Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年9月16日〜2023年9月30日)

9月上旬の日記(2023年8月1日から8月15日分)

9月16日
日付が変わってから9月上旬の日記をはてなブログにアップしてから、旧Twitterでツイートしたりインスタのストーリーズにあげたりしてから、アップしたものを読みつつちょこちょこ誤字脱字を修正してから寝た。
目が覚めたら7時過ぎだった。午前中は特に予定がなかったので、radikoで『EXITのオールナイトニッポンX』と『JUNK バナナマンのバナナムーンゴールド』を聴きながら読書。
10時に友達と行こうと話していたハライチのライブチケットを取ろうとしたら、一人一枚までしかダメだったので諦めて、そのことをラインした。ちょうど洗濯機から「ピーピー」と選択の終了音が聞こえてきたので干してから、『三四郎オールナイトニッポン0』をお供に散歩へ。
先週から番組ゆかりの場所をリスナーから募集していたけど、番組のファンクラブ「バチボコプレミアムリスナー」限定の「三四郎と行く!バチボコプレミアムバスツアー」のためだった。一応募集が始まったら応募してみるつもり。コロナパンデミックになってからradikoでラジオを聴くようになった大勢の一人であるし、この三年ぐらいのリスナーなのでバスツアーはちょっと荷が重い気はするけど、当たったら行けばいいかぐらいの気持ち。


気温が高いというよりも湿気がかなりあって、すぐに汗だくになった。代官山蔦屋書店の写真集のエリアで月曜社から刊行されている『挑発関係=中平卓馬×森山大道』をパラパラと見る。今ちょうど二人の展覧会が開催中で、その公式カタログらしかった。
森山大道さんの写真は何度か見たり、著書の『犬の記憶』が好きだったりする。中平卓馬さんの名前は知っているけど、ちゃんと写真を見たり文章を読んだことはなくて、見覚えだけはあった中平卓馬著『なぜ、植物図鑑か―中平卓馬映像論集』のちくま学芸文庫を買った。
映画学校時代の友人がこの文庫を読んだ影響で撮影方法とかいろいろ試していた記憶があって、あの時期には僕には全然わからなかった。彼は批評性もありながら表現にストイックでユーモアがある作家性の強い人物だった。僕が園子温監督や古川日出男さんに惹かれていくぐらいからちょっとずつ関わりは減っていった。
古川日出男さんの『ベルカ、吠えないのか?』を最初に読んだのは彼の部屋だった。僕が惹かれたり憧れたりする作家性の、エッジのある表現者たちとおそらくタイプ的には似ていた。だからこそ、僕が惹かれる人たちを知っていてもそこまで入り込まないというか、距離が取れていたんだと思う。僕はそういう人間ではないから、自分にはない資質の表現者や創作者に出会うと一気にそちらに向かっていく。僕のある種のミーハー的な部分と彼のストイックはハードコア的な部分は真逆であり、どんどん交流はなくなった。
『なぜ、植物図鑑か―中平卓馬映像論集』を手に取ったのはあの頃、彼が話していたことや写真や映像表現の土台や軸になるようなものがこの文庫にあるんだろうと思ったし、今の僕にはちょっとは理解できたりする、ような気がしたから。
僕の人生において20代後半から僕が追いかけていた創作者のことを知ったり、出会うきっかけとかをくれた人たちはもうみんな僕の周りにはいない。代わりに僕がその人たちと近い距離になったり作品に少しながら関わったりした。たぶん、人生はそんなものなんだろう。

昼過ぎに家に帰ったらTシャツがびっしょり濡れていて、ご飯を食べたらもうなにもしたくなくなって昼寝をした。夕方前に起きてから着替えて、夜の作業の前に体を動かしたくなった。
午前中に聴いていた『三四郎オールナイトニッポン0』がほとんど終わりかけだったので、最後まで聴いてから川島明さんがMCの『SUBARU Wonderful Journey 〜土曜日のエウレカ』を聴きながら歩いた。

人前に出ていると、人は少しずつ壊れていく、それが異常なことなのに反面、常態化していく。かつて一度それで壊れたゲストの中川家の剛さんは壊れそうな人がわかるから、そういう後輩を見つけると声をかけたり気にかける。それで救われたのが「M-1」ブレイク後の川島さんだった。というトークから始まる回だった。

家に帰ってから作業を開始する前にXを見たら、大塚英志さんが昔の僕のポストを引用ポストする形でリポストされていた。やっぱりポストって恥ずかしい。Xって。
干支が一回り、今から12年前のツイートがほんとうに実現したというものことに関して。僕もそんな前のツイート自体を忘れていたが、願いが叶ったというか、ほんとうに星海社から刊行されるのだから、僕の願いが予言のように当たったとも言えなくもない。
ツイートしている同年の1月に星海社の第一回新人賞の最後まで残っていたけど、編集者座談会で「上京ものはファウストでやったから点が辛くなるんだよね」と言って僕を落とした誕生日が同じでちょうど10歳年上の太田克史さんだった。そのあとに一度だけ編集部に呼ばれた時に太田さんにはお会いしたことがあったが、あれから12年ぶりに同じ編集部でお会いして、星海社から刊行予定の書籍のライティング仕事をしているのがこの2023年、だから毎月のように護国寺に行っている。そもそも契約書も何にもないからどこまで言っていいのかよくわからないよね、こういうのって。守秘義務って契約書結んでなかったら存在しないけど、一応言わないみたいな空気だけ、はある。
いろいろと月日経たね〜って思うけど、干支が一回りしたから20代終わりだった僕も41歳になっている。この月日で中年になったわけだが、自分ではなにが変わったのか変わらなかったのとかわりとわからない。他人から見て変わらないものが僕の核というか、外から見える僕らしさなんだろうけど、そういうものが一番よくわからないっていう不思議。

ano - 普変 / THE FIRST TAKE 

 

9月17日

8時前に目が覚めて、この一週間ほどちょっとずつ読み進めている上田岳弘著『最愛の』の続きを読む。上田さんは帯にも書かれているがデビュー10周年、僕がこの10年ぐらいで世に出た小説家の作品で一番親近感を感じるのが上田さんの作品だったりする。
モチーフとして「塔」というものが出てくる(今作でも『ラプンツェルの塔』を模したタワマンに住んでいる女性がいる)し、彼女や恋人がいなくなる(or失われる)というものがいろんな形で描かれている。
上田さんはおそらく村上春樹フォロワーなはずで、作品を読んでいるとかなり影響を受けているように思える。僕自身は父世代の春樹さんの作品は好きなものもあるが、ガッツリ影響を受けていない。どちらかというと村上龍さんのほうの作品に影響を受けている。だけど、村上春樹という作家の影響を受けた小説家が描こうとしているものは僕には親近感があるというのもなんとなく理解できるものがある。上田さんは年齢も近いから生きてきた時代のリアリティや見て感じたものが自分ごとに感じられるのも大きい。
僕はITやネットに詳しいわけではないが、ずっとスタッフをやっているウェブサイトの親会社が株式譲渡する前までは大手IT企業だったので、渋谷のヒカリエとか大きなビルに出社して働いていたり、親会社が変わる前のコロナパンデミックが起きた頃には渋谷スクランブルスクエアのシェアオフィスに変わったりしていたので、今作で出てくる場所も馴染みがあるかないかと言われたらある。
今のところ、シェアオフィスで出会った時には「画家」と名乗っていた人物との再会した辺りなのだが、彼の存在は僕が前に書いてみた長編に出てくるキャラクターと近しいものがあって、こういう感じにしたらもっとミステリアスで魅力的になったのかなと思いつつ読んでいる。

 

──とはいえ、各エピソードでのトークの内容に呼応するかたちで作品化していくプロセスは、相当に大変だったと思います。「悩み」をテーマにした「LIGHTHOUSE」だからこそ、「答え」を出す意味でも挑戦したかった、かたちにしたかったという思いはあったのでしょうか。

でも、ぼくはこの番組は「答え」を出す番組じゃないと思ってるんです。実際は後半、結果的に若林さんの悩みが解決していく感じになりましたが、ぼくの悩みはひとつも解決していないし(笑)。最後まで、ふたりでどんより悩んでいても本当はよかった。だけど、そこに自分がつくる歌があることによって、作品として昇華されると思ったんです。

──「LIGHTHOUSE」のトークでは、そうしたワクワクするような感覚を「行ったことがない場所にたどり着く」という言葉で表現されていました。キーボードでの作曲や今回のようなNetflixとのコラボレーションだけでなく、これからも新しいテクノロジーの活用に挑戦したり、表現者として常に新しい創作スタイルを追求したりしていきたいという気持ちの表れなのでしょうか。

新しい機材とか新しいメディアとか、あまり興味がなくて。でも、それが自分のやりたいことと合致しそうだったら研究します。あとは「行ったことのない場所に行く」というのは、そうしないと頭がおかしくなる感覚があるというか、そうせざるをえない。「行ったことのない場所に行くこと」が先行して、それが目的になっちゃだめなんだろうなと思います。自分がやりたいことがたまたま人のいない場所だったというのがいい。「革命だ!」なんて言っていても、その革命の中身がなくて、ただ革命をしたい人ってめちゃくちゃダサいじゃないですか(笑)

結局、覚悟が必要なんですよね。行ったら自分の居場所があるかもしれないし、ないかもしれない。そんなふうに、ただただ悩みを繰り返しています。でも、それでいいんじゃないかって思っています。

星野源が語る“対話からの創造”と、Netflix「LIGHTHOUSE」で挑んだ新たな曲づくりのかたち

星野さんがインタビューで答えているように二人のトークの中では基本的には「答え」を出さないようにしている、ということがこの番組の魅力だと思うし、僕が寝る時に流せることにつながっているのかもしれない。

昼前からちょっと作業をしてから14時過ぎに家を出る。思ったよりも気温は高くて汗がすぐに出た。渋谷方面に歩いていくと道玄坂近くで祭りがあるみたいでお神輿や法被を着ている地元の人たちが見えた。この時期はいろんなところで祭りとかがあるみたいでインスタグラムを見ていても、知り合いの人たちが地元の祭りとかに参加している様子をこの土日でいくつか見ていた。
ヒューマントラスト渋谷でイ・チャンドン監督『シークレット・サンシャイン 4Kレストア版』を鑑賞。7階の飲み物と食べ物を販売しているところはまだコーヒーの機械が壊れているままらしくコーヒーの販売をしていなかった。

ペパーミント・キャンディー」「オアシス」のイ・チャンドンが監督・脚本を手がけ、作家イ・チョンジュンの短編小説を原作に、最愛の人を失った女性の魂の救済を描いた人間ドラマ。

夫を事故で亡くしたシネは幼い息子を連れ、夫の故郷である地方都市ミリャンに引っ越してくる。そこで自動車修理工場を営む男性ジョンチャンと知りあった彼女は、彼の好意でピアノ教室を開き、順調な新生活をスタートさせる。ところがある日、息子が何者かに誘拐されてしまい……。

「ユア・マイ・サンシャイン」のチョン・ドヨンが主人公シネを熱演し、2007年・第60回カンヌ国際映画祭で韓国人俳優として初の女優賞を受賞。「グエムル 漢江の怪物」のソン・ガンホがジョンチャンを演じた。2023年、イ・チャンドン監督の特集上映「イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K」にて、4Kレストア版でリバイバル公開。(映画.comより)

イ・チャンドン監督の作品は『バーニング』ぐらいしか劇場では観ていなくて、『シークレット・サンシャイン』もさすがにタイトルは知っているけど観たことのなかった作品だったのでこの機会に観ようと思った。
正直なところ、最初に誘拐されたあとにウトウトして子供の死体が見つかる前ぐらいから意識がまたはっきりしてからは寝ずに最後まで観た。
シネが息子を失ったあとにキリスト教に、イエス・キリストに救いを求めて敬虔なクリスチャンになっていく。教会の活動に積極的に参加していく中で、赦しについて考える様になり、息子を殺した犯人、敵を赦すことが神の愛、教えであると思ったシネは刑務所を訪れて犯人に面会をする。だが、犯人も刑務所でキリスト教の教えを学び、自分はイエスに赦されたと話す。そのことでシネのキリスト教への、イエス・キリストへ向かっていた気持ちが綻び始めて、宗教に救われていた彼女は宗教によって再び壊れかけてしまう。
韓国が儒教の国であると同時にキリスト教徒も多く、文化的にも強い影響があるのだと思うので、キリスト教に改宗したり、宗徒になっていくのは違和感ない。
傷ついた時に差し伸べられた手が宗教だったというだけで、彼女が活動に深くコミットしていくのもよくわかる。彼女の場合はキリスト教、信仰だったわけで、セックス狂いになる人だっているし、暴飲暴食する人も、なにかの物質を壊したり、万引きをしたり、カード破産するまで買い物依存症になることも、あるいはなにもしないまま、という方法で壊れそうになった心を保とうする。なにかをより傷つけることで生の側に止まろうとする人間的な防御本能がそうさせるのだと思う。
シネを演じたチョン・ドヨンカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞しているのは納得できるもので、顔がほんとうに状況ごとにどんどん病んでいく感じが出ていて、壊れてしまっている、壊れそうになっている、というのが微細なものだけど観客にもわかるものになっていた。
最後まで観ても彼女は本当に救われたのか、僕にはわからなかった。あのラストシーンは美しいかもしれないけど、僕の心は彼女に寄り添えないというかわからなかった。
我が家は曽祖父母まではキリスト教だったし、父が幼い頃までは教会に通っていた。教会の牧師さんがいなくなって、ということはプロテスタントなんだろうけど、祖父母は近くにお寺があった真言宗に改宗している。父は幼い時だけだからキリスト教的な考えとはしていないし、真言宗もそこまでで、どこか無宗教ぽくて僕もそんな感じだったりする。
宗教というものについては僕はどこか信用できないところがある。困難な状況や心が壊れてしまう時になんとか生きる側に押し留める力は自分にはあるとは思うんだけど、それがたとえばアイドルへの推しでも問題はないと思ってしまう。とりあえず、生きるための指針や大切なものがあれば人間はなんとか立って日々を過ごしていける。ただ、のめり込んだらどんなものだってカルトみたいになるし、自分から客観性がなくなるということだけだ。宗教は難しいよね、バランス感が。


映画を観終わってから映画館が入っているココチビルを出て、信号を渡るとすぐにタワレコがあるから、そういえばI’sの『永遠衝動』のCDがあるんじゃないかなって思って見に行ってみた。四曲入りで2000円、これはシングル扱いなのか、ミニアルバムなのか、曲数的にはシングルっぽいけど価格としてミニアルバムのような。単純に前よりもCDも作る枚数が減っていると価格帯が上がるってことなんだろう。
書籍も刷り数が少なければ薄くても価格はそれなりに高くなるのと同じ。先週のライブが素晴らしかったので一枚買って、家まで歩いて帰った。

先日提出したライティング作業の修正案がきていたのを日付が変わるまでになってみる。日付が変わってから担当さんから連絡が見て、もう少し修正をしてほしい箇所をアドバイスされて、一回寝て起きて午前中にもう一回修正することになった。

 

9月18日
7時前に目覚ましで起きてから半から作業を開始。寝る前に言われていた部分を修正していったら9時少し過ぎた頃に最後まで観終わったので、編集さんに連絡して確認してもらうことになった。そのあとに打ち合わせとかあって、最終確認みたいな感じなのでこちらとしてはもう待つしかない。

午前中に元々やろうと思っていた作業は集中力切れで無理っぽかったので、ネットでこれから渋谷付近で観れる映画を探したら、『グランツーリスモ』だったのでチケットを予約してすぐに家を出る。
三連休の最終日の祝日で午前中ということもあってか、渋谷はそこまで人が多くなかった。暑かったけど、まだ耐えられるぐらいの気温だった。湿気があまりなかったので歩くのはちょうどいい。


親子連れみたいな感じで小学生っぽい子供や中学生同士の男子みたいな客がいたので年齢層は気持ち低かった感じがした。ゲームの『グランツーリスモ』のプレイヤーとかというよりもカーレースだし、ゲームが基だからおもしろそうぐらいな感じかもしれない。そういうライトな入り道がいいような映画だなと観終わってからは思った。
個人的には『第9地区』『エリジウム』『チャッピー』などのSF映画を今まで手がけてきたニール・ブロムカンプ監督作というのに一番惹かれたし、そこが観たい一番の要素だった。
この何年かで好きな映画として『第9地区』と『宇宙人ポール』があった。二作品とも地球外から地球にやってきた宇宙人が故郷へ帰ろうとする物語だった。それはSFだといえばそうなんだけど、実際に移民問題や多国籍国家のメタファにもなっており、寓話でありながら現実に深く突き刺さってくるものだった。そういう映画を撮ってきたニール・ブロムカンプ監督がゲーム『グランツーリスモ』から生まれた実話をどんなふうに映像化したのかは気になっていた。
あとは『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』でもマスコミ試写で佐久間さんの隣に座っていた女性の話題がトークで話されていたり、ノブロックTVでの案件の動画もおもしろかったのも観ようと思ったきっかけにはなっていた。

【罵倒グランツーリスモ】みりちゃむ教官・アルピー平子教官の罵倒指導で、ペーパードライバー佐久間Pのドライビングは上達するのか? 

世界的人気を誇る日本発のゲーム「グランツーリスモ」から生まれた実話をハリウッドで映画化したレーシングアクション。

ドライビングゲーム「グランツーリスモ」に熱中する青年ヤン・マーデンボローは、同ゲームのトッププレイヤーたちを本物のプロレーサーとして育成するため競いあわせて選抜するプログラム「GTアカデミー」の存在を知る。そこには、プレイヤーの才能と可能性を信じてアカデミーを発足した男ダニーと、ゲーマーが活躍できるような甘い世界ではないと考えながらも指導を引き受けた元レーサーのジャック、そして世界中から集められたトッププレイヤーたちがいた。想像を絶するトレーニングや数々のアクシデントを乗り越え、ついにデビュー戦を迎える彼らだったが……。

主人公ヤンを「ミッドサマー」のアーチー・マデクウィ、GTアカデミーの設立者ダニーをオーランド・ブルーム、指導者ジャックをデビッド・ハーバーが演じる。監督は「第9地区」のニール・ブロムカンプ。実在のヤン・マーデンボローがスタントドライバーとして参加している。(映画.comより)

IMAXで観ればもっと臨場感もあっただろうなって思う作品だったので、観ようと思っている人はぜひ大画面でいい音で観てほしい一作。
主人公のヤンは五歳の頃からレーサーになりたいとい夢を持っていたが、大学も中退し、親からは復学でもしてやりたいことを見つけろと言われている『グランツーリスモ』の凄腕ゲーマー。彼の父は元プロサッカー選手であり、息子がゲームばかりやっていることをあまりよく思っておらず、それが将来につながると思っていない。弟は父の血を継いだのかサッカー選手としては有望のようだ。
父は黒人だが、母は白人であるで兄弟はミックスなのだろう、父と母それぞれと違う肌の色合いである。イギリスが舞台なのでこういう家庭も多いだろうし、実際にイギリスはフットボールの熱狂的なファンが多いし、中流家庭ではない労働階級の家ならばフットボールで成功するかロックスターになるしか成り上がれないという時代があった。代表的なのがオアシスだけど。
この物語はまずゲーマーであり、やがてGTアカデミーからプロレーサーとなっていく若者のヤン、そしてGTアカデミーを設立するダニー、ヤンたち候補者の指導者となり、彼らの仮想父的な役割を果たす元レーサーのジャックの三人がメインとなっている。
冒頭はヤンと父親の関係性について、ダニーがGTアカデミーを設立するために動いて、ジャックをスカウトするところ。実際にアカデミーができて、世界中から候補者が集まってきて、一位が決まるレースがあり、ヤンがトップになり実際のレースに何戦も出場することになる。六回のうち一回でも四位に入ればプロライセンスが取得できるというもので、そこでヤンたちは四位に滑り込むことができる。
その後はプロレーサーとして出場したレースでヤンは事故を起こしてしまう。そのことが中盤での大きな山場となっていて、実際にかつてレース中の事故の経験でプロレーサーを辞めたことのあるジャックとの会話の中で再びレースに出場しようとすることになり、チームの存続をかけたル・マン24時間耐久レースに出場することになる。アカデミーで二位と三位になった仲間たちとの三人のレーサーで挑んだレースで三位入賞できなければ、日産はスポンサーを降りてしまう。チーム存続のために『グランツーリスモ』をやりこんできたその経験と実力が実際のレースで発揮されて本物になれるかというストーリーになっていた。

父親とヤンの和解みたいなものは事故後のやりとりがあるが、ジャックとの関係性の中で彼のプロとしての生き様や思いなどを話してもらうことで、父に認められたかった自分に改めて気づく。実際にプロになったことで父に認められて和解するという感じになっている。
プロになってからのレースにおける事故とそこで起きたある出来事がヤンにのしかかる。ここはまさに物語における「象徴的な死」であり「鯨の胎内」的な場所だった。かつて同じような体験をして乗り越えられなかったジャックが自身の経験を話しながらも「お前ならできる」と鼓舞することでヤンは再び現世へ、レースの世界へ戻っていく。
実際に事故の恐怖のフラッシュバックは復帰後のレースでヤンに起きるものの、それを克服するきっかけがジャックとのやりとりであり、あるアイテムによってもたらされるなど演出も憎いものとなっていた。
王道の成長譚の物語であり、レースゲームのおもしろさと実際のレースの興奮がうまく融合したものとなっており、僕のようにゲームもほとんどしないし車やレースに興味がない人間でも十分楽しめるものとなっていた。

終わってから外に出ると日差しはかなり強かった。人手は多少増えていたが、道玄坂を上って家の方向へ向かって帰った。皮膚上の熱みたいなものが帰ってからしばらく抜けない感じだったので冷房ガンガンにしてしばらくは横になっていた。

例の記者会見の動画は見てないけど、ニュース記事では読んだ。直接の加害者ではないが、加害者の側だった人間はまず被害者の方のことを第一に考えなければならない。同時に加害者となった人との関係性が明らかに自分の人生に大きく作用していれば、その人といきなり距離を取るのも絶縁するのも心象的にはかなり難しい。この板挟み感はどうしようもない。知っていてもいなくても、自分が加害者の側にいるのはかなりしんどい。そのことを本音で話せる相手も限られてしまう。僕も未だに自分がどういう心持ちでいればいいのか、時折わからなくなる。そのことを考えるために書いてみようと思うと手が止まる。たぶん書けるとしても何年もあとになるような気がする。

 

9月19日
目が覚めて、昨日が祝日で休みだったから火曜日、しかも第三だからペットボトルの資源ゴミの日だと思ってたまっていたペットボトルを集積所に出しに行く。月曜日が祝日で休みだと結局、リモートワークの週三の仕事の方は月水金なので火水金になるとなんだか違和感、バランスが悪いように思えてしまう。
リモートワークまでなにもしたくなかったので『空気階段の踊り場』をradikoで聴いてから、『JUNK 伊集院光の馬鹿力』を聴き始めてちょっとしたぐらいでリモートの方に移行した。忙しくはないのでのんびりといつもの作業をしていた。
途中でコンビニにコーヒーを買いに行ったら、思ったよりも日差しが強くて今日も暑いんだなってわかった。


今月の講談社文庫発売日に買っておいた石沢麻依著『貝に続く場所にて』文庫版。単行本の時の装幀がかなりよかったので、この絵がどうかというよりはしっくりこない。なんか違う気がする。
新人賞受賞作がそのまま芥川賞受賞というパターンは、この10年でも2022年の『貝に続く場所にて』と2017年に受賞した石井遊佳著『百年泥』以外にも何作かあるが、著者自身が海外で仕事をしながらそこで異邦人(移民的)な視線で物語を書いている&作品においてマジックリアリズムの要素がかなりあるという部分ではこの二作品はかなり近い。そのラインは多和田葉子さんの系譜ともいえるのかもしれない。多和田作品が好きな人はその二作品も多分好きだと思う。誰かがそういうことをちゃんと批評とか文芸誌のコラム的なところにすでに書いているとは思うんだけど。

昼休憩の時に前にテレ朝で放送している『週刊ダウ通信』の芸人の永野さんがダウ90000の蓮見をいじり倒すという企画の後編がTVerにあったので見た。
前編もかなりおもしろかったし、今回も「おれキワモノなのに文化に造詣ある」という永野さんの所々に出てくる知識とそれに対するダウのメンバーの反応と蓮見のツッコミなどめちゃくちゃ相性いいなって思って、もっとやってほしいなと思えるものだった。しかし、永野さんがめちゃくちゃたのしそうなのも印象に残った。

夜の10時から今やっているライティング作業に関するミーティング。全体的なすり合わせとか、関わっている人で認識違いのことがあるのがわかったのでしっかり決めましょうという感じのもの。そういうのは大事だし、作業開始を始めた時には僕も気づいていなかった部分が出てきたので早めに確認しつつ対応できたのでよかった。
最近、自分のせいでもあるけど、結局木曜日は休みということにしていたのが崩れてきて、どこかで一日は何にも作業しない、仕事はしない日を無理矢理でも作らないと結局、ちょこちょこ作業して休んでと時間をうまく区切れなくなってきている。この辺りはけっこうちゃんとしないとダメだなって思う。でも、今月末までは木曜休みみたいにするのは少し難しそう。

 

9月20日
7時過ぎに起きてから、昨日夜にミーティングした際に打ち合わせした箇所、すり合わせた部分をradikoで『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴きながら修正したりしていたら、すぐにリモートワークの時間になった。そのまま三週間ぶりの『星野源オールナイトニッポン』を聴きながら作業をしていた。
『あののオールナイトニッポン0』は先週のこの枠を担当したみなみかわ、そして共演NGにされたベッキーの話を絡めながら、「コヤブソニック」出演時の話題と楽屋挨拶に行った際のクリープハイプのメンバーとのエピソードの話をしていた。それらがドラマ『VIVANT』に最終的には全部かかっていく展開だった。あのちゃんの声の好き嫌いはあるだろうから、声が苦手で聴かないという人もいるかもしれないけど、彼女のラジオトークは間違いなくおもしろいし、どんどん上手くなっていると思うので未聴の人はradikoじゃなくてもSpotifyでも聴けるし、最悪ユーチューブに違法アップロードされたものでも聴けなくはないので聴いてみてほしい。
僕は夏帆さんやあのちゃんの顔の系統は好きだし、声も好きなのでよりこのラジオを聴くのがたのしみになっている。顔が似ていれば骨格というスピーカーも似ていたり近いから声も似ている、と前から思っているんだけど、誰かが好きなものが誰かにとっては苦手というのはままあることなので気にはしないでいいよとは言い続けていきたい。

いつもは起きてすぐに『アルコ&ピースD.C.GARAGE』を聴いてから『JUNK 爆笑問題カーボーイ』とTBSラジオ、そこからニッポン放送の「オールナイトニッポン」レーベルを聴いている。昨日はレギュラーの『アルコ&ピースD.C.GARAGE』の放送前に『meiji プレゼンツ アルコ&ピース D.C.GARAGE~超直火ローストSP~』というものが放送されていたので、最後はアルピーラジオを続けて聴こうと思っていた。
生放送でスペシャルを一時間半ほどやってから、斎藤工の『深夜特急』の朗読のラジオの30分を挟んでいつもの本放送となった。レギュラー放送は基本的にはいつも収録しているものだが、今回は続けて生放送というものとなっているイレギュラーな放送となっていた。アルピーが「オールナイトニッポン」で頭角を現した時代は全然聴いていないのだが、収録じゃない生放送の時はいつもより数段おもしろいのがよくわかった。これ聴いちゃうと「JUNK」昇格して毎回2時間してほしくなる。途中で斎藤工も声で出演していて、その時の平子さんのリアクションもおもしろかった。


休憩中に駅前の銀行に行った帰りにツタヤの本屋を覗いたら、伊坂幸太郎著『777 トリプルセブン』が出ていた。「殺し屋」シリーズの最新作であり、第二作『マリアビートル』はブラッド・ピッド主演でハリウッドで映画化もされた。
伊坂作品の中でも結構エンタメ度数が高いものだし、第一作となった『グラスホッパー』からのファンなので今作も非常にたのしみ。

 先日、ほとんどネットを利用しない人物と話した。彼は、「X(旧Twitter)になる前から、ツイートでユーザーの感情を増幅させて広告を回すための場所でしかない」と語る。フラットな目線で見れば、別に、X(旧Twitter)以前からただの感情増幅器でしかなったのだ。彼の発言は衝撃だった。薄々感じていたことを、それでもやはり自分が依存していた居場所を信じたかった甘えから、そこまで気づけなかったことを宣告されたのです。

 言葉の力は非常に強い。タイムラインで意見をつぶやくたび、自らが綴った言葉に反応が起きて自身の精神に刻まれていく。いいねやRT、リプライやフォロワー数の増減によって「感情」を操作される。彼は、「みんな言葉の力を舐めすぎている」と話した。その通りです。言葉は絶対に自分に跳ね返る。呪いにも祝福にもなる。そこを刺激されると、だんだん内容は極端になっていく。次第に依存度は強まり、強い言葉を読んで呟くためにタイムラインへ張り付く。広告はさらに回り、感情はみるみる固定化される。

 わかってはいたけれども怖かった。それでも習慣として続けるしかなかったし、人間関係上、生活に直結している部分すらあった。が、大きな改革のおかげで目が醒めました。ここは大人が巧みに宣伝方法を探って利用する場所で、商業主義についていけないならさっさと離れる、または使用用途を限定する必要がある。

『にゃるらが壁に向かって話してる』第44回/X(旧Twitter)のこと

時折読んでいるにゃるらさんのエッセイに自分が感じていることに近いことが書かれていた。SNS、特にXこと旧Twitterは感情増幅器になっているため、いいねが欲しいとかインプレッションを稼ぎたいとかで思っていたことよりも強い言葉で書いたり、露悪的なことを書いたりすることが起きやすい。それによっていいねが増えたりすると承認欲求が満たされて、どんどん過剰になっていき、事実でなかろうがおかまいない言葉をネット空間に放つということが増えている。そして、その言葉は間違っていたものであってもそのまま本当のことのように受け取られてしまって、訂正されてもそちらは届かなくなる。
僕も個人的には収益化のために課金するようになったらもう旧Twitterをやらなくなるんじゃないかなって思う。宣伝することがあればまだ使うかもしれないけど、積極的に使うSNSではなくなっていくんじゃないかな。

何百万人が夢の中でニコラス・ケイジと出会う、A24×アリ・アスターが贈るコメディ予告 

日本での公開は未定なのだが、絶対に公開して欲しい。A24と『ミッドサマー』のアリ・アリター監督のタッグ、この作品の監督は来月公開される『シック・オブ・マイセルフ』のクリストファー・ボルグが手がけるというのも気になる。ホラーとコメディは紙一重なので、おそらくちゃんとしたコメディ作品になっているんじゃないかな。

 

9月21日
目が覚めてすぐに木曜日で可燃ゴミの日だって思って集積所にゴミを出しに行く。まだ5時過ぎだったので、もう一眠りする。7時過ぎに目覚ましが鳴ったので寝転んだままradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いた。
日付が変わる時にTVerで見た『あちこちオードリー』のゲストだったタイムマシーン3号の発言と通じるものがある回になっていた。ラジオのゲストは『ノブロックTV』の「100ボケ100ツッコミ」の企画で1000万再生になったトータルテンボス
結果は出しているのに大ブレイクしなかった理由のひとつは「人(任=にん)がない」と言っていたけど、ひとつは大村さんの器用さゆえにその人間性が見えないという話があった。だけど、おじさんになってきたことで芸も年齢と合うようになってきたりしたことも今は大きいという話をしていて、それがタイムマシーンのデブネタを10年封印したけど、それを解禁してからまた「M-1」決勝に残ったりテレビに出れるようになったということにも通じていた。おじさんになってデブだということがしっくり噛み合うし、見る方も違和感がなくなる。
そして、トータルテンボスだけではなく多くの芸人が味わった「M-1」におけるブラックマヨネーズチュートリアル人間性による笑いの呪い、あるいは後遺症。技術を磨いていたら人間性での勝負があり、などの話もおもしろかった。
また、一撃必殺ではないが、世間的には無名な芸人が一回のチャンスをもぎ取っていくのを見ていたこともあってサンドウィッチマンの衝撃の話もなるほどと納得できるものがあった。


2年前のチャンピオンの錦鯉も「THE SECOND」で再ブレイクしたマシンガンズもそうだし、トータルテンボスやタイムマシーンなんかのいわゆるおじさんの年齢になっている芸人さんたちは不遇の時代やうまく波に乗れない時があったけど、なんとか凌いでやってきたことでチャンスを得ている。その上でやっぱり大事なことは若い時に成功しなかった人は健康であること、体が丈夫なことなんじゃないかなって思う。
どっちにしろ続けていくのは体力がいる。病気がちなおじさんはそのチャンスをつかめないし、つかんでも持続はできないと思う。おじさんじゃなくてもおばさんでもジェンダーはなんでもいいけど、中年以降の健康状態がデカくなる。でも、筋肉を鍛えてムキムキになるのはちょっと違うと思う。あれはやりすぎるとどうしても家父長制の持続とナルシズムを高めてしまう可能性がある。どちらかというと心身ともに柔軟性を持つことなんだと思う。どうしても譲れないもの以外は、自分の核以外は簡単に手放せるぐらいの適当さも。


9時半には家を出て渋谷へ向かう。スマホを見ていたら画面にポツリと雨が。かといって本降りにもならなそうな、霧雨でもないし、中途半端に降ってるのかどうかわからないぐらいの雨。歩いている時はそこまでもなかったけど、湿度は高かったのかイメージ・フォーラムに着く頃にはそこそこ汗をかいていた。
マルセル・マルソー 沈黙のアート』を鑑賞。10時半からの回しかなかったということもあるのか、平日の午前中に20人ぐらいは観客がいた。僕は自分と同じ誕生日の有名人を調べた時にマルセル・マルソーのことを知ったんだけど、「パントマイムの神様」と呼ばれた人だけど、世間的にそこまで有名ではないと思うし、どういうお客さんだったのだろうか。やっぱりパントマイムとか大道芸的なことに興味を持っている人だったのかもしれない。

「パントマイムの神様」と称されるフランスのアーティスト、マルセル・マルソーの真実に迫ったドキュメンタリー。

ボロボロのシルクハット姿に白塗りメイクをほどこした道化師のキャラクター「ビップ(BIP)」で世界的に知られるマルセル・マルソー。言葉を発さずに身ぶりや表情のみですべてを表現する彼のパフォーマンスはどのようにして生まれたのかを、豊富なアーカイブ映像を織り交ぜながら描き出す。

さらに、第2次世界大戦中にマルソーとともにレジスタンス運動に身を投じた従弟、パフォーマンスアーティストとしてマルソーの遺志を継ぐ3世代の家族、ろうの世界的パントマイマーであるクリストフ・シュタークルの証言などを通し、さまざまな角度からマルソーの人物像とパントマイムの真髄を解き明かしていく。(映画.comより)

ユダヤ人の子供として味わったナチスの迫害、父は連れられていき処刑され遺体すらもなかった。そういう背景があるマルソーの「沈黙のアート」とは彼が憧れたチャップリン同様に言葉ではなく、肉体の表現によって人々のイマジネーションを花開かせ、平和というものを願うものだった。
親子三代というか、マルソーの孫にある青年もかなりピックアップされていた。映像がしっかり残っていることも驚きで、世界大戦後にパフォーマーアーティストとなる前のものからあったりするし、写真なんかの資料もたくさん使われているので、実際にパントマイムをしているマルセル・マルソーもかなり見ることができる。もちろんマルセル・マルソーのドキュメンタリーなのだけど、彼とその妻、娘たち、孫という三世代に焦点が当たっている編集にはなっていた。それが一番今マルセル・マルソーという存在が知らない人にもわかりやすいからなんだろう。
あとは「ビップ」という道化師のキャラクターにとっての白塗りとはマスクであり、実人生におけるマルセル・マルソーとは違う内面を持っている存在だったのかもしれない。「マルセル・マルソー」という名前も実はユダヤ人である名前から苗字だけ変えたという話が映画の中に出てきた、この名前はレジスタンスの時に使っていたものだから、彼のパントマイム表現はレジスタンス活動の延長線にあったという。
ヒトラーナチスによって殺されていった同胞たち、世界がもう二度とあんな悪夢を見ないようにしたかったのだろう。だからこそ、マスクともう一つの名前が必要だったし、その名前を使い続けた。だけど、家族からすれば白塗りのマスクマンと実際の家族にとっての父であり夫だった彼はその存在とどんどん混ざり合っていってしまったという話も出ていた。
ヒーローものにおけるマスクの存在とは普段の日常でなく、非日常におけるもう一つの姿の象徴である。コロナパンデミックによって世界中がマスクをしたあとの現在はもう非日常が日常と溶け合ってしまった以前とは地続きだが、変わってしまったあとの世界であるということも考えたりした。
映画が終わって外に出ると来る時同様に微妙な、傘がちょうどいらないぐらいの雨が降っていた。歩いて帰ったけど、雨というよりは湿度で濡れた感じがあった。体力がグッと持っていかれる感じの嫌な天候。


家に帰ってからご飯食べたり作業して、夕方になってからニコラに行ってミルリトン・マロンとアルヴァーブレンドをいただく。16時から開店だけど、僕が帰る18時前ぐらいまでわりと混んでいた。

上田岳弘「血も涙もない的確な現代人」にこそ今読んでほしい恋愛小説

上田さんの新刊『最愛の』を読んでいると春樹チルドレンによる上田版『 ノルウェイの森 』って感じがすごくする。このインタビューの最後に「いま勧めたい恋愛小説」として挙げられていたのでやっぱりか、とは思った。
なんというか気持ち、主人公のかつての友人の向井や画家だと思っていたシェアオフィスで出会った男性は『ダンス・ダンス・ダンス』の五反田君ぽさを感じた。意図的ではないかもしれないがひょうひょうとしている感じ、あとなんとなく死の匂いがそのセンスの良さみたいなものと結びついているような。

「これまでに使った個人として大事にしてきたモチーフを全部出したかった。『旅のない』などの作品でも繰り返し書いてきたような、友達がオーバードーズするとか、CDを置いていなくなるとか、そのCDが決まって NirvanaRadiohead だとか。これまでそうしたモチーフは個別のシーンとして描いていましたが、それを繋げてひとつの統合されたストーリーにすることによって、僕のこれまでの作家人生の中での結束点、一旦の着地点を作りたかった」

上田岳弘さん『最愛の』*PickUPインタビュー*

ここで話されている「同じモチーフを繰り返す」という話だけど、創作者は基本的にずっと同じテーマやモチーフを螺旋階段に上りながら描いていくものだとずっと思ってる。「同じモチーフを繰り返す」ことでよりその階段が強固になっていくし、さらにモチーフに光が当たる角度の違いで、見え方が多層になってくることでより作家性やその魅力が増すんじゃないかなって。

家に帰ってから早めに風呂に入ってから作業の続きをしながら、明日の新代田FEVERでのアジアンカンフージェネレーションの『サーフブンガクカマクラ』ツアー初日に向けてアルバムをずっと聴いていた。

ASIAN KUNG-FU GENERATION江ノ島エスカー』Music Video


アジカンは最初のメジャーデビューアルバム『君繋ファイブエム』を深夜のCMか何かで見て下北沢のレコファンに発売日に買いに行ってからずっと聴いているのでほんとうにたのしみ。

 

9月22日
起きてから読みかけの本の続きを読んでから、いつもより一時間早くリモートワークを開始。空を見たらかなり曇っていて、天気予報を見たら一日中曇りか雨みたいな感じになっていた。実際に昼以降から雨が降ってきた。


仕事をしていたらバリューブックスで注文していた『坂本図書』が届いた。亡くなった坂本龍一さんが本についての連載をしていたものをまとめたものらしく、目次をサイトで見たときに中上健次村上龍の名前があったので読みたいと思った。
昼休憩の時にはまだ雨もふりかけだったが、17時にリモートワークを終えて家を出たらかなり雨が降っていた。さすがに傘なしでは無理だった。


茶沢通りを北上して、今住んでいるところの前に住んでいた代田付近から環七に出て今度はその大通りを北上していく。雨の中で走ってる車のブレークランプとかが淡く光っているのはキレイだった。まあ、目的地に着くまでにズボンびちゃびちゃになった。


雨の中を30分ほど歩いて新代田駅前にあるライブハウスの新代田FEVERへ到着。
ASIAN KUNG-FU GENERATION『サーフ ブンガク カマクラ』ツアーの追加&初日のライブへ。オフィシャルサイトで追加の新代田FEVERが発表された時にダメ元で先行に申し込んでいたら当たってしまった。190番代だったが、そもそもここのキャパは300。僕の記憶ではアジカンの数百の箱で観たことはほとんどないし、このサイズは初めてだった。
僕が初めてアジカンのライブを観たのは2004年12月の「Tour酔杯」最終日となったバンド初の日本武道館公演で、セカンドアルバム『ソルファ』が出てすぐだった。終演後にoasis『Whatever』がスタッフからメンバーへのサプライズとして流れたということは今でもはっきりと覚えている。
今から19年も前のことだ。ゴッチさんを含めてメンバー四人は五十が見えてきて、僕も四十を越えた。まあおじさんでしかない、三十五を越えたら中年なんだけどね。アジカンはメジャーデビューから二十年ずっと聴いている。
正社員にもならずになんとか東京を諦めないで、というかやってこれたのは単館系の映画やライブをすぐに観ることができる場所だったのはかなりデカいと思う。あとはこういうなんにもなれない人を許容してくれるのが東京だったし、しょうがねえなって笑って話せる信頼できる人たちがわずかだけどいたからだ。地元にはそんな風に信用できる人は思い浮かばない。
ゴッチさんがMCで話していたけど、これから老いていくのは避けられない。ライブとかを観に行く回数はこれから減っていくのは仕方ないけど、元気なうちはたぶん行くし、行っていると思う。そういうことも含めて自分の居場所だと言えるのは東京なんだよなって帰りの土砂降りの中でそう思ったりした。
『ループ&ループ』『アンダースタンド』『羅針盤』『君という花』とか懐かしい曲も聞けた。鳴ったら過去と現在が重なっていくのがわかった。アジカンがずっとバンドを続けてくれていてほんとうにうれしい。

I's - " 永遠衝動 " LIVE at 渋谷WWW X 


家に帰ってからYouTubeを見たら、先週WWWXで観たあのちゃんのバンド「I's 」のライブ映像がアップされていた。この『永遠衝動』は本編でやって、アンコールラストでもやったんだけど、ほんとうに素晴らしかった。
客層もバラバラ(メンヘラ、ゴスロリ、地下アイドル、地雷系、パンク、エモロックなどなどの要素をあのちゃんが持っているのでそうなる)でモッシュとダイブの嵐になっていたといういいもの見れたなって思うライブだった。先週のI'sに今日のアジカンと続けてよいライブが見れた。

3月から始まったライティング仕事は半年やってから、それ以降のことは8月に決めるということになっていたので、8月分のライティング料が9月に入るのもあって、9月のライブとか観劇系のものが増えたのはもしかしたら仕事が減って10月以降に使えるお金が減るかもっていう懸念があったのでいつもの月よりもライブとかに行っている回数がかなり増えた。8月から別のライティング仕事が始まったのでしばらくは問題なくなったんだけど、自分でも今月はさすがにいろいろいきすぎだろとは思っている。

 

9月23日
朝起きてすぐに作業を開始。本日中に提出の〆切があるものがあったのでいつもよりも早く始業。夕方からの用事までにはなんとか最後まで終わらせるか、ほとんど終わりに近い状態にしておきたかった。八割ほどの作業が終わった時に17時前になったので家を出る。お昼に一度請求書のプリントアウトとスキャンでコンビニには行っていたが、行って帰っても10分程度なので、ようやく本日の散歩できる時間になった。
昼間もそうだったが、三宿神社のお祭りの日なので神輿を担いで法被を来た人たちが歩いていたり、屋台が緑道付近とかに出ていて、親子連れの人たちがたくさんいた。夕方になっても屋台は出ていて、池尻大橋に抜ける前にちょっと時間がかかった。
まあ、ずっと住んでいる地域のお祭りだし、そこのなにかに所属とかはしてないのだけど、こういうものって必要なんだなって感じる。
「ハレとケ」という日本の伝統的な世界観、「ハレ」という祭とかの非日常、「ケ」という日常、祭り(「ハレ」)という装置が日常を駆動させている。普段集まらない人が集まって同じ時間を共有することでよそ者ではない、その地域の人という認識ができるのも大きいのだろう。

ユーロスペースが入っているビルの二階にあるユーロライブがやっている「渋谷コントセンター」の「テアトロコント vol.64」を観にやってきた。もともと、前日22日の夜と23日のお昼の回があって、23日は追加で夜の回も増えて二回になった。昼の回を取り損ねていたのでラッキーって思って夜の回を取った。
1番目はやさしいズ、2番目はダウ90000、3番目が切実という順番だった。それぞれが30分の時間の持ち時間になっていて、やさしいズはコントを4本で30分という感じにしていた。彼らのことはテレビで見たことがあった。僕は一番後ろから2列目だったのでちょっと声が聞こえにくい部分はあったが、徐々に笑い声も増えていき一本ずつのネタも終わりに向かってどんどんウケていたように感じた。
最後の『モニカ』はある高校にバレーボール留学できたベネズエラだったかな、世界一治安の悪いところからやってきたモニカという少女のコントだった。日本語ばかりうまくなってしまい、バレーでは活躍できずにチームも毎年地区予選一回戦落ちということから、日本語が堪能になったモニカと彼女の部活の先生とのやりとりのネタだった。会場ではけっこう笑い声が起きてきたと思う。こういうスポーツ留学してくる海外の生徒っていろんな競技にいて、そういう人をニュースとかで見る時点で全国大会とかに出ているわけで、みんながそういうものだと思っているところを外して笑いにするものだった。ちょっとだけモヤモヤしてしまったのは、ベトナムからの技能実習生とかの問題もあったりするのと、実際にモニカみたいに活躍できなかったことで退学になったり、国に帰らされている人もゼロではないだろうなって脳裏に浮かんでしまうと素直に笑えなくなってしまった。この辺りは個人個人で違うとは思うんだけど、けっこうセンシティブなことを取り扱って笑いにするのは難しいなと思った。

メンバーの一人が体調不良でお休みになっていたけど、ダウ90000をライブで観たいというのもこのイベントを見ようと思ったきっかけのひとつではあった。ある大学のゼミ生と先生、彼らの先輩にあたる卒業で催眠術師になった男性をめぐる三年間を描いたネタだった。
3年後にゼミ内の男女で二組カップルができており、一人の女性は帰り道が近かったことから催眠術師と付き合っていた。その女性は催眠術がかからない体質だったが、ある日彼らからプロポーズされる。婚姻届を出しに行こうとする時に彼女は、恋するように3年前に催眠術をかけられたのではないかと疑惑を持つことになり、そしてゼミ生たちの同窓会に彼氏と先生がやってきて、それぞれのカップルたちの三年間と催眠術がキーになって終結していくというもの。コントであり演劇でありというかほどよいミックス感があり、30分の長さで笑いもかなり起こっていた。時間がたっぷりあるから前フリが後々効いてくるのとかも非常によかった。下北沢のザ・スズナリで単独ライブをやるみたいなのでなんとか取らねばと思った。
ダウは「キングオブコント」決勝に行って優勝するよりも、岸田戯曲賞のほうが取りそうな気がする。話のテンポとか間合いとかは今月頭に観た舞台の作・演出している加藤拓也さんにも近いのかなあ、今の二十代のリズム感なのかしら。加藤さんのほうがもう少し視線が引いてダウナーさがあるような気もするが。

小泉今日子さんがやってる会社「明後日」が企画して坂元裕二さんが戯曲を書いた舞台『またここか』を19年ぐらいに観た。「このおっさんすげえ気になるんだけど」とその時に思った中年のおじさん俳優は渡辺あや脚本ドラマ『エルピス』でハラスメント当たり前だが、真実を報道しようとしてバラエティに飛ばされた村井Pとして一気にドラマ好きにも認知度が上がった。そんな岡部たかしさんの演劇ユニットが切実だった。
『朝の人』はタイトルのままで、東中野に住んでいる男性A(岩谷)が佐渡島に来てバス停で次のバスを待っている。そこにやってきた男性B(岡部)は男性Aを毎朝見かけていた。自分と同じ経路で駅に向かって歩いていく、いつも朝見る人だったことから、声をかける。Aはずっとイヤフォンをして音楽を聴いているため、Bに見覚えがないというが、彼から聞かされることは確実に毎朝のルーティンであり、自分が住んでいる東中野でのことだった。
Bにはほぼ同じ地域に住んでいる妹がおり、彼女もAを認識していて、夜9時のサミットでいつも見かけているので「夜の人」(「9時の人」か「サミットの人」かうろ覚え)と心で呼んでいるとBから伝えられる。そして、家族で旅行に来ていたこともあり、Bの妹がやってきて、Aを見かける話をし始めるのだが、Aは兄の時とは違って妹には見覚えがあるようで…という展開だった。
3人とも俳優さんで演技が安定しているからこそ、なにげない動きとかが笑いになっていた。妹とのエピソードからAのほろ苦さが出るというホロリとくる終わり方もすごく見せるものだったし、3本目で締めとしてもしっかりと締まっていた。

終わってからすぐに歩いて家に向かって帰っていくと三宿神社付近はまだ人手がたくさんで賑わっていた。ほんとうに「ハレ」って感じがして、屋台で作っているたこ焼きとかいろんなものの匂いが充満していて、それも祭感を高めていた。
日付が変わるまでに残りを終わらしてから最後見直してなんとか提出して作業終了。こうなるから余裕を持たないといけないだといつも思うけど、結局ギリギリになってしまう。

 

9月24日

起きてから寝転んだままTVerで『ゴッドタン』を見て、radikoさらば青春の光のラジを聴いてから、ぼちぼち起き始めてそのまま『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら作業を開始する。気持ちがあまりのらなくて捗らなかったので諦めて散歩へ。
『オードリーのオールナイトニッポン』をスマホで聴きつつ歩いたが、昨日一昨日の大雨のおかげか、外がすごく涼しくてもう夏が終わったみたいだった。
歩くには一番いい気候で湿度もほとんどないし、風がちょっと吹いている。でも、こういう季節はすぐに終わっちゃうから今のうちにたのしんでおきたい。
散歩に出てからすれ違ったというか、道の反対側を歩いていた女性が、「あっ、あの人だ」という人だったので彼女が出演していたMVをYouTubeで聴いてみた。そこからそういえば、その曲はある映画の主題歌になっていて、彼女もその作品に出演していたのを思い出した。そこから映画の原作となった小説へと連想が続いていき、その人が今度出す新刊小説を読んでみようかなって思った。

X、やっぱり気恥ずかしい、旧Twitterを見ていたら志らく師匠がガーシーについて書かれていたが、数時間後には削除していた。やり方が下品だって話だったのだけど、結局は品の問題なんだろうなとは僕も思う。品がないから下品、粋じゃないから無粋。復讐に品や粋なんかあるかよ、とか言われるんだろうけど。
僕らの世代の価値観のひとつにドラマ『I.W.G.P.』の窪塚くんが演じたキングが言った「悪いことすんなって言ってんじゃないの。 ダサイことすんなって言ってんの」ってあると思ってて、それは下品な無粋なことはカッコ悪いってことだった。
だから、彼は今という時代の写し鏡だろうし、数を取らないと稼げないならやりたい放題になるし歯止めが効かなくなるっていうわかりやすい証左でもあると思う。彼もその支持者も落語とかおそらく好きじゃないと思う。好きだったり聞いてたらこんな粋じゃないことしないし、支持しないだろうし、好きだったり聞いてたりするならそいつはなんにもわかってねえってことになる。
radioheado好きって言ってるのに、環境問題とか政治の問題とか世界における格差とかに何ら興味ないなら、ほんとうに音だけを聞いていてなんにも彼らがやっていることには反応してないしわかっていないというのに似ている。
そういう意味でも文化の抑止力みたいなものはあると思う。もちろん、それによって境界線を越えてしまう人もいるけど、抑止される人のほうが圧倒的に多いし、セーフティネットみたいにはなるもののはずだ。自分でこうやって書いていてわかったけど、品がないとか粋じゃない人とかやり方が嫌いなんだ。

夕方にもう一度家を出てから、午前中に見かけた女性からの連想で浮かんだ作家さんの新作を読もうと駅前の本屋に掲載誌を買いに行ったら売り来ていたのでそのまま池尻大橋のふたば書店まで歩いて購入してから帰った。夜から作業を開始。

菊地:DC/PRGのライブでは3時間のなかで結局「MIRROR BALLS」でお客さんが爆上がりする、ということが最後まで続きました。新しいリズムを提案している以上、これはある意味で挫折ともいえるかもしれず、嫌になって人気曲を封印するアーティストもいるかもしれません。でも個人的に、そこで悩まなかったおかげでメンタル的に健康でいられたとも思うんですね。

 そもそもあれを作ったのも「我々は実験的な曲もだけじゃなくて、スカパラ東京スカパラダイスオーケストラ)さんみたいな全員が爆上がりする曲もやりますよ」という表明でしたから、それはもう自己責任なんですけど(笑)。

DCPRG『構造と力』リリース20周年 菊地成孔が語る、オルタナティブなグルーヴの現在 

寝る前にこの記事を読んだら、DC/PRGが演奏する『MIRROR BALLS』をこの先一生ライブで聴けることはないんだよなあって思ってちょっと寂しくなった。
ラストライブをやったスタジオコーストもなくなっちゃったし、ライブは水物というか行ける時に行っておかないと後悔しか残らない。ラストライブがコロナパンデミックの最中にしらーとやって、解散お祝いというかそれでチケットを売るみたいなことをしなかったのも菊地さんらしくてカッコよかった。

 

9月25日
起きてゴミを出してから田中みな実さんと弘中綾香さんが勇退という形で番組を卒業することになった最後の『あざとくて何が悪いの?』を見る。初回から普通に見ていたので、ひとつの時代が終わった感じもするが、二人が辞めても山里さんは残って続けるという形、次のフェイズがどんな感じになっていくのかちょっとたのしみ。
前日が日曜日だったので川島さんのも有吉さんのラジオをリアルタイムで聴いていたので、リモートワークを開始した時にradikoで聴くものがなかった。とりあえず、Spotifyでなにか面白そうなポッドキャストないかなって思ったら、『深夜徒歩』というTBSのものがあったのでまだ6回だったのでそれを聴いてみることにした。

TBS Podcast『深夜徒歩』#2 「見取り図 盛山晋太郎 × マユリカ中谷【中谷新居】」の後半からの流れは歩きながらのラジオ収録でしかなさそうなハプニングと出会いがあったのがおもしろかった。配信されている6回全部聴いたけど、各2回ずつの三組ともおもしろかったので続けて聴こうかなと思った。

なんだか仕事をやる気が起きない。ルーティン的なことは一応やっているけど、気持ちの問題なのかもしれない。ライティングシナリオ二つの執筆と〆切のタイミングとかにまだ慣れていないからスケジュールの感じが掴めていないのか、ただやる気がおきないのか、わからない。
一応Googleカレンダーにはそれぞれのスケジュールを入れて管理はしているが、週末に設定した作業分のうち、日曜日のものがほとんどできなかった。
なんだか濃いコーヒーが飲みたくなったのでリモート終わってから家を出た。


ニコラで和梨マスカルポーネのタルとアルヴァーブレンドをいただく。そろそろ和梨の時期だなって思っていたのでうれしい。
和梨の甘みはさほどないけど食感もいいし、和梨の下にあるマスカルポーネと一緒入っている梨のコンポートの甘みがあるので三つを一緒に食べるとより美味しかった。深煎りのアルヴァーもいつも通りの美味しさで、なんか疲れている時には深煎りが飲みたくなる。
お客さんが僕しかいない時間帯があったので、いつもより長めに曽根さんと由賀さんと世間話。こういう時間があるとないとでは全然違うだろうなってわかる。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2023年10月号が公開されました。10月は『白鍵と黒鍵の間に』『ロストサマー』『ザ・クリエイター 創造者』『こいびとのみつけかた』を取り上げました。

『ザ・クリエイター/創造者』だけ画像ないけど、20世紀スタジオから許可出なかったのかな。原稿出してからウェブにアップしてもらうまでの画像申請とかはケトルが頼んでいるライターさんとかがやってくれているはずで、僕はノータッチだからよくわからないんだけど。この映画に関してはライターの宇野維正さんが旧Twitterで情報解禁になったらしく、絶賛していたのもあってより楽しみになった。できればIMAXで観たい。

 

9月26日
1時過ぎに寝て、6時過ぎに起きてからすぐにライティング作業を開始。今日の12時が〆切だったのだけど、やっぱり間に合わないって10時過ぎにはわかったので先方に14時を目処に送りますと連絡。結局終わって提出したのは14時半前だった。思いの外時間がかかりすぎたんだけど、全部自分が悪い。
日曜日に予定していた作業をまったく手がつかなかったのが一番の原因だった。作業を始めるための準備の時間、作業を始めて書き始める時間とふたつにわけると後者の時間はもちろんだけど、準備の時間がかなり大事だ。それは原稿に向かうやる気を養うという部分もあったりする。
〆切が近づかないと動けないという人もたくさんいる。それはカウントダウンが始まらないと動き出せないというやつ。最近こちらになり始めている。このままだと仕事相手にも迷惑もかけてしまうけど、スケジュールがどんどん崩れていくからそれも心配だ。
ライティング作業を一旦出したあとにとりあえず、散歩でようやく家の外へ。明日発売予定の大塚英志著『多重人格探偵サイコ 試作品神話』が一日早く出ていないかなと駅前のツタヤへ行ったがなかったので、そのまま池尻大橋駅のふたば書店もたぶん一冊も入らないだろうけど、期待していなかったがやっぱりなかった。

ライティング作業中にradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』と聴いていたが、「フワちゃんのANN0」に「JUNK」終わりの伊集院さんが事前予告なくゲストで登場するというスペシャルなことをやっているのに通常回というものになっていた。
散歩中にフワちゃんと伊集院さんのラジオを聴いていたのでまだ一時間ぐらい残り時間があったので、そのまま代官山蔦屋書店に歩いて向かった。


代官山蔦屋書店にもやっぱり「試作品神話」はなかったが、昨日ぐらいに発売になっていた菊地成孔著『戒厳令下の新宿: 菊地成孔のコロナ日記 2020.6-2023.1』が平台に置かれていたのでお持ち帰り。

戒厳令下の新宿 


この書籍はニコニコ動画の「ビュロー菊地チャンネル」に登録していると読める日記をまとめて加筆修正したもの。ということは基本的に全部読んでいるわけだが、メールでも届くしサイトでも読む時には横書きになっている。
書籍用に縦書きにしているので微調整も含めて加筆修正をされているだろう。僕もこのブログを横書きで書いているし、こういうブログなんかを書籍化するとたいてい縦書きになるので勝手が違ってくる。行の空け方とかが縦と横では感覚が違うから。
ラジオ『菊地成孔の粋な夜電波』を書籍化したものはキノブックスで刊行されていたが、担当さんがキノブックスを辞めて草思社に転職したらしく最終巻の四冊目はそこから刊行されていて、今回の書籍も草思社からとなっていた。

家に帰ってからライティングの仕事本体ではないことでイレギュラーなことが発生。こちらが思っていたことと先方が思っていたことが違ったことによるものだった。
まあ、仕方ないなって思うし、ちゃんと詰めてないとこういううっかりなことが起きるんだなって再認識。日曜日ぐらいからちょっとこういうことが続いた形になったので、夜は木曜日に行く取材の準備をちょっとしてから菊地さんの日記を読んで寝る。

 

9月27日
目覚ましが鳴ったので起きて止めてすぐにお左側の奥歯で舌を噛んだ。舌を噛んでしまうと微妙な痛さがずっと続いて違和感が。なぜ寝起きに舌を噛んでしまったのか、朝イチがこれだとなんだかよくない日になりそうなl。
午前中に予定していたオンラインミーティングが一件飛んで明日になった。こちらは問題ないけど、先週も飛んでしまったのでちょっと気になるが、数人いればタイミングというのが合わない時は合わないので、のんびり合うのを待つのがいいのかなって思う。
リモートワークを開始。気がつくともう9月も終わりなので10月や11月のシフトを考えないといけない。となればすぐに12月になり年末、そして来年1月の年始と会社の休みの期間なども入ってくるので〆切とかスケジュールが前倒しになったりと忙しくなりそう。

休憩中に家を出て、駅前のツタヤ書店で新刊の古川日出男著『の、すべて』と大塚英志著『多重人格探偵サイコ 試作品神話』を購入した。二冊は講談社とその系列の星海社の本。
今やっているライティング関係の仕事が実はどちらともに関係があるので、執筆料をもらってそれで書籍を買っているという流れがあるのはいいのか悪いのか。まあ、僕の人生や価値観に影響を与えている古川さんと大塚さんの新刊が一緒に書店に出ているのを見るのも、それをちゃんと買えるのもうれしい日常のワンページ。




古川日出男著『の、すべて』

『群像』連載で初回から最終回まで読んでいたけど、こうやって一冊になって水戸部功さんの装幀を身にまとった姿は圧巻だった。
ほかの水戸部さんの装幀した古川作品もメガノベル、ギガノベルという分厚さ。秋の読書に、今の時代の政治や日本について改めて思考するきっかけになると思うので読むのたのしみ。


大塚英志著『多重人格探偵サイコ 試作品神話』

約20年前に『月刊ニュータイプ』の連載されていたものが星海社から刊行。

画像入れてポストしたら、ポストもまだなんかいやなんだよな。大塚さんから引用ポストが。ほんとうに申し訳ないとは思うんだけど、『月刊ニュータイプ』はアニメ雑誌だったのもあって、僕がアニメには興味がないから購入はしなかったのがデカい。「サイコ」連載の『少年エース』『コミックチャージ』『ヤングエース』は毎月とか隔週で買っていたから。
アニメは『エヴァ』はリアルタイムだし、中二の1995年に本放送あったりとかがやっぱり当事者というか自分事になったし、サブカルチャー的なものであり、同時に「旧劇場版」は僕らの時代の純文学みたいなものだったから、それはアニメという枠を越えて摂取していた気もする。知り合いの人からオススメされたりすると見てみたりはするけど、基本的には熱心にアニメを見る方ではない。
魔法少女まどか☆マギカ』は最終回あとにネタバレを聞いてからその作品の構造に興味を持ったので見たって感じだった。僕はアニメとかの萌えとかみたいなものが正直わからないし感じない。だから、そこまでハマらないのはあるかもしれない。
アニメ『スパイダーマン』の「スパイダーバース」シリーズはアニメというよりも最前線のポップカルチャーとして楽しんだところがある。

『いつぞやは』
是枝裕和×加藤拓也 対談【パンフレット未収録トークWEB特別公開!】

舞台を観た時に買ったパンフよりも対談内容が深くて充実していた。なんでこれを収録しなかったんだ…。


仕事が終わってから鎌倉通りの坂道を上ってボーナストラックまで散歩。巨大なうさぎがライトアップされていた。
休憩中や散歩中に『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。作業中は『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』といつも通りのラジオデイズだった。

Dragon Ash「morrow」 


湯船に入ってニュースサイトを見ていたら、KjとMEGUMI夫妻のことが出ていた。その後にインスタのKjのストーリーズを見たら彼の言葉で今後のことが書かれていた。 
Dragon Ashのライブに行かなくなって数年経つけど、彼らのアルバムの中で一番素晴らしいアルバムは『HARVEST』だと改めて思うことが増えた。時折、聴きたくなるアルバムであり、収録されている曲もそういうものが多い。個人的に一番好きなのは『Canvas』だけど、一番素晴らしい曲は『morrow』だなって思うこの数年。

9月28日
目が覚めてから朝活がてら読書の続きを読んでから、午前中に一件オンラインミーティングをやる。昨日やる予定だったものだが、延びたおかげか最後の方で今後の方向性が決まっていったのでよかった。

あなたに「アイディア」の見つけ方を教えてくれる本|パトリシア・ハイスミス著『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』

スタッフをやっている「monokaki」の新記事がアップされた。そのために『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』を読み直した。ヴィム・ベンダース監督『アメリカの友人』の原作となった小説もハイスミス作品なので読んでみたいなと思っている。読みならまとめて「トム・リプリー」シリーズを読む方がよいのだろうけど。


13時半に西武新宿線上井草駅に集合して3月からやっているライティング関連の取材を開始。上井草にはかつてサンライズ本社があったり、富野由悠季さんの個人事務所があった場所であり、お話を聞かせてもらっている人にとっても80年代にはよく来られていた場所ということもあって最初に来ることになった。いろいろとかつて本社があった場所や、サンライズの人たちがよくいた喫茶店や飲み屋があった場所などを案内していただいた。
上井草駅からバスに乗って石神井公園駅まで行き、西武池袋線江古田駅へ。駅周辺などを見てから次は椎名町駅で降りてから、よく原稿を取りに行かれていたというアパートがあった場所にも向かって話を聞かせてもらった。その後は池袋駅で丸の内線に乗り換えて本郷三丁目駅へ。


かつて角川春樹による御前会議が行われていたビル。よく見ると鉛筆の形をしてる。柳田國男折口信夫 の門下の一人だった初代・角川源義が国文学者の端くれだったのを彷彿させるものではある。こういうことは実際に足を運んでみないとわからないし、離れたところからじゃないと見えないとかは取材してみないとわりとわからない。
富野由悠季さんが書かれたガンダムのノベライズとTRPGから始まった『ロードス島戦記』を手掛けたグループSNEのふたつの流れが角川文庫の「青帯レーベル」となって、角川書店富士見書房を合わせたファンタジーフェアをやったら、それを求めている客層がいることがわかった。そのことで「スニーカー文庫」が刊行されたことが「ライトノベル」の始まりとなっている。
僕は富野さんの側で「スニーカー文庫」が世にでるきっかけとなった、携わっていた方にお話を聞かせてもらっていて、文学史における歴史みたいなものを感じている。「ライトノベル」というジャンルは日本文学史に確実に残るし、その後にも大きな影響を与えることになったものだから。その当事者のからに実際にお話を聞いていると解像度が上がってきて、前よりも「ライトノベル」というジャンルが身近になってきた部分がある。
こんな風にお話を聞かせてもらっている方とは毎月のインタビュー終わりに、予定がなければご飯やお酒にお誘いしていただいている。いつもありがたい。
二人でお酒を飲みながら肩の力を抜いた感じで話をさせてもらっている時に、書けないような話がどんどん出てくる。なんというか、この人が亡くなったら葬式には行かなきゃなと思うぐらいには色々とお話をさせてもらっている。タイパとかコスパとかでは人は人と付き合えないものだし、相性の合う合わないもある。ある程度一緒の時間を過ごさないとわからない感覚とか、話せないことだったりが当たり前だけどあって、そういう距離感や関係性になるためには時間も手間も思いもいろいろと必要だなって酔っ払って帰る時に思ったりした。

 

9月29日
昨日は取材の後に晩御飯というか飲みに連れて行ってもらい、和食というか刺身とかが美味しいお店だったのでたくさん食べて僕はずっとビールのみを飲み続けていて、ご一緒した方はずっと日本酒を飲み続けていた。
帰りにスーパーでしっかりポカリのペットボトルを二本買って帰っていたので、寝る前に一本飲み、起きてから微妙にお酒が残ってるかもと思いつつ、もう一本飲んでからトイレ行って小便したりして血中のアルコール度数が軽減していく感じで、すぐにいつも通りの平常運転に。


リモートが始まる前にコンビニに行って『朝日新聞』とコーヒーを。最終金曜日は古川日出男さんの「文芸時評」が掲載されているので、それが読みたくて。最初は劇作家の岡田利規さんの『新潮』に掲載された新作について、そのあとはミシェル・ウェルベック著『滅ぼす』と村田喜代子著『新古事記』、最後が上田岳弘著『最愛の』を取り上げていた。古川さんも書かれているように『最愛の』は村上春樹作品がベースにあるのは読んでいるとガシガシ伝わってくるので、春樹チルドレンが読んだらムカつくだろうけど、わかるわぁって納得する部分がたくさんあると思う。でも、売り方は村上春樹好きに向けて、みたいな感じにはなっていないけど、そういう戦略というか売り方にしたのかしら。

私はその河原で、小石を積んでいる。

塔を作ろうとしている。小石のタワーだ。

しかも双塔を作ろうとしている。小石の東京都庁だ。

もうすぐ完成するぞ、と思う。だが、だが。そこに鬼が現われて、壊してしまう。

私の創作物をだ。賽の河原での、私の、必死の(あるいは決死の)創作物を。小説を、物語をだ。でも、私にはわかる。鬼に、崩されても崩されても、それでも積んでしまうのが私の小説だ、古川日出男の文学だ、と。

「真っ赤な東京都庁」は何だったのか?現代日本社会の「薄さ」に抗う、古川日出男の文学的冒険 

新刊『の、すべて』のサブテキストにもなる文章が講談社の「現代ビジネス」に載っていた。これを読んで興味持ってくれる人が少しでもいるといいな。

9月の最終営業日というかリモートワークの方は月末だけど、処理するものは終わっているのでいつもとあまり変わらない作業をした。月曜日から10月に突入するから今年も残り四分の一になる。
新しい仕事が始まったのが3月からだから夏前までは仕事の感じとかスケジュール感に違和感はあったけど、さすがに慣れてきた。来年、再来年と少し先にどうしたいかとか今やっていることからなにを繋げられるかは考えるだけは考えてないとダメかな。


休憩時間に散歩出たついでに浅野いにお著『MUJINA INTO THE DEEP』一巻を購入。一話は連載始まった時に読んだけど、コミックスまで待っていた。

浅野いにお】『MUJINA INTO THE DEEP』PV 23秒


浅野いにお的なアイロニーと現在的な危機意識みたいなものをチャンバラと融合させた、浅野版『キル・ビル』感のあるPVの演出になっているなって思う。ちょっと大人を対象にしている感じは読んでいてした。

飯塚 1周ね……。あんまり言いたくないけど、ある番組で心が折れるという事件もありました。そのときにテレビに出るのがちょっと怖くなってしまって、いよいよもう「コントだけやっていこう」って覚悟が固まった気がします。見返してやりたいという気持ちも生まれましたし。

角田 僕はそこまで覚悟はなかったけど、バラエティ番組に呼ばれるようになったときに結局うまくやれていなかったんですよね。やっぱりコントをやっているときのほうが楽しいという感覚がありました。

飯塚 そうね。あの時期、どんどんコントが楽しくなっていってた。3人だけの世界が一番楽しいっていう。オークラ(※)とは「もうライブでやっていこう」とずっと言ってました。すでにあの頃、オークラは業界のど真ん中にいたので、俺らよりもわかっていたんですよね。この先、ちょっとずつでもお客さんを増やしていけばそれだけでやっていけるようになるって。そういう方向をオークラに示してもらったというのもあると思います。オークラの存在も相当でかくて、オークラがいなかったらやっぱりやめてるんじゃないかな。テレビから距離が離れないように「ゴッドタン」に呼んでくれたり。佐久間(宣行)さん(※)もそうですけど、「ウレロ☆」シリーズ(※)を作ってくれたりとか。ここまで続けてこられたのは周りの後押しが大きいですね。

結成20周年 東京03インタビュー(前編) 

東京03島田紳助さんに収録中に怒られたというのは有名なことだけど、そういう外部的な障害というか、影響によってテレビではなくライブで食っていけるようになる今の状態にはなっているのも事実。彼らが今やコント師の最も憧れる存在になったのはやっぱりあそこで一度「象徴的に死んだ」ことがデカかったのだろう。そして、ちゃんと復活したから今のポジションになっている。
他のコンビやトリオに同じようなことが起きても「象徴的に死」んでしまって表舞台から消えていたかもしれない。結果論だが、それがあったから今の栄光はある。
ももクロの誕生のきっかけが沢尻エリカの「別に」ということだったみたいな話どうように、あるハプニングがのちに大きな影響を与えるということは至る所で起きてきて、それがこんな形で観測できることはほぼないだけであらゆる可能性の種はそこら辺にある。

 

9月30日
日曜日中に修正原稿を戻さないといけないので土日はとりあえずその作業日にした。前日の夜に軽くミーティングして提出したもののどこを修正していくか打ち合わせしたので早めに起きて作業開始。
作業用BGMがてらradikoで『JUNK バナナマンのバナナムーンゴールド』『EXITのオールナイトニッポンX』『三四郎オールナイトニッポン0』を流していた。昼過ぎに一旦作業を離脱して昼ごはんを食べて、小休憩でベッドに寝転んだら寝てしまって起きたら夕方前だった。そこから最終回でゲストが小沢健二さんだった『SUBARU Wonderful Journey ~土曜日のエウレカ~』を聴きながら作業開始。21時過ぎになんとか全部の部分は終わったので、一旦戻して確認してもらったら、明日FIXできる感じになった。
先月まで月二回ミーティングをやっていた別のライティング仕事は、今月からやりかたを変えて月一回になったのでその初めてのミーティング。方向性は問題ないみたいだから、来月はもう少し精度を上げられたらなと思う。
〆切のタイミングもあって、土日はフルで休みってことはなくなってきているが、平日に休みがあるから問題はないし、そっちの方が自由に動けるので僕としてもありがたい。映画館も平日は空いているし、とかそのぐらいの理由だけど。

今回はこの曲でおわかれです。
group_inou / EYE (LIVE)