Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

松本人志、何と戦う!

likeaswimmingangel2008-05-20

 ロッキング・オン刊行雑誌「CUT」最新号にして新装刊第1号の表紙・特集は松本人志さんだった。


 ロッキンオン問題とかいろいろ世の中では言われることはあるが、映画を観だした頃に買い始めたのがこの雑誌「CUT」であり、高校時代から専門通ってたぐらいまでは毎月発売日を楽しみにしており、バックナンバーも買い漁る(実家にあるのだが)人間だった僕は、おそらくはその反動で現在は「CUT」から離れていったのだろうと思う。たまに特集で立ち読みしたり買ったりはするけどね、今号みたいな時は。


 ただ僕の中でこの雑誌が言ってたことが身に染みたのは映画「ピンポン」公開当時の特集で「ピンポン」に出ていた窪塚君(洋介)とキャストのインタビューの号でキャッチコピーが「僕らの日本映画が始まる」だったかな、それを読んで公開当日にシネマライズで映画を観た時に感じた空気、終わった後の客席の興奮の伝わり方はまさしくそれだった。


 窪塚洋介という俳優のその後の在り方を見るとやっぱり「I can fly!」と飛んでいく冒頭のシーンもマンションからもそう言って飛んでいったんじゃないかとさえ言われはしたし、飛び降りた日の深夜にはどこかの局で「ピンポン」を放送してたりと因縁ありげなことはあるが、彼が「I can fly!」と言って実際に飛ばしたのはクドカンだったり停滞した日本映画の復興だったのではないかと僕には思えてしまう。


 だから物語風に考えると彼は人柱になったようなものだと。だいたい大きな変革期、変わり目の時に現れて牽引していく者は星屑を撒きながら新しい道や穴を作っては消えていく、というイメージが僕にはあるのだけども。


 あの映画以降邦画は活気(興行収入の上昇)を取り戻したように見えたし、単館系映画館もお客が増えていってることを肌で感じた。
 でもそれらによる弊害は人気コミックや小説の映画化を連発するようになり(テレビドラマも同じ)同じコンテンツを使い回すようになった。
 オリジナルな作品は増えるどころか減っているかのように、採算を見込めないからというのがデカイのだろうが。


 これは今の状態ならまだいいが、この先のことを考えるとどう考えてもまずい問題で、オリジナルな作品を創れる監督・脚本が育たなければ映画が面白くなくなっていき、お客も減っていくという悪循環に陥る。
 と映画業界も思っているんだろうけど目先の利益に釣られている大手企業はもちろんそれはしないままで、するのはテレビとのタイアップに力を入れていくこと。
 主にテレビを見てる20〜50代女性層を映画館に足を運ばせば興行収入はイヤでも伸びる、だから映画会社はタイアップを積極的にテレビとする。男性は女性に連れられて一緒に観に行くという構図で映画館に足を運ぶ。 


 80年代以降消費の中心はやっぱり女性なのだからそこを取り込めばいいのだから。癒しと消費の関係性とか、日曜の三社祭の屋台飲みでも話に出てきた岡崎京子作品に描かれていたことだし僕が結構前に読んだ大塚英志「定本 物語消費論」とかに書かれていること。


 岡崎京子って20代前半だとほぼ知らないよね、僕ぐらいの20代後半でも読んでる人間は少ないよねと飲みながら話をしていたけど、よく考えると岡崎京子世代の人の子供が今20代前後だろうから親の世代がバブル期の人たちなので知らずとその性質を受け継いでいるのかもしれない。


 高校生がヴィトンの財布からお金出すのをバイトのレジで見てると悲しくなるのは僕だけでしょうか?ヴィトンの価値ないじゃん!って。
 ガキが持ててしまう高級ブランドって高級ブランドじゃないよね。みんながそのシーズンの最新のヴィトンの財布を持ってるのを見てそれが恥ずかしくない感性って羨ましくもあり悲しくもある。まあ話がだいぶ逸れた。


 そんな時に出会った「HAZARD」という作品により僕は園子温監督作品に惹かれていくことになるわけだが。
 新作「愛のむきだし」は試写に行った人の話だと4時間を越えるらしい、僕がエキストラに行った時にチラッと台本観たら半分ぐらいでシーン170ぐらいだったのでそれはそうなるだろう。
 ただ映画館で4時間座りっぱなしはしんどい、でもそれすら感じさせないで物語に夢中にさせ感情が溢れ出す作品を創れる監督なので今から公開をすごく楽しみにしている。今年一番観たい、観に行かないといけない映画なんだよね、僕には。


 人は影響を受けたものから離反する様に反対側に行ったり、戻ったり、間を彷徨ったりするものだと思う。


 今月号「CUT」特集の松本人志のインタビューを読んだのだけれど、これは買わなくても松本作品に影響を与えられた人は立ち読みした方がいいと思う。僕は間違いなく影響を受けている「ごっつ世代」だし、お笑いを見る様になったのはダウンタウンだから。


 かなり赤裸々な発言がある。


「強いタレントは絶対出てこないですよね。もう弱いタレントが一番生き残れるというか。最弱が最強になってしまうから、もう逆転現象ですよね」
「なんか失言せえへんかなあって思って聴いて。それをまたウワーッとインターネットで書き込んだりして。またそこに雑誌社が乗ってきて」
「テレビはもう破綻しますよ、間違いなく。テレビで面白いことはもう、できないです」
「ここ戦場じゃないですよ、テレビの世界、今・・・・全然違います!闘う意味がないですもん」
「もう間違いなく終わりなんですよ、うん。だから僕は、もう一つの方向で行きたいんですけどね」


 働くおっさん劇場のDVDが売れていることがすでにテレビの終わりを示しているという彼が向かう先はやっぱり映画なんだろう。
 

 テレビに視聴者がクレームをつけてテレビ局とスポンサーがそれを聞いてしまって昔はできたことができなくなった、それでテレビが面白くないと言われてもそれは視聴者が自らの首を絞めてるという皮肉ももちろん言ってくれてはいるけど。


 岡崎京子「pink」の話ですぐにワニが出てくることが実際に読んでいることに通じると日曜日にわかりましたが、僕はマンガも好きですがマンガのあとがきも大好きだったりします。
 「リバーズ・エッジ」のあとがきは完全な詩だと思うしこの詩は今現在の若者にも通じる温度があると思います。そう温度、匂い、雰囲気というものがその時代を懐かしく思わせ、知らない世代には夢想させるものであることが良質な創作物なのかもしれない。


 温度と匂いと雰囲気とあと速度、それがないと届かない。