8月上旬の日記(2024年8月1日から8月15日分)
8月16日
日付が変わる前に『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』をほぼリアルタイムで聴いていて、番組の半分ぐらいで日付が変わった。はてブにこの日記の上旬と半年前の日記をnoteにアップした。寝ようと思ったがなかなか寝付けずに二時過ぎに寝た。雨の音はほとんど聞こえていなかった。
起きてからカンとビンと段ボールの回収日だったので外に空き缶を持っていたが、ちょっと地面が濡れている程度で雨は降ったあとだった。
リモートワークまで少しだけ読書をしてから作業を開始。いつも通りradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』を仕事用にBGMとして流した。
仕事中に窓の外で雨がザーザーと降っている時もあったけど、基本的には雨も風に強い印象がなかった。
普通の雨降りの日ぐらいで台風が来て千葉の方だと電車が止まるとか、出社もできるだけしないで家でという話があったけど、我が家ではそこまで台風の凄さはわからなかった。
一旦、雨が止んで傘もいらない時間帯に休憩がてら外に出た。この前芥川賞を受賞した朝比奈秋さんのデビュー作も収録されている『私の盲端』文庫版を駅前のツタヤ書店で買った。
林芙美子文学賞を受賞した『塩の道』よりも表題作になっている人工肛門になってしまった女子大学生が主人公の『私の盲端』はずっと読んでみたかった。
仕事が終わってから読み始めた。すでに読んでいた芥川賞受賞作『サンショウウオの四十九日』や『あなたの燃える左手』と近いのは主人公がいきなりその環境に置かれてしまう。今作では急に倒れて目覚めたら人工肛門になっていた、というようにそういう状況に置かれる際の苦悩や選択はなく、一気にそこから物語は始まる。
主人公は以前とは違った身体になった自分や環境を受け入れたり、四苦八苦していくことになる。『サンショウウオの四十九日』はそれとは少し違うけど、やはり身体性とそこに宿る精神が揺れ動いたり、それをどう受けいれて生きていくかという部分では共通していると思った。
仕事が終わって金曜日のお楽しみなSpotifyのポッドキャスト番組『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴いた。配信されているエピソードを全部聴いていることもあるんだろうけど、二人の声を聴くと安心するというか、落ち着く。
やっぱりラジオというか音声コンテンツの強さは内容ももちろんあるけど、好きな声かどうか、慣れて自分にとって違和感のない声になっていく。僕の知り合いでこの番組を聴いているという人は聞いたことがないけど、何回か聴かないとハマらないんだろう。その最初の一歩がなかなか難しい。
『私の盲端』を読み終わってからライティング作業を開始。雨の音はもうしなくなった。明日は急激に気温が上がるというのをニュースサイトで見た。汗だくになってしまうけど、洗濯物がすぐ乾くからいいか、と思う。
申し込んでいたライブの先行チケットも取れたし、問い合わせしていたものの返信メールも来たし、下旬の始まりとしては悪くない。
8月17日
8時過ぎにのんびり起きた。radikoで『きしたかののブタピエロ』『JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』を聴きながら読書と自分の作業をした。
13時から渋谷で用事があったので準備をしていると友人から連絡があった。僕の住んでいる場所を聞いてきたので、もしやと思ってキャロットタワーにあるパブリックシアターで上演している作品を見たら、役者をやっている彼と一緒にやっていた人たちが関わっている舞台だった。
お昼過ぎにご飯かお茶に行かないと誘ってくれたのだが、13時から渋谷での用事があったので、舞台を観終わったあとぐらいに時間が合えばお茶でも行こうということになった。
渋谷まで歩いていった。もう少し暑いかなと心配していたが、そこまでではなかった。
渋谷への行き来ではradikoで『三四郎のオールナイトニッポン0』を聴いていた。パリ五輪の閉会式の話からロス五輪開会式の話へ、二人ともアメリカのエンタメ映画は世代的に観ているし、トークでも作品でもよく出しているので、四年後の開会式にマコーレ・カルキン出るんじゃないとか、パリ五輪のランナーがフードかぶっていたからそこからフードを被っているジュダイからの『スター・ウォーズ』もなんかやりそうという話題になっていた。前のロス五輪での開会式の音楽は『スター・ウォーズ』の音楽をやった人らしく可能性あるぞとかそういうことや、『ラ・ラ・ランド』のオープニングみたいなダンスから始まるんじゃないかと予想していた。
パリ五輪の閉会式にトム・クルーズが出たり、ビリー・アイリッシュやレディ・ガガとかが歌ったりするパフォーマンスは次回のロス五輪への橋渡しってことだったんだなと最近ようやくわかった。開会式も閉会式もどの競技も見ていないから、最初はなんで出るんだろうと不思議に思っていた。
昔、安倍元首相がマリオの格好で土管から出てくるみたいなパフォーマンスがあった気がするけど、あれは次の東京五輪やりますよってことだったんだよな、たぶん。それもニュースでしか見たことないからわからないけど。
渋谷で用事が終わってから15時過ぎに家に帰ってきて、ご飯を食べたら眠くなって寝てしまった。16時半前に目が覚めたら友達からメッセージが来ていたので、すぐ着替えて駅前の喫煙所エリアに。
コロナパンデミック前にお茶をしたから6年とか7年ぶりだった。前にも一緒に行ったことあるニコラへ。17時の開店前だったので三階のトワイライライトに行って本を見つつ話をしてオススメしてみたりしていた。
冷えたグラスで飲むビールの一口目が最高においしい。アイスコーヒーも飲んだりして、お互いにタバコを吸いながら近況や最近考えていることなんか、政治とか地域のことも含めてけっこう盛りだくさんな内容の話になった。
彼は地元に戻って自給自足をやりながら役者としても舞台に立っている。その活動を含めて演劇として考えているけど、それがうまく伝わっていないと話していた。自分がやってみたいことや疑問に感じたことは一回自分でやってみて確かめるという行動的な人でもあるので、話を聞いていると面白いし話題が尽きない。人間的な魅力が満載で、年々より自由になっているような気がする。そういう気配が年輪みたいに年々魅力的になっているんじゃないかな。
その友人のコージこと山崎皓司のnote、SPAC(静岡県舞台芸術センター)の舞台にも主演で立っている。今年は難しいけど来年ぐらいには静岡に遊びにいきたい。静岡って新幹線で通り過ぎるだけで降りたことがない。行ったことのない場所にちょっとでも多く足を運んでみたいなと最近思うようになった。
家に帰ってからほどよい疲れと瓶ビール一本しか飲んでいないけど、軽い酔いがあるようなふわふわした感じになっていたけど、寝る前にちょっと読書を。
少し前に中上健次の未完の遺作『異族』を読了していた。その流れで中上の「路地」サーガの一つでもある『地の果て 至上の時』を読み始めた。それと同時に三島由紀夫著『金閣寺』を再読し始めたのだけど、すぐに読み終わってしまい、次は『異族』にも影響を与えたであろう、三島由紀夫の遺作「豊饒の海」シリーズの再読しようと思った。
シリーズ一冊目となる『春の雪』を買ったのは帯にある映画化された2005年だった。映画のメインの3人で未だに役者をしているのは妻夫木さんだけ、竹内さんは亡くなり、高岡蒼佑は俳優業を引退している。
「豊饒の海」シリーズの真の主役は高岡が演じた本多だといえるので、もし「豊饒の海」シリーズを再映像化する際にはいちばん大事なポジションになる(映画化は最初の『春の雪』しかされていない)。シリーズ全部をネトフリ辺りでやればいいのに。大正時代からその後、一作ごとに18年から20年経っていくので、時代背景もあって登場人物たちの衣装や時代ごとの建物とか風俗的なものが違うので、実写でやるとなるとかなりお金がかかるだろう。資金力があり、作品にちゃんとお金を出せるところでないとしょぼい映像になってしまう。
小学生の時に読んでいた大塚英志×田島昭宇『摩陀羅』は「豊饒の海」シリーズ×『どろろ』が元ネタだった(大塚さんが明言している)。大塚英志作品を読んでいくと三島や大江健三郎や中上健次に出会う仕掛けがあって、僕はそうやって彼らの作品や作家たちのことを知るきっかけがあった。
もともと小説、純文学とかを読んでいなくて、読むきっかけもなかった人間が小説を読むようになって彼らの作品を違和感なく手に取ったり、読んでみようと思う土台は大塚さんの作品によってもたらされていた。
実際に2005年ぐらいはまだ小説をそこまで読んでいなくて、面白くて読みやすいエンタメ小説は読んでいたけど、純文学はほぼほぼ読んでいなかったし、古川日出男さんの小説も読んでいない。
『春の雪』は映画の原作というのもあって、当時読んだけど難しいなという印象しかなかったが、現在ではいろんな小説を読んできたこともあって、おもしろさやその凄さが前とは違ってはっきりとわかるようになっている。
少し背伸びをして自分がわからないものや、理解できないものも含めて読んでいく、それを続けていると急に読めるようになったり理解できる時が突然くる。他の小説とは関係のない書籍とかを読んでいたりするとそれがある時にいきなり意図していなかったものがふわりと繋がってしまったり、理解の助けにもなっていく。読書のおもしろさはそこであり、要約とかされてもそれはやっぱり別物だし、読めば読むほど読みたいものがどんどん増えてくる。自分なんかよりも読んでいる人たちがたくさんいるのもわかるから、あんまり本を読んでますとは言えないなっていう恥ずかしさを感じるようになる。
人のレコメンドとかでこういう小説があるというのを知ったりして手に取ることもあるけど、正直誰がオススメしているかどうかで手に取るかどうかも変わってしまう。自分が信頼している書き手の人や書評を書いている人、出版関係ではなくても自分の好きなものを強く持っていて、それが僕に響く人なんかだと読もうと思う。そこのラインははっきりとわかれている気がする。そうじゃない人がSNS等でオススメしている書籍ってやっぱり装幀が自分だと金払って買いたいと思えるものではないから、センスや趣味の問題なんだろうか。
Zazen Boys - 乱土〜胸焼けうどんの作り方 Live at 日比谷野音 5.26 2024
8月18日
✨再来週は #ANN0 SPウィーク✨
— オールナイトニッポン (@Ann_Since1967) 2024年8月17日
8/26 月#森香澄ANN0
8/27 火#あのANN0 × #ME_I #COCORO #MIU #AYANE
8/28 水#佐久間宣行ANN0 × #千鳥
8/29 木#マヂラブANN0 × #コヤッキーチャンネル #コヤッキー #とーや
8/30 金#三四郎ANN0 × #カミナリ #たくみ
8/31 土#ヤーレンズANN0 #令和ロマン pic.twitter.com/5KFabYKXQD
降板させられたフワちゃんのところのスペシャルウィークは森香澄、この一回でハマったらレギュラーになる可能性はありそう。あのちゃんは単発を三回やって好評だったからレギュラーになった。
もし、森さんがレギュラーになったら「ANN0」枠に元テレ東社員が二人いるという謎なラインナップになる。でも、現在のレギュラー陣はテレ東でレギュラー番組やってる人、やってた人たちばかりだから(月一のヤーレンズはやってないかなあ)パッと見がテレ東ぽい。僕は大好きです、この並びは。
昨日の程よい疲れもあって、ぐっすりと眠れた。深夜にトイレにいきたくなって目が覚めるとかもなく、8時過ぎまでしっかりと寝ていたけど、なんとなく筋肉痛ではないけど体が疲れたんだなって感じさせる鈍い痛みに近い重さみたいなものがあった。
午前中に体を動かしたかったので、『オードリーのオールナイトニッポン』をradikoで聴きながら代官山蔦屋書店へ。アート関連のエリアにイラストが展示されていた。
「KEIICI TANAAMIフェア」というものだったが、見たことある絵だなって思った。最近リリースされてよく聴いている曽我部圭一 VS あらかじめ決められた恋人たちへ『HAZARD DUB』というアルバムのジャケの人だってわかった。アルバムの方のイラストはこのために描き下ろしされたものらしい。
調べたら「田名網敬一 記憶の冒険」という展示が国立新美術館で開催中らしい、ここは青山霊園を越えて乃木坂方面に行く手前にある。サイトを見ているとちょっと行きたくなってきた。『HAZARD DUB』を聴きながら歩いていくのもいいかもしれない。
8月19日
にぶい痛み。右肩がだるいような感じがあった。少しだけ喉がいがらっぽいのでうがいをした。
週末の疲れや連日喫煙した影響か、喉がかなり渇いている気がして水をごくごくと飲んだ。起きるのが少し遅かったのですぐにリモートワークを開始。
昨日の『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』は寝る前に聴いていたので、チャイルディッシュ・ガンビーノやザ・ウィークエンドやルイス・コールやロバート・グラスパーなんかのアルバムをSpotifyで流しながら作業をしていた。
昼前に音楽を流していた自分のMacBook Airの接続の調子が悪くなって、開いていたサイトに繋がりませんみたいな状況となり、会社のノートパソコンも同様だった。とりあえず、スマホでテザリングしてリモートワークは続けた。
スマホの方でWi-Fiのルーターのことを調べていたら、本来は緑色とかに光っている「アクティヴ」という箇所だけが何色にも光っていなくて、モデムとルーターどちらも電源を抜いて、初期化とかもしたがどうもWi-Fiが飛んでこないし、「アクティヴ」は光らなかった。
リモート終わってから渋谷へ。暑さはまだ耐えれるものの、湿気があるのですぐに汗ばむ。夕方すぎてこの暑さ、来週雨が降るので少し涼しくなるみたいだけど、外に出て普通に歩ける気温がいちばんいい。早く夏終わってくれ。
道玄坂下ったところにあるヤマダ電機の五階へ。スマホで検索してみると、どうもルーターは5年ほどの寿命らしい。今使っているMacBook Airの前の機種を買った時に初めて有線LANではなく無線LANにして6年近く使っていた。それが原因であるだろうが、もし買い換えて解決しなかったらめんどくさい、回線の方に問題あるのはかなりきつい。
スタッフの人に聞いて、4000円ちょっとのルーターを購入した。家に帰って設定してみるとMacBook Airもスマホもサクサク動き出した。いやあ、今日はこれでいろんなことができなかった。とりあえず、何年か大丈夫だろうけど、いつも使えていたものが急に使えなくなるとちょっとパニックみたいになる。
家に帰ってきて汗だくだったけど、まだ右肩はダルさがある。先月コロナを罹患した後に買っておいた風邪薬を飲んですぐ寝た。
深夜3時ぐらいに目が覚めて、ペットボトルを集積所に持って行った。アリナミンゼリーを飲んでから、薬を飲んでまた寝る。布団に入ってからは『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を流していたがほとんど頭に入らず、でも声を聴いていると安心した。
8月20日
6時過ぎに起きて熱をはかったら37℃台、唾を飲み込むと喉が痛い。先月コロナになったばかりなのに、すぐに二回目のコロナになるものなのだろうか。先週末ぐらいはタバコを吸う数が多かったから、それで喉の粘膜が傷ついたりして菌が入ったのかもしれない。
家に置いてある喉スプレーと喉トローチ、ロキソニンの風邪薬を買っていたので、そちらで対処することにした。
昨日夕方にいつもいく内科クリニックの近くを通ったら、現在は夏休みで今週中は診察がなさそうだった。夕方から友達とヤーレンズとDr.ハインリッヒのライブに行く予定だったが、もしもコロナだった場合はうつしかねないし、友達は家族と一緒に住んでいるのでお子さんにうつるとかが一番怖いので、朝一でDMを送って症状について伝えて行けなくなったことを謝った。
友人が快く許してくれたので、今日はもう薬を飲んで寝るを繰り返してまだ熱を下げることに集中することにした。そのまま喉の痛みが消えればラッキー。前日ぐらいの肩がだるいというのはこの兆候だったのだろう。なんてついてないんだ。
ライブに行けなくなったので、代わりに21時から配信開始予定の『あちこちオードリーオンライン2024ライブ』の動画視聴チケットを買った。地味に毎年買って見ている。
火曜日はSpotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:森達也監督)、『あのと粗品の電電電話』が配信される。『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』は今月の配信は休止になって、9月から国崎さん一人での番組にリニューアルされる。がんばれ国ちゃん!
森達也監督は前回に引き続きの後編、ゴーストライター問題で取り沙汰された佐村河内守さんをドキュメントした『FAKE』や劇映画として制作した『福田村事件』の話なんかがメインになっていたが、平子さんはわりとドキュメンタリー観てるなってわかる。
あのと粗品は温度感低めな感じかなあ、二人とも夏で動き待ってくるとかスケジュールが立て込んでるというのもあるのかも。
夕方過ぎに佐川の人が届けてくれたanoニューシングル『愛してる、なんてね。』だが、曲のMVは枝優花監督で出演は岡山天音らしい。この時点ではだ動画が解禁されていなかったので、楽しみ。
アーティスト・田名網敬一が88歳で逝去
国立新美術館で開催中の「田名網敬一 記憶の冒険」という展示を観たいと思っていたら、この訃報。亡くなったことで来場者が増えることもありそうだけど、平日の午前中に行ってのんびりとサイケデリックな空間に浸ってみたい。
お手伝いしている書籍の校正入り再稿原稿データが送られてきたので最初のやつだけ見ようと思ったが、熱が上がってるなって思ってはかったら38.7℃だった。これは流石にやっちゃってるなと思い、アリナミンゼリー飲んで風邪薬飲んで20時半過ぎまで一旦眠ることにした。熱があっても節々がすごく痛いとかはないし熱だけある感じ。前回とパターンは似ている。
21時前に起きてから『あちこちオードリーオンライン2024ライブ』の配信を視聴。具体的な内容はSNSなどに書かないという約束のもとでやっているので、ここにも書かない。全部で二時間半ぐらいやっていた。見ているうちに自分でもどんどん熱が下がっているのがわかった。あとは喉の痛みだけ。
8月21日
6時過ぎに目覚ましをセットしていたので、一度起きてみる。身体のダルさはないし熱もはかっても36℃台と下がった。喉はまだ痛いし、腫れている感じがして唾を飲み込んでも痛いが昨日ほどではない。声を出してみるとかれているのがわかる。喉の痛みと腫れが引くまでは声がかれたままの感じだろう。
風邪薬を飲んでから、横になってのんびりと朝活がてら読書を。
西江原の隣が井原という町である。井原とはもと後月郡の所在地で、当時町街道が一本素通りしているだけの淋しさであった。今でも大差はない筈である。この井原の横隣に高屋という村がある。この高屋は井伏氏の小説にも度々でてくる。私も幼少の頃、一度だけ行ったことがある。用件は虫封じのハリをしてもらうため、人力車で行き人力車で帰ったが、この高屋は大逆事件の森近運平の出身地である。私は子供の頃、たびたび森近運平の名を親からきかされた。私の村には親類もある。そういうわけで親も顔くらいは知っていたのか、運平は立派な男だとは言わなかったが、決して悪い男だとは言わなかった。肉親のものが無罪を主張していま最高裁判所かどこかで審理中の筈である。
木山捷平著『井伏鱒二 弥次郎兵衛 ななかまど』収録「井伏鱒二」P314より
短編集の最後から二つ目が「太宰治」で最後が「井伏鱒二」という木山捷平と関係性があった作家についてだった。この前のページでは彫刻家の平櫛田中の名前が出てきていて、ここでは僕が生まれ育った高屋町のことが出てくる。
木山は現在の笠岡市出身、井伏は福山市出身で、僕の生まれた井原市も含めて廃藩置県直後の頃は小田県や深津県として同じ地域だった。その後半々になって岡山県と広島県に分かれた。それもあって今だに経済圏や文化圏としては福山城と福山駅を中心にしているエリアでもある。
幸徳秋水事件とも呼ばれる、一般的には「大逆事件」の際に冤罪で死刑になった人が高屋出身の人がいるのを初めて知った。木山に続けて井伏鱒二作品を読んでみようかな。
読書をしてからいつもの時間になったのでリモートワーク開始。朝起きてからradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源のオールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をBGMでお供に。
「爆笑カーボーイ」で大学時代の話をしていたけど、「この話何回目だよ」みたいなところから「新しいリスナーだっているんだから」というやりとりは確かにそうだなって思うし、何回も話すことで磨かれている部分もあるんだろう。磨くことで微妙に細部が変わったり、強調する部分も変化したりすることもある。話しているとそのことが当人にはより真実、実際に起きたことだと認識されていくので事実とはズレていくこともある。これが語りのおもしろいところでもあり、難しいというか不穏な部分でもある。
「星野源ANN」ではサマソニのロバート・グラスパートの話とか、そこはすごく見たかったし実際に現場でライブを観れた人たちがうらやましい。
「あのANN0」では新曲『愛してる、なんてね。』のMVに岡山天音が出ていることも話していた。仲のいい本田翼と出会ったドラマが本田と岡山が主演で、打ち上げの後に脱出ゲームみたいなやつに数人で遊びに行ったことがあるという数年来の関係性らしく、その時の出会いが大事だったんだなとわかるものだった。
昼前に外に出たが風も多少あったし気温もそこまで高くなかったが、仕事が終わる頃になると黒々とした雲が空を覆っていて、家の方は雨が少し降っていたが、ニュースだと新宿とかの方はゲリラ豪雨みたいな大雨で電車も止まっているらしかった。
19時ちょっと過ぎぐらいから世田谷区の方でも大雨が降り出した。猛烈という感じで窓の外から聞こえる雨音が聞いたことないぐらいデカくてちょっと危険だなと思えた。
このところ、天候が急に変わることが多いし、それに伴って交通機関も影響が出ていて色々と余裕を持って行動してないと詰んじゃうというか、どうにもならないことになりそうだなって思う。
お騒がせしてスミマセン。ただ、秋で番組終了の話、業界関係者にはかなり前から噂が広まってしまっていたので…。
— 藤井健太郎 (@kentaro_fujii) 2024年8月21日
『水曜日のダウンタウン』は前回のエンディングで次週予告の際にテーマのプレゼンターの小籔さんの声が消されており、最終回ではないかという話がSNS上で出ていた。さらに上記のポストを番組のプロデューサーの藤井健太郎さんがしており、ますます突然の最終回ではないかという疑惑と期待みたいなものが増えていた。
TVerのリアルタイムで視聴。芸人三人に「水曜日のダウンタウンが秋に終わる」と仕掛け人が他の誰にもいうなよと釘を刺して言ってそれがどこまで広がるかという検証。
嘘を教えられた三人が親で、子、孫、ひ孫まで何人に広がるかまでの人数を計測していくという企画だったが、噂に尾びれ背びれがついて広がっていく様を見れたという内容で皮肉でもあるし、現在のSNSでの炎上の広がり方を可視化したようなものだった。
最後に実は番組は本当に終わります、というアナウンスがあるかとちょっと思っていたが、さすがにそれはなかった。
8月22日
一度3時過ぎに目が覚めたので可燃ごみを出してから、風邪薬を飲んでからまた寝る。8時前に起きた。何かの夢を見ていたような気がするが、内容を覚えていない。でも、ずっと会っていないか、縁がなくなったような人が出てきたような、よだれを出していたみたいで枕がちょっと濡れていた。
熱はなく、まだ喉に少し痛みが残っているけど、のど飴とか舐めているとなんとかなる程度。やっぱり喉が腫れているみたいだから、扁桃腺が腫れて熱が出たのかもしれない。
先月のコロナ陽性になった時よりも熱が続かなかったし、すぐに下がった。コロナパンデミック期間の時も二度ほど39℃を越えたが扁桃腺の腫れが原因だった。口の中で舌で触れた箇所が何か塊みたいなものがある、たぶん口唇ヘルペスができてきている。月曜日から体力面でやられたから出てきたっぽい。そういえば、先月コロナになった時は出なかった。この違いはなんだろう。
天気予報を見ると昼過ぎにまたゲリラ豪雨みたいな大雨が降るみたいだったので、8時半ぐらいに家を出た。曇り空で気温もまだ高くないが、湿度はあった。日差しが強くないので助かった。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら歩く。渋谷を越える前ぐらいにやっぱり今日はこれを聴いた方がいいよなって思ってSpotifyで曽我部恵一 vs あらかじめ失われた恋人たちへ『HAZARD OF DUB』に切り替えた。
六本木通りを途中で骨董通り方面に行って、ブルーノート東京がある道を乃木坂方面へ、いつも日比谷に行くときの道順。10時少し前に国立新美術館に着いた。チケットは事前に購入していたが、その時はまだ田名網敬一さんが亡くなったという報道は出ていなかった。だから、亡くなったというニュースは驚いた。報道よりも前に亡くなってはいるので展示が始まってすぐに亡くなってはいたみたい。
別のフロアでは『CLAMP展』が開催中で開場前だったが多くの人が並んでいた。あと高校生無料観覧期間中らしく、若い世代の女の子もたくさんいたのが印象的だった。流石に僕が行こうとしている田名網さんのは僕の前に中国人のおじさんが一人いたぐらいだった(中に入って中国語の案内の紙をもらっていたから)。亡くなったから一気に人が押し寄せるという感じではないみたい。
近年、急速に再評価が進む日本人アーティスト、田名網敬一。武蔵野美術大学在学中にデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、1975年には日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなど、雑誌や広告を主な舞台に日本のアンダーグラウンドなアートシーンを牽引してきました。その一方で、1960年代よりデザイナーとして培った方法論、技術を駆使し、現在に至るまで絵画、コラージュ、立体作品、アニメーション、実験映像、インスタレーションなど、ジャンルや既存のルールに捉われることなく精力的に制作を続け、美術史の文脈にとって重要な爪痕を残してきました。 本展は、現代的アーティスト像のロールモデルとも呼べる田名網の60年以上にわたる創作活動に、初公開の最新作を含む膨大な作品数で迫る、初の大規模回顧展です。
『田名網敬一 記憶の冒険』公式サイトより
田名網敬一さんの絵というかイラストで僕が一番最初に認識したのはスーパーカーのアルバム『ANSWER』のジャケットだった。展示は極彩色のサイケデリックな絵のデカいのが「ドドドーン」とあって圧巻。もうドラッグとかアルコールに頼らなくても簡単なトリップができそう、質よりも量ではないけど、質もあるけど量もただすごいというのがわかる展示だった。視覚に暴力的なまでにビビッドで目が回るような絵ばかりだった。
最後のエリアで田名網さんのインタビュー動画が流れていた。幼少期にたぶん目黒に住んでいて戦争中に疎開する前にお母さんに「目黒駅の風景をしっかり目に焼き付けておきなさい」と言われて、終戦後に東京に帰ってきたら駅とかがなくて焼け野原になっていた。街は焼かれているから土も赤く燃えて、赤土になっていた。そして空は真っ青に晴れていたから、青と赤というのが自分の原風景になっていて、それが絵にも出ていると言われていた。言われているように絵を見てみると確かにいろんな色が使われているけど、よく見ると赤色と青色が効果的に使われている。意図的にこの二色は目に引っ掛かるようなところに塗られている。
観終わって展示室の外に出ると国立新美術館のガラス張りの壁の外は昨日夜にも降ったようなゲリラ豪雨みたいな、大きくて数も多い雨粒が見えた。どうにもならないなと諦めてカフェみたいになっているのでアイスコーヒーを頼んでのんびり椅子に座って雨がやまないかなって待っていた。
歩いてきたから歩いて帰るつもりだったけど、このエリアで雨が止むのは13時ぐらいだった。さすがに一時間も待っているのは嫌だなって思って美術館と繋がっている乃木坂駅に向かった。表参道駅で半蔵門線に乗り換えて最寄り駅まで。せっかく体調も良くなったし歩ける時間だったのにもったいない。
駅前のTSUTAYA書店で本日発売になった上田岳弘著『多頭獣の話』を購入。上田作品は非常に肌に合うというか、同世代の小説家の中では僕は一番好きかもしれない。ただ、上田さんは村上春樹遺伝子というか影響が大きい気はするから、僕はその辺りは違うんだけど、そっち寄っていたらもっと嫉妬したりしてたのかもしれない。
夕方すぎになってからニコラに行ってアイスコーヒーをいただく。一時間ほどのんびりさせてもらって家に帰った。
お店に行く前に感じていたことだが、口唇ヘルペスが口の中だけではなく、唇にも出てきた。ああ、これはあかん。潰れてから治るまで時間がかなりかかる。やっぱり免疫力が落ちてるんだ。そのサインとして考えれば、出た以上はまずは風邪を治して体力を戻すしかない。
8月23日
起きると熱は平熱になっていて、喉の痛みもほとんどない。唾を飲み込むときに多少の違和感はある。6時前だったのでゼリー飲んで風邪薬を飲んでもう一時間ほど寝ることにした。
リモートワークの30分ほどまでに起きる。やっぱり喉は完治というか普段の状態ではないが、熱もないしダルさもないし頭痛もしない、節々も痛くない。ああ、健康って素晴らしい。
標準型というイメージが存在して、そこに適合させるのが〈商品〉である。そして、人びとが平均的なかたちになりたいだとか、なれないでいるから劣等感をおぼえるとか、なるために金と時間を使う、つまり自分だとか自分に関係する人間たち、組織(共同体)にも、に使わせるというのは、要するに人間の〈商品化〉である。どうしてそんなにそんなにそんなに、そんなにも、標準型が恋しいの? どうして生きているのに〈商品〉になりたいの? いや、別になりたいわけじゃないんだと思う。ならないと「駄目だ」と言われてしまうような、そういう負の圧にずっと私たちは囲まれているんだと思う。
負の圧に対抗するものは?
正の圧である。
『古川日出男の現在地』2024年8月23日 なるべきかたち
古川さんのブログが午前中にアップされていた。標準型になることに違和感がない人、憧れる人はいる。あまりにも異様な環境や人間関係で育ったりしてきた人は仕方ないと思うけど、そうでもない人があえてここでいう〈商品化〉の方へ向かうことをよしとしたりするのは僕は気持ち悪いと思うし、多様とかいうくせにそういうのは許せないみたいな人が多いのもなんだかなって、〈商品化〉から外れる人に石を投げたり、白か黒しかないみたいに味方以外は敵認定で攻撃する人とかの不自由さ、そういう人は客観性を養うしかないのだろうけど、そうなってからはそれを身につけるのが一番難しいんだろう。
作業の前にこの数日の集中豪雨のため洗濯ができていなかったので、たまっていた洗濯物を洗濯機で回す。今日の天気予報を見る限りでは雨は降らない。気温も31℃とかで日差しも危険なほど高くもない。多少酷暑から解放されつつあるのかもしれない。
リモートワークをいつも通り開始して、いつもの作業をルーティン的にこなしていく。来週以降ちょっと急ぎでやらないといけない仕事がありそうだが、この週末が終わるまではそこまで忙しくなく、のんびりと仕事を進められそう。
——40歳を過ぎた“中年”が抱える諸問題についても、本書には対策が書かれています。
佐久間:中年の問題は切実ですよ。実際に僕の周りでも、職を失っている人、いますからね。誰しも中年ゆえの悩みや問題は発生するんだけど、それに対処できる人とできない人の差が激しいんだと思います。対処以前に、中年だからこその有害性、自分のハラスメント気質とかに気づいてない人も多いですし。
——問題に気づいていない、というのはかなり厄介ですね。
佐久間:自らの有害性に気づいていない中年の特徴の一つに、「なんで自分がこんなに我慢しなきゃいけないんだ」と感じている、というのがあります。セクハラにしてもパワハラにしても、ハラスメントをしないことを“我慢”だと思っている。部下や後輩を怒鳴らないことも“我慢”だし、人に気を遣ったり丁寧に接することも“我慢”だと。
テレビプロデューサー佐久間宣行が語る「メンタルケア」と「仕事論」——中年を救うのは「教養と人柄」
自分が40代で中年になっているのもあるし、上の世代見てきているけど中年までに教養と人柄(人望)ない人ってそのあとにそれらを得るのってなかなか難しい。そもそも人望ない人はずっとないし、なんでそうなっているのかが客観的にわかっている人は人望あるだろうし、下から慕われて相談とかされるだろう。
Facebookで上の世代の投稿を見てるとやっぱりしんどいなと思うものがかなりの確率であるし、ある人はそういう投稿ばっかりになっているんだけど、周りも言わないんだろうし、言えないんだろうなって思う時にこの人には人望ないんだろうって思ってしまう。
組織や会社から抜けて個人になっても人望あるような人の方が実際のところ少ないんじゃないかなあ。それがあるかないかがはっきり分かれてしまう部分でもあるのだろう。
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年9月号が公開されました。9月は『ナミビアの砂漠』『平家物語 諸行無常セッション』『ぼくのお日さま』『憐れみの3章』を取り上げました。
写真家 阿部裕介×俳優 山中崇「旅対話!」
仕事が終わってから歩いて、代官山蔦屋方面で。作業中にradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』はすでに聴いていたので、なんとなく米津玄師のニューアルバム『LOST CORNER』を聴きながら歩く。曇り空で風が少し出ていて、湿気は思ったよりも少なくて歩くにはちょうどいい気温だった。
イベントはzoomのオンライン配信もしていたけど、3号館のラウンジでのリアルイベントは約60人ぐらいマックスで入れるみたいでほとんど埋まっていた。カメラマンの阿部さんのファンやカメラ関係の人が多いのかなと思ったけど、山中さんのファンらしき女性が四分の三ぐらいいたんじゃないかなあ。
最初はカメラマンと被写体という関係でトークかなと思っていたが、山中さんもカメラでたくさん撮られているので、撮る側の話が多かった。阿部さんもカメラマンとしてどうやったら自然な顔で相手を撮ることができるのかというテクニックとかも話されていて、カメラをやってる人には参考になるものも多かったと思う。
二人ともお互いに話していることをちゃんと受け止めてから話すから、非常に穏やかで耳心地もよかった。山中さんが物腰も柔らかくて、声の感じもそうなんだけど、ちゃんと聞いてから多くではなく少しのことで感じたことや自分の意見を言うのでその会話のキャッチボールがすごく良い雰囲気になっていた。
山中さんが台湾で撮った写真も何枚か阿部さんが紹介されていたが、日常の断片が感じられるもので、撮られていないものや漂っている空気感が好きだなと思えるものだった。山中さんご自身は役者として映画やドラマやいろんな作品に出演されているけど、僕のイメージは華や存在感があるのに、役どころによって華が目立たないように存在感をあまり出さないようにしている。でも、その花の茎や葉っぱみたいなものの輪郭は見る側に伝わってくる。その塩梅も含めて作品の中で登場人物として違和感なく「居る」ということができる役者さんなんじゃないかなと思っている。
僕は自分で小説とか書くときに登場人物表を作ったりするけど、山中さんを脳内キャスティングすることが多い。主役ももちろんだけど、大事なところで居てほしい人物としてイメージすると顔が浮かびやすい。
イベント後には阿部さんとも知り合いの役者の知人も来てたので少し話をさせてもらって、山中さんにはお声がけして挨拶をさせてもらった。で、帰ろうと下に降りたら知人の本や店主とばったりあって少し本を見ながら話をした。なんだか、知り合いにたくさんあったような気になった一日だった。
帰り道はSpotifyのポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら帰った。もう150回を迎えたらしい、めでたいな。毎週楽しませてもらっているので長く続けてほしい。
8月24日
6時半に目覚ましをセットしていたが、その前に起きた。
奇妙な夢を見ていた。たぶん『ドラゴンボール』の孫悟空みたいな存在と敵なのか謎の物体がいて、僕は悟空の側で状況を見ていた。悟空の手足が蜘蛛みたいにどんどん伸びていき、ある程度伸びると枝分かれしていき、四本が十六本ぐらいに増えて、どんどん増えると体が見えなくなって手足が曲がっていき球体みたいな形になって浮いていた。元口だったような場所から敵みたいな存在に向けてかめはめ波みたいなエネルギーを放出していた。どういう夢だったのかまったく意味がわからない。
体調はほとんどいつも通りになってきた。もう少しだけ喉が痛い、うっすら腫れている気がする。結局、咳はほとんど出なかったから扁桃腺の腫れが原因だったっぽい。でも、先月同様にコロナだった可能性もゼロではない。今回は味覚と嗅覚がなくなるということもなかった。違いがもうわからない。
9時台のチケットを先日取っていたので、歩いて六本木方面へ。散歩のお供はradikoで『三四郎のオールナイトニッポン0』を。フリートーク40分ぐらいを小宮さんのテンションとノリでガンガンやっていくスタイルはたまにあるけど、今回もそれで楽しく聴けた。
テレビドラマ「アンナチュラル」「MIU404」の監督・塚原あゆ子と脚本家・野木亜紀子が再タッグを組み、両シリーズと同じ世界線で起きた連続爆破事件の行方を描いたサスペンス映画。
流通業界最大のイベントである11月のブラックフライデー前夜、世界規模のショッピングサイトの関東センターから配送された段ボール箱が爆発する事件が発生し、やがて日本中を恐怖に陥れる連続爆破事件へと発展する。関東センター長に着任したばかりの舟渡エレナは、チームマネージャーの梨本孔とともに事態の収拾にあたるが……。(映画.comより)
『ラストマイル』は令和の『踊る大捜査線』? その達成と課題を解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】
『ラストマイル』をTOHOシネマズ六本木にて鑑賞。朝一の回だったけど客入りは多め。男女率は女性の方が多めだったけど、僕みたいに一人で来ているというよりは友達同士や夫婦やカップルみたいな感じで連れ立ってきている人が多かった印象。
作中に出てくる名前は流石に変えているけど、今作ではAmazonと物流の問題をやっているからNetflixドラマ『地面師たち』同様に地上波ではスポンサー的にはできないのだろう。
GAFAM(ガーファム:Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)という巨大な企業、それは新自由主義とグローバリズムが加速したことで国家よりも影響力や人々の暮らしに大きな影響を与えるようになった存在。今作でも扱っている物流の問題もAmazonとの関係性において難しいことが年々増えてきているし、問題点も報道されるようになってきた。その意味でもこの作品は新自由主義とグローバリズムが蔓延した世界でどう戦うのか、いや「働く」のかということも大きなテーマとなっている。そして、個人はその大きな企業の歯車であり、いとも簡単に壊されてしまう。しかも、変わりはいくらでもいるから個人が、 その誰かが壊れたり損なわれてもその人の親しい人や友人知人や家族以外には気にしないし、もちろん企業はおかまいなくそのまま新自由主義とグローバリズムは止まらない。
GAFAMという存在がなければ、現在の私たちの生活は成り立たない、と思わされている部分もあると思う。どうせどこかが没落しても、代わりの同じような企業が台頭するか、違う国の企業が覇権を握るぐらいかとも思ってしまう。この映画では意図的に大企業のオートメイション化されていく効率的なシステムとおそらくその対極に位置する「個人」という存在のことが描かれている。僕たちはそういうものからもはや逃れることはできないのか、そういうことも観終わってから考えることになる。この作品を他人事だと思える人は、システムに壊されてしまう人になんら感慨も感じない人はもう人間としてあるべき姿をしていないのかもしれない。
塚本あゆ子監督×野木亜紀子脚本コンビのTBSドラマ『アンナチュラル』『MIU404』ファンにはもちろんオススメできる。二作品のメインキャラもカメオ的ではなくわりとちゃんと出演している。二作品のファンならあの人が!みたいな感じで出てくるし、今回の物語とちゃんとリンクする形で登場してくる。
宇野維正さんの上記の動画タイトルにもあるようにドラマ『踊る大捜査線』(&劇場版)を観ているような気になるのは、画(映像やカット)が上記の二作品のテレビドラマとあまり変わらなくて、映画的な画やカットがあまりない。という部分もあると思う。僕はそう感じた。それもあって映画を観ている感じはしなかった。
尺的にはスペシャルドラマなんだけど、スポンサー的に難しくて劇場でやったのかなっていう。最近だとNHKドラマ『岸辺露伴は動かない』の映画版『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』がルーヴル美術館で撮らせてもらったし海外でロケしちゃったからNHKで二時間スペシャルではいけなくて映画でやったんだろうなって思ったのに似ている。ちなみに『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』はおもしろいかと聞かれたらつまんないと言うけど、映像はちゃんとカッコいい。というか『岸辺露伴は動かない』シリーズはあの世界観を表現するために映像も意識的にカッコよく撮られている。
だから、塚原あゆ子監督があえて今作は『アンナチュラル』『MIU404』のドラマファンが観にくるのが前提だからテレビドラマのままの映像にあえてしたのか、あるいは映画的な画が撮れないのか、そういうカメラマンと組むつもりがないのかがわからない。
内容はおもしろいし、ちゃんとヒットはすると思う。やっぱりドラマ二作品のファンはたくさんいるし、その繋がりから観に行く人たちは楽しめるものになっているし、あの世界観が描かれている。
普段映画館で映画を観る人が少なくなっているからあんまり違和感ないかもしれない。映画館で映画をそこそこ観ているとこの作品もっとよくなったんじゃないかなって思えてしまう。でも、一般的な人はそんなことは求めていないだろうし。
映画館で定期的に映画を観ることも、本屋に行って小説を買って読むことも、もう当たり前じゃなくて一般的な人からすれば珍しい側になりつつある。
なんでそうなってしまったのか、といえば「失われた30年」だし、この『ラストマイル』で描かれている大企業だけが利益を重ねていき、下に行くほど「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」状態になったから。
僕はAmazonで基本的には中古のもう手に入らない本ぐらいしか頼まないし、古書店からならパッキングとかちゃんとしてくださるので。新刊とか買っても前みたいにパッキングされないでそのまま入れられているので、カバーや帯、最悪本体すら破れたりしてしまう。僕は好きな作家の小説はカバーも帯もほぼ買ったままの状態で置いているし、最悪破れたりしたら同じ本を買う。だから、書店に行って自分で見て選んで買う。
ウーバーイーツも頼んだことがないのは、自分は運ぶ側だなって思っているので、頼めない。あれを平気で頼める人の神経は僕にはよくわからない。セブンイレブンの弁当工場で上京資金を貯めるためにバイトをしていた時期があったから、あのAmazon的な在庫センターのレーン式の光景はわかる。あそこにいたら心が自然と壊れていく。そうやって便利になっていった先で僕らは失われてしまったものに復讐されているような気がしてしまった。
『ラストマイル』は最終的にはメインの二人がさまざまな問題を少しでもまともしようと動くのだけど、それは彼女や彼が善意的な人間だからこそで、そうではない人間、例えばイーロン・マスクがトップになればどうなるかって言うのは身に染みている。
米津玄師 - がらくた Kenshi Yonezu - Garakuta JUNK
観終わってからこの曲を改めて聴くと歌詞の意味がすごくわかる。それもネタバレになりそうだから書かないけど、観終わった人は歌詞を読んでみるといいと思う。
12時台に上映が終わったので再び歩きながら帰ったらTシャツがびしょびしょになってしまうほど汗をかいてしまった。家に着くなり、ペットボトルのポカリを一気飲みして、炭酸水とかもガブ飲みしても喉の渇きが満たされないって感じだった。
熱射病とか日射病とかではないと思うが、歩いている時もずっと額に汗が出てきて、頭皮からの汗もどんどん落ちてきてたんだろうけど、何度も手で汗を払ったりTシャツの裾で拭ったりしていた。やっぱり30℃を超えるような時間帯の時はタオルを持っていかないとどうにもならない。
夕方まで寝転んで軽く休んだりしていた。体の熱がなかなか逃げていかない。寝てもまだ少し体に熱が残っていた。
井伏鱒二著『山椒魚』を読み始めたが、昔一度ぐらいは短編『山椒魚』を読んだような気がするが、改めて読んでみるとどこにもいけなくなった山椒魚の世界、やってきた蛙を閉じ込めてどこにもいけなくさせるがそれも虚しいだけ。いつか蛙は隙をついていなくなるかもしれないし、山椒魚よりも先に死ぬかもしれない、結局巣穴代わりの岩の穴から出られなくなった山椒魚は孤独になってしまう。自分と同種の存在と会うことは二度できない、その孤独さ。これは今の孤独死がどんどん増えている現在の方がリアリティを持っているような短編だなと思う。世界に通じる穴はあっても、自分がそこを通り抜けることができない。どうしようもない、そのどうしようもなさ。
併読しているいくつかの本を少しずつ読んでからライティング作業を。一週間近く体調崩してスケジュール通りにできなかったので立て直しできるといいのだけど。
8月25日
8時前に起きてスケジュールを確認して朝の散歩へ。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』をお供にして代官山蔦屋へ。春日さんの妻のお母さんの実家がある群馬に行った時のフリートークがいわゆる田舎のお家の描写というか、あるあると思えるようなものだった。
来週の『星野源のオールナイトニッポン』スペシャルウィークのゲストはオードリーと佐藤満春さんとファミレストークも今から楽しみだなあ。気温はそこまででもないので昨日ほどは汗だくだくにはならなかった。スーパーでご飯用の食材を買って帰る。新TwitterことXのトレンドに「完熟マンゴーさん」というワードが上がっていたので、
安住紳一郎の日曜天国 | TBSラジオ | 2024/08/25/日 10:00-11:55
をタイムフリーで聴いた。最初の30分ぐらいで亡くなった番組のリスナーである「完熟マンゴーさん」こと声優の田中敦子さんの話を安住さんがしていて、過去の番組内でのやりとりも放送していた。
そのラジオネームの由来は亡くなった直木賞作家の山本文緒さんの小説『ばにらさま』収録の『20 × 20』の登場人物が名乗っている名前が「いちじくたわわ」というものだったのでそこから考えたものだったという話もあった。
その山本さんが亡くなった際に田中さんが番組にリクエストした曲があって(なぜその曲をリクエストされたかは番組では紹介していなかったらしい)、今回は番組から田中さんへの追悼として流したのも素晴らしかった。
ラジオだからこそできることだろうし、リスナー同士の繋がりとか田中さんの人柄もよくわかるものだった。
黒沢清監督が手がけたオリジナル中編映画『Chime』をずっと観ようと思っていたけどタイミングがなかなか合わずにいた。今日の昼間なら下北沢駅のところにあるK 2シネマで観れると思ってチケットを朝取っていた。
映画館のサイトでちょくちょく観ていたけど一日一回上映だったが、毎回かなり席が埋まっていた。どうも口コミで広がっているらしいというのは聞いていたが、それを見て本当っぽいなと思っていた。
13時半過ぎに家を出て、茶沢通りをまっすぐ下北沢方面に歩いて行こうと思ったら今日は年に一回の通りをサンバが練り歩く日だったみたいで撮影しようというカメラ小僧(ほぼおっさんやじいさんばかりだが)が通りの左右の歩道で待機していた。まだちょうど始まる前だったので歩くのにそこまで不便はなかった。
『Chime』は満席みたいでちゃんと埋まっていた。二十代が多い印象で若者が観にきているなってわかる。
作品自体は料理教室で講師として働いている主人公の松岡。生徒のひとりの男性のちょっと変わっていると思われている田代が、チャイムのような音が聞こえる、先生には聞こえませんかと言い出し、最終的に彼は「自分の脳は半分は機械に入れ替えられている」と言い出してある行動に出る。その後も普通に暮らしていた。松岡だったが、女性の生徒に教えているときに彼にもある変化が起こりだす、というもの。
松岡の家族や家での描写もあるが、それもちょっと不穏な雰囲気がある。妻がたまった空き缶を家の外に捨てに行くのだが、ゴミ袋三つぐらいがすぐにたまっているという感じで、どうも何かがおかしいと思わせる。
実際この作品ではそういう種類の不穏さが至る所にあるが、説明はされない。松岡の周りで異変が起き始めていることもその理由も明かされない。ただ、今まで足りまえだった日常が壊れていく、異常さを持ち始めていくというもので、『CURE』『カリスマ』『回路』あたりの仄暗さだけを煮詰めたような中編となっていた。
リメイクした『蛇の道』は正直おもしろく感じなかったが、今作もそこまで怖いかなと思うぐらいで不穏さや仄暗さは感じたが、物足りなさだけが残った。説明はされなくてもいいんだけど、消化不良だった。
一時間ほどの映画を観終わって家へ帰る。下北沢への行き帰りは現在はYeと名乗っているカニエ・ウエストとタイ・ダラー・サインが組んだ¥$のニューアルバム『Vultures 2』を聴いていた。
三茶に近づいてくるとサンバのリズムがイヤフォン越しに聞こえ始めてきた。そして、通りの左右の歩道が人で埋め尽くされていた。遠回りして帰るのもいいけど、ちょっと見たいというミーハーな気持ちもあり、茶沢通りをサンバが歩いていく方と同じ方向に歩いた。人が多すぎて進まない進まない。ダンサーさんたちが写った画像もあるけど、こういうところには出さない方がいいかなと思ったので自主規制。
朝と昼歩いた分の汗を洗い流すためにシャワーを浴びた。もう、水だけでも冷たくないという謎の現象。水がちょうどいいいぐらいの温度になっている。
ちょっとだけ読書の続きをしてからライティングの作業を。
8月26日
6時過ぎに起きて可燃ゴミを出してから朝のルーティンを、と思ったけどなんだかまだ眠いのでプラス一時間ちょっと寝た。
先週の体調を崩した時に比べるとほとんどいつもの状態、わずかに喉のほうは腫れが残っている気がするが、唾を飲み込んでいたいということもない。
昨日のライティング中に浮かんできたアイデアを元に構成を変えてみたが、そっちの方が改めて読んでみてもしっくりくる。東京湾とスカイツリーが見える場所を舞台にして、現在の話だけど僕自身が取材というか見たり、足を運んできたものを何か物語に入れ込めるといいなと思った。
もう建物もなくなってしまった晴美埠頭客船ターミナルのこととか、葛西臨海公園から脱走した一羽のペンギンのこととか、僕にとっての東京湾のこと。舞台がスカリツリーが見える場所にしていたけど、ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』は好きな作品だったし、なんか影響を受けたものになったりするといいかなと思ってタイトルも彼にちなんだものにした。
今月末までに書き上げる予定だった作品はとある理由で出せないことがわかったので10月末に〆切があるものに出すことにしたので、その前に中編と短編をリハビリがてら書き上げることにした。元々書く予定だったものに出てくる登場人物をメインにしたスピンオフとかだけど、ちょっと設定とか作って書いていると楽しい。
— Oasis (@oasis) 2024年8月25日
1994年4月、アメリカのシアトルで27歳で自らの頭をショットガンでぶち抜いてその人生の終始を打ったアーティストがいた。そう「ニルヴァーナ」のカート・コバーンだ。彼の死によりグランジも終わり、新しいムーブメントや若者にとっての「神」であるかのような次世代の新しい指針が必要になった。何かの終わりは新しい何かの始まりでしかないのはいつの世もそうであるように。
同じく4月、ノエルとリアムのギャラガー兄弟を軸にしたバンド「オアシス」は時代を作り上げたかつての少年、若者のカリスマになってしまったカートが神への供儀として捧げられ、失われた世界で「スーパーソニック」としてデビューを果たす。
カリスマ自体が時代を作るわけではなく、カリスマは磁石のようなもので、彼らに惹かれるファンや支持者はある種の砂(鉄)として強力な磁場に吸い寄せられていく。その砂の流れが時代と言ってもいいのかもしれない。だからこそ時代の流れができあがった後に新しい磁場が発生すると砂はまた次なる時代の流れに向かっていく。役割を終えたものは自然と回収されるかのように神の元へ帰っていく。
マイケル・ジャクソンの死による彼の再評価はこの新しいディケイドにポップな散乱銃による色とりどりなものが溢れる前兆として最後に咲き誇ったように僕には思えた。
「オアシス」は三枚目のシングルとして「ニルヴァーナ」の「I Hate Myself and I Want to Die(自分が嫌いだし死にたい)」への反発として「Live Forever(永遠に生きる)」と歌った。この1994年にデビューアルバム『Definitely Maybe』を発売し英国初登場一位を記録し彼らの歴史が始まった。
そしてそのデビューから16年の歳月が経った今、2010年に発売された『Time Flies』という彼らの歴代シングルを網羅している作品がリリースされた。バンドのリーダーでありソングライティングをメインで務めていたギャラガー兄弟の兄・ノエルの脱退によってオアシスという時代は終わり実質的にこの作品が最後の「オアシス」作品となるだろう。
彼らが第一線でロックンロールバンドとして活動していた16年という歳月の中であまりにも大きく世界の流れが変わってしまった。その中でも彼らは言いたい事をいい、暴れてたりケンカをしたりと様々な問題を起こし、ロックンロールの最後の生き様を見せていたように僕には思える。そしてその限界が訪れたのが2010年だったということだろうか。彼らは、リアムやノエルはこれからも音楽を続けて行くだろうし、ビッグマウスは健在だろうが、彼らのようなバンドはもう現れないだろうと収録されている曲を聴きながら思う。
洋楽ロック不振は海外バンドを呼ぶフェスのラインナップを見てもわかるように客を以前のようには集められない、昔だったら考えられない日本のアーティストを呼ぶ事でなんとか集客を増やそうと努力しているのがわかる。音楽業界自体の落ち込みと若者の洋楽離れがそれにさらに拍車をかけている。
そう意味でもオアシスというバンドのように日本でも売れるロックバンドというものはこれから少なくなっていくし、彼らの楽曲のように僕らですら口ずさめるようなロックが出てくるのかは疑問だ。
彼らがこうやってビッグバンドとしての「オアシス」に区切りをつけて終焉したことで次世代のロックが、新しいムーブメントがゼロ年代終わり頃から萌芽しつつ、それらが今のテン年代に入り一気に実ろうとしている事と符号させる。
しかし、彼らが残した楽曲はこうやって残る。いつしか彼ら自体が「Champagne Supernova」のようになってしまったなと思っていただけにこうやってきちんと終止符を打ったことは嬉しいような哀しいような複雑な気持ちになる。
ノエルの脱退で浮かんだのは旧約聖書『創世記』に登場するカインとアベルの兄弟の話だった。彼ら兄弟が神ヤハウェに各自の収穫物を捧げた。兄・カインは農耕で取れた収穫物を、弟・アベルは羊を放牧し肥えた羊を。神はアベルの供物には目を留めたがカインの供物は無視(シカト)した。カインはそのことによる嫉妬でアベルを殺してしまったが、アベルの血は神に向かってこのことを訴えた。神ヤハウェはカインにアベルの行方を問うと「私は永遠に弟の監視者なのですか?」と答えた。
ノエルはリアムを殺さずにすんだ。でも彼らの「オアシス」を殺すことで互いを生かすことを選んだ。そして「オアシス」は完全に僕らの、ファンのものとしてこの16年のロックンロールの記憶として残った。
リモートワークを始める頃に新TwitterことXでオアシス再結成みたいな話題が出ていた。上記の文章は僕が2010年にクッキーシーンwebにOasis『Time Flies...1994-2009』が発売に合わせて寄稿したもの。オアシスの再結成(リユニオン)はノエルとリアムが生きている間にあるだろうと思っていたけど、このニュースを聞いてもそこまで心が踊らない。
僕が初めてライブで観れたのは4thアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』以降で二度ほどしかない。たぶん、本物のオアシスのリユニオンよりも『ラヴィット!』のニューヨークの嶋佐がコピーしている「嶋佐オアシス」の方が泣ける(もちろん、リクエストのお手紙も含めてだけど)。
日本にもたぶんツアーで回ってくるだろうし、外貨を稼ぐにはもう日本はいい国ではなくなっているけど、ノエルはフジロックとか来てるわけだし日本が嫌いってわけじゃないだろう。かなり大きな箱でやることになるんだろうけど、そういうところには個人的には行きたくはないので日本武道館でやるなら観たい、ビートルズ大好きなギャラガー兄弟だし、すぐに発表しなくても追加で発表したらいいなと妄想する。サードアルバム『Be Here Now』が一番好き。
神経症、ある程度有名な人物へのディスり(読んだ方にはおわかり頂いていると思うけど、全くディスってないけどね。今のSNSの「悪意があるのか?無いのか?」の回答への要求の高さはおぞましいほどだ。悪意が向けられたら死ぬのか。ひょっとしてまだ流行ってんの?デスノートとか?「舞台版」がある、という驚異的な噂は耳にしているけれども)をする老害。で仕舞いだろう笑、なんとまあ酷い世の中になったもんだ笑。
僕は正直、SNSの中に踊るあらゆる数値を信用していない。全くの出鱈目だと言っているのではない。吉本隆明の、僕の世代には有名な「主催者発表」というエッセイがあるが、あれに毛が生えたようなもんだろう。
(中略)
すげえ昔、佐藤くんという天才煽りV監督に「菊地さんTwitterなんて全国のいじめられっ子の集団ですから」と、でっかい海老を食いながら言われたことがあって、こっちもでっかい海老を食ってたから、大変に美味かったと同時に「流石にそこまでじゃないでしょ笑」と言おうとして、「はふがにほほまであないれそ笑」ぐらいで返したものだが、やっぱ佐藤くんは天才で、正しかったのかしらと思った。
<菊地成孔の日記 2024年8月24日記す>
こちらも作業中に自分のMacBook Airの方にメールが来ていたので見たら、復活というかニコ動が再開したことでチャンネルも動き出した菊地さんの日記だった。SNSの数字を信じすぎるという風潮はあるし、なぜか話題もSNSで発信されたものや有名になったものをテレビとかで紹介するみたいな流れになっていて、それは正直おもしろくもないし、新鮮味もない。
個人的にはSNSをいつかやめるだろうな、と思っている。個人出版とか知り合いの人たちがどんどんやっているけど、例えばそういうことを自分が版元みたいなことをするならSNSはやめられないんだろう。営業部と宣伝部とかみたいなことを自分でやらないといけないとなると発信は自分でするしかないから。
作家としての活動期間が積み上がってきたこの頃には、切羽詰まった中で若干負荷をかけて書く時の作法が出来上がっていた。長編連載の場合はニュアンスが伝えづらいので割愛するけれど、短編の場合はわかりやすくて、30枚の短編の場合は4000字×3日、50枚の短編の場合は5000字×4日で書くというものだ。3日間殺法、4日間殺法と後に名付けることになるその技で、僕は「群像」の3号連続のオファーを乗り越えた。そして出来上がったのがYouTuberロボットをはじめとしたYouTuberが出てくる短編「Robots」「Automata」「Clowns」の3篇だ。作者としてはどれも気に入っている。切羽詰まっていたがゆえに、無意識がにじみ出ていて、温めていたYouTuberキャラがその無意識の泥から意図せずに出てきた。
自作のYouTuberが総出演! 無意識から生まれた「神話」がはじまる
ちょうど読んでいる上田岳弘著『多頭獣の話』の著者の上田さんのインタビュー記事。短編を集中して書き上げる技法の話も気になるが、三つの短編で書いた、出てきたYouTuberが今回の長編連作に出てきている、というのは僕が今考えていることとは逆ではあるのだけど、なんとなくそういう積み重ねみたいなもので物語が多層になったりするし、自分でもわからなかった形が把握できるということは確かにある。
Summer Eye - 湾岸 MV
昼休憩の時も感じたが、リモートが終わってからスーパーへ買い物に歩いていると酷暑からは解き放たれたという空気感になっていて、非常に歩きやすいし風が心地いい。
金曜にロロの新作舞台を観に行くのだけど、音楽はSummer Eyeが手掛けているのでそのモードに寄せようと歩く時のBGMは彼のアルバムとそのリミックスアルバムにした。
寄ってみたBOOKOFFに花村萬月著『ゲルマニウムの夜 王国記①』の文庫本があって、ポイント使ったらほぼ100円だったので買った。この表題作の映画化されるよりもだいぶ前に花村作品をわりと読んでいる時期があったはずなんだけど、それがいつだったのか思い出せない。
懐かしいなと思ったのもあるけど、裏に『ゲルマニウムの夜』が第119回芥川賞受賞とあって、「あれ、受賞作だったっけ」ぐらいそのことを忘れていた。忘れている自分にびっくりした。
映画『ルックバック』のポスターデザインを手掛ける大島依提亜の原点はアキ・カウリスマキ
いいなって思う映画のポスターとかが大島依提亜さんだったりすることが多い。
A24作品も初期から観ているけど、日本でも映画好きの中で認知度が上がっていったのは大島さんが手掛けたポスターやパンフもかなり大きかったと思う。ちゃんとオシャレだったり、カッコいいっていうデザインをしているかどうか、これは本当にデカいし重要なことだと思う。
大島さんはたまに書籍の装丁デザインもすることがあるけど、いろんな紙や大きさの違うものを使う映画のパンフレットは個性的で手元に置いておきたい、作品やその作家性をなんとか形にしようという意気込みが感じられるものが多い。
8月27日
日付が変わってから放送の『空気階段の踊り場』を radikoで聴いてから寝た。鈴木もぐらが北野武映画、Amazonが作っている作品に出演というのが発表されていたのでその話をするのかなと思ったけど、していなかった気がする。
3時過ぎに目が覚めてしまって、『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を流して目を瞑っていたら寝落ちしていた。
6時過ぎの目覚ましで一回起きたが、どうも頭がしっかりしないというか目覚めが悪いので8時まで寝ることにして起きる時間をセットし直した。
起きると体もいつも通りだし、頭もスッキリしていた。今日は亡くなった友達の月命日で、樹木葬をする日だと彼女のお母さんから聞いていたのでこのことでDMをした。東北の方も昼から雨らしく、降る前に終わるといいなと思った。
午前中は休みにしていたので映画館のサイトをいくつか見るとユーロスペースが火曜日サービスデーだったので、ちょっと気になっていた石井岳龍監督『箱男』を観に行くことにした。安部公房の原作小説を映像化したものだが、二十数年前に確かドイツあたりで映画撮影を始めようとしたら資金不足か何かでダメになったという話を『僕らの時代』で主演の永瀬正敏さんと当時一緒に出演する予定で今作にも出ている佐藤浩一さんが話されていた。
家を出て涼しいなと思っていたら、渋谷に近づいていくと雨が降り始めてそこそこ濡れた。傘が正直欲しいという降り方だったけど、ほとんどユーロスペースには着いていたので諦めて映画館の中に入るのを急いだ。
いつもならラジオを聴きながら歩くんだけど、友達のこともあったのでCreepy Nutsの『のびしろ』と菅田将暉と一緒にやった『サントラ』、星野源の『光の跡』とPUNPEEとのコラボ『さらしもの』をSpotifyで繰り返していた。特に『のびしろ』には隅田川とスカイツリーが歌詞の中にも出てきて、彼女の住んでいた場所はどちらにも近かったので、僕の中で結びついている。
サービスデーといっても平日の午前中だからお客さんは10人ぐらい、石井岳龍(石井聰亙)監督で主演が永瀬正敏さん、浅野忠信さんと佐藤浩一さんが出演となるとどうしても年齢的には僕かその上の世代になる。
原作小説の『箱男』を読んでいないのもあるのだが、最初の方から段ボール箱に入って世界を覗き見している「わたし(永瀬正敏)」と彼を付け狙っている謎の男(渋川清彦)の対決とかはちょっと笑ってしまった。
もともと「わたし」は別にいた箱男に魅入られて自分が箱男になりたいと思ってなってしまった人物だったが、箱男の存在を乗っ取ろうとするニセ医者(浅野忠信)、箱男を利用しようとしている元軍医(佐藤浩一)、「わたし」を誘惑する謎の女のである葉子(白本彩奈)との関わりを描いていく。
正直よくわからなかったけど、永瀬さんと浅野さんが対決しているシーンは二人が出演していた『ELECTRIC DRAGON 80000V』のことを思い出したりした。箱同士の対決になるとちょっとコントっぽくなってしまう。リアリティラインは放棄しているとは思うんだけど、映像的にやるとなるとあの形しかないのかな、どうなんだろう。
葉子役の白本彩奈さんは劇中でも脱いだりしていて絡みはないけど、スタイルがとてもよくてキレイだなって思った。他が男の役者さんがメインだったから余計に際立つというか印象に残った。
森香澄のオールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2024/08/26/月 27:00-28:30
帰りも映画館から出るとちょっと雨が降っていたけど、道玄坂の方に向かって行き三茶方面に歩き出したら雨雲から抜けたからか、雨は降らなくなって日が照ってきた。
radikoで深夜に放送した『森香澄のオールナイトニッポン0』を聴きながら歩いた。タレントとして何度か番組で見ていて、彼女のイメージは「あざとい」というものが代名詞になっているけど、元アナウンサーというのもあって甘い感じはするけど聴き心地のいい何をいっているかはっきりとわかる声質だった。
フワちゃんの後枠を巡る冒険、がてら今週は森香澄、来週は渋谷凪咲と発表されている。このまま来年四月までは毎週タレント、俳優、芸人、文化人の女性がトライアルでパーソナリティをやってみて人気と評価の高かった人がレギュラーやればいいのにな、と思う。
騒動前の「ANN0」布陣はしばらく不動なラインナップだと個人的には思っていた。だれかのピンチはだれかのチャンス、奇跡とは常に救いようのない悲劇や絶望に支えられている。
家に帰ってから諸々と自分の作業を開始。夕方までライティングと資料なんかを読んでいた。夕方過ぎてからアイスコーヒーをセブンイレブンに買いに行こうと思って家を出たが、ついでに池尻大橋の駅前にある書店まで散歩した。
燃え殻著『これはただの夏』新潮文庫版が出ていた。燃え殻さんにインタビューさせてもらった時はまだこの作品が『yom yom』で連載中だった。だから、インタビュー中にはこの小説についても聞いているのだけど、記事には反映されていない。
タイトルや作品自体が青羊さんのソロプロジェクト「けもの」の『ただの夏』という曲からのインスパイアによるもの。燃え殻さんにはある映画のワンシーンもこの作品を描く時にイメージというか参考にしたと聞いた記憶がある。
解説が菊地成孔さんなのは「けもの」のプロデューサーだったこと、燃え殻さんが菊地さんのファンということもあって依頼されたと書かれていた。そういうものに個人的にはTBSラジオ的な流れを勝手に感じた。
僕はコロナパンデミックになってからラジオを再び聴くようになったと言っているし、日記にも書いているけど、実際のところ2010年台は聴いてなかったかと言われたら実は聴いていた。しかし、聴いていたのは一つの番組しかなかった。
TBSラジオで放送されていた『菊地成孔の粋な夜電波』だった。放送開始の2011年4月から最終回の2018年12月までほとんど聴いている。最初の頃はリアルタイムで聴いていて、放送時間が何度も変わっていて、半年毎にシーズン1、2、3となっていた。
僕は後半の方の深夜帯はradikoのタイムフリーで聴いていたが、おそらく放送回の90%以上は聴いていたぐらいにはファンだった。そのぐらい聴いているから「粋な夜電波フェス」にも行ったし(そこで初めて「けもの」のライブも観た)、DC/PRGやペペ・トルトメント・アスカラールのライブも行くようになった。だから、菊地成孔関連のライブとかよくいってるなと思われても、7年以上毎週ラジオを聴いていて影響を受けているのだから当然と言えば当然ではある。
夜は昨日夜にSpotifyで配信された『83 Lightning Catapult』と今日火曜日配信の『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:中沢健:UMA研究家)、『あのと粗品の電電電話』を聴きながら作業を進める。
8月28日
『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら寝落ちした。でも、一時間もしないうちに目が覚めたのでトイレに行ってまた横になっていたら、深夜二時過ぎにズドーンとまではいかないけど下から突き上げるような感じの揺れがあった。
神奈川県が震源らしいちょっと嫌な揺れ。そのまま『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を途中から流しながら眠った。
喉の痛みもなくなったが、気持ち体が重いようなダルいような気がしなくもない。起きてから朝のルーティンで読書を。今併読しているのは小林秀雄著『Xへの手紙・私小説論』、井伏鱒二著『山椒魚』、三島由紀夫著『春の雪』、中上健次著『地の果て 至上の時』、ガルシア=マルケス著『百年の孤独』、上田岳弘著『多頭獣の話』と上田作品以外は昔のものばかりになっている。
時間になったのでリモートワークを開始。そこまで急ぎのものはないのでいつも通りのんびりと作業を。radikoで『星野源のオールナイトニッポン』と『あののオールナイトニッポン0』を流した。
スペシャルウィークということでどちらもゲストが登場で、「星野源ANN」はオードリーの二人と佐藤満春さんと深夜のファミレスでトーク。閉店後のお店を使わせてもらって、という形だが、前に一度やった時に好評だったみたい。
四人ともファミレスでの思い出がたくさんあるので話が盛りだくさんだった。聞きながらいいなって思った。僕はファミレスにはほとんど数えるぐらいしか行ったことないし、深夜に友達とドリンクバーで粘って始発までダベるみたいな思い出がない。そういう青春らしいことをしてないなって。
上京時にした最初のバイトはアパート近くのゲーセンだったが、閉店後はバイトの同年代(だいたい大学生から25歳ぐらいまで)でその頃出たばかりのカードを使ったサッカーゲーム「WCCF」を自分たちで金を使うならやってもいいみたいな許可を得て、真夜中に「WCCF」や格ゲー好きなメンツは「K.O.F(キング・オブ・ファイターズ)」とかで対戦をしていた。で、朝が近づいたら片付けて帰るみたいなことが多くて、ファミレスもすぐそばにあったはずだが、そこに寄ることもなくそれぞれ近いアパートやマンションに帰って行っていた。たまに飲み屋で飲んだりはすることもあったけど、ファミレスでずっと話すみたいなことはなかった気がする。
ファミレスでどうでもいい話をダラダラとか、何かを真剣に語り明かすみたいなことをやってきていないので四人のファミレスでの思い出トークを聴くと羨ましくなる。まあ、今更やる年齢でもないし、周りの友達も自分も深夜に出ていくような若さもない。そういう時間の無駄使いみたいなものができるのが青春とか二十代という時間なんだろう。
僕はそもそも外食とかをほとんどしないし、文章を書いたりする作業もカフェとか人がいるところだとほとんど集中できないのでやらなかったりするため、どうしてもファミレスに行くというきっかけがなかったというもある。人がいるところでも集中できる人とできない人の差異ってなんなんだろう。
「あのANN0」はあのちゃんがファンであるME:Iのメンバー三人がゲストだったが、いつも毒みたいなものはほぼ出さずにファン目線で愛でている感じのほのぼのとしたものだった。
昼休憩の時に買い物に行こうと外に出たが、やっぱり日差しが柔らかというか酷暑の時の危なさがなくなっている。台風が来ていることもあってか、曇り空だし風もあるけど、このぐらいの気温がちょうどいい。被害がないのが一番だけど、台風が列島を縦断して行ったらまた猛暑とか酷暑に戻るとかは勘弁してほしい。
【フル】2時間特濃プロレス話! ゲスト:柳澤 健!! 豪さんが大絶賛の柳澤さんのアントニオ猪木さんの本から最近「極悪女王」で話題の全女の話まで濃すぎるプロレス話!!
外から戻ってきて『ラヴィット!』の配信がまだされていなかったので、この吉田豪さんのチャンネルに柳澤さんがゲスト出演している二時間ほどの配信を聴きながらリモート再開。
Netflixで配信される『極悪女王』も全女とかに詳しい二人が褒めていたので期待はできそう。でも、あれは誰かチェックしなかったのかみたいな話もあったり。二人ともプロレスとかに精通しているしライターとしての知識量とか諸々がツーカーみたいな感じだから、会話のテンポもいいし、ちょっとフォローしつつ話がどんどん転がっていくのを聞いているとプロレスとか門外漢だけどおもしろかった(柳澤さんの著作は読んでいるけどね)。
Scene♯1(後編) トーキョー・シネマテック 「アレ、何処に売ってんの?? 真似をした/したくなった映画Fashion(とその仕草)」
夕方過ぎになると「前編」もおもしろかった宇多丸さんと伊賀さんの映画ファッショントークの「後編」がアップされていた。
ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』の衣装もやっている伊賀さんが、映画公開時にはカットはされていたけど、平山が落語を寄席に聴きに行くシーンも撮影はしてあるという話もされていた。平山の本棚やカセットテープ収納のところには古今亭志ん生か志ん朝の落語本か落語のテープもあるということだった。映画を観た時にそれは発見できなかったのでおそらく映っていないはず。平山は古今亭志ん生か志ん朝であって、立川談志ではないだろう、そういう江戸前の感じと彼のノーブル感を出しているということを伊賀さんが言われていた。さすがにヴィム・ヴェンダース監督が落語家を知っているわけもないだろうし、そのセレクションも難しいから日本のスタッフが平山の人物像からその辺りも選んでいるのだろうが、納得でしかない。
平山なら同じ服をどのくらい着ていて、どんなスニーカーを履いているのか(そもそも育ちがいい彼はどういうブランドなのかということも大事)、衣装ケースの大きさによってどのくらいの服を持っているのか、ということも話し合って決めていたという。そもそも平山の日常は基本的にはルーティンになっているので、コインランドリーに行く日とかも決まっているので服も限られてくるというか季節ごとにパターン化している。その辺のジョブズが同じ服を何着も持っていてそれを着ていたという話も昔の映画からの影響ではないかという映画好きじゃないとわからないような指摘も宇多丸さんがしていたりしておもしろかった。
伊賀さんは登場人物の年収とか生活圏とかでどんなブランド持っているか、そもそも買わないとか、どんな小物を持っているかを決める人なので細部までこだわっているヴィム・ヴェンダース監督とは相性が良かったんだろう。このトークScene#1になっているけど、本当にいい対談だと思う。
日本映画における衣装の役割ということに関して言えば、やはり北村道子さんがいる。その次の世代の筆頭株として名前が挙げられる存在が伊賀さんだろう。こういうことはファッション文化でもあるし映画史にも関わるので、ちゃんと書籍にするなりなんなり残しておいたほうがいい。
リモートワークを終えてからセブンイレブンに行ってアイスコーヒーを買ってきて、久しぶりにタバコを吸いながら一服。玄関の窓を開けっぱなしにして吸っているが、少し前までは夕方過ぎても熱を感じる風や気温が高かったからすぐに汗ばんでいたが、今は汗もかかないし、寒くもなくてちょうどいい。
夜は朝の読書の続きをしてから自分の作業を。朝から感じていたが、左目の目尻がなんとなく痛い、眼球やその付近の骨を触っても痛みはない。何かのアレルギーなのか、神経的なものなのか、どこかが治り始めるとどこかが痛みが出てくる。
The Smile - Zero Sum (Official Music Video)
8月29日
いつもは目覚ましが寝る寸前に目が覚める。体内時計なのかそれがたぶん機能している。今日は目覚ましを止めた記憶もなかったし、スマホのアラームが鳴っているのも気づかずにぐっすりと寝ていた。夜は気温も高くなかったので久しぶりに冷房もドライにもせずに寝ていたからか、気がついたらTシャツがうっすら汗ばんでいた。
起きてからすぐにリモートワークを開始。明日有休にしていて普段は働かない木曜日に仕事をするというイレギュラーで体内時計なのかリズムがズレたのかもしれない。
天気予報と雨雲レーダーを見ているとちょこちょこ雨は降るみたいだったが、お昼ぐらいまではそこまで雨量はないみたいだった。夜になってからの方が雨は降るとのことで、仕事している時も窓の外から雨の音は時折聞こえたが、ザーザー降りではなかった。
昼休憩の時に家を出てトワイライライトへ。雨は降っていなかった。昨日、店主の熊谷くんがInstagramかXで朗読の動画をあげていた。その際に読んでいたのが高橋悠治+坂本龍一著『長電話』だった。元々は1984年に出された音楽家の二人の電話を文字化した一冊だったものだが、今回バリューブックスが復刊した。
前に読んだ菊地成孔&大谷能生対談集『たのしむ知識 菊地成孔と大谷能生の雑な教養』はいくつかの対談本を元ネタというか真似るという形式を取っていて、最初に取り上げたのがこの『長電話』だった。
たぶん坂本龍一さんが亡くなってあまり時間が経っていない時期にその第一回目の対談が行われていて、菊地さんと大谷さんが世代的にも、音楽的な関わりとかも含めてYMOの影響下にあるという話も出ていた。それもあって、気になっていた対談本だったので復刻されると知った時は読もうと思っていた。文字だけの装幀デザインというのもかっこいい。
リモートワークが終わってからニコラに。雨は降っていたので傘を差して向かった。和梨とマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。果物の中では梨が一番好きなのでコーヒーだけ飲もうと思っていたけど注文した。和梨は水々しくてほんのり甘くて、マスカルポーネとタルトと一緒に食べるとさらに甘さも増して美味しかった。
朝からちょっと気になっていたけど、唇上にできた口唇ヘルペスの潰れたあとが治りかけていたすぐ近くに違和感があった。この時間ぐらいになるとその箇所が明らかに新しい口唇ヘルペスができていた。まだ、免疫力弱まっているままらしい。早く全快したい。
カウンターで打ち合わせをしていた藤江くんとは僕が帰り際に少し話をした。彼が杉咲花さんと一緒にリーガルリリー -『ムーンライトリバース』Music Videoに出ているのを前日に見ていたのでなんか不思議な気分。藤江くんは前よりももっといい面構えになってきてるなって思う。
8月30日
いつものように23時から放送のラジオ『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』をエリアフリーで聴いていた。放送の半分が過ぎると日付が変わり、終わりの25時まで聴きながら読書をしていた。なかなか睡魔がやって来なくて、TVerとかでバラエティを流したりしていたけど、結局眠れたのは26時半を過ぎていた。
7時半に目覚ましが鳴ったので起きた。睡眠不足な感じはしておらず、今日は最終金曜日だとスケジュールを見てわかったので傘を差して雨の中近くのセブンイレブンへ。
朝日新聞と朝食のパンを購入して帰る。雨はそこまで強くはなかった。口元にできた口唇ヘルペスが一つ目はほぼ治りかけているけど、その横に新しくできた方が存在感を出してきて、舌を出して右上の唇のその箇所を触ってしまう。潰れてかさぶたになって治るまでだいたい一週間ぐらいかかる。もう次は出てこないでほしい。
古川さんの「文芸時評」は月に一回だけで、この時評に取り上げれらたもので読んでみたいと思う小説に出会えることもあるし、すでに読んでいた小説もそういう見方や捉え方があるんだな、という新しい出会いにもなる。本当にこの連載のためにたくさんの作品を読まれているのがわかるし、スケジュール的にも大変だというのがわかる。書ける人ほどいろんな小説を読んでいるというのはよく聞くことではあるけど、古川さんは書く量もハンパないのでまさにその証明をしている。
radikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』をBGMに、少しだけ読書をしてから午前中は自分のライティング作業を進める。スケジュール通りにはなかなか進まないけど、一つずつ一つずつ予定していることを終わらしていきたい、それをちゃんと繰り返せるかが今年残りの目標だし、していかないといけないこと。
ユーロライブで行われているロロの劇と短歌『飽きてから』のお昼からの上演チケットを予約していて、ずっと観るのを楽しみにしていた。あいにくの雨だったが、無事に開催するというアナウンスが午前中には新TwitterことXのロロのアカウントでポストされていたので一安心。
ある時期からロロの舞台があれば一緒に行っている友人Tと受付時間の13時過ぎに待ち合わせ。受付が開始になったので二人のチケット代を払って受け取ってから一階にある普段は「Loft9」をやっている場所で開演までコロナビールを飲みながらトーク。
14時前には中段の見やすい座席に着いていた。ここから書くのは演劇とは関係のないことだけど、僕の右隣に友人Tが座り、その右隣二席の横は通路になっていた。その二席には60代ぐらいの夫婦らしき男女が座っていた。
公演中ずっと友人Tの横に座っている夫がなぜ傘袋に入れている傘を床とかに置かずに自分の両足の真ん中に立てていて、ずっとその傘袋を触る音が聞こえ続けていた。ガササみたいな微妙に気になるノイズが気になってしまう。注意した方がいいのかどうか悩んでいて、あとから聞いたら友達もそう思っていたらしかった。
さらには何かのタイミングで話し声というか小声みたいなものが、何を言っているのかは聞こえないが耳に届いていた。友人Tと傘袋ジジイのことを話したら、その話し声はそのジジイの横のババアのものらしく、「何やってるのかわからない」みたいなことを何度か言っていたらしい。それもあってなんかヤバいんんじゃないかと思って、傘袋ジジイを注意できなかったと言っていて、それはそうだなって思った。
公演後にはアフタートークがあった。作・演出の三浦直之さんと出演していた芸人の鈴木ジェロニモさん、ゲストがダウ90000の蓮見翔さんだった。この傘袋夫婦は上演後のアフタートーク前には席を立って帰って行った。
まず謎というか不思議だったのは、「なんであの二人はこの舞台を観にきたのだろうか?」ということだった。関係者の親とかの可能性もゼロではないが、関係者の親であれはなかなか考えにくいし、もしそうだったら最悪すぎる。あとダウ90000のファンでもない、蓮見さん目当てなら残っているからこれも違う。ユーロライブでやっている「渋谷らくご」のファンでなんか間違えてチケット取ってしまった。うーむ、これも中々考えにくい。ユーロライブの箱推しの人でとりあえず若者のライブだと思って観にきた。これもなんだかなあ。あの二人がノイズだったことは舞台の出来とは関係ないけど、明らかなノイズだった。あとは台風の影響で雨が降っていて、濡れたりしていたので冷房がしっかり効いていたので正直寒かった。あの辺りの調整は難しいと思うけど、もうちょっと冷房の温度は高くてもよかったかもしれない。
2023年11月に東京芸術劇場シアターイーストでロロ『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』を同じく友人Tと鑑賞していた。その日のトークゲストが歌人の上坂あゆ美さんだった。この『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』はある物語の断片やある瞬間を切り取っているものを一編ではなく、タイトル通りカタログ的にやっていくものだった。
確かアフタートークの際に三浦さんが上坂さんの短歌が好きで読んでいる時に、短歌みたいな感じで演劇ができないかなって思った、というような話をされていたような気がする。あとは長編を書けないみたいな話もあったかもしれない、だからこそ、まず場面ごとをまずやってみようと思ったみたいなことだったと記憶している。
今回の『飽きてから』はロロの作・演出の三浦直之さんと歌人の上坂あゆ美さんが台詞と短歌を往復しながら戯曲を綴るという新企画だった。
三船青(望月綾乃)と川名雪之(亀島一徳)がマンションのリビングで『笑点』を見ながら、居酒屋で働いている雪之が作ったナポリタンを食べている。二人は付き合っているらしいが、ナポリタンを最後まで食べたいと思わないという雪之の発言から、それが別れ話の流れだと勘違いした青が詰め寄る、「じゃあ、別れようか」「じゃあって何?」みたいなやりとりがある。さらに今日が雪之の誕生日だったが、青はそのことを忘れていたことも発覚する。そんな中、「ただいま〜」と丸山しっぽ(上坂あゆ美)が帰ってくる。ずっと家出をしていたというしっぽは五年以上帰ってきていなかったにも関わらず、雪之に誕生日プレゼントを渡す。というオープニングから物語は始まっていく。
そもそも最初に三人が出会った2017年(前年ぐらいから同じ駅を使ったりしていてお互いの顔を見知るようになり、挨拶程度の関係性になっていくのもシーンをショートカット的にいくつかの時間軸を同じように繰り返すことでわかるようにしていた)のことが描かれる。
雪之としっぽから逃げるように部屋を出ていった青が出会うこともなるノマドワーカー?(住処を持たずにチョコザップなどを点々として生活をしている設定だったかな)な薔薇丸(鈴木ジェロニモ)と、しっぽのかつてのバイト先の社員の頬杖(森本華)とのやりとりが同時に展開されていく。
基本的には現在に至るまでの過去の三人(三船青と川名雪之と丸山しっぽ)のやりとりや関係性がどう変わって行ったのかを現すシーン、現在の三人(三船青と薔薇丸と頬杖)がチョコザップに行ったりする道中などのシーン、過去の三人と頬杖との場面などもあるが、三人が一つは軸になって展開していように見えた。場面ごとに舞台のスクリーンに短歌が映し出される。
🧘♀️ロロ新作🧘♀️
— ロロ (@llo88oll) 2024年8月28日
本日休演日🍵
ここまでたくさんのご来場ありがとうございます🙏
明日29日(木)14時回本日22時まで予約可能です!
ぜひご検討ください📣
劇と短歌『飽きてから』
8/29(木) 14時開演
ユーロライブ
受付:開演45分前
開場:開演30分前
上演時間:約85分
👇Click👇https://t.co/Vg9XPcya7n pic.twitter.com/PWKeJfZarU
🌱ロロ新作🌱
— ロロ (@llo88oll) 2024年8月30日
本日8日目予定通り上演いたします!
当日券は開演45分前から開演直前まで販売いたします🎟️
本日昼夜回ともにキャンセル出ており当日券多めに販売できますので、諦めずにお越しください📣
劇と短歌『飽きてから』
8/31(土) 14時/18時
ユーロライブ
受付:開演45分前
開場:開演30分前… pic.twitter.com/PvFvIWNiWw
作中の人物の心情を表すもののようでもあり、観客にも見覚えのあるようなその気持ちや行動と余韻を感じさせる短歌が物語をより身近なものに引き寄せていた。
観終わった後に友人Tと感想を話したのはセリフによってそれぞれの家庭環境や経済的な価値観の違いなどが出ていたということ。確かに青は大学院生だったりして実家はどうも太そうだった。漫画を描いていたしっぽに対して「漫画を描きなよ」と背中を押すつもりでiPadとiPencilを誕生日でもない日にプレゼントしたりする。青自身は当然ながらわざとやっているわけでもないし、悪気もない。だが、その悪気のなさというが恵まれているものが無意識にやってしまう行動だなって思えなくもない。
また、一度は料理師免許を落ちたことのある雪之に対して「私も調理師免許取ろうかな」みたいなことを気軽に特に考えずに言えてしまうことや、最初のナポリタンを一緒に食べる件では作ってくれてありがとうとかみたいな言葉はなかった気がする。それだけで彼女の育ってきた環境が伝わってくるのもすごいなって話をしていた。
雪之が数年前に働いているお店でパワハラなのか、心的にしんどくなって鬱病になりかけているという状況がかつてあったこともセリフの中で出てくる。そこは深追いせずに今は違う店で働いていおり、それはなんらかの方法で解決したことだけがわかる。
また、家出をしていたと言っていたしっぽだが、頬杖から彼女の岩手の実家で両親がやっている宿が危なくなったので彼女が帰っていた(細部は違うかもしれない)みたいなことが明かされる場面もあった。
雪之としっぽはセリフやエピソードである種の社会性に関することや労働に対することが伝わってくる(彼らが向き合っている世界が僕らの世界と地続きであるのので他人事ではない気になってくる)が、それに対して青はまだ大学院生なのかそれらの部分は薄く、だからこそ対比的になって際立っているように感じた。
しっぽが漫画を描いていたものを読んだ二人は才能があると確信して、描くように彼女に伝えるがその続きは描かれなかった。その続きを雪之が描いたがそれも途中で終わっていて、しっぽもその続きを読みたかったというやりとりがあった。iPadとiPencilの件もそうだけど、他の二人はしっぽに対して無邪気な期待をしていた。青は特にそうであり、知り合いの出版社の編集者に見せたりするなど本人よりも乗り気になっていたりした。だが、しっぽ自身はそれまで漫画をたくさん読んできたわけでもなく、描きたい意欲もさほどなく漫画が大好きでもないと吐露するシーンもある。周りの期待と本人の気持ちのズレが描かれていた。当然ながら漫画なら当人が漫画を描く自由もあるが、描かない自由もある。だが、時として才能豊かな人は本人の意志があまり尊重されず、周りからの圧でそこまでやりたくないことをやることになってしまい、結果とかを出してしまってやめるにやめられなくなるということがある。これはスポーツ選手に多そうな気がするが。今回はその非常にセンシティブな部分に触れているのがすごいなと思った。
また、青と雪之としっぽという三角形、しっぽは二人に「私は家族になりたくない」と言う。ここけっこう大事なことだなって思った。女二人と男一人、そのうちの男女が恋人であり、三人は皆友人でもある。恋人であり、もしかしたら彼らは結婚して夫婦になるかもしれないという男女と一緒に住むことになったりする際に、友人ではなく家族として見られるというのは他の二人の傲慢さにも見えるし、しっぽが望んでいたことでないことに二人が気付けないこと、関係性は変化していくものだからこそ、そういう大事なものを当たり前の日々の中で見失ってもしまうことを描いているようにも見える。
『飽きてから』というタイトルはいろんなことにかかっているし、終わりそうで終わらない、でも終わる時には急に終わるこの日常を生きている僕たちにとって切実な言葉だなと思った。
先ほども書いたように上演後のアフタートークは作・演出の三浦さんと出演している芸人の鈴木ジェロニモさんとゲストがダウ90000の蓮見さんだった。三浦さんと蓮見さんの年齢は少し離れているが日芸(日本大学芸術学部)の先輩と後輩にあたるという話があって、蓮見さんが「ロロになりたくてなれなかった人たちを山ほど見てきたんです」「ロロになりたかった」という発言をしていた。20代の頃から青春と恋愛を描いてきたロロが中年(35歳を超えると若者区分ではなくなる)に入ってきた証左だなとも感じた。
蓮見さんたちの世代からすれば上の世代の30代では演劇ではロロが憧れであり、羨望の眼差しで見ていた劇団だったということだろう。「ロロになれなかった人たち」というのは本当にそうなのだろうけど、残酷な現実だなとも思う。そして、今演劇とお笑いの若手の中でも筆頭株に上がっているダウ90000の蓮見さんがそれを言うということは、「ダウになりたくてなれなかった人たちを山ほど見てきたんです」と下の世代の誰かにその後言われることになるだろうと予感させるものだったりもする。そもそも舞台上でトークをするということ自体が「なった」人たちであるという揺るぎない現実がある。セリフのことや物語の作り方などに関しても同じ立場の作・演出の二人だからこそのトークになっていた。
トークに時折ジェロニモさんが入ってきてちゃんと笑いも取りつつも存在感を感じさせた。彼はガタイがいいのもあるけど、舞台映えする存在感があった。あと劇中でカラオケを歌うシーンがあったが歌が異様にうますぎて笑っていいいのか、感心したらいいのかわからない状態になっていたのもおもしろかった。
上坂さんも普通に出演していたが、一緒に観に行った友人Tは終わってから飲み屋で感想を話している時までしっぽが上坂さんが演じていたと思っていなかったらしく、「ロロがまた演技の上手い役者さん連れてきてたんだな」と思っていたみたいでそれを知ってマジで驚いていた。まあ、驚くよね、なんで普通に芝居ができちゃうのっていう不思議。
二人のトークの中で「固有名詞」を出す出さないということも話題になっていた。ロロ、三浦さんは「固有名詞」をそこそこ出していると思う。今回も出ていることもあって、短歌の方は「固有名詞」が使われていない(上坂さんには確認してないとかそういう感じだった)という話があった。その「固有名詞」をどこまで出すかという話で、蓮見さんは自分たちを観てくれる人は同世代が多いので、そこでわかるものよりも少し上の世代のものとかを使うようにしていると話していた。
『AKIRA』大判コミックとか、あれはその存在感でしかないし、作品の有名度みたいなものもちょうどいい。もし、知らなくても自分たちを観に来てくれる人たちは大抵検索して後からわかってくれるとも蓮見さんが言っていた。ダウのネタで『AKIRA』コミックを使ったものがあった気がする。各巻ごとに紙の色が違うやつ、ヴィレヴァンで昔よく見かけたあれ、確かに他には代替えが効かないし、使いたくなるのもわかる気がする。
ダウ90000の活動がコロナパンデミックが始まった頃だったこともあり、彼らの活動は演劇やコントをやっても劇場に人をたくさん入れることができず、ひと席ずつ開けるとかやらないといけなかったが、同時に配信をするのが当たり前になった最初の世代だった。だからこそ蓮見さんが観に来た人たちが知らない「固有名詞」を出しても検索してくれると話していたのは、配信で何回も観る人たちがお客さんにいるからこそ、わからない「固有名詞」を出しても知りたい人はちゃんと調べておもしろがってくれるとわかっているからだろう。
「固有名詞」に関しては僕も使っているほうが好きだ。昔の村上龍さんの小説を読んでいたら、登場人物が「パスタって何?」と聞いているセリフがあった。2020年代の僕らからするとなんでそんなことを言っているのかと思うセリフだが、実際「イタめし」ブームがあったのはバブル時代であり、その頃にそれまでスパゲッティと言われたものがパスタとオシャレな言い方に変化して現在に定着している。つまり、そのセリフは当時のリアルさでもある。そこで引っかかるとなんでこんなことを言ったんだろうと「パスタ」が当たり前になった時代を生きている人は思う。
検索すれば「イタめし」ブームがあったことも知れる。当時の風俗がわかることになる。だから、僕は小説とかだと「固有名詞」を使うと時代がわかってしまって後の時代になると古びて感じてしまうという人がいるのもわかるけど、古びたほうがいい。その違和感が当時のことを知ろうというきっかけになる。
個人的には時代やその時のリアルな風俗を描くなら「固有名詞」を出すしかないと思うし、何を選ぶかどれを使うかはそれを使う人のセンスにもなってくる。今回のトークだと「コンビニ」っていうよりは「ローソン」のコーヒーってわかるとその人たちの感覚が出せるみたいなことに結びついていく。ジェロニモさんが短歌だと「コンビニ」と使わずにお店の名前を出すとすると「セブンイレブン」は七文字使っちゃうから、「ローソン」が人気だと言われていた。なるほど、確かにそういう文字数制限で選ばれるとかもあるし、青色をイメージさせるなら「ローソン」か「ミニストップ」みたいな選び方にもなる。
劇中に映画『きみの鳥は歌える』を観に行こうとするシーンがあった気がする。僕も友達と公開初日の舞台挨拶付き上映を観に行ったんだけど、原作の佐藤泰志さんの小説は男二人と女一人の三角形を何度も描いていて、初期の頃からそのパターンは出てきていた。その到達点ではないけど評価されたのが『きみの鳥は歌える』だった。『飽きてから』もメインが女二人と男一人だから、それに合わせる形でこの作品を出したのかなと思ったりした。映画は2018年9月公開で、Googleフォトには一緒に観に行った友達と、舞台挨拶している監督や役者さんの画像が残っていた。
三浦さんと蓮見さんの実作者同士のトークを聞いていると、三浦さんがめちゃくちゃ楽しそうに話しているのが印象的だった。そういう話をできる人をずっと待っていたのかなってぐらい笑って楽しそうに見えた。
ロロは今までにミュージシャンでは曽我部恵一さんが音楽を手掛けたり、舞台にも出演していて、衣装は伊賀大介さんと上の世代とやっていた。今回は音楽はSummer Eye、衣装は伊賀さんの弟子の神田百実さんと彼らの世代に近い人と組んでいた。今作では社会性や労働に関することがちょっとしたセリフから感じられるのも三浦さんの意識的なモードが変わったのかな、と思えた。観終わってから考えることや浮かんでくるセリフやシーンが多くて、ロロの作品の中でも好きなものだろうし、これからもっと観たいと思わせてくれるものだった。
ユーロライブの外に出ると雨は止んでいたので、友人と東横線に乗って祐天寺で降りて、レモンサワー発祥のお店として有名な「もつやき ばん」へ。17時前ぐらいだったけど、すでに気持ちよく酔っ払っている常連さんらしきおじさんたちがいた。
名物のもつ煮込みやレバカツとか色々と頼み、まずは瓶ビールを飲みながら舞台の感想を話して、個々人の今年に入ってからのことなんかを。途中から僕が書いている小説のアイデアについて聞いてもらって、自分の中では思いもつかなかったアイデアを出してもらったのでそれを取り入れることにした。人に話すと自分では思わなかった方向に転んでいくのがおもしろい。でも、こういう風に話ができる人がたくさんいるわけではないので、定期的に舞台と飲みに行って話ができるはありがたいし、約束がいつか途切れるまで続けたい。前に佐久間さんのラジオで言っていたけど、僕らにできるのは気の合う友達や大事な人と次に会う約束をして美味しいものを食べたり飲んだりして話すこと、それをできるだけどちらかが約束を破らないといけなくなるまでひたすら続けていくことだけ。
舞台を観に行って、夕方から美味しいものを食べて酒を飲むという二人とも最高の有給の使い方になった平日金曜日。最後は名物のレモンサワーを頼んだ。すごくさっぱりしていたけど、あれはいくらでも飲めそうだから怖いな、瓶ビールは三本ぐらいだったけど、友達がお子さんを迎えにいく時間になったので祐天寺駅近くで解散。歩いて帰ったけど、思ったよりも湿気があってTシャツがすぐに汗でびしょびしょになった。
8月31日
二日酔いにもなっておらず、ちゃんと歩いた分だけ疲れていてぐっすりと眠れた。寝起きもスッキリしていた。
午後から自分の作業用のスケジュールにしていたので、午前中はのんびりしようかなと思っていたが、まだ雨も降りそうにもなかったので散歩がてら家を出た。
三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2024/08/30/金 27:00-29:00
土曜日の午前中の散歩はいつも『三四郎のオールナイトニッポン0』にしている。スペシャルウイークということでゲストにカミナリのたくみ&U字工事の益子が登場。師走恒例でゲストにやってくるなかやまきんに君回みたいな珍味ぽさが多少感じたが、おもしろかった。後半になっていくにつれてバカバカしくもなってきてドライブがどんどんかかっているみたいな、来週にはほとんど内容は忘れてるけどおもしろかったなあと余韻だけが残る三四郎のラジオらしい放送になっていた。
代官山蔦屋書店でこれという新刊も特になく、店内をうろうろしてから帰り際にスーパーでお昼ご飯を買って帰る。傘を念のため持って行ったが一度も開かなかった。
twililight(トワイライライト・三軒茶屋)開放的な店内に芸術から文化人類学まで5500冊
トワイライライを取材した記事がタイムラインに上がっていた。店主の熊谷くんは同学年で年齢は変わらないが、最近金髪にした。ちょっといいなと思ったり。今は来年の一月末まで喪に服すのもあってヘアドネーションするために伸ばしているので、切ったら一回ぐらい変な色にでも染めようかな、たぶん家系的にはハゲないだろうけど、髪の毛の量は減って行っているしそういうことをするのも今のうちかも。でも、芸能人が金髪にしているのは白髪染めだとわりと毎週とかしないと目立つけど、金髪だとそれが月に一回とかもう少し期間に余裕ができるからって話をしていたから、年取ったほうが金髪にするほうが楽なのかも。
お昼過ぎに昨日の舞台のことなんかの日記部分を書いてから、セブンにレブンのアイスコーヒーを飲みながらタバコを吸って一服。雨は降っていなかったが、玄関を開けてタバコを吸っても寒くもなく暑くもない気温だった。季節の変わり目ごとに体調を崩すので、この後の気温次第では、と思ってしまうので気をつけないといけない。
夜は昨日話をした時にもらったアイデアを書き込んでプロットみたいな簡単なあらすじを修正したり、書けるところはとりあえず進めた。明日から9月に突入、今年もあと四ヶ月、つまり後厄が終わるまで四ヶ月長いような短いような。
今回はこの曲でおわかれです。
Oasis - I Hope, I Think, I Know (Official Video)