Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年1月16日〜2024年1月31日)

1月上旬の日記(2024年1月1日から1月15日分)


1月16日
日付が変わり一月上旬の日記をアップしてから、第一火曜日が集荷なしで、去年の12月の第三週火曜日に出してから溜まっていたペットボトルを出しにいく。風が痛いぐらい寒かった。先週の土曜日のようにまた雪が降る可能性もあるのかもしれない。
デフォルトになってきた二度寝をして8時半に起きた。12時前に上映する映画のチケットを昨日ウェブで取っていたので家を出るまで作業をやる。


キャストも気になっていた東野圭吾原作&飯塚健監督『ある閉ざされた雪の山荘で』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。シネマイレージデイは大人料金一般が1300円で観れる日だったが、平日の昼前でもそこそこお客さんは入っていた。
WEST.の重岡ファンが多いのだと思うのだけど、女性が多いが男性の年配の人もいたりしたので、東野圭吾ファンの人もたぶん足を運んでいたのだろう。

人気作家・東野圭吾が1992年に発表した同名ベストセラー小説を、「禁じられた遊び」の重岡大毅主演で映画化したサスペンスミステリー。

劇団に所属する7人の役者のもとに、新作舞台の主演の座を争う最終オーディションへの招待状が届く。オーディションは4日間の合宿で行われ、参加者たちは「大雪で閉ざされた山荘」という架空のシチュエーションで起こる連続殺人事件のシナリオを演じることに。しかし出口のない密室で1人また1人と参加者が消えていき、彼らは互いに疑心暗鬼に陥っていく。

オーディション参加者の中で1人だけ別の劇団に所属する久我和幸を重岡が熱演し、中条あやみ岡山天音西野七瀬、堀田真由、戸塚純貴、森川葵間宮祥太朗が同じ劇団に所属する個性豊かな役者たちを演じる。監督は「荒川アンダーザブリッジ THE MOVIE」の飯塚健。(映画.comより)

最終オーディションが行われる別荘での合宿の一日目に参加する人数分のアガサ・クリスティー著『そして誰もいなくなった』が置かれていて、全員がオーディションに関係があるのかと読み始めるシーンがあった。この超有名なミステリー作品のオチを知っていると、この物語もそれをトレースする展開なのかなとつい思ってしまう。もちろん、それとは違ったわけだが、ミステリー好きな人からすればこの本が出てきた時点でおおよそのオチは紐つけた人もいるだろう。展開をミスリードする形で『そして誰もいなくなった』は出されているアイテムだが、逆に考えれば犯人やトリックの考察はできるはずだ。
主人公であり、舞台のオーディションの三次までいった久我(重岡)は劇団にはまだ所属していない外部者なので彼以外が犯人である。この作品は予告編を見ると舞台のワンシーンなどが出てくることもあり、構造として幾つかの層がありそうだなとはわかる。
犯人とトリックがわかってからは、より『そして誰もいなくなった』が出ていた意味がわかった。二時間もない中で密室劇だからこそ、余計な場面もあまりなく進んでいくので非常にわかりやすい。密室劇にするために雪に閉ざされた山荘というシチュエーションが彼らに課されたことでミステリーとして成り立っているし、登場人物も限定されているので意識があまり散らないのもよかった。
重岡さんは『溺れるナイフ』で演技を観たことがあるぐらい。あとは『ラヴィット!』で楽しそうにゲームをしている姿の印象があるが、顔がすごくL’Arc〜en〜Cielhydeにそっくりだった。まさに顔の系統は同じだし、声も近いだろうから歌もうまいのだろう。
わりと満足できた映画だった。僕がまったく東野圭吾作品を読まないできたから新鮮だったのもあるかもしれない。犯人やトリックの使い方もわりと王道なミステリーぽい、メフィスト賞作家とかの個性がありすぎたり、突飛な発想のミステリーのほうが読んでいる数が多いせいか、ちゃんとしてるなって思った。真っ直ぐなエンタメとしてのミステリーって意味で。

今日発売になった乗代雄介著『旅する練習』(講談社文庫)をあおば書店で買った。『旅する練習』や『それは誠』が芥川賞候補になっているのに受賞していなくて、なんでこの人がまだ芥川賞受賞してないんだろ、と思う人が乗代さんという純文作家であり、選考委員の中にこれらの作品が理解できない評価できない人がいるっていうのも考えものだなって感じる。
文学賞は権威や力関係とかもろもろあるんだろうけど、さすがに『旅する練習』や『それは誠』が候補になって受賞していないというのは選考委員の読む力や理解力を疑ってしまう。あるいはこういう作品を評価したくないという意志がありそうにも思えてしまう。

「そもそも1年頑張りましょうねというお話だったので、私の中では達成するときが来たというか。1年で終わることは決まっていたことで、あとはスケジュールがヤバいですっていう、それだけです。マジで毎週楽しいし、距離も縮まったからね。それだけとしか言えない(笑)。よろしくなーということです。ぜひ最後までお付き合いいただけたら」と呼びかけていた。

Ado『ANN』3月末で終了へ「めちゃくちゃ楽しいんだけど…」 

『Adoのオールナイトニッポン』は放送開始後に二、三回ほど聴いてから聴かなくなっていた。前年のCreepy Nutsが一部昇格したものの音楽活動専念するために一年で卒業して、あとを継いだのがAdoだった。記事の中でも一年はという話があったみたいだし世界ツアーをやるならスケジュール的には難しいのは仕方がない。
現在、二部(オールナイトニッポン0(ゼロ))は月曜日から金曜日までがフワちゃん、あの、佐久間宣行、マヂカルラブリー三四郎
ここから月曜一部に上がる可能性を考えてみると、一度一部に上がって霜降り明星と一部と二部が入れ替わった三四郎が一番有力な気はするが、たぶん彼らはもう一部にという気はないと思うし、二部でこれまで通りやっているほうがおもしろいラジオを続けていけそうには思える。
三四郎は毎年恒例になっていた年越し番組をやらなかったが、何年間も続けて担当していたので彼らの貢献を考えれば再び一部にあがってもなんら違和感はない。僕が今一番好きなラジオが『三四郎オールナイトニッポン0』であり、お金も払いたいこともあってファンクラブ「バチボコプレミアムリスナー」になっているのでこのままでいてほしいという気持ちもある。でも、ニッポン放送のモルモットと自虐的にいう彼らが今まで貢献してきたことを考えると一部はかなりありえるんじゃないだろうか。
人気や影響力を考えるなら、テレビプロデューサーの佐久間宣行さんの一部昇格っていうのが一番現実味があるものの、月曜一部あがるとTBSラジオ『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』が裏番組になってしまう。佐久間さんは伊集院さんのラジオを聴いて育ってその影響力も何度も話してきているし、テレビ番組も一緒にやっていることから裏ではたぶんやらない気がする。
フワちゃんとマヂラブのラジオはおもしろいし、毎週たのしみにしているが一部の実力や人気かというと違うだろう。
去年の人気爆発と勢い&ミュージシャンということを考えれば、あのちゃんが一部に昇格し、Adoからあのへ、『あののオールナイトニッポン』が一番しっくり来る。あの、三四郎、佐久間宣行で一部に行く可能性があるかなと思うが、まったく別のところから一部をやる人が選ばれる可能性もある。菅田将暉Creepy Nuts→ Adoという流れで月曜一部は担当してきたので、ミュージシャンか俳優という可能性もある。
あのちゃんとか二部の誰かが上がると二部が一枠空くので、令和ロマンかぱーてぃーちゃん辺りの新世代、オールナイトニッポンポッドキャストをがんばっている人たちから引っ張るってこともありそうだよなと妄想は膨らむ。
Adoが語ったことからすれば一年と言われている以上、次はもっと早く決まっていた可能性があるので、そうなると去年大ブレイクしてあのちゃんではないかもしれない。あのちゃんが一部昇格か、Creepy Nutsが一部へ復帰が個人的にはうれしいかも。

家に帰ってから駅前のスーパーに行くに最新回が配信されていた『83 Lightning Catapult』をSpotifyで聴いていた。最初から全部聴いている好きな番組だが、来週以降お休みになって二、三週間後に復活するかもしれないししないかもしれないという話が出ていた。
人気がある番組だろうし、打ち切りってことではないと思いたいが、なにが起きているんだろう。三四郎オールナイトニッポン一部に昇格することがあっても、この番組が終わるとかではないだろうし、相田さんと酒井さんも詳細がわかっておらず急に言われたということを話していた。
物事は急に終わることもあるし、水面下で進んでいることもある。当事者の預かり知らないところでの動きが、急に現実化することもある。新しい番組は始まるし、続いていた番組は終わる。それは色んな理由や思惑があってどうにもならないこともあるし、足掻いたら覆ることもある。二年以上やっている番組だから、どうしてこうなったのかアナウンスはさすがにしてほしいが、Spotifyがどういう対応をするのかはわからない。
 

あらすじ・ある事件をきっかけに報道局からイベント事業部に異動することになったテレビ局員、守谷京斗(もりや・きょうと)。異動先で出会った吾妻李久美(あづま・りくみ)が祖母から譲り受けた、作者不明の不思議な古い絵を使って「たった一枚の展覧会」を実施しようと試みる。ところが、許可を得ようにも作者も権利継承者もわからない。手がかりは絵の裏に書かれた「イサム・イノマタ」の署名だけ。守谷は元記者としての知見を活かし、謎の画家の正体を探り始める。だがそれは、秋田のある一族が、暗い水の中に沈めた秘密に繋がっていた。
1945年8月15日未明の秋田・土崎空襲。
芸術が招いた、意図しない悲劇。
暴走した正義と、取り返しのつかない後悔。
長年秘められてきた真実は、
一枚の「絵」のミステリから始まっていた。

戦争。家族、仕事、芸術……すべてを詰め込んだ作家・加藤シゲアキ「第二章」のスタートを彩る集大成的作品。「死んだら、なにかの熱になれる。すべての生き物の成れの果てだ」

加藤シゲアキ著『なれのはて』の続きを仕事が終わってから読む。日付が変わって最後の第7章前まで読んだのでそこで止める。
地方で権力を持つ一族を巡る問題が政治家にも通じているあたりは渡辺あや脚本『エルピス』を彷彿させるし、戦中戦後の復興と生き延びた人たちの復興と喪失の物語という部分では、映画『ゴジラ-1.0』『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』で描かれたことにも通じているなって感じられるところもあった。同時代性なのかもしれない。戦後復興において築かれたものが瓦解していく中で、第二次世界大戦経験者の世代が減っていくこともあって、今それらの時代をある種のファンタジーとしても描かれるようになりつつあり、同時に今の問題につながるものがそこにあるという危機感もあるのだと思う。
冒頭にスケルトンのエレベーターで報道部があった3階ではなく、異動先のメディア事業部がある38階へ、初出勤するシーンはどう考えても主人公の守谷の「象徴的な死」であり、欠損したところから物語は始まっている。
守谷は吾妻の祖母から譲り受けた一枚の絵がきっかけとなり、記者時代の能力を活用して絵と猪俣家の謎を解いていくことになる。それらを吾妻と探っていくことで彼は水を得た魚のように生き生きとしていく。
「象徴的な死」であり「鯨の胎内」であるメディア事業部の中で、再生するために絵の謎を紐解いていく、それらは「英雄神話構造」が当てはまるだろう。章ごとの間に過去の出来事が挟まれて挿入されていくことで物語は現在と過去を行き来していくと、どんどん層となって積み重なって豊穣な物語へとなっていく。

 

1月17日
起きてから『なれのはて』最終章を読んで読了。ほかの直木賞候補作品を読んでいないので比べれないが、この作品が受賞するんじゃないかなと思える力作だった。
層が重なっている感じで僕はすごく好き。最後の方の吾妻と彼女の母、その母と祖母の関係性であったり、終わり方はかなりベタなものになっているし、全てが結び付かなくてもいいのではないかなと思ったけど、これが加藤さんなりのエンタメであり、ベタもちゃんと入れ込んでいくという意志なのかなって。
近年の直木賞でこの作品に近いのは佐藤究著『テスカトリポカ』や小川哲著『地図と拳』のような、歴史と地域性を描いたエンタメ小説だと思う。
もし、直木賞を受賞したら「Q.今作において、創作物と創作者自身の関係性にも書かれています。「罪人のもたらすもの全てが許されないのだとしたら、その方が歪んでいるのではないだろうか」という文章が作中にありました。私自身もずっと影響を受けてきた創作者の行った行為が社会的に許されるものではなかったことで、その人物が作った作品もなかったことにされていく、表立って言えないという状況を強く感じています。ここで書かれた創作物と創作者の関係性において、私自身もそうであってほしいと思っています。
加藤さんご自身も事務所の問題などでそれらのことを考えない日はないとは思いますが、ここに込められた気持ちや考えがあればお伺いしたいです」という質問をしてもらおうと思って、ニコニコ動画の友人にこの文章を送った。


『なれのはて』読書中はずっとTHE SMILEの曲をSpotifyで流していた。その中でもこのライブで演奏した一曲がよくて何度も繰り返して聴いた。いやあ、セカンドアルバム『Wall of Eyes』楽しみ。と思っていたらBeatinkで募集をしていた『Wall of Eyes, On Film』が当選していた。恥を忍んで該当ポストをリポストしてよかった。いい音響システムであるところでニューアルバムが聴けて、MVも観れるなんて最高すぎる。

いつも通りリモートワークを開始。仕事中はradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『出川哲朗オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン』を流してBGMがてら聴いていた。
出川哲朗オールナイトニッポン』は横浜アリーナで開催された還暦イベントについてのものだったけど、エピソードとかを聞いているとほんとうに出川さんって愛されているんだなって思うし、結局最終的に人間ってそれが大事っていうか。やったことがかえってくるし、年老いてからその人が偉いから力があるからではなく、慕ってくれる人がいるような人間になれた、もうそれはとんでもなく素晴らしいことで、出川さんやゲストのホリケンさん中岡さん飯尾さんとのトークもあたたかくてよかった。
そこから引き続きの『あののオールナイトニッポン0』では出川さんの生放送あとにきっと来るであろうと先週の時点で話していたあのちゃん、しかし今週は収録だと言っていたのに海外に仕事でいるのに何かを繋いで生放送を開始。出川さんたちが来てもあのちゃんはいないのに、生放送はしているという不思議な空間に。前に出川さんがゲストに来てくれて、「生放送じゃないとオールナイトニッポンだと認めない」という発言があったからこそ、今回のようなことをやったわけだが、非常に賑やかでおもしろい冒頭だった。


リモートワークを少し早く上がらせてもらって恵比寿へ。
A16という早すぎる番号だったが、家を出てLIQUIDROOMに着いたのが開場の2分前すぐに会場の方へ降りて中へ。一段上になっているところの一番右端をGETする。これなら見やすいし荷物や上着があっても問題ない。開演前に芥川賞を九段理江さんが受賞したのを知る。直木賞加藤シゲアキさんが取ったらいいなと思っていたが、選考がすんなり決まらないようでライブスタートするまでには発表されなかった。

最初は七尾旅人さんのバンドセットからスタート。
ソロでのイメージがあったし、曲も多くはないけど聴いたことがあったけどバンドでの演奏はロックバンド的な感じではなく、なんというかアヴァンギャルぽかった。七尾旅人&ポエトリーリーデング&バンドセットで独自な世界観がさらに濃くなっていた。知っている曲だと『Rollin’Rollin’』をやったけど、音源とはかなり違う歌い回しになっていた。

セットチェンジの間にスマホを見たら直木賞受賞者が発表されていた。お二人とも作品を読んだことがないのでなんとも言えない。ZAZEN BOYSが出てきてライブが再開。
ニューアルバムからの曲とアルバムが出るまでの12年間で磨きに磨きをかけ続けてきた楽曲と半々ぐらいでいいバランス。本編最後に『永遠少女』を、この曲はしばらく本編締めになるだろう、大事な曲にすでになっている。
パッと見で海外の人、欧米系の白人のお客さんが数人は目に入った。旅行者って感じではなかったから在住の人かもしれないけど、音にはノッていたりした。向井さんがソロで出るライブに行った時にもナンバーガールを聴いて興味を持ったという二十代ぐらいの白人の人もいたし、ZEZN BOYSも歌詞は理解しにくいかもしれないけど、彼らの鳴らすサウンドが届き始めているのかもしれない。
最後にアンコールでZAZEN BOYS七尾旅人が一緒に『サーカスナイト』をやってくれた。これがほんとうに素晴らしかった。今年一発目のライブは向井秀徳ソロだったが、その時にも『サーカスナイト』カバーをやっていたので、ライブ二回で別バージョンを二回も聴けたのもとても幸せだった。

 

1月18日
映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』本予告解禁!【前章3月22日(金)・後章4月19日(金)全国公開】 


「デデデデ」は東日本大震災後の見えない放射能をメタファとして空に浮かんだ宇宙船に、それを巡る陰謀論や市民間の分断と差別の助長を加速させるSNSと少女たちの物語×SF的な想像力といえる作品で大好きなんだけど、アニメ映画としてヒットするかはちょっと見えない。
コミック12巻を前後編でやるなら、前編は女子校から大学入学後辺り、後編はこの世界の謎を解く感じかな。
いくらとあので主題歌は当然として、日本のアニソンが世界を取るのがさらに当たり前になるであろう2024年にこの作品と曲はどこまで広がるか。


起きてから散歩がてら代官山蔦屋書へ。『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら歩く。来週はさらば青春の光がゲストらしい、昨日の『あちこちオードリー』のゲストがさらば青春の光ラブレターズだったけど、ラブレターズがライブ前みたいな話をしていたから、去年の単独ライブは12月で観に行ったから収録自体は一ヶ月ほど前のものなのだろう。
家に帰ってから昨日買っていた『オードリーのオールナイトニッポン トーク傑作選 2019-2022』を読み始めた。僕が今みたいに生活の中でラジオを聴くようになったのはコロナパンデミック以降、出社しないで家で仕事をするようになってから。2020年入ってからだったと思うので、この19年あたりのことはあまり知らないというか聴いていない部分なのでちょっと新鮮。
基本的にradikoはプレミアムに入っているけど、ラジオ番組自体にお金は落としていない。『三四郎オールナイトニッポン0』はファンクラブに入っているのでわずかだけど払っているが、他の番組ではそういうこともない。それもあって、自分が聴いているラジオ関係の書籍が出たらできるだけ買うようにはしている。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』の番組本は収録されているもの全部ラジオで聴いていたので、知ってるこの話とは思うものの、文章で読むと声で聴いていた話もちょっと違うものとなるし、自分の読むスピードで速さを調整できたりもする。『菊地成孔の粋な夜電波』の書籍からラジオ番組関連本は意識的に買うようになった。

体がちょっと怠かったので夕方前にちょっと仮眠したらだいぶよくなった。そこから家を出るまで作業をやる。
今月末に提出するものを少しでも進めておいて、がっつり取り掛かるのは来週からだけど、これを仕上げないとあとあと大変というか、またスケジュールが読めなくなるので〆切のデッドラインだけは超えないように、その上でちゃんとしたものを出さないといけない。


19時前に家を出て代々木上原へ歩いて向かう。一時間かからないぐらいの距離だったので、Spotifyで『あののオールナイトニッポン0』の出川哲朗乱入回を聴きつつ歩く。
毎週やっているミーティングの打ち合わせと新年会を兼ねたご飯。代々木上原駅近くのイタリアンレストラン「konel」へ。
三人で行ったのだけど、そのうちの一人が知り合いの食通の人たちからよく聞くお店なので行ってみたいと予約をしてくれたので、なにも知らずに向かった。基本的にはコースで出てきて、その中でおでんの具材を言われた中から二つそれぞれ選んだり、メインとかパスタも何種類かあってその中から選ぶというものだった。
お店の雰囲気もよいし、料理も美味しかった。僕らは三人並んでのカウンター席だったけど問題なくて、話もしやすかった。お店の人もしっかり料理について説明してくれるし、ちょっとした気遣いの声掛けのタイミングも会話の邪魔をしない感じでそこも居心地のいやすい空間になっていた。


帰りはそのまま来た道を引き返していく。行きの時は駒場東大前より北の道は初めて通る場所で知らなかったのもあったけど、帰りは一度通っている道だから行きよりは時間がかからずに帰れた。

 

1月19日
二日酔いもなくちゃんと目覚ましが鳴って起きる。〆切が近いライティング作業に関する資料を少し読んでからリモートワークを開始。
前日木曜日の深夜に放送された『ハライチのターン!』『おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』『四千等身 都築拓紀のサクラバシ919』と盛りだくさんなラジオをradikoのタイムフリーで聴きながら作業を。休憩時間とか仕事が終わってからも聴いて全部聴き終えた。
おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』がどちらもおもしろくて、おぎやはぎはかつて働いていた会社の先輩か上司みたいな人とゴルフ場で再会したことをきっかけに、昔世話になったなになにさんの話をしてメールを募集するという展開、もちろんハガキ職人たちが名前を偽ってメールを送ってくる流れで馬鹿馬鹿しくてよかった。
ナイナイは出川さんの還暦イベントの裏話も含めて話もしたし、亡くなったエスパー伊藤さんとの話、何度も番組で流している反町隆史の『ロイヤルミルクティー』という曲に関してまた触れていた。

知っている編集者さんからお仕事に関する依頼のメールが届いた。日程的には受けると春までの期間がかなりキツキツにはなりそうだけど、たぶんやったほうがいいなと思うのでやりたいという返事をした。あとはいろいろなところの許可とか承諾が出たらやることになると思う。こういうのは全部タイミングだなって思う。

――岩井監督のどの作品にも、雪をはじめ、灯台や街、鉄塔など、象徴的なモチーフが登場すると思うのですが、それは「絵」として見た時にも重要な要素になっていますよね。

シンボルとなるような場所を探したり、そこに芝居をくっつけたりしながら映画を作っているんだろうとは思いますが、なぜか?と訊かれたら自分の中でも説明がつかないこともある。だから学生時代の初めの頃なんかは、どうも形にならない、なんだかサマにならないなあ、と。頭の中にあるイメージは風景に近いものだったから、風景画を描いた時期もあったんです。

ところがいざ自分が描いてみると、なかなかうまくいかない。そのまま油画を極めようとその方向へ進んでいたら、僕はひょっとするとアンドリュー・ワイエスのような絵を描いてたんじゃないかな、という気もしますけれど。でも、映像を撮っていくうちに、「風景というのは、ただの風景に過ぎない」という感覚が出てきて、風景を表す媒体として「人」が必要だということにたどり着いたんですよね。

――映画『Love Letter』、『ラストレター』、『キリエのうた』の3作品では、俳優さんが2つの役を演じていることも特徴的です。「一人二役」に込められた意味はあるのでしょうか。

もちろん物語の都合もあるんですが、根底では、「誰か=自分」というドッペルゲンガーみたいなものが好きなんだと思います。ただ、ドッペルゲンガーをいま直球にやってもチープすぎますよね(笑)。一時期、流行りすぎて、何かのサスペンス大賞の時だったと思うのですが、審査員の荒俣宏さんが禁じ手にすべきだと書いてるのを読んだことがあります。

でも、きっと初めは人の心を強烈に引きつける何かがあったわけですよね。だから自分なりに今風にアレンジしているんだと思う。そもそもまっさらから何かを作り上げるというよりは、神話や童話などをお手本にしたり、使い古されたネタを元にしたりして、現代に融合させたらどうなるだろう?とか、そういうのを考えるのが好きですね。

映画監督・岩井俊二の「風景」を紐解く─記憶が、映画を生み、そして誰かの風景になる

岩井監督の写真も良い感じだし、インタビューもちゃんと作品と岩井さんの思い出や原風景みたいなものとの関係性を聞いていてよい内容だった。


鈴木真海子『からから』が配信されていた。なんとなく彼女のアルバムをレンタルして聴いてから、そこからチェルミコも聴くようになったけど、ソロもやっぱりいいな。

 

1月20日
起きてから今日〆切の作業のライティングのことに関して考えたくて、散歩へ。とりあえず、作業に関することに関するメモをFacebookに自分だけ見れるようにポストして、歩きながら読んで、しばらく放っておくことにした。
radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていたら、この間の出川さんの還暦イベントの話を小宮さんが、相田さんは四千等身の都築と収録終わりに健康ランドに行った話だった。やっぱり還暦イベントは横浜アリーナ遠いしなって思ってちょっと躊躇してしまったのが悔やまれる。絶対に観ておくべきお笑いイベントだった。イベントの裏側を出演者の人がそれぞれの立場から、出川さんとの関係から話しているからより魅力的に感じるのもあるんだろうな。
ライティング作業に関することについて読んだメモを時折思い浮かべて、どうしたらいいかなってちょっと考えて忘れて歩くみたいなことで、脳内でなんかいいアイデアになったり、浮かんでくるといいなと思いつつ、代官山蔦屋書店へ。


年末年始で結局のところ、ガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』を読み終わることができなかった。新潮社から出ているマルケス全小説シリーズは他には『落ち葉』『コレラの時代の愛』『愛その他の悪霊について』は家にあって、海外小説のコーナーを見ていたら『族長の秋』がこのシリーズでは『百年の孤独』以外に残っていたので、持っていないしなんか目が合った気がしたので購入した。『百年の孤独』が今年文庫になるという話があったから、シリーズの単行本も増刷したり刷りなおしたりするといいのだけど。

浅田弘幸『完全版 I’ll-アイル-』“青春漫画“としての魅力「かけがえのない、心から安心出来る居場所をつくりたい」

中学から『I'll』を読んで高校時代はバスケ部に入るぐらい好きな漫画。『スラムダンク』もリアルタイムで読んでいたがあまり響かなかった。僕よりは少し上の人が本当のドストライクだったと思うけど、いわゆるドメジャーなものへ興味が向かないっていうのは思春期のころからあったんだろう。
『I'll』も「月刊ジャンプ」で連載していてヒット作だったわけだけど、やっぱり『I'll』好きと『スラムダンク』好きは違うタイプだと思う。
僕が聞き手になったcakesの田島昭宇さんのインタビューを読んだ、この記事を書いた島田さんから『漫画家本』シリーズの執筆を依頼してもらって何度か書かせてもらった。島田さんは西島大介さんの『世界の終わりの魔法使い』の最初の編集だったりして、僕が好きな漫画家さんと一緒にお仕事をされている編集者さん。

家に帰ってきてから、ちょっとだけ読書をしてから作業を開始。

ごぶごぶラジオ | MBSラジオ | 2024/01/19/金 25:00-25:45

ダウンタウン浜田さんの番組に息子のハマオカモトが乱入したというのを新TwitterのXで見たので流してみた。何年も前に父息子二人でのラジオが正月早々にあったのを聴いたことがあった。
相方である松本さんが性加害問題で取り沙汰される中で、フェスをやるという父に対して、普段呼ばれる側のミュージシャンからの苦言やアドバイスをしにきた感じだった。いろいろと状況的に難しい中での出演だろうけど、ちゃんとしている息子だなって思えるし、親子の会話はその関係の良さを感じさせるものだった。

『オールナイトPodcast土曜日 令和ロマン』  ③ 表と裏の二元論(ゲスト:佐久間宣行) 

佐久間さんがもし自分の枠を譲るならという話から、ANNはもっと雑多ものであってほしいというのはご自身がそういうものの影響を受けてきたからなんだろう。令和ロマンはレギュラーで聴きたいけどなあ。
月曜一部がAdoが卒業という話から、自分が一部に行くと入り時間も早くなるから仕事に支障が出るかもって話もされていて、伊集院さんの後ろだから嫌なんじゃないかなって勝手に思っていたけど全然違った。

日付が変わる頃に作業は終了。やり方がこれでいいのかわからないけど、これが叩き台になって次のミーティングで意見とかもらえたら、より輪郭が増すんじゃないかなと思って送信。

 

1月21日
7時過ぎに起きて、トイレで用を済まして玄関のドアを開ける。起きた時から耳に届いていたがやっぱり雨がザーザーと降っていた。ほんとうなら二時間ほど歩いて日比谷に行こうと思っていたけど、この雨だとさすがにしんどいので渋谷から電車に乗ることにして、8時半まで読書をした。
最近は『私が諸島である』をようやく読み始めた。他には『続きと始まり』『金は払う、冒険は愉快だ』『平家物語 4』『〈ツイッター〉にとって美とはなにか』『オードリーのオールナイトニッポン傑作選』を並行して読み進めている。
柴崎友香さんの『続きと始まり』は東日本大震災から、そしてコロナパンデミック期間のことを描いていることもあって、能登半島に大きな被害をもたらしている大地震のことを考えるというか、思い浮かべるきっかけにもなる。同時に東日本大震災もコロナのこともどこか記憶の中で、日常生活の中で薄れていくのを食い止めてくれるような、忘れてはいけない風化させてはいけないものについて、なんというか歯止めのようなものを自分の中に与えてくれる。


傘を差して渋谷まで、雨はしばらく止みそうにない。大粒でもないので服がびちゃびちゃになるほどでもないが、傘はないとしんどいという振り方。半蔵門線渋谷駅から隣の表参道駅で銀座線に乗り換えて銀座駅まで。
TOHOシネマズシャンテについたのは9時半前だったが、50分から劇場がオープンだったので目の前の東京ミッドタウン日比谷内のTOHOシネマズ日比谷に行ったりして時間を潰してから再度シャンテへ。
金曜日に公開したばかりの新作映画であるジェシー・アイゼンバーグ監督『僕らの世界が交わるまで』を鑑賞。A24作品でもあるのと、主演の二人の感じも予告編で見ていいなと思っていた作品。
お客さんはそれなりに入っていたと思うが、年齢層は高かった。A24作品が好きそうな感じではない、シャンテ自体についているお客さんのような気もするし、ジュリアン・ムーアが60歳越えているから彼女と同世代ぐらいの人が気になったということなのだろうか。やっぱり日比谷という土地柄、シャンテという劇場だからの客層だと思う。同じ作品でもホワイトシネクイントでやっていたら客層は中年以下、僕ら40代から20代ぐらいがほとんどになるんじゃないかな。

ソーシャル・ネットワーク」「ゾンビランド」シリーズなどの俳優ジェシー・アイゼンバーグが長編初メガホンをとったヒューマンドラマ。アイゼンバーグがオーディオブック向けに制作したラジオドラマをもとに自ら脚本を手がけ、ちぐはぐにすれ違う母と息子が織りなす人間模様を描く。

DV被害に遭った人々のためのシェルターを運営する母エブリンと、ネットのライブ配信で人気を集める高校生の息子ジギー。社会奉仕に身を捧げる母と自分のフォロワーのことで頭がいっぱいのZ世代の息子は、お互いのことを分かり合えず、すれ違ってばかり。そんな2人だったが、各々がないものねだりの相手にひかれて空回りするという、親子でそっくりなところもあり、そのことからそれぞれが少しずつ変化していく。

アリスのままで」のジュリアン・ムーアが母エブリン、ドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」シリーズのフィン・ウルフハードが息子ジギーを演じた。「ラ・ラ・ランド」「クルエラ」の俳優エマ・ストーンが製作に名を連ねる。(映画.comより)

息子のジギーは同級生のライラのことが気になっている。彼女は友達たちと政治的な話をよくしており、温暖化や差別問題や格差について自分の意見をはっきりと言える知性的で政治的な関心のある少女だった。
ジギーはライラの近くで話を聞いているが、内容についてはまったくわからないのに、彼女に同意すると急に話しかけて、理由を聞かれても当然答えられない。そんな時でも自身のネットライブ配信では二万人ほどのフォロワーがいると自慢するものの、ライラたちはそのことに関心がなく響かない。
彼はライラが作った搾取の構造について書いた詩に自分で音楽をつけてライブ配信し、それでそこそこの投げ銭をもらえたと伝える。当然彼女からすれば彼は搾取の構造を理解しておらず、勝手に詩を使って私も搾取しているなど伝えるが、ジギーはなぜ彼女が怒っているのか理解できない。という息子のラインがある。

母のエブリンはシェルターで保護した女性とその息子に普段通りに接するが、その息子であるカイルの母への献身や優しさに感動する。
カイルはジギーと同じ学校の高校生であり、母に暴力を振るう父が経営している自動車整備の仕事を卒業はやりたいと話す。シェルターに来る前も父の仕事を手伝っており、その仕事が好きだった。だが、エブリンはカイルの能力の高さや優しさから大学へ進むことを提案し、協力すると伝える。
最初はただの親切だったが、エブリンのおせっかいはカイルにとっても迷惑なものとなっていく。エブリン自体が自動車整備の仕事をブルーカラーの仕事であり価値を認めていないというのがどこかで滲み出てしまっていた。カイルははっきりと自分の進路については自分で決めると伝えることになる。という母のラインがある。

この二つのラインが同時に展開していくのだが、この作品でもおもしろいなと思うのは、今はわかり合えない母と息子の関係であるものの、息子のジギーがライラに惹かれていく中で彼女の政治的にも興味を持つが、それは彼の母と同様だったり近いものであり、母のエブリンがカイルへあれこそ手助けしたいというのは彼が理想の息子のイメージであり、息子との距離感がわからなくなっていることで彼を疑似息子的に感じて接しているところだった。お互いにないものねだりというよりは、身近な人への気持ちや距離感がわからなくなったことでそれを第三者に見て惹かれたり、関係性を持とうとしているところだ。
この母と息子が物語の軸であることもあって、この一家の父はかなり存在感がないし、二人からも蔑ろにされている感じがしてかわいそうではあった。
もともとジェシー・アイゼンバーグがラジオドラマ用に書いていた脚本を映画用に書き直したものらしいので、実際にはもっと長くて細かいディテールや関係性も描かれていたものをメインの二人に集約したのだろう。なんというか短くまとまっているようだけど、語り足りていない感じもするし、10話ぐらいのドラマの6、7話ぐらいな内容にも感じて、ちょっと物足りなかった。

META TAXI #15 | 向井秀徳 × ランジャタイ 国崎和也、ナナヲアカリ × 寺田てら、東問 × 東言 


行きは『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていたが、帰りは『META TAXI』のThis is 向井秀徳×ランジャタイ国崎を。
国崎さんがナンバガザゼンと向井さんのファンというのがストレートに伝わる内容であり、いつもみたいにボケまくるのではなく、ファンとして向井さんに話を聞いたり、自分のお笑いに向井さんの曲がもたらした影響なんかをうれしそうに少し恥ずかしそうに話しているのがとても好感が持てた。いつも通りのペースだけど自分にとって嬉しいことを言われたら、そのことをちゃんと伝えるみたいな向井さんという二人の組み合わせはなんか俺得感がすごくあった。

──作中にはSNS発信で承認欲求を満たしたり、収入を得たりする登場人物も現れますが、小川さんは現在の「X」のようなSNSをどのように見ていますか?

 僕は発信しない傍観者ですが、観察はしています。Twitterから「X」になり、インプレッション数がお金に直結する仕組みができたことで、「いかに目立つか」を追求する流れが加速している。党派性が強まり、極端な意見を言う人が増えて、本当は反対でも賛成でもないのに極論を言うとインプレッションを稼げるので、そこに乗っかっていく人が増えて──と極論のインフレ状態になっています。SNSという場所は、最終的に必ずそうなる運命なのかもしれませんね。

 SNSでは案外、自分の主張をろくに持たない人の方が強い点も興味深く見ています。「みんながこういうことを言いたがっている」という内容を、極端に言い換えて代弁するのが、最もインプレッションを稼げる方法だからです。つまり「主張のない人ほど極端なことを言う」というねじれた状況になっている。インプレッション欲しさに発信していた極論が次第に内面化され、過激化していって、それがお金にもなってサバイブしていく人が作家の中からも現れたりしています。良いか悪いかはともかく、そういう魔境みたいな場所になっているなと見ています。

──SNS発信を一切していないのは、若手の小説家としては珍しいですね。

 デビューしたての頃は担当編集者に、プロモーションのためにやった方がいいとよく勧められました。そのたびに「東野圭吾も、村上春樹も、宮部みゆきSNSはやってないじゃないですか」と反論していました。SNS発信と作品の売り上げは関係ないでしょうと。

 これは僕の持論なのですが、作家がプロモーションのためにSNSをやるなら、炎上しなければ意味がない。タイムライン上で誰かと派手にけんかをしたり、極論を言ったりして、僕を知らない人の目にも触れるくらい炎上しないと、既存の読者にフォローされているだけでは知名度は上がりません。でも編集者は、炎上は嫌がるのです(笑)。面白いこともあまり言えないタイプなので、小説家は小説だけを読んでもらってやっていければ、それが一番いいですね。

小川哲「今のSNSは主張なき人々の極論がインフレする魔境状態」 

何かを発表した時のプロモーションとしてSNS使うならバズらないと、炎上しないと広がらない。そして炎上した後にこの場合なら編集者や出版社は責任を取らない、作家だけが炎上して潰れていくみたいなことは確かにあって、PRも含めて出版社の仕事だったのが、自分で発信できるようになったら、自分でも宣伝するのが当たり前というかやって当然みたいな感じにはどうしてもなってきている。
メリットとデメリットを考えたらやらないほうがいいようにも思える。ただ、「悪名は無名に勝る」という言葉もあるように、誰がそれをしたかで結果は大きく違ったりもするから、一概には言えないのが難しい。
ただ、個人的には新TwitterであるXでプロモーションのために自分のポストを何度もリポストしているのを見ると、やらなきゃいいのになって思うし、なんか悲しい気分になる。
一回ぐらいはタイムラインにもう一度みたいな気持ちもあるだろうからギリだけど、何度も同じポストをリポストするのは恥ずかしいからやめた方がいいとは個人的には思うし、インプレッションを稼ぎたい人の手助けをしたいとは一切思わない。

夕方から作業を開始。9時前から確定申告のために去年の領収書とかをまとめたり、計算したりと毎年恒例の作業。もうスマホでできるから家にいて申告はできるがめんどくさいのは変わらない。この時期にみんな確定申告で大変な思いをするわけで、キックバックとか抜かしている政治家どもの裏金作りへの憎悪、苛立ちは高まるだろう。
安倍晋三が首相の時からずっと政権与党は国賊だったし、国民へ対してのテロをしていたと思っているので、彼らは自分と相似形のオウム真理教の死刑囚たちを一気に死刑にしたと思っている。そうすることで彼らとは真逆で正義ですよという顔をするために。
それでもこんな状況でも自民党が次の選挙で勝てばこの何年、何十年で起きたことの責任は取らずになかったことにされるけど、多くの人は選挙すらいかず、自民党とかに入れるんだろう。
確定申告の怒りやめんどくささを考えたら、キックバックとかぬかして脱税してる奴らを許すことに繋がる彼らが政権与党でいることに違和感を感じない、自分の選挙権を行使しない人たちはもう何も自分の頭で考えることができない人なんだろう。

 

1月22日
起床してからいつもより一時間早くリモートワークを開始。いつもより一時間早めに上がらせてもらって17時に家を出る。
渋谷までは歩いて行こうかと思っていたのだけど、開場案内が18時なので余裕だったのに、グッズの販売が17時からとアナウンスがあったのでできるだけ早く着いたほうが並んだりしなくていいやと思って池尻大橋駅で乗車して渋谷で副都心線に乗り換えて新宿三丁目で降りてから歌舞伎タワーへ。地下にあるZepp Shijukuはシネマスタッフのライブで一度訪れたことがあったが、映画館の109シネマズプレミアム新宿は今回が初めてだった。


The Smileのセカンドアルバム『Wall Of Eyes』発売記念の上映イベントに当選した。
TwitterであるXでBEATINKのアカウントでイベントに関するポストをリポストした中から抽選で、というものだった。上映イベントをやることになったシアター8は調べてみると全席で80席程度、22日と24日の二日でどちらの日程は向こうが決めるので選べない形になっていた。
この映画館、名前の通りプレミアムなお値段で普通の席が4500円、中央の一番見やすくてシートのグレードが一段上のものは6500円という価格設定になっているラグジュアリーな、多分この使い方であってるだろう、抽選で当たったので無料というお得さもあった。

17時50分前には9階のグッズ売り場に着いて、『Wall Of Eyes』のCDとカセットテープ、ステッカーとZINEを購入した。袋は今回用の特別仕様のものだった。
CDは26日発売だったのでちょっと早めに買える感じだが、他のグッズはこの上映イベントがある二日間限定の発売だった。上映会にあたってなくてもグッズだけは買える形になっていた。

当選のDMを見せてチケットと引き換えになるので、10階に移動して待っていたら18時から引き換えになり、2番目に並んでいたのですぐ自分の番になってチケットを渡された。
DMでは座席は抽選と書いてあったが、その後中に入ってみてわかったのは並んだのが早かった人から一段グレードが高いシートの一つ前の列の席のチケットを渡されていた。僕もE-5とほぼド真ん中で観やすい場所だったので早めにきて大正解だった。
チケットのQRでラウンジに入れる。そこではポップコーンやドリンクが無料でもらえる。それがプレミアムのひとつであるのだけど、僕はポップコーンの匂いが嫌いなのでアイスコーヒーだけもらってシアターに入れるまで写真とかを撮っていた。TOHOシネマズ新宿のゴジラの後頭部が見れる高さだった。
多くの人がポップコーンをもらっていたが、The Smileの新譜の音源をいい音で聴きながら、そこでポップコーンの匂いがしていいのか? 匂いって記憶と結びつくから曲と匂いが重なっちゃうよ、いいの?って思ってはいたが他の人にその場で文句いう権利も義理もないので黙っておいた。
ここのシネマは坂本龍一さんが音響に関して監修しているところで、かなり音に特化した映画館らしく、上映前に亡くなるどのくらい前なのかかなり痩せている坂本さんがシアターについて話す紹介動画のようなものが流れた。

Wall Of Eyes, On Film【イベント内容】
ザ・スマイル『Wall Of Eyes』全曲試聴(サラウンド・サウンド) ※世界初公開
ザ・スマイル『Wall Of Eyes』レコーディング・セッション 未公開映像 ※世界初公開
ザ・スマイル「Friend Of A Friend」35mmフィルム上映 ※世界初公開
ザ・スマイル「Wall Of Eyes」35mmフィルム上映
トム・ヨーク「ANIMA」ショートフィルム上映
レディオヘッド「Daydreaming」35mmフィルム上映
レディオヘッド「Present Tense」上映
レディオヘッド「The Numbers」上映

最初にサイレントでThe Smileのメンバーがレコーディングしている様子の映像がどのくらいか10分ほど流れてから、アルバム『Wall Of Eyes』が一曲目から流れ出した。スクリーンは一曲ずつアルバムジャケのようなトム・ヨークたちがデザインした絵がAI的ななにかで動くようにしているのかアニメーションみたいに動いていくものがそれぞれの曲に用意されていて、映像と音でニューアルバムを通して体験をした。
サウンドシステムがよすぎて気持ちいいから寝てしまうそうになるが、なんとか踏みとどまった。リクライニングシートになっているのもあって心地良すぎた。音はなんだろう、異様にクリアだなって感じた。

The Smile - Wall Of Eyes 


『Friend Of A Friend』『Wall Of Eyes』35mmフィルム上映も素晴らしかった。『ANIMA』のショートフィルムはネトフリで観ていたけど、大画面でいい音響で観れたのでより不気味さと世界観が届いてくるものになっていてすごかった。
終わってから9階で鑑賞後にポストカードをくれるというのでもらってから、電車に乗って帰った。


お腹も空いていたし、ビール飲みたいなって思ったので家に帰る前にニコラによってグリンピースとパンチェッタと温泉卵、真鰯とエンダイブのオーブン焼きとビール、最後にアルヴァーブレンドをいただいた。
平日の夜遅くだけどお店はずっと混んでいた。みんな夜も普通の飲んで話して楽しんでいる感じだ。またコロナやインフルが流行っていると聞くけど、そこまで感染したり影響はでてないのか、もう気にしないでもいいやって世間の空気感なのか、どうなのだろう。

 

1月23日
起きてから朝の作業は昼以降にスライドして、シネマイレージデイで鑑賞料金が安くなるので実写化された『ゴールデンカムイ』を観に歩いて渋谷へ。

明治末期の北海道を舞台にアイヌ埋蔵金争奪戦の行方を描いた野田サトルの大ヒット漫画を実写映画化。

日露戦争での鬼神のごとき戦いぶりから「不死身の杉元」の異名を持つ杉元佐一。ある目的のため一獲千金を狙う彼は、北海道の山奥で砂金採りに明け暮れていた。そんなある日、杉元はアイヌ民族から強奪された莫大な金塊の存在を知る。金塊を奪った「のっぺら坊」と呼ばれる男は、捕まる直前に金塊を隠し、その在処を暗号にした刺青を24人の囚人の身体に彫って彼らを脱獄させた。金塊を見つけ出すべく動き始めた杉元は、野生のヒグマに襲われたところをアイヌの少女アシリパに救われる。彼女は金塊を奪った男に父親を殺されており、その仇を討つため杉元と行動をともにすることに。一方、大日本帝国陸軍第七師団の鶴見篤四郎中尉と、戊辰戦争で戦死したとされていた新選組副長・土方歳三も、それぞれ金塊の行方を追っていた。

「キングダム」シリーズの山崎賢人が杉元、「彼女が好きなものは」の山田杏奈がアシリパを演じ、眞栄田郷敦、工藤阿須加玉木宏舘ひろしら豪華キャストが個性豊かなキャラクターたちを演じる。監督は「HiGH&LOW」シリーズの久保茂昭。(映画.comより)

漫画もちゃんと読んでいなくて、主人公の杉元とアシリパがわかっている程度。原作コミックは完結しているが、今回の映画化で何巻ぐらいまでをやっているのかわからないけど、かなり続けないと終わらないだろうなという序盤、始まって最初の戦いや二人の関係性が強まって認め合えた感じぐらいで終わった。
アシリパ役の山田杏奈が思いのほか違和感を感じなかったのもデカいかもしれない。財宝をめぐる戦いでアクションシーンも派手なものもたくさんあったが、ヒグマとの戦いのシーンも見応えがあった。何回かヒグマが出てきたのもあって去年観た『コカイン・ベア』を思い出したりした。
原作である漫画ファンがどのくらいOKなのかこうじゃないだろと思っているのかはわからないけど、実写化としてはかなり出来がいいようにも思えたし、当然ながらシリーズ化するだろうけど、このクオリティなら一安心じゃないかな。
杉元が無敵すぎるじゃんとか、アシリパアイヌに関しての言葉や知識をちゃんと通訳というかわかりやすくて伝える役目だったりはするけど、その辺りは漫画的であるし、漫画を通ってなかった人にも観やすい作りになっていた。
味噌というものを知らないアシリパがうんこだと言って、食事の際に味噌を入れる入れないみたいなほっこりするシーンがあったし、ジビエ的な野生の動物の肉を食べるシーンが何度もあったのも大きなことかもしれない。一緒に食事をするということは他人を、自分ではない誰かのことを知る上で大切なことだし、信頼関係がないと一緒に食事は難しい。二人の関係性や絆を食を通じて描いているところは漫画から通じているはずだけど、食事のシーンもよかった。

映画を観終わってからタワーレコード渋谷店へ。 ZAZEN BO YSの12年ぶりのニューアルバム『らんど』のCDを買いに。昨日のThe Smileもだけどフラゲする形になった。
Spotifyで音楽も聴くけどやっぱり使い勝手が悪いし、ブツとしてCDがあったほうが僕はうれしいし、それを自分のiTunesに入れて聴く方が自由だ。あとアーティストを応援する形としてもCDとかでアルバムを買いたい。アルバムっていう単位が配信ではこのままだとなくなるような気もしてしまう。それは嫌だからパッケージされた形としてのアルバム、それも手に取れるものを好きなアーティストが出したら買う、ということ。それしかない。

ZAZEN BOYS - 永遠少女 



H&Mの前の、昔ドンキがあったところでばったり知り合いに会った。そこで立ち話を30分ぐらいした。その人も週刊誌で取り沙汰されている人と関係のある人の知り合いで、大丈夫かなと心配していたので会って話せてよかった。
同時に僕も園子温監督の性加害問題の時に知らないことばかり出てきて、でも、外から見れば近い距離にいる、仕事をしている人が知らないわけないじゃんみたいに見られるんだろうなって思っていたので、その話をしたらすごく頷いていた。
結局、実際に話せる人って限られてしまう。こうやって対面では話せるけど、それをSNSとかに乗せるのは新たな問題が起きる可能性があるよねって。立ち話してちょっと一緒に道玄坂を上がるまで歩きながら話して別れた。みんないろいろとある。

帰ってからご飯を食べて洗濯をしてから作業を開始。
2月から始まる新しいライティング作業の日程も決まったので健康に気をつけながら、目の前にあるものをどんどん終わらしていく。

 

1月24日
日付が変わった瞬間にホワイトシネクイントのサイトのウェブチケット購入画面で金曜日に公開が始まるヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』のチケットを取る。
ポストカードが欲しくてムビチケを買っていたのだけど、今までムビチケって買ったことなかったけど、硬貨とかでスクラッチくじみたいな部分を削ると暗証番号が出てくる。裏面にある購入番号とその暗証番号を記入すると買えた。でも、なんとなく買ったって感じはしない。すでにお金は払っているんだけど、交換したみたいな気になる。
radikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら寝る。でも、3時半とかに目が覚める。トイレに行くけど寒すぎる。

7時過ぎに起きるけど、気温が明らかに昨日よりも下がっている感じがする室内。朝風呂に入りたいが諦めて作業用の資料を読んでからリモートワーク開始。
『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流しながら作業。あのちゃんのラジオの来週スペシャルウィークゲストは三四郎の小宮さんとレインボーのジャンボたかおの二人らしいのですごくたのしみ。Spotifyで『あのと粗品の電電電話』を聞いてからTVerで『あのちゃんの電電電波』と続けて聞いたり見たりする水曜。彼女の番組が火曜辺りに集まっている。『推しの子』の実写化にも出演することが発表されていた。
あのちゃんの金髪はこのためらしいが、何週間か前にどこかのニュースサイトがこの実写化を報じていたが、このクラスの作品はどうしても漏れちゃうだろうし、情報統制はそもそも今の時代には無理だなあ。漫画もアニメも読んでいないのでどういう話かわかってないけど。

人に感動を与えるにはまず、自分が一番よく知っているストーリーを語らなくてはいけない。

韓国語の企画ならば韓国人に一番グッとくるようでなければならない。だからまず自国でのヒットが大切なんです。

Netflixには視聴者の好みを分析して、居住地域とは関係なく、似ている番組をレコメンドする機能があります。視聴者が求めているのは「発見」なので、Netflixはそのための需要を満たし、視聴者は「発見」を楽しむ。そういう仕組みです。

だからまずは日本人が日本ローカルでリアルに感じ、インパクトのある作品を作る。グローバルの観客を見つけるのはNetflixのシステムが勝手にやってくれる。そういう考え方ですね。 

「自国でヒットしたけど世界では空振り」でもOKです。特にコメディやお笑い番組、バラエティは地域色が強いので、その地域でヒットすれば成功と考えています。 

逆に「自国ではダメだったけど世界ではヒットした」という作品は求めていません。韓国ではウケなかったけどヨーロッパではウケた、みたいな企画はダメですね。ヨーロッパ独自のコンテンツ制作部があるのだから、そっちに任せたほうがもっと良い作品になるはず。

ヒット連発、Netflixアジアの制作トップは韓国人女性。成功の理由は「世界を目指さない」こと

SNSで流れてきたこのインタビュー記事。ローカルな作品だからこそ、その地域や国でヒットするものだからこそ世界でもヒットするし、そこでもヒットしないものはそもそも他にも届かないという話でもある。
ハリウッドのストの影響が出てくるのは今年来年公開の作品たちだろうから、アジアの作品がアメリカとかにどこまで食い込んで広がっていくか、さらに世界に広がっていくかという一年にはなりそう。

ZAZEN BOYSにMIYAという名の殺し屋が入ってもう5年経ちましたけど、MIYAが入ってきたときに、テンションという名の……テンションヌという名の風がビュービュー自分の中に吹いてきたわけだ。私はすごく盛り上がったんですね。「よし! 新たなるZAZEN BOYSの自己アピールをやったろうじゃないか!」と。盛り上がりすぎて、NUMBER GIRLも再結成したろうかい、というところまで行って、そのまま電話したわけだよ、NUMBER GIRLのメンバーに。「俺は今盛り上がっている。そして金が欲しい。金稼ごうぜ!」と。このノリで行ったら1億円くらい稼げるやろうと思い込んだ。そういうテンションヌを、私は大事にしている。そんな感じで、NUMBER GIRLは一定期間でパッと、タラタラせずにやり逃げしようと考えていたんだけれど、やっぱりコロナ禍がありまして。ビュービュー吹いていた風が、一気に止まった。

このアルバムに対しては、もう「この通りよ」って言うしかない。私の好きなものを皆さんに押し付けるつもりもないですし。ただ、抵抗感……あるいは「向井の顔が気色悪いから見たくない」という嫌悪感でもいいんだけど、1mmでもあんたのハートを揺らすために俺はやってんだ、と思う。「俺にはこの世がこう見えてるけど、どうっすかね?」ということを、自我の権化野郎は歌いたいし、問いかけたい。音楽を、テレキャスターを通してコミュニケーションを取りたいし、それによって目に見えない触れ合いが生まれたらうれしい。これは私がバンドをやっている大きな理由の1つですね。

ZAZEN BOYS「らんど」インタビュー|なぜ新作完成に約12年の年月がかかったのか?向井秀徳が明かす“地獄の自我”

昼間外に出て銀行に行って買い物したりする時はずっと『らんど』を聴いていた。向井さんのインタビューも読んでみると、ほんとうにずっとずっとずっとずっと待っててよかったなって思うし、鳴っているリズムが心地よい。

リモートワークが終わってちょっと一息。
月末までに提出するものをやらないといけないが、土曜日にちょっとだけ出るイベントの準備というか観ていない作品をチェックしたり、選んだ作品のことを考えたりする。まあ、何を話すかは決めてないとどんどん脱線しそうだし、言いたいことだけは決めてないと余計に混乱するだろうな。

 

1月25日
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年2月号が公開されました。2月は『ダム・マネー ウォール街を狙え!』『瞳をとじて』『ボーはおそれている』『落下の解剖学』を取り上げました。


起きてから散歩がてらradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら、代官山蔦屋書店まで歩く。ゲストはDMMで配信されている『インシデンツ2』にメインで出ているさらば青春の光の二人だった。来週のスペシャルウィークのゲストはCreepy NutsのDJ松永と発表された。
偶然、昨日夜作業している時に『田中みな実あったかタイム』をYouTubeで以前の放送回を聴いていて、メインは永野さんゲスト回だったが、その後に年始と今年一発目のDJ松永ゲスト回を聴いていたので、なんか勝手にシンクロした気がした。Creepy Nutsは世界でも新曲がバズっているからこれは「オールナイトニッポン」復帰なんかないだろうなって、音楽活動に専念するって卒業してすぐに結果が出た感じですごい。


新刊とかを見ていたが特に買うものもなく、旧山手通りから目黒川方面に坂を下ってドン・キホーテに。ソックスとかを購入したけど、いつも買ってるブランドのやつ。これはドン・キホーテ系列のピカソでバイトしている時からずっと変わらない。


家に帰る前に最寄駅の銀行に行って通帳記入をした。新書でちょっと気になる『1976年の新宿ロフト』というのがあったので読んでみたが、前にロフトを立ち上げた平野さんの回顧録を読んでいたのもあって、読み始めて一時間ちょっとで読み終わるぐらいの厚さだった。

土曜日のイベントのためにネトフリで『最後まで行く』とアマプラで『イニシェリン島の精霊』を観た。なんかわからないが今日は作業をやる気がまったく起きなくて、夜にイベント等のメモとかを書いたりしたぐらい。たぶん、寒すぎるのと〆切が近くなってきたから現実逃避したかったのだと思う。週末が結構大事なんだけど、イベント終わったあとにやる気が出るかどうか、かなあ。

 

1月26日
起きて新TwitterことXを見ていたら、朝日新聞に古川さんの「文芸時評」が掲載される最終金曜日だとわかったのですぐにコンビニへ行く。


朝日新聞の朝刊と『装苑』最新号を購入。あのちゃんの衣装の話とかもあったし、『哀れなるものたち』の衣装とかも掲載されていると前に見ていたのでたのしみだったもの。
装苑』に載っていたあのちゃんの衣装とスタイリングしている神田百実さんのインタビューを読んだら、伊賀大介さんのお弟子さんだった。師弟どちらも古着好きでカスタマイズ好きみたい。伊賀さんの師匠は熊谷隆志さん、僕が十代の頃にKjや浅野忠信さんや安藤政信さんの服カッコいいなと思ってたら熊谷さんがスタイリングなことが多かった。それで熊谷さんの名前や弟子の伊賀さんのことを知るようになった。
スタイリストって師弟関係で弟子は独立していくから、年代ごとに独立した弟子を主人公にしたファションクロニクルみたいな小説とか漫画あるのかな、ファション詳しい人が監修入らないと無理だろうけど。

いつもの始業時間からリモートワーク開始。夕方からの月に一回の全体ミーティングのことをすっかり忘れていて自分の作業をずっとしていた。気がついた時にGoogleカレンダーを見たら終わっている時間だったけど、オンラインミーティングのアドレスをクリックしてもやっぱり終わっていた。自分はなにか発表したり伝えることはなくて、話を聞くだけだから忘れちゃったとしても、これも集中力の欠如なのかも。きっと寒さのせいだ。

仕事が終わってから19時前に家を出てPARCO渋谷へ。金曜日の夜だし渋谷に向かって行くと人が多くて、道玄坂ユーロスペース前の坂道降っていくと先日も立ち話した人とばったり会って、「またかよっ!」と言われた。
ホワイトシネクイントで本日から公開されたヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』を鑑賞。東京国際映画祭、オズワルドシアターでの試写、今日はホワイトシネクイントと三回目になるが、スクリーンで観たい素晴らしい一作。あとはパンフも買いたかったのもあるので劇場に足を運びたかった。

上映まで時間があったので店内をブラブラ、上の階のドミューンでも『哀れなるものたち』の特集をしていた。映画を観るからドミューンのほうに遊び行けないのがちょっと残念。

Unfurling the Unusual Costumes of ‘Poor Things’

この映画でエマ・ストーンが演じるベラの衣装はほんとうに色鮮やかで美しいものばかりだった。僕は女装したいとか思ったことはないのだけど、最初に映画祭で観た時にこういうドレスとか衣装を着れたらすごい気持ちいいんだろうな、カッコいいなと正直思った。
公開初日の20時の最終回だったけど、お客さんは後方エリアは全部埋まっていた。前のエリアも後ろ側の方は埋まっていてお客さんはかなり多く、若い男女のカップルも多かった印象。オシャレな人が多かったのはきっとこの映画のファッションの部分にも興味を持っている人がいるっていう証左だろうなって思った。男女比は半々ぐらいかな、たぶん。

世界公開もまだなので内容については詳しく書かないけれど、性と生を肯定する開放の物語だった。公開後にはフェミニズム関連で取り上げられる可能性が高いかなと思うけど、エマ・ストーンがとんでもなく魅力的だったし、衣装とか室内や船や街のデザインもポスタービジュアルも素晴らしかった。エマ・ストーンは主演助演賞を衣装もアカデミー賞は流石に取るだろうなと思う。
ひとつだけ最後にある人物に対して主人公のベラが行う行為はちょっと疑問があって、あれは監督としてあえてあれをやっているのか、観客がどう捉えて考えるかみたいなことなのか、彼女がされたことに対しての行動だからなんら問題はないと思っているのか、その辺りだけは気になった。
トム・クルーズの映画同様に主演がプロデューサーを兼任することでできることがあって、トム・クルーズの映画が顕著だけど、普通なら主演が断る命がけなシーンを自分がプロデューサーだから責任も持てるしOKが出せる。エマ・ストーンも今作ではそれに近くて、映画に必要だからプロデューサーとしても俳優としてもOKを出してるんだと思った。俳優部が権限を持つことでできる表現は間違いなくあって、それもこの映画の魅力を増すことにはなっていた。
10月28日 東京国際映画祭の「ガラ・セレクション部門」でジャパン・プレミア上映時

『哀れなるものたち』試写を虎ノ門にあるオズワルドシアターで。ディズニーの会社なのでここは受付後にセキュリティの前でスマホの電源を切らされ、そこを封筒に入れられて封をされる。何度か来てるけど、そういうのってここだけな気がする。
この前東京国際映画祭で『哀れなるものたち』を観た時みたいに爆笑は起きてなかった。男性による女性の支配やモノ扱いしていることへのアイロニーやブラックユーモアを笑っていいのかって問題なのだろうか、理解してない可能性もなくはないが。そういう部分では映画祭で色んな国の人がいる状態で観れたのはベストだった。ただ、あの時は上映開始後20分ぐらい遅れてきた人たちがスマホのライトで席を探すというのがずっと途切れなかったので集中しにくくて目障りだった。冒頭の大事なシーン観てない時点で映画観る資格はねえとは思う(どう考えてもどんな映画でも冒頭が最後につながっていくわけでそれ観てないと判断しようがない)。
試写が終わったあとに宣伝会社の人に挨拶しようと思ったら、その人と女性の方が話していて、ちょっと待っていたら出てきたうちの親父と年は変わらない女性に宣伝会社の方が挨拶して感想を聞き始めた。僕もその衣装デザイナーでスタイリストの方は名前も顔も知っていたし、その人が関わっている映画も何作も観ていたので、挨拶を待つ感じで近くにいた。そこでその人が感想を話される時に今作でも強く感じる部分のことを言われていて、ちょっとだけ会話に入らせてもらった。あと映画祭では爆笑だった部分のことを話したら、周りが笑ってなかったけど爆笑だよねってその人も言われてたので、やっぱりその感覚なんだよなと思った。とてもカッコいいし爽やかな話し方の方だった。名刺だけお渡ししたけど、少しだけお話しさせてもらえてうれしかった。
11月21日 オズワルドシアターでの試写時

試写の時にお話をさせてもらったのは北村道子さんで映画の公式サイトにコメントも寄せられていた。
ホワイトシネクイントで観ている時は展開はわかっていたのもあって、かなり笑いやすい状態になっていた。ブラック・ユーモアやジョーク的な男尊女卑がひっくり返るところはやっぱり笑ってしまった。この作品はそういうところが本当にうまい。

一度身を投げて死んでしまったベラをある方法で蘇らせた天才外科医ゴッドウィン・バクスター、創造者と創造物、父と娘のようなこの関係性は創作の問題とも関係している。それは加藤シゲアキ著『なれのはて』が直木賞を受賞した時に質問してもらおうと思った質問にも通じていた。
ゴッドウィンがベラに施したことは外科医としての研究と好奇心によるもので、彼のやったことを道徳的に考えると否定される、悪魔だと言われる可能性が高い。だが、そうやって蘇ったベラは精神が肉体に追いついていき、子供から大人へと成長して知識を得て世界や他者を理解していくことで、父であり神であるゴッドウィンを許すという考えに至る。僕がこの映画がすごく好きなところ、響いたのはそこが大きいのだとおもう。


アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』という映画はすごく好きで、公開時にパンフを買ったら古川日出男さんが寄稿されていたのもうれしかった。エマ・ストーンも娘役で出演していた。
真っ赤な表紙にバードマンが描かれているイラストもカッコよかった。その時はフォックス・サーチライト・ピクチャーズだったが、のちにウォルト・ディズニースタジオ傘下になって、サーチライト・ピクチャーズに社名が変更されている。フォックス・サーチライト・ピクチャーズからサーチライト・ピクチャーズに名前は変わったがパンフのデザインは基本的に同じ形式で引き継がれていて、右上に社名が同じ感じで入っていて統一感があるものとなっている。かつて単館映画館の代表格だったシネマライズでも、上映作品のパンフにはシネマライズとナンバリングがされていたので、それに近いデザインでもあるし、揃えたくなるものになっている。
アメイジングスパイダーマン』のヒーローとヒロインはあの悲しいシリーズ二作目での打ち切り後、ハリウッドを舞台にした作品にそれぞれ出演していた。
エマ・ストーンが出演した『ラ・ラ・ランド』とアンドリュー・ガーフィールドが主演した『アンダー・ザ・シルバーレイク』はそれぞれハリウッドの光と影を描くような表裏のものになっていた。2019年3月にロサンゼルスに遊びに行った時には、時間があったので『ラ・ラ・ランド』に出てくるロケ地を回ってみた。グリフィス天文台もアスレチックコースから上った。やがて『アンダー・ザ・シルバーレイク』が公開されると見覚えのある場所ばかりが出てきた。ロケがかなり重なっていた。ハリウッドが舞台だから当然ではあるのだけど、やっぱり一度見たことある景色が出てくると映画への没入感も高くなった。
アンダー・ザ・シルバーレイク』は早すぎて評価されなかった映画だと思っていて、マイベスト5には入る。僕がA24の映画に前よりも強く興味をもつきっかけになったのもこの作品だった。『バードマン』もマイベスト5に入ると思う。『哀れなるものたち』もそこに食い込みそうなくらい好き作品。エマ・ストーンがプロデューサーで主演じゃないと撮れなかった作品でもあるので彼女の俳優としての魅力とプロデューサーとしての能力の高さに心から拍手をしたい。

 

1月27日
12時からLOFT9で『ありまよとアオヤギの給料日ラジオ23年下半期よかったものSP』があり、「映画/ドラマ」パートで出演することになっていたので11時までにLOFT9へ向かった。
友人であり、元上司の有田真代さんとライターの青柳美帆子さんが毎月やっているラジオのリアルイベントの第二回。
2023年下半期の作品を、「本(小説/その他)」「マンガ/TVアニメ」「映画/ドラマ」「旧作・ノンジャンル」にわけて語るというものになっていて、「本(小説/その他)」では書評家の三宅香帆さんがゲストだった。
楽屋に案内されて、有田さんと青柳さんにご挨拶した。青柳さんは初対面だったので名刺交換から、三宅さんもすぐ来られたのでご挨拶をして名刺交換をした。三宅さんとは仕事でのやりとりはあったけど、実際お会いしたことがなかった。有田さんとも映画の試写で会ってから二年近く経っていたので、このメンバーに僕が入っていて大丈夫?とは思ったけど、楽屋で今日の流れとかについて話をしていたらなんかこのままでいけばよさげだなって思えた。
まあ、有田さんと青柳さんのイベントだし、僕はプレッシャーとか感じることはないから人前で話すことはほとんどないからそこは心配だった。でも、こういうのって始まったらなんとかなるというか、いつか終わるから気にしてもしょうがないなって。
有田さん進行とかうまいし、青柳さんも雰囲気が華やかで場が明るくなるので、よほど変なこと言わなきゃ大丈夫かなって思ってた。
僕より前に出番のあった三宅さんもトークスキル高いし、三人とも好きなものに対しての熱や想いが高くて強いので彼女たちが話している時にその好きってのが伝わってくる感じがして、それがお客さんにも伝わるし、もっと聞かせてくれって感じになるんだなって、関係者席でビールを飲みながら観ていた。
自分のMacBook Airも持っていって、何を言うかメモしてたけど、それを見ながら話す余裕はなくて、終わってから見返したらメモしてて言おうと思っていたことけっこう言えてなかったとちょっと反省。
トークイベントって08年ぐらいから観に行くようになったけど、観客の側と登壇側が見えるものは全然違うし、トークイベントって最初から語りが上手い人、場の空気を自分の側に寄せられる人とかじゃない限りは慣れってあるんだろう。
終わってから入り口でお客さんに四人で挨拶をした。何人か顔見知りの人もいたので嬉しかった。終わってからプチ打ち上げを麗郷へ。数回きたことあるけど、なんかザワザワしてて店の中うるさくて、料理は美味しいから打ち上げとか数人で来るにはほんとにいい。昼からビール飲みながらえび入りやきめし食べるのか最高だし。しかし、LOFT9にいる時からずっとビールを飲み続けていたので帰ったら睡魔がすごかった。
21時から月一のミーティングをオンラインでやるまで風呂に入って仮眠したら、酒抜けたので助かった。

 

1月28日
昨日、半分までしか聴けてなかった『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら朝の散歩へ。来週のスペシャルウィークレイザーラモンHGさんみたい。どうなるんだ、この組み合わせ。たのしみではある。


代官山蔦屋書店の一階のガラス壁部分にThe Smile『 Wall Of Eyes』の大型ショーウィンドウが展開されているとXで見ていたので写真をパシャリ。

The Smile - Friend Of A Friend (Official Video) 


先日の109シネマズプレミアム新宿での上映で観ていたポール・トーマス・アンダーソン監督のMVもYouTubeでアップされていた。

蔦屋書店の二階の音楽フロアは規模が縮小されていてThe Smileの新譜も置いてはあるけど、もうちょっとスペースとってプッシュしなよってぐらいの扱いなので、ショーウィンドウの落差がひどい。
CDもカセットテープもこの間の上映会の時に買ったし、実はブルーヴァイナルのレコード版もBEATINKの通販で買ってしまっているのだが。二階にブルーヴァイナルのレコードは一枚ぐらいは置かれていた。もう少し前は音楽フロアが広かったからよかったんだけどなあ。


帰りにあおい書店池尻大橋店に寄ったら明日発売の新潮文庫が並んでいて、燃え殻著『夢に迷ってタクシーを呼んだ』を買った。

出井 ハインリッヒさんは本当に自分らが面白いと思ってることのみを、かなり純度の高いまんまネタにしてる。なるべく薄めず。ランジャタイもそう。国ちゃん(国崎和也)はお笑いの能力自体は全部めちゃくちゃ高いんですけど。漫才となるとね、ああなるっていうのがすごく面白い。

楢原 国崎さんは掛け合いが全くできない人なので。トークの能力高いんですけど、流れで面白いことを言うのがめちゃめちゃ苦手。エピソードトークの完成度高いけど、じゃあこの二人でダラダラ喋って面白い話をしましょうってなったらできない(笑)。だから漫才やるにしても、相方が伊藤幸司じゃないとだめなんだろうな。国崎さんが表現したいことの邪魔をしないから。

出井 僕らからすると「東京にはこんなに知らない面白い芸人がいっぱいいるんだ」って、衝撃だったですね。いかに自分たちが大阪の狭い世界でやってたのかと。その狭い世界の上下で一喜一憂したりしてたんだっていうのは、思い知りました。メイプル超合金とか知らなかったもんな、こっち出てくるまで。モグライダーも知らなかったし、ランジャタイも。そういう面白いなと思った人たちがみんな受け入れてくれたので、うれしかったですね。

楢原 うれしかった。

出井 東京で初めて錦鯉さんと一緒になった時に、(渡辺)隆さんが「なんか大阪から来たやついるらしいな」って僕らのネタを客席で見てくれたんですよ。それで後輩に「ああ、おもしれえじゃねえかよ」「あいつら大阪に追い返せ!」みたいなことを言ってたというのを聞いて。よかったなぁって。

楢原 吉本時代は同期でも、あいつは1軍、こっちは3軍みたいな、見えない上下があるのが窮屈だったんですけど。東京出てきたら、事務所も年齢も関係なかった。等しく全員売れてなかったので(笑)。

出井 同世代の芸人もっといっぱいいたんですよ。ケイダッシュステージに10組~15組ぐらいいたかもしれないですけど、もうほとんどやめちゃった。漫才師でいうと、僕らとトム・ブラウンしかいなくなっちゃった。

――同世代の芸人さんがやめていく時、どういうことを思われましたか。

楢原 偉いと思いました。

出井 全然やめることが負けとか失敗じゃないので。むしろそっちの方が……

楢原 絶対に賢いよね。錦鯉さんがやっぱり悪い例じゃないですか。ずっとやってたら売れるんじゃないかってみんなに思わせてしまった。本当はそんなわけなくて。だって錦鯉さんはずっと面白かったから。面白いってみんなに言われてて、本当に早く見つけてあげてくださいよっていう中で順当に見つかっただけだから。でも地下芸人はみんな自分を錦鯉だと思ってるんですよ。

「芸人界はどうしても男社会なので…」M-1準優勝・ヤーレンズが先輩女性芸人から学んだ「大切なこと」ヤーレンズ・インタビュー

松本さんが「M−1グランプリ2023」の最終投票で一票入れた令和ロマンは彼の真逆である学生笑い出身慶應ボーイ(髙比良くるまは中退、松井ケムリは法学部を卒業しており、父が大和証券グループの副社長であるため実家がかなり裕福)だった。ヤーレンズは脱関西吉本して東京に出て、トム・ブラウンや錦鯉やランジャタイやモグライダーたちが地下芸人で日の出を見ないときから事務所の垣根なくやってきたコンビ。去年決勝行けなかったこの二組が毎月一緒に新ネタライブをして磨き上げて、23年の決勝で一位と二位で競うというドラマが生まれた。
この二組のそのドラマというか決勝進出とその流れを見ているとシステム(お笑い芸人育成学校)の対応年数みたい問題、NSCの第一期であるダウンタウンの天下をとっていこうの吉本興業の在り方みたいなものに対して、時代が変わったという印象を持つ。松本人志の性加害問題が表沙汰になる前に、もう何かが壊れ始めていて、内側や外側からそうではない人たちが「M−1グランプリ」という競技で一位と二位になったのは偶然ではないのだろう。

META TAXI #16 | Aマッソ 加納愛子 × 凪良ゆう、向井秀徳 × ランジャタイ 国崎和也、ダ・ヴィンチ・恐山 × なか憲人 


向井さんと国崎さんのトーク第二弾、今回も国崎さんのThis is 向井秀徳への熱い思いが溢れている対談、第一回よりもお酒を飲んでいるせいか向井さんが国崎さんをどんどん受け入れている気もする。音楽とお笑いが一緒にライブやフェスに出ることの話があって、国崎さんは一緒にはできないと話していて、受け取る側の感じ方が音楽と笑いでは違うし、袖からではなく客としてZAZEN BOYSのライブは観たいとも言っている。
かつてZAZEN BOYS立川志らく師匠の対バンイベントを二回観ているけど、向井さんそのこと忘れているのか言わなかった。でも、志らく師匠が「M−1グランプリ」審査員の時にランジャタイを高く評価していことを考えるとなにかが繋がっているし、同時に落語家とお笑い芸人で考え方も違うっていうのもわかる。

ヤーレンズのインタビューでは先輩の女性芸人であるDr.ハインリッヒについて影響を受けたと話をしていて、彼らは芸人界の男社会において後輩の女性芸人と飲む時にはハインリッヒさんの視点を意識していると語っていた。
僕は30歳以降のフリーター、バイトにおいて自分を呼んでくれた店長やLOFT9のイベントに声をかけてもらった有田さんが編集長だったのでスタッフとして呼んでもらったりしていて、僕の上司や上長は偶然なのか女性しかいない。たぶん、そのことが多少なりとも僕のフェミニズムへの関心とかにも関係はしているし、もともと部活動における先輩後輩関係とか男性社会のホモソーシャルなものが嫌いなのもあるけど、時折自分の言動とかに女性軽視があったり、昔ほんとうにわかっていなかったなと思い返すことが多々ある。自分がマシだとは言えないかもしれないけど、同世代や上の世代の男性のそれらの解像度はけっこうヤバいんだろうなって思わなくもない。たぶん、東京でこれだと地方はさらにひどいだろうなとは想像はできる。

あとインタビューでも出てきた「同世代の芸人はほとんどやめちゃった」という話はどのジャンルにもあって、僕もやめないままそこにいる側になっている。
去年ぐらいから新しく始まったゲーム関連のライティング仕事とか、僕が辞めてなくてまだライターとか言って続けているから振ってもらった仕事でもある。僕ぐらいの年齢だったら成功してる人は忙しいし単価が高いから新しいプロジェクトで新規に頼むのが難しい、でも、小説とか映画好きで物語のことを知っていて書いたりできる人を探すのはけっこう難しい。もちろん執筆料だとかライティングの費用やお金が発生するし、プロジェクトだと社内や部署でその人を推薦しても誰やねん?ってなればもちろん通らない。僕はノベライズを書いていたりドラマの脚本でクレジットはされているので、ゼロの人ではないという認識はされるので、じゃあ、書けそうならお願いしてみようかって感じで通る。
やめないことのメリットってたぶん、周りがいなくなることぐらいで、だからってチャンスがそうそうあるわけでもないし、結果を出さなきゃその先もない。声をかけてもらうタイミングとか運の要素もかなりある。

 

1月29日
夢を見た。こういうのは初めてだったので起きてメモだけ残した。男女が二人ずつの四人がある場所にいた。男性のうち一人は僕であり、もう一人は芸能人かなにか有名な人物で年齢も僕と変わらないぐらいだった。でも、顔はほとんど見えなかった。女性二人も顔はほとんど見えずどういう顔のタイプなのかわからなかった。つまり、その時点で僕は自分以外の登場人物の顔がわからないままだったが、もう一人登場人物がいた。僕ら四人はどうやらラブホテルの待合室にいるようだった。男女それぞれのペアではなく、四人で入るれる部屋を探しているみたいで、複数人プレイをしようとしているようだった。もう一人の人物は僕らがやってきたラブホテルの従業員で制服を着た年嵩の男性だった。彼が四人で入れるところがあるかを電話で聞いてくれている。僕らはそれをソファとかに座って待っているというものだった。夢は従業員が電話していて、どうも四人を受け入れてくれるところがないという感じで頭を振ったところで目が覚めた。
すぐに夢占いで検索してみた。
まず、複数人での性行為は恋愛のトラブルの暗示の可能性があるらしい、パートナーがいる場合はセックスに関するすれ違いやマンネリが起きているということらしい。
相手が芸能人や有名人であるなら自分の願望夢である可能性が高い、ファンではない場合は自分を投影しいぇいるらしい。
相手の顔がわからない場合は、あなた自身がそのセックスをどう捉えているか振り返ってくださいというものだった。
問題はこれらはセックスをしている場合であって、夢ではする手前の状態なのでこれらはあてはまらない。この夢なにを意味しているのかまったくわからない。

いつも通りにリモートワークを開始。日曜日の麒麟の川島さんと有吉さんのラジオは当日に聞いていたので、Tverで見ていなかった番組をBGMがてら流そうと思って探していたら、金曜日に放送が開始された宮藤官九郎脚本ドラマ『不適切にもほどがある!』第一話を見ていなかったのでそれにしてみた。

1986年――。小川市郎(阿部サダヲ)は、“愛の鞭”と称した厳しい指導をするのが当たり前な昭和の体育教師。さらに、野球部の顧問も務め、生徒たちからは「地獄のオガワ」と恐れられていた。その一方、家では男手一つで17歳の一人娘・純子(河合優実)を育てながらも、娘の非行に手を焼く普通の父親でもある。最近は市郎の帰宅時間をやけに気にする純子が、男を家に連れ込み“ニャンニャン”するのではないかと心配していた。ある日、市郎はいつものようにタバコを吸いながらバスで帰宅中、ついウトウトしてしまう…。目を覚ました市郎の目に飛び込んできたのは、パンツが見えそうなスカートを穿き、耳からうどんを垂らした女子高生がバスに乗り込んでくる姿だった。その姿に違和感を覚え指摘する市郎だが、乗客たちから車内でタバコを吸う市郎こそおかしいと言われ、口論になってしまう。逃げるようにバスを降りた市郎が目にしたのは見たこともない異様な格好をした人々と、なんとなく変わっている景色だった。なんとか見つけた馴染みの喫茶店に飛び込むが、事態を飲み込めない市郎は動揺してカウンターにいた犬島渚(仲里依紗)のビールを勝手に飲み干し、またもや口論になってしまうのだった…。一方、純子は向坂キヨシ(坂元愛登)から突然告白されていた。キヨシは、社会学者である母・サカエ(吉田羊)と共に令和から昭和にタイムスリップしてきた中学生で、街中で偶然出会った純子に一目ぼれしてしまったのだ。純子は“ムッチ先輩”こと秋津睦実(磯村勇斗)に密かに思いを寄せているにもかかわらず、キヨシを家に連れ込もうとするが…!?昭和の「当たり前」は令和の「不適切」!?“昭和”から“令和”にタイムスリップしたことで改めて感じる人々とのギャップや共感を描く、意識低い系タイムスリップコメディがスタート!


河合優実って前から山口百恵さんや石原さとみ系統の顔だと思ってたけど、髪型とか雰囲気をちょっと変えると中森明菜ぽくもなるんだな。市郎が喫茶店のトイレで現在と未来が繋がっている穴を見つける時にそこに貼られていたのが小泉今日子さんの40th ANNIVERSARYのポスターとかつての80年代のものが両側にあった。宮藤官九郎脚本だと『あまちゃん』と『監獄のお姫さま』にも出演しているので、今作でラスボス的なのかサービス的な演出で小泉今日子さんは出てくると思う、いや期待はしたい。
ドラマを見ていてかつての昭和の常識が令和ではまったく通じない、ギャグにすらなってしまう。不謹慎で炎上案件になるという落差で笑ってしまう作品になっていて、クドカンらしいし、同時にすごく攻めている姿勢も感じられた。途中でミュージカルみたいになるのとかは急に違和感があるから目が離せなくなるところか演出も楽しんでやっていそうだなって思えた。
このドラマを見ていて、なんか見覚えがあるよなって思えたのは、同じく宮藤官九郎脚本だった山下敦弘監督の映画『1秒先の彼』とちょっと通ずるところがあるからだろう。どちらもバスが大きな役割を果たしていたりするし、時間というものがドラマを大きくうご描くギミックになっている。『1秒先の彼』はあまり話題にはならなかったけど、その脚本を宮藤さんが書いたことでこのドラマに繋がったり、ヒントにはなったんじゃないかな。

『東京オルタナティヴ』連載開始時に大塚さんにお話を聞かせてもらったのが2017年9月で、もう6年半近く経ってた。あの頃は『北神伝綺』『木島日記』『試作品神話』の小説が改めて刊行されるとは思わなかった。『東京オルタナティヴ』の「結」となる連載の再開もたのしみ。

登場人物の名前にも、『フランケンシュタイン』とシェリーの要素が散りばめられた。ベラの別名「ヴィクトリア」は、フランケンシュタインの名前である「ヴィクター」の女性形。ゴッドウィン・バクスターの名は、シェリーの父親の姓である「ゴッドウィン」と、彼女が思春期の約1年間を過ごした「バクスター」家から命名された。

ちなみに『哀れなるものたち』原作でベラの書簡が言及している(すなわち著者のグレイ自身が種明かしをしている)ように、回顧録のパートは『フランケンシュタイン』のみならず、エドガー・アラン・ポーやジェイムズ・ホッグ、ブラム・ストーカーなどの作品も参照・引用したものだ。グレイは意図的に、この物語をゴシック小説として紡ぎ出したのである。

そして『フランケンシュタイン』が、のちにフェミニズム小説やフェミニズム批評における重要な作品として位置づけられたことも忘れてはならない。グレイがゴシック小説の形式でフェミニズムの物語を描いたことは、この作品単独ではなく、下敷きとなった『フランケンシュタイン』と深いつながりを持つと考えるべきだろう。単純に物語のパロディを試みたのではなく、テーマ性や文体も含めて、シェリーと同じことをやろうとしたのだと。
なぜギリシャの鬼才監督は『哀れなるものたち』を映画化した?奇書と称される原作小説との比較から探る

この記事は映画のネタバレも含んでいるけど、『哀れなるものたち』がよりよくわかるものになっていて読んでよかった。作品のディティールに関する部分とヨルゴス・ランティモス監督が描いてきた「力」のことも含めて、『ロブスター』『聖なる鹿殺し』『女王陛下のお気に入り』を見返したくなった。

 

1月30日
今日は夢も見ずに起きたが、どうも頭がスッキリしない感じ、活動したがらないというか。起きてすぐに作業を開始しようと思ったけど、やる気が起きないのでとりあえず散歩へ。radikoで『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴きながらまたいつもの代官山蔦屋書店まで歩く。お店に入ってある地点に行くとradikoが切れる。ネットが遮断されるのか、お店のWi-Fiに繋いでいないのかわからないけど、聴けなくなる。たいてい一度外に出てからSpotifyのアプリで音楽を流しながら入る。そうすると音は途切れないんだけどなんでだろう。
ちょっと気になる書籍があったのでタイトルだけメモをした。エッセイみたいだった。なんだか最近小説を読むのが遅くなっている、たぶん集中力の問題なのか、物語にうまく入れないのかはわからないけど。

先日、柴崎友香著『続きと始まり』を最後まで読み終わった。まさに今読むべきな一冊だった。コロナパンデミック期間中の話でもあり、東日本大震災から10年近く経った時期が舞台になっていた。最後にはロシアのウクライナ侵攻が始まり、戦争が現在進行形になっている時期に終わる。
能登半島を中心とした大地震が元旦に起きたばかりだが、そのことを思い浮かべるし、簡単に風化されてしまうことや、過去の大きな出来事によって得た教訓も活かされているとはいいにくい面を報道やニュースで目にする。いろんな場所が綻んでしまったことで、声を上げることが難しかったり、正しさを声高にいうことで当事者も周りも傷つけあうということがSNSで可視化されてしまっている。
普段の生活の中で感じる小さな違和感や人には伝えにくい気持ちを柴崎さんは丁寧にこの長編小説で書かれていた。こういう作品が今なにかに傷ついている人や自分の声や意見を周りの人や誰かにうまく伝えられない人に届くといいなと思う。きっと、そういう人に届いた時にその人たちの気持ちはふわりと包まれて一人ではないという気持ちになると思うから。

Bleachers - Tiny Moves (Official Music Video) 


YouTubeのトップページをスクロールしている時に出てきた女性になんか見覚えがあると思ったら、やっぱり『哀れなるものたち』のフェシリティー役で出演していたマーガレット・クアリーだった。
『哀れなるものたち』では体の動きが敏捷というわけではない役所だったので、このMVで軽やかに踊っているのを見るとなんか不思議、あのあとにすごい成長したみたいな気にすらなる。

夕方前にもう一度ちょっとだけ近くを散歩してから作業を開始。今日明日で最後まで終わらせないといけないものだけど、なんとかなりそうというか終わらす。

 

1月31日
本日提出予定のライティング作業があったので起きてから作業を開始。夜までになんとか終わらせたかったけど、いつものリモートワークもあるから難しそうだなと思った。できるだけやってみてから先方に連絡しようと思った。
いつもの時間からリモートワークを開始したが、そちらのライティング作業がどうしても気になってしまった。ちゃんと作業のスケジュールをカレンダーに入れていたけどちゃんとコツコツとやっていなかった自分が悪いのはわかっている。リモートが終わってどのくらいできるか考えていたら、夕方に一件のショートメールがスマホに届いた。
友人の携帯番号から発信されたそれには、友人(の名前)の母という文章から始まっていた。数日前にラインをして既読にならなかったので今朝、元気か〜とラインしたばかりだった。友人である彼女は26日に突然倒れて27日朝に脳梗塞で亡くなりましたと文章は続いていた。嘘だろと思わず声が出てしまった。その文章はご連絡いただければ有り難いですと続いていた。
絶対に認めたくはなかったけど、僕にできるのは彼女の携帯番号にかけることしかなかった。最初は誰も出ずに留守番電話に繋がったので自分から切った。どこかでちょっとホッとした自分がいたが、すぐに彼女の番号の方から電話がかかってきて、出たのは彼女の母親だった。初めて話すその女性から娘は亡くなりましたと告げられた。
信じたくないけど、ほんとうなのだとわかった。ご両親は27日には東京に来られて彼女はすぐに火葬されて、骨となってご両親とともに実家に帰り、親族だけで葬儀は済ませたと教えられた。そうか、もう彼女の顔を見ることもできないのだとわかると泣いてしまって声が出なかった。
東京で住んでいた部屋の退去などでこの先も東京に来ることがあると言われたので、なにかお手伝いができることがありますか、と聞くと思ってもいなかったことを提案された。
お母さんはそれが娘の供養になるとは言わなかったが、彼女が楽しみにしていてチケットを取っていたライブに一緒に行きませんかと僕を誘ってくれた。僕が断る理由はひとつもなかった。でも、ずっとそのライブ中に泣いてしまうだろうなと思った。それでも、僕ははじめて会う友達のお母さんとそのライブの時間を一緒に過ごすことしかできない、だったらそうすべきだと思った。そのライブの日にどこで待ち合わせるのかと泣きながら話している自分が不思議だった。
友人である彼女に最後に会ったのは今月の13日で「朗読劇『美幸』」を一緒に新宿で観た時だった。あの日は気温が下がって初雪が降って寒かった。彼女は風邪を引きかけていて貧血気味だと言っていたので、いつもみたいに舞台を観た後に飲みにも行かずに駅で別れた。それが彼女と会って話した最後の日になった。
二十歳で上京して映画の専門学校に入学したが、学校に行く前にバイトを始めたお店で彼女とは出会った。話してみると入学した学校の先輩だったが、僕よりは年齢はひとつ下だった。入学後は先生のアシスタントをやっていて僕のクラスを担当していたし、バイト先でも学校でも付き合いがあったから先輩後輩というのはすぐになくなって友達として付き合うようになった。
学校を卒業してもバイト先の友達数人とは繋がっていて、何年かは数人で飲んだりするのは続いていたが、この十年近くは彼女と僕ともうひとりの友達の三人で会うことが増えていた。もう一人の友達は結婚して子供が生まれたのでしばらく会う機会が減っていたけど、お子さんがちょっとずつ大きくなるにつれて一緒に連れて来れるようになったので、みんなでスカイツリーにも上ったりもした。
元旦の三人のグループラインでは桜が咲く頃にお子さんも含めてみんなで会おうという約束をしたばかりだった。
僕はお母さんとの電話が終わってから、そのもう一人の友達に伝えないといけないと思ったけど、電話を切った途端に涙が溢れ出てどうにもならなかった。だけど、このまま伝えないということはできないので、少しだけ待ってから電話ができるかなとラインをしたらすぐに電話がかかってきた。僕は亡くなった彼女の名前を出して、お母さんから連絡が来てと言うと、嫌だ聞きたくないと言われた。もう、僕の泣き声ですべて伝わってしまっていた。僕らは泣きながら彼女のことを話した。その友達は最後だからこそ顔を見たかったと言った。お母さんが僕に連絡をできたのは彼女のスマホの暗証番号が書かれた紙が見つかってロックが解除できたからだと言われていた。でも、ラインとかは娘のプライバシーだけでなく、相手のプライバシーにも関係することだから見ていないということだった。僕に連絡をしてきたのは、僕とよく演劇や舞台を観に行っていて、名前をお母さんに言っていたことで僕の名前を電話帳で見つけたのか、そのライブに誘おうと思ってショートメッセージを送ってきたようだった。
ランジャタイとかが屋のツーマンライブのチケットが取れたら行かないかと誘っていたけど、土曜日の一般販売ではぴあにつながっても即完で販売枚数は終わっていた。次に行きたいと話していたダウ90000の本多劇場の公演はなんとしても取るとラインしていたが、数日経っても既読にはならかった。数日既読にならないことはこれまでも何度あったけど、五日以上経っても既読にならないから元気かと今朝ラインしていた。僕がLOFT9のイベント前にチケットが取れなかったとラインした時点で彼女はすでに亡くなっていた。そのことを知らないまま過ごしていたことに気づいて、どうしたらいいのかわからなくなった。
彼女の肉体はもう焼かれてしまって、この世のどこにも存在しなくなってしまった。もう一人の友達もご両親から連絡がすぐに来なかったのは仕方なかったけど、顔だけはもう一度見てお別れを言いたかったと泣きながら何度も言った。
葬式は残された側にとって大事な儀式だ。亡くなった人がもういなくなったと理解してお別れをいうための、残された側にとっての必要な儀式だ。僕らはもう記憶の中やかつて撮った画像の中での彼女しか会えないし見えない。そのことがどうしてもつらい。
上京して二十一年、3月には二十二年目になる。人生の半分以上東京で生活している。その暮らしの最初の頃に知り合って、ずっとずっと友達だった彼女が死んでしまった。どうにもならないのはわかっている。でも、少しでも考えると涙が止まらない。
そこからもう仕事なんか手につかなかった。今日中に提出予定だったライティング作業に関しては、先方に事情は言わずに、〆切日を来週にしてくださいとだけメールした。
ひとりではいたくなかった。温かいコーヒーが飲みたかったからニコラに行って、ビールを二本飲んでからコーヒーを飲んだ。彼女の話も二人に聞いてもらった。彼女とも観劇後に一緒にお店にも来たことがあったから、二人とも知っていた。話していると泣いてしまっていたけど、誰かと一緒にいる、話せる空間はありがたかった。
お店を出て家に着いた頃に僕が帰ってすぐに知り合いが来たと連絡があったので、引き返して彼女の話はしないで映画の話とかを久しぶりにあった友達と話をした。それでかなり気持ちが落ち着いたけど、帰る時に気がついたら涙が自然と流れていた。彼女の声を歩きながら思い出してみた。まだ思い出せる。だけど、この声はやがて思い出せなくなる、僕には聞こえなくなってしまう。そのことだけはどうしてだかわかっているから悲しくてやるせない。

去年3月に彼女と一緒に観た『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館「なんと括っていいか、まだ分からない」』で聴いたこの曲を最後に。
【MV】Creepy Nuts × 菅田将暉 - サントラ