Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年8月1日〜2024年8月15日)

7月下旬の日記(2024年7月16日から7月31日分)


8月1日
日付が変わり、8月に突入して今年もあと五ヶ月、半分もなくなった。1月末に東京に来てから20年以上友達だった友人が亡くなって7月末で半年が過ぎた。今月は彼女の誕生日があるが、もう年齢を重ねることができない。そういう事実がただ、ただある。
7月下旬の日記をはてブにアップしてから、半年前の2月上旬の日記をnoteに転載したものをアップした。


anoツアー追加公演、豊洲PIT&Zepp Osaka Baysideで開催

7月31日にZepp DiverCityでのツアー最終日ライブが行われた。ツアー初日の渋谷クラブクワトロが取れなくて、最終日もお昼間に舞台を観に行ったりすることになっていたので諦めていた。
おそらく追加があるだろうと思っていた。個人的には次は日本武道館じゃないかなと思っていたが、東京&大阪ということで、東京は豊洲PITだった。あそこは行きやすいし箱の大きさもちょうどいい。
同じく31日には新宿「トー横」のとろこにあるライブハウス「新宿BLAZE」営業の最終日で、菊地成孔とペペ・トルトメント・アスカラールのライブがあった。こちらも同様に行けなかったが、ダンスフロアになっていたみたい。一度だけ行ったことがあるが、その時は菊地さんの最後のバンドということになっている「ラディカルな意志のスタイルズ」のライブだった。音源を出さないでライブのみという活動スタイルだったが、菊地さんの病気や事故でもろもろと予定されていたものがズレており、今年はスパンクハッピーのレトロスペクティヴ関連とペペの新譜とコンサート、「ラディカルな意志のスタイルズ」はおそらく来年から再始動する。
ペペのレコ発ライブが10月にあるというのは聞いていたけど、そちらも先行抽選が始まっていた。なんだかんだ観に行きたいライブが下半期の後半、10月以降にも目白押しでうれしい悩み。取れたら行くけど、ライティング仕事を増やしたいし、自分の作業も計画的にやっていく。

朝起きてから自分のライティング作業をしながら、Netflixドラマ『地面師たち』関連の『ピエール瀧大根仁オールナイトニッポンGOLD』をradikoで聴く。ドラマはすでに全話視聴しているけど、これからもっと観られるだろうし、世界中でもヒットするんじゃないかなって思う出来の作品。
滝さんが電気グルーヴでANNをやっていたのもあるし、大根さんもラジオでパーソナリティーをやられていたみたいで安定しまくっているトーク。主演の綾野剛さんやマキタスポーツさんがゲストで出演したりと豪華な内容だった。
9時過ぎに家を出て、その時は『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら渋谷の宮益坂にあるル・シネマへ向かう。気温も歩けないというほど高くもないし、風も多少吹いていて、汗がダクダクという悲惨なことにならずに着いた。


アリーチェ・ロルバケル監督『墓泥棒と失われた女神』を鑑賞。月初の一日なので「映画サービスデー」で1200円、予告編を何度か観ていて気になっていた。
『チャレンジャーズ』でも好演していたジョシュ・オコナーが主演。1980年台のイタリアのトスカーナ地方が舞台になっており、ジョシュ・オコナーは忘れられない恋人の影を追う考古学愛好家の青年アーサーを演じていた。彼には紀元前に繁栄した古代エトルリア人の遺跡をダウジングによって発見できるという不思議な能力があり、それを利用して仲間たちと墓泥棒をしては埋葬品を掘り起こしては売り捌いて日銭を稼いでいた。ある日、希少価値の高い女神像を彼らは発見するが、そのことで闇のアート市場を巻き込む騒動へ巻き込まれていく。
二時間ちょっとあるのだが、気分的には少し長く感じてしまった。アーサーの日常や仲間たちとの関係性、そして忘れられない恋人の母親と、その母親に歌を教わっているイタリアという女性との関係性などが描かれていく。
アーサーはイタリアに言われたことによって、墓泥棒仲間たちを裏切る行為をしてしまう。そして、イタリアと新しい関係性を築くのかと思いきや、他の墓泥棒チームに誘われたことである地下に入ることになるのだが。そこで何度かイメージ映像のように挿入されていた忘れられない恋人とつながるとあるものがあり、ラストはハッピーエンドのようにも見える終わり方をする。
普通に考えれば彼女と再会するということ、そしてアーサーは地下に閉じ込められてしまっていることも含めて、彼は実際には死んだようにも見える。あるいは死にかけた頭の中での幸福なイメージが展開されていたかのようにも見える。どちらでもあるだろうし、観客にそれは委ねているのだろう。
おもしろさと退屈さがちょうどぐらいな感じがして、少し物足りない。もっとテンポ良く進んでも良かったかもしれないけど、監督がやりたいことはそういうことではなく、このスタイルだったんだろう。


映画を観終わってから家に一度帰ってから洗濯機を回した。ドラッグストアで月頭に今月使うであろうシャンプーなどの詰め替えをまとめて買いに行こうと着替えて家を出た。
ドラッグストアに行く前に開店しているトワイライライトに寄って、買おうと思っていた濱口竜介著『他なる映画と 1』を。もう一冊目「2」もあるのだけど、こちらを読んだら買うからと店主の熊谷くんに伝えて、ちょっと立ち話をした。

2024年夏映画の本命!? 懐かしくも新しい『ツイスターズ』の魅力を熱弁 


「宇野維正のMOVIE DRIVER」最新回の『ツイスターズ』についてのものが更新されていた。宇野さんが前から今年観た方がいい映画だと言われているので観ようと思っている。

I's - " 永遠衝動 " LIVE at 渋谷WWW X 


anoとしてのライブの追加が発表された翌日に彼女がメインボーカルであるバンド「I’s」の解散が発表された。僕はこのライブ映像のWWWX でのライブで一度しか観ていないが、パンク精神を感じたしモッシュ&ダイブの祭りで最高のライブだった。年内で解散というのは残念だけど、あのちゃんが四人で話し合って決めたとSNSに書いていた。
フロントマンである彼女を責める人もいるかもしれない。実際にソロとしてもタレント活動も多忙すぎるけど、バンド活動を大事にしているのも伝わってきていた。
バンドはメンバーの関係性と向かうべき方向性、互いに大事にしたいことや価値観がズレてしまえば、いや元々違う人間が一緒に活動するのだから、何かを許容できないレベルに、その線を超えてしまったらどうしても終わってしまう。解散を決めた以上は最後までバンドとして音を鳴らしてほしい。

夕方からちょっとだけタバコを吸って一服してから、読書を。夜はライティング作業の続きを。今月中に書き上げる。

 

8月2日
23時から放送していた『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』をradikoのタイムフリーで聴いていて、前半部分が終わって日付が変わるまでは起きていたが寝落ちしていた。
目が覚めたのは深夜の3時過ぎだった。そのあと寝ようと目を瞑っていたがどうも眠ることができず5時前になってしまった。資源ごみの日だったので空き缶を出してから、寝ることを諦めて自分のライティング作業を始めた。
リモートワークの時間になったのでそちらに移行して仕事を開始。作業BGMがわりにradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』、聴き終わった後は『三四郎オールナイトニッポン バチボコプレミアムリスナー』のアーカイブにアップされていた2018年8月24日放送分を。今週は出勤する月曜日と水曜日に有給を使っていたので、その分溜まっていたものをどんどん終わらしていく。気がつくとお昼になっていた。


お昼ご飯用に惣菜を買おうと東急ストアの地下に行く前にツタヤ書店に寄ったら、増田こうすけ著『ギャグ小説日和 転校生』&『増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和GB 8』が出ていた。
知り合いの書店員さんが小説についてプルーフを読んだ感想をSNS にあげていて楽しみにしていたものだった。僕はギャグ漫画はそこまで読んでいないけど、増田さんの「GB」シリーズは大好きで、読んでいてツボにハマって笑いすぎると僕はさんまさんみたいな引き笑いになってしまうのだけど、増田作品でぐらいでしか引き笑いにはならない。

夕方過ぎまで仕事をした。さすがに休憩後にちょっと眠くなってしまったけど、なんとか耐えた。ライティングをする前に朝のルーティンの読書ができなかった分読む。


『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回がアップされていたので、読書のお供に。

 

8月3日
起きてからradikoで『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』『きしたかののブタピエロ』を聴きながらライティング作業。
11時過ぎに家を出て渋谷へ。副都心線新宿三丁目駅で降りて、地下通路を通って紀伊国屋書店本店へ。


文庫の新刊コーナーのところにチャールズ・ブコウスキー著/中川五郎訳『死をポケットに入れて』新装版が出ていたので購入。
河出書房新社のサイト見ると『くそったれ! 少年時代』も9月に出るみたいだから、前に出ていた文庫が絶版になっていて、この装丁デザインで揃えて新装版としてリイシューするってことなんだろう。

本屋を後にして歌舞伎町のトー横前にある歌舞伎タワーの六階にあるシアターミラノ座へ。一緒に観劇する友人を待っている間に『死をポケットに入れて』の中川さんの新装版訳者あとがきを読んでいた。そこで本作に出てくるブコウスキーの言葉が引用されていた。

「まだまだ書きたいことはいつでも生まれてくる」
「わたしの中には言葉が詰まっていて、今でもとてもいいかたちで溢れ出てきている」
「生きている間に何をするかが問題なのだ」
「書くことはわたしを現実に立ち向かわせてくれる」
「死ぬ瞬間まで書き続けたい」
「わたしは今も自分が書きたいと思うやり方で、そして自分が書かなければならないと感じたやり方で書き続けている」
「大切なのは次の一行、それに尽きるのだ。そしてもしも次の一行が出てこないのだとしたら、たとえ生きていたとしても、書くという専門的なことに関しては、私は死んでしまったということなのだ」

70歳を過ぎていたブコウスキーの言葉。ブコウスキーレイモンド・カーヴァーブルーカラーの作家たちで、学歴もない僕はシンパシーを感じている。でも、二人が好きなのは彼らが詩人だからだ。
詩があるということ、今読んでいる若松英輔著『小林秀雄 美しい花』でも小林秀雄ランボーを訳したり、中原中也との関係性もあるけど、詩が軸にあり、それが批評に根付いていた。小説家でも詩的なものがあるのかないかで、僕は惹かれるかどうかというのはある。
僕が好きな小説家は詩、ポエジーがある。でも、世の中の小説家はそうじゃない人の方が多い。だから、売れている作品や評価されている作品も読んでみると「そうだろうな」とわかるが惹かれないことが多いのは、彼や彼女たちの小説には文学として詩が感じられないからなんだろう。

家を出てからミラノ座で友達が来るまではradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていた。先週はパリ五輪の開会式と同時刻に放送していたので、リスナーから開会式の様子のメールが送られてきて、それに関してトークをしていたが、今週も五輪の話をしていた。
個人的には五輪とかW杯を見ないし興味がない人間なので、こういう大きなスポーツの大会があると大抵のラジオとかはその話題がどうしてもトークになってしまうので、ちょっと嫌。それを聴くことでそういう人が活躍したんだとか知ったりもするけど、みんなわりとスポーツ観戦好きだなってこういう時に改めて思い知らされる。

とある病院の怪しい警備員コオロギ(阿部サダヲ)は盲目の妻サカエ(黒木 華)に歪んだ愛情を抱き、サカエはコオロギを献身的に愛していた。そんなある日、コオロギの勤める病院に、薬剤被害で身体障がい児として生まれ、長い間監禁されていたフクスケ(岸井ゆきの)が保護される。彼を監禁していた製薬会社の御曹司ミスミミツヒコ(松尾スズキ)は逃走し行方不明。

エスダヒデイチ(荒川良々)は、精神のバランスを崩してある日行方不明になった妻マス(秋山菜津子)を、14年も探し続けている。知人からマスは歌舞伎町にいるらしい、と情報を得たヒデイチは上京し、歌舞伎町で出会ったホテトル嬢のフタバ(松本穂香)と自称ルポライターのタムラタモツ(皆川猿時)の協力のもと、マスの行方を追う。

裏社会で暗躍するコズマ三姉妹(伊勢志摩・猫背 椿・宍戸美和公)は、食うや食わずの境遇から歌舞伎町の風俗産業で一発当てて、飛ぶ鳥を落とす勢い。ひょんなきっかけでマスと出会い、生み出した<一度死んで生まれなおすゲーム>輪廻転生プレイが大ヒット。裏社会に影響力を持ち、政界にまで進出しようと企んでいる。

彼らの渦巻く情念は、やがて多くの人々と歌舞伎町自体を巻き込み、とんでもない方向に動き出す…

『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』@ THEATER MILANO-Zaで鑑賞。先週の水曜日に野田地図を東京芸術劇場プレイハウスで観劇したばかりなので、一週間のうちに野田秀樹松尾スズキ作品を観るという贅沢な観劇ウイーク。
歌舞伎タワーに新しくできたシアターミラノ座には初めて来た。Bunkamuraが東京百貨店本店の解体とリニューアルのための工事で使えなくなってしまい、シアターコクーンでやっていた舞台ができなくなっていて、その代わりの劇場という感じになっているっぽい。
すでに観劇したことのある人たちからあまりいい話を聞かない劇場で、パッと見はシアターコクーンぽいなと思ったけど、そもそも座席がしょぼい。野田地図と同じく12000円のチケット代だが、東京芸術劇場のどこからでも観やすく、観劇に耐えれる席の作りになっているから、このしょぼい座席でチケ代が同じだと思うと作った人たちが利益しか考えてないんだろうなと思ってしまう。
あと開場時にもちょっと感じたが、観劇後に劇場から出て、歌舞伎タワーを出るまでに異様に混み合う。導線が悪すぎるというのは間違いなくあって、元々劇場を入れるつもりでこの建物は作っていないような気もするし、最初からそう計画しているとしたら観客が入って出ていく導線とかを考えてない人が作ったんだろうなと思った。つまり、舞台を観たい人たちやそういうジャンルの人に話を聞いてないだろうし、作っている人は舞台を観る人ではないのだろう。
個人的には岩井俊二監督の最高傑作は小説『ウォーレスの人魚』だと思っていて、松尾スズキ作品だと舞台作品は何作品しか観ていないので言い切れないが、松尾作品でこれと思い浮かべるのは小説『宗教が往く』だった。その作品にも「フクスケ」という登場人物が出てくるなどリンクしている。というかおそらく初演時の頃のことが自伝的に書かれているし、主人公が松尾さんではなく「フクスケ」なのでそうだと思う。

とっちらかってるし過剰だし、それでもね、それでもね、正邪の行進があってさ、君の穴に、空虚な、満たされない穴に、なにかを埋めようと足掻き続けるピストン運動の先に、先に、君の満たされなさだけ憐れになる、恥ずかしいね、愚かだね、君は目を逸らせない、盲(めくら)になっても変わりはしない、天国の入口はネオンで蛍光色に光り、浮浪者のアカだらけの尻が鈍く光るだけ、君の絶望などペニバンで事足りる。最悪だね、最高だね、脱糞したそれにたかる蝿の僕を糞と一緒に踏み潰せ、君の性器がなめらかに光るのが見えて僕は盲(めくら)になる、絶望とも希望ともいえる性感帯だけ残して。 君の空っぽの穴、知らないよ、空っぽだからね、君の空っぽは僕の夜の静寂(しじま)。

これは観終わって一緒に観に行った友人と帰りに寄った中目黒駅高架下の飲み屋で三軒ほど飲んだ後に歩いて帰っている時にメモみたいに書いた舞台からのインスピレーションで書いたもの。「めくら」というのは今は差別用語とされていて、メディアなどでは使われなくなっている。これで使っている理由は舞台『フクスケ』の中で使われているから、あえて使っている。
休憩を挟んだ二部構成だったが、休憩前まで「フクスケ」をやっているのが誰かわからなくて、パンフを買ってみたら岸井ゆきのだったのでビックリした。チケットを取る前に出演者とか見ていたけど、観ている時にはまったくわからないほど雰囲気が違った。作・演出で出演もしている松尾スズキさんは体調不良のため、稽古場代役を務めていた根本大介が代演していた。
ホテトル嬢のフタバを演じていた松本穂香がすごく良くて後半の方で彼女の内面が吐露されるあたりや、妻のマスを探しに歌舞伎町にやってきた夫のヒデイチとのやりとりもエモーショナルでそこだけちょっと泣いてしまった。
ミュージカルではないけど、歌って踊るシーンが何度かあって、なんか音楽でなんとか場を繋いだり勢いを持続させようとしているのかなと思わなくもなかったけど、物語というか登場人物たちがそれぞれ濃くて、人間の業を背負い過ぎているからこそ過剰で儚く、人間臭くて嫌いになれなくて、もっと昔から松尾さんが露悪的だったり、客に顰蹙を買うようなことも入れていたと思う。でも、四回目で大きな箱でやるということも含めて、再構築してできるだけエンタメの方に寄せているんだろう。その意味ではもっと過激で顰蹙を買うものでもいい気はした。


僕たちが観た翌日の4日が東京公演千秋楽な『フクスケ 2024』ではフクスケを岸井ゆきのが演じ、再演と再々演では阿部サダヲが、1991年のザ・スズナリでの初演は温水洋一だった。大人計画初期メンバーであり、松尾さんと諸々あり劇団を出ていった温水さん。
『宗教が往く』は自伝的な要素含んでいる小説だから、下北沢で舞台をしていた頃の大人計画界隈のことがたくさん出てくる。下北沢が演劇と音楽の町だった頃に若者だった彼らの青春譚。

 

8月4日
日付が変わるぐらいに飲んでいた中目黒から歩いて家に着いて、ポカリを飲んでから寝た。目覚ましは7時過ぎにセットしていて、起きたら気持ち体が筋肉痛だったが家を出て歩いて六本木ヒルズへ。


9時20分から上映のリー・アイザック・チョン監督『ツイスターズ』をTCXで鑑賞。夏映画としてのディザスタームービー、シンプルだけどおもしろかった。95年の『ツイスター』の続編というかリメイクというか、設定を使って新しく撮っている。35ミリフィルムで撮影されていたりと90年代ぐらいのハリウッド映画感のある映像なんだけど、設定とか諸々は20年代の作品にちゃんとなっていた。 
A24制作で『ミナリ』を手がけたリー・アイザック・チョン監督がこういう大作パニック映画を撮れる、撮らそうとするアメリカの映画業界ってまだ夢があるなって思った。
鑑賞前に宇野さんの動画を観て、そこまで興味がなかったけど観ようと思うきっかけになった。
宇野さんの動画でも触れているけど、今までの映画で出てくるYouTuberやインフルエンサーって基本的にはちょい役か敵キャラだったりした。映画業界からすれば客を奪った敵だから、ということもあるのだけど、今作ではそのストームチェイサー兼YouTuberであるタイラー(グレン・パウエル)たちのチームが活躍するし、主人公である気象学者のケイト(デイジーエドガー=ジョーンズ)も最終的にはタイラーと組んで巨大竜巻に挑んでいくことになる。そういうのは新しいなと感じた。
かつての友人のハビから頼まれたケイトは故郷のオクラハマに戻って、巨大竜巻の対策を手伝うことになる。その敵というか対の存在となるのがタイラーたち映像クリエイターで竜巻を追っているチームだった。
パッと見でいうとケイトとハビたちは党派的には民主党ぽいし、カウボーイ的な雰囲気を持つタイラーは共和党ぽいのだけど、物語が進んでいくと実はそれは真逆であるというのもおもしろいし興味深い。だからこそ、主人公のケイトはタイラーたちと組むとも言える。
物語自体も良かったし、昔のハリウッド映画ってこのぐらいシンプルでただおもしろいって感じだったから、そこに懐かしさはどことなく感じられた。夏の良作としてヒットするといいのになあ。

行き来で『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていた。ちょっとパリ五輪の話が最初の方にあったけど、そのあとはロケに行った話になったので助かった。
さすがに帰りは汗だくだくになってしまった。熱射病とかにならずに済んでいるけど、この暑さはやっぱり外に出ない方がいいと思える気温になってきている。

夜までのんびりしてからライティング作業を開始。外を歩いて汗をたくさんかいたこともあるけど、今日はちょっと水分を摂りすぎてしまった。こうなると腹を下しやすくなってしまう。その辺りの水分の摂り方もバランスが必要だけど、難しい。

 

8月5日
朝起きようと思った時間に起きれず、リモートワーク前に可燃ごみを出してから諸々準備を始める。
TwitterことXを開いたら友達からDMが来ていて、フワちゃんが炎上していることを知る。毎週、フワちゃんのラジオを聴いているけど、今回の炎上に関しては擁護もできないし、相手のファンの人だけでなく、おそらく普段からフワちゃんが嫌いだったり、アンチだった人たちがこのタイミングを逃すものかと過剰に攻撃をしているようにも見える。相手に直接会って謝りたいとポストしていたが、それも難しそうなほどに燃え広がっていた。
月曜日なので、深夜には『フワちゃんのオールナイトニッポン0』が生放送である予定だが、この炎上の仕方、また、彼女がGoogleのCMをやっていることなども含めてネタではないけどポストしている人もたくさんいたし、こういう場合に企業側としてはどうするんですか?というものも見られた。
もちろん、「オールナイトニッポン」のアカウントにも様々な意見が寄せられていた。生放送だから、直接本人の言葉で謝罪するという可能性もあるだろうと思っていたが、このあと夕方を過ぎて夜になってから「フワちゃんANN0」のアカウントが彼女の発言を確認したので本日は中止というポストをしており、それを引用する形で再度フワちゃんが謝罪をしていた。
中原一歩著『小山田圭吾 炎上の「嘘」東京五輪騒動の知られざる真相』を読んだのもあるけど、確かに発せられた、ポストされた言葉は取り消せれないが、それで関係ない人が叩くという構図は悪意の循環と増殖しか生まないし、今後に禍根も残してしまう。
どうしてこの国は、いや日本だけではないが世界中はこんなにも何かをした人を許せなくなってしまい、断罪すること正義を遂行する気持ちよさに捉えられてしまったのか、やっぱり人類にはSNSは早過ぎたと思ってしまう。もう、自分が好きなもののことだけを褒めるか、何か宣伝することがあればそのことだけをポストするなりなんなりしか使い道がなくなってしまったように思える。

昨日の時点でradikoで『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をリアルタイムで聴いていたので、リモートの最中に聴くものがないのでYouTubでダウ90000とか鬼越トマホーク(ゲスト:クロちゃん)の配信とか先週の「あのANN0」や「佐久間宣行ANN0」をSpotifyで流したりしていた。
仕事は急がないといけないものがないのでいつも通りの作業。ただ、家の中にずっといるだけでも冷房かけてないとすぐに室内の温度が上がってきて汗ばんでしまう。部屋の中は温度を下げても18℃までしか冷房の設定温度がないし、サーキュレーターでそれを回しても冷えない。作業をできるけど、やっぱり暑い。


土曜日に紀伊国屋書店本店でブコウスキーの『死をポケットに入れて』河出文庫を買ったのだけど、同じ発売日だとサイトで見ていた佐藤泰志著/福間健二編『もうひとつの朝』は出ていなかった。
今日昼休憩の時に駅前の書店に行くと一冊入っていたので購入。僕はリアルタイムで佐藤泰志作品に触れた読者ではなく、彼の作品が映画化されたことで初めて名前を知って読むようになった。おそらく40代前半の僕がそうだからそれよりも下の世代の人もきっかけは映画だという人が多いだろう。
佐藤泰志は1990年に41歳で自死している。今の42歳の僕よりも若い、だけど、亡くなるまで書き続けていた作品は残って、時代を越えて読まれている。芥川賞候補に五回ノミネートされたが、受賞はできなかった。でも、今もまた新しい読者が出会っている、ということが本当にすごいことだと思う。もちろん、生前に評価された方がいいに決まっている、でも、自分がいない世界でも自分が書いたものが読まれるというのは、肉体や精神がこの世界から消えても魂は残り続けるということに近いのだろう。

ASIAN KUNG-FU GENERATION - 転がる岩、君に朝が降る / THE FIRST TAKE 


10月頭のリキッドルームのライブはチケットが先行で運よく取れたので今から楽しみ。この曲の歌詞が今日の炎上を見ながら聴きたいと思った。

寝る前に送られていたライティング仕事で関わっているものの校正原稿のPDFのチェックのものが来たので最初から最後まで読んだ。やっぱり文量的にはこのぐらいがちょうどいいと思ったし、内容的にも今の時代の経済であったり、世界的な問題についてもわかりやすく解説されているし、著者のパーソナリティーやどういう人生を歩んでこういう人になったのかもカルチャー的なものも含めてわかるものになっていた。
できるだけ多くの人に読まれるといいな。あとはどういう装幀になるかとか、それはもう僕の意見は一つの参考意見にしかならないので、あとは編集さんと著者さんの兼ね合い。

 

8月6日
たしか日付が変わって、radikoで『空気階段の踊り場』を聴きながら寝たはずだった。あれ、目が覚めたら深夜の3時前だった。とりあえず、『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』をタイムフリーで流して目を閉じていた。
伊集院さんはフワちゃんについても話をしていて、かつて二人も揉めたみたいなことがあってラジオに出て和解していた。彼女の言葉や態度が諸刃の刃になる可能性はあったけど、それが可能性でもあり、今は悪い方に出てしまったと。
あとは僕も思うけど、フワちゃんがポストしたことは最低のことだけど、だけどそれを言った彼女に同じような最低なことをポストしている人ってなんなんだろうなって思うところはある。
生贄にしてもいいですよってなったらどんどん石を投げるし、火を焚べていく、その愚かさというか、醜さみたいなものを感じない、ストレス発散で正義を遂行している気持ちよさに酔っている人たちばかり、自分の行動が最低だと気づけない人とは個人的な付き合いはしたくないし、そういう人だったらそっとミュートする。
そのまま目を閉じていたら空が明るくなり始めてしまったので、ペットボトル回収の日だったので集積所に出しに行った。

6時過ぎたのでもう寝るのは諦めた。中旬に提出する予定の「予告編妄想かわら版」の原稿をやることにした。四作品はすでに選んでいたから、あとは予告編を何度も見て、公式サイトなどに書いている設定とか諸々も読んで、その上で予告編で出てくるものから物語の紹介とラストシーンがどうなるか自分なりに想像してみる。
ラフというか、一回最後まで四作品書こうと思って集中していたら9時を過ぎていた。これなら、ちょっと時間をおいて見直しながら修正したら早めに提出できると思ったので、その日を決めて早めに請求書を作成してセブンイレブンにアイスコーヒーを買いに行った。その時に請求書のデータをコピー機でプリントアウトしてハンコを押す。さらにそれをスキャンしてまたスマホにデータとして取り込んでおく。これであとは提出した日に原稿を仕上げて一緒に送ればいい。
さすがに10時過ぎに少し眠たくなってきた。夕方前にあった予定はこのままだと無理なのでキャンセルの連絡を入れさせてもらった。

Scene♯1(前編) トーキョー・シネマテック 「アレ、何処に売ってんの?? 真似をした/したくなった映画Fashion(とその仕草)」


ライムスター・宇多丸さんとスタイリスト・伊賀大介さんのファッションを軸にした映画についてのトークYouTubeにあったので見てみた。
お二人とも東京生まれ東京育ちでカルチャーを見てきていること、映画に詳しいこともあって、ツーカーな感じであの映画が、あの役者が、あの衣装が、あのブランドが、というとすぐに理解されるのでどんどん話が展開していく、豊穣さを感じる対談だった。これは後編もあるみたいだし、すごく楽しみ。これをメンズファッションブランド「ÉDIFICE(エディフィス)」がやっているのも素晴らしい。
動画の中でも映画の映像を使えないのだろう、二人が話している映画に出ている役者とそのファッションのイラストが出てくるがそれがすごく良くて、このままそれも使ってトークを書籍化したら、ファッションや映画が好きな人もだし、若い人でファッションや映画に興味があったり、学んでいる人にはとてもいいテキストになるはず。どういう文脈でそういうファッションがあったのか、憧れて真似して広まったのかとか基礎教養にもなるんじゃないかな。

とあることで個人的なことで手紙を書こうと思った。便箋がないわけではないが今あるものの枚数が減っていたりしたので、とりあえず渋谷のロフトまで歩いて行った。昨日よりは暑くないし、曇っていて風も吹いているから真夏という感じではなかったので助かった。
便箋をいくつか買ってから家に帰るとちょうどお昼だった。
昨日読んでいた原稿の装幀データの候補が来ていたので、僕が買うならということで選んだ方についてメールを返した。あとは著者さんと編集さんで決めてくれればいい。
ご飯を食べてちょっとだけ横になって20分ぐらいだけど昼寝したら、眠気もまったくなくなってすごくスッキリした気分になっていた。
そこから文面を考えたりしてから、手紙を書いた。普段パソコンで文章を打っているせいか、ボールペンで書いていく自分の文字の汚さが悲しい。なんとか最後まで書いたら夕方になっていたので、そのまま世田谷郵便局まで歩いて行って投函した。

火曜日はSpotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:不動産Gメン滝島)、『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』、『あのと粗品の電電電話』が配信される。
「アルピーしくじり」は平子さんが家を買っていることもあって、かなり不動産Gメン滝島さんの話に食いついている感じだった。不動産業界の人しか知らないようなことがたくさん話に出てきて、これは新生活を迎える人や初めて一人暮らしするような人たちには参考になるだろうなという内容だった。
住みたい町を決めて、そこで何十年もやっているような不動産屋で探した方が物件をそこが持っていたりするので話も早いし、敷金礼金とか諸々交渉もしやすいということだった。僕もたまたま今のアパートも前に住んでいたところも地元のボロボロの不動産屋さんで聞いたら、条件とかに合う物件をすぐに案内してくれてスムーズに決めれたので、これは本当だと思う。
「ANN0」月曜がフワちゃんなので、このままだとおそらく終わる。後をやるなら今オールナイトニッポンポッドキャストで人気なアンガールズ、トム・ブラウン、ランジャタイから昇格もありそうだなってランジャタイのトークを聴いて思った。でも、すでに「ANN0」にはマヂラブと三四郎と芸人がいるので、もう一組芸人というのはバランスが悪いかもしれない。あとはあのちゃんと佐久間さんだから、バランスを取れば女性かもしれない。前にもピンチバッターをやった佐藤栞里というのもありそうだし、ポッドキャストで言えばchelmicoもいいかもしれない。でも、個人的は今や大河俳優になってしまったファーストサマーウイカが復帰したらいいなと思う。
「あの粗品」コンビのやりとりはなんだか好きだなと思うし、収録の時期の問題なんだろうけど、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』を粗品が観た時の話をしているのでちょっとタイムラグがある。

 

8月7日
目が覚めてから朝のルーティン、ビタミン剤と一緒にトマトジュース飲んで、自分のライティング作業を少しやっていたら仕事の時間に。
水曜日は前日の深夜帯にやっていたラジオをタイムフリーで流してBGMに。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK爆笑問題カーボーイ』(ゲスト:FUJIWARA)『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を聴きながらリモートワークでの作業。
「爆笑カーボーイ」で太田さんがちょっとだけフワちゃんの炎上に話をしていたが、同じオールナイトニッポンの星野さんもあのちゃんも触れていなかった。今の時期に擁護であろうが、ちゃんとしたことを言おうがどちらにしても炎上の火の粉が飛んでくるかもしれないし、すぐにネットニュースとかになると損をしてしまうということはあるだろう。

昼の休憩の時に駅前のTSUTAYA書店で『新潮』2024年9月号を購入。先週観劇したNODA・MAP『正三角関係』の野田秀樹さんの戯曲が掲載されているので絶対に買おうと思っていた。
『正三角関係』は明後日、8月9日に起きたことが大きな軸としてあるので、このタイミングで舞台をやっていて、戯曲が掲載されることの意味を感じる。
飴屋法水さんに岡田利規さんの対談もあって、今号は非常に演劇色がつよい。最初は詩から始まり、演劇や小説が生まれたはずで、それらはみんな「文学」なのに、それらの作り手も受け手もクロスオーバーしていないように感じる。
舞台を観にいく人が小説をすごく読んでいるようにも、詩集などを手にしているイメージが沸かない。小説をたくさん読んでいても舞台を観にいく人も多くないだろうし、小説読んでいたら詩やいまだと短歌とかに興味はありそうだけど、そういうものがもっと交差していくほうがきっとおもしろいし豊かさだと思う。

飴屋 僕にとって対等で当たり前だと感じるのは、二者間でその パワーバランスみたいなものが対等かどうかというのでなく、とりあえずの神様でもいいんですが、なんかそういうものがあるとして、あるときに、そこからの距離は俳優も演出家もどちらも変わらないではないか。それはそのまま観客からの距離でもあると思うんです。俳優との関係だけでなく、人間以外の生き物全部に対してそうだとも思っていて、みんなそこからは同じ距離にいるだろう、あるだろう、だから二者問ではなく三者間というか、三角形的な「三」の捉え方なんです。それで三というのが、なにか神様を表す数だとも思っています。
 対等といえば、大江さんの話に戻ると、大江さんってルビを多用するじゃないですか。『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』のタイトルもそうですよね。あそこで元になる日本語の言葉とルビには、主従は存在していない。つまり説明としてのルビではない。ただ読者に向けて、ルビを振ることで初めて立ち上がるものがある。これは演劇だと思うんです。俳優と役の関係は、あの言葉とルビの関係に似ていて、主従のない、その二重性、重なりでしかない両方があってようやく立ち上がるものがある。

『新潮』2024年9月号P187-188  飴屋法水+岡田利規「個」と「種」を束ねる想像力

「ルビを振ることで初めて立ち上がるものがある。これは演劇だと思うんです。」という箇所を読んで、ああそっか、古川さんの小説はルビが多用されていることも特徴なんだけど、小説家になる前に演劇をやっていたものがそこに現れているんだろうなと思った。飴屋さんも岡田さんも古川さんと対談していたり、関係性もあるから、鼎談したらもっとその話踏み込めたのかも。

歌を「詠む」とは詠嘆の表現であると共に、「詠」という文字に見られるように言葉を永遠の世界から受け取ることであり、彼方の世界に言葉を送ろうとすることだった。
若松英輔著『小林秀雄 美しい花』P296より

前日に読んでいたものにあって、メモしていた文章。これがあったから、詩から始まったということが脳裏に浮かんできたのだと思う。


仕事が終わって雷が夜空に光っていて、雨がもう直ぐ降りそうだなっていう直前に好きな居酒屋さんへ。定期的に飲んでいる編集者Hさんと飲む約束をしていた。
19時から飲み始めたらすぐにお店の窓ガラスの向こう側に雷が光りまくり大雨が降りまくるという危機一髪みたいな感じで、お店のテレビはパリ五輪が流れていてスケボーかなにかがやっていたが、たまに目が入るものの、それとは関係のない話をしながら三時間ほど楽しく飲んで美味しいものを食べて話して話してみたいないい時間を。


編集Hさんは仕事のメールが来たので家に帰るというので、僕はニコラへ行ったけど、雨が長く降っていたのもあってかお客さんがかなりいた。帰れなくなってそのままみたいな感じがした。ビールを飲んでから、アルヴァーブレンドをお願いして、曽根さんにタバコをもらって一本だけ吸いながら美味しいコーヒーを飲んだ。

 

8月8日
二日酔いもなく、目が覚めてから可燃ゴミを出して、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら朝の読書を30分ちょっと。
二日前に書いていた「予告編妄想かわら版」の原稿をもう一度予告編を見て、文字数とかも含めて修正していく。午前中はこれを終わらすつもりだったので、最後までできて編集さんにメールで送ったら10時を少し過ぎていた。12時過ぎには六本木駅に着いていたかったので10時半前に家を出た。


TOHOシネマズ六本木の少しの先に六本木駅があるので、歩くと一時間半ぐらい。朝聴いた「佐久間ANNN0」をもう一度スマホのほうのradikoで聴きながら向かう。家を出た時は30℃ぐらいだからなんとかなるかなって思ったけど、風もあまりなく日差しも強くて、これはタオルとか入れてきた方がよかったかなと思ったけど後の祭り。
すぐに汗をかき出し、セルリアンタワー東急ホテル近くのファミマでタオルを買った。結局、それで顔とか体の汗を何度か拭きながら六本木駅のところにあるアスミック・エース試写室へ。去年の12月に『ボーはおそれている』の試写以来だった。

荻上直子監督×堂本剛主演『まる』試写を。堂本剛さんは『金田一少年の事件簿』の劇場版から27年ぶりの映画主演作。現代美術家のアシスタントとして働いていた沢田(堂本)が職を失ってから、「○」を描いたことで自分の預かり知らぬところで、その「○」が広まっていき、日常が侵食されていくという物語。
隣人の漫画家志望の横山(綾野剛)や沢田と同じくアシスタントをしていた矢島(吉岡里帆)やミャンマー出身のコンビニ店員のモー(森崎ウィン)などとの交流も描かれる。
また、沢田の同級生の嫌味な男の吉村はおいでやす小田さんが演じていて、観ながら映画公開前ぐらいに剛くんが小田さんが出る曜日の『ラヴィット!』のゲストで出て、なんかやりとりとかやりそうだなって、映画に関係あるようなないことを思ったりしていた。
アートと自己顕示欲やビジネス(お金)の話なんかもありつつ、「○」という円という最初と最後がない、終わりのないもの、ちょっと仏教的なモチーフや世界観もあったりする内容で、アート要素も強いのでビジュアルはすごくいいし、絵になっていた。
沢田は巻き込まれ型なところがあり、そこまで自分を出そうとはしていない。だが、横山や矢島はある種の過剰さがある人なので、観ながらコミュニケーションするの大変だなって思ったり、その意味では普通の人があんまりいない映画ともいえるのかもしれない。
そういう過剰な人たちに対する沢田が悟ってるのかというぐらいに揺さぶられない、ブレないとも言えるし他人に興味がないようにも見える。優しい人のようだけど、実は他者にそこまで期待もしてないし興味がない人にも見えなくもない。コンビニ店員のモーぐらいが一番まともな人と言えるかもしれない。
個人的にはもうちょっとアート方向に振り切ってもいいんじゃないかなって気がしたけど、『かもめ食堂』や『めがね』を撮ってきた荻上直子監督らしいと言えばらしい物語になっていた。
アートを扱った映画で言えば、リューベン・オストルンド監督『ザ・スクエア 思いやりの聖域』みたいな作品ぐらい踏み込まないといけないし、ユーモアとアイロニーがないと業界のことは描きにくい。それを思うのは矢島がある主張と行動をするのだけど、それに対しても沢田はこれといった対応や言葉を彼女にはかけない。それはきっと監督自身がアート業界に起きていることを入れ込んではいるが、その現象についてさほど意識的に扱いたいものではなかったのだろうし、踏み込むとそちらに話が寄っていくのを避けたのかもしれない。

観終わってからまた帰りも歩いて帰った。何度もタオルを出して汗を拭いたが、汗だくになってしまった。日差しが強かったのでちゃんとコンビニで水分補給しながら歩いた。
家に帰ってご飯を食べてからちょっと横になって休んでいたら、SNSで宮崎県で震度6弱の大きな地震があったとポストされていた。その後に南海トラフ地震臨時情報が発表された。
今回の地震が前から言われている南海トラフの前兆かもしれず、一週間以内にまた震度6ぐらいの地震が起きる可能性が高いらしい。南海トラフ地震が起きると静岡県から宮崎県にかけて一部では震度7ぐらいのかなり大きな揺れ、それによる広範囲での10mを越える津波も起こるし、多くの地域でも震度6ぐらいの強い揺れになると想定されている。
正月の能登地震でもいまだに復興は進んでいない。これでさらにいろんな地域で大きな被害が出たら手に追えない状態になるだろうし、現政権の能登地震での対応を見ていても期待はまるでできない。大きな災害が来ないことを願うしかないし、起きた際のことを考えておかないと本当に生命の危機に繋がってしまう。
株価とかもそうだけど、日本が抱えている問題が多過ぎて、どうにもならないというか、あらゆるものが機能していないせいで悪循環しかないように見えているので、これ以上カオスなことにはならないでほしい。

午前中に提出した「予告編妄想かわら版」で取り上げていたジョン・ワッツ監督&ジョージ・クルーニー&ブラット・ピッドW主演映画『ウルフズ』の劇場公開が中止になったというアナウンスが出た。差し替えしないといけないので夜にやる予定の作業をやらずに別の作品を選んで修正した原稿を送った。
しかし、このクラスの俳優や「スパイダーマン」シリーズを手掛けている監督の新作が日本で公開されないというのを見ると、本当に日本の映画館って洋画というものが観られなくなってしまったんだなと思ってしまう。
アニメ映画は大ヒットするし客も入っている。結局のところ、今の30代とか20代が洋画を観て育つという機会があまりなかったというのがなんだかんだ影響もしてるんだろう。やっぱりどんなジャンルでも大事なのは観客を育てていくということなんだろう。
平成中期ぐらいまではネットで動画を見るのがまだだったし、テレビの時代だったから洋画劇場みたいな番組がいくつかあったから映画館に行かなかったりしても、レンタルビデオで名作やヒット作が観れていたし、それが共通言語とか共通の体験としてあった。海外、特にアメリカへの憧れがあった世代というのも僕ら40代ぐらいが最後尾なんだろうし、いろいろと映画業界のことを考えさせられる今回の劇場中止という出来事。

 

8月9日
23時からradikoで『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴いて、半分終わって日付が変わってぐらいで眠りに落ちた。7時前に起きてから残り半分を聴きながら朝のルーティンがてら読書を。
リモートワークを始めて、『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をBGNがてら作業。

昼休憩の時にTSUTAYA書店に行ったら、野木亜紀子著『アンナチュラル完全版シナリオブック』が出ていたので購入。月末に映画『ラストマイル』が公開されるので、その作品とも繋がっていることもあって刊行されたのだと思う。野木脚本作品である『アンナチュラル』『MIU404』と今作『ラストマイル』はシェアード・ユニバースということになっている。
本来だとシェアード・ユニバースは複数の作家が独立して作品を提供し、作品は単独でも成立するが、プロジェクト全体のストーリー、キャラクター、世界設定を共有して一連の創作物からなる架空の世界のことをいう。複数の作家ではないけど、この言い方をしているのは「プロジェクト全体のストーリー、キャラクター、世界設定を共有」しているというのを言いたいということなんだと思う。

休憩から戻ってからはルイス・コールのニューアルバムが配信されていたのでそれを聴きながら仕事。月曜日も休みで三連休なので、もろもろと月曜日にやる予定のことなんかをやっていたりしたらあっという間に時間が過ぎていった。


仕事が終わってからニコラでネクタリンとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをば。お店も明日まで営業で11日から夏休みに入るのでその前にもう一回顔を出したかった。カウンターで曽根さんといろんな話もできたけど、僕は東京にいることでなんとかなっている部分があるんだなと改めて思ったりした。

『フワちゃんのオールナイトニッポン0(ZERO)』について 

個人的には現在の「オールナイトニッポン0(ANN0)」のラインナップ、フワちゃん(月曜)、あの(火曜)、佐久間宣行(水曜)、マヂカルラブリー(木曜)、三四郎(金)は週五の全曜日聴くぐらい好きなので、非常に残念な結果になってしまった。
数日前に書いたけど、やっぱりchelmicoが一番ありえそうな気がする。
今回の件は番組に関係がない事柄ではあるが、調子が良いであろうオールナイトニッポンの綻びの始まりかもしれない。深夜ラジオというある種の解放区が、自分で首を絞めることになる可能性もある。ただ、今回の降板で次にやる人はすごい状況の中でやることになるのだけど、ぶっちゃけ大チャンスにもなる。
さんまさんがブラックデビルになったのは最初にやっていた高田純次さんがおたふく風邪になったことで代わりに演じることになり、好評でそのままだというのは有名な話。
現在、パーソナリティーの佐久間さんもバナナマンの作家であるオークラさんとのノブロックTVサブチャンネルの中のトークで、48系か坂道系のどっちかが「ANN0」から「ANN(一部)」に昇格して枠が空いて、いろんな事務所の関係もあって、どことも関係ない人にちょっとやらせようとして自分にやらせたんじゃないかなと言っていた。そういうチャンスに滑り込む人とか回ってきた人が天下を取っちゃうこともある。

『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら、今日の日記を書いていたら、スマホがすごく嫌な音を立てて緊急地震速報のアラームを鳴らした。うちはそこまで揺れなかったけど、神奈川県西部で震度5弱だった。南海トラフ地震の話が昨日の地震で出ていたけど、それに関係してそうな。ほんとうに怖いし、今年いろいろとロクでもないことしか起こっていない、それが一番怖い。

そして私がある意図に基づいて歩いてしまう時、それは文学的行動だ。
文学は文字だけで産出されるわけではない。これは立ち会った人ならば首肯してくれるかもしれないが、私の(失敗していない範囲での)朗読という行為は〈文学〉だ。文字を書かないでも、文字を発生させて、届けられている限りは〈文学〉だ。ということは、琵琶法師たちが演奏し語った『平家物語』はもちろん〈文学〉だった、と言い切れる根拠になる。
とりあえず私は歩き切った。最高気温が37度を超えるのだとしたら、その〈行動〉はやめる、とは決めていた。しかし超えなかった。先月、その時は38度台の最高気温を2度マークしていて、これは本当に臨死のような可能性もあるなと考えた。しかし私はこの〈行動〉において単独行を決めていたので、いかなる判断も自分自身でできる。瞬時、瞬時、きちんと考えを決めること。それをやって、その日に私は定めていた目標地点には到着した。あとは、それを言葉で書き記す、という出発に向かうことである。出発にとって肝要なのは、この場合は「到着しなければ、(次の)出発はない」とのビジョンだった。

古川日出男の現在地」到着・出発 2024.07.27 – 2024.08.09 東京・埼玉・京都・福島

古川さんのブログが更新されていた。だいぶ前から長距離を歩ける体にするように鍛えられていたので、どこかを歩くのだろうなと思っていたけど、そういうことだったんだとわかる内容だった。
単独で歩かないといけない、見て聞かないといけないものがあった。それはやがて文学として書かれることになるはずで、僕はそれを待つしかない。読みたいと思う。四年前の東京五輪がなくなった2020年に古川さんと田中くんと一緒に国道6号線を歩けたことはずっと僕の誇りとしてある。

 

8月10日
目覚ましが鳴る前に起きてからぼんやりとしていて、TVerで深夜にやった番組を流していたらもう眠くなってきて一時間後に目覚ましをセットし直して寝た。
再度起きてから朝のルーティンをちょこちょことしてから、9時半前に家を出た。風はあまりなかったけど日差しは強くなくて歩くにはちょうどいいぐらい、肌感で30℃ぐらいかなって感じで、35℃を越えてくると手とかの皮膚のヒリヒリ感が全然違う。

環ROY Tamaki Roy - そうそうきょく 


今日は亡くなった友達の誕生日だったので、最初にこの曲が聴きたかったので聴いてから、radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』に移行した。
誕生日が祝えないということ、生きてたら普通にラインでおめでと!ぐらいな感じだとしてもそれができない、もう年齢を重ねることができないということ、それもあって家を出る時に形見分けでもらっていたリングをつけていた。
三四郎ANN0」もフワちゃん騒動には触れずに、この時期に触れて無駄にネットニュースになっても困るだろう。ニッポン放送70周年記念と番組の10周年でやる日本武道館ライブもあるから、余計なことはしないだろうし、彼らもプロだから中途半端にこのことを話題にしない。
パリ五輪が開催中なので番組内で二回メダルを取ったというニュースを小宮さんが読んでいた。2028年のロサンゼルス五輪は四年後だし、時差は16時間だからもし番組が続いていてもおそらくこういう速報を読むというタイミングにはならない。

二村真弘監督『マミー』をイメージフォーラムで鑑賞。1998年に日本中を騒然とさせた和歌山毒物カレー事件を多角的に検証したドキュメンタリー作品。予告編を観ていたこと、この前に『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』を読んでいたこと、そしてフワちゃんの炎上騒動があったこともあり、この映画を観ようと思った部分があった。
この事件時に多くの人が印象に残っているであろう林真須美死刑囚がマスコミに向けて水を撒いたシーン、僕もそのぐらいしか記憶になく、死刑が求刑されたことしか知らなかった。彼女がずっと容疑を否認し続けていることも知らなかった。
もちろんドキュメンタリーだから真実であったり、本当のこととは言えない、編集がある時点で監督の思惑やフレームが入る、そして彼らのいうところの検察側が作った「物語」ができて彼女が犯人ということになって逮捕されて求刑されたことと同様のことが編集ではできる。
人間は信じたいものしか信じない。見たいものしか見ない。
「物語」のおそろしさとはそれを助長することでもある。ゆえに「物語る」ということはなにかを慰撫してくれるが、同時に破滅にも導くことになる。だからこそ、国語や言語というものをちゃんと勉強することが必要なのだけど、と学歴もない僕ですらわかる。
今作はこのままでは死刑囚として死刑が執行されてしまうという状況において、再審要求などを出してすべて否認されているということはおかしくないかと思った二村監督が当時の関係者たちに会って話を聞いていく。最終的には暴走してしまうのだけど。
実は林真須美死刑囚が犯人であるとは言えない状況証拠がいくつかあり、さらには事件で使われてカレーに入れられたヒ素が林家にあったものともまったく同じだというわけではなく、それについてももう一度検証しなければ彼女が犯人かどうかすらわからないという問題をあぶり出している。
今作では林真須美の長男が顔にボカシを入れた上で出演しており、また夫で妻の真須美にヒ素を盛られたとして被害者扱いされていた健治も登場する。
終盤にヒ素を何度か使って障害が起きてお金をもらったと普通に話す健治の証言や当時の保険金詐欺などの問題なども明らかにされていく。問題はあの頃にはあの地域ではシロアリ駆除のためいろんな家にヒ素があったが、林家以外のものは捜査対象になっていない。保険金詐欺や以前にもヒ素をつかった中毒があったなどとマスコミが報じたこと、もちろんその周りの家もメディアを見た人たちも林真須美が犯人だろう、という世論になっていった。

元朝日新聞の記者も登場するが、自分は当事者だからもう一度調べようとしてもバイアスがかかると話している。それはそうなのだろう。だから、縁もゆかりもない二村監督のような部外者の視線で調べていく、話を聞いていくことでわかってくるものがある。
問題なのは、検察が「物語」を作ることで、林真須美を容疑者にしたこと、目撃情報なども含めてもろもろがそちらに加担するような方向に向かっていったことなど、驚くことばかりだった。
最後には事件当時には林家は健治と真須美夫婦に二男二女の家族がいて、映画に出てくる長男以外の子供たちの現状には触れられなかったが、一人の衝撃的な事実も出てくる。もし、彼女が本当に犯人でないとしたらその一人にはそんなことは起きなかったはずだとしか思えない事柄が起きてしまっていた。
シリアスな話だし、実際に四人の死者が出ている事件だが、まあ、この親父というか夫の健治が立川談志師匠が言われていた「人間の業」というものを感じさせる人物であり、観ながら何度か笑ってしまった。なんか人間ってそういうもんだよなって思ったりするし、憎めねえなみたいなところもある。
法という正義を執行する人間側が本当に正しいのかという問題、彼らも組織の一部であること、メディの報道が加熱していくことによる二次被害やずっと続くことになる遺恨、それによる世論の作られ方というものを感じる。これらのことは今も続いているし、SNSの普及によってよりひどくなっている。

小山田圭吾の炎上とフワちゃんの炎上において、当人の責任や言動の問題はあったとして、それに対して誹謗中傷をすることは彼や彼女のやったことを酷いと言いながら同じような、よりひどいことを平気で「正義」という仮面をつけて行っている連中がいる。
本当に心の底から気持ち悪い。生贄がほしいだけで、自分じゃなければいい。そして、犯人だとされる人や加害者とされる人なら攻撃していいという謎の言動がある。心の底から軽蔑する。アカウントを複数作るな、実際に会った時に本人に言えないようなことを世界に開かれているSNSで発するな、としか言いようがない。

ドキュメンタリー映画としては不謹慎かもしれないけど、エンタメになっていてめっぽうおもしろい。僕の行った午前中の回は満席で埋まっていた。まだ上映館はイメージフォーラムとかぐらいで館数は少ないが口コミでどんどん広がって全国でも観られるようになるんじゃないかなと思う。
ただ、こういう作品が公開されて影響が出る前に司法が手を下すという可能性もあるんじゃないかなと心配ではある。
検察とかはもう掘り返されたくないことがいくつかある。時間が経てば関係者たちはどんどん死んでいく、再審も改めての調査も難しくなる。それを待っているようにも思えてしまう。
そして、この映画を観た後はより迷宮に連れて行かれるような気持ちになる。なにが本当なのだろう、と。林真須美が犯人でないとは言い切れない、だが、犯人ではない可能性もある。しかし、解明されていないことやもっと検証しないといけないことは棚上げにされたままだという現実もある。


映画を観終わって外に出たらもう腕の皮膚がちょっとヒリヒリするぐらいの暑さになっていたが、そのまま久しぶりな青山ブックセンター本店に寄った。
「330人が、この夏おすすめする一冊。」フェアというのが店頭近くの特集コーナーで展開していたので観ていたら、ニコラの曽根雅典著『死者のテロワール』が積まれていて、選んだのが窪美澄さんだった。窪さんのコメント部分も撮って曽根さんに画像を送った。

帰る途中に「三四郎ANN0」を聴き終わったので、『令和ロマンのオールナイトニッポン』を聴き始めた。本来は『霜降り明星オールナイトニッポン』だったが、お休みで代打で令和ロマンだったらしいが、新幹線の遅延で二人が東京に帰って来れておらず、代打の代打として霜降りの粗品が二人が着くまでやるという謎の展開になっていた。
相方のせいやとは電話で話していたが、自分には連絡がなかったこと、休みにしてるんだからお前も休めということなど、ちょっと連絡の行き違いもあるのかわりとマジなトーンでのやりとりになっていた。その後、粗品がそれまでやっていたYouTube撮影に出ていた後輩芸人たちも読んでいたのでそれで令和ロマンが来るまでチンチロリンをしながら繋ぐという不思議な回になっていた。

家に帰ったら汗だくになってしまったのでとりあえず着ていたものとか全部洗濯して、ご飯を食べてからちょっと仮眠。
夕方になってから家を出てブックオフとかに顔を出したり、スーパーに寄ったりしてコンビニでアイスコーヒーを買ってきてタバコを吸いながら一服。タバコの紫炎がなんだかお盆の迎え火みたいだなって、昔実家にいたころに祖母がお盆の時期に家の前で迎え火をやっていたのを思い出した。


『死んだ山田と教室』でメフィスト賞受賞してデビューした金子玲介さんの二作目『死んだ石井の大群』を読み始めたらそのまま一気に読了。
白い部屋に閉じ込められた333人の石井。失敗すれば即、首につけられた首輪が爆発して死んでしまうというゲームに強制参加させられる。3つのゲームで生き抜いた一人のみが助かるというのだが…。
良くも悪くもメフィスト賞ぽさを感じる設定とオチであり、最後の方は笑っちゃったけど、きっと怒る人もいるだろう。それこそがメフィスト賞らしさともいえる。タイトルから思い浮かんで設定を作ったのかな、と読みながら思った。設定がありきでもこのタイトルにはできるか、どっちなんだろう。オチから考えた設定かなあ、333人の石井を集めてデスゲームをさせるためにはそのアイデア自身がそもそもオチが決まってないと難しそう。ようするに解決しないといけない事柄が増えるから、333人の石井をどうやって集めたのか、ということ、そしてゲームが行われている理由づけ。
僕はそこまでミステリーをたくさん読んできているわけではないけど、ミステリー好きな人だと探偵事務所にいなくなった333人の石井の中の一人を探しにきた人の件である程度予想できたりするのかな。たぶん、違うけどメフィスト賞系でいうと『六枚のとんかつ』的な要素はある。僕が愛読している漫画に出てくる設定が使われているのもあって、個人的にはコメディ感があったが、あれを読んだりしてない人やあの作品が作られた時期に流行ったもろもろを知らない人の方が笑わずにシリアスなものとして読めるのかもしれない。
デビュー作と今作とも映像化にはすごく向いていると思う。最後には三作目『死んだ木村を上演』の予告もあり、「死んだ+名字」シリーズでしばらく行くみたい。
第63回の受賞者の潮谷験さんから三人続いて、メフィスト賞受賞作家がトリッキーすぎるし設定とかが非常におもしろい。何度目かの黄金期が来そう。

 

8月11日
6時半過ぎに起きて7時半前には家を出て渋谷へ、午前中の早い時間だからそこまで暑さはなかったが、やっぱり日陰のないところだとそれになり肌に痛いような気がするので、できるだけ日陰を選んで歩いたら汗が出るのがいつもよりもだいぶ遅かった。
時間帯によって日陰のできる場所や位置が違うから、時間が違うと日陰が減るエリアもあるし、いつも使える手ではないよなと思いつつ、昨日夜に聴いていたDragon Ashの懐かしい曲をまた聴きつつTOHOシネマズ渋谷まで。

萩原健太郎監督『ブルーピリオド』朝一の8時15分の上映回を鑑賞。さすがにこの早さだからお客さんは十人ほど、親子連れもいたりしたけど、子供が小学生入るか入らないかぐらいの男の子二人だったので、ちょっと内容はわからないだろうなと思ったけど、作中で主人公の矢口八虎(眞栄田郷敦)が東京芸術大学への受験のことで母親に自分がやりたいことだと伝えるシーンとかで、前の列のその親子の両親はこういうこともそのうちあるのかなって思いながら観てるかなと思ったりしていた。
ヒット作である漫画原作があるのに芸大受験まで二時間以内にまとめてるのすごいな、と思ったら脚本が吉田玲子さんだった。吉田さんはアニメシリーズも手掛けているみたいだけど、アニメ映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』も構成力がすごかった。連載が長く続いているような作品を的確にうまくまとめる能力もすごいんだな。
八虎が美大受験のために通っていた美大受験用の予備校で一緒だった橋田を演じた秋谷郁甫さんて俳優はなんか昔の綾野剛さんみたいな魅力があるような。『エルピス』もうそうだったけど、眞栄田郷敦は作品に恵まれてるなと感じる。そういう力もメインどころをやる人の運だし、繋がっていく。
八虎が絵を描く前の人付き合いも器用にこなして勉強もできるけど、何か物足りない、やりたいことがないっていう時期の朝帰り前のラーメン屋を出た時の渋谷の早朝の風景、彼の中に刻まれていくシーン、それが最初に描く絵になっていく辺りの描写や画の感じが素晴らしかった。あそこで説得力を持てるかどうかがこの物語の大事な部分だし、監督のセンスが問われるところだったと思う。
映像や音楽に関してもカッコいいし、テンポよく物語を進めながらもキャラクターの魅力や関係性がわかるので、夏の映画として十代が観るといいんじゃないかなって、心が震えるような作品になりそう。

昼過ぎにランジャタイの伊藤さんが活動休止というニュースを見た。内容を読んでみると相手の女性が年齢を偽っているし、年齢確認をした際にそれも偽造したものを持っていて関係を持ったとあったりして、さすがにそれはどうにもならない気もしたし、いわゆる芸能人や著名人は素人の人に手を出すことがアウトになる。
もちろん、相手の女性にもいろんな思惑や気持ちがあったんだろうけど、伊藤さんの年齢的にも年の離れた異性が向こうから来ても断る以外に守る方法がない。だまされたのであれば、被害者だけどそういう年齢とか未成年とかの問題があると加害者としても言われてしまう。
毎週楽しみにしていたポッドキャスト『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』はとりあえず次回は配信がなし、オールナイトニッポン界隈ちょっとザワザワしすぎじゃないかな。

From Q presented by Aston Martin Ginza | TOKYO FM | 2024/08/11/日 19:00-19:55 

高橋一生さんがゲスト。オリンピックは見てない、いや今までも見たことがない、そもそもスポーツ観戦に興味がないって言われていて、見るぐらいならやったほうがいいって話されていて、一緒だって思った。
僕もサッカー観るぐらいなら下手だけどフットサルとかやったほうがいいし、野球も観るなら(神宮球場で観た時は、ああここはビール飲むのは最高だなって思った。あだち充漫画大好きだけど、野球よりもあだち充が好きなだけだし)下手だけど草野球したい。
個人的に集団で同じユニフォームを着て応援してるのとか見るのが気持ち悪いのもデカいけど、だけどこういうことをそれが好きな人には言えないしダメでしょ、そういうのが気持ちいい人は。そういうのが気持ちいいと思えない人をユニフォーム着れちゃう人たちは理解してくれないしね。
高橋さんは音楽もライブとかではなく、部屋で一人で聴いていたいって言われていて、そこは僕はライブ行く方だから違うんだけど、ユニフォーム的なことでバンTは買わなくなったし、買ってもライブの時はできるだけ着ない。普段着として着ることにしている。
でも、自分が菊地さんのライブとか行くのとか、ZAZEN BOYSとかある時期からずっと行っているのは、彼らの音楽はみんなが同じじゃない、それぞれが好き勝手に各自が音に揺れて踊っているから。僕が今ライブに行くような音楽はそういうもの。
クラップユアハンズとか両手を左右に振ったりしたりとかウェーブやったり、客に歌ってみたいなことをするミュージシャンのライブには行きたくない。あれが気持ちいいのはわかるけど、やっぱり気持ち悪いから、僕はそんな「人類補完計画」みたいな一体化みたいなものを求めてない。

昼過ぎからちょっとだけ読書をして夕方過ぎからライティング作業を。『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』『From Q presented by Aston Martin Ginza』をBGMとして聴きながら。
有吉さんはフワちゃんに関しては一度も名前も出さなかったし直接的には触れなかった。当然だと思う。今擁護しても自分にも飛び火するし、鎮火するかもしれないことがまた火力が強まってしまうことにもなる。今は様子見で触れないこと、火が弱くなるのを待つしかないと思うし、同時に一緒に仕事はしているけど個人的には興味はないかもしれない。一度有吉さん自身もブレイクして落ちていって地獄から戻ってきた人だから、自分で這い上がれと思っているのかもしれない。
フワちゃんは芸能活動を休止するというのを見たけど、これで芸人でありYouTuberのフワちゃんは一度死んだということだと思う。物語に当てはめれば、一度死ぬことを「鯨の胎内」に入るという。実際に死んでしまって黄泉の国やあの世に行くことであったり、肉体は死んでいないが象徴的な死を迎えること、だが、英雄神話構造では「鯨の胎内」に入って帰ってきたものが王となる。
わかりやすい例だと『ドラゴンボール』の悟空が一度死んで海王様のところで修行して復活するなどもあるし、NBAでスリーピート(三連覇)を二度も果たした「バスケの神様」と呼ばれるマイケル・ジョーダンは一度目のスリーピート後に父を殺され、父がかつて望んでいたNBA選手になるためにバスケをやめて3Aからメジャーリーグへ挑戦した。そして、それを得てNBAに復帰して二度目のスリーピートを果たすことになった。この場合だとNBAのトップアスリートが象徴的に一度死んでMLBの世界に行き、再びNBAに戻ってきたと言える。
フワちゃんとしては今回のことで一度死んでいると言えるので、本名の不破遥香としてどんなジャンルなのか仕事なのかわからないけど復活劇があるかもしれない、そのまま炎上していくのはラジオをずっと聴いていたリスナーとして残念すぎる。
叩いていいという空気だから、叩いてもいいという風潮や世間があるならまずそれを否定しないといけない、魔女狩りに参加している人たちは自分や自分の周りの人が同じ状況になってしまうこと、その時に歯止めが効かない状態がいかに恐ろしいのか、という想像力はないのだろうか。確かに彼女の発言はダメだと思う。だけど、自己責任みたいなことを押し付けてなにも責任を取らなくなった政治や社会が求めているのは相互監視と一度の失敗ですべてが終わるというチャンスのない、セーフティネットのない社会でそれでは僕たちはあまりにも生きにくい。それでもみんなはそれをよしとして生きにくさだけが強くなる社会をよしとしていくのだろうか。

 

8月12日
起きてから9時前に家を出る。今日はライティング作業だけなので午前中に体を動かしておこうと思って代官山蔦屋書店まで散歩。最初はそこまで暑さは感じなかったし日陰を選んでいたけど、そこそこ汗をかいた。昨日気づいたけど毛先のほうが気持ち茶色がかっていて、髪の毛も日焼けして黒さがちょっと抜けているっぽい。
お店に着いたけど、特に目ぼしいものもなく、早い時間帯からお客さんはそこそこいた。帰りにサミットで昼ご飯用に冷やしうどんと天ぷらのミニセットを買って帰った。
さすがに汗をかいたのもあって洗濯をする前にシャワーを浴びたが、体も熱を持っていることもあるんだろうし、気温の高さも相まって水でシャワーを出していてもそこまで冷たくはなくて、ひんやりすらしない。
外に出て髪の毛を拭いたりしていたらじんわりと汗が出てくる。洗濯物はすぐに乾くというありがたさはあるけど、やっぱりこの気温は危険だ。部屋にいても冷房とかしないと熱中症になるというのがよくわかる。

ONE PIECE公認ドッキリ】尾田栄一郎先生が原作最終回の原稿をいつも持ち歩いていて、流出しそうになったら!?ラストにまさかの尾田先生ご本人も登場!


昨日、寝る前に一度見た『佐久間宣行のNOBROCK TV』をもう一回見る。『ワンピース』という世界的に人気漫画の公認という強さ、最後に本人が出てしまうというレアさ、尾田さんが「NOBROCK TV」ほとんど見ている大ファンだったこと、前に『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のイベントで、番組で佐久間さんが船長ということになっているのもあって、尾田さんデザインのコラボグッズがあったような気がするけど、ほんとうに尾田さんが佐久間さんのファンなんだろう。
YouTubeでいろんな人が『ワンピース』考察動画とか出してるみたいだけど、本人と直筆原画と本当の担当編集者出てきたらもう勝てない。マヂカルラブリー野田クリスタルが「ANN0」で『ワンピース』考察をよくやっているし、スペシャルゲストでも考察YouTuber呼んだりしてたから、かが屋が尾田さんに本当に会ってるのすごく悔しそうだなって関係ないことを思った。

昼過ぎから今書いている作品を最初に思いついたきっかけになったデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督『アンダー・ザ・シルバーレイク』を何度か目になるかわからないけど、見直し。最初から起きていく出来事をスマホでメモしながら何が起きているのか書き残していく。
作品の時間としては約2時間20分あり、物語が大きく展開していく、次の章やパートに入ったところは時間をチェックしていたが、30分、1時間5分ぐらい、1時間36分ぐらい、次は短くて1時間54分ぐらい、そこからクライマックスに向かっていくという感じのタイムラインだった。知り合いになったサラという美女が急にいなくなってそれを主人公のサムがロサンゼルスのシルバーレイク付近を舞台に探すという物語で、都市伝説的な要素がかなり入っている。
実際にメモしてみるとちょっとずつ新しい要素が出てきて、新しい謎や新しい登場人物が出てきて、いくつかのラインがありながらも主人公としては謎を解いていなくなった彼女を見つけようとする。
実際に最後の方で明らかになる真実はかなり都市伝説みたいな事柄であるが、作品のテイストとしては間違っていないし、大富豪とかがいるロサンゼルスのハリウッドでなくもなさそうじゃないかなって思わせるものでもある。
主人公は物語を通して成長したかと言われると微妙ではある。ただ、探偵的な役割を果たして謎を解くが、それすらに都市伝説みたいなオチではある。だけど、こういうテイストの作品は大好きだし、僕はこういう映画がもっと観たい。小説でもありそうなんだけど、あまり読んだ記憶がない。日本でやるならという妄想から今書いたものは始まった。実際にこの映画みたいなことはできないし、日本を舞台にするとかなり違う方向性になる。ただ、この作品がやっているようなカルチャーや都市性みたいなものは流しこめるんじゃないかなって思ってる。
ただ、今自分が書いているものは何年も考えていたこともあって、最初に思っていたものとはかなり違う話になっている。もうちょっとミステリー的な方向に向かっていたものが最近は恋愛の部分がもうちょっと出てくるほうがより謎とか不思議な事柄が歪になっていくだろうし、そうしたいと思うようになってきた。
というわけで夜は今度のアイデア出しとライティングを進める。

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今書いている作品は少し前に『憐れみの3章』の試写を観たことに影響されていて、長編というよりも三つのパート、3章がちょっとずつ絡み合うけど独立しているイメージになった。
作品としてはひとつのパッケージになるといい。時間的にも三編をそれぞれ書いていくほうが時間のこともあるけど、最初に考えていた長編を今書き上げる能力はないと思うし、三つが歪になったほうがインパクトはでそう。

 

8月13日
いつもの時間に目覚ましが鳴ったけど、意識が身体にうまく重なるというかスムーズに動けそうな感じがあまりなく、目覚ましを一時間程度遅くしてまた目を閉じた。
リモートワークのちょっと前にもう一回起きたが、そこまでさっきと変わっていない。なんかいつもよりも体が重いというかダルい、でも風邪を引いたりとか体調が悪いというわけではなさそう。
リモートを開始して、そっか昨日が休みで今日が火曜日だからなにか一日ズレていて体内時計というか一週間のリズムの違いになにか自分の中のものが戸惑ったのかな。そこまでセンシティブだとは思わないけど、いつもと違うことをするとやっぱり違和感を感じるぐらいにルーティンが日常を作っている。
リモートワークのBGMはradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を。「空気階段」は学生時代に文化祭を味わうことできなかったもぐらが同志を募集して、文化祭をやろうという話を何週かしているけど、本人からだけではなく推薦人からのメールも必要なのでその内容で人間ドラマみたいなものが見えてくる。そういう部分が空気階段のコントとかにもあって聞き応えがある。「伊集院馬鹿力」は冒頭にラジオができる幸せのことを少しだけ彼女の名前を出さずに言う伊集院さんもいろいろと関係性もあるし共演もしてたからこそ思うことがあるんだろうなという哀愁が感じられた。

古川さんが地元の郡山で10月に公演をするとのポスト。去年の8月頭に「常磐線舞台芸術祭2023」を観に新地町に行ったけど、郡山には2020年に行ったきりだから、タイミングが合えばぜひ行きたい。さすがに夏が終わって涼しくなってくる頃だと思うけど、今年はどのくらいまで暑いんだろう。

仕事が終わってからはSpotifyポッドキャストを聴きつつ、自分のライティング作業を。昨日夜配信されていた『83 Lightning Catapult』と今日配信の『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:森達也監督)『あのと粗品の電電電話』を。伊藤さん謹慎で『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』がないのが寂しい。

作業中に友達から電話がかかってきて、一時間ほど話をした。溜まったものがある時に話す相手が何人かいたほうがいいんだろうなと悩みというか不満に感じていることを聞きながら思ったし、話した。誰にでも本音や思っていることを言えばいいわけではないし、言えるわけでもないけど、数人いるとちょこちょこガス抜きもできるし、精神的にもいいんじゃないなかって。僕は溜まる前にこうやって書いたり、ちょこちょこ人に話しているところがある。

 

8月14日
日付が変わってからradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら寝落ち。平子さんの妻が大ファンで今まで何度か嫉妬の対象的に名前の出ていたBEFIRSTからメンバー二人がゲスト。長く続いている番組ってパーソナリティー自身もだし、周りの影響もあって人気のある人と絡んだり、付き合いができたりする。ということを聞いているのかなと思った。

起きてからちょっとしてからまぶたがちょこちょこ痙攣し始めた。ストレスが溜まるとたいていまぶたが痙攣して口唇ヘルピスができるパターンになる。まだ口唇ヘルペスはできていないので大丈夫かな。
夕方過ぎに予定があるので少し早めにリモートワークを開始。radikoで『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を作業BGMにして進める。
「爆笑カーボーイ」はこの時期恒例の収録だった。もし、収録じゃなかったらきっと太田さんはフワちゃん関連の話をしていたんじゃないかな。
星野源ANN」も収録だったが、次のスペシャルウィークゲストがオードリーとファミレストークだった。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』のDVDやBlu-rayが発売になる。当日はライブヴューイングで観覧したけど、ライブには星野さんも出演しているけど、フワちゃんが春日さんとプロレスをしていてかなり見応えがあった。あれどうするんだろう、さすがにあの一連の流れを収録しないということはないと思うけど、これから宣伝する際にも触れずにいくのだろうか。
プロレスのあとに春日家とフワちゃんに誘われて星野さんは春日家に行ってご飯を食べたというトークもあったし、現状だと星野さんもオードリーもフワちゃんには言及ができない感じなんだろうけど、その辺りが今後どうなるんだろうと余計な心配。
「あのANN0」は生放送であのちゃんがちょっと前から夢中になっていたオーディション番組からデビューしたME:Iの話とメンバーの内三人がスペシャルウィークゲストと発表。偶然なんだけど、アルピーの番組に近いものがあって、あちらは男性コンビに男性アイドルが、こちらは女性ミュージシャン兼タレントに女性アイドルがゲストでくるというもので、たぶん同性の方がファンが聴いてもそこまで嫉妬しないとかあったりするのかな、アイドルに疎い人間として思ってしまった。
作業をしている時に今やっている自分のライティングに関してラストのほうで起きる出来事が浮かんできたのでメモだけ取った。そこまでうまく流れができるといいのだけど、今月もあと半分だから、かなりタイトになってきたけどスケジューリングをうまくやってラストまで行きたい。

仕事を少し早めに上がらせてもらって渋谷へ。何年振りかまったく思い出せないほど久しぶりな渋谷クラブクワトロへ。コロナパンデミックの最中の2021年にリリースされたアルバムの3年越しとなるレコ発「U-zhaan × 環ROY × 鎮座DOPENESS」1stアルバム『たのしみ』リリース記念ワンマンライブ」に。
コロナだったこともあるし、出演の鎮座さんもいろいろあったりして、2021年に発売された『たのしみ』リリースライブは行われていなかった。
ソールドアウトでパンパンのクワトロ、小学生低学年とかぐらいのお子さん連れの親子が何組かいて、どうやら知り合いらしい感じだったから親がラップとかタブラ好きだったり関係者なんだろうかと思っていたが、客層はさすがに一緒に行った友人Aや僕ぐらいの40歳以上が多かった印象。まあ、中年が多かった感じかな、若い人もいたけど多くは感じなかった。
環ROYのアルバムのリリースライブでWWWとかで観て以来な気がする環&鎮座のKAKATOコンビのも楽しみだったし、音源では聴いているけどライブでは観たことのなかったU-zhaanの組み合わせ。最初は環ROYだけいなくて他の二人が出てきて、音楽が始まって鎮座が環は捕まってこれないよみたいなラップしてて、自虐がすぎるネタを披露していたら遅れて環がやってきた。トイレに行っている間に二人が舞台に出ていってライブが始まったみたいなことだった。
前日ずっと飲んでいたU-zhaan鎮座DOPENESSコンビ、風邪でにんにく注射を打ってきた環ROYというどうみてもコンディションがよくない感じもあり、それもネタというかラップにしたり、トークにしていてほんわかとしたアルバムらしい雰囲気が溢れていた。
U-zhaanがプロデューサーというか二人をまとめていて、お兄さんみたいな感じでトークとかで物販のこととかレコーディングの時に、環が来ないから代わりに『ギンビス』の歌詞の一番は書いたとか、坂本龍一さんのラジオに呼ばれた時に普通に遅刻した鎮座とか、いろいろと被害に遭っているみたいだった。
ラップもタブラもカッコいいし、踊れて最高になのに三人の関係性というか人間性とかがほのぼのとしているし、アットホームでそのギャップもよくて、昔の夏休みの夕暮れの心地よい風が吹いている時にする花火とか、テレビで野球中継やってて家族でスイカ食べてるみたいな心地さみたいなものがあるライブだった。

U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS / ギンビス 



終わった後にはギンビスのお菓子の詰め合わせを観客全員にプレゼントしてくれた。ギンビスさんありがとう!

 

8月15日
THA BLUE HERB "REQUIEM"【OFFICIAL MV】 


1945年の今日、日本は敗けた。終戦記念日というのはずっと違和感があった。この日は終戦の日であり敗戦の日。なぜ負けたのかということはいつも曖昧にされて、軍部や当時の国民も昭和天皇もいろんな人たちの責任はどこかへ、敗戦という言葉のほうがいいと思うのは負けてしまったこと、途中で辞めることも降参して原爆が落とされるようなこともないということも可能だったけど、それができなかったことを考えることはずっと放棄されてきた。
戦後日本はアメリカの属国として、焼け野原から朝鮮戦争を機に経済復興が起きて経済大国になっていった。その恩恵を僕の両親たち戦後生まれ以降は享受してきた。だからこそ、考えないといけない日でもある。


敗戦の日。ということでピエール・フォルデス監督『めくらやなぎと眠る女』の10時の回をユーロスペースで観ることにした。監督や柴田元幸さん、そして原作者でもある村上春樹さんが登壇した早稲田大学での上映イベントで一度観ているので、二回目。今回も字幕版にした。日本語吹き替え版は上映時間が夕方だったのもあるし、アニメのテイスト的に字幕の方が個人的には違和感がないというのも大きかった。
父親が戦後すぐ生まれで井上順さんと生年月日が一緒で、息子の僕は40歳を過ぎて「35歳問題」の延長線上だから、なんか今日観たいと思った。
村上春樹作の短編六つが連なりながら、一つの長編になっているような作品で、原作小説の要素がうまく噛み合っているのだけど、それを接着させているのは監督の個性や要素だろう。村上さんも上映会の時に自分の作品が映像化される際には短編の方が余白があるので、監督のアイデンティティーや作家性が入り込むことでいいものになっていると言われていた。
実際に濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』も短編集『女がいない男たち』のいくつかの作品の要素が入り込んでいた。イ・チャンドン監督『バーニング』も原作短編『納屋を焼く』を元にしているが、舞台を韓国に移していて話も大幅に変わっているが、村上春樹作品だなと思えるものだった。このアニメも同様で、いなくなった妻や猫などの村上春樹作品にあるものがそれぞれの作品を繋いでいく。その監督の自由な解釈や創造性がとても好きな作品だった。

映画館の行き来でradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていた。スペシャルウィークゲストは『トークサバイバー3』配信前ということもあって千鳥だった。YouTubeにアップされたワンピースとのコラボ動画の裏側というか、どういう流れでやることになったのか、当日の話なんかをしていた。


夕方すぎにニコラに行って、信濃鶏もも肉スモークと白桃のスパゲティと白ワイン(ドン トーマシ ヤート ルーチド テッレ シチリアーネ 2021)をいただく。毎年この時期に食べているので食べなきゃと思っていた料理。お店の夏休みも昨日までだったので、明日の台風は家から出ないようにしよう、行くなら今日だ!というわけで。
甘過ぎない白桃は皮が残っている箇所の食感もいいし、地鶏もも肉がスモークされているのだけど、肉を噛むとそのスモークの香りが白桃やスパゲティと混ざり合う。白桃の甘さと地鶏のスモークがとても美味しい。一緒に出してもらった白ワインはリンゴの風味と飲み干す時にミネラル感みたいなものがあって料理にすごく合うものだった。来年もまた食べたい、そういう繰り返しを。

伊藤さんが謹慎していて、ポッドキャストが配信されていなかった『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』は番組自体がなくならないみたいで、それはほんとうによかった。9月からオールナイトニッポンポッドキャストではなくなり、国崎さんだけの番組になるらしい。でも、二人でやってる時も基本的には彼がほとんど話していたので、おそらく大丈夫だと思うし、一人で続けていけばまた一緒にやれる場所は残るので応援したいし、配信されたら聴く。

 わたしたちは紙切れのように薄っぺらい存在だ。わたしたちは何割かの確率で訪れる運に頼って一時的に生きているにすぎない。このかりそめだという要素こそ、最良の部分でもあり、最悪の部分でもある。そしてこのことに対して、我々は何ら手出しができない。山の頂上に座って何十年も瞑想に耽ることはできても、それで何かが変わることにはならない。すべてを受け入れられるように自分を変えることもできるが、それもまた間違ったことなのかもしれない。たぶんわたしたちはあれこれと考えすぎている。もっと考えないようにして、もっと感じるのだ。
チャールズ・ブコウスキー著/中川五郎訳『死をポケットに入れて』新装版P121より


今回はこの曲でおわかれです。
折坂悠太 - 正気 (Official Live Video)