Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年12月1日〜2023年12月15日)

11月下旬の日記(2023年11月16日から11月30日分)


12月1日
日付が変わって、寝る前にはてなダイアリーとnoteの日記を更新した。
起きてからちょっと読書してからリモートワークを開始。でも、夕方から映画に行こうと思っていたので15時半には早上がりさせてもらった。仕事も溜まっていなかったので問題なかった。歩いて渋谷まで行くと師走に入った金曜日の街は賑わっていて、人手が多いのもあってなんだか暖かく感じられた。
シネクイントでリドリー・スコット監督×ホアキン・フェニックス主演『ナポレオン』を鑑賞。公開初日ということもあって、お客さんは平日の夕方にしては入っていたように思う。

グラディエーター」の巨匠リドリー・スコット監督が「ジョーカー」のホアキン・フェニックスを主演に迎え、フランスの英雄ナポレオン・ボナパルトの人物像を新解釈で描いた歴史スペクタクル。

18世紀末、革命の混乱に揺れるフランス。若き軍人ナポレオンは目覚ましい活躍を見せ、軍の総司令官に任命される。ナポレオンは夫を亡くした女性ジョゼフィーヌと恋に落ち結婚するが、ナポレオンの溺愛ぶりとは裏腹に奔放なジョゼフィーヌは他の男とも関係を持ち、いつしか夫婦関係は奇妙にねじ曲がっていく。その一方で英雄としてのナポレオンは快進撃を続け、クーデターを成功させて第一統領に就任、そしてついにフランス帝国の皇帝にまで上り詰める。政治家・軍人のトップに立ったナポレオンと、皇后となり優雅な生活を送るジョゼフィーヌだったが、2人の心は満たされないままだった。やがてナポレオンは戦争にのめり込み、凄惨な侵略と征服を繰り返すようになる。

ジョゼフィーヌ役に「ミッション:インポッシブル」シリーズのバネッサ・カービー。「ゲティ家の身代金」でもスコット監督と組んだデビッド・スカルパが脚本を手がけた。(映画.comより)

期待が高かったこともあるんだが、戦場シーンが長かくてかったるいなと思ってしまった。ナポレオンとその妻となるジョゼフィーヌとの関係がメインにはなっていた。やがて皇帝へとなったナポレオンは子宝に恵まれず、他の女性との間には子供ができたことでジョゼフィーヌが妊娠しない体ということで離婚することになる。フランスという国を統治している皇帝だから、世継ぎが生まれないといけない、という理由からだった。その後も二人の関係は友人として続くが、ナポレオンが愛し続けたのは彼女だったというもの。
結局のところ、玉座を守るために愛する女性との関係を切るという行為はその位や財産などを持っている立場になってしまうとよくある定番ネタみたいに描かれてきたものだし、実際のところ昔は当たり前のようにあったと思うけど、今作のナポレオンは彼女と離婚してから一気に落ちていくように見えるように描いている。
ナポレオンはフランスや皇帝という玉座を自分の血族で繋げていきたいと思わなければ、子宝には恵まれなくても愛する女性と添い遂げられたのだろうなと思わせられる。戦争や権力というものに固執する男性の愚かさを体現した一人の男としてのナポレオンの物語だった。だから、男の愚かさをナポレオンが体現しているということかもしれない。
三時間近くある上映時間は長く感じたし、北野武監督『首』同様に歴史上の人物を新しい解釈で描いたという部分は共通しているが、どちらも僕には響かなかった。なにか物足りないという印象だけが残った。


帰ってから絲山秋子著『神と黒蟹見』を読み始めた。連作短編集のひとつめだけを読んでみた。「黒蟹県」という架空の県を舞台に描いているし、主人公のこの県に転勤してきた人物の仕事は何かの営業なんだけど、その売っているものもなんか架空のものっぽくて、どこからどこまでが架空のなにかなのか?がわからなくなるけど、不思議と違和感がなくなっていく。
たぶん、自分がニヤニヤしながら読んでいるんだろうなと思いながら進めていった。やっぱり絲山作品だから車を運転するシーンが出てきたのもうれしい。


今月あとスクリーンで観たいのは『市子』『VORTEX ヴォルテックス』『PERFECT DAYS』『ファースト・カウ』『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』ぐらい。
『ナポレオン』がいまいちだったので、ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』が最後になるかなと思うんだけど、期待している。22日公開は他にも『ファースト・カウ』『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』があって、どちらもA24作品なので、このどちらかでもいい、最後はいい作品で締めくくりたい。

 

12月2日
今日見た夢はなぜか星野源さんが出てきて、一緒になにか作業なのか企画をやるというものだった。どんな内容かはわからなかったが、そこまで緊張せずに星野さんとなにかを話していた気がする。有名人が出てくる夢というのはまったく見ないわけではないが、最近見た夢ではなかったので新鮮。

星野源 - 地獄でなぜ悪い (Live at Nippon Budokan 2015) 


一度だけ水道橋博士さんプロデュースで園子温監督芸人デビューイベントが行われた時の打ち上げに行った際に星野さんがいらしたが、まったく違う席だったのでお話はできなかった。
星野さんが出演している『地獄でなぜ悪い』の冒頭辺りの暴力団同士の戦いシーンにはエキストラで出ているので、同じ作品に出ているとは言えなくもない。
星野源オールナイトニッポン』は毎週聴いているけど、夢に出てくるのはちょっと不思議。


起きてから散歩がてら家を出て代官山蔦屋まで散歩。いつも通りな感じで土曜日の朝は『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら歩く。先週は小宮さんが急遽お休みだったが、今週は復活。同窓会に行った時の話はおもしろかった。昔、同級生の女の子たちに半年間無視されたことの詳細とかやっぱり笑ってしまった。

三四郎オールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2023/12/01/金 27:00-29:00 


再来週のスペシャルウィークゲストも発表になって、師走恒例の珍味回にしかならないなかやまきんに君だった。なかやまきんに君ゲスト回はYouTubeに転がっているので聴いて笑っちゃう人はこの珍味大好物になるに違いない。

 戦争と戦後というテーマは、この2作の主人公がそれぞれに「特攻隊」の生き残りであることによって導入される。『ゴジラ-1.0』の敷島は零戦の特攻隊員、『鬼太郎誕生』の水木は陸軍兵士で決死攻撃を命じられ、生き残る。

『鬼太郎誕生』は、原作(『墓場鬼太郎』)にはない水木の戦争経験という改変を行うことによって、むしろ、南方戦線で決死隊に所属し、左腕を失いながら生き残った作者水木しげるの経験に寄り添うものになっている。この2作品においては、特攻隊/決死隊のトラウマをいかに乗り越えるかという物語と、日本の「戦後」をどう乗り越えるかという物語が重ね合わされている。

 しかし、この共通点にもかかわらず、この2作品の「戦後の乗り越え方」は正反対であるように私には思われる。

ゴジラ-1.0』について、私はこちらの記事で書いたが、この作品が「民間のプロジェクト」を強調したのは、この作品が持つ「日本再興」というナショナリズム的な衝動が、再軍備化的な回路(つまり敷島の特攻死の再演)で表現されてしまっては、グローバル市場で売り込むにはあまりにも陰惨なものになるからだと考えた。つまり、この作品の「民間」は口実であり、底に流れる衝動は日本の再軍備化である(それが言い過ぎなら、権威主義的な国家である)。

 興味深いことに、『鬼太郎誕生』もまた「民間」の物語である。だが、この「民間」の意味は『ゴジラ-1.0』とは正反対である。舞台となる哭倉村を支配するのは龍賀一族であり、一族は財界を支配し、龍賀製薬を経営している。

 だが、そこで強調されるのは、国家や官僚的なものと対立関係におかれる「民間」ではない。そうではなくまったく逆に、強調されるのは、戦時国家の権力と戦後の「民間=資本」の権力の連続性だ。
 そのことは、物語の核となる薬品「M」によって表現される。Mは摂取した人間が数日間不眠不休で働けるようになる薬剤だ。それが日清戦争後の戦争で使用されることで、龍賀製薬はあれほどの権力を握ったらしい。そして劇中では、戦後の経済成長にMが役立っていくだろうという見通しが語られる。

 つまり、Mが暴いてみせるのは、戦時中の軍事国家権力と、戦後の「民間」資本権力が地続きであるということだ。そしてそれらが地続きである歴史がいかにして抹消されるかということだ。(私はこの作品を見ながら、旧日本軍による人体実験とその歴史の否認を想起せざるを得なかった。)

 そして、地続きの権力に虐げられ、その存在が抹消・忘却される人びとも、また地続きで同じ人びとだ。水木しげるが発明した「幽霊族」が表現するのは、そのような人びとの歴史的な存在なのだ。

どちらも“特攻隊”の生き残りが主人公だが…『ゴジラ-1.0』に感動した人が『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』もすぐに観るべき理由

何冊か著作を読んでいる河野真太郎さんが『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』について書かれているものを読んだ。どちらの主人公も戦争のために命を捨てろと言われ、死ななかった(死ねなかった)二人であり、彼らは何かを損なったまま戦後を生きていた。
たぶん、2023年を語るカルチャーとして『ゴジラ-1.0』と『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は代表格になると思うし、2011年は東日本大震災と『魔法少女まどか☆マギカ』が結び付けられたように、これらはガザ侵攻と結び付けられるんだと思う。

田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 3』がカドカワストアから届いた。あとはラストの「4」だ。
コミックス13巻「Daydream Believers」からコミックス18巻「Evilspeak」までを収録。2012年発売 17巻(弖虎VS全一の京都決戦)刊行時にTSUTAYA渋谷店のサイン会で田島さんに初めてサインもらっていたのをペラペラとめくっていて確認した。
TSUTAYA渋谷店のサイン会は最終巻まであるものには全部行ったのもあって、『水道橋博士のメルマ旬報』の僕の連載でイラストを描いてもらえませんかとお願いして、実際に描いていただいたりしたのも、そこから始まっていた。

 

12月3日

午前中に作業をしながら、その作業に関するミーティングをしてから家を出た。渋谷PARCOでHATRAの物理店舗「LIMINALITY STORE」がオープンしていて、この日が最終日の12月3日だったので寄ってみた。
デニムグラフィックなどでもHATRAと関わりの深いAlbatro Design謹製の活版印刷カードダスが目当てだった。カードダスは博物標本シリーズとジオメトリーシリーズのふたつが展開。店員さんに言って千円分百円玉に変えてもらって、一回200円を五回やってみた。ロブスターとクマノミの博物標本シリーズのほうは型押しで後ろ側にも形が出ているものとなっていた。ひとつの図柄でもカラータイプや白地や黒字など何種類もあるみたいだった。
菊地成孔さんのバンド「ラディカルな意志のスタイルズ」のユニフォームを作っていて、TシャツやパーカーなどもHATRAが手がけていて、ブランドの正規の服は買ったことはないが、バンドTシャツやパーカーは買っているので、実物も見れてよかった。

友人であり、元上司でもある有田さんから連絡をもらって、イベントの手伝いかなと思ったら出てと言われたので、登壇することになりました。
「ありまよとアオヤギの給料日ラジオ📻 23年下半期よかったものSP」の映画とドラマパートのとこでちょっと出ます。
トークイベントも今までたくさん足を運んだけど、出る側ではなかったのでロフト9に登壇することはこの先もないだろうし、記念にという気持ちもあったりします。しかし、下半期で何を選ぶか迷い中。



今年いろいろとコントライブを一緒に観に行ったノンと渋谷駅前で待ち合わせしてからユーロライブへ。ラブレターズ単独コントライブ「38」最終日を鑑賞。
一番下の写真は大きな実物サイズのぬいぐるみなのか、剥製なのかわからないけど、「キングオブコント2023」でラブレターズがやったネタで出てきたシベリアンハスキー
今回の一発目の掴みのネタは「キングオブコント2023」で披露したコントの反対側、結婚の挨拶に来た男に対応するお母さんが隣の部屋がうるさいから壁を何度も叩く、シベリアンハスキーも鳴くというものだったが、その壁を叩かれていた隣の部屋の男のネタだった。掴みとしては非常に面白かった。
コントが終わって次に行く時のBGMがgroup_inouの『Maybe』だったのはちょっとテンションがあがった。
父親とその兄の叔父が息子の演劇の舞台を観に行ったコントは、弟から「おもしろくなかった」という言葉を引き出そうとする兄のやりとりで、これは性格が悪いなって思えるけど笑えた。このコントを作っていたのはダウ90000の蓮見さんだと最後の挨拶の時に言われて納得してしまった。
全体的に最後の方に行くにつれて、僕はそこまで笑いが連発するということはなくなっていった。単独ライブでずっとファンの人が大半だろうから大きな笑い声はずっと聞こえていた。だけど、その差異みたいなものも僕には次第にノイズみたいな感じで、そこまでだかなって思ったのがたぶん響いた。
終わってからノンと昼間からだが飲もうということになって、探したがちょうどよさそうなものがなくて、結局PARCO渋谷の地下一階にあるドイツビールのお店に行った。飲んで食べて話していたら21時ぐらいになっていた。今年のコント納め終了。

 

12月4日
早起きをしてみようと5時に目覚ましをかけて一旦起きてみたものの、軽く酔いも残っていて頭が回りそうにないので可燃ごみだけ出してきて、7時までまた寝た。
12月から3月までのライティング仕事のスケジュールや自分の応募するものを書く時間を再考してみたが、やっぱり早起きして書く時間を作っておいたほうが余裕もあっていいし、習慣化できればいいなと思ったのだが。さすがに飲んだ翌日からスタートは難しい。
いつもの時間からリモートワークを開始。起きてからすぐに湯船に浸かったりしたのもあって、酔いはすっかり抜けていつも変わらない感じで作業ができた。5時に起きた時に朝風呂に入ればよかった。
気がついたら今年会社に行ったのが二回ぐらいしかなくて、このまま今月も行く予定はないので、コロナパンデミックが終わったみたいな感じになっているが、僕としては出社しなくていいのは助かっている。
混み合う時間の半蔵門線にはやっぱり乗りたくないし、行き来の時間がどうしても今のリモートになれているともったいなく感じてしまう。そもそもコロナ期間に会社もレイアウト変更したりしているので、みんなが出社したら席が足りないということになってしまっているので、出社しろとは言われないのできっとこのままだろう。


休憩時間の時に駅前のTSUTAYA三軒茶屋店に行った。山本貴光著『文学のエコロジー』は前から気になっていたので買うつもりだったけど、入り口のコミックの新刊を見ていたら『怪獣8号』最新刊の11巻が出ていたので一緒に購入。
漫画は時間がそこまでかからないが、批評系の文章は時間がかかる。小説とかを何冊か併読して読んでいるので、それらの山が崩れたら次に組み込んで読む感じかな、来年辺りになりそうな。


仕事が終わってからニコラに行ってシュトーレンとアルヴァーブレンドをいただく。温かいコーヒーが沁みる。シュトーレンもこの時期になったらお店で食べるようになって何年ぐらいだろう、季節のデザートなので習慣にはなってきている。

家に帰る前にオオゼキに寄ったら、店内で流れている有線から懐かしのジ・オーディナリー・ボーイズの曲が流れていた。
家に帰ってから作業を22時までして一旦終了。

 

12月5日
5時に起きれそうにないので一旦6時起きにしてみた。ペットボトルの回収日だったので外に出してから布団に入ったら出たくなくなって、うとうとしてたら寝てしまい、気がついたら7時20分を過ぎていた。
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』8時25分からの上映回のチケットを取っていたのだが、歩いて渋谷まで行ってから副都心線乗るとたぶん間に合わないとわかったので諦めて最寄駅から電車に乗った。満員電車だった。渋谷で乗り換えたら8時前には着いてしまってバルト9がまだ空いていないぐらい余裕ができた。
二週連続バルト9に来るなんて十数年振りな気がする、先週に引き続き火曜日でキネゾーデイでチケ代は1400円とちょっとお得。
家を出てからバルト9に来るまでradikoで聞いていた『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』でもテレビプロデューサーの佐久間さんが絶賛していた(『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』でも触れていたことかな、たぶん)こともあり、伊集院さんも観に行っていてトークで話されていたが高評価だった。
8時半初回でもわりとお客さんいたのがヒットしてる作品だなと感じた。上映回数も増えていると思うし、先週観たシアターよりも大きなシアターだった。
一度観ているので話の展開や伏線がわかっていることによって最後だけでなく、いろいろと泣きそうになるポイントが増えていた。涙もろいので仕方ない。だけど、最後の最後に残ってしまったあの人物のエピソードは一度目でも泣けたけど、今回の方がより沁みてしまった。「忘れないで」と言う言葉の重みがもっと深いところに触れた。
戦前も戦後の復興からも、そして腐敗臭しかない今の社会、ごく一部の富裕層が自分たちの利益のために立場の弱い人たちから奪ってきたことへの警告もあるし、そんな社会の在り方でいいのかという問いも強く含まれている作品だし、家父長制を持続することで損なわれてしまう人の気持ちや願いについての話にもなっている。
目玉おやじのような幽霊族という存在しているけど、人間が見ようとしていないから見えない存在というのはたとえば社会的弱者と呼ばれたり、マイノリティーの立場と重なってくる。彼らはいろんなものを奪われたり、権力によって消されてしまう者たちであり、それを見ようとするのか、見ないままでいるのかということを問いかけてくる。見ようとする意志を持てるのかどうかで社会は変わってくるのだというメッセージでもあり、まさに僕らが生きている現代に起きている事柄のほとんどのことに突き刺さってくる。やっぱ凄い映画だと再確認した。

世界の終わり / THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 


渋谷駅まで電車で戻って家まで歩いて帰っている途中で、旧TwitterことXでチバユウスケさんが食道がんのため死去したというポストを見てしまった。その場ですぐにこのYouTubeに上がっているTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのラストライブの最後に演奏したこの曲の動画を見た。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのベースであるアベフトシさんが2009年に亡くなった時に当時付き合っていた彼女さんが「アベフトシが亡くなっちゃったよ」と連絡をしてきた。たぶんその頃はまだLINEも始まっていなかったからメールかMIXIのメッセージだったか、とても悲しんでいた。そのことも一緒に思い出した。
影響に関して僕は直接じゃない、でも田島昭宇さんがミッシェルとブランキー大好きだからその影響が『多重人格探偵サイコ』には詰め込まれていた。その影響をずっと受けてきた。だから、今日はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴きながら『多重人格探偵サイコ』を読み返すことにした。なんだか夜から作業するつもりだったけど、なにもしたくなくなってしまった。

 

12月6日
5時半に目覚ましをセットした。一度目が覚めるがやっぱり布団の吸引力、というか出たくなさすぎる。習慣というのはたしか三ヶ月続けないといけないらしい。こんなことなら夏が終わりかけの9月ぐらいから早起きモードにするべきだった。三日坊主にすらならない。諦めて7時半までまた寝た。なんだか最近めっちゃ眠い。
起きてから週一回のミーティングをやった。一時間ほどだけど毎週することで企画は練り上げられてきているし、手応えとまではいかないけど形がかなり見えてきている。
いつもの時間からリモートワークを開始。radikoでラジオを聴きながら作業。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『BEFORE DAWN』『星野源オールナイトニッポン』を。燃え殻さんがDJな『BEFORE DAWN』はスピードワゴンの小沢さんがゲスト回だった。
小沢さんと燃え殻さんが初めて飲んだ時に樋口毅宏さんを小沢さんがサプライズで呼んで、そこから燃え殻さんに小説を書きなよということを言われて、cakesで連載するという流れがあった話をしていた。二人の会話のテンションとテンポが非常に聴きやすかった。水曜日は前日の深夜帯のラジオで好きなものが多いし、TVerでも見たいものがわりとあるので作業BGM的な物には困らない。

 私は、二期スパンクハッピーのみならず、自分が作り出した運動体が、人々を狂わせ、人生を変えてしまう力を自覚しています。それは、「作品が愛されること」には違いはないのですが、愛にもし、質量というものがあるとしたら、二期スパンクハッピーのそれは絶大なものがあり、凡俗な言い方が許されるならば、作り出した私の思惑を遥かに超えて、人々を狂わせ、磔にしたまま、永遠に古びない。という、恐ろしい力が漲っており、時折私は、もう20年も前の作品である楽曲を聴くたびに「ああ、もう、自分は、言いたいことの全てをこの頃、既に言い終わってしまっていたのだ」と、慄然とします。

 この20年以上、厳密には1995年から、つまり、21世紀の助走から現在に至るまで、基本的にカルチャーは変わっていません。20世紀のようには。真綿で首を絞めるように我々を覆う抑鬱感は、その事と関係していますし、二期スパンクハッピーの永遠とも思える命は、そんな新世紀の姿を予見しています。

 私がまだ40代だった頃、巷では渋谷系と小室系が時代を席巻している時代、私はポップミュージックというものが何か?自分がそれをするのだったらどうしようか?という金属のようなアティテュードが、湯水のように沸いていた、奇跡のような季節でした。


<「二期スパンクハッピー」という運動体によって、人生が狂ってしまった全ての皆様へ。そして「なにそれ聴いたことない」という全ての皆様へ>


菊地成孔×岩澤瞳の“第2期”SPANK HAPPY全5作品サブスク解禁、菊地が思いつづった5000文字(動画あり) 


SPANK HAPPY-ANGELIC 


菊地さんが前から言っていた“第2期”SPANK HAPPYのSUN』を解禁が始まった。この時期は菊地さんも書かれているようにご自身が四十代だから今の僕と同じぐらいだろう。
今から20年前の二十代前半の僕は菊地成孔という存在を知らなかったし、SPANK HAPPYすら知らなかった。
上の世代の人と話していると結構好きだったり、ハマっていた人がちょこちょこいる。ODこと小田朋美さんとのFINAL SPANK HAPPYには間に合ったが、第2期に人生を狂わされてしまったり、影響をとことん受けてしまった人にはおそらく物足りない、全く別物だったのだろうということは感じた。

終わってから作業をしながら『あののオールナイトニッポン0』を聴いた。フジテレビで一緒の競馬番組をやっているアナウンサーの佐野瑞樹さんと東京ホテイソンが告知なしのゲストで登場。佐野さんは『めちゃ2イケてるッ!』にも出ていてずっと見てきたし、今だとフジテレビの『オールナイトフジコ』でも見ている。あのちゃんと佐野さんのやりとりはちょっとバラエティもありつつ、どこかドキュメンタリー的な感じもちょっとする。
先週の放送で佐野瑞樹さんとデッカちゃんが似ている、今金髪のあのちゃん、あのちゃんと佐野瑞樹を合体されたらデッカちゃんというトークをしていた流れもあるんだろうな。そういう展開を翌週に続けてもってこれるのもすごい。なんか波に乗っている感じだ。
来週には彼女のあの名義のアルバム『猫猫吐吐』が発売になる。今年からのラジオで十二分に楽しませてもらっているのでアルバムは予約している。
バンドのI’sしかライブは観ていないけど、この人の切実さというか自分と社会や他人との間に生まれる齟齬や不理解や不寛容へ怒りを向けて、納得したくないという揺るぎなさはパンクロッカーのそれだと思うし、他の人が憧れるような光と闇のどちらも深いなと感じている。

 

12月7日
寝る前に古川日出男著『の、すべて』単行本を読んでいたせいか、夢に政治家が出てきた。いつも通り内容は覚えていないが、どうやら政治家らしい人と一緒にいるという状況だった。でも、起きてから僕がその人物(男性)を政治家だと思えたということは、忘れてはいるが一緒にいた場所や言葉遣いなんかでそう思わせたということなのだろう。
夢日記は目が覚めてすぐに、一分以内ぐらいには書き始めないとすぐに消える。手ですくった砂がどんどんこぼれ落ちていくのと近い。
今回は目覚めてから、変な夢だなと思って続きが見れないかなとすぐに二度寝したせいでより夢の輪郭があやふやになったというのが原人だとは思うのだけど。

 私がこの連載で、そして「庭プロジェクト」で提案するのはいま後退しつつある人間が孤独に世界に触れられる回路をつくることだ。プラットフォーム上に乱立する(速い)共同体から、実空間の(遅い)共同体に撤退するだけではなく、個人が個人でいられる場所を、個人が事物とコミュニケーションを取る回路を回復することなのだ。それは共同体の一員として承認されなくても、その場所に関与できることと同義なのだ。
『群像』2024年1月号掲載 宇野常寛連載『庭の話』P219より

目が覚めてから『の、すべて』を読み進めてから、買い物に出た。スーパーに寄ったりしてから書店に寄ったら『群像』最新号が出ていたので購入。
宇野さんの『庭の話』最終回も掲載されているし、野間文芸賞を受賞された川上弘美さんと最初の担当編集者である宮田毱栄さんとの特別対談があったり、阿部和重さんの新連載『Wet Affairs Laeking』や東浩紀さんのロングインタビューもあった。

宇野さんの連載最終回を読んでから、残りわずかになった『の、すべて』の第4楽章である最終章の最後の部分を読み始めた。連載で最初から最後まで読んでいたので筋はわかっているもの、改めて一冊として読んでみるとそのボリュームにも圧倒されるし、恋愛と政治と宗教とテロについて書かれたこの作品は非常に現在の、今の状況を彷彿させるものだなと感じるところが増えていた。シンクロしているように感じた。
政権与党である自民党、岸田内閣の裏金疑惑は普通に考えればもう彼らは終わりだ。自民党もさすがに次の選挙ではどうにもならないと思う、ほかにいないという人だってそれでも自民党に投票するかというとしないと思う。それでもするのは思考停止か彼ら同様にその利権や何か美味しい思いをしている人たちなのだろう。
第二次安倍政権になってからはあからさまに三権分立を踏みにじって、自分たちの意のままにしてきたんだから、しっぺ返しというか過去に復讐されるに決まってる。
あの無駄な国葬とかも顧みてもらって、税金二重取りなインボイスもやめてもらって、世襲議員も仕組みを変えて続けてはできなくして、解党してもらえたらいいかなと個人的には思う。となれば、次の選挙はかなりの大局になる可能性が高く、『の、すべて』はスサノオ知事と呼ばれていた都知事時代にテロに遭った主人公の大澤光延が新党を立ち上げて、というクライマックスになっていく。こういうカリスマ的な人が出てきたら自民党への恨みつらみ、統一教会問題なども含めて、盤石だった自民党がひっくり返る可能性がある。その部分とのシンクロを感じながら読み終えた。だけど、そんな政治家は今いない。それが日本の悲劇でもある。だけど、カリスマを求めないほうがいいことも小泉政権の時の弊害を考えればわかることでもある。
今日は木曜日だから基本的には休みにしているので作業もしないまま、家を出た。


ジュンク堂書店池袋本店で開催された古川日出男×角田光代 古川日出男デビュー25周年記念トークイベント「古典から、私たちの物語へ」に行ってきた。90分お二人がしっかり『源氏物語』と『平家物語』、小説家としての言葉と物語へ向き合い方などを話をされていた。真逆なタイプだからこそ深い話になったのかもしれない。
『女たち三百人の裏切りの書』単行本刊行のときは新潮社のラカグで江國香織さんと古川さんのトークがあった。お二人とも憑依型というのもあるんだけど、江國さんと古川さんめちゃくちゃ資質というか作家としてのタイプ似ているのがわかった。インプットとか考え方とか、アウトプットされる物語の表面だけを見ているとそれはわからない。
角田さんが古川さんと真逆というのが今回はよくわかる組み合わせだった。『源氏物語』を訳してからの角田さんの小説への向き合い方も聞けてよかった。角田さんは今までは注文があって連載をしてきたけど、もうそれも今やっているゲラが終わってからあとのものは全部断ったと言われていた。『源氏物語』を現代語訳してから小説の書き方がわからなくなって書けなくなっていたとずっと思い込んでいたけど、そうじゃなかった。書きたいものだけを書きたいということに気づいたと話されていた。今後角田さんが書かれる作品はたぶん今までとは違うものになるはずだし、どのくらい先になるかわからないけどその小説はすごく読んでみたい。
源氏物語』はフィクションだから、物語ってなんなんだろうという問いを考えだしてしまったと角田さんは言われていた。『平家物語』は実際に居た人たちの話というのも違いがあって、古川さんは書きながら鎮魂をしていたのだと、そういうものたちを押さえ込まないと訳せなかったと言われていた。だから、書き終わった時には鎮魂は終わっていて、新しい小説に取り書かれたところはあったんじゃないかという話もあった。
また、コンプライアンスとか言葉だけを他から取り入れても、その意味や中身があやふやなままみんなが使っていることで、言葉が壊れていくという危機感についても話されていた。なんとなく使ってしまっているような言葉に「ちょっと待てよ、そもそもこの言葉ってどういう意味があって、軸はそもそも共有されているのか?」と問わないことで、言葉が壊れてしまっていることに敏感にならないとダメだし、自分も気をつけないとダメだと思えたのが個人的には聞けてよかった。
終わってから持って行った『女たち三百人の裏切りの書』文庫版とジュンク堂で購入した巴御前表紙な『平家物語 3』と『現代語訳「紫式部日記」』にサインしてもらって今年最後のご挨拶をした。

副都心線で渋谷まで帰って、いつも通り歩いて帰った。行き来はradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』と昨日PCの方で聴いた『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。歩く時は音楽よりもラジオ番組の方が心地良くなってきている。すべてはiPod nanoが壊れていつも聴いている感じで音楽が聴けなくなったことが大きいけど、Spotifyは3ヶ月のお試し期間で使っていたから、このまま有料で使うかやめるかちょっと悩んでる。

 

12月8日
寝る前に『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』のCreepy NutsのR-指定ゲスト回を聞きながら寝落ち。翌朝6時半になんとか目覚めたが作業はせずに横になっていた。この数日で早起きしようとしていて、どうもできないのはなんとなくやる気が起きないからなのか、単純に寒さに負けているのか、多分合わせ技なんだろうなと思いつつ、作業はやらなくてもちょっとずつ早く起きるようにしていこうとradikoで『ハライチのターン』を。それから『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』の途中でリモートワークの時間になった。作業中は「メガネびいき」から『ナイティナインのオールナイトニッポン』と『マヂラブのオールナイトニッポン0』と繋げていった。
仕事は近々で急がないといけないものがないので、頼まれていた作業をゆっくりとやっていた。その作業がわりと眠気を誘うので昼前はちょっとしんどかった。睡眠時間は足りてるはずだし、この眠さみたいなものはなんなのだろうかと思って調べてみると「冬季うつ病」というのが出てきた。また冬は副交感神経が優位になるから眠くなりやすいとも書かれている。
「冬季うつ病」は気持ちが落ち込んだり、疲れやすい、甘いものが欲しくなる、活動量が低下、眠気が強く睡眠時間が長くなるという症状らしい。眠気が強くなるぐらいしか当てはまるものはなさそう。早起きするのも時間をもう少しズラしてみて、そこからやってみて調節してみたほうがいいかな。


ルイス・コールとジェネヴィーヴ・アルターディのポップユニット「KNOWER」のライブが来年3月に東京LIQUIDROOMで行われるとのことだったので、BEATINKのサイト先行でチケット販売が11時からあったのでサイトにアクセスして購入画面になったら混み合っているのでお待ちくださいっていう表示のまま待っていたが、画面が変わった時にはすでに売り切れになっていた。
枚数をかなり限定してるんだろうけど、やっぱり人気あるなあ。これで取れたら行こうかなって思っていたから今後はどうするか、ルイス・コールはサンダーキャットのライブでのドラムしか観ていないのでちゃんと観たいという気持ちもあるし、LIQUIDROOMぐらいの箱で観たさもある。

ポール・トーマス・アンダーソン監督の次作はピンチョン著『ヴァインランド』らしい。前にも『LAヴァイス』を映像化してるし、ほんとうにピンチョンファンなんだな。読みかけで止まったままだし、映画になるならちゃんと読み通しておきたい。ただ、ピンチョンは異常に読みにくい。情報量とか溢れんばかりで掴んでいてもなんか圧がすごくて知らぬ間に手を離していて、何を読んでいるのかわからなくなる。

リモートワークが終わってからちょっと休憩。スケジュールを見ると明日明後日の土日かなりがんばらないとダメだなと思うとやる気が起きない。
20時を過ぎてから作業を開始。土日のライティング作業に集中するために月曜日には出したいものを先にやってしまうことにした。こちらは毎週ミーティングもやっているからどうすべきか、何を求められているのかがわかるからやりやすいのかもしれない。

その間に、来年3月に起動させる新作のスターターが揃いだし、来年6月に完成させる短い作品の核が(もしかしたら)把捉でき、その先の、もっと巨大な小説、その1行めを、雷撃に打たれるように書いた。書いてしまった。しかし、ここからどのように発展させるのかは不明だ。考えなければならないのは、どこで、どのように、具体的に形にするか、である。

古川日出男の現在地」馬鹿返上 2023.11.25 – 2023.12.08 東京・埼玉

前日のイベントの時にも古川さんが今後書きたいものとして話されていた物語の時間も1500年とか幅広く、ワールドワイドな舞台になりそうな巨大な物語の一行めは書かれたのだとわかった。
『アラビアの夜の種族』『サウンドトラック』『聖家族』『おおきな森』『の、すべて』に続くような新しい大聖堂が、聖典が何年か後に形になるのを楽しみに生きていける。

 

12月9日
7時前に起きた。やっぱり目覚めが悪い。単純に起きてやろう!みたいなモードに移行しにくい。すぐに作業は諦めて、8時過ぎに家を出て9時にオープンの代官山蔦屋書店まで散歩がてら歩き出す。
お供はradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を。毎年ニッポン放送の年越し番組は7年連続で三四郎が担当していた。当然今年の年末と来年の年始となる番組も彼らだと思っていたら、今回はやらないらしい。残念だけど、二人もラジオで解放だ!と叫んでいたように、リスナーもある種解放されるわけで、新しい年始の始まりを聴いていた人たちは迎えるんだろう。

代官山蔦屋書店の二階フロアのCDやレコードコーナーはより小さくなってしまったが、「KNOWER」のアルバムが販売していたので購入してしまった。ライブには行けるかはわからないけど(そもそもチケット取れるかわからないし)、なんというか物(ブツ)として欲しいなと思っていたので、あったから買ったみたいな感じ。
行って帰っての歩く距離は一時間半でプラスでお店に寄っていたり、家to店to家だけではないので実際には二時間ほど歩いていた。目覚めの悪さを考えると起きてすぐに散歩かランニングに強引に出て体を動かして身体と脳を目覚めさせた方がいいのかもしれない。起きてすぐに家を出るのは、起きてすぐに作業するのと同じぐらい難しそうだが。脳みそを回すためには先に体を動かすほうがいいかなあ。

樋口 『VORTEX ヴォルテックス』、拝見しました。これまであなたは近親相姦、レイプ、ドラッグなど、センセーショナルな題材を取り扱ってきましたが、これらすべてを封印した本作がいちばん残酷に見えました。

ギャスパー アルツハイマーは、今まで扱ってきた殺人やレイプというテーマよりも身近で普遍的なものだし、すでにたくさん描かれているテーマでもあります。でも実は、私の父からも今回の作品が今までの中でいちばん暴力的だと言われました。アルツハイマーで亡くなった母を思い出して、辛かったのかもしれません。

樋口 今作のパンフレットに、「人生はすぐに忘れ去られる短いパーティーだ」という一文だけを記したそうですが、これはあなたの中にずっとあったテーマのなのでしょうか?

ギャスパー ある映画祭の時に、ひと言でこの映画を表現するとしたら?と聞かれて、このフレーズが一番ぴったりくると思い選びました。私の母の時もそうでしたが、生前は写真などの思い出がたくさんあるけれど、本人がいなくなるとその人にまつわるものはどんどん消えて、後に残るものはほとんどなくなってしまう。そういう意味を込めています。

樋口 まさに本作のラストは、それを印象的に表すシーンでした。

ギャスパー・ノエ(映画監督)×樋口毅宏(作家)
過激描写はひとつもないのに、「最も残酷な映画」と言われる理由とは?

帰ってから今月観ようと思っている映画のひとつであるギャスパー・ノエ監督『VORTEX ヴォルテックス』、監督に樋口さんがインタビューしていたものを読んだ。これと『市子』は上旬で観たい作品だったので早く観に行かないとだ。

大澤 「なんとなく、考える」の初回(二〇〇八年)で、「五二歳のときにまだ批評家でいるのかと考えると、それだけは勘弁してくれという気持ちになる」とあります(『ゆるく考える』所収)。まさにそれが今年。さきほどおっしゃった残りの人生の時間という話につなげてみると、長編小説『クォンタム・ファミリーズ』(二〇〇九年)は村上春樹経由の「三十五歳問題」がモチーフでしたね。
東 三十五歳なんてまだ若いのにね、(笑)。
大澤 十五年ほどの前のあの小説には、統計的世界観、訂正可能性、分身、デジタル・ロマンティシズムといった『訂正可能性の哲学』の基本ツールがほとんどそろっているんですよね。なにより、ファミリー・ロマンス、「家族」の脱構築の物語になっている。ちなみに、「二〇二三年」に並行世界とネットの関係は認知されるという設定で、まさにこれも『訂正可能性の哲学』が出た今年。
東 それは気づいていなかった。
大澤 三十五歳問題は、その年齢を境に、なしとげられるはずのこととなしとげたことの総量を、なしとげた「かもしれなかった」ことが追い抜くという認識です。さっきの小林秀雄につなげると、彼の登壇作「様々なる意匠」(一九二九年)に「彼が科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった」という有名なフレーズがありますよね。小林は初期からそれを「宿命」というキーワードにしています。柄谷行人なら「単独性」。
東 その問題については、僕はちょっと違う解釈をしています。科学者にもなれたろう、小説家にもなれたろうという発言は、アイデンティティを自分が決められるものとして想定しています。でも現実には、自分で自分は科学者だと思っていても、他人から見たら軍人でしかないといったこともあるわけです。結局、自分のアイデンティティは自分では決められない。他者が決める。あるいは歴史が決める。自分はこれこれに「なれた」かもしれないという問いかけ自体が、アイデンティティについて考えるうえでまちがった前提のように思います。「かもしれない」はむしろ他者によってもたらされるものなんです。

 『群像』2024年1月号掲載 東浩紀ロングインタビュー(聞き手=大澤聡)「批評=楽しさをもとめて。東浩紀の二十五年」P69より

東 (中略)僕は自由な個人をあまり信じていないんですよ。今回の本にはコミュニタリアニズムの話は出てきませんが、家族論はコミュニタリアニズム脱構築しようという提案でもある。自由な個人なんて存在しないし、誰にが自分が生まれ育った共同体の限界の中でしか行動できない。それでも、人間はその自分が所属する限界そのものを「訂正」することができる。その一点において私たちは自由なのであって、共同体への所属を切断し、単独者になることで自由になるわけではないんです。
 現実にいま、すべての伝統、たとえば親や地域や会社からすべて切断された「自由な個人」なるものはネットにたくさん出現しているわけですが、彼らはじつに動員や陰謀論に弱い。それこそ現代社会の病理です。
(中略)
東 あともうひとつ、「私にとって家族は重荷でしかなかった」」という反応についてですが、僕としては、誰にもが「親」になる、なんらかの人間関係を身に纏わなければならない、その立場に立った時の話をしているつもりなんです。自分が子どものとき、親が嫌だと思った人は多いと思います。でもそれでも多くの人は「親」になる時がくる。生物学的な意味で子どもを作らなくても、生徒、弟子、部下、読者、なんでもいいのですが、自分の影響を受けた下の世代に囲まれる時が来る。その意味で「家族」をどうつくるかを考える必要が出てくる。その意味で「家族」をどうつくるかを考える必要が出てくる。子どもの立場からしか考えられないのは、日本社会全体に蔓延しているある種の病理かもしれません。
大澤 懐疑論者から懐疑を突きつけられる立場に立てというさきほどの話ですね。成熟の問題。被害加害の問題もそうです。つねに被害者になる不安から考えてしまう。
東 むろんそれは大切なんですが、自分が加害者になる可能性も考えて。初めて本当の暴力防止につながるのだと思います。

『群像』2024年1月号掲載 東浩紀ロングインタビュー(聞き手=大澤聡)「批評=楽しさをもとめて。東浩紀の二十五年」P74-76より

お昼過ぎてもやる気が起きない。ご飯を食べてからしばらく経ってから30分ほど寝てみる。わりとすぐに寝て目覚ましで普通に起きれる。
それから『群像』に掲載された東さんのインタビューを読んだ。気になった部分は自分で文字起こししようと栞を二箇所いれた。それから夕方前に机に座ってからその箇所をキーボードで実際に打ってみた。この箇所が気になった部分だった。
「三十五歳問題」と「親」になるということ、引っかかるというのは僕がこの数年考えていることだからなんだと思う。実際に生物学的な「親」にはならなくても、自分よりも若い世代の人と仕事をしたりすることも増えてくるわけで、立場というものも変わったりするし、いつまでも自分が若い立場ではないというも大きい。それをもっと自覚しないとダメだなっていうのはあるにはある。
このロングインタビューは東さんの著書だけではなく評論や思想関連の本を読んでいないとわからない単語や言葉も出てくるが、それでも読めるようなものになっていると思う。
17時になってから『川島明 そもそもの話』のゲストがさらば青春の光東ブクロを聴きながら、重い腰を上げて作業を開始。土日でできるところまでやろうというよりは、ここまではやるという感じに気持ちを切り替えた。
ライティング作業で3月からものと、8月からもの交互になるような感じで〆切があったのが先月までだった。8月からのは一旦終了したが、3月からのものは今後の作業に関して一月から新しい形でやることになったので12月がまるまる空いてしまった。
毎週みたいにあった〆切に急かされていたものがなくなって、自分で〆切を作ってそこに向けてやるとなるとサボる、やる気をどう維持させるのかが難しいってことなのかも、と思った。それに「冬季うつ病」みたいなモードも加わっているということがあったりするのだろうか。ともかく、それが意識できたらから、文字にできたからできそうな気がしてきた。

 

12月10日
6時半に目が覚めて7時までは横になっていた。そこから一度起きてから作業を開始。5時に起きるのは無理なので一旦6時台に起きられたらいいということにした。結局、目が覚めて仕事をやろうと思えるまでに時間がかかるから、まずは起きることを優先。
作業を開始して、『オードリーのオールナイトニッポン』や『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』をBGMがてら聴いた。オードリーの東京ドームライブは現地チケットはまったく取れなかったが、LINE CUBE SHIBUYAや全国の映画館でライブビューイングがあるらしく、LINE CUBE SHIBUYAなら渋谷だしチケット取れたらそこでもいいかな、と誘ってもらっていた友人と話を昨日してした。
ラジオの放送前にライブビューイングの話が出ているのはいいのか悪いのかわからないが、渋谷なら行き来が近い。東京ドームに行って5万人とかの大観衆が溢れて帰りとかめっちゃ時間かかりそうだからライブビューイングのほうがよいかなと思っている。

エンジンがかかるまでに時間はかかったが作業は昼過ぎまでやってひと段落。直したりもしないといけないが、一旦日曜日中にやりたいところまでできれば御の字。家からまったく出ていなくて散歩もしておらず体を動かせてなかったので、14時過ぎに散歩に出た。

散歩のお供には昨日もPCで聴いた『川島明 そもそもの話』を。今週のゲストはさらば青春の光東ブクロ同志社大学入学後に先輩だったカズレーザーとコンビ組んでいた話とか、鬼ヶ島問題とかも川島さんがガッツリ聴いていた。
事件後に干される形になった時に気にかけて、何度も飲みに誘ってくれた先輩芸人の話も初めて聞いた。その「ネクスト・リーダー」的な人は粋でカッコいい話ばかり聞く人だ。燃え殻さんが小説を書くことになった一番最初のきっかけを作った人でもある。彼は他者の人生をいい方に変えまくってるし、人に慕われる人というのはそういう人なんだなってわかる。

家に帰ってきてから寝るまでは作業の続きを。とりあえず、今日中にやらないといけないところまではなんとかできた。これで喪が明けたじゃないけど、「冬季うつ病」ぽさも徐々になくなっていけばいいのだけど。

 

12月11日
6時半に起きて可燃ごみを出してから30分ほど横になったままでTVerで20分ちょいの短い番組を見たりしてから起きる。昨日の夜にやっていた作業の続きをしたいが、一旦どういう内容だったかを思い出すために再読した。赤文字で追加する箇所や指摘があった部分のことを考えていたら仕事の時間になってしまった。

TVerで学ぶ!最強の時間割』アメトーーク!新ネタ採用か⁉︎無口になったAD時代&恩人ダチョウ倶楽部の『どうぞどうぞ』誕生秘話

ラジオは昨日有吉さんのサンドリも川島さんのねごとも聴いてしまっていて、月曜の朝は作業中に聴くラジオがないなと思って探したら、土曜日に配信していたチェルミコのポッドキャストの最新回があったのでスポティファイで聴いた。
そこからTVer限定の動画(番組)でゲストというか講師としてテレビ朝日プロデューサーの加地倫三さんが出演しているのを見た。『アメトーーク!』や『ロンハー』や『テレビ千鳥』を手掛けてきたお笑い好きな人なら知っている裏方の人物でもある。やっぱり長女番組をやっているとどう守るかではなく、攻めるのかということだったり、企画を出して行くかという戦術というかやり方もしっかりと話してくれているのでとてもおもしろい。


昼すぎに休憩がてら外に出た。年明けに創元SF短編賞の〆切があるから書けたらいいなと思っていたので、テッド・チャン著『息吹』という短編集を買ってみることにした。

来年、前章と後章と二つに分けて浅野いにお原作漫画『デッドデッドデーモンズデデデデストラクション』がアニメ映画として公開される。物語のメインとなる門出とおんたんをYOASOBIの幾田りらとあのが声優担当することは発表されていたが、漫画が連載されていた『ビッグコミックスピリッツ』で二人が表紙と対談したものが掲載されていたので久しぶりに購入した。
映画が公開したらYOASOBI×anoコラボ曲とかやるだろうし、オールナイトニッポンをやっていたYOASOBIがあのANNN0にゲストとか、あるいは浅野いにおさんがゲストということもありそうだな。そうなったらうれしいけれど。

二人のグラビア写真を撮っているカメラマンが塩原洋さんとクレジットされていた。ヌードモデルの兎丸愛美さんの写真をよく撮っていたので名前を覚えていた。
兎丸さんは『水道橋博士のメルマ旬報』が終わった時にモデルの仕事をやめると言っていた。その後もアカウントもなくなったりしていて、ほんとうに活動をやめたんだと思う。どこかの町で普通に暮らしている彼女が元気で幸せだといいなと元メルマ旬報で同じ連載陣であり、彼女を連載陣に引き込んだ人間としては願っている。兎丸さんの写真を見るようになってから写真展とかに行ったり、写真に興味を持つようになったのも僕には大きな影響だった。

リモートワークが夕方に終わってからは昨日のライティング作業の続きを。明日の夕方までに提出すると連絡したのでなんとか終わらす。
しかし、これは一回提出してもまたいろいろと調べて裏を取ったり確認しないといけないことが書けば書くほど出てくる。この仕事をしっかり集中して今月中には一旦最後までやれれば来年形になるのが少しは早くなるはずだと信じて書く。

 

12月12日
なんとか6時に起きてから作業を開始。夕方までに提出するためには朝一からやるしかない。今月入ってからスケジュールを組んでいたものの、その通りには全くできず進んでいなかったので自分が悪い。「冬季うつ病」なのかどうかはわからないけど、眠さとだるさはあった。でも、自分で最初に提示した〆切は10日だったけど、無理だったから今日の夕方に変更してもらったという経緯がある。
遅れるとわかっているなら先に連絡して了解を得ているほうがいい。連絡しないままズルズルと放置するほうが信頼もなくなるし、物事は厄介な方へ転がってしまうのはわかる。僕自身はそういうことはほぼしたことはない(あったとしたら忘れている)のだけど、自分が受け取る側だったりすることはあるから、それをされたことはあってやっぱりその人への信頼はなくなってしまった。
ほうれんそうとはよく言うけど、ちょっと問題が起きかけている、起きそうな時に連絡をしておけば基本的には大事には至らない。火がついて燃え始めたとしてもさらなる延焼は食い止められる。大事なのはそういうリスクヘッジ。つまり素直に現状を伝えて対応してもらう、了解してもらうこと、嘘をつく方がリスクは高くなる。ごまかせるかもしれないが、それが常態化していくといつか足元をすくわれて転げ落ちてしまう。
ライティング作業は自分の作品とか自分が書きたいものではなく、商業的な他の誰かの意向が大事なものだとそちらの意見を踏まえた上で進めていかないといけない。その塩梅を探るのが難しい。
土台を作る仕事をやっているから、その元となる物とかは共有されていても自分の理解のなさや筆力も関係してくるし、相手が求めるレベルまでいけるのかどうか、かなり手探りでやっているから不安はつきまとう。
作業はradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』とSpotifyポッドキャストで『chelmicoオールナイトニッポンPODCAST』『83 Lightning Catapult』を聴いた。
誰かの声を聴いている方が僕は作業がはかどる。意識はMacBook Airの画面に集中しているから、話している声や内容がすべて入ってくるわけではないし、集中が増すとなにを話していたか飛んでいるような感じにはなるけど、誰かの声や音がある空間のほうがリラックスできる。でも、カフェとか実際に人がいてそのリアルな話し声が聞こえると集中はできない。たぶん、作業自体は一人じゃないと難しい、でも、無音だと寂しくてなにか音がしていてほしいということなんだろう。


ano -「普変」/ ano 1st TOUR 『トキメキ偏愛♡復讐ツアー』at 恵比寿LIQUID ROOM 


午前中に明日発売になるanoファーストアルバム『猫猫吐吐』が届いた。
なんとなく発売元のトイズファクトリーの通販で頼んでいたら、前日に届いた。一通り先ほど挙げたラジオを聴き終えてからCDをiTunesに取り込んでアルバムを流しながら作業を続けた。


ほかにも頼んでいたものが届いて配達の人のノックでフッと集中が切れた。昨日は藤谷治著『新刊小説の滅亡』が、これは仲俣暁生さんがやっている「破船房」で取り扱っているもので、前にお茶をさせてもらった際に話を聞いていたもの。
今日届いたのは鈴木涼美著『トラディション』は木村綾子さんが店主のコトゴトブックスで販売していたので購入した。鈴木涼美さんの小説ってちゃんと読んだことがなかったんだけど、装幀がいいなと思って。
知っている方々がわりとご自分でお店やネットを使った通販とかで作品を広げていこうとする人が年々増えているなと感じる。出版業界、大きな出版社もこの先安泰ではないだろうし、僕らには当たり前だった出版流通も成り立たなくなっていく。こうやって個人で少数ロットで刷ったものを自分で販売していくにはネットが普及した今ならやりやすくはなっているはずで、これは大正や昭和初期とかの作家たちが同人誌を作っていた流れとシンクロする、進化系なんだろうなって感じる。


16時半前になんとか今回提出分まで終わって見直しができたのでデータを送信して家を出る。かなり寒くて雨が降ったあとだったのでアスファルトが濡れていて、風も冷たかった。歩いて1時間20分ほどして六本木駅すぐのアスミック・エース試写室へ。かなり久しぶりだと思うんだけど、コロナ前じゃないかな、前に来たのは。

『ミッドサマー』で一躍映画好きに知られることになったアリ・アスター監督最新作『ボーはおそれている』試写。



A24の悪いとこの割合高め&いいとこ低めでごった煮にして、不条理と悪夢とマジックリアリズムで味付けしたみたいな作品だった。ガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』や宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』が近いかもしれない。
179分だから実質三時間と長いし、ほんとうに悪夢を見ているみたいに、あるパートから次のパートへ移っていく際に繋がりもわからなかったり、どういう意味があるのかわからないことの連続。
もしかしてあれってこういう意味なのかなとあとから思えなくもないことはあるけど、説明はされないので観た人の脳内で補完する、いや作り上げていくような部分もある。怪死した母の葬儀に行こうとするも様々なトラブルに巻き込まれてしまうボー、最後に実家であり息子が来るまで葬儀はしないという遺書があったため、彼が母と対面する時には…みたいな話だと思いきや、その後もかなり長い。というか悪夢は実家に帰ってからの方が酷い。やっぱりキリスト教的だったり神話的なモチーフを入れ込んでいて、A24ってやっぱり新しい神話を作りたいんじゃないかな。万人にはウケないだろうし、『ミッドサマー』がおもしろかったという人でも賛否はわかれそう。


Pharrell Williams, Swae Lee, Rauw Alejandro - Airplane Tickets (Official Video)


終わって外に出たら雨が降っていた。小粒だったので来た道をそのまま歩いて帰った。

 

12月13日
6時過ぎに起きて小説を朝活がてら読む。リモートワークの前に週一回のミーティングをオンラインで。打ち合わせで設定等について諸々修正することになった。前に提出した設定とかは僕が好きなテイストだったけど、先方にはあまりしっくりこなかったみたい。だったら、こういうものは自分の書くものに活かしたり使えばいいやって思うから問題はない。
リモートワークは午前中には終わらしたい仕事があったので集中して終わらした。休憩中に仮眠したのもよかったのか、昨日の疲れとかは残らず、午後からはわりとのんびりとゆっくり作業ができた。


仕事が終わってからニコラでモンブランとクリスマスブレンドをいただく。


家に帰る前に書店でオカヤイヅミ著『雨がしないこと』上下巻を買って帰る。
「雨」という主人公と周りの人たちを描いた漫画。岡崎京子さんの『チワワちゃん』は「チワワちゃん」と呼ばれていた女の子が東京湾で死体で発見されて、彼女のことを知っている人たちにとって彼女がどんな人だったか、どんなエピソードがあったかをそれぞれの視点で語っていくことで、いなくなった彼女の輪郭を描いていく、『ゴドーを待ちながら』スタイルだった。『雨がしないこと』は「雨」はいて、彼女とその友達や仕事先の人たちの交流を描くことで「雨」がどういう人なのかを描いている。空虚な中心ではなく、芯としている「雨」を中心にした群像劇、だけど、読み感は『チワワちゃん』を僕に思い出させた。

『あののオールナイトニッポン0』2023/12/12/火 27:00-28:30

ゲストはクリープハイプ尾崎世界観さんでアルバム『猫猫吐吐』にも収録されている『不変』は尾崎さんが作った曲。
あのちゃんもラジオでクリープハイプのことが好きなことやエピソードを何度も話してきているからこそ、尾崎さんがゲストで曲をどういう風に考えて作ったかを聞いたあのちゃんが泣きそうになるというハプニングもあったり、ミュージシャン同士の創作の話もしっかりしていてアーティストトークもあったりと今までのゲスト回とは違う感じだった。
あのちゃんと尾崎さんの組み合わせの相性はすごくよかった。

読み終わってから今月掲載の予告編妄想かわら版の原稿を書いて提出。もう今回で29回目だった。もともとは『週刊ポスト』で連載していたものだったが、週刊誌は売り上げも落ちていて購買者の中高年向けの記事にどんどん寄って行った中でコロナパンデミックが来てリニューアルも兼ねて文化欄が刷新するのに伴って終わった。
水道橋博士のメルマ旬報』をやっていた博報堂ケトルの編集者の原さんにお願いをして、Webメディアの「BOOKSTAND映画部!」のほうで続きをやらせてもらえることになって、この回数。月一回だからもう2年半近くになっている。続けさせてもらえるのは本当にありがたい。

 

12月14日

6時に起きて可燃ごみを出してから朝活がてら読書をしてから、8時半ぐらいに家を出て渋谷へ。
副都心線 新宿三丁目駅で降りて伊勢丹出口から出てテアトル新宿へ。今日はサービスデーなのでTCGメンバーカードで鑑賞料金が1200円になるので、チケットを取っておいた戸田彬弘監督『市子』を鑑賞。

「僕たちは変わらない朝を迎える」「名前」などの戸田彬弘監督が、自身の主宰する劇団チーズtheaterの旗揚げ公演として上演した舞台「川辺市子のために」を、杉咲花を主演に迎えて映画化した人間ドラマ。

川辺市子は3年間一緒に暮らしてきた恋人・長谷川義則からプロポーズを受けるが、その翌日にこつ然と姿を消してしまう。途方に暮れる長谷川の前に、市子を捜しているという刑事・後藤が現れ、彼女について信じがたい話を告げる。市子の行方を追う長谷川は、昔の友人や幼なじみ、高校時代の同級生など彼女と関わりのあった人々から話を聞くうちに、かつて市子が違う名前を名乗っていたことを知る。やがて長谷川は部屋の中で1枚の写真を発見し、その裏に書かれていた住所を訪れるが……。

過酷な境遇に翻弄されて生きてきた市子を杉咲が熱演し、彼女の行方を追う恋人・長谷川を「街の上で」「愛にイナズマ」の若葉竜也が演じる。(映画.comより)

偶然だけど、前日に読んでいた『雨がしないこと』でメインの「雨」と彼女の周りの人を描くことでより「雨」という人物の輪郭があらわになって行ったように、『チワワちゃん』で死んでしまった「チワワちゃん」を知る人が語ることで空虚な中心となった彼女の多角的な面が浮かび上がったように、「市子」という女性がいなくなったことで恋人の長谷川が彼女を探す中で、かつての彼女を知っている人たちから見えた「市子」とのエピ祖ソードによって輪郭が顕になっていくというものだった。
何らかの事件に巻き込まれたのか関わっていることで刑事が長谷川を訪ねてきたこともあり、長谷川は刑事が調べている恋人の過去について知ることになる。
時代は遡って、市子が小学生だった頃の同級生たちから見た彼女や関わったエピソード、高校時代の彼氏であったり、彼女に思いを寄せていた男子、新聞の配達所で住み込みの仕事を一緒にしていたパティシエを目指している女友達、などの章が描かれて徐々に「市子」の隠していた秘密と彼女がなぜ姿を消したかという理由が明らかになってくる。
プロポーズされて姿を消すとなると思い浮かぶ理由はさほど多くなく、思い浮かんでいた一つがやはりその理由ではあったものの、「市子」と名乗っていた彼女は以前「月子」と名乗っていた時期があり、それがなぜなのかが明かされていくと彼女がずっと抱え込んできた罪と隠されていた謎が観客にもわかるようになってくる。それはとても心苦しいものであり、悲しいものだった。
もうひとつ出したワードがあるけど、それを出すとネタバレというかわかる人にはわかってしまうので出さないが、この僕らが生きている社会でも起きているだろう問題であり、それに関しては改善されていないと思えるものだったりするのでよりやるせなく、せつない。そして、あのラストの意味を考えるとより市子という人物が生き抜くということが切なく思えてしまった。

もう一本映画を観ようと思っていたが思ったより『市子』の内容が濃かったのでお腹いっぱい感もあって諦めて家に帰ることにした。
昼ごはんを食べてからネトフリで配信が始まっている『終わらない週末』を観始めた。オバマ元大統領夫妻もプロデューサーとして関わっているみたいなことを旧Twitterで見ていて気になっていた。

人気ドラマシリーズ「MR. ROBOT ミスター・ロボット」のクリエイターとして知られるサム・エスメイルが監督・脚本を務め、ジュリア・ロバーツマハーシャラ・アリイーサン・ホークケビン・ベーコンらが豪華共演したサスペンススリラー。

アマンダと夫のクレイ、息子アーチーの一家は、のんびりと週末を過ごそうとレンタルした豪華な別荘にやってくる。しかし、到着して早々に世間では不可解なサイバー攻撃によって携帯やパソコンが使えないという事態が発生する。そしてアマンダたちのもとには、別荘のオーナーだというG・Hと名乗る男が、娘を連れてやってくる。彼らはサイバー攻撃から逃れるために、自分たちの持ち家である別荘にやってきたという。世界の崩壊が刻一刻と迫るなか、2つの家族は恐怖と向き合い、自分たちの置かれた状況を受け入れていくが……。

原作は全米図書賞にノミネートされたルマール・アラムの同名小説。アマンダ役をジュリア・ロバーツ、夫のクレイ役をイーサン・ホーク、彼らの前に現れる別荘オーナーのG・H役をマハーシャハラ・アリが演じた。Netflixで2023年12月8日から配信。(映画.comより)


Civil War | Official Trailer HD | A24 


『終わらない週末』はA24の新作で予告編が公開された『Civil War』も見ているせいか、アメリカという国の終わりの予感みたいなものを嗅ぎ分けて先に映像化しているような怖さを感じる。
夕方に睡魔に襲われたので途中で停止して少し寝ることにした。やっぱり眠気に襲われる。うーむ、「冬季うつ病」ぽさはまだある感じ。

18時半に目覚ましをかけていたので起きてから歩いて下北沢のB&Bへ。出演する仲俣さんにお声がけしてもらった「藤谷治×田中和生×仲俣暁生×倉本さおり フィクショネス文学の教室 in 本屋B&B 〜2023年末番外編〜」を見にいった。
皆さんが今年読んだ新刊小説についてお話をされていたのだが、僕が一番気になったのは田中さんがオススメされていた村田喜代子著『新古事記』だった。原爆を作った人たちと一緒に生活していた一人の日本人の血が流れている女性を主人公にしたものらしく、年末に読もうと思った。来年公開が決まったクリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』とも通じるだろうし、第二次世界大戦時のロサンゼルスの日系移民の収容とかも気になっているのでこの小説はその辺りも書いてありそう。

 

12月15日
6時に起きてから朝活がてら、昨日途中まで観ていた『終わらない週末』の残りを仕事が始まるまで観ることにした。主人公のアマンダ夫妻と息子と娘ら一家が別荘をレンタルしている家主のG・Hとその娘たちが男女に分かれてそれぞれに行動をすることになる。
父二人は息子のアーチーに起きたある出来事を解決するためにG・Hの知人宅を訪ねることになり、そこで世界に何が起きているのかを知る、いや正確なことはわかっていないが、完全に秩序が奪われてしまったことを知ってしまう。
アマンダとG・Hの娘はいなくなったアマンダの娘のローズを探しにいくが、大群で現れた鹿たちに囲まれてしまう。そんな中大好きなドラマ『フレンズ』の最終回がネットも遮断され配信サービースで見れなくなってしまってずっと文句を言っていたローズはたった一人である場所を見つけることになる。
いろいろな予測はできるが実際にアメリカで何が起きているのか、戦争なのか内戦なのか誰が仕組んでいるのかは明かされない。基本的にはG・Hの家をメインで展開されており、カオスな状態になった街などはあまり映像としても出てこないものの、終末的な状態に陥ったことはわかるものとなっている。G・Hが語るのは情報などが遮断され、人々に情報が行き渡らなくなることで起きる疑心暗鬼、そして、それによって起きるだろう略奪や市民感の対立や民間戦争状態になるように煽って、どこかの国が、あるいは何ヶ国かでこの国を破壊しようとしているのではないかというものだった。だが、これも予想であり、本当なのかはわからないだが、一番怖いのはやっぱりオバマ元大統領夫妻がこれをプロデューサーとして関わって作っていることだろう。『フレンズ』最終回が見たくて仕方なかったローズがたどり着いた場所は、この映画を配信しているネトフリによって過去の遺物となってしまったものが、形があることの意味を問いかけるものとなっており、すごい皮肉も感じてしまった。

リモートワークを開始してBGNはradikoを。寝る時半分の一時間だけ『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』残りを聴いてから、『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』を続けて聴いた。
面白かったのは火曜日の『JUNK 爆笑問題カーボーイ』のゲストがミキで、去年の「THE MANZAI」でのビートたけしからの酷評を再びいじられていたが、「おぎやはぎのメガネびいき」でもイジられ、裏番組である「ナインティナインANN」の年末恒例の「岡-1グランプリ」にゲストで出ていたミキの昴生おぎやはぎに対して文句を言いまくっていた。去年の一件が今年の「THE MANZAI」の収録があり、さらにミキが呼ばれなかったことで先輩たちがイジることでネタになって昴生が暴れることで笑いにどんどん膨れ上がっていすごいことやってるなあって、笑いってこういう回収もあるんだなって思えて最高に笑った。

仕事が終わってからトワイライライトに「豊崎由美×マライ・メントライン『時評書評』出版記念トークイベント」を聞きに。時事ネタを豊崎さんとマライさんが話をしながら、その時事問題からオススメの本を豊崎さんが紹介するという流れだった。
「頂き女子りりちゃん」の話からホストの売掛金問題などに話は展開していった。その時に紹介されたのが月村了衛著『半暮刻』という作品でまったく知らなかったが、豊崎さんの紹介がとても興味が出たので読んでみるつもり。月村さんは『機龍警察』シリーズを数冊読んでいるぐらいで、それ以外の作品は正直タイトルと装幀が全然惹かれないものばかりなので、読んでいなかったからまったく目に入っていなかったということもあると思う。でも、こういう時に信頼している人がオススメしていて興味を持てば読むきっかけができるのがうれしい。
豊崎さんとマライさんの会話のテンポや間、合いの手が心地よくて、あっという間に90分が終わった。豊崎さんの新刊『時評書評』にサインしてもらってご挨拶をして帰った。

今回はこの曲でおわかれです。
ano「猫吐極楽音頭」MUSIC VIDEO 


アルバムで聴いたけど、MVの映像のイメージがすごいのでこの曲はビジュアルを見た方がいいのかもしれないなって思った一曲。