Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年9月1日〜2023年9月15日)

8月下旬の日記(2023年8月16日から8月31日分)


9月1日

目が覚めたら7時過ぎだった。のんびりうとうとベッド横に置いているMacBook Airを開いてradikoで『ハライチのターン!』を聴きながらゆっくり覚醒。
そのままリモートワークを開始して、『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』と『ナインティナインのオールナイトニッポン』を聴きながら作業。
週三でリモートワークでやっている仕事の親会社が2月末が年度末という、なんか他よりも1ヶ月早い決算のため、9月は下半期突入ということになる。Webサイトスタッフのバイトの僕はあまり関係ないけど、社員は下半期になったりしたのでいろいろ全体会議的なものがあるっぽいので忙しそうだった。
昼休憩で外に出て、銀行行ったり買い物したりした。月も変わったので欲しかったものをネットで購入したりと月末に控えていた分使った。
今月と来月はどのくらい入ってくるのか、出ていくのか考えつつ、使える範囲はどのくらいか計算したりする。となると〆切もある仕事は納期内に出してOKもらって請求書出して翌月には入金してもらって、というサイクルが崩れないようにしないといけない。
まあ、よくやっているというか、なんとか生活できているのはありがたいなって思う。特に今年の3月以降は今までやっていたことが終わって、リセットしたみたいなあとに新しい仕事をしていることもあって、なんとかなってるのは幸運だなって思うことが多いし、実際に仕事で声をかけてくれる人がいるのは、今までの実績というよりも辞めないで続けてきたってのがデカいんだろう。

先月はあまり歩けてなかった。仕事終わってから歩かないといけないなって思って、radikoで『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を聴きながら代官山蔦屋書店に向かった。

『ワンピース』はチョッパーが仲間になったぐらいまでしか読んでないけど、考察ユーチューバーのドロピザがゲストだった今回も漫画を読んでなくてもおもしろかった。野田さんの考察もすごいんだけど、今回は最後の方でお互いの考察の部分で、誰かが海賊王になるのかという考察は今の読んでる人はワクワクしそうだなって思った。
知らないキャラクターの名前とかガンガン出てくるけど、海賊王になるのは主人公のルフィでしょ、という当たり前に思っているであろうこととか違う視点で二人が話していた。そして、そこで挙げられていたキャラクターの特徴や作品の舞台設定の元になった時代から読み取っていて、全然読んでないけどその考察はおもしろいなって思った。



代官山蔦屋書店でゴダールの『気狂いピエロ』の原作小説となったライオネル・ホワイト著 /矢口誠訳『気狂いピエロ』の文庫本とトム・ヨークたちの新バンド「The Smile」のライブ音源の『Europe Live Recordings 2022 / Live at Montreux Jazz Festival, July 2022』を買った。ネットでも頼んだりしていたから月初に買いすぎだなって思うんだけど、そういうストレスの発散をしている部分は間違いなくある。自覚はしている。

【衝撃の瞬間】北海道・帯広を歩いていたら…とんでもない瞬間に立ち会えた!!!【わかさんぽ@帯広駅周辺】


家に帰って風呂に入ってからからこの動画を見た。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』宣伝Tシャツを着てる人ぼちぼち見かけるようになってきたと周りからも聞くようになってきた。僕は映画館で一度見かけている。
熱心なリスナーとは言えないのでドームは行かないつもりだったんだけど、ラジオ好きな友達から「申し込んで取れたら行きませんか?」と言われたので、もう行くつもりのモード。人を誘う、人に誘われるタイミングってある。
この動画でリトル・トゥースな焼き鳥屋の店長さんが若林さんと話す時の眼差しとか感動している顔とかがキラキラしていた。そういう夢を与える仕事としての芸能人という存在はあるし、ラジオというメディアが長いことやっていく中でリスナーの人生と共に過ごした日々や時間みたいなものが血肉となっているのがわかる動画というか出会いになっていた。

動画を見終わってからちょっと作業した。明日にひとつ作業を終わらせたらたぶん来週はかなり余裕ができるし、急いでいないけど早く手をつけたいいことにも手をつけやすいなって感じのスケジュールが見えた。でも、やっぱり自分の作品に取り組む時間を取るのが難しい。

 

9月2日
The Smile – Bending Hectic (Live at Montreux Jazz Festival)



目が覚めて10時から映画なので9時ぐらいには家を出るから、逆算して2時間ぐらいは読書できるなって思って読みかけの本の続きを。
いい時間になったので家を出て、radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』をお供に渋谷まで歩く。
スペシャルウイークのゲストはジャングルポケットの太田&令和ロマンのケムリの二人。斉藤不倫問題で傷心中の太田とブレイク筆頭株で名前を聞くケムリだったが、なかやまきんに君ゲストの珍味回みたいにはならずに、うまい具合にトークが転がっていき非常におもしろいものになっていた。またケムリは呼ばれるだろうなって思う。実家が金持ちという話、三四郎の二人もそこそこお金持ちの家ということで太田さんが貧乏人的なポジションでトークは進んでいったが四人の相性はかなりよかった。

松野博一官房長官が31日の記者会見で虐殺に関して問われて『記録が確認できるものは見当たらない』と。いっぱいあるんですけどね、さっき言ったように警察内の報告書とか。内閣府の報告書とかあるんですけどね。でもそれは資料じゃないんで、みたいなぼやけたこと言って。
 気味悪いし、通常のですね、人権を重んじる国家で、明らかに歴史的に認定されている、後から後から資料が出て来て、そういう虐殺をよく分かりませんみたいなこと言ったら一発アウトだと思うんですよね。
 もちろん都知事の小池さんだって『諸説あるんで』と。諸説なんて無いです。歴史的に確定した事実です。なかった説は虚言でございます。まさしくデマです。
 恥ずべき、というか驚くべき政治の倫理の低下と言いましょうか。人権軽視甚だしいというか、どの口がロシアの侵攻を非難できるんですかね。 みなさん、こういうこと言う政府ですよ。これ政府見解ですよね、官房長官が言ってるんだから。こういうことを言う政府であり、都知事なんですよ。

『アトロク』での宇多丸さんのすごく真っ当な発言。これに違和感ある人は基本的人権とかわかってないし、ヘイトを表現の自由と勘違いしているから気をつけようね。

森達也監督『福田村事件』をユーロスペースにて鑑賞。客層の年齢層高かった。60代以上とかが多かった印象。「連合赤軍」ものとか左翼的な感じがするドキュメンタリー映画とかを観にいく時の客層と同じ感じだった。
当然ながら学生運動経験者やその兄や姉世代を見ていた人たちの関心が高いのはよくわかる。それがまったく下の世代に引き継がれていないんだろうなって思うこともある。もちろん時代の変化もあるし、新自由主義的なものが根こそぎ破壊しているし、リベラル思想がちゃんと経済やお金の話をできていないという部分があるのかもしれない。していてもそれが子供世代以降に届いていない。
YouTuberたちが高い買い物をする動画をあげる、InstagramTikTokインフルエンサーたちは数の論理で動いてお金を得る。それに子供や若い世代が憧れるのは仕方ない。今の時代でバズることや有名になる時に大事なのは真実や正義ではない。嘘であろうが数字を取ればいい。嘘が拡散されても、そのあとに訂正しようがそれは広がらずに、虚実だけが本当のこととして認識されていく、そうやってなにが正しいのかそうではないのかわからなくなっていく。
この映画の題材も実際に起きたことであり、関東大震災における虐殺は事実であるが、それを否定するのが現政権。その政権を支持している有権者が多いという事実、投票しに行かない有権者は彼らを支持しているのと同じである。
民俗学者であり、官僚になった柳田國男普通選挙導入時に自分の考えではなく、他の村の人たちが誰に投票するかと顔色を見てから「場の空気」を読んでから投票する村人を見て、「魚の群れじゃないか」と言ったという。それはずっと変わらないまま。
民衆による革命が一度も成し得なかったこの国ではずっと個人の自由や尊厳を大事にしてきたことなんかない。だからこそ、文化や芸術に対しても理解がされないし、できない。日本の政治家は国民の人権などどうでもいいし、考えることをやめさせて従順な人間を作ることに注力してきたから教育もおざなりにしている。
結局、僕らの親世代が革命できなかったことがすべてなんじゃないかなって思ったりもするけど、彼らはなんとか逃げ切るだろう、なんら責任を取ることもなく。

「A」「A2」「i 新聞記者ドキュメント」など、数々の社会派ドキュメンタリー作品を手がけてきた森達也が自身初の劇映画作品として、関東大震災直後の混乱の中で実際に起こった虐殺事件・福田村事件を題材にメガホンを取ったドラマ。

1923年、澤田智一は教師をしていた日本統治下の京城(現・ソウル)を離れ、妻の静子とともに故郷の千葉県福田村に帰ってくる。澤田は日本軍が朝鮮で犯した虐殺事件の目撃者であったが、静子にもその事実を隠していた。その年の9月1日、関東地方を大地震が襲う。多くの人びとが大混乱となり、流言飛語が飛び交う9月6日、香川から関東へやってきた沼部新助率いる行商団15名は次の地に向かうために利根川の渡し場に向かう。沼部と渡し守の小さな口論に端を発した行き違いにより、興奮した村民の集団心理に火がつき、後に歴史に葬られる大虐殺が起こってしまう。

澤田夫妻役を井浦新田中麗奈が演じるほか、永山瑛太東出昌大柄本明らが顔をそろえる。(映画.comより)

井浦新田中麗奈永山瑛太などメインどころの役者陣は素晴らしかった。東出昌大はやっぱり華あるし画になる。ピエール瀧さんに豊原功補さんにコムアイさんに柄本明さんとか役者陣もかなり豪華だった。
サブで出ていた向里祐香さん(見覚えがあると思ったら城定秀夫監督『愛なのに』に出てた人だ)や松浦祐也さんやカトウシンスケさん、小路紘史監督の新作『辰巳』を試写で観た時にめっちゃインパクトあった、公開後にはめっちゃ色んな作品で観ることになるだろうなと思った佐藤五郎さんとか、印象に残る面構えの役者さんばかりだった。
最後の方の殺戮が始まる時にあの太鼓のリズム的な音楽は違うんじゃない?とは思った。あそこは昂揚するシーンじゃないから、どんどん悲劇に目を背けたくなるシーンなのに、なんかあの音のせいでちょっと白けた。鈴木慶一さんが音楽やっているってクレジットに出てたから、ほんとうに鈴木さんのセンスかなあ、監督とかプロデューサーがあれ入れてくれって言ったんじゃないかなってちょっと疑っている。
最後の行商団を村人たちが殺していく場面で憲兵みたいな佐藤五郎さんの横にいたのが水道橋博士さんで、冒頭から博士さんは出ずっぱりな役だった。

この物語において最後に村人たちに囲まれた行商団を守ろうとする、彼らは朝鮮人ではないと他の村人たちに言う人たちが、田中(東出)と島村(コムアイ)と澤田夫妻(井浦と田中)という村八分的な扱いをされている人たちであったことが象徴的だった。
村社会においてはどこかの家族や誰かを村八分にすることで村の協調力を保とうとする機能がある。「働きアリの法則」では上位二割のアリはよく働き、六割は普通に働く、残りの二割はサボるというものがあるが、村八分もこれに近い気がする。つまり、集団や組織においてトップがそのグループを存続させる仕事や決断をして残りの六割は追随する。残りはある種の生け贄的になる。上からの不満を下の人間がさらに下だとされている人に向ける、ということでもある。
だが、村八分にされている人たちは集団の意向を汲まないので自分で考えて動ける。それが彼らにはさらに気に食わない。なぜなら彼らは考えることをすでに停止しているからだ。今作でもある種外部性や集団への嫌悪や疑惑を感じているものが行商団の側についているのはそのためだろうと思った。

行商団の人たちは部落の出身ということが作中でわかるが、ある種大道芸人的なことなんかもしつつ薬を売り歩いている。穢多・非人という芸能の根源みたいなところに通じる部分がフィクションではなく、実際に被害にあった彼らにあったと感じた。
河原乞食から始まる日本の芸能という歴史があり、海外では道化師(クラウン)だけが王や貴族に物申せるみたいなことがあるから、ジョーカーだけがトランプでキングやクイーンを倒せるのだが、海外もそうだけど日本でも芸人は時の為政者に囲われることで権威になって保護されていた。
室町幕府における能とかはまさにそうで、世阿弥足利義満に寵愛されたけど、義満の二代後の足利義教の時代には弾圧されてしまった。そんな風に芸能というのは権力に利用され、あるいは利用してきた。
行商団の集団が関東大震災の際の流言飛語によって、同調圧力が高まった村人に殺されてしまったというのはすごく象徴的だと思う。それは村八分になることを恐れる日本的な村社会があって、旅芸人的に全国を渡り歩いていく行商という存在は真逆な存在だったから。
1923年関東大震災の100年前の史実を元にした映画であるが、この村人たちと行商という存在の対比は今現在とも重なっている。

グローバル化の進行によって、大都市の専門職エリートである「エニウェア族(Anywheres)」と、地方で暮らす庶民である「サムウェア族(Somewheres)」が対立する様子を描いています。
エニウェア族は、大都市に暮らし、高学歴・高収入であり、リベラルで新自由主義を支持する立場の人々。一方、サムウェア族は、地方で暮らし、学歴や収入は平均かそれ以下であり、地域共同体の一員としてのアイデンティティを重んじる人々です。言ってみれば、地球市民エリート対マイルドヤンキーのような対立ですね。

アメリカの民主主義が「機能不全」に陥った理由 極右化する保守と、大衆を軽んじるリベラル

行商の集団も福田村の人たち同様にノンエリートである。だが、仕事の関係上、「どこにでもいける人」たちと「どこにもいけない人」たちの対比にも見えてくる。そして、「どこにもいけない人」たちは流言飛語を信じやすい。それは外部がない(見えない)からだ。
自分の目で見たことや誰か知っている人が見たことではない、流れてくる噂を信じてしまう。それは仕方ない。ネットでいろんなことが検索できるようになっても検索ワードの組み合わせとアルゴリズムによって人は知りたいことしか知れなくなるし、それ以外のことがないかのように錯覚してしまうのと原理としては同じだから。
関東大震災の際に日本人が朝鮮人や中国人だけでなく、部落などの差別されていた人たちを虐殺したという事実がある。
自分がそういう場所にいたら「同調圧力に屈しないでいられるか?」と問うと屈しないと絶対に言い切れない。おそらく加担するだろうと思う。だからこそ、そうならないためにそういう場所からは離れたいと思っているし、集団の論理で個人の自由や尊厳を奪う場所に近寄らないし、加わらないようにしたいと思って生きている。

今作では博士さんが演じた役柄がある種同調圧力に加担する嫌な存在であり、非常に印象に残る人物となっている。観ながら個人的にも博士さんのことを知っている人間として、博士さんとはタイプが真逆な非道な人間をやったことで精神的にしんどかったんだろうし、選挙後の議員になってからの撮影ということもあったけど、これがトリガーになって鬱病が再発したのかなと思ったりした。
でも、たけし軍団自体がパワハラとセクハラなどのハラスメント総合デパートみたいなところだったって聞くし、ビートたけしを頂点にした武闘派集団であり、たけしさんや先輩たちのいうことに従うのが当然な集団だったところにいたわけだから、そこもけっこう関係あるのかなって。博士さんの中にあるたけし軍団的な要素が自分の内部にあることに改めて気づいてしまったのかもしれないし、そして、オフィス北野の解散という経験も大きいかもしれない。
第二次世界大戦後の天皇の「人間宣言」とか、戦中の思想や日本軍のやってきたことは間違いでしたとなった時にその鬼畜米兵的に生きてきた人たちは転向しないと生きれなかった、それが難しい人は精神的に壊れるだろうし、破滅へ向かっていったと思う。
博士さんの中でそういうことが起きていたのかもなって、演じることによって今の自分と違う部分とかがより濃くなって入り込んでくる。そして、それが簡単には出ていかないから精神的にはどんどんしんどくなってくる、みたいなことが起きていても不思議ではない。
もちろん、博士さんは芸人でありタレントとして人前に出る人だけど、やっぱり演技というものは別物なのではないか、と。
空洞がある人の方が役者に向いているみたいな話を聞いたことあるけど、空洞だからこそのその役柄を取り込めるし、終わったら排出できるってことかもしれない。個人の思想や感情は当然あるにしても、それとは違うフォルダに役の人物を分けれたりする人はいいけど、役と実際の本人の核が混ざったり、上から書き換えられる人もいるんだろう。
ある程度演技ができるようになれば、思想や感情があっても、他の部分の空白にうまく違う人物を入れ込んで演じる、同化するということができるのかもしれない。まったく演技経験もないし、できないと思っている僕なんか想像した。
だから、帰り道に撮影時の博士さんにはあまり空洞がなかったのか、あるいは役が小野正芳という「核」に染み込んできたのが辛かったんじゃないかなって思った。

ニッポン放送
オールナイトニッポン
星野源(火)、ナインティナイン(木)、オードリー(土)
オールナイトニッポン0」
フワちゃん(月)、あの(火)、佐久間宣行(水)、マヂカルラブリー(木)、三四郎(金)
オールナイトニッポンX」
EXIT(金)

TBSラジオ
24時台
空気階段(月)、アルコ&ピース(火)、ハライチ(木)
JUNK
伊集院光(月)、爆笑問題(火)、おぎやはぎ(木)、バナナマン(金)
その他
さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ(土)、川島明のねごと(日)

TOKYOFM
SUBARU Wonderful Journey ~土曜日のエウレカ~(川島明)(土)

ラジオ大阪
都築拓紀のサクラバシ919(木)

RADIOBERRY
有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER(日)

Spotify
83 lightning catapult(相田周二酒井健太)(月)
chelmicoオールナイトニッポンPODCAST(土)

Amazonmusic
橋本直と鈴木真海子のCROSSPOD(土)

ニコニコ動画
大恐慌へのラジオデイズ(菊地成孔)(不定期)

毎回放送されたらradikoとかで絶対に聴いているものを挙げてみた。やっぱり「オールナイトニッポン0」の今のラインナップは最高にいい。

夕方から今日明日で終わらしたい作業を開始しながら、川島さんの『SUBARU Wonderful Journey ~土曜日のエウレカ~』を。ゲストはTBSで『水曜日のダウンタウン』を演出している藤井健太郎さん。かなり本音を出しているような内容だった。
明日から雨らしいから、もしかしたら急に夏が終わったりするのかも、でも湿度の高くなるだけで暑さはそのままっていう残念きわまりない可能性もありそう。

 

9月3日
日付が変わって寝ようとしたら仕事関連のラインが来た。さすがに深夜はダメだろうと思ったが文句は書かずに、先方がラインしてきたことに何回か往復しながら答えたら納得はしてくれたっぽい。
微妙に目が覚めてしまったので、放送中だった『オードリーのオールナイトニッポン』の星野源さんゲスト回を聴きながら寝落ちした。
起きてから昼過ぎまでは明日〆切予定の作業をとりあえず終わらした。このままだと7、8日ぐらいから次の締め切りのターンが来て忙しくなるだろうから、終わらせるものは早めに。それでGoogleのスケジュールをいじって前倒しできるのは移動させた。


17時から尾山台駅近くにある「Fluss」で開演する「こんにちは、げんざい(VOCAL,GUITAR :浮 PIANO :山田俊二)」を観に行くことにしていたので15時過ぎに家を出る。地図マップで目的地を見ると二子玉川駅東急大井町線に乗り換える感じだったが、歩いても1時間10分ぐらいだったので歩いて行くことにした。
246ぞいに出て駒大方面に向かって行き、駒沢公園通りを南下していく。始めて歩く場所だったが、radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩いた。公園が近いというのもあるのか、池尻大橋の世田谷公園沿いを学芸大学方面に歩いて行く時に見る景色に雰囲気が近かった。
車の下で寝転んでいた猫に気づいて写真を取ろうとしたらむくりと起き上がらせてしまい、ちょっと警戒した目をされてしまった。なんかごめん。


16時半開場だったのだが15分ぐらいには着いてしまったので商店街を何度か往復したりして時間を潰した。
開場後に入って二列目の壁沿いのところに座って開場するのを待った。山田はニコラのカウンター友達というか知り合いであり、彼のピアノの演奏はニコラで何度か聴いている。浮さんは名前も知っているし曲も聴いたことはあったがライブで見るのは初めてだった。



最初は山田が出てきて30分ほど一人でピアノを、休憩を挟んで浮さんが一人で30分ほど歌と演奏を、休憩後に二人で30分ほど一緒に音を奏でるという流れだった。
どちらの音も非常に心地よくて気持ちよかった。眠くなる感じのゆらぎ、覚醒と半覚醒を行き来するみたいなプールとか海とか水面に体の半分が出ていて、半分が水面に沈んでいるみたいなやわらかくてプカプカするような音色。
山田の顔色もすっきりしている感じがして、今回で3回目となるイベントであり、ここのピアノとの相性とか空間で鳴らせることが気持ちいいんだろうなって思えた。
浮さんの声は懐かしい感じもあって、たぶん映画『リリイ・シュシュのすべて』の時のSalyuが演じていたというか歌も歌っていたリリイ・シュシュの歌声にも似ている気がした。Salyu自体が合唱団に入っていて童謡や讃美歌なんかを歌っていたことが関係しているのだと思うけど、浮さんの声や歌い方も童謡や讃美歌、あるいは島唄的な響きがある。それは祈りに似ているし、同時に巫女的ななにかを降ろすようなタイプの歌手も彷彿させる。そういう二人が一緒に奏でるからとても素敵な空間になっていた。

終わってから帰りは流石に電車かなと思ったけど、雨は結局降らなかったし、一回来た道をもう一度反対側から辿って帰る方が自分の中で空間や距離を把握しやすいのもあって歩いて帰った。
なんとなく帰り道は久しぶりに「U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS」の曲を聴いた。駒沢公園通りから246に出るとなんだか知っている場所って感じがして安心した。

 

9月4日
深夜3時過ぎに目が覚めてトイレに行った。玄関ドアを開けると小雨が降っていた。そのまま可燃ゴミを出しに外に出た。ほとんど濡れなかったけど、雨の感じとか空気の気配みたいなものが秋だなって、秋になるみたいだなって自分の中で思えるものだった。言語化するのは難しいんだけど、40年ちょっと生きていた中で体とか心とかが思考とかよりも先にわかる感覚みたいなものがそう思わせたのだと思う。
家に入ってからすぐに二度目の眠りに入った。
起きてからちょっとだけ昨日やっていた作業の確認なんかをしてから、リモートワークを開始。先月やっていた簡単だけど時間だけはめちゃくちゃかかる作業をやらないといけなかったので昼前から他の作業を終わらせてから取り組み始めた。
なんだろう、この単調な作業をやっていると心の奥の方からドス黒いというか、なんか嫌なものが膨らんでいるように思えてくる。この作業もやらないといけないものだし、頼まれているのでできるだけ早めに終わらせて相手に渡したい。
でも、これを月に一回ぐらいでもこうなるんだから、毎日やってたら簡単に精神が病みそう、悪意やストレスが溜まって爆発しそう、そもそも自分が働いているところのサービスが嫌いになりそうに思える。単純作業は心を殺さないと精神が壊れるというのはなんとなくわかる。

あのちゃんのファーストアルバムが出るらしい。『ちゅ、多様性。』とかポップな楽曲はDisc1に入っていて、Disc2の方にはI’sでやっている曲も入っているみたい。アルバムが出たらそのツアーもやるだろうけど、あのちゃんさすがに今年紅白は出るだろうな。


一日で終わるかなと思った作業も数がかなりあるし、一つずつ確認することがあるので思いの外時間がかかるので次回出勤の時に最後まで終わらせることにして、お茶をしにニコラへ。
ナガノパープルとマスカルポーネとのタルトとアアルトブレンドをいただいた。お客さんがカウンターの僕だけ担った時間帯があって、曽根さんと由加さんとけっこう閉店後に話すみたいな感じでたくさん話ができた。なんかそういう会話とかをすることで毒が抜けていくような気もしたし、いろんなことについて話ができる場所とそこに居てくれる人がいるのはとてもありがたい。

 

9月5日
アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら少しだけ読書をしてから、スマホで今日のスケジュールを確認して、午前中は作業予定にしていたけどズラしても大丈夫だなと思ったので、以前行ったことのある病院に行くことにした。前にもらった軟膏がなくなったのと今の状態を診てもらったほうが個人的にも安心するかなと思った。
診療所が開く前には着いたらすでに五人ぐらいが待っていた。ここは小さな医院だがいくつかの科があるので患者もいろいろいる。
壁に貼られている文言が目に入った。マスクの着用についてだった。そうか、高齢者とか病気にかかっていて免疫が弱い人がいるからマスクは必須だったか、それを忘れたので近所のコンビニに買いに行って戻ったらもう開いていて、保険証とかを出して中で待つことにした。
9時半からだったけど、その前に院内の座る場所は多少の横の人との隙間はあるにしても満席に近い形になっていて、一人目や二人目が診終わると立って待っている人が一人か二人いる感じで混んでいた。途中で翌日来ますと帰るそっくりな母と娘の親子連れがいた。娘の方が僕よりは上だろうから五十歳は越えているように見えたが、親子だから似ているのか、一緒に生活とか環境が一緒だから似ているのか、なんかそういうことを考えてしまうそっくりな、時間経過した母とその前の状態の娘に見えた。
僕は五人目ぐらいだったが、以前よりも症状が少し悪化しているみたいだったので少し強めの軟膏をだしてもらうことになって、すぐに問診は終わった。
院内の会計システムが壊れたのかシステムの入れ替えのためか何かのエラーが起きているみたいで、僕が呼ばれるぐらいまで一人目のおじいさんの会計ができなくてちょっとイラついていた。その後はちょっとずつ早くなっていて僕の時にはあまり時間はかからずに会計と処方箋をもらった。
病院に行って帰るまではずっと『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴いていた。なんか病院とかどうしても年齢層が高いし、元気のない人が多い中でいい意味でくだらないなっていう、「タモリ倶楽部」のことなんかを話している伊集院さんの声がなんだかやさしく聞こえた。


家に帰る前に駅前のTSUTAYAに寄ったら、柳澤健著『2000年の桜庭和志』(文春文庫)が出ていた。単行本の時に読んで入るが、解説が水道橋博士さんによるものだったのもあって購入した。『1984年のUWF』という書籍がこの前史にあたり、柳澤さんと博士さんが一緒にイベントをした際に、柳澤さんからサインしてもらったので家に帰るとちゃんとあった。
タイガーマスクを巡るものとしては実は大塚英志著『摩駝羅 天使篇』1巻に出てくる地下格闘技のバリー・トゥードの所で虎のマスクをしたレスラーが出てくるが、大塚さんにインタビューした時に「タイガーマスク」に関することがあって、その延長線的にそういうキャラが出ていたと聞いていた。
もともとプロレス好きだった大塚さんはよく〆切から逃げてUWFの試合会場に行っていると、それを追いかけてくるという名目で試合を見に来た編集者と会場で会うことも何度かあったという話もされていた。そういう当時の出来事なんかを僕は話で聞いているだけだけど、繋がっている。

昼過ぎから先日樋口さんから直接いただいた新刊『無法の世界 Dear Mom, Fuck You』を読み始めて、夕方に家を出る前までに最後まで読み終えた。

世界的な群発火災、異常乾燥と未知のウイルスにより、経済は完全に停止し、無秩序な世界が到来した日本。
略奪が常態化した都会に身の危険を感じた同性カップルの久佐葉イツキと葉子は、息子の貴一とともにショットガンを携え東北の「恵田町」を目指す。
死と裏切りが隣り合わせの旅路の果てに、イツキと葉子が見たものとは……?

イツキと葉子の女性カップルと息子である貴一の三人が都会を離れ、イツキの地元、2011年に原発事故が起きて数年前まで帰還困難区域になっていた「恵田町」を目指す。そこにはイツキの姉がおり、事情を話すと迎え入れると言ってくれたからだった。しかし、途中で彼女たちの乗った車が使えなくなり、3人は歩いて「恵田町」を目指すという内容。
二章以降では那須塩原から歩いていた集団と一緒になってパーティーの人数が増えて「恵田町」を目指す。那須塩原から加わったメンバーを追いかけて来たバイカー集団に襲われるイツキたち、その後「恵田町」近くにある巨大な城に辿り着く。そこの主の亡き妻と葉子は瓜二つで、とある条件をもとに彼らは城に匿ってもらうことになる。そして、「恵田町」には巨大な壁ができており、イツキの姉が関わっている巨大な陰謀を知ることになり…と行った展開になっていた。

福島県とは明記されず、✕✕県とされている。だけど、どう考えても福島県のことだ。このあとに実際の人物の発言などを彷彿させるものを使っているんだし、✕✕県って表記するのはなんだか逃げのような気もしてしまった。福島県と書けないことが最初にひっかかった。
でも、読み終わってしばらく経ってからこの物語のために必要な場所だけがいるから✕✕県にしたんだろうなって。✕✕県という架空の場所でフィクションというのを前面に出さないとある種の陰謀論に見えなくもない終盤に明かされる事実を書けなかったのかもしれない。それはカッコいいかダサいかと言われたらダサいなって。
中盤以降から出てくるある女性人物は「このハゲーーー!」というセリフを口にする。元政治家だった人の有名なあれだ。もちろん樋口さんの作品では引用や影響、パスティーシュやオマージュなどがふんだんに取り込まれている。名誉男性となるしか役職を得れない女性政治家などアイロニーを込めて、キャラクター造形していることも理解できる。
また、作中にはレイプマン的な人物もがいる。序盤からイツキが男性の集団に襲われるなどの描写もあり、レイプに関する描写が多々ある。ミソジニー的なものに対して、そういうことを意図的に入れることでいかに愚かな思想や行動であり、人間として最低な存在かを描いているのだと思う。だが、けっこう読んでいてしんどかった。レイプの描写とか暴力性というよりは読んでいて内容的にきつかった。

主人公が女性カップルなのでパッと見はシスターフッド的な物語にも見えるし、終盤の終わり方はそういうふうに読んでもらいたい、そういう物語にしたという意図もしっかりと感じた。
前の作品に『東京パパ友ラブストーリー』というものがあり、BL的な読まれ方ができなくもないし、そういう部分を狙っていたと思う。そういう意味ではどちらも同性の恋人であったり、ヘテロではなくホモセクシャルの人物をメインにしている。
樋口さんが昔のプロレスであったり、たけし軍団などに影響を受けていることもあるせいか、読んでいてもシスターフッド的なものもなにか付け焼き刃というか、団塊ジュニア世代が影響を受けたそれらにおける男性同士のホモセクシャル的な関係性を入れ替えただけのように見えてしまう。悪い意味で『映画秘宝』的な、影響された中年男性が作ったキャラクター造形みたい。
なんというか切実さが伝わりにくいし、ズレみたいなものを感じた。樋口さん自身も結婚してお子さんもできたりして、ちゃんとリテラシーもだしミソジニーというものについても世界からなくなるべきだとか、あえて描くことで疑問も感じて欲しいと思っていると思いたいのだが、作品を通じて読んでいくと実際はこの数年でアップデートしていった際にうまく処理できなかったミソジニー的なものが、作品において噴出しまっているような、それが描かれているんじゃないかと疑問に感じた。もしかしたら、逆説的にそう感じさせることで男性のミソジニーの愚かさを演出していたら申し訳ないが。
僕が樋口さん自身のことを知っているから、そう感じてしまったのか、なにか僕にバイアスがかかってそう読めたのかはわからないけど。
途中から加わるパーティーのメンバーのあたりで、ベトナム人のトランも加わったりする。トランはミックスでもないし、ベトナムから勉強するために日本にやってきたがコロナで強制送還されそうになった際に逃げ出して日本を転々としていた人物として描かれている。そういうものもあってまったく事情や設定も違うんだけど、脳裏に浮かんできたのは佐藤究著『テスカトリポカ』という小説だった。
『テスカトリポカ』は山本周五郎賞直木三十五賞を受賞した作品であり、圧倒的な破壊力のある物語だった。そこで描かれる麻薬カクテルとか残虐なシーンなんかはこの『無法の世界 Dear Mom, Fuck You』に通じている。
また、陰謀論なんかを作品に入れ込んでいき最終的にそれがなんだったのかを描くことで日本という国を露わにするというのは阿部和重著『オーガ(ニ)ズム』が三部作目となった「神町サーガ」とも共通するところがある。

「恵田町」へ向かって歩いていく描写もあるが、古川日出男著『ゼロエフ』では、古川さんは栃木県の那須塩原から福島県を通る四号線を単独で歩いて宮城県に入った。そこから僕と田中くんが仙台駅で合流して常磐線に乗り、宮城県の坂元駅から福島県に入り六号線を歩いて(帰還困難区域は車で入った)茨城県まで3人で歩いた。晩秋には阿武隈川を中心に台風被害が大きかったのに報道されなかった場所を古川さんと僕で歩いた。その記録のノンフィクションがだった。
もちろん小説はフィクションだし正確に書かなければならないわけではない、ただ草木がぼうぼうと何メートルもの高さまで茂っている場所とか、帰還困難区域の民家の庭先にキウイがめちゃくちゃできてたのとかを僕は実際に見ている。『ゼロエフ』を読まなかったのかな、とか僕に歩いた時の経験ぐらい聞けばいいのになって正直思った。小説は見てきたように嘘を書けばいいと言われるけれど、ネットとかで見たりしたことだけで書いている感じがしてしまった。

江口寿史さんの装幀イラストが遅れに遅れて刊行が一年近く延びてしまったのは著者として本当に辛かったとは思うけど、その間に✕✕県に向かうまでの部分を実際に見に行ったりできたんじゃないかなって。
引退作ということで刊行した『太陽がいっぱい』以降、刊行に対してトラブルが連続しているけど、やっぱり中途半端な引退宣言が悪い意味で効いてきている気がしてしまう。英雄神話構造に当てはめなくてもいいかもしれないけど、一回ちゃんと「鯨の胎内」に入る、イコール象徴的に死んでから、戻ってくることで冒険者が王になるみたいなことはある。あの引退宣言と撤回みたいなものがフェイク「鯨の胎内」みたいになったことで、本来持っていたものを失ってしまったんじゃないかと。

一戸・・・平原テツ
松坂・・・橋本淳
小久保・・夏帆
坂本・・・今井隆文
大泉・・・豊田エリー
真奈美・・鈴木杏

《ものがたり》
劇団活動をしている松坂が、ある男の思い出を語っている。
それは、かつて劇団仲間だった一戸の物語だ。
数年前、ふらりと松坂の芝居を観にやって来た一戸は、
健康上の理由から呼吸の青森に帰ることにしたと言う。
淡々と語られる一戸の近況報告をきっかけに、
昔の劇団仲間が集まることになった。
その仲間、坂本、小久保、大泉たちは、
それぞれの悩みや現実を抱えながらそれぞれの人生を歩んでいる。
今も演劇を続ける者、演劇からは離れている者。
過去と現在を繋ぐのは「演劇」というキーワードだ。
そして――故郷に帰った一戸は、
シングルマザーとなっていた同級生の真奈美と再会し……。
『いつぞやは』パンフレットより

家から一番近い劇場のシアタートラムへ18時前に向かう。すぐに開場して場内へ。前から四列目の左端から三番目という前の方の座席だった。ちょっと役者さんたちが右側に偏って演技をすると首を傾ける感じにはなるが、位置としては十分見やすい。
一戸と松坂の再会から始まり、実際にかつての劇団仲間との飲み会で彼が近況報告をして、舞台をするという流れが演じられる。すぐにまったく同じことがぎこちなく反復される。それは舞台の練習シーンであり、彼らの会話を改めて演じるというものだ。物語はその後、本番があり打ち上げがあり、一戸が実家に帰って真奈美と再会し、回想といえるようなシーンで劇団仲間や高校時代のワンシーンが展開していく。
役者だけでなく、芸能人と呼ばれる人が時折捕まる「あれ」が出てくる。一戸が青森に帰るきっかけになったあることと「それ」が関係しており、観ていても「それ」についてはとくに違和感はなかった。知り合いも昔アパートで育てていたといっているのを聞いたりもしているから。その中である種トリップ的な症状も舞台では演じられていくことになる。そのテンションみたいなものとか演劇をやっている時や仲間たちと過ごしているシーンの一戸とは真逆な感じがあり、人間の幅というか時間の移り変わりを感じさせるものだった。
やがていなくなる人と残される人という物語でもある。そして、演劇の高揚感や儚さも同時に登場人物たちのセリフによって観客の中に染み込んでくる。終わったあとにすごく響いた部分とまったくそうではなかった部分が同じぐらいあったように感じたのは、徐々に自分の中に入って来ていて、その時間差みたいなものがそうさせているのかなって思えなくもなかった。味わい深いというのがピッタリかもしれない。
もともとは夏帆さん目当てではあったが、作・演出の加藤拓也さんにも興味が出ていたのでこの時期にしっかりと舞台で見ることができたのがよかった。


舞台観た帰りに西友ではらこ飯を買った。『ゼロエフ』を最後まで読んでいたらわかると思う。なんか『無法の世界 Dear Mom, Fuck You』を読んだら無性に食べたくなった。

 

9月6日
目が覚めたら来ていた寝巻き用のTシャツの首元から胸にかけて汗びっしょりかいていた。冷房は止めてサーキュレーターだけを回していたけど、夜中はかなり暑かったらしい。雨が降った日に秋っぽいと思ったけど、まだまだ絶賛夏だった。
リモートワークまでの時間でちょっとだけ作業をすまして、月曜日にやっていたくそめんどくさくて時間がかかる作業に取り掛かった。単純な仕事だけどやっぱり精神的にしんどいからできるだけ早くスピードをあげて昼過ぎには終わらせた。
朝から『JUNK 爆笑問題カーボーイ』と『あののオールナイトニッポン0』を作業のお供に聴いた。『星野源オールナイトニッポン』はお休みだった。残念。

来週からの「お笑いラジオスターウィーク2023」の出演者と時間帯が発表されていた。木曜と金曜と土曜は安定すぎる。元々レギュラーでお笑い芸人が多いので、ランジャタイとマシンガンズがそこに入る形になっている。
大注目で期待しかないのは水曜日、ヨネダ2000と神田伯山と吉住という流れのラインナップ。一番面白くなって跳ねまくる可能性を秘めていると思う。
『あののオールナイトニッポン0』の時間帯はみなみかわが担当となっていて、番組内でもあのちゃんがイジっていたのもあるので、わりとあのちゃんを聴いているリスナーはミナミカワもちゃんと聴くだろうな。たのしみだ。

「哀れなるものたち」公開日が来年1月に変更、新ビジュアルも到着 

ビジュアルからして素晴らしく、予告編を見ても期待しまくっている『哀れなるものたち』の公開が今年の11月から来年1月に延期になっていた。
ちょっと残念だが、『オッペンハイマー』みたいに日本公開されるかどうかわからないまま、公開スルーみたいになってしまうことを考えればまだマシだと思うことにした。

PUNPEE - Free Roamin’ (Self-regi Dystopia) 



仕事が終わってからちょっとのんびりして風呂に入ったあとに知り合いの人が書いた小説を読んだ。登場人物たちが食べたり飲んだり、聴いたり触れたりしていく五感によって、それぞれの思い出や記憶が浮かび上がってきて、それが胎内でゆらゆら揺らいでいるような心地よさと優しさを感じた。
でも、とあることでもうちょっと冷静になって読んだ方がいいなと思ったので、少し時間をおいて再読してから感想をまとめて、書いた人に伝えようと思った。

 

9月7日
7時台に目が覚めてから今日提出するつもりだったものの作業というか、最終チェックをしてからデータと請求書を先方に送付する。
9時半過ぎから半年ぐらい前に何度かやっていたオンラインミーティングが再開したので、仕切り直しということもあり、近況報告もかねて今後どうやっていくか一時間弱ぐらい話し合い。
時間が経ったことともあって前に話していたものは一旦無しにして、次回の際にいくつか候補案を出すことになった。たぶん、そうなったほうがいいなと思っていたのでよかった。次回までにちょっと案をいくつか考えないといけないけど、たぶん話している時に浮かんでいたものを軸に考えられそう。

ミーティングが終わってから家を出て渋谷へ向かう。radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら、ゲストはサンボマスターだった。Netflixの『トークサバイバー2』の主題歌をサンボが書き下ろした新曲になっていて、その曲の初発表としてラジオブース内で普通に楽器を鳴らして歌うという趣向だった。その様子を撮影したものを編集して佐久間さん監修でMVを撮るということも行われるという初めて尽くしの放送。
サンボマスターゼロ年代にかなりライブに通ったのもあって大好きなバンドだ。今は『ラヴィット!』のテーマソングもやっているし、佐久間さんの『トークサバイバー』の曲もそうだった。ちょっとバラエティ系の人たちがサンボマスターに頼りすぎなのでは?と思わなくもない。
佐久間さんと同郷の山口さんが一緒に福島を巡る番組とかやりたいっすよって話しているところとか、いつもアルピーの平子さんだし嫉妬というか羨ましいんだろうなって、素直に一緒に地元でなにかをしたいんだろうなって感じた。それはとてもいいことだし、いつかやりそうだなって。


サンボマスターの新曲やトークを聴きながら、開店していた渋谷ロフトへ。ほぼ日手帳の『MOTHER』のカバーと本体はすでにほぼ日サイトで購入していたが、クリアカバーを買い忘れていたのでそれを買おうと思っていた。
すぐに見つかったあとに手帳エリアを見ていたら「Rollbahn」の来年のやつがあって、パエリアの表紙のものが好きな色合いだったので一緒に購入した。
この数年ほどはほぼ日手帳とか買わなくなっていて、「Rollbahn2021」に日記も兼ねて、ライブのチケットとか半券みたいなものを貼っていた。するとかなり膨らんでいる状態になってしまった。
今年から新しく始まったライティング仕事はゲームに関連するものだったので、僕がシリーズを通して全部やっていて好きな作品は『MOTHER』であり、「1」「2」「1+2」「3」とソフトを全部買ってプレイしてクリアしているのもこのシリーズのみだ。
ただ、作り手である糸井さんの発言とか諸々でちょっと離れていたが、今やっているゲーム関連の仕事が形になるのは早くても来年、おそらくは再来年になる。だから、来年も僕はゲームに関する仕事はなんだかんだやることにはなるので、好きなゲームの手帳を使おうと思った、という理由だった。
オンラインミーティングも打ち合わせも兼ねて増えて来たが、僕はその際に前に買っていた早川書房が出していた『1984』ver.の「Rollbahn」の手帳なんかをメモ帳代わりにしていて、それも今年中には最後まで行きそうだし、来年からは新しいのを使うのもいいなって思っていたのもある。
たいていメモを書いたページをスマホで撮ってから、Googleフォトで文字認識したものをコピペして自分用のWordとかに貼り付けて、間違いなどを修正することで記録を残している。これはオンラインミーティングを全録してそれを確認すればいいような気もするけど、書いていることで読み返した時にすぐにわかるし、結局作業する時にデータを読み返せばいいので僕としてはこのやり方が今のところはいい。


ベニー松山×古川日出男「小説家誕生前夜──『砂の王』のころ」


月初に注文していた古川日出男著『砂の王〈1〉 ウィザードリイ外伝Ⅱ』が家に帰って寝転んでいたら届いた。この作品を下敷きに、ある意味で転生させたのが『アラビアの夜の種族』である。
『砂の王』に関してはデビュー作ということにはなっておらず、『13』がデビュー作なので、幻のデビュー作というか、デビュー以前に書かれて商業出版されたという位置付けになる。その詳細については上記のベニー松山さんとの対談に詳しい。
数年前に国会図書館に行った際にもしかしたらあるんじゃないかなって思って検索したところ、図書館に所有されていて冒頭の数十ページを読んでいた。
古川さんも話しているが、『砂の王』を執筆する際に浮かんでいた物語の先の展開などは、版元が潰れたり、編集者との関係もあり一巻で終わってしまって続きが書かれることはなかったが、その後デビューした後に『アラビアの夜の種族』が書かれることになる。
僕もこの作品について少し聞いたことがあったが、『アラビアの夜の種族』を読んでいるなら、読まなくても問題はないよというようなことを言われた記憶がある。この作品で書こうと思ったものや書けなかったものがそこに集約されているからという意味だった。そういうこともあって、僕は今まで何度か古本がAmazonで売られているのを検索して見るものも購入することはなかった。
今回は週三仕事のチームに社長賞みたいな形で報奨金が出て、それを人数で割ったものをAmazonギフト券で渡してくれたので、それを使って何を買おうかなと思った時に最初に浮かんだのがこれだった。
また、ゲーム関連のライティング仕事繋がりで、古川さんのこの一冊もタイトルにあるように『ウィザードリイ外伝Ⅱ』というゲームが元にはある。そういう繋がりみたいなものが僕の中にはあったというのが大きかった。


夕方過ぎにニコラに行って、秋刀魚と丹波しめじのスパゲティーニと赤ワインをいただく。月曜日に行ったばかりなので、今週は珍しく二回お店へ。
今回もいろいろ話したいこともあったし、9月なので秋ということもあって、初秋刀魚が食べたいなって思っていた。丹波しめじが大きくてプリプリだったし、秋刀魚の味がしめじに染み込んでいた。
秋刀魚の身も美味しいけどしめじと一緒に食べるとより秋が濃厚になった。選んでもらった赤ワインは最初に一口飲んだ時はかなり強いなと思ったけど、秋刀魚やしめじを食べてから飲むとかなりまろかやに感じられてこちらも美味しかった。
朝に作業とミーティングをしたけど、木曜日は基本的には働かないのでそのあとものんびりしていた。ほぼ休日な木曜日。

 

9月8日
肌寒くて目が覚めて、小便をしたついでに玄関ドアを開けて外を見てみたらザーザー降りだった。そういえば台風が来るという話を昨日聞いたけど、風はそこまで強くないからちょっと強めの雨が降っているぐらいの感じ。
起きてから朝活がてら読んでいる本の続きを9時前まで読んでから、いつものリモートワークを開始。

来週アップする用の記事の原稿を書いたりしながら、週末とかの投稿予約の記入をしたりと通常運転。前にミーティングしたときに話に出ていた案件で、ちょっと先方があまりやりたがっていないことがあったが、他の部署の人は再度お願いしようかと思うっていう話がSlackで送られてきた。絶対にそれやったら先方がいい印象もたないし、再度お願いされたら断りにくい感じになるからやめといたほうがいいよとは伝えておいた。
時折、相手のことを思ったりしていても自分が働いているのが企業のワンセクションであり、先方がフリーランスであったりどこにも所属してない場合だと、こちらは企業の一人として先方にお願いしているから問題ないと思ってしまうのだけど、向こうからすればデカい企業が言っているように感じる可能性が高い、ハラスメントとは違うのかもしれないが威圧感とか圧はどうしても感じてしまうと思った。
僕自身がライター関連の仕事をする時はフリーランスだし、相手側が出版社だったりすることが多いので、その感覚はあるから気をつけるようにしているし、わからない人には一応こういう気持ちになるんだよとは言うようにしている。
ただ、会社の側でずっと仕事をしているとそういう立場の違いとか受け手の側のほうのことがちょっとわかりにくくなってしまうことはどうしてもある。でも、仕事を続けていく上で信用だったり信頼感というのはそういう時に一回やらかすだけで終わる、というのも事実なので慎重にやったほうがいい。

菅田将暉『美しい生き物』 



休憩中に緑道沿いを傘を差しながら歩いていたら、びしょ濡れのアオサギがいた。宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』に出てくる主人公の道案内的なアオサギ菅田将暉さんが声優をやっていたから、そこからの連想から彼の曲を聴きたいなと思ったら新しいMVがアップされていた。
菅田将暉と仲野太賀と若くして亡くなったYOSHIがメインだった映画『タロウのバカ』は大森立嗣監督作品だった。YOSHIは事故で亡くなってしまったのだけど、映画や彼の映像もMVに使われていた。
大森監督は俳優の大森南朋さんの実兄であり、映像に出てくる白塗りな人たちは暗黒舞踏集団「大駱駝艦」で主宰の麿赤兒(大森兄弟の実父)さんは映像中に白塗りになった菅田くんと一緒に踊っていて、親子でこの作品を作り上げている。
映画の続きというか、年上だった菅田将暉や仲野太賀や奥野瑛太が生き延びて、なんとか日々をいろんなものを抱えながらも生きていっているという話になっているし、歌詞もYOSHIのことを歌っているようにも聞こえる。菅田さんもいろんな思いがあったからこそこの曲のMVを大森さんと作りたいと思ったのだろう。

新作単行本『の、すべて』は今月末に出る。全4巻の文庫『平家物語』シリーズは、来月頭から順次、毎月出る。そういうリリース情報はもろもろ整ったら順次出すけれども(なにしろ書影も凄いのだ)、私は年内にさらに新刊の単行本を出すし、その『平家物語』シリーズではない文庫も出す。しかし日本で〈源平合戦〉があったことは、ひねった形で反映させる。いつもの「古川日出男っぽい」視角からこの日本を、この世界を眺めるんだよとは言える。

古川日出男の現在地」隧道群 2023.08.26 – 2023.09.08 東京・埼玉・京都

現代語訳『平家物語』が文庫で出るというのは前の「現在地」で触れられていたはずだが、別の文庫が一冊出て、さらに新刊の単行本が出るって、月末に出る新刊『の、すべて』と合わせると計七冊になる。それが今年中に出るという、デビュー25周年後半に入って一気に加速に加速していく凄まじさ。
講談社のサイトには書影は出ていないが、Amazonにはすでに出ていて、水戸部功さんの装幀デザインと一発でわかるのもとんでもなくすごいことなのだけど、めちゃくちゃカッコよかった。書籍として見たらきっと完璧なんじゃないかな。

 

9月9日
午前中は作業をしないと決めていたので8時過ぎまでラジオを聴きながら横になっていた。家を出ると霧雨みたいな傘いるのかどうかすごく微妙な雨が降っていたけど、傘無しで家を出た。昨日緑道で見たアオサギがほぼ同じ場所にいた。



三四郎オールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2023/09/08/金 27:00-29:00 

渋谷へ向かって、帰る時もradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』をお供にしていた。2023年に1995年の映画『12モンキーズ』の話をしているラジオって!と思ったけれど、2021年公開の『マトリックスレザレクションズ』が公開前にあの時期の作品を何作か気分もあって観た。
90年代後半のインターネット黎明期に公開された作品群は現在における管理社会とかディストピアとか多層世界を描いていて、『12モンキーズ』は今観るほうが怖いぐらいリアリティがあると思う。笑えない僕たちの現実のひとつとして。


シネクイントで火曜日に観た舞台『いつぞやは』の作・演出をした加藤拓也監督作『ほつれる』を鑑賞。舞台のチケットを取るときにこの映画公開のことは頭に入っていなかったものの、偶然というか舞台を観た週に映画公開というのはなんかいいタイミングだなって思っていた。

演劇界で注目を集める演出家・劇作家の加藤拓也が、映画監督デビュー作「わたし達はおとな」に続いてオリジナル脚本で撮りあげた長編第2作。「あのこは貴族」「愛の渦」の門脇麦を主演に迎え、ひとりの女性がある出来事をきっかけに周囲の人々や自分自身と向きあっていく姿を描く。

夫・文則との関係がすっかり冷え切っている綿子は、友人の紹介で知りあった男性・木村と頻繁に会うようになる。ある日、綿子と木村の関係を揺るがす決定的な出来事が起こり、日常の歯車は徐々に狂い出していく。

夫・文則を「すばらしき世界」の田村健太郎、木村を染谷将太、綿子の親友・英梨を黒木華がそれぞれ演じた。(映画.comより)

昨日から公開だが朝イチの回だし、大きな作品でもないので観客は十名ほどだった。あと気のせいか僕よりも上ぐらいのおじさんが多かった気がする。どういう層なのか、舞台とか観ている感じもないし映画はなんでも観るみたいなシネフィル系の人たちなのか、謎だ。

――まず、脚本について伺わせてください。ごく普通の日常会話を通して繊細な心の機微を表現するその言葉遣いは、舞台でも活躍されている加藤監督ならではだと思いました。門脇さんは最初に読んだとき、どんな感想を持ちましたか?

 加藤さんの脚本には、「え、あー、はい、そうですね」みたいな、日常会話の生々しい部分まですべて緻密に書かれているんです。あそこまで繊細な脚本はあまりないので、「あ、これができるんだ」って喜びをすごく感じましたね。

――なるほど。じゃあ、現場でアドリブすることもなかったんですか?

 ひと言もなかったんじゃないですかね。

映画『ほつれる』主演、門脇麦さんにインタビュー。

このインタビューを読んで納得できたのは、『いつぞやは』を鑑賞後に『悲劇喜劇』に掲載されていた戯曲を読んでいたのもある。物語で理解できなかった部分とかどういう意味だったんだろうと思っていたセリフを確認したが、門脇麦さんのインタビューにあるような、「これもセリフなの?」ぐらいな細かい相槌や反応の言葉なんかも書かれていた。
アドリブのように見えなくもない些細な俳優の反応や反射におけるセリフみたいなものも加藤さんがセリフとして書いているのを知っていたので、この映画を観ていて違和感がないというか、こういう作り方なんだろう。
実際に今年た組『綿子はもつれる』という舞台があって、未見なのだがこの映画の舞台版と言えるものが上演されていた。

た組『綿子はもつれる』

舞台は安達祐実さん主演で、『いつぞやは』の窪田正孝さんの代役を急遽やることになった平原テツさんが夫役で演じていた。

映画ならではの映像の使い方や、セリフも多くないしリアリティのあるものだけど、舞台にも応用できる部分があると感じた。今年観たダーレン・アロノフスキー監督『ザ・ホエール』も元々が舞台だったものを映画化した作品で、ブレンダン・フレイザー演じる主人公のチャーリーの家の中でほとんどのシーンが、回想以外は展開されていた。『ほつれる』は綿子と不倫相手の木村の旅行や山梨に行くシーンなど家以外も出てくるのだけど、空間の作り方みたいなものが思いのほか広がっていない印象を受けた。それもあって『綿子はもつれる』を観ておきたかったなと思った。
舞台の公式サイトを見たら「宣伝美術:加藤賢策、和田真季(LABORATORIES)」だった。いいポスターだなって思ったけど、僕の名刺のデザインしてくれた賢策さんだった。そっか、こういう部分で気づくべきだった。
結婚している夫婦とかかつて離婚したことある人が観ると、夫婦感におけるやりとりと停滞と、言葉にしないといけないけどできないことがあって、それが言葉になってしまう時の臨場感みたいなものは僕なんかよりも切実に深いところも突き刺さりそう。

映画館を出ても霧雨のような雨が降っていたけど、そこまで湿度は高いと感じなくてちょっと気持ちいいぐらいだった。ロフト前のスウォッチ売店の前に何十人と行列がまだできていた。映画観る前は開店前だったんだろうけどたくさんいて、雨ガッパ着てたり傘差していたりして簡易的なイスに座って待っている人を見かけていたけど、その列がまだ終わってないみたいだった。何かの限定かコラボ商品が出ていて、店内に入れる人を制限しているから順番に自分の番が来るのを待つって感じっぽかった。
どうしても絶対にこれがほしい!って時でも僕は並ぶかというとちょっと微妙だ。正直転売目的で並んでいるような気がするし、それがいけないわけでもないんだろうけど、高くても金持っている人は多少定価よりも高くなろうがそれを転売してる人から買うだろうし、そうやってちょっとの利益のために自分の時間を使って並ぶことを選ぶ人もいる。僕ば金もないけど、そういうところに並びたいとは思えないし、欲しいものがそうなった瞬間に冷めちゃうだろうなって。

家に帰ってから昼ごはん食べてちょっと仮眠をしてから、夕方から作業を開始。昨日準備をしたので取り掛かれるようにはしておいた。
問題は〆切、だけじゃない作業をやろうと思える状況に自分をすること、そのモードに移行すること。日付過ぎまで作業をしてとりあえずのところまで終わらす。そうなって時間をおいてから見直して修正や加筆をする。そういうスケジュールというか時間感で進めていく。

 

9月10日
8時過ぎに起きてからちょっと作業をして、眠り足りないからもうちょっと寝ようと思ってベッドで仮眠してたら12時前だった。家を出る前に佐川急便さんが荷物を届けてくれた。


月初にA24ストアで注文していた「Everything Everywhere All At Once: Collector's Edition」&「Evelyn Everywhere Rubik's Cube」が届いた。
二つで65ドルぐらいなので妥当な気はする。配送料がほぼ40ドルだった。高いなとは思うけど、円安だからってのは大きい。前にも「エブエブ」のポスターを注文した時と円の価値はそこまで変わらないけど、今は1ドルが140円後半だから1ドルが120円ぐらいだったらだいぶ違うなって改めて実感する。
「エブエブ」は僕みたいにかなり好きな人と観てもつまんないとか評価されている理由がわからないみたいな人で分かれている。それでいいと思うし、嫌いなダメだったっていう人の理由もわかる気もする。結局誰かがのめり込むほど好きなものは好き嫌いがはっきりしているし、それがいいと思う。
主人公のエヴリンはある意味では『魔法少女まどか☆マギカ』の主人公のまどかとわりと近いというか似ていて、エヴリンは何者にもなれなかったから、そこから何者かになれた可能性の枝葉がどんどん広がっていった。最終的には何にもなれなかった彼女だからこそ、他の可能性世界のエヴリンにコンタクトできて、他の可能性があった自分のその技能を取得することができるという設定だった。
まどマギ」は魔法少女のひとりであるほむらがまどかを魔法少女にさせない(契約させない)ために、ひとりで何度も同じ時間を繰り返していたことが原因となり、宇宙のエントロピーが増幅してしまったことにより、最終的にまどかは最強の魔法少女になってしまうというものだった。
10年代後半で一番好きな映画は『アンダー・ザ・シルバーレイク』だし、A24レーベル的なものが好きってことなんだろうけど、「エブエブ」についてははてなブログに劇場で観た時に好きな理由もそこに書いている。まあ、劇場で4回観てるから好きに決まってる。
A24はインディーズ系といっても『ムーンライト』や今作でもアカデミー賞を取っているのに、わりと作品とそれに関する商品の作り方がマニアックなツボをついてくるとことか、やっぱり音楽レーベルに近い。昔のラフトレードとかそういう感じ。低予算が多いからホラー系とかが増えるけど、作家性はちゃんと尊重して作品を作らせているのがデカい。


家を出て久しぶりに会った人に本をあげた。その次の場所に向かう途中のABC本店で名前は知っているけどちゃんと読んだことのない吉本隆明著『共同幻想論』を購入した。買ったあとに解説が中上健次だと気づいて、自分の中でいろいろと繋がった。

7月に草月ホール三四郎の単独ライブを観に行ったノンと終わったあとに飲んでいて、またお笑いライブに行きたいねと話していて、ちょうどチケットの発売が近かったこともあって、ハナコの第7回単独公演2023『はじめての感情』の最終日の最終公演を申し込んだら取れたので、再びの草月ホールへ。
SEという前から五列目ぐらいの前方の席だったので非常にステージが近いところだった。コントライブというと配信で前に観たものだと空気階段だったり、東京03など今コントをメインでやっている芸人さんの単独ライブではいくつかのコントがあるが、最終的に繋がっていて最後に長尺のコントが他のものを回収していくというものが多いと思う。そっちのほうが全体に軸もできるし、物語性も強くなるしパッケージとしても作りやすい部分があるのかもしれない。
キングオブコント王者でもあるハナコもそういう感じかと思っていたが、今回のライブではそういう全体を通して最後に回収するとか繋がっていくというものではなく、タイトルにある「はじめての感情」というものにフォーカスしていてそれぞれのコントが独立はしているが、そのテーマに向かっているようなものだった。
ちょっとホラーテイストなものが多かった気はするが、トリオだと三人目がなんの役割かということも大きいのだと思うけど、例えばずっと菊田がいるけど、秋山と岡部が触れないなと思っていたらカメラマンの霊でずっとレポーターの岡部を撮影しているというものだったり、とか飛び道具的な存在というか使われ方だったり、二人だと広がらないけどもう一人いることでその世界がより深まるような感じだったりした。
東京03とクリーピナッツの武道館ライブで東京03を生で初めて観たけど、他の演者もいたわけで三人だけというのは観ていない。だけど、男三人でというトリオでコントをやっている時点で東京03にもハナコは通じている部分はありそうだなって思った。実際にハナコだと菊田が『ラヴィット!』に出てゲームをやってたり、岡部が『マツコ&有吉 かりそめ天国』でレポーター的な仕事をしているのを見ることはあるが、トリオでコントをしっかりやっているのはキングオブコントの時しか観たことがなかったけど、やはりキングオブコント王者の風格というか最初のつかみのところからずっと場内爆笑でそのままで最後まで進んだ。
お客さんは女性客で二十代後半ぐらいが割合としても多かった気がする。コントのネタもダークなものやアイロニー的なものはほぼなくてほのぼのするようなものが多くて、わりと素直な感じのものだったから、健康的な笑いが好きな人がファンに多いのかなって思った。
終わった後には前回同様に青山一丁目駅直結の銀座ライオンが閉店するまでノンと感想を言いながら飲んで食べてから、電車に乗って帰った。さすがに帰ってからはなんにもしないですぐに寝た。

 

9月11日
大ジョッキでビールを三杯ぐらい飲んだぐらいだったので、寝起きもすっきり二日酔いもなく。昨日の午前中にしていた作業の続きを起きてから進めて、いつものリモートワークの仕事を開始。


昼休憩の時に本屋に行ったらちくま文庫の新刊のところに河野真太郎著『戦う姫、働く少女 増補版』があった。河野さんの著書は何冊か読んでいるがこちらは単行本の時に読んでいなかった気がしたので購入した。
最近積読が溜まりまくっているが、そういうことは気にしないで家に置いておいた方が個人的にはなんというか安心できる。読みたいと思う時がきたらすぐに読める環境が大事だから。

1000万の支援金で大失敗したアクションRPG「地罰」の5か月後がコチラ【ゲーム開発】


3月から一緒に仕事をしている人にミーティングが始まってすぐの頃に教えてもらったゲーム開発者のハイタカさんによる「ゲーム制作実況」の新しい配信を見た。
問題点であったり、改善したところについてハイタカさんがちゃんと言語化できているのがいつもすごいなと思うし、開発段階を見せていくことで発売前からファンを作って行っているのが今っぽいし、インディーズゲームらしさがあるなって思う。

9月11日、というのは世界が変わった日として記憶されている日だ。22年前の今日は筑紫哲也さんがやっているニュース番組を見ていたら画面が急に変わってツインタワーから煙が出ているのを見たような気がする。
朝起きてから上京資金を貯めるためのセブンイレブンの弁当工場に行き、休憩の時に食堂で作りすぎたり失敗した炒飯とかにカレーをぶっかけて食べながら、天井から吊り下がっているテレビに映るツインタワーに突っ込んでいく旅客機を見たけどなにもリアリティを感じなかった。東京すら遠く、大阪の大学を一年足らずで辞めて実家に帰って上京資金を貯めているフリーターだった僕にはニューヨークやアメリカという場所や、崩壊していくツインタワーもテロリストの憎悪や使命感みたいなものはあまりにも違う世界だった。時間が経つ毎にあの日に世界の時間軸が、あきらかに変わってしまったのだと思うようになった。

 

9月12日
6時半過ぎに目覚ましで起きたけど、頭が中々起動しない感じだったので寝転んだままでradikoで『空気階段の踊り場』を聴いた。そのあとに『JUNK 伊集院光の馬鹿力』に入ってから起き上がって机に向かう。
ラジオはそのままで、そのあとはニッポン放送「お笑いラジオスターウィーク2023」の『令和ロマンのオールナイトニッポンX』『陣内智則バカリズムオールナイトニッポン』『さや香オールナイトニッポン0』を昨日の作業の続きをやりながら聴いた。個人的には令和ロマンがいちばんおもしろかった。令和ロマンと陣内さんとバカリズムさんのトークでは吉本興業に入るということはどういうことなのか?みたいなことが図らずも繋がっていたので、そのシンクロ感もよかった。
さや香は漫才は見たことあるけど、トークは初めてに近かったけど、他の芸人からは本当に仲が悪いって話が出ていたのでそれもネタにしていたが、それを楽しむということもなく普通にトークしていた。
オールナイトニッポン」シリーズを三つ聴き終えても作業は終わらなかったので、結局その後はスポティファイとかでアジカンやアイズの曲を聴きながら進めた。13時半ぐらいにとりあえず提出する部分は全部埋まったので先方に送った。

朝からずっと机に座っていたし、体を動かしたかったので着替えて家を出てとりあえず代官山蔦屋書店に向かうことにした。今年の3月末までだったら渋谷まで出れば東急百貨店本店の中にあったMARUZENジュンク堂書店に行けば、たいていの書籍の新刊が見れたので暇つぶしにもなったし、自分が欲しいものやセンサーが動くものだったりを買ったり、次に買うように装幀を覚えていたりしたのだけど、それができなくなってしまった。
4月からは代官山蔦屋書店に行く頻度が増えた。本棚自体は年々面積が減っているのは間違いないが、海外の小説とかもある程度揃っているのも僕にはありがたい。
40分もかからずに着いたのですぐにトイレに向かったが、小便用は一つしかなくそこで用を足している人がいたので、大便の方が空いていたのでそこに入って小便を済ました。便座に座った時に後頭部が向くほうの壁のところにある段になっているところに黒い長財布が置かれていた。誰かの忘れ物っぽかったのでとりあえず手にしてみると思いの外重たかった。硬貨がたくさん入っている感じもあって、ジッパーを開けてみるとお札も千円とかだけじゃなく一万円札もわりとあったので、これは落としたら大変だなってすぐにレジに持っていって店員に渡した。
なんとなく一日一善ではないけど、こういう時にはちゃんとするというか、簡単なことはやるようにしている。エレベーターに入ろうとしているベビーカーを押しているお母さんがいて、閉まりそうになったら手を出して閉まりそうなドアを止めるとか、ハンカチを落とした人がいたら渡したりとか、簡単なことをするだけでちょっと気分がいい。もしやらなかったらあとから「なんでやらなかったんだろう?」と思う可能性があるからそれをなくしたいって気持ちなのかもしれないけど。


店内を見たけど欲しいものはなく、そのまま三軒茶屋の駅前まで歩いて帰る。西友で昼ごはんというか晩御飯を買おうと思ったんだけど、ついでにキャロットタワー内のTSUTAYA三軒茶屋店に寄ってみたらあだち充著『MIX』21巻が出ていたので忘れないように持ち帰った。
主人公でありピッチャーの投馬には悲しい出来事が起きたあとの春の甲子園大会予選、そこでも彼にある不運が襲ってしまう。そこで重要な役割をするのが『タッチ』でも賢者的な存在で上杉達也の背中を押した原田正平だった。そして、投馬の代わりにピッチャーとして試合のグランドに立つことになるのが、いつもは彼の球を受けてきた走一郎だった。親同士の再婚で兄弟になった同じ日生まれの投馬と走一郎の兄弟バッテリー、投馬の怪我が治るまで走一郎たちチームメンバーは勝ち続けることができるのか、という内容になっていた。これを読むとなんだろう、あと4年ぐらいは連載続くんじゃないかなって気もしなくもないんだけど、今作も『タッチ』同様に甲子園出場が大きなゴールになっているはずだけど、どこをピークに持ってくるのか、今はまだ正直地区大会だけではないような気がする。

 

9月13日
起きてから作業はせずに本を読んでいたら、リモートワークの時間になったので作業を開始。朝は早く起きてもっと本を読んだり、作業をできるだけしようと思っているけど、今日はそこまで時間がとれなかった。
リモートでの作業は終わった作業の確認待ちだったりしてわりと余裕があったのでありがたかった。

健康は意識するけどストレスは溜めない。窪塚洋介・腸活ロングインタビュー | Tarzan Web(ターザンウェブ) 

知人の中野慧さんが窪塚洋介さんにインタビューしていた。おおぅ、すげえうらやましいと思った記事。腸活の話やプチ断食や16時間ファスティングなんかの話がメイン。まあ『ターザン』だから体に関することになるけど、最後に出演している映画の話題が申し訳程度出ている。宣伝のためのインタビューなんだけど、もう最後の宣伝しなくてもいいんじゃないかなって思ってしまうほど、腸活とかの話が充実していた。

佐久間さんがラジオで言っていた「死ぬほど忙しいのに出てくれた」というのは川島さんなんだろうなって思った。千鳥と笑い飯(西田)と麒麟(川島)という盟友の三組が最前線にいる感じがすごい。今みたいなスポーツみたいになる前のヒヤヒヤする緊張感のあった「M-1」で頭角を現した人たちでもある。
前回もドラマパートですごいお金がかかっていたけど、おそらく続編はもっとかけられていると思うのでそこもたのしみ。
「越境論」的に考えれば、テレ東という日テレやフジテレビに落ちた人たち、「テレ東第一希望なんて誰もいねえよ!」と花火中継の同時配信YouTubeで佐久間さんが言っていたように、中心にいなかった人たちや組織が上位のテレビ局が落ちぶれてくる、求心力を失ってくる、組織が膠着して新しい才能が出にくくなる、など『平家物語』のように盛者必衰はいつの時代にも起きて、端っこにいた人が一気に中心に向かって昇っていく。その一人が佐久間さんになっている。もちろん、テレ東の社長がOKを出して局員時代から「オールナイトニッポン0」のレギュラーになったこともデカいし、ずっとやってきた『ゴッドタン』をはじめ『あちこちオードリー』も視聴者のファン層が購買欲のある世代にもなっている。
おぎやはぎ劇団ひとりバナナマンの世代、オードリーの世代がファン層の軸にはいると思うけど、団塊ジュニアからロスジェネ末期ぐらいまでというのがたぶん強い。そこはどうしてもダウンタウンの呪縛と祝福をもろに受けた世代であり、同時にある時期からダウンタウンや非吉本的なものも受け入れている笑い好きが多いと思う。
また、佐久間さんが映画やドラマや舞台をちゃんと見て今のカルチャーも知っているから、そこでの信頼もある。ちゃんと今の作品となぜそれが受けているかがわかっているのもデカいと思う。
元々「東京サンシャインボーイズ」が好きで三谷幸喜の舞台とかをちゃんと観たいから上京して、留年するぐらいに舞台を観に行きまくっていたり、忙しくなっても今だにちゃんと舞台や映画を観に行っているから時代の空気感とか肌感がわかるということにつながっている気がしている。僕はちゃんと舞台や映画館に足を運ぶ人は信用している。

リモートワークが終わってから、昨日提出したライティングの修正案が編集さんから来たのでそれに関しての作業をした。やり方がちょっとわからなくなることがあるので、指摘であったり修正について早めに伝えてもらえるとありがたい。今回提出分は全部修正できたので提出。あとは最終確認を待って問題なければ来週からは次のポイントへ。

 

9月14日
起きてからなにげなくX、やっぱりXって気恥ずかしい。旧Twitterを見ていたら、月末に出る予定の大塚英志著『多重人格探偵サイコ 試作品神話』の装幀が出ていた。

ゼロ年代初頭に『月刊ニュータイプ』を手にとって唯一読んでいた連載(未刊行)がKADOKAWAではなく星海社で書籍化。物語の登場人物が「第四の壁」を越えて読者にイラク戦争について語りかけてきたり、笹山というキャラを使って大塚さんがアジテートしてた小説だった。

朝活的にちょっと読書をしてから、明日ミーティングする時に自分の案を出さないといけないのでそれについて前にメモしていたものから考えて書き出していきながら、ニコニコチャンネルのビュロー菊地の『大恐慌へのラジオデイズ』と『ヨネダ2000のオールナイトニッポンX』を聴いた。おもったよりヨネダ2000が僕にはハマらなかった。そのまま作業をしつつ、お楽しみだった『神田伯山のオールナイトニッポン』へ。

神田伯山のオールナイトニッポン | ニッポン放送 | 2023/09/13/水 25:00-27:00

TBSラジオ『問わず語りの神田伯山』にも毎回いる笑い屋シゲフジさんも「オールナイトニッポン」に来て、最初からずっと笑ってる。『問わず語りの神田伯山』を聴いてなくても大丈夫、楽しめる。ただ、笑い屋シゲフジさんの笑い声がダメな人もいるかもだけど、我慢して慣れてくるから。
いやあ、間違いないね。冒頭からずっとおもしろい。声の音量も一番デカいし、TBSラジオの話もしまくるし最高すぎた。


16時過ぎにニコラに行ってアイスコーヒーを飲んだ。そういえば来週月曜日は勤労感謝の日で祝日だから、明日の金曜日ぐらいからお店も忙しくなるかなって思っていたが今日も開店して一時間も経っていないのにそこそこ混んでいた。
一時間もしないうちもお会計をして店を出て、そのまま歩いて三宿を通って池尻大橋から渋谷方面に向かった。


I's pre.「The world is xxxx except for loving you」@ WWWX

90年代の終りかけ、「渋谷系」に対して自ら「新宿系」を名乗った少女は『Mステ』出演時に小さな王冠をつけて『ここでキスして。』をかき鳴らした。椎名林檎は空っぽ(ある種思想がないように僕には見えている)でコスプレをする度に都度都度で時代が求めるものをインストールしていった。だから彼女はアイコンとなりカリスマになった。彼女はやがて「東急事変」というバンドを組み、ソロとバンドでインストールするものを微妙に変えながら椎名林檎というブランドを圧倒的なものにした。
『ちゅ、多様性。』は元相対性理論メンバーが手掛けた踊れるポップソングであり、こちらの方向性は白「あの」で、バンド「I's」は黒「あの」と言えるかもしれない。なんだか「I's」のライブが始まって脳裏に浮かんだのが椎名林檎と「東京事変」のことだった。
「I's」はこの20年ぐらいのメンヘラ、ゴスロリ、地雷系、地下アイドル、マキシマム ザ ホルモン系のラウドロック銀杏BOYZ系の青春パンクロックやクリープハイプ系のエモロックが集結して混ざりあっているみたいだった。あの自体がそれらの破片や要素を持ちえているからこそ、客層の年齢層もバラバラだし、男女比もあまり変わらないものとなっていた。
ライブはモッシュとダイブの嵐になっていた。ダイブしてる奴らを久しぶりに観て、すげえ嬉しくなって笑っちゃった。僕はDragon Ashの『ファンタジスタ』『Canvas』『百合の咲く場所で』でしかダイブしないと決めてるから、この先一生ダイブすることはない。ある時期にフェスでダイブが禁止になって、サークルモッシュをする連中が増えて僕は冷めた。あんなもんは音楽をBGMにして自分たちが主役だと言わんばかりで、ステージに背を向けて円を作って回って中心でぶつかり合う、自分のことしか関心がないんだなって思って気持ち悪かった。それでフェスには行かなくなった。
あのちゃん自身がライブ中に五、六回ぐらいは客席にダイブしていたのもあるんだけど、女性もたくさんダイブしてた。ロリータファッションに身を包んだ女の子がダイブしていたけど、それも新鮮だった。
もうすげえよかった。お行儀良くなくてもう衝動があって飛び跳ねている。そういうものが誰かの明日を、クソみたいな日々を生き抜く力になることは知っている。僕もそういう日々があった。
個人の中では抱えれないものをなんとか抱えようとするか、あるいは手放すか、そんなどうしようもない感情の発露を一瞬だけ、刹那という永遠に放出するような音だった。

I's 「永遠衝動」MUSIC VIDEO

 

9月15日
目が覚めてから横になりながらTVerで『あのちゃんの電電電波』を見た。ゲストはCHAIで彼女たち四人とあのちゃんのトークはコンプレックスについての話だったが、今まで一番あのちゃんがゲストに近いものがあったのか嫌悪感や合わないという空気を全く出していなかった。
CHAIは ZAZEN BO YSとのコラボをして、対バンをした時に一度ライブで観ているけど、「NEOかわいい」というキャッチコピーと共にポップでカラフルな肯定感とポジティブさを鳴らしていて、音楽的にも海外で評価されているのも納得なリズムだった印象がある。

リモートワーク開始前に先週やったオンラインミーティングの2回目をした。僕から出した三つの案というか簡単なあらすじを読んだ編集者さんに「『ジョゼと虎と魚たち』ぽく、あと物語自体が二時間ぐらいで終わる映画のような、しっとりしたもので普通の人があまりいない」という感想をもらった。
僕は元々映画『ジョゼと虎と魚たち』がすごく好きで、旧PARCO渋谷にあったシネクイントで鑑賞しているし、渡辺あや脚本をここから知ってその後もずっと観ている好きな脚本家になった。渡辺さんを輩出したのは岩井俊二監督が主宰していた「しな丼」で名前が「プレイワークス」に変わってから、僕も応募して一時「プレイワークス」でシナリオを開発していた。おまけに今日の夜は渋谷ロフト前の旧シネパレスに移転したシネクイントで渡辺あやさんが共同脚本で参加している須藤蓮監督『ABYSS アビス』を観にいくつもりでチケットを取っていた。なんだか、原点回帰ではないけど出した案はこのままでは使えないのだけど渡辺あやさんぽさがあるのであれば、そっちに振り切った形で僕の作品として個人的に書いてみようかなと思った。こういうのはタイミングでパンっと出会い頭というか、来たって自分が感じる時に始めるのがよさそう。

リモートワークを開始して、そこでも週一のオンラインミーティングをした。昼過ぎて2時前に家を出ておかずを買いに外に出たら、空が灰色すぎる灰色に覆われていて惣菜を買ってお店を出たらゲリラ豪雨ぐらいに降り出していた。家まで数分だったから諦めて歩いたら驚くほど早く全身がびしょ濡れになった。リモートワーク前に干していた洗濯物は全滅していた。


リモートワークが終わってから外へ。池尻大橋に出る緑道にこの間もいたアオサギが佇んでいた。これだけ頻繁にいるということは、この辺りの草むらとかに巣とか卵があるのかもしれない。スマホを構えても微動だにしないし、人間には慣れている感じがする。
仕事中に一度聴いていた『ランジャタイのオールナイトニッポンX』を聴きながら渋谷へ。ランジャタイは普通にトークもおもしろいし、エピソードも強いものが多い。最後の方はダウンタウンの浜田さんの曲からのサンプリングというか、国崎が言ったあとにいろんな曲のワンフレーズを使っていくというMAXふざけまくっているような感じになって、おもしろすぎた。
その後の『ナインティナインのオールナイトニッポン』冒頭にもランジャタイが出ていて、けっこうグチャグチャな感じの絡みも楽しめた。『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』は野田が作っているゲームについての発表が「ニンテンドウダイレクト」のリークをしたんじゃないかという疑惑をもたれてしまったことについて話していて、世の中にはいろんなことが起きてるんだなって思った。しかし、物事のタイミングが何の因果か噛み合ってしまうとこういう「野田リーク」と呼ばれるような炎上案件になる。本人が否定しても、擁護側とリークをしたという燃やしたい側がくだらないやりとりをSNSで展開していくと、本人が本当のことを言っても「野田リーク」の方を見て、やりとりや釈明を見ないとそれがその人には真実になってしまって、そのままとなる。火に油を注ぐ、焼け石に水状態になったら、もう火の勢いが弱まるのを待つ以外はない。


雨も止んでいる金曜日の渋谷はコロナ第9波が来ていると聞くけど、コロナ以前みたいな街の感じになっている。そりゃあ、そうだわなと思いつつも賑やかな繁華街というものがあるから人もお金も動くし経済が成り立っている。ずっと遊べなかった分の反動があるのは仕方ないけど、前よりも気持ち治安が悪くなっている気がするんだが。
本日から公開の須藤蓮主演・脚本・監督『ABYSS アビス』をシネクイントの19時台で鑑賞。渡辺あやさんとの共同脚本であり、前作『逆光』は観損ねているのでこのコンビでの映画作品を観るのは初めて。

「逆光」で監督デビューを果たした若手俳優・須藤蓮が、同作に続いて「ジョゼと虎と魚たち」などの脚本家・渡辺あやとタッグを組み、ある青年が死んだ兄の元恋人への恋心に沈んでいく姿を鮮やかな映像美で描いたラブストーリー。

渋谷のバーやモデルのアルバイトをしながら暮らしている23歳の青年ケイのもとに、行方不明になっていた兄ユウタが故郷の海で自殺したとの知らせが届く。ユウタの葬儀でただひとり泣き続ける女ルミと出会ったケイは、ユウタに乱暴され激しい憎悪を抱きながらも交際していた彼女に強くひかれる。やがて渋谷でルミと再会したケイは彼女への思いをさらに強めていくが、ある時、ルミの全てを知る。

須藤がケイ役で自ら主演を務め、「私の知らないあなたについて」の佐々木ありさがヒロインのルミを演じた。(映画.comより)

主人公のケイやヒロインのルミが働いている場所が円山町のラブホやクラブ地域なので、正直馴染みのある場所だったので、知っているところばっかり出てくるなと思った。冒頭から出てくるクラブのネバーランドはよく前を通るし、映画観たあとも通ったけどクラブには行かないので、こういう感じになってんだなって勉強になった。
父親違いの兄が亡くなって葬式に出たケイが兄と付き合っていたルミと出会う。渋谷で再会した二人の物語になっていく。煙草を吸うシーンが多く、二人が渋谷で再開する時にも喫煙所から始まるなど、終始喫煙シーンがあった。それは若者のリアルだし、確かに芸能系やファッション系だったり、夜遊んでいる子は紙タバコを吸っている人が多い印象がある。アイコスとかは中年以上なイメージがある。
ケイの友達でもあるソープの呼び込みをやっている高橋を演じている浦山佳樹さんは『福田村事件』で行商団のひとりで印象に残っている役者さんだったが、ここでもいい味を出していた。
気持ち純文学っぽい感じはあって、渋谷が物語の舞台のメインだけど故郷の海にとらわれているし、そこが大事な場所になっている。最近だと浅野いにお原作映画『うみべの女の子』であったり、甫木元空監督『はだかのゆめ』は四万十川が舞台となっていて青山真治監督の遺伝子を引き継いでいたが、今作は土着的な要素はほぼない。
ケイとルミが共通するユウタの死から結びつき、お互いの存在がその喪失を共有してゆっくりと癒されていく、同時に傷ついていくというものになっていた。終わり方の感じも嫌なリアリティがあって腑に落ちた。
兄が死んだであろう海に二人が行ったあとに、抱き合った二人が水の中にいるイメージシーンが終盤にあるんだけど、なんていうか大きな深度のあるプールで撮影するの大変だったろうなって思ってしまった。なんか映画とかでよくある水の中に浮かんでいるみたいなシーンってなんで撮りたいんだろ、観てる側ってそこまで求めてない気がするんだけど。クラブでの低音効いた音と光の洪水みたいなものとの対比に真っ暗な海とか水の中の音のないシーンがあるのかなって思う。ケイかルミに感情移入できていれば、より自分の中に染み込んできたりするんだろうけど、僕はどちらにも特に感情移入できなかった。もうちょっと短くてもいいような気がして、最後の方はまだ終わらないの?って思ったのはたぶん僕がそこまで物語に入れていなかったのと登場人物の気持ちと同化できなかったからなのだろう。思ったより渡辺あやさんぽさが感じられなかった気がしたが、前作『逆光』を観ていないから須藤&渡辺タッグはこういう路線なのかわからない。

終わってから映画館を出て、歩いて映画に出てきた円山町の坂道を上っていくとこれから遊ぼうという人たちがたくさんいて、夜はまだまだこれからなんだなってネバーランドの前のセキュリティスタッフがムキムキなのを見ながら思った。まあ、月曜日が祝日な三連休だから金曜の夜は思いっきり遊べばいい。そんな早朝の景色は映画に出てきたような、路上で寝ているやつやゲロが吐瀉されたりしている、いつもの円山町の朝なんだろう。

今回はこの曲でおわかれです。
The Ravens/ 「Nimby」 Music Video