Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年10月1日〜2024年10月15日)

9月下旬の日記(2024年9月16日から9月30日分)


10月1日
一昨日ぐらいから少しだけ右肩がだるく感じていたのが少し広がっているような気がする。喉の痛みや咳は出ていないけど、これは風邪の引き始めなのか、コロナウイルス的なものなのかわからない。
10月1日日付が変わってからこの日記の9月上旬をアップして、noteの半年前の日記をアップした。


元々仕事をする日ではなかったけど、夕方に会社の自分が所属しているセクションのキックオフ的なものがあるらしく、リモートしてお昼過ぎに向かうというスケジュールだった。

昨日のお昼に書店で買っておいたマーク・フィッシャー著/セバスチャン・ブロイ訳/河南瑠莉訳『K-PUNK アシッド・コミュニズム――思索・未来への路線図』の最初にある『資本主義リアリズム』刊行時のフィッシャーのインタビュー箇所だけを読む。
元々本国イギリスではこのブログに書いていたものを一冊に綴じた『K-PUNK』が出ていて、日本の翻訳版では三つに分けてリリースされていた。
一冊目の『K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ』は原著の第一部と第二部を、二冊目の『K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治』は第三部と第四部を、この三冊目は第五部と第六部と第七部を取り扱っている。
二冊目が一番分厚くて他の二冊を足した文量よりもあって太い。最後の『K-PUNK アシッド・コミュニズム――思索・未来への路線図』が一番薄いが書籍本体価格はほぼ他の二冊と変わらない。刷り数が減ってしまったのか、最後まで買う人はそこまで多くないのか、需要と供給のバランスだろうか、割高に感じられてしまうが仕方ない。

リモートワークを始めた。朝からradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴いて、TVer出川哲朗さんがゲストな『あのちゃんねる』を楽しんでから、午前中は何をBGMにしようかと思っていたら、首筋が痛いというか怠い、全身の節々は痛くはないが、体を触ったら明らかに熱があった。
昼休憩の前に熱を測ったら37℃後半だった。三ヶ月前には初めてコロナに罹患して、二ヶ月前には高熱を出す風邪を引いた。正直そこまで違いはわからなかった。外に行くのを諦めて、とりあえず家にある栄養ゼリーなんかを摂取してから風邪薬を飲んで、休憩中だけ寝ることにした。
その後も熱はあまり下がらずに38℃を越えてたので、夕方からの出社は難しいと上司的なポジションの人に伝えて部屋の中でzoomでそのキックオフを見た。

仕事を18時に締めてから熱を測るとまだ38℃を越えていた。これはあかんなと思って、とりあえず横になっていた。
Spotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:麻生競馬場)、『あのと粗品の電電電話』と二週間に一回更新の『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』を寝ながら聴いていた。
直木賞候補にもなった麻生競馬場さんは「タワマン文学」と呼ばれるものの筆頭株と言えるような存在で名前は知っているが小説は読んだことがない。トークはちゃんとできていた。
慶應出身者の鼻のつく振る舞いは慶應出身者じゃないとリアルに書けないとご自身から話されていた。これは長年の謎なのだけど、僕も数人知り合いがいるが慶應大学を出ていわゆる名前が通っている大きな会社にいるエリートな彼らは、接してみたら実際にはいい人ではあるのだけど、どこか人を下に見ているという、舐めているというか、本人に自覚はないまま自分たち以外を以下省略な割合が他の大学出身者たちに比べても異様に高い気がする。他の大学、昔でいう六大学の中で慶應大学だけそこが突出している。
麻布競馬場さんは元々旧Twitter時代にツリー形式で小説を投稿して10万とかいいねが付いたことで作家デビューしたらしい。だから、やっぱり新しい作家さんの側の人なんだろうな。ただ、トークの中で家には両親の本がたくさんあってどれを読んでも良かったし、月に二冊は本なら買ってくれたと話しているので、発表自体が旧Twitterであったとしても幼少期から読書に慣れ親しんでいて、基礎教養的な部分は押さえているのだと思う。
結局のところ、生まれ育った家や環境における文化資本がのちに形になるということだろう。もし、彼の家が本がなくて買ってもらえていなかったら、いきなり旧Twitterで書こうとしても書けなかったはずだ。

薬を飲んでSpotifyを子守唄がてら流していると、自然と寝落ちする。起きたら熱を測る、を繰り返す。熱が39.9℃になった時はさすがに明日朝近所の内科クリニックに行くしかない、と諦めた。ただ、咳も出ていないし喉も痛くないし、節々が痛いということもなくて熱のみが出ている。可能性としてはコロナかインフルか風邪。7月の時みたいに検査してもらってどの症状なのか特定してないといけない。週末に遠出するつもりだから、その予定を辞めるかどうかの判断はその結果次第。

 

10月2日
7時前に起きて熱を測る。まだ38℃台なので下がっているとは言い難い。9時前に内科クリニックに行くことにして、その時間まで寝転んで朝のルーティンで読書の続き。
BGMがてらradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』と『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を途中まで聴く。
いつもの内科クリニックに行って、症状を伝える。コロナとインフルどちらも検査できるキットで、綿棒みたいなものを鼻の奥に突っ込んで粘膜を取って20分ぐらい待った。院長先生がやってきて、コロナでもインフルでもないと言われて、喉を見られる。大抵高熱が出るのは扁桃腺が腫れた時だった。ここには今の家に住んでからずっと通っているので、先生にも何度も診てもらっている。
症状に関しても、熱以外出ていないから解熱剤しか出せないね、と言われた。ただ、コロナやインフルでないなら、週末の予定は問題ない。とりあえず、夕方まで薬を飲んで大人しくしておくことにした。
お昼寝のお供として『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をradikoで。

星野源ANN」は本の話と新刊『いのちの車窓から2』について、僕も短い感想をnoteに数日前にアップした。反応がかなり良くて驚いた。


あのちゃんが着ているパジャマはgroup_inouでお馴染み「イルカのイルカくん」のもの。inou側から送られてきたらしいので、おそらくDJのimaiさんが送ったのだろう。これであのちゃんとgroup_inouがコラボとか、『あのちゃんの電電電波』に彼らがゲストになったりしたらどちらのファンでもある僕としては嬉しい。

この日は19時からアジアンカンフージェネレーションTour 2024「ファン感謝サーキット」のLIQUIDROOMのライブだった。狭いキャパだがありがたいことにチケットが取れていたので、いつもライブに行く友人Aと行く予定だった。
高熱が出てから最初に心配だったのはこれで、熱が下がるのかどうか(二時間近くライブ観てられるのか)とコロナやインフルだとうつす可能性もあるしライブハウスは密集地帯になるので行くこと自体がダメだから自粛するしかないということだった。
結局、16時前になっても38.8℃ぐらい熱があったので友人Aにラインした。無理して行ったことで迷惑かけるのは一番問題だし、今回は諦めるしかなかった。

その後は病院でもらった解熱剤を飲んで寝て、三時間ほど寝て起きてを繰り返した。汗はかなり出るが、熱がなかなか引かない。夜には39℃台に上がったりしていた。それでも咳も出ないし、喉も痛くないし、節々もさほど痛くない。謎すぎる。
友人Aからライブの状況と体調を気遣ってくれているラインが届いていた。アンコールでゴッチさんが一人で『ソラニン』を弾き語ってからのオアシス『ワンダーウォール』のカバーをやったらしい、ああ、めちゃくちゃ観たかったし聴きたかった。

 

10月3日
起きると体は熱っているというか熱くて、37℃台後半だった。ただ、ずっと寝ているせいで腰とか背中がちょっとずつ痛くなってきた感じがあった。
正直熱が出ていること以外は問題がない。ただ、原因もよくわからないし、外に出て急に倒れたりしたら迷惑もかけるし、何かが起きてからだとそれは良くないので基本的には部屋の中にいた。
横になってradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていた。高三の娘さんとの夜の散歩、今までに何度もラジオのトークで話されているが、こういうお父さんはあまり多くないのだろうし、聴いている同じように娘がいる父親からは羨ましがられているんじゃないかなと、未婚で子どももいない僕でも思う。
聴き終わる頃にリモートワーク開始。座っている方が気持ち楽。ただ熱はあるので集中力はずっと続かないから最低限やらないといけないことをして、ちょこちょこ休憩を取りつつ進める。
熱が出てから基本的にはSpotifyきしたかのポッドキャスト『バナナの天ぷら』をBGMにしている。僕よりは年齢が下の、見た目はおじさん度が高い二人のトークはもう慣れてしまって聴き心地がいい。昼休みはもう寝る。18時までなんとか粘る。
熱は38℃台に上がったりするが39℃台には行かなくなってきた。夜になってから体が前よりもだいぶ楽になったように感じた。37℃台前半になってきたので安心。
日曜日にお邪魔する友達のお母さんとメッセンジャーでやりとりをする。このままなら明日体調が落ち着けば問題ないだろう。行きの新幹線はネットで見てもまだ余裕だったが、帰りに乗る予定の新幹線が空席がなくなっていたので、一つ遅い便を慌ててネットで押さえた。
一ヶ月前ぐらいに駅周辺のホテルが軒並み空室なしになっていて、帰りの夕方前の新幹線が満席になっている(自由席がないため売り切れ)のはなんでだろう、と思ってお母さんに聞いたら「大曲の花火」というのがあってその影響がないかなって。なるほど、しかし、みんな花火とか好きだよね。

 

10月4日
7時前に起きてすぐに熱を測ると37℃前半で落ち着いてきたなと一安心。ただ、昨日夜ぐらいから頭痛はあったのだけど、顎下のリンパがあるところが両方張ってきたような、左側は触るとちょっと痛くもある。唾を飲み込むと喉に違和感がある、喉も腫れてきたような気がする。ようやくなんらかの症状が出てきたのではないかと思いつつ、とりあえずこんにゃくゼリー食べてから風邪薬を飲む。
朝のルーティンはしないで、radikoで『ハライチのターン!』を聴いて、『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』の半分過ぎた頃からリモートワーク開始。椅子に座って作業しているとまだ少し体が熱があるのはわかるけど、他の箇所はいつものとあまり変わりがないような気がする感覚。続けて『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を作業中に流していた。イベントのキャパ1000の箱が先行でほとんど無くなりそうらしく、ちゃんと銚子に乗る都築もいつも通りでらしくてよかった。あと年の離れた弟のエピソードもたまに出るけど、それもほんわかする。
午前中に週に一回のオンライン会議があったのでそこで話をしてわかった。声がかすれていた。やっぱり喉にきてるんだというのもわかったし、昨日に至っては人とほぼ話していないから声帯を使ってないからだろうなと悲しくなった。
お昼休みに渋谷駅に行ってネットで予約した6日の帰りの新幹線チケットを受け取って、明日の行きの分も購入。この体調なら行けるだろう。ただ異様に汗をかいた。気温はそこそこ高かったけど、体の熱を下げるためにいつもより汗が出る量が多くなっていたんだと思う。

帰ってからは『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を聴きながらリモート作業を再開。夕方過ぎに熱を測ってみたら38.0℃あった。これはまた夜ぶり返すの?っていうことが脳裏をよぎり、ネットで「熱が下がらない」を検索するとマイコプラズマ肺炎とか気管支炎とかの可能性も出てきて不安。
そもそも明日福島に行ってから秋田に行くのだが、どうしよう。しかも土日だから病院は空いていない、リモート作業を一旦中抜けさせてもらって徒歩数分のいつもの内科クリニックへ行くとすぐに検診してもらえた。喉を診ると赤く腫れてきているようで、先生も扁桃腺が腫れてきてるから、いつもみたいに抗生物質を出すのでそれを飲んだら治ると思いますと処方箋を出してくれた。
目の前の調剤薬局で処方箋を出して受け取るときに、前に抗生物質でアレルギー出たという話をされてましたねと聞かれた。ああ、ピロリ菌の除菌の時に薬疹が出て、原因がわからなかったやつだ。でも、抗生物質三つとも血液検査したけど、どれも陰性だったからその時の薬疹の原因はそれではないとわかっていたので、そのことを伝えて、三種類の血液検査の結果を画像保存しておいたのをみてもらって問題がないのを確認してもらった。こういう所ちゃんとしてくれて助かるなと思いつつ、先生も前に扁桃腺が腫れた時に出したやつだからって言っていたからたぶん問題はないんだけど、どちらにしろありがたい。
二日前に高熱が出ているのになぜ扁桃腺が腫れていなかったのかは謎だけど、その時に抗生物質出してもらってたらもう治ってたんじゃない?と思わなくもないのだけど、まずはこれで大丈夫なはず。
病院行って薬局で薬をもらって帰るまで30分ぐらいしかかからなかった。帰ってから作業の続きを。なんか来月ぐらいから辞める人とかの関係で仕事の量が変わりそうな感じになってきた。まあ、融通のきく仕事なのでそのくらいは大丈夫かなって思えるぐらいには前向きな気持ちになってきた。やっぱり心身ともに抵抗力つけないとダメだなって、たんぱく質を取らないとダメっぽいし、肉とか魚しっかり食べよう。
ライブに一緒に行く予定だった友人Aもランチ友達な友人Sからもラインもらったりして心配してもらっていて、申し訳なくもありありがたかった。独り者だと倒れたりすると発見された時には手遅れパターンが多いから、体調崩した時には誰かに伝えておくとか、SNSに書いておいたりするのは大事だな。

The BONEZ - Straight Up feat. Kj -【Official Music Video】



Dragon Ash - Straight Up feat. JESSE - 【Official Music Video】



【解説】Dragon Ashまさかの「公開処刑」アンサー! 「Straight Up feat. JESSE」に号泣! 


日曜日にTOHOシネマズ渋谷で『Cloud』観る前に白石和彌監督『十一人の賊軍』の予告編が流れた時に主題歌がDragon Ashでカッコいいなと思っていた。その曲がリリースされていて、前にリリースされたThe BONEZのものは聴いていたけど、対になるというか同じタイトルで相手のボーカルがfeat.で入ってそれぞれのバンドの曲調でミクスチャーロックをやっているのはおもしろいしカッコいいなって思った。 
公開処刑」の後もKjはちょこちょこラップぽいことは参加した曲とかでもやっていたけど、ここまで表立ってがっつりラップをやっているのも確かにかなり久しぶりだ。
解説動画もDragon AshのMV が出てあまり時間が経たないうちに出しているのに内容が充実していた。ここで話されていることだったけど、ロック冬の時代が来てラップの時代になって、と時代が変わっていったけど、今ミクスチャーロックがまたきてる感じなのかな。だとしたらその最前線でずっとやってきたKjとJESSEが組んだこの曲が新時代の始まりを告げるようにも思えてくる。

金曜日の夜はSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』更新日。明日の準備をしながら流していた。もう四年目に突入らしい。夏に一気に初回から配信最新回まで追いついてリアルタイムで聴くようになったけど、それと同じようなことをきしたかのポッドキャストでやろうとしている。彼らは僕よりは年齢は少し下だけどおじさんといえばおじさん。
フワちゃんが消されてしまってからは僕がラジオやポッドキャストで聴いているパーソナリティーで女性はあのちゃんだけになっている。芸人さんが多いから割合的にも男性が多くはなるだろうけど、自分に合う合わないとか、聴いているけど聴き逃せるみたいなものが男性の方が多いのか、この辺りは年齢で変わったりするのだろうか。

わたしは目を閉じて波の音に耳を傾けた。海の中には無数の魚たちがいて、お互いを食べ合っている。飲み込んでは排泄する果てしない数の口と尻の穴。この世は全て穴に尽きる。食べて排泄して性交するだけだ。

チャールズ・ブコウスキー著『くそったれ! 少年時代』P238より

寝る前に読書をした。その中の一節、ブコウスキーらしすぎてメモしてしまった。

 

10月5日
7時過ぎに目覚ましで起きる。体温計で熱を測ると37.2℃と下がっている。昨日もらった抗生物質扁桃腺の腫れなどを抑える薬が効いているみたいで一安心。寝る前に今日福島と秋田へ行く準備はたいてい終わっていたのでradikoで『きしたかののブタピエロ』を聴きながらスマホを寝転んだまま見ていた。

『ジョーカー』をTOHOシネマズ渋谷で鑑賞。満席だった。しかし、この映画をポップコーン食いながら観てるやつの気が知れない。
コメディアンになりたかった道化師(ピエロ)のアーサーがジョーカーになっていく様を観ながら、何度も泣けてきた。
関係ないけどNetflixで見てるドラマ『アトランタ』出演者が二人出ていて嬉しかった。
アーサーと自分の小説をパクられたと京アニを燃やし、殺戮をした青葉が重なる。彼が小説家志望だったのか、原作者になりたかったのかは知らないが、彼は物語を作ろうとしたがなれなかった。
宮崎勤にしろ、少年Aにしろ彼らの部屋には書きかけの、終わらすことができなかった小説があったと言われている。
僕が今、週三でスタッフをやってる「monokaki」はエブリスタのオウンドメディアだ。エブリスタにしろ、カクヨムにしろ、なろうにしろ、小説を簡単に書ける小説投稿サイトのプラットフォームだ。
小説を、文章を書くことはセラピーになる。しかし、一部の人間には被害妄想などの精神的なダメージを与え、最悪な場合は深刻なことになる。しかも、小説を書くプラットフォームは読者(ユーザー、ユーザーとかコンテンツと言い出した時に出版業界界隈は大事なものを失ったと思う)から直接反応がある。普通に精神がタフでないとそもそも耐えきれない。
表現なんて恥ずかしいものを人に晒す、自意識と自己顕示欲が否定される、その時、アーサーのように大事なものがどんどん崩壊していく。コンテストで賞を取ったり、編集者から声をかけられてデビューできるような人間は文章も書けるし、比較的精神がタフだ。そうじゃない人は負のスパイラルに陥る。まあ、デビューしてから病む人ももちろんいるが。
負のスパイラルに入った人たちは作品をパクられた、誰々さんにSNSで誹謗中傷を受けているなどの被害妄想がますます増して精神が壊れていく。実際に作品がパクられたり誹謗中傷をされている人もいるからさらに複雑に問題が入り交じり多層化してしまう。
小説投稿サイトというプラットフォームは大塚英志的に言えば、アガルタの門を開いたという感じだろうか。門を開いて神≒悪魔に願いを叶えてもらえば、同じぐらいの罪を背負うことになる。例えば、転生し七回愛するものを自らの手で殺めるという罪を。
ジョーカーとなったアーサーはゴッサムシティにカオスを解き放つ。
ただ、暴力がそこにはある。
貧しいものたちが富むものたちから奪う。残念ながら今の世界とリンクしている、いやしてしまっている。そして、わかっていたけど見ないようにしていた青葉の問題は僕らではなく、僕の問題に直結してしまう。その感覚。
僕は運がいいというだけでダークサイドに落ちていない、という認識がずっとある。出版関係の知り合いが増えれば増えるほどに、ほとんど高学歴で名前の通るいわゆる一流な出版社とか大手企業な人たちの知り合いが増えていく。僕に大概優しいのは、本来的な資質なのか、余裕があるからなのか、自分が舐められてるだけなのか。
ただ、そこにたいしてさほど怒りもなく憤りもないのは、壊れてしまうほどにはたぶん落ちていないから。ただ、たまに思うのは精神的にタフすぎるのか、そもそも最初から壊れている可能性も頭をよぎる。
アル中みたいなもんで、体が丈夫じゃないとアル中になる前に人は死ぬように、壊れていても体が丈夫すぎれば気づかないままかもしれない。
ジョーカーから青葉を見いだした以上は、このジョーカーみたいにダークサイドに堕ちて尚且つ時代性ともリンクしても、ほとんどの人には共感されることもない彼に向かい合えってことだろうか。
SNSをずっとしていると酩酊状態になっているから、みんなアル中だ、まともな判断も議論もできるわけもないのに、とこの頃思う。

Facebookの過去の思い出で2019年10月5日に『ジョーカー』を観た時のことが出てきた。もうすぐ公開の続編『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』はもちろん劇場で観るつもりだけど、公開が始まっている海外では酷評だったり賛否両論みたいな感じになっているらしい。前作でジョーカーに感情移入した人が歓迎しない形になっている、っぽい。それはたぶん作品としては正しいような予感しかないのだけど。

熱はさほど高い状態でもなく、あとは何ら問題がない感じなので今日明日で東北へ行って帰ってこれるだろうなと思った。昨日38℃越えてる時点で渋谷まで歩いて行って帰ったし、節々痛いとかそういうこともあったら体を動かすのはしんどいけど、熱だけなら汗がどんどん出るぐらいなので水分取ってればいけるし、今年の酷暑みたいな暴力的な気温でもないのでそこで体力を奪われることもない。
10時30分に渋谷駅を出て大宮駅に着いてから、11時25分の東北新幹線に乗って12時17分に郡山着という切符を買っていた。でも、電車が事故とかで遅延したりするかもしれないので大宮に11時前には着いておきたいなと思っていた。
こういう時は間に合わない時刻になるよりは早く着いて待っていたい、余裕を持っておくことが大事、という考えなので10時前に家を出ればよかったけど、9時半にradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら早めに渋谷へ向かって歩き出した。携帯番号に「060」が追加されるというニュースから小宮さんがトークを開始。僕とか40代以上の人間が若い頃からずっと携帯番号をかけていないと「090」を使っていて、その下が「080」になっている。だから、「090」だと40代以上のおじさんおばさんと言われるみたいなニュースも見ていたが、そもそも若者と番号交換しなくないか? LINEとかなら番号知らなくても登録できるし、仕事で名刺渡すことがあっても相手が帰って登録しようと思った時にあの人「090」世代なんだって思う前にたぶん話してる時もわかるんじゃないかなって思いながら聴いていた。
荷物は背中のバックパックと方がけの財布だけ入れているタバコいれサイズのポシェットだけ。ただ、一応MacBook Airは持っていくことにしたので重さのほとんどはそれ。
渋谷に着いたので湘南新宿ラインで大宮へ、早く着いたからこれは一本早く郡山に行けるかもなって思って新幹線乗り場のスタッフさんに聞いたら、僕が乗る予定の前の便は全席売り切れで空席なしになっていた。自由席がないので自分の買った切符の時間までのんびりと待つことにした。と言っても30分ぐらいなので、トイレとか軽く食べたりと問題なく過ごした。

大宮駅から郡山駅までは50分ほどなので郡山に行くのはそこまで距離を感じない。東日本大震災以降に郡山には年に一回とは言えないけど、七、八回は足を運んでいる。もちろん行く理由や目的があるからだが、この距離の近さも大事だったんだなと改めて思う。
実家が岡山県広島県の県境近くにあり、新幹線で帰る時には広島県福山駅で降りて少し岡山方面に戻る感じになる。新幹線で品川から三時間半ぐらい、駅から実家まで車で30分ぐらい、つまり四時間以上かかる。やっぱりこういう時間っていうのはデカい。三四郎は広島でレギュラー番組をやっているが、広島が一番遠いと言っている。
広島空港から広島市までが遠いから、新幹線になるがそうすると東京から四時間近くかかる。僕の家もそうだが、岡山空港まで東京から一時間程度で帰れてもそこから車で二、三時間かかる。広島空港も岡山空港もその近くならいいけど目的地次第ではかなり使い勝手が悪い。
日本中で営業で行っている三四郎が他の地域なら飛行機で行ってもそこから大きな都市(県庁所在地など)があったりする場所が近いこともあって、広島がどういう行き方にしろ一番遠くにあると感じると話しているのをそうだろうなと思いながら聴いている。

12時20分前に郡山駅に着いた。13時半から講義が始まる予定だったが、駅から講演会があるけんしん郡山文化センターまで歩いて20分ぐらい。のんびりご飯を食べてるわけにもいかないし、向かっておいて着いてからそのことを考えることにした。
もうすぐ着くかなって頃に小雨が降り始めた。文化センターの手前にセブンイレブンがあったので、腹ごしらえした方がいいかなって思ったけど、お腹いっぱいだと話を聞いている時に眠くなるかもしれないけど、インゼリーと栄養ドリンクを買った。とりあえず、昼ごはんということにして持ってきた薬を飲もうとして愕然とした。今日の昼以降から三食分の合わせて五回飲むように二種類を持ってきたと思っていたら、一種類だけだった。それぞれ五個ずつに分けたのに、なぜか片方をおいてきて、もう片方を二倍もってきていた。飲んでたら家に帰る頃には完全に体調が治っていると思っていたのに、夜の抗生物質まではとりあえず、一種類を飲むしかない。

けんしん郡山文化センター の五階にある集会室に13時過ぎには入って着席した。かなり広い部屋で二百人ぐらいは入る広さで、この日はどのくらいなんだろう百人以上の人が参加するほど盛況だった。
終わる予定が15時だった。僕が秋田に行くために東北新幹線郡山駅から仙台駅に向かう新幹線の発車時刻が15時58分だった。終わったらできるだけ早くここを出て駅に向かわないといけない。20分ぐらいは見ないといけないのでどれだけ遅くなっても15時30分に出ないと乗れない。
ダメ元で始まる前に古川さんにご挨拶できないかなと思ったけど、始まるまで集中しないといけない時だったので無理だった。それはそうだ、いや、こちらの都合で無理なことをスタッフさんにもお願いしてしまった。申し訳ない、なんかすごく恥ずかしい。古川さんの準備の邪魔をしてしまった。こういう時に自分本位になってものを考えてしまうのは僕の悪い癖というかところだ。こういう部分は僕がある程度関係性ができたり、やりとりをするようになった人への甘えみたいなもので、今までも似たようなことをやってきてしまったし、そのことで信頼を失ってきたことも僕の知らないところでたぶんあった。始まるまでそのことを考えていた。
会場に古川さん夫妻のお知り合いでイベントでよくお会いする方がいらしたので、ご挨拶して同じ長机に座った。三人座りで真ん中が空けられていて二人座る感じになっていた。開始するまでお話をさせてもらって、ちょっとリラックスできた。ありがたい。
〈令和6年度 第76回郡山市民文化祭参加行事〉〈郡山市制施行100周年記念事業〉〈郡山市フロンティア大使就任記念〉文学講演会「郡山を文学史に残せるか[基礎編]」という色々とおめでたいことがいくつか重なった中での古川日出男さんの講演会だった。

話は古川さんのお家のことから。家業の椎茸農家であることや少し年上の兄や姉が存在が大きかったことを話されていた。お姉さんが図書館から借りて帰ってきた本を読み始めたら最後まで面白くて一度も読むのをやめずに読み切ってしまった経験、物語の世界に入って帰ってくるという体験とほんの面白さを知ったこと、高校を出て家業を継いだ兄は映画好きで車が運転できた兄に連れられて小学生だった日出男少年は一緒に映画を観に行っていた。毎週のようにそこで名画座みたいなところで二本立てとかたくさんの映画を観せてもらったこと、兄と姉がいなければ古川さんの作家としての骨格や軸みたいな部分はできていなかったのだろうとわかる内容だった。
高校生になって演劇部に入って戯曲を読み漁って自分で作・演出をするようになり、一緒にできそうな友達をスカウトして県大会で勝てるような作品を作ったこと、その時の仲間や後輩が今も繋がっていて、『ただようまなびや』開催の時に手伝ってくれたこと。その時演劇に誘った友達も高校を卒業後に古川さん同様に上京してきて、ある日手紙が届いた。
「日出男はボルヘスを読むといいよ」と書かれていた。それが彼の最後の言葉になってしまう、彼はその手紙が届いた後に事故で亡くなってしまう。
残された言葉は遺言であり、古川さんはボルヘスを読むようになり、そしてラテンアメリカ文学と呼ばれる多くの南米出身の小説家たちの作品とも出会うようになっていき、それが自身の小説家になるもう一つのルールに原点になっていく。
話はそこでガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』のことに展開していく。僕は聴きながらちょっとワクワクしていた。古川さんの『百年の孤独』論とも言える話も聞けているなと思って。
今という時代のその価値観だけで物事を見てしまうと何がダメなのか? という話も出てくる。二宮金次郎二宮尊徳)像を久しぶりに見たときに、書物を読みながら歩いているのは現代だとスマホ歩きとも言えなくないか、と思って他にも同じように思った人がいるのかと調べてみるといたりする、だが、その人たちは歩きスマホを推奨するようになるので二宮金次郎象は撤去した方がいいという極端な主張をしている人もいる。
でも、二宮金次郎が薪を背負ったまま書物を読んでいるのはその当時の貧しい家の子供は労働力であり、学校に通えなかったからであり、彼はそうやって勉強しながらやがて立身出世していったという、その姿勢を見習えということで像が学校などに建てられているので、歩きスマホに似ているが内実はまるで違う。こういうことも話しながら目の前にあることや物をその時の常識や考えで見ない、「時間の流れの中で見る」ことが大事だと。
百年の孤独』は史実を取り入れながらもマコンドという架空の町の栄枯盛衰を描いている。何年も振り続ける雨の描写、そんなことは起きないけど、ここでは起きていると思わせる場所、神話みたいに思える。マコンドが郡山に、舞台を生まれ故郷にはして神話を書くことはできるのか、という作家としての問い。代表作は30歳の頃に書いたものをあげられている。自分の故郷を舞台にした小説を書きたいし、まだまだ代表作と呼ばれることになる小説を書くつもり、今回はその「基礎編」としての話。
古川さんが郡山を舞台にした二篇の掌編作品がプリントされた用紙が参加者が座った席には置かれていた。侍が刀を持つことを禁止された時を舞台にしたもの、高倉健主演映画の舞台が郡山だった時を舞台にしたもの、前者は明治維新後の世界の混乱でもあるし、あの頃の日本列島にあった様々な藩の人たちは方言がそれぞれ強くて一緒にいても話ができない、結局話にならなくて刀を抜くしかなかった可能性はあったのではないか、だからこそ識字率は高く読み書きでのやりとりは大事だったのかもと言われていて、なるほどなと納得。
後者はファニーなちょっと笑える設定ではあるものの、「東北のシカゴ」と呼ばれるほど治安の悪かった郡山と「東北のウィーン」というようになった現在の落差のことでもあった。若い人なら「東北のシカゴ」と呼ばれていたことは知らない、でも「東北のウィーン」だったり音楽が盛んだということは知っているかもしれない。そうなると昔の歴史の上に成り立っている、イメージを変えなくてならないという動きや運動があった、そういう長い歴史で物事をみると味わいも変わるし、街の見え方もグラデーションする。
基本的には講演会なので、古川さんは物腰柔らかで時には笑いを誘うような言い方だったり、ネタというか郡山の人ならわかるような話をしていた。いろんなところでしっかり自分の考え方やテーマについて話すことがあって、やっぱり場の空気を捕まえている感じがするし、そういううまさみたいなものはやっぱり舞台をやっていたことなんかが大きいのかなって思ったり。

周りの参加者の人たちは話に何度も頷いたり、メモを取っている姿も真剣だった。最後に『平家物語』現代語訳の平清盛が亡くなる時の描写を朗読。入道が最後に体が燃えるような熱で悶え苦しんでいる様、彼がそれまでの常識を破って新しいことに挑戦した革新者だったこと、その罰を受けるかのような壮絶なシーンが続く。
古川さんの朗読しているシーンが激しいのだけど、僕はかなりフラットに聞けた。もちろん朗読されている場面では入道がまさに地獄に落ちんとしている、恐ろしい場面だが、そこに怒気のようなものは声から感じられなかった。声の大きさによって勢いも感じるのだけど、講演会で年齢層が高い人が多く、地元ということもあるのかもしれないけど、時折感じられる「ヤバい、持っていかれる」という怖さみたいなものはなかった。わりと冷静に聴いていた。
古川さん自身がいつもよりもエンタメに寄せているというか、入道の最後がすごかったことがわかる朗読であり、彼の恨みつらみみたいな怨念みたいなものを吐き出すシーンではないから、というのもあったのかなあ。
朗読自体はやっぱりすごいし、いいものを聞かせてもらった。いつもと違うのはその部屋の広さだったり、客層とか講演会というスタイルも関係していて、彼岸や此岸の境界線に連れていくのではなく、ちゃんと聴いていて怖いかもドキドキする、入道最後こんなことになっていたのかと聴いている人に伝えるフォームだったと思う。

やっぱりお役所的イベントでもあるのでちゃんと15時に終了。書籍も販売していて購入者には古川さんがこの後サインをしますというアナウンスもされていた。サイン会に入っちゃうと挨拶無理だなって思っていた。
トイレに行って戻ってくると古川さんの奥さんがいらしたのでご挨拶したら、先ほど時間がなくてごめんって言われて時間ないなら今会うって控え室に連れていってくれた。いやあ、ありがたいし嬉しい。すぐに控え室にいた古川さんに挨拶をして今回の感想とこれから秋田に行くことと、『群像』最新号に掲載されるノンフィクション『四年後に歩く』を読むの楽しみにしていることをお伝えできてよかった。
そのまま荷物を持って、一階へ降りて郡山駅に向かう。15時30分前には仙台行きの新幹線乗り場に着いた。これであとは仙台まで行ったら秋田新幹線に乗り換えれば今日の目標は達成。


郡山駅から仙台駅までは40分ぐらい、秋田新幹線に乗り換える。仙台駅から終点である秋田駅までは二時間二十分ほどとわりとかかる。その時間のほとんどを持ってきていた中上健次著『地の果て 至上の時』を読んだ。かなり読み進めたと思ったけどまだまだ終わりが見えない。
古川さんの話を聞いてから中上の紀州サーガ三部作の三作目を読みながら秋田に行くというのは不思議だった。でも、とても読書に集中できた。


秋田駅には19時10分ぐらいに到着。予約していたホテルは駅から歩いて18分ぐらいとマップアプリに出ていたのでそれに頼ってドーミーイン秋田へ。着く前に何か食べようかと思ったけど、居酒屋さんが多いし、最悪コンビニで何か夜食買おうかなって思った。とりあえず荷物置いて楽になりたい一心でホテルへ。
チェックインして部屋に。ドーミーインだから夜鳴きそば食べるなってどこかで思っていたけど、21時30分からだった。うーむ、まだ20時にもなっていないし、食べたいけどそうすると待つ時間わりとある。
飲み物なんかを買いに駅方面のコンビニに行って帰ってきてから、せっかく天然温泉大浴場もあるし、ひとっ風呂浴びてくるかと11階へ。
新幹線にずっと乗っていたのもあって背中がガチガチだったりしたから、温泉が気持ちいし入ってよかったあ、といい気持ち。でも、入った時はいいんだけど出た後にその日の疲労が可視化っていうか体がわかるあの感じ、今日めっちゃ疲れてるなって大浴場から部屋に戻って寝転んだら感じてしまった。
持ってきていたMacBook Airwi-fiに繋いでTVerで『夜明けのラヴィット!』を見ていたら21時半前になったので一階のフロントを通り過ぎてレストランへ。

ドーミーイン名物の夜鳴きそばをいただく。そばって言ってるけどラーメンですね、醤油ラーメンかな、ちぢれ麺も美味しかったしスープも全部飲んでしまった。
これだけでは足りないなと思っていたので、コンビニでおにぎりを買っていたので部屋に戻ってそれを食べてから抗生物質と二つのうちの一種類の薬を飲んだ。
今日聴いていなかった『バナナマンバナナムーンGOLD』をradikoでかけて聴いていたら寝落ちした。

 

10月6日
6時にセットした目覚ましで起きる。15分から朝食が始まるのに合わせていた。一階のレストランに降りてバイキング形式の朝食を取った。いぶりがっこクリームチーズを添えた小鉢とか秋田っぽいものも取ったが、基本的には焼き魚にウインナーに鮭の炊き込みご飯ときのこが多い味噌汁みたいな普通なものに。
チェックアウトは11時だが、10時には駅の東口で友達のお父さんの車に拾ってもらうことになっていたので、部屋に戻ってからradikoで『永野のオールナイトニッポン0』を聴きながらチェックアウトの準備を始める。永野さんが「ANN0」登場した放送は途中、カミナリのたくみに電話を繋いだりしながら、永野さんらしい発言でYouTubeでの無双とはまた違うトークでしっかり楽しませてくれた。


待ち合わせの秋田駅東口にギリギリに着くのは自分的には嫌なので、9時前にチェックアウトして駅に向かう。
駅前のロータリーみたいなところでのんびり待っていたら、お父さんから電話がかかってきて、ホテルのロビーにいますとのこと、連絡の行き違いか、東口に来ていますとお伝えしたら引き返してくださることになった。
すぐに車が到着して、3月頭に形見分けを引き取りに亡くなった友達が住んでいた蔵前のマンションでお会いして以来ぶりにお父さんとお会いした。助手席に座ってお父さんが運転する車で秋田駅から実家へ。
秋田駅周辺はさすが県庁所在地のあるところの駅だから開発も進んでいたし、大きな駅だなって思った。離れていくと自然が多くなるし、うちの実家もそうだし、全国のロードサイドにあるようなチェーン系の大型店が並んでいるのでどこか既視感がある。日本中の国道沿いにある風景というのはそこまで大きくは変わらない。かつてファスト風土化(評論家の三浦展が導入した概念。 地方の郊外化の波によって日本の風景が均一化し、地域の独自性が失われていくことを、その象徴であるファストフードに喩えて呼んだ。)と呼ばれた景色。

車で20分ほど移動した場所にある実家について、お母さんとも3月以来ぶりにお会いすることができた。一階のリビングのテーブルに三人で座って話をした。仏壇に友達の写真があり、彼女の部屋にあったクローゼットというか棚がそのまま持ってこられていて、あの部屋の一部がそこに移設されていて、お母さんが飾りつけをされていたのでかわいかった。
お二人とも元気そうなのが何よりだった。友達のことを話しながら、どこか客観的にというかこの状況が不思議だなって思っている自分もいた。友達の実家に来ているのに本人はいない、今年2月に初めて会ったご両親と一緒に話をしている。
一月末に亡くなったことを知らせてもらった時にも思いもしなかった光景がある、というかそこにいる。蔵前のマンションを退去する時にも彼女の喉仏の骨は持ってこられていたけど、実家の仏壇にもあって、見せてもあったし触った。前みたいに涙は出ないけど、なんだかそうすることで亡くなっていることを僕自身が再確認しているようなところもあった。お父さんお母さんも骨の一部はお家にあるので、樹木葬をして他の骨は納骨しているけど、近くにいると感じやすいんじゃないかなって。
お昼はきりたんぽを出してもらって三人で一緒に食べた。初めてのきりたんぽを友達の実家で食べることになるとは思いもしなかった。お米から作ってるから、お茶碗ないというかお米はいらないんだって理解した。具沢山で鶏肉も美味しかった。おかわりもいただいた。
車に乗って三人で彼女が樹木葬で埋葬されている場所へ向かう。どんどん山道になっていく。「熊注意」の看板もあって、出るらしい。杉がたくさんあって、秋田杉というみたいで高くそびえている木の形、上方の尖り方みたいなものは今まで見たことないものだった。
途中トイレ休憩がてら道の駅に寄ったり、お供えする花を買ったりしながらドライブ。お母さんが一度、乗る前に発進してお父さんと友達が話し続けていてお母さんがいないことに気づくまで時間がかかった話をお母さんが楽しそうに思い出して話してくれた。
思い出というのは場所と紐づいていく、いつか形が変わってしまってもその場所に来るとその時誰とそこにいたとか、どんな話をしたとか音楽を聞いていたとか、思い出す。


夏が終わって秋に近づいているのでまだ樹齢が若い桜の木は大丈夫かと思うぐらいに葉もなかったけど、これから時間をかけて幹も太くなっていくのだろう。友達の骨が納骨されているところのプレートに水をかけて手を合わせた。お父さんとお母さんは買ってきた花をキレイにお供えしていた。
お二人は八月に納骨して以来ぶりだったみたいだけど、三人で一緒に来れてよかった。確かにここに来るまでの山道は雪が降れば除雪車で除雪はしてくれるかもしれないけど、その道から脇に入るようなこの墓地に入るところまでは除雪はしてくれないだろうから車で来るのは難しくなるだろうし、そもそもこの辺りも雪で埋まってしまうだろうからどこに彼女の名前のプレートがあるのか見つけるのも難しそうだ。

お参りしてから車で角館の武家屋敷通りに連れて行ってもらう。新幹線の時刻までそこを散策した。武家屋敷の石黒家や角館樺細工伝承館などにも三人で鑑賞しに入る。この辺りはいまだに武家屋敷が保存保管されていて、春先になるとしだれ桜が咲き誇って観光客がかなり来る場所らしい。歩いている人の中には海外からの観光客らしい人もかなりの割合でいた。
展示品なんかをそれぞれのペースで進んで見ていく。一人だったら入らないかも知れなかったところに足を踏み入れる。そこにある昔から残っているものの気配とか時間や歴史みたいなものがある。人間は生きても百年だけど、物もやがては朽ちていくとしてもそのぐらいの時間は大切に扱って大事にしていれば形は残る。
昨日の古川さんの講演会での神話と歴史、長い時間で物事を見るということはそういう物たちを見ると感覚としてよりわかってくる気がする。たかだか百年の人生で今目の前にある事柄や状況だけで物事を見ているとその常識や当たり前は数十年後には真逆の意味や否定されるものになるかもしれない。その時間の尺度を感じて知っておくこと、それを考えるときに基準というか物差しにしていないと、今だけの価値観で過去のことを否定しまうこともあるし、形あるものを破壊してしまったりする。そうなってしまうと元には戻らない。
未来の世界から見たらどう見えるのだろうか、今の視座で物事を考えないと何も建設的には進まない。当たり前だけど言葉を扱うこと、歴史を正しく知ることができないと過去に起きたことの背景や理由、そしてそれがどう現在につながっているかわからない。その上で何を残していくのか、残さないといけないことなのか、お金はあらゆる頃にかかるが価値がないと政治や自治体が決めてしまえばいいものではない。
人々の生活に中にあった風習や使ってきた道具だって、かつての資料もなければ聞き取りもしていない地域のものは残っていない、道具も同じように消えた物も多い。そういう生活から始まるもの、文化財だって同じように今の基準からしたら不適切だと一方的に処分したりするのは間違っている。かつて間違っていることを行っているなら、そのことは残さないとなぜそんなことをしたのか、それが起きて何が変わってしまったのか、みたいなことを考えることができなくなるとまた同じようなことを繰り返すし、空白が生まれると人々は都合のいい物語を埋め込んでしまう。

16時前に角館駅に車で送ってもらう。また、お二人が東京に遊びに来られるときにご飯をすることになったので楽しみ。なんだかんだ薬も効いていて扁桃腺が少し腫れているようには感じるが他は問題なくなっていた。
少し遅れて16時30分ぐらいに到着した新幹線に乗車して大宮駅まで二時間半ほどの道のり。朝聴いていた『永野のオールナイトニッポン0』を聴いて、途中からSpotifyの岸たかのポッドキャスト『バナナの天ぷら』の続きを聴いていた。座っているうちに寝るかなって思ったけど、眠気は来なかった。
大宮駅に着いてから埼京線に乗って渋谷駅まで40分ぐらい。20時ぐらいに渋谷駅に着いたのでそのまま電車で最寄り駅まで乗ろうかと思ったけど、日曜日の雑多な人混みで溢れる渋谷を歩いて帰るのもいいなって思って改札を出てスクランブル交差点を渡って道玄坂を上って家の方に歩き出す。
日曜夜だけど人が多いし、旅行者も多いし浮かれ取りますなあって思いつつ、繁華街というか人が集まるところは色々と嫌なこともあるし、邪魔くさいしうるさいけど、人間が生きている感じが濃厚で、嫌いではない。
途中でスーパーに寄ったりしていたら家に帰ったら21時過ぎだったけど、計画通りには行って帰って来れた。洗濯機を回したりシャワーを浴びたりして、我が家だなって、この狭い部屋が東京の僕の居場所だ。

Pubis Angelical(「天使乃恥部」) 

菊地:基本的な世界観はずっと同じです。最新アルバム(『天使乃恥部』)のタイトルにはマニエル・プイグの小説(『天使の恥部』)のイメージ的な癒着がありますが、それは『南米のエリザベス・テイラー』からすでにはじまっていました。ペペ・トルメント・アスカラール名義のアルバムは、『野生の思考』(2006年)、『記憶喪失学』(2008年)、『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』(2009年)、『戦前と戦後』(2014年)、という流れの中、生演奏のデトロイト・テクノ、奇数拍子のサルサ、戦前歌謡のリモデル、等々、ボキャブラリーは拡張してきましたが、詰まるところ、映画と文学と音楽が夢というフィールドで液状化する、というのがこのバンドのブランディングであり、それは今も揺るぎなく続いています。

 話が少しズレるかもしれませんが、この9月に久々にX(旧Twitter)をやったんですよ。ドワンゴのブロマガをやっていたんですが、サイバー攻撃で出せなくなってしまい、その間、久しぶりにXでもやってみるかと。そのときも当然のように「今の若い人は長文は読みません」「短文のブロックをいくつも作ったほうがいい」「それが若者に対するマーケティングです」みたいなことを言われましたが、やってみたら長ければ長いほど閲覧数平均が上がりました。すべてにおいてそうなんですが、僕がやることに追随する人が大勢出てきて時代が変わる、みたいなことは起きなくて、「俺は好きにやるけどね」というだけなんですよ。何が言いたいかというと、徹底的な個人主義こそが集団主義を活性化させるということ、あと、クリシェは存在するが、絶対ではないということ。

菊地成孔「徹底した個人主義こそが集団主義を活性化させる」 AI・サブスク時代に根付いた“クリシェ”への姿勢

寝転んでスマホを見ていたら菊地さんのインタビューがアップされていた。ニューアルバムのレコ発的な菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのライブというか、コンサートは今月末にあるので非常に楽しみ。アジカンのライブに行けなかったのが悔しすぎたし、今予定されているライブには全部行く、そのために健康でいないと行けない。

 

10月7日
6時過ぎに目が覚めてトイレに行ってベッドに戻ってから、今日のスケジュールを見る。朝のライティングを予定に入れていたが、正直体が疲れているのでまだ寝たい。その欲望に負けて8時に目覚ましをセットし直して寝る。
起きてから朝のルーティンは吹っ飛ばして、リモートワークを始業時間から開始、ポッドキャスト番組『バナナの天ぷら』をBGMがてら流しながら作業を。
二時間ほどしてから飽きてきたので、TVerで『オールスター後夜祭』をもう一度流したりした。この番組は毎回見ているけど、今回は冒頭から「フワちゃん」の名前が出ていたり、やす子が「フワちゃん見てる〜!」と叫ぶなど、芸人さんたちらしい部分と演出をやっている藤井健太郎さんらしさがあった。そもそもこれらの行為を不謹慎だとか言ってるような奴は、そういうお前らが消したのがフワちゃんであり、彼ら芸人がフワちゃんをいなかったことにしたのではなく、世論というか一部のバカなSNSユーザーの声と炎上したことでスポンサーの顔を見るテレビでは使えなくなっていき、結局芸能活動ができなくなってしまった。


昼休憩の時に駅前に出て、蔦屋書店で古川日出男さんノンフィクション『四年後に歩く』を読みたくて『群像』11月号とチャールズ・ブコウスキー著『詩人と女たち』新装版の河出文庫を買う。
ノンフィクション『四年後に歩く』は古川さんの単行本である『ゼロエフ』の装幀デザインと通じる表紙になっていた。2020年夏には歩いて入ることのできなかった帰還困難区域を古川さんが単独で歩いた記録。郡山でご挨拶した際にこれを読むのを楽しみにしてますとお伝えしたので、ゆっくりとじっくり読もうと思う。


上が旧版、下が新装版のチャールズ・ブコウスキー著/中川五郎訳『詩人と女たち』の装丁デザイン。


河出文庫で新装版が出た四冊(『くそったれ! 少年時代』『勝手に生きろ!』『詩人と女たち』『死をポケットに入れて』)を並べると少年から老人までの巻き物みたいに繋がっている。『死をポケットに入れて』と『くそったれ! 少年時代』も繋がるので円環の輪になる。
ブコウスキーは死んだけど、詩と小説は今でも読まれ続けている。これは本当にすごいことだ。ただ、亡くなる時が1990年代ぐらいだから、ここで書かれているブコウスキー自身に起きたであろう出来事が尾びれ背びれついているとしても現代の時代では女性蔑視とか差別的だとか、常識的にはアウトになっているものが多いのは事実。
アウトローブコウスキー男のロマンを感じていた上の世代の人たちも多いだろうが、かつてそんな時代があったというのノスタルジーとして楽しむしかない、彼や彼の作品は時代的にアウトだからという理由で否定されることはないし、残ったものはちゃんと今にだって届くものが、響いて誰かを突き動かすような力に満ちている。

リモートが終わってから、Spotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』最新回を聴きながら、郡山と秋田に行って帰ってきた日の日記を書くことにした。向こうに行っている間は一文字も書かなかったから。「ライカタ」は前回の下駄を売りに行く話の後編、フリマで売る話の続きだったが、オチが酒井さんらしいなっていうものだったのでほっこりした。
5日と6日の日記は思ったよりも長くなったので、今日は自作のライティングは諦めて寝ることにした。

 

10月8日
朝起きてから読書とかの朝のルーティンもしようという気にならず、土日の疲れが昨日でまだ回復していないので午前中はだらだら。radikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴いたり、出川哲朗さんがゲスト後半回の『あのちゃんねる』を見たりしていた。
あのちゃんがテレビ出始めの頃に出川さんは共演していて、正直クスリやってると思っていた。イジるとヤバいからできるだけ刺激しないようにしていたと懐かしみながら、現在のあのちゃんの状況を成長したなと言っていた。
同時に会った頃から天才だという言い方をしていて、リアクションとかの反応もいわゆるリアクション芸人がするものとはまったく違う行動なんかを絶賛していた。見ながらあのちゃんってある種のトリックスター的な資質がある人なんだろうな、素戔嗚的な。


トイズファクトリーのネット通販で予約していたanoニューシングル『許婚っきゅん』初回限定版が届いた。まあ、普段ラジオとかで楽しませてもらっているのでちゃんとお金は使いたい、まあ来月のツアー追加公演行くしというのもある。
初回限定版には「ano 1st Album Release TOUR 「猫吐極楽つあー ~何&卒よろしゅう~」2024年2月22日 Zepp Haneda(TOKYO)」Blu-rayがついている。まあ、Blu-ray見れる装置がないのだけど、まあ、いつか見るかもしれないし、見ないかもしれないけど。
『許婚っきゅん』はスマッシュヒットして彼女をアーティストとして有名にした『ちゅ、多様性。』を作ったチームが楽曲制作しているので中華ぽさもありつつ、アニメ『らんま1/2』のオープニングなのでどのくらい浸透するのか。


お昼を食べてから昨日買っていた『群像』11月号掲載の古川日出男さんノンフィクション『四年後に歩く』を読み始める。
『四年後を歩く』を読みながら日曜日に訪れた友達が納骨された場所のことと、古川さんが土曜日に講演会で話されていた時間の流れの中で見る、ということが僕の中で一つに繋がってくるような感覚になってきた。
この『あるこうまたあおう』シリーズは前回の第一弾「キカイダー石巻鳥島、福島」 に続く、第二弾は四年前の『ゼロエフ』取材時には帰還困難区域で歩行での立ち入りが禁止されていたエリアを古川さんが単独歩行で完歩した時のノンフィクション。
福島県浪江町幾世橋から大熊町小沢へ」「福島県大熊町小沢から富岡町駅前へ」に二パートで構成されている。そのエリアに以前入った時のことやフクイチや汚染水とアルプスや、境界線はどこで作られるのかということを考えながら、あるいは読者にもそれらのことがわかりやすく説明されながら進んでいく。
今回も素晴らしかった。あの時歩いて入れなかったあの区域の中へ、そこで震災後から現在までに起きている状況や情報がわかりやすく書かれながら、古川さんが肉体を酷使して歩いていたことがしっかりと伝わるものとなっていた。動物たちの死骸や糞というものが放つ生と死、標識(メッセージ)と現在の建物やアルプスのことも目に浮かんくるようだった。
最後に出てくるあの植物と僕が観にいくことができなかったステージがあった場所の風景が沁み入った。僕もそこの風景が見たいと思うし、あの時古川さんたちと一緒に歩いていて、あの区域だけは歩けていないんだなって、6号線のそこだけ抜けているんだなってことがどこか心残りではある。


17時半から講談社の社員で友人Sと打ち合わせだったので16時過ぎに家を出たら小雨だったが、傘はいるぐらいの降り方だった。渋谷駅まで歩いて半蔵門線永田町駅有楽町線に乗り換えて江戸川橋駅で降りる。地上出口すぐの神田川をいつもの位置で写真に撮る。なんかここに来ると撮りたくなる。
そのまま歩いて護国寺駅にある講談社に行って編集者の友達を呼び出して、近所のカフェで二時間ほど打ち合わせがてら近況報告と今後のことをたくさん話す。
窓の外は帰宅する学生や社会人たちがどんどん行き来していて、雨はどんどん強くなっていた。目の前の大きな道路はずっと車が行き来しているのでヘッドライトが照らした道に降っている雨がキラキラとして反射しながら光っていた。
今年に入って停滞していた事柄も今回の打ち合わせで少し進んでいくと思うし、なんとか仕事にしていきながら、お互いにこの状況を改善するために、よくしていくためにやっていこうと前向きな話がこのタイミングでできてよかった。

帰ってから火曜日更新のSpotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:コムアイ)、『あのと粗品の電電電話』を聴きながら夜にライティング作業を進める。
「しくじり」はゲストのコムアイがめっちゃ高校生ぐらいからすでに今の感じになるような動きをしていたというか、ピースボートの事務所に入り浸りだったり、環境問題とかにもすでに興味があったりとかの10代の頃からしっかりトーク。「水曜日のカンパネルラ」初代ボーカルになったのは成り行きだったりとか、考え方がワールドワイドだし、疑問に思ったことは知りたいという好奇心が旺盛な人で話を聞いていると魅力的な人だなって改めてわかる内容だった。こういう時は平子さんが興味あるんだろうなってわかるぐらい反応がいい。
「あの粗品」は互いにそれぞれのファンクラブのことなんかを話しつつ、やっぱりこの二人のトークの温度感とテンポも好きなので聴いているとうれしい。

寝る前に少しだけ小林秀雄著『作家の顔』の「志賀直哉論」のところを読んだけど、志賀直哉って読んだことたぶんない。
ブコウスキー著『くそったれ! 少年時代』はというか彼の作品にはチナスキーというブコウスキーの分身が主人公なのでほぼ私小説であるのだけど、日本の作家で一番近かったのは亡くなった西村賢太さんだったなと思う。実際にいたら付き合いたくないもん、怖がりなんだろうけどすごい他者へ攻撃的だし口悪いし、まあ一緒にいたりすると喧嘩もしながらまた会いたいなって思えるんだろうけど、こういうタイプに私小説的なものって今は個人出版のエッセイに移り変わっているのかな、どうだろう。
一緒に併読しているのがJD.サリンジャー著/金原瑞人訳『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年新潮文庫版。前に単行本が出た時に読んだけど、まったく内容覚えてなかった。サリンジャーは世界中で読まれて多くの人に影響を与えた小説家、ジョン・レノン殺害半のマーク・チャップマンは『ライ麦畑でつかまえて』を薦められ、主人公のホールデン・コールフィールドにのめり込んでいったと言われているし、ジョン・レノンを殺害後に『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいる間に逮捕されている、ということは僕でも知っている。
文学は大抵の場合、多くの人を飛び越えては行けないラインの向こう側に向かわなくさせるが、一部の人を飛び越えさせてしまう何かも秘めている。そういうことは大塚英志さんが言っていたことの受け売りではあるけど、そういうものなのではないかと思うところもある。日付が変わったので『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら寝落ちした。夜も冷え込んできた。

 

10月9日
6時過ぎに目が覚める。寒い、部屋の中がすでに寒く感じる。真冬のそれではないけど、秋よりは冬よりな室内の温度感。体調は復調していてもう熱もないので、より寒さが染みる。

 祖母は明らかに喜んでいた。きびしい唇の線が艦み、しかも永年の鬱積がそこに解き放たれて、今の侯爵の代になってからこの邸に澱んだものを、自分の言葉で一挙に打ち払ったような満足感に溢れていた。それはひとり、息子である現侯爵の科のみではなかった。この邸のまわりにあるもの、十重二十重に彼女の晩年を遠巻きにしてやがて押しつぶそうと企らんでいる力への、祖母のこんなしっぺがえしの声は、明らかに、あの、今は忘れられた動乱の時代、下獄や死刑を誰も怖れず、生活のすぐかたわらに死と牢獄の匂いが寄せていたあの時代から響いてきていた。少くとも祖母たちは、屍体の流れてくる川で、おちついて食器を洗っている主婦たちの時代に属していた。それこそは生活というものだった! そしてこの一見柔弱な孫が、ものの見事に、その時代の幻を眼前に蘇らせてくれたのである。祖母の顔にはしばらく酔うような表情が泛んでいたが、あまりのことに返す言葉も知らない侯爵夫妻は、じっと遠くから、侯爵家の母としてはあまり人前に出したくないその野趣に富んだいかつい老婆の顔を、呆然と眺めていた。

三島由紀夫著『春の雪』P354

リモートワーク開始前に朝のルーティンがてら読書を。『春の雪』も半分は過ぎてこれから悲劇へどんどん突入していく、というところなんだけど、主人公の松枝清顕がやってきたことが父の公爵にバレてしまい、今後の話がされているところで、清顕の祖母についての描写がすごく気になった。こういう描写ができるのは本当にすごいなって思うし、人間が抱える複雑な心境や時代と共にあったものが短いながら書かれているので書き写した。

起きてからはradikoで寝落ちしたので途中から『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いてから、『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』と続けて作業用BGMとして流していた。
リモートワークを開始して午前中は小雨だけど雨が降っていて気温は下がっていた。「爆笑カーボーイ」を聴いていると本当に太田さんは元気だなって毎週思う。仕事は多忙なんだろうけど、人と会うこと、芸人が好きなんだなってことがよくわかる。もちろん、ずっと漫才もやってきてテレビにも出続けているんだけど、ここにきて盛者必衰じゃないけど大きな事務所だからこその綻びみたいなものが出てきているし、大きくなればなるほどに問題は大事になっていく、そこではその当事者よりもたとえば株主のことだとか仕事で付き合いがある人たちの会社のことや世間体が優先されてしまって、ケアもできずにただクビを切るようなことになったりすることがあるんじゃないかなって。太田さんたち自体が大手を辞めて独立した人たちだから、大きな流れの中では翻弄されてきただろうけど、それまでの常識や権威やルールが覆るときにはやっぱり強い。
星野源ANN 」は再来週のスペシャルウイークは「ニセ明のオールナイトニッポン」をやるらしい。僕はいまいち「ニセ明」というキャラクターがわかっていなくて、星野さんのオルターエゴみたいなことでいいんだろうけど、あのキャラちょっと苦手。
「あのANN0」も再来週のスペシャルウイークの話をしていて、ゲストがファーストサマーウイカさんだった。彼女のオールナイトニッポン0も聴いていたけど、フワちゃんがやっていた枠の前がそうだった。元アイドル同士で昔から知っているとか、今はマルチに活躍しているとか共通点が多い二人のトークは楽しみ。


SOPHIA / 街(Official Music Video) 


傘は必要だったけど、外に出てご飯だけ炊いていたのでおかずの惣菜を買ってきたので食べながら『ラヴィット!』をTVerで見ながら食べる。
アルピー酒井さんがソフィアの松岡さんの前で『街』を歌うという前にも爆風スランプの前で歌ったりしたのと同じパターンの謎におもしろいやつ、あとちょっと本当に元気になれる。
この一曲後に松岡さん以外のソフィアのメンバーがサプライズ登場して、ソフィアとして『街』『黒いブーツ』を披露。松岡さん50歳越えてるみたいだけど、フロントマンで人前に立ち続けている(舞台とかも精力的にされている)人は嘘みたいに若い。

夜は「月刊予告編妄想かわら版」の原稿を最後まで一旦仕上げる。これで寝かせて数日後にリライトして出来上がったら送る。
寝る前に明日の予定の確認とかしていた。これでいいのかなと思うけど、明日行ったほうが今後のスケジュール的にもいいと思うのできっとこれでいい。

 

10月10日
朝起きて朝のルーティンがてら読書を少々。土日で福島と秋田に行くことを決めた後にこの木曜日はとりあえず決めていたことがあった。夜は本来なら浅草キッドのお二人が久しぶりに揃うというか、一緒にイベントに出る『キッドリターン アサヒ芸能人トークライブ』というのが浅草の東洋館フランス座で行われる予定でチケットは発売したときに取っていた。
僕はちょっと勘違いしていて浅草キッドのお二人が漫才をするものだと思っていたが、『アサヒ芸能』の誌面でやっている浅草キッド吉田豪さんの対談をトークイベントでやるというものだった。
博士さんが政界進出したこと、所属していたオフィス北野の崩壊、玉袋さんが他のたけし軍団の方と距離をとっているように見えること、そもそもコンビだけど違う事務所で漫才もずっとしていないし、コンビでの仕事もほぼなかったということがあり、浅草キッドのファンの人なら二人が揃うだけで観に行かなければというトークイベントになっていた。
水道橋博士のメルマ旬報』の末席に加えてもらっていたが、僕自身は浅草キッドの漫才を見たことがない。そのぐらい二人は漫才をしていなかったから一度は漫才を観てみたいと思っていた。でも、どうやらトークっぽいなって思ったので無理して行かなくてもいいかなって思うようになっていた。それで知り合いの人でチケットが取れなかったとポストしていた人がいたので自分のチケットを譲ろうかと思ってDMしたが、スケジュールが無理らしく行けなかった。
当日の午前から昼過ぎまでは浅草付近、というか深川とかに行くつもりだった。それでもし夜までかかったら行けばいいやという気になっていた。
僕が立てていたプランは午前中に東京都現代美術館に行き、現在開催中の「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」を観る。その後、そこから歩いて20分以内、押上方面に歩いたところにある「田河水泡のらくろ館」に行き資料などを見る。そこからスカイツリーのある押上駅方面に北上していくと亡くなった友達が住んでいたマンションがあるのでそこの前を通って駅へ。もし、元気があって余裕があれば押上駅からアサヒグループの本社の上にある金色のうんこと思われているオブジェを横目に吾妻橋を渡って浅草駅に行こうかな、要するにその付近はヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』の舞台を見る形になる。

9時を過ぎた頃に家を出る。radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら渋谷駅へ。半蔵門線に乗って東京現代美術館の最寄駅の清洲白河駅まで。そこから十数分ぐらいの距離だが、前に来た時にも気になっていた途中にあった深川江戸資料館へ入ってみる。入場券を購入して中へ。

江戸時代の深川のことを知りたいというよりも、田河水泡東京府東京市本所区本所林町生まれで、28歳までは深川に住んでいたのでエリア的に知っていてもいいかなって思う程度だった。
田河水泡は漫画を描くようになる前後で中央沿線に引っ越しをして小林秀雄の妹の小林富士子(高見澤潤子)と結婚するので、漫画家になる前、結婚前までは深川付近で過ごしていたということになる。東京湾が近く、隅田川が流れている近くで彼は生まれ育った(実際には引き取って育ててくれた父の姉である伯母とその夫の伯父の家が門前仲町に近い深川だった)ことも肌に感じておきたかった。
深川江戸資料館は江戸時代の深川のまちが再現されていて、スタッフのおじさんが入り口付近では色々と説明をしてくれた。江戸城の周りは武士が住んでいて土地を持っているので、この辺りも開発して町民が住めるようにしていったこととか、火事が多かったのでどういう風に町が作られていていたのかなんかを教えてもらう。一時間ばかり深川江戸資料館で中を観ていた。

東京現代美術館へ歩いて移動。「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」の展示を観る。平日だけどそこそこ人は来ていた。入ってすぐのところは写真撮影NGだったけど、草間彌生さんの作品がたくさん置かれていて、学生運動を得て自身も芸術的な活動をしていた高橋さんが草間彌生さんの作品やパフォーマンスを見て、ものが違う、本物の表現だと思って自分は表現活動をやめて精神科医となったという文言が書かれていたので、その始まりとして草間彌生さんの作品が最初の方に位置していたんだと思う。
個人でこれだけ多様な作品を所有しているということが意味がわからないし、どんだけ金を持っているのか(買っても保管する場所だけでもちょっとお金とか想像つかない)という下世話なことも思いながら中を見て行った。


あまりにも多くの作品群が押し寄せるように展示されていて、観ていて疲れるというか、観疲れモードになってしまったし、お昼を過ぎていたので何かお腹に入れようと思って二階にあるカフェで一息。
秋田に行ったばっかりだったし、亡くなった友達とも一度ここでお茶をしたことがあったので、なんか昼からビールも。喉がめっちゃ乾いていたみたいでビールがあっという間になくなってしまった。

東京都現代美術館を出てからは「佐久間宣行ANN0」が聴き終わっていたので、ここからはSpotifyポッドキャスト番組のきしたかのの『バナナの天ぷら』の続きを。きしたかのの二人はコンビどちらとも深川の出身なのでそれも合わせてみた。もうすぐ『バナナの天ぷら』の配信も最後まで辿り着ける、そうするとTBSラジオでこの番組を受ける形で始まった『きしたかののブタピエロ』に入る。
美術館から北方向へ歩いて行き、小名木川を越えて十分ぐらいで田河水泡のらくろ館へ到着。前にここに来たのは何年前だろう、その時から田河さんや妻の潤子さんの書籍も買って読んだりしていたけど、漫画家になるまでの、田河水泡になる前の高見澤仲太郎についてのらくろが語るみたいなテイストで小説にしたいと思ったまま形にできていない。
いろんなことがあるけど、この深川という地域とかも前よりも僕には意味が出てきているから書かなきゃ、という気持ちをもう一度確認、うーむ、書くための準備運動してここに来たかった。
田河水泡のらくろ館の展示自体は変わっていないし、そこまで大きくないのですぐに観終わる。でも、深川で28歳まで住んでいたとか、そういう言葉であったり、彼に漫画を書けばとすすめた講談社の編集者や担当することになった編集者(のちにどちらも『少年倶楽部』編集長になる)の名前はメモしておいた。
漫画家になる前は落語作家だったので、深川に住んでいる時は自分で新作落語を書いていて、漫画家になって連載を始めると中野区に引っ越しをしている。だから、彼の青年期を書くなら深川が舞台になる。


田河水泡のらくろ館からほぼ直線上に真っ直ぐ歩いていくと友達が住んでいたマンションがある。その前を通って、あの部屋にはたぶん新しい住人が住んでいて、その人の気配で満たされているのだろう。
そのマンションから北東に向かっていくとスカイツリーが近づいてきて押上駅方面になってくる。駅付近になると海外からの旅行者もたくさんいるし、曇り空だったけど観光客がたくさん歩いていた。このまま浅草へ、という気にはならず電車に乗って渋谷方面へ。四時間ほど歩いていたので電車の中でうとうとしてしまった。


最寄駅に着いてから、ちくま文庫木山捷平小説集が出て入荷しているかなと思ってトワイライライトへ。まだだったけど、このところ書店に行くたびにないかなと思っていた戌一著『異界夫婦』が入荷していたのでそちらを購入。


家に一度帰ってからちょっと横になっていたら少しだけ寝ていた。17時を過ぎていたのでニコラに行ってアアルトブレンドとアルヴァーブレンドを飲みながらタバコで一服。観るものが多かったせいか、脳がその処理で疲れてるんだろうなって感じがする疲れがある。
夜はこのまま外に再び出ることはしないで、少しだけ読書をして今日見たものや持ち帰りOK だったパンフみたいなものに目を通す。田河水泡についてのもの来月から書くつもりなので、まずは今月中に書き終わらしたいものを進める。

ノーベル文学賞を韓国のハン・ガンさんが受賞したというニュース。村上春樹さんが受賞ならずというものに対しての大塚英志さんの旧TwitterことXでのポストだけど、村上さんの小説での戦争の扱い方みたいなものとハン・ガンさんの小説での扱い方、踏み込み方はその深度が違う。となると彼女が受賞したことで村上さんが今後取ることはないのかなって思う。
ハン・ガンさんが受賞したのはすごくめでたいことだし、この人の小説を読んでいた人たちならいつか受賞するんじゃないかなって思っていたらもう取った!みたいな感じだと思う。実際にXのタイムラインでは僕がフォローしている本読みな人たちは韓国文学も読んでいる人も多いし、ハン・ガン作品を読んでいる人たちも比例して多いのでお祝いのコメントで溢れていて、久しぶりにXのタイムラインが殺伐ともしていない、心地いいものだった。
僕は『菜食主義者』『すべての、白いものたちの』『別れを告げない』しか読んだことがないけど、これでだいぶノーベル文学賞の流れも変わる、若い世代(ハン・ガンさんは53歳)に移行していくのかもしれない。
その後、村上春樹さんの『ノルウェイの森』が新TwitterことXで取り上げられていて、気持ち悪いと思っていたみたいなポストが広がっていて、それにみんなが褒めているからそう言えなかったみたいな賛同するポストが増えていた。『ノルウェイの森』は村上作品の中でも大ヒットして一躍名前が知られるようになった作品ではあるが、あの作品は他の村上作品と比べてもかなり色合いが違う気がする。そもそも、ハン・ガンさん受賞を上げるために村上さんを貶めるというか下げるという行為自体が恥ずかしいし愚かでしかない。
僕は村上春樹作品は苦手だった(だからと言って小説家として尊敬している、してないは別問題である)し、宮崎駿作品も同様だ。理由は今まで書いているので繰り返さないが、村上さんを語るなら『ねじまき鳥クロニクル』とかだと思うし、オウム真理教におけるテロの被害者の人たちに話を聞いた『アンダーグラウンド』という作品がある。そのことだけでも僕は村上春樹という小説家を尊敬している。批判している人たちは読まないだろうけど、読んでほしい。

 

10月11日
6時過ぎに目が覚めて、空き缶を回収箱に出しに行き、再び布団に入っていたらうとうと。気がついたら10時前だった。いつもは9時からリモートワークなので遅刻してしまった。ぐっすり寝てしまったのは、昨日思ったよりも歩いていて疲れが出たのだろう、と言い訳っぽく思いながら作業を開始。
昨日、寝る前聴いていた『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を途中から流して作業用BGMに。年の離れた弟が受験のために学校を転校して、そこに行った時に話をしていた。彼はファッション関連のことも強いけど、家族の話ができるのは大きいし、親近感を感じる部分になっていると思う。キャパ1000人の初のラジオイベントも抽選に落ちまくった人がたくさんいるみたいで、ここからどんな風に「ラジオスター」になっていくのか、もっとラジオ好きにハマっていくのか楽しみではある。

作業自体は溜まっていなかったので最初の二時間ばかり集中したら遅刻分はなんとかなった。その後もradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を休憩終わって15時まで聴いていた。
この時期になると、10月10日が小木さんの結婚記念日でクソメン・くそガール(メガネびいきリスナー呼称)がそれに合わせて結婚報告をしてきて、小木さんが知り合いの同じ日に入籍にしている人に作って渡しているTシャツをくださいメールが殺到する。今年の10月10日は仏滅だったらしい、それで両方がリスナーの夫婦ならいいけど、片方だけだとそのことがネックになって説得したみたいなものも届いていた。
自分が毎日のようにラジオを聴くようになっているから、勘違いしてしまうが世の中の人はそこまでラジオ聴いていないし、聴いていたとしても自分と同じ番組のリスナーというのはかなり少ない。そういうことを時折忘れてしまう。ずっと知り合いの人でラジオ好きで聴いている人はいるけど、初めて会った人に趣味でラジオ聴いているって人ほぼ皆無なんだよなあ。だから、同じラジオ番組を聴いているとわかったら話が盛り上がるっていうのはあるだろうなって思う。

昼休憩の時に小川哲著『スメラミシング』を購入。なんとなく気になっていた短編集、小川さん大好きとは言えない、そもそもデビュー作読んでいないし、『ゲームの王国』はあんまりいいなと思えなかった。
でも、近年刊行された『地図と拳』『君のクイズ』『君が手にするはずだった黄金について』の三冊は面白かったので、直木賞受賞作以降は相性がいいなと思っているのでちょっとこの作品は期待している。

そして臨んだのだ、今週発表した「四年後に歩く」に描いた8月4日の歩行に。ちなみにその前日も、前々日も、福島の浜通りを私はけっこう歩いていた。しかし、それらのことは書かなかった。私は今回、徹底して的を絞り込んで、この「四年後に歩く」という原稿を現在のフォームにしていった。そして、この日の歩行のゴールが福島県富岡町だった、と書いた。その富岡町から、真西に六十キロほど動いたら何があるか?

福島県郡山市がある。

私の心と、身体とは、東から西、とスライドするし、また、いつだってスライドし返すだろう。

古川日出男の現在地』郡山脳 2024.09.28 – 2024.10.11 東京・埼玉・福島

仕事が終わってから古川さんのブログ最新回を読む。古川さんが歩いて、歩いて、歩いている。その姿勢は本当に尊敬するし、作品にも落とし込まれている。
実際に『四年後に歩く』のその前、四年前の2020年のあの夏を一緒に歩いて、帰宅困難区域は歩行では入れず車で入ったからそこを古川さんは今回単独で歩いているのだけど、それ以外にあったことをあえて書かなかったことでより『四年後に歩く』というノンフィクションの精度は上がっているし、より響く強度を持つことになったと僕は感じる。

その後はSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回をのんびりと休憩がてら聴く。今回もトム・ブラウンの二人がうるさいというか、どんだけ声出してるんだっていうやりとりがわりと続いていて、このラジオの売りではあるんだけど、ネタとして受け取れるのでおもしろいし楽しい。ただ、いきなりこれだと入りにくい人は多そう。

ano「許婚っきゅん」Music Video 

 

10月12日
7時に起きてradikoで『きしたかののブタピエロ』を聴きながらのんびり覚醒、その後は『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きつつ朝の読書というか資料読み。8時半前には家を出て六本木ヒルズ方面へ歩き出す。
土曜日朝に歩く時は『三四郎オールナイトニッポン0』とほぼ決まっている。再来週のスペシャルウイークのゲストは都築だけは発表されたが、もう一人はまだ未定みたいな感じになった。この番組の武道館ライブまでもう一ヶ月ほど、都築はゲストにラインナップされていないけど、さすがに呼ぶんじゃないかなと思う。この番組での活躍によって彼は一人でのラジオが始まったということもある。


六本木通りを歩いて向かっていたけど、日差しはあまり強くないものの少し前までの気温の低さを感じないからちょっと汗ばんだ。

六本木ヒルズに着いたが、時間が早かったのでパンフレットを買って外で少し読みながら時間を潰す。 TOHOシネマズ六本木は上映までに待つ場所がほとんどなく、下のフロアはフードとパンフなどの売店だけで、後はもうシアターがあるところだけで入ってしまうと電波が悪いから時間を潰すのもしんどい。大きなスクリーンは上の階に三つあるものの客が待つ場所は皆無なので時間が潰せないし、明かりが最小限になっていて暗い。

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』に関する3つの疑問【宇野維正のMOVIE DRIVER】 



前作『ジョーカー』は何度も観に行った。アーサー・フレックという売れないコメディアンがジョーカーという悪の象徴になってしまうという悲しくもあり、ある意味で燻っている人たちの奥底にある憎悪だったり社会への妬み嫉みを爆発する要素がある物語だった。
しかしながら、ジョーカー自体は力を持たない。この映画の世界にはバットマンはいないが、ジョーカーは簡単に殺せてしまう存在であり脆く弱い。ただ、彼のジョーカーとしての資質の一番の部分は人々を感応させてしまう能力だった。
母からの幼い頃からの虐待や売れないコメディアンで社会からバカにされていたという被害妄想や、あるいは教えられていた父のことが嘘だったりと彼のアイデンティティが崩れていく中でジョーカーという存在がどんどん表に出てきて、その悪意などの負の感情は一部の信者を生み出し破壊への欲望と衝動をもたらすことになった。
今回はひとりぼっちだったジョーカー/アーサーの理解者として、もう一人のジョーカーとしてレディ・ガガ演じるリー/ハーレイ・クンゼルが登場する。しかし、彼女との恋愛関係が進んでいく中で、彼の裁判も進んでいき、結局ジョーカーであったアーサーは「ジョーカーなどいない」と語り出してしまう。今作は前回で作り上げたジョーカーという虚像と現象の終わりを描いており、前作とはかなり作品の質やタイプが違うものになっていた。
事前に聞いていたことだけど、前作に熱狂した人ほど賛否の「否」になっているのはわからなくもない。しかし、そういう奴は客観視できずに批評性ないから、とは言えるのかもしれない。だって、終わりかたはあれ以外にない。
熱狂やある種カルト化していくものはその中心人物の存在が大きいけれど、実際にその本人が望んでいないことになっていくことも多い。結局、その組織や信者たちが見たいもの、信じたいことを遂行していく。その時シンボルになった人間は本当のことを言えなくなったり、その道化を演じるづけるしかなくなってしまう。だが、今回の終盤でアーサーは自らが生み出した「ジョーカー」という道化師を消してしまう。そのことで落胆するものたちや離れていくものたちがいる。そして、アーサー自体にも最後が訪れることになる。

カリスマ(象徴)というのは時代を作り上げる強力な磁場を持つ、そして僕らのような一般人や市民は磁石に吸い寄せられる砂鉄のようにカリスマに引き寄せられていく、それが大きければ大きいほどに時代を作り出してカリスマとしてより影響力を強めていく。だが、時代は変わるし終わる。
新しい時代がやってくるとその前の象徴は用済みとなるので、神様がいるのであれば神様に殺されるか、力を失っていき影響力も無くなっていく、ある意味ではカリスマとしては死ぬ。それがひたすら繰り返されている。
ジョーカー/アーサーが死ぬことはその熱狂の終わりであり、新しい何かの始まりでしかない。彼はそのことを本能的に知っていたのかもしれないし、ラストにアーサーに襲いかかるあの人物は自分がやったことの大きさをわかっていない。ジョン・レノン殺害犯のマーク・チャップマンのように名を残すかもしれない。死ぬことでジョーカーはより神聖視されていく、崇拝の対象にはなる。キリスト同様にシンボルは死ぬことで歴史に刻まれる。
今作は前作に比べるとアーサーが置かれたひどさの度合いは低い、監獄に入れられているとしても彼はタバコも吸えるし歌も歌えるしかなり自由に見える。また、リーとの出会いによってその孤独はかなり薄らいでいる。
故に悲惨なラストを迎えるのだろうし、前作と今作で引き続き描かれているアーサーのアイデンティティを巡る物語が、周りがジョーカーを求めれば求めるほどに彼はそれに耐えられなくなっていき、最後には否定するしかなくなる。
ホアキン・フェニックスは前作に続きジョーカーとして画になっているが、今回はリー/ハーレイ・クンゼルを演じたレディ・ガガが出てくるとほとんど彼女が持っていってしまう印象を受けた。この人の画面映えというか出てきたら目を離せない危険な何か、あるいはその意味でシンボルとしての強さを見せつけられる一作でもあった。


六本木から帰ってきて、トワイライライトに前に行った時に発売したら入荷してと頼んでいた木山捷平著/岡崎武志編『駄目も目である──木山捷平小説集』が入荷したというのを前日にInstagramで見ていたので寄る。
五月から講談社学芸文庫で読み始めた木山捷平作品、こういう形でまとめられて手に取りやすい形になるのは作品もだし作家を残すためにも大事なこと。

夜はTVerで『お笑いの日2024』をリアルタイムで流しながら、ライティング作業を開始。今書いているものは序破急というか三章構造にしていて、それで区切った方が最後まで書けそうだなと思ったのもあるし、読みやすくなるかなって。


亡くなった友達と最後に観たのは今年一月の鈴木おさむさんが手がけた朗読劇『美幸』(酒井若菜&浦井のりひろ)だったが、いわゆる単独コントライブはその前月の12月頭のラブレターズだった。
『キング・オブ・コント』に7年ぶりの決勝進出が決まっていたので、僕はもしかしたら優勝するんじゃないかなって思って友達を誘ってチケットを取っていた。結果は芳しくはなく、決勝には進出できなかった。その時の犬のネタは単独ライブで観れた。TVerの生放送で『キング・オブ・コント』を最初から見ていた。最後の結果発表で声が出た。一年も経っていないけど、優勝しちゃったぞ、って友達に言いたくなった。
色々な意見や感想はあると思うけど、彼らが優勝してよかった。「三四郎オールナイトニッポン」ファミリーだしね。長く続けてきた人がこういう時にやりたいことを、このコントを決勝でやりたかったという気持ちで勝ったことが素晴らしいしカッコよかった。

 

10月13日
6時過ぎに起きてから、radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴きながら朝のルーティンで読書を。ラジオ終わってからTVerで『ゴッドタン』『さんまのお笑い向上委員会』を流しながら読書の続きをしてから、朝のライティング作業を開始。
お昼過ぎまで続けて昼ごはんを軽く食べてから渋谷へ。

──オードリーさんや南海キャンディーズ山里さんからも応援されていたと思いますが、パワーになった?

塚本:なりました。我々はギリギリで活動していたんですけど、先輩たちがたまにライブに呼んでくれて、そのたびに「まだ(お笑い界に)いていいんですね?」と思えた。

溜口:オードリー春日さんから「おめでトゥース」とLINEがありました。普段は既読スルーが多いんですけど、あちらから自発的に!

──最終決戦後の得点発表までの心境は?

塚本:ファイヤーサンダーロングコートダディも面白かったし、僅差だったので、ずっと心が休まらなかったです。シソンヌ長谷川さんは、冗談交じりかもしれないですけど「あるかもしれない」と言ってくれてました。

溜口:自信はなかったです。最後に並んだときは普段のライブみたいでした。

──大会の最後はどんな気持ちでしたか?

塚本:ゴールした感じ。短距離走かと思ったらフルマラソンだったんですけど。

【会見レポート】ラブレターズ優勝会見、キングオブコントと歩んだ芸人人生は「短距離走かと思ったらフルマラソンだった」(写真いっぱい) 

渋谷の行き来はradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』をお供に。昨日、『キング・オブ・コント』で優勝したラブレターズの話からで、優勝後のインタビューで春日さんからお祝いのラインが来たというのも読んでいたので、本当にいろんな人に可愛がられているというか、芸歴が長くて嫌われていないということはちゃんと芸人として認められているってことなのだろう。

【STORY】
2004年のバレンタイン。
ジョエルは元恋人のクレメンタインが、自らの記憶を消す手術を受けたと知って動揺し、彼自身もクレメンタインとの記憶を消そうとラクーナ医院へ駆け込む。施術を受け、彼女との日々を追想していくジョエル。ひとつひとつの記憶が消されていき、やがて彼は「この記憶を消したくない」と思い始める。そして最後の記憶が消されようとする瞬間、記憶の中のクレメンタインもまた「忘れないで、また会いに来て」と彼に語り掛けるのであった。次の日、何事もなかったかのように朝を迎えたジョエルは、本当の愛と向き合うこととなる。

失恋の痛みを忘れるため 記憶を消せるとしたら?
そんな「もし」を描いた映画『エターナル・サンシャイン』。2004年に全米公開されると、その魔法のような独創性と、ビターでロマンティックな物語によって共感を集め、第77回アカデミー賞で見事脚本賞を受賞した。あれから20年、『エターナル・サンシャイン』は今年日本公開の話題作『パスト ライブス/再会』の劇中でも言及され、アリアナ・グランデが今年発表したアルバムのタイトルに引用。また、世界的な映画レビューサービス“Letterboxd”が今年5月に発表した「最もファンの多い映画ランキング」では第6位にランクインするなど、多くの人にとってますます「忘れられない」ものとなっている。

13時半からル・シネマ宮益坂下で上映のミシェル・ゴンドリー監督『エターナル・サンシャイン』を鑑賞。製作20周年記念ということで35mmフィルムで特別限定上映が開始されている。当時は映画館で観ていなくてDVDレンタルで観たぐらいなので、映画館で一度観ておきたかった。
お客さんは二十代のカップルとか若い層が多かったが、四十代、五十代のリアルタイムで観た世代もいて全体的にいろんな層が観に来ていて、男女率もそこまで開いていなかったように見えた。
記憶が朧げになっているのもあるし、この作品の熱心なファンでなかったこともあるのか、印象的なシーン以外はほとんど忘れていた。どっちかというとジョエルが記憶を消そうとしてからの部屋での今では有名になっているキルスティン・ダンストマーク・ラファロのやりとりは何にも覚えていなかった。
ひと組のカップルのありふれた、どこでもありそうな特別ではない出会いと別れ、一緒に過ごした日々や感じた体温、交わした会話と一緒に見た景色のことをこのラブストーリーを見ながらかつて別れた誰かのことを思い出す。だからこそ他人事ではないし、忘れられないラブストーリー。
忘れられないこと、忘れていくこと。
不意に思い出す大切だった人との思い出ややりとり、そのことにおける後悔なんかは年齢を重ねて、その時から時間が経てば経つほどにいきなり現れてその時に自分を連れ戻す。どうにもできなかったこと、あの時こうしていたら、何かは変わったのかなと思うけれど、もう時間は戻らない。過去は変えられない、現在しかない。そんな亡霊のような過去を引き連れて人は生きて死んでいく。その時、僕と共にいた亡霊たちがどこにいくのだろう、そんなことを思うことがある。
この映画は記憶が消えていく中で、建物なんかも急に消えていったりするし、ちょっと SFぽさもあって過去改変ではないけど、今となっては新しいものではないが、2004年当時にはその表現は新鮮だっただろうなって、20年あっという間に過ぎた。もう20年と考えるとその速さは一体どのくらいの体感速度になるのだろうか。

マーク・フィッシャー(以下、MF) : 資本主義リアリズムは、信念だと考えることができます。資本主義以外に道はないという信念、あるいはフレドリック・ジェイムソンの言葉でいうと、「資本主義の終わりよりも、世界の終わりを想像するほうがたやすい」という信念ですね。「それよりも望ましい制度があるかもしれないが、現実的なのは、資本主義だけなんだ」というものです。あるいは、そのような状況に直面したときに生じる、諦めと宿命論の態度だと見なすこともできるでしょう。「私たちにできるのは、資本主義の支配に適応することであって、そのもっとも大きな弊害を封じ込めるために自身の希望を抑えるしかない」というような感覚です。したがって、根本的には左派の病理であって、新労働党はそのもっとも顕著な例だと思います。つまるところ、資本主義リアリズムが意味するのは、左派政治の排除と新自由主義の自然化ということなのです。たしかにここ数年、新自由主義の概念がこのように自然化されてきたことに対して疑問が投げかけられるようになったのですが、今のところ、資本主義リアリズムの終わりを口にするのは、少し早すぎるのではないかと思います。ある意味では、これまで実施された緊縮財政的な措置によって、資本主義リアリズムはさらに強度を高めることになりました。「新自由主義的な資本主義への代案はない」という感覚が広まっていなければ、こうした措置はそもそも導入不可能だったのではないでしょうか。金融危機以降に勃発した闘争の数々は、二〇〇八年以来の恐慌型新自由主義に対する不満の高まりを示してはいますが、それでもまだ、支配的な経済モデルに対する具体的な代案を提示するには至っていない。資本主義リアリズムにおいては、社会的な想像力の枯渇が問題ですし、ある意味では、その問題は今でも続いています。三十年にわたる新自由主義の支配を経験したというのに、私たちはただ、資本主義に対するオルタナティブをやっと想像できるようになりはじめたところです。少なくとも今は、そのような 「代案の想像」についてそもそも想像を巡らすことができるようになったのです。

『K-PUNK アシッド・コミュニズム――思索・未来への路線図』P79-80

夕方までのんびりしてからライティング作業の続きを始める。途中息抜きで『駄目も目である』と『K-PUNK アシッド・コミュニズム――思索・未来への路線図』の続きを読んだ。

 

10月14日
7時過ぎに起きて半過ぎには家を出る。昨日夜寝る前に『室井慎次 敗れざる者』の TOHOシネマズ渋谷の朝一の回のチケットを取っていたので散歩がてら向かう。
Spotifyポッドキャスト番組のきしたかのの『バナナの天ぷら』の最終回を聴きながら歩く。この後にTBSラジオで『きしたかののブタピエロ』が始まることになるので終わった番組、初回から聴き始めて最終回へ、と言っても最終回も三回に分割されているので三時間近くある。リスナーからのお便り(メール)をどんどん読んでいて、最終回だけど個人でやっていた番組がTBSラジオに昇格と言える終わり方なのでみんな寂しいけど祝福している。
同級生でずっと友達だった二人のグダグダな話や昔の出来事を話している感じは、同じクラスだけどさほど仲良くない友達の会話を聴いているような遠過ぎ近過ぎの感じが心地よいし、このポッドキャストが二年ほどやっていた間に芸人としてのきしたかのがブレイクして、メディアによる出るようになったという成長譚みたいなものをリスナーは聴きながら応援できていたのも大きかったのだろう。

「あの男との約束を果たせなかったーー。」 現場の捜査員のために粉骨し、警察の組織改革に挑むなど、波乱に満ちた警察人生を歩んできた室井慎次
27年前の“青島との約束”を果たせなかったことを悔やみ、警察を辞めて故郷・秋田に帰る。
そこには、かつての想いで、少年たちと一緒に穏やかに暮らす室井の姿がーー 。
そんな中、室井の前に突如現れた謎の少女。彼女の来訪とともに、他殺と思われる死体が発見される。
そして明かされる、少女の名前は…日向杏。
シリーズ最悪の犯人と言われた猟奇殺人犯・日向真奈美(小泉今日子)の娘だという、衝撃の事実が判明する。
「とんでもない死体を見つけましたね、室井さんーー。」
東北の山奥には似つかわしくない、おびただしい数の警察官、ヘリや警察車両ーー 。
「最悪」は何故室井慎次を狙うのか。
穏やかな暮らしを求めた室井のまわりに、再び、事件の影が迫りくるーー 。

踊る大捜査線」シリーズはテレビドラマは全部見ていて、映画化された三作は劇場で鑑賞している。スピンオフ的に作られた他の劇場版は観ていない。そのぐらいのファンというか観ていた視聴者だった。
なぜ今更青島(織田裕二)の話ではなく、青島と敵対しながらいつしか友情を育み、組織を変えようと警察官僚として出世することを望んでいた室井(柳葉敏郎)をメインにした物語で再始動しようと思ったんだろうか、と不思議に思っていた。
ドラマシリーズでもプロデューサーだった亀山千広氏は今作でもプロデューサーを務めており、彼はある時期はフジテレビ代表取締役社長やフジHD取締役を歴任するなどフジテレビという組織の中で上り詰めた人だ。「踊る大捜査線」シリーズを一緒にやってきた本広克弘監督や脚本の君塚良一氏と亀山氏は今作でも組んでいる。彼らは一時代を作り上げたある種レジェンド的な存在であり、今回の主人公が警察官僚で定年前に退職した室井と立場なども近しいと思える、決して青島のような現場の人間ではない、組織を束ねて決定力のある人たちが自分たちを託せる(もう一度物語れる)のは青島ではなく、室井だったのではないかという穿った見方もできる。
また、室井たちが住んでいる家には電波が届かないため、スマホが使えない。この設定すらもスマホがない時代の「踊る大捜査線」シリーズと地続きに、もうすぐ定年を迎える彼らの最後の戦いにすら見える部分がある。
前後編と分かれているのけど、今作は二時間以内にコンパクトにまとまっている。また、意図的だろうが、室井や貴仁や父親が犯罪を犯したためにこの家で育てられている柳町凛久(前山くうが・こうがとクレジットがあるので双子が一人を演じているのだろう)の食事シーンが多いのも印象的だった。「踊る大捜査線」シリーズは警察も一般の会社みたいな組織なんですよっていうカウンターを描いたものだったので、いわゆる「お仕事」ものだった。そうなると個々人のことはあまり描けなかった部分もあるので、今回こうやって観ていると僕には新鮮に思えた。

映画館で予告編を何度か観ていて、観ようかなと思ったこともあったし、月初に秋田県に行っていたのも観ておこうという気持ちにさせた。実際作品を観てみると室井が引き取った犯罪被害者の子どもである森貴仁(齋藤潤)が通っている高校は角館高校で、大仙市や仙北市なども車に乗せてもらった時に見た地名だった。
ちなみに貴仁の殺された母親役は佐々木希であり、その犯人をミニシアター系映画にたくさん出演しているバイプレイヤーである木村知貴さんを演じていた。佐々木希は秋田出身というのは有名だが、なんとなく木村さんが犯人を演じている時に、ビッグバジェットの大作に出てるのはすごいなと思いつつ、もしかしたら木村さんも秋田県出身なのでは?と思って調べたら秋田県鹿角市というところの出身だった。
主演の柳葉さんもそうだけど、他の出演者の中にも秋田県出身の人がいるのだろうし、そう選んでいるのだろうと思う。なんかそういうことはとてもいいことだと思う。地元の人が観た時にあの役者はどこどこ出身だとか話せるのは演じた彼らにとっても大きいし、そう観客が話せることはある意味で映画からの恩返しみたいなところもあると思うから。
この『室井慎次 敗れざる者』は二部作の前半にあたり、後半が来月公開される『室井慎次 生き続ける者』へと繋がるため、事件の真犯人などは今回ではわからないし、最後に後半へ向けてもう一人重要であろう登場人物が現れて波乱が起きるであろうと思わせて終わる。
犯罪の被害者や加害者の子どもの里親になっている室井はすでに警察を退職していて、東京から秋田へ引っ越してきた家(生家ではなく、生まれ育った町でもない)で野菜を作ったりしながら人と距離をとりながら生活をしている。そのことでその集落の人たちにとって煙たがられて入り、自宅の近くでかつて自分が担当した事件の犯人が殺されて埋められていたことでより彼らの目は厳しくなり、出ていけという集団の圧をかけるようになってくる。
当然だが、田舎だから人に優しいというのは都会で生活したことがある人だけの妄想でしかなく、狭くて小さな集団ほど排他的であり、自分たちのルールを守らないもの、外れているものには平気でひどいことをするものである。村八分という言葉は別に今だって存在しているし、人付き合いは最低限やっていないとどこだって生きにくい。

子どもの一人は高校生の貴仁で演じているのは、『カラオケ行こ!』でもメインどころを張っていた齋藤潤だった。前半における今作では彼は母を殺した男と向き合うことになる。そこでのやりとりは涙腺を刺激するような感動的な場面となっていた。
室井は結婚しておらず、実子がいない。里親になっているが、実際に親としてもまだ一年、二年経たない中で子どもたちとどう向き合うのか悩んでいたり、わからないというシーンがいくつか出てくる。しかし、貴仁はそんな室井の背中を見ながら確実に大人へと成長している。終盤の犯人との向き合うシーンはそんな貴仁が室井から大事なものを継承していることがわかり、おそらく高校卒業後の進路を決めていない彼は後半終盤で室井のような警察官になりたいというのではないだろうか、たぶんそれが一番シンプルでありわかりやすい継承のドラマになるだろう。
秋田に行ったのは亡くなった友達が納骨されている樹木葬をされている場所に参るためだったが、コロナパンデミック前ぐらいに彼女と飲んでいる時に、自分はこのまま結婚もしないだろうし子どもも生まないと思う、だから社会貢献じゃないけど親がいなかったり育てられなかったりする子どもを養子として育てるとかはやるべきなのかなって話をしていたことがあった。そんなことと室井の姿がちょっとだけ重なった。
一緒に何かを食べるその最小単位が(血の繋がりの有無を問わずに)家族であり、社会であるということ、今作において室井が家族を作ろうと四苦八苦しているということを示している。また、途中からそこに入ってくる「踊る大捜査線」シリーズにおける最凶のサイコパスである日向真奈美(小泉今日子)の娘である日向杏(福本莉子)がこの食事風景や成り立っていた家族の関係性を次第に壊していく、不満を出させることなどノイズとなってくる。彼女の父親など謎もあり、実際日向真奈美は獄中にいるが死んでいないようなので、娘の杏などは今回では明かされず、次回に引き継がれている。
過去にシリーズに出ていた人たちも幾人が登場するし、ドラマや映画のシーンも挿入されていてエンドクレジットでは特にそれがうまく機能していた。今作から登場する若手警官の乃木(矢本悠馬)やちょっと青島っぽい雰囲気もある警視庁捜査一課の桜(松下洸平)などもいいスパイスになっていて、後半でどのくらい活躍するのかも楽しみ。矢本さんは非常においしい役どころだったし、二人は実年齢では矢本さんが34歳で松下さんが37歳と三十代、定年前に警察を辞めた室井からすると実際に二十代で結婚していたら子どもに近い年齢ではある。この継承の問題にも通じるが、こういう時にロスジェネ世代はそこに存在はしない。単純な問題でその世代は組織に残る以前に入れていないという現実がある。現実的には警察官僚なら当然いるだろうが、物語に出てくるような存在感のある人物にはならない。

室井たち警察官僚はホワイトカラーのトップ中のトップだ。今年公開されて興行収入が50億を突破した『ラストマイル』でもブルーカラーは働いてもギリギリの生活で何かを訴えるような余力もない、そこで主人公であるエレナたち集配センターの社員であるホワイトカラーの彼女たちが起こす行動でそれは少しばかりマシになる。それでも組織の中にいることの圧力や、さらに下にいる下請けへの態度、利益を上げることでしか守らない役職と立場という難しさを描いていた。その意味ではこの二作品は組織の下部にいる人たちではなく、上位にいる人間がどう判断するか、人間の尊厳を守れるかという戦いの話であり、室井はその戦いに敗れたこと、青島との約束を守れなかったことで退職している。ゆえにその約束をどう果たすのかが後半のメインになるのだろう。
室井がかつて室井の部下だった新城と再開した際に青島の現在のことを聞いており、所属している部署名を告げているので彼は死んでおらず生存していることは情報として出ているので、後半のどこかで出てくる可能性も残している。
何十年も前でもいいし、十数年前でもいいのだけど、ドラマや映画の続編が作られる時にその時に出演していた役者さんがその役柄のまま出演することはすごいことだと思う。作中で昔の映像も出てくるが例えばいかりや長介さんは亡くなっているから出演しようがない、そういう人たちが何人もいるし、他の作品だって時間が経って続編やスピンオフを作る時にはそういうことが関係してくる。
アニメとかでも何十年か後かとの設定で物語が作れるけど、そこに出てくるキャラクターは実際の人間ではない。それがデカい。柳葉敏郎さんが室井であること、かつての映像と現在のそれだけ時間が経って老いた部分も含めてその人でしかない、その時間を生きてきた、生き延びていたということがさらに深みを与える。それは生身の人間でしかできないというか感じさせることはできない質のものだ。
どんなことがあっても生きていたらまた会うことや話せることもあるかもしれない。その可能性が歳を重ねていくごとに奇跡のようになり、起きた時に生きていたことを実感することにもなる。物語も充分楽しめたけど、そういう外部のことも帰りながら考える一作だった。

 谷中の墓地の前の家は狭いし、関西で放浪していた私の兄もやっと立ち直って、作品を書き始め、東京にでて来ることになったので、私たちは一年もたたないうちに田端に引っ越し、兄と母と四人暮しを始めた。
『漫画の罐詰』が出版される前の年、兄は当時の文芸雑誌『改造』に「様々なる意匠」という評論が入選し、ようやく文壇に認められた。当選祝いに私たちは、母と兄と四人で銀座の料理屋に行って楽しく飲み、食べた。帰りに兄は資生堂で私に香水を買ってくれた。結婚式にもでて来られなかった兄が、私にお祝いのつもりだったのであろう。しかしこれは田河の大きな仕事の前祝いにもなったのである。


のらくろ」登場

 田河の最初の漫画本『漫画の罐詰』が出版された頃、『少年倶楽部』の新しい連載漫画の計画がもちあがっていた。当時の『少年倶楽部』の名編集長、加藤謙一さんは「目玉のチビちゃん」を昭和三、四(一九二八、二九)年と二年間連載して、昭和五年は、一年間漫画を連載しなかった。そのせいか売れ行きが少し落ちて来たので、再び何とか人気のでるような連載漫画をのせようと考えた。当時『少年倶楽部』の発行部数は約五十万、しかしその頃の日本は一般に貧しく、子供の雑誌や本はなかなか買ってもらえず、友達から借りて読んでいる貧しい子供がたくさんいた。加藤編集長は、田河が軍隊の経験があることを知っていたので、
「犬に兵隊ごっこをやらせたらどうでしょう」 
 と田河にもちかけた。当時の兵役制度に合わせて二年で満期除隊、めでたし、めでたしと終わればちょうど二年間の連載になるから、と言うのである。田河も兵営生活はいやではあったが、新兵としてさんざんへまをやったり、しくじったりした体験もあった。また親がいなかった淋しい幼い自分の頃を思い、そんな淋しい子供たち、また雑誌も買ってもらえない貧しい子供たちより、もっとかわいそうな野良犬を主人公にしようと考えた。身体が真っ黒で手足の先だけ白い犬は「四つ白」と言って昔から縁起が悪いとされ、生まれるとすぐ捨てられる運命をもっていた。そんな不幸な犬を主人公にしたのである。捨てられた不幸なかわいそうな犬でも、陽気に元気に生き生きと育って行く筋書きにすれば、世間の不幸な子供たちの励ましになるだろうと思ったのである。 
 名前を「野良犬黒吉」、略して「のらくろ」とした。こうして昭和六(一九三一)年の 『少年倶楽部』新年号から「 のらくろ二等卒」の連載が始まった。

田河水泡/高見澤潤子著『のらくろ一代記 田河水泡自助伝』P130-132より

夜のライティング作業前にもう一度『のらくろ一代記』を読み直す。田河水泡こと高見澤仲太郎が漫画家になる手前、『のらくろ』が始まる手前までをのらくろが語る物語、作られたキャラクターが、いわば永遠の魂を持った存在がその作り手を語り直すというイメージである。
数年前に通読していたが、忘れている箇所も多く。落語作家から漫画家になった頃に田河水泡と妻の高見澤潤子(結婚前は小林富士子)と彼女の母、そして兄の小林秀雄が短い時期だが四人で暮らしていたということ、は完全に失念していた。
引用した部分にあるように田河水泡の漫画作品が刊行される前に小林秀雄は文壇に認められ始めているという時期というのも興味深い。田河水泡と高見澤潤子夫妻はその後世田谷区に引っ越しをして内弟子として十代の長谷川町子も同居することになるのは1935年ぐらいの時期だが、この夫妻は兄である小林秀雄とも一緒に住んでいて、『サザエさん』を世に出すことになる長谷川町子とも住んでいたという日本の文壇と漫画界に影響を与える人たちとの生活がある。田河水泡自体が手塚治虫などに影響を与えているので「マンガの神様」の父的な存在でもある。
普通に『ゲゲゲの女房』とか今度やるアンパンマンを生み出したやなせたかしさんを主役した朝ドラみたいに、田河水泡と高見澤潤子をメインにした朝ドラもできなくはないのかなと思わなくもない。
ある意味では捨て子の物語(父の姉である伯母夫婦に育てられているが、実母は仲太郎を産んですぐに亡くなり、父は子供のない姉夫妻に息子を預けてのちに再婚する)でもあり、民俗学の父である柳田國男もそうだし、日本文学の父とも言える夏目漱石もだが、彼らは実の親に一時的であっても捨てられて親戚の家で育つなどの境遇が似ており、明治維新以降の日本の近代における重要な役割を果たす、ある意味で学問となっていく民俗学であったり、小説、漫画の父的な存在になる人たちは捨て子だったというのが僕の印象で、もろに大塚英志さんが書いてきたことの受け売りで考えていたことだけど、田河水泡に興味を持って調べ出したら彼も当てはまったというのが大きい。


Spotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』や『バナナの天ぷら』最終回を聴きながら『のらくろ一代記』を読んでメモしたりしていたら日付が変わっていた。

 

10月15日
7時前に起きる。久しぶりに出社する日だったので7時半前には家を出る。『バナナの天ぷら』の最終回も聞き終わり、TBSラジオに移行した『きしたかののブタピエロ』初回から聴き始める。
このラジオが始まってから実は初回から聴いていたのだけど、その時はまだきしたかのにハマっていないというか、最近テレビとかに出るようになった芸人さんだというぐらいで聴いているけど、また高野さん騙されてるんだなって思うぐらいだった。そのため、今過去の流れを聴いた上で聴いているとかなりバッグボーンがわかるので二人のやりとりもより楽しい、しかし30分番組になっているので物足りない感じもする。


半蔵門線渋谷駅から九段下駅まで乗って、そこから竹橋駅にあるパレスサイドビルへ。8時半前に着いたら僕の働いているチームの人は誰も来ていなかった。
今日は長年スタッフだった人が来月辞めることもあって、作業の一端を引き継ぐことになったので直接出社して教えてもらうという時間があった。
下手したら今の会社の親会社が変わった際にこのオフィスに来た時に会ってから二年以上会っていなかったスタッフの人と本当に久しぶりに会って話したりした。今のウェブサイトスタッフになってから六年近く経っているので、入った頃にいた社員はほとんど転職していなくなっているし、バイトも派遣も入れ替わっている。そもそも親会社が変わっていたりとコロナパンデミックを挟んで所属しているけど、リモートメインになってやりとりはSlackなので顔と名前が一致しない人が増えた。
昼休憩は歩いて十分ほどの距離にある神保町の東京堂書店へ。最新刊だけでなく、前に刊行された小説もたくさん置かれているので見ているだけで楽しいし、こういう本も読みたいなと思える。
18時までオフィスで作業をしてから帰宅。やっぱりリモートワークだと起きてすぐに仕事を始めても間に合うし、終了したら家だったらすぐに他のことができるんだけど、会社に行って帰るというだけでかなり時間を持っていかれるし、帰ってからすぐに他のことできないのでもったいないなと思ってしまうところもある。でも、たまにオフィスに行って他のスタッフの人と話すのも楽しいけど、朝夕と混み合う電車に乗って行き来すると気が滅入ったりストレスが溜まってしまうから数ヶ月に一回でいいかな。

火曜日はSpotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:岸田奈美)、『あのと粗品の電電電話』と二週間に一回更新の『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』がアップされる日。
オフィスを出た時点でそれらの最新回がアップされていたので「アルピーしくじり」を聴きながら帰った。岸田さんのエッセイはドラマ化もされていて、僕は著書を読んでいないけど顔も名前も知っているぐらい有名で売れている。トークもガンガンできるし、何よりもバイタリティがすごいなって話を聴いていて思った。
noteが今みたいに多くの人が書くようになる前に書いていたことでブレイクしたことも話されていて、今そこで書いても多くの人が投稿しているから読まれにくいから、そうじゃないところを探すべきだとメールの相談に返していた。確かにレッドオーシャンになったところでがんばるよりはブルーオーシャンでまだ人が多くない、荒らされていない場所で書く方が読まれる可能性は高いのもわかる。僕はたぶん角度は違うのだけど、この日記の最新のものをはてブというかつて流行って書く人も読む人も減っている場所にアップしているのはここはレッドオーシャンではないから。
「あの粗品」は粗品が何らかの病気で休んだりする前に収録されていたのか、その手の話は出ていなかった。ちょっとだけ二人のカップル的な売りを粗品がちょっとやろうとしているところなんかがあったり、体調が悪くなって休む前に素直にあのちゃんに甘えたいというか、何かそういうものを冗談混じりだけど言うことで耐えていたのかなって思ってしまった。
「国崎ひとりぼっち集団」は冒頭からマジでふざけてて、国崎さんじゃなくてどこのおじいさんなの?みたいな人がずっと話してるという謎展開。本当に悪ふざけがすぎる。相方が謹慎というか出れなくなってからより攻めていくっていうこの人の笑いのスタイルはちょっとガチすぎておもしろいけど、人間として強すぎるし笑いのことしか考えてなくてすごい。

 

今回はこの曲でおわかれです。
TESTSET - Sing City (Official Music Video)