Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『ただ君だけ』『ヘルタースケルター』

 今日は休日モードだったので映画を観に渋谷に。友人がくれた前売り券があったのでまずはシネパレスで韓国映画『ただ君だけ』を観賞。



監督:ソン・イルゴン
脚本:ソン・イルゴン、ノ・ホンジン


キャスト:ソ・ジソブ/チャン・チョルミン、ハン・ヒョジュ/ハ・ジョンファ、カン・シニル/チェ館長、パク・チョルミン/パンコーチ、ユン・ジョンファ/ミン・テシク、キム・ジョンハク/マ チーム長、キム・ミギョン/ヨアンナ修道女、ウィ・スンペ/格闘技チャンピオン


ストーリー:ボクサーの夢に破れて借金の取り立て屋となり、その果てに傷害事件を起こして服役したチョルミン(ソ・ジソブ)。出所後、飲料水の配達と駐車場の係員として働いていた彼は、夜の駐車場で目の不自由なジョンファ(ハン・ヒョジュ)と出会う。徐々に惹かれ合う二人だったが、チョルミンが取り立て屋だったときに引き起こした事故がジョンファの視力を奪う原因になたことを知り、さらには1か月以内に完全に失明することが判明。彼女への罪をあがない、手術の費用のため、チョルミンは違法な賭博格闘技試合への出場を決意する。(シネマトゥデイより)



 過去に過ちを犯した元ボクサーと事故で目が見えなくなった女性の正統派なラブストーリーでした。作りも丁寧だしいい作品だと思う。ただ僕は野島伸司チルドレンだったのでこの手の作品は見すぎていて泣けなかったが劇場では最後の方で泣いている音が聞こえていた。
 客層は四十五十代な夫婦が多いかったかな〜、『サニー』同様にイケメンを押してない韓国映画はあんまり客入ってないのかもしれない。僕自身はほとんど韓国映画観てないけど『母なる証明』とかも劇場に人はいなかった。がとんでもない作品だった。
 『サニー』は口コミでヒットしているみたいだけどもう少し宣伝とかきちんとすれば韓国とかK-POPに興味ない映画好きに届いてそれなりに客足伸びると思うんだけどたぶん宣伝がうまく本来届ける客の所に届いていない。


 盲目の女性が出てくる野島伸司脚本関連だと『この世の果て』『世紀末の詩』二話「パンドラの箱」『聖者の行進』『仔犬のワルツ』があったり、小説なら『スワンレイク』もヒロインが盲目だった気がする。
 これは大事な物は目に見えないという物語を展開するために登場人物のヒロインや主人公の近い場所のキャラがそういう障害を持っているパターンが多々ある。この場合の盲目の女性はある種マリア様のように聖なる人物、他人に悪意など持たない純粋な存在として描かれている。それは野島さんの願望に近いのかもしれない。
 この場合パターンとしては盲目の女性の目が見える可能性がありそのためには多額の金がいる。その金のために主人公やその人に好意を持っている人物が金を稼ぐために悪事を犯す、あるいは法に触れる何かをしてしまう。盲目の女性は手術が成功し見えなかった世界が見えるようになりその大事な人の顔が見たいと思う。がその金を工面したものは因果応報で殺されたり事故にあったりあるいはその人自身の目が見えなくなるという王道的パターンが繰り返される。最後には唯一の救いとして彼と彼女がすれ違う、あるいは再会するかそういうのがばっさりとシーンは切られて出会う事はないか。これは野島伸司脚本というよりは昔から存在している物語のメソッドだろう。


 ある意味で見飽きたとすら思えるこの展開は定型的だからこそ見ていて落ち着くものでもある。


世紀末の詩人』第二話「パンドラの箱」より


「・・・おれの言ったとおりだったろ。手術なんかやめときゃよかったんだ」
「いけないことでしょうか。愛する彼女の目が見えるようになって欲しい。自分と同じ景色を見せたい。そう思うことはいけないことでしょうか」
「現にそれと引き換えに愛を失った。人間は見ちゃいけないものがあるんです。互いに恋をし合うことはある。だが、愛し合うのは難しい。たとえば、夫婦をごらんなさい。恋をして結婚はしたかもしれない。しかし、いつしか熱が冷め、家族になったから愛に変わったと思う。ただ思うだけだ! 誰もが日々の暮らしに埋没して、愛があるのか確かめたりしないものです。確かめる人間がいるとしたら、必ず絶望するんです。その純粋さゆえに確かめ、愛などなかったと絶望する」
「そんなことはない!」
パンドラの箱には希望が残されたという。なぜ愛ではなく希望なんだ」
「愛などないと言うんですか。この世には愛などないと」


「人間は、とてもまぶしい瞬間に、とても大事なものを失う」


 という何度も繰り返して録画したビデオテープで見たこの場面が思い起こされる。


 主演のソ・ジソブ斉藤和義小栗旬たして二で割った感じの男前でハン・ヒョジュ上野樹里京野ことみたして二で割った感じの美人だなあと思った。



 脚本もすごく丁寧な感じなので二人が次第に大切な人になっていくのもわかりやすいし後半にわかるチョルミンの過去(犯罪を犯す)とジョンファの過去(交通事故で両親を亡くし自身も目が見えなくなる)辺りはなぜチョルミンが違法な賭博格闘技試合への出場を決意するかという意味で物語としてもとても大事だった。
 この映画はまあ因果応報を描いているわけだけどだからこそジョンファの目の事とチョルミンが辿るその後の出来事が観ている者の心に訴えてくるほどの強度を持ちうる。


 亀とか犬とか諸々の小道具的な扱いになるものが最後の展開に活かされている。基本的には二人ばっかり出てくる映画で観ていて飽きないのは美男美女な二人というのもあるんだろうけど画の淡さというか優しい光というか映像もあるんだと思う。


 ただ、世の中には知らなくてもいい、知ってしまうと以前と違う感情になってしまう出来事の真実というものがあってそれを知ってもその相手を以前のようにより強く大事に思える、愛しいと想える気持ちにすべての人が辿り着けるわけではない。だからこそこういう映画のラブストーリーにハッピーエンドを求めてしまうんだろう。



 でハシゴ的にシネマライズに行って『ヘルタースケルター』を。まあ公開三日目だし話題作なんで満員だったかな、客層は高校生から二十代前半の女性が大半。



監督: 蜷川実花
原作: 岡崎京子
脚本: 金子ありさ


キャスト:沢尻エリカ大森南朋寺島しのぶ綾野剛水原希子新井浩文鈴木杏寺島進哀川翔窪塚洋介原田美枝子桃井かおり


ストーリー:トップモデルとして芸能界の頂点に君臨し、人々の羨望と嫉妬を一身に集めるりりこ(沢尻エリカ)。だが、その人並み外れた美ぼうとスタイルは全身整形によってもたらされたものだった。そんな秘密を抱えながら弱肉強食を地でいくショウビズの世界をパワフルに渡り歩く彼女だったが、芸能界だけでなく、世間をひっくり返すような事件を引き起こし……。(シネマトゥデイより)


『いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。いつも。たった一人の。一人ぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。』<『ヘルタースケルター』帯文より>


 原作者・岡崎京子は1963年生まれの漫画家で1980年代から1990年代にかけて、サブカル誌、漫画誌、ファッション誌などに多くの漫画作品を発表、時代を代表する漫画家として知られることとなった。
 岡崎の作品では、映画、小説、音楽、現代思想書などからの引用が多用され、また同時に、岡崎の漫画表現を考察する本や雑誌も多数出版されている。
 1996年(平成8年)5月、交通事故に遭遇し、重い後遺障害が残ってしまった。それ以降は事実上の休業状態が続いている。
 2003年(平成15年)後半頃より過去作が次々復刊されている。


 投稿雑誌への投稿作品が、雑誌 『漫画ブリッコ』編集者であった大塚英志に評価され、 跡見学園女子大学短期大学部在学中の1983年(昭和58年)、『漫画ブリッコ』(白夜書房)にてデビューした。
 岡崎の作品 『ヘルタースケルター』は、2003年(平成15年)度文化庁メディア芸術祭・マンガ部門優秀賞、2004年(平成16年)第8回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。(wikipediaより)


 僕が岡崎京子作品を最初に手にしたのはおそらく『ヘルタースケルター』だったと思う。その時点で岡崎さんは事故に遭って新作は出ない状態だった。そこから僕は過去の作品に遡って読むようになった。
 『リバーズ・エッジ』『pink』と言った代表作、小説みたいな文章を集めた『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』というものなどに惹かれていった。


 『ヘルタースケルター』は岡崎京子の代表作でありいききってしまっている漫画でもあった。岡崎ファンの中でも必ず上位に上る作品であり昔から映像化など期待する声は出ていた気がするが、熱心なファンを含めきっとこれは映像化できないとも思っていた作品だった。それが今回写真家である蜷川実花監督で実写化と最初に聞いて危惧したのはヴィヴィッドな蜷川さんの持ち味な色彩は『ヘルタースケルター』に合うかもしれないが前作『さくらん』のようにうまいこと物語にできないのではないかということ。魅せれる画は魅力的だし素敵だけどもその勢いだけで虚飾に飾り立てて中身がない作品になったらマジでキツいと思っていた。


 それと僕は岡崎京子さんが世に出る時に編集者として立ち会ってしまっていた漫画原作者である大塚英志氏の『キネマ旬報』七月上旬号におけるこの映画の監督に対しての批判というかディスを読んでしまっていたために不安だった。


「正直に感想を書く。女の子が着せ替え人形をあれこれと着飾り、そして散々弄んだ後で今度は顔にマジックで落書きをし手足を引き抜くような、そしてそのことに一切の批評性はなく、ただ監督が自らにはそのような特権があるのだと信じて疑わないこの映画について語るべきことはそう多くない」と大塚氏はその文章を始めていた。



 で観たわけだけど観てて思うのはやはり蜷川監督の悪意に沢尻エリカは破壊されない、損なわれていない。沢尻エリカのおっぱいが出てるとかセックスシーンがあるだとかは女優として大したことじゃない、それが大した事であるように言われる日本映画の状況がおかしいわけでそれが売り文句になることではないだろう。
 だけどやはり沢尻エリカという女優には人を惹き付ける何かが確実にある。そして彼女をりりこを破壊しようと物語は展開していく、ヴィヴィッドな映像は次第に嫌悪感すら沸いてくる。これセンスあるでしょ、とかなんかそういう監督の自意識が溢れ出しすぎていてカメラマンとして映画の中に映り込んでしまう彼女の無邪気な悪意で気持ち悪くなる。りりこの事務所の後輩である「天然」物のこずえ(水原希子)は蜷川監督の分身のようにりりこを追いやり弄んでいく。


 大森南朋さんの検事の役の台詞はマンガのまんまは無理だし、ひどすぎる。まず漫画の中ではポエムに似た台詞なのでモノローグかナレーションじゃないとたぶんしんどいしなんか急に浮いてる感じになっている。
 原作を実写化する時には漫画や小説の中の台詞をそのまま使うとどうしても現実の人間が、身体を持っている役者が使うと無理だったりするのはよくあるのでそれなりに変えた方がいいと思う、意図や意味は変わらない程度に。


 あと検事は漫画ではもうひとりのりりこというか片割れみたいなポジションだったはずで、いきなり「タイガー・リリィ」とか大森さんが言い出してもなんだよそれ?みたいになってしまう。彼は身体性のりりこにおける精神性みたいな感じで漫画では読めたんだけどそういうのが省かれているのでどうも彼のポジションは宙ぶらりんだ。



「やあ、タイガー・リリィ。ぼくはこれから3つのことを教えてあげよう。潮風のふく海に近い草原に育った小羊の肉が珍重されるのを知っているかい? 草についた塩分で肉の味がよくなる。ふたつめ。ぼくときみは前世である神父の同じ帽子の羽だった。風が吹いてひとつは残りひとつはとばされた。もうひとつは・・・。」
「ぼくときみは前世で同じである神父の同じ帽子の羽だった。風が吹いてひとつは残りひとつはとばされた。ただどっちがきみでどっちがぼくかわからない」


 という漫画にある検事の台詞。これさあ、りりこが湯船に浸かって水中を青いドレスで泳いでる幻想的なシーン入れるぐらいならこのりりこの精神世界で出会う検事のこの台詞を使えや。これがないと最後にアホみたいに降ってくる赤い羽とかの意味がよくわかんないんだよ、あれただの装飾じゃん、伝わらない。
 りりこと検事の漫画におけるバランスとかねえから、外見だけで中身がないみたいな人形としてのりりこになってる。まあたぶんその方が監督はやりやすかったからこの検事との片割れなパートを意図的に外してるのかもだけど。


 最後のスタッフロールで出て来た企画協力な金原ひとみは何をしたんだ?謎だ。
 マネージャーの寺島しのぶに彼氏役の綾野剛、こずえの水原希子、ヘアメイクの新井浩文、映画プロデューサーな哀川翔、りりこの彼氏などっかのボンボンな窪塚洋介に医師の原田美枝子に事務所の社長の桃井かおりが検事にりりこの話を聞かれてるていでりりこについて話してるシーンのあれいるか?
 岡崎さんの『チワワちゃん』をやろうとしたのかな。『チワワちゃん』は死んでしまったモデルの女の子について知人の証言を重ねてその彼女の輪郭を与えていく証言構成的な漫画なんだけど他者から見えるりりこをあぶり出すなら内部も出さないといけないわけで、となるとやっぱりりりこと検事の二人をもっと描いた方がよかったと思う。じゃないのならいらない。



 あと原作通りな展開で終わっていくけど彼女が記者会見でする行為とかはあの瞬間劇場内がビクってなってた。で羽散らすんでしょ、じゃあ漫画での孔雀の羽がとかの件いるだろ! あとその行為をするのがなんで漫画と逆の位置なのだろうか。なんか意味あるのかな。で最後にこずえが数年後にりりこに出会うあのシーンで蜷川さんはこずえをアバター的に使ってるんだからりりこが笑ったら漫画通りじゃなくてせめて睨み返すか笑い返すぐらいしないといけなかったんじゃないのかなって思った。
 岡崎作品に勝つぐらいの覚悟持って作ったんじゃないんだねって、結局負けてるじゃん。それに名作と沢尻エリカの無駄遣い。


  まあ僕は岡崎京子さんのファンなんで評価は低いですがこの作品のおかげで岡崎さんを知らなかった世代が知れることだけがこの映画の価値だと思うしそれはすごく大事な事だと思う。だって『ヘルタースケルター』は観終わった後の祭、いや観客の空気のガッカリ感がすべてを物語っていた。


The Beatles - Helter Skelter #TheBeatles


 映画公開に関して『岡崎京子の仕事集』『岡崎京子の研究』といった彼女のキャリアについての詳しい本が出版された事と彼女の漫画が新しく新装版だとかで世に出た事はこの映画の功績だろうね。

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

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pink

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リバーズ・エッジ 愛蔵版

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チワワちゃん (単行本コミックス)

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ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね

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岡崎京子の仕事集

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