Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『恋する惑星』『天使の涙』爆音上映


 新宿ピカデリーにて『恋する惑星』『天使の涙』の爆音上映に行く。今になって、『恋する惑星』『天使の涙』観るとメンヘラDQN犯罪者しかいないような気がした。あと爆音でやる意味ってそんなになかったような気がした。
 ウォン・カーウァイ監督は女性が掃除(部屋替え)するのが好きなのか、どっちにもあったけど、あと脚フェチなのかもなあ。
 どう考えても出てくるほとんどの登場人物が「恋」に落ちたり、落ちる感じかもしれないが行動が異常すぎる。「恋」だからってそこまでなるのか、なったんだろうけど今観るとかなりコントっぽい、いや、なんだろう不思議な感じ。即興な感じがするんだよなあ、カメラも動き回るからスピード感はある。
 『リバーズ・エッジ』の映画は岡崎京子さんの原作が90年代だったし、この二作品も岡崎さんの原作漫画と同時期だったと思う。82年生まれの僕からすれば90年代は思春期だ。受けた影響は計り知れない、岩井俊二監督野島伸司脚本というものが僕にかなり影響を与えてる、それは祝いであり呪いだ。90年リバイバルみたいになるのは、40代半ばから僕ぐらい(団塊ジュニア後半からポスト団塊ジュニア)のあの頃の思春期だった世代が企画を立てたり実行できるプロデューサーになったりしているからだろう。40代の団塊ジュニア世代は最後の世代的に数が多い人たちなのでそこの懐古消費も兼ねているのだろう。
 ただ、映画の『リバーズ・エッジ』はダメだと思った。懐古厨のためだけか、小沢健二の新曲というか岡崎京子オザケンのファンだけが喜ぶことって意味あるのか。『恋する惑星』『天使の涙』観てゼロ年代のメンヘラDQNが台頭する前にすでにそうだっただけなんじゃないかなって思えてきて、90年代を懐かしんでいてもしょうがないなと思った。自分なりの追悼だったり、オマージュや形や言葉にできればいい、もう、それしかないんだろうなって。








 フェイ・ウォン(「恋する惑星」の頃)と泰葉がずっと似てるなって思って、爆音上映の『恋する惑星』観てました。