他の作品に名前だけが同じでまったく違うキャラクターとして出てきたりとかはある。作品自体も「多重人格」的なのだ。


 僕は小学生の時に兄が読んでいたので「摩陀羅」シリーズを読み始め、そのうち「多重人格探偵サイコ」を高校生になり読み、大塚作品や批評等を読むようになった。なので付き合いは長い。
 あんまり知り合いに読んでたという人は少ないが、ゲームをしたことある人はいるんだけど。


 「多重人格探偵サイコ」も最終章に入り、かつては大塚氏が終わったら「転生編」を再開するって言ってたのはもうはや数年前、また裏切られるかな。「天使篇」もすでに絶版になっているし、大塚氏の中では「僕は天使の羽を踏まない」で「摩陀羅」シリーズにはかたをつけたことになっているみたいだ。


 僕にとって「摩陀羅」シリーズが「ライナスの毛布」だった、おそらく今も。もはやそれは遠い過去として手放さないといけないのかもしれない、大塚氏はいつかライトノベルズを捨てて本当の文学に読者が出会うことを祈っていると後書きや作品に書いていた。
 「ライナスの毛布」を手放すのか、でもまだ「摩陀羅」のシリーズは読んでみたいとやっぱり思ってしまうのだけども。


 古川作品に今非常に惹かれるのは僕にとっての文学に出会えたのかもしれない、「ライナスの毛布」を捨て去ることが忘れ去ることができるような文学に出会ったとしたら、それはきっと素敵なことだ。