Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年8月1日〜2023年8月15日)

7月下旬の日記(2023年7月16日から7月31日分)


8月1日

7時半ぐらいに起きた。バックパックにノートパソコンと1日分の着替えを入れて8時を過ぎてから家を出て渋谷に向かい、湘南新宿ラインに乗って大宮まで。
新幹線はやぶさの自由席で仙台駅に着いたのは12時前、乗り換えで少し待ってから常磐線原ノ町行きに乗って坂元駅まで。前日に経路を調べていたのでわりとスムーズだった。平日の午前中だけど、新幹線はけっこう混んでいた。

 一冊の本を手にするということは、どうもそういうことらしい。自分のなかに何かの「種」、何かの「感覚」、おおげさにいえば何か「伝統」のようなものが、芽生えるのだ。それはそのときのものとはならないにしても、そのあとのその人のなかにひきつがれるものだから軽くはない。流されもしない。
 題は忘れたがモーパッサンが、フローベールを論じた文章も教室で読まされた。それから二〇年近くたって、モーパッサンの『脂肪の塊』に感銘をうけたとき、ぼくは思うのだ。あのとき、モーパッサンを読んでいた、と。そのていどのことだ。それでも人をやわらげるものである。帯をゆるめるときのように。
 最初にふれているのだ。そのときは気づかない。二つめあたりにふれたとき、ふれたと感じるが、実はその前に、与えられているのだ。
 読書とはいつも、そういうものである。
荒川洋治著『忘れられる過去』P17より

前日にトワイライライトで購入していた『忘れられる過去』を新幹線の中で読み始めたら、すぐにこの引用箇所の部分が出てきた。
読書はやはり一回きりのものではなく、いろんな本が読み手の中で積み重なって交差していくし、何年も前に読んだ一冊が、あるいは一節が突如浮かび上がってきて、点と点が結ばれていくことがある。それが読書という行為の豊かさだよなって思う。そして、この文庫めちゃくちゃよかったので、旅のお供にしてよかった。


常磐線に乗るのは2020年晩秋以来。車内から阿武隈大堰が見えたのでスマホで撮った。


2020年11月28日に古川日出男さんの取材(のちに『ゼロエフ』として出版)に同行した際に、この阿武隈大堰を見にきていた。


常磐線新地駅で降りると宿泊の予約を取っているホテルはすぐなのだが、一駅前の坂元駅で下車した。坂元駅は宮城県にあり、ここから南下すると福島県に入るので県境近くということになる。

福島のシイタケ生産業者の家に生まれ育った著者が初めて出自を語り、18歳であとにした故郷に全身で向き合った。
生者たちに、そして死者たちに取材をするために。
中通り浜通りを縦断した。いつしか360キロを歩き抜いた。報道からこぼれ落ちる現実を目にした。ひたすらに考えた。

古川日出男著『ゼロエフ』

古川さんの生家は郡山で中通りにあり、国道4号線が通っている。東日本大震災津波被害が多く、原発事故の影響を強く受けたのが浜通りであり、国道6号線が通っている。古川さんは一人で栃木県から福島県に入って宮城県までの国道4号線を一人で徒歩で縦断し(7月23日から7月30日まで)、宮城県から福島県に入って茨城県までの国道6号線を僕とミュージシャンでもある田中くんの三人で縦断した(帰還困難区域は徒歩で歩けないのでそこは許可を取ってもらった車で入った。7月31日から8月10日)。それは2020年の東京オリンピックが開催される予定だった時期に行われた。その後、晩秋の11月27日から11月30日までを福島県宮城県を流れる阿武隈川を中心に大きな台風被害があったが、ほとんど全国放送などでは報道されなかった場所を古川さんと僕の二人で歩いた。その一環として先ほどの阿武隈大堰を見て、そのまま川沿いを仙台湾に出るまで歩いていた。
6号線の初日に三人が常磐線仙台駅から乗って最初に降りたのは坂元駅だった。そこから6号線沿いを歩いて宮城県から福島県に入って新地町へ向かった。晩秋の歩きでは、最終日に鳥の海を出てから旧坂元駅を目指した。そのまま宮城県から福島県に入って新地駅がゴールになって、晩秋の阿武隈川を歩く行程は終わった。
この日の目的地は新地駅だったが、僕がひと駅前で降りて歩く理由は3年前の『ゼロエフ』取材で歩いた場所をもう一度辿ること、そしてあの時にできなかったことを今回は自分一人でやってみようと思ったからだった。

Gotch – Route6




坂元駅から海の方に向かって歩く。目的地までは30分かからないぐらいだった。暑さはそこまでひどくなく、風も吹いていたし歩いている場所が緑が多かったので涼しく感じた。
途中で「山本町立坂元中学校」の前を通過した。僕が向かっていたのは「山元町震災遺構 中浜小学校」だった。田んぼの先に道路が見えてそこを車が走っていくのが見えた。見覚えのある道路で、「福島県道・宮城県道38号相馬亘理線」だった。そのまま38号を南下していくと「山元町震災遺構 中浜小学校」とその前にある「東日本大震災慰霊塔「千年塔」」が見えてきた。

「山元町震災遺構 中浜小学校」には2020年11月30日にも来ていたのだが、ここは月曜日が休館日だったため、古川さんと僕は入館することが叶わず、外観だけを見るだけになった。それから「磯山聖ヨハネ教会祈りの庭」を見てから新地駅まで歩いて晩秋の歩行の旅は終わった。
今回ホテルのチェックインは15時にしていたので12時半に坂元駅に着いていれば、「山元町震災遺構 中浜小学校」の中を経由して新地駅まで歩いて約一時間半ぐらいだったので、時間的にも問題がないと計算していた。
学校のすぐそばにある受付で入館料400円を払ってから学校の中に入った。


津波が襲ったあとをできるだけ遺構として残している建物であり、時間が経過することでより破壊された部分が錆びついたりして露わになっていた。こうやってスマホで撮影はしていたが、やっぱり言葉を失ってしまう。二階にあがるとスタッフさんというか語り部の方がいて案内や詳しい説明をしてくれた。
上の写真で柱が丸いのも元々高潮への対応として二メートル嵩上げをしたところに校舎は建てられているのだが、すべての柱はこのように丸いものとなっていて、どこも津波に破壊されていなかった。これが角ばった長方形の柱だったら津波が来た時に割れたり端っこが飛んでいた可能性が高かっただろう。ここは海に近い場所で高潮などの対応が取られて、平成元年に建てられた校舎だった。そのことが生徒たちを含めてここにいた全員が津波が襲ってきても助かる大きな要因になったとのことだった。

二階では津波があった時点での学校とその近くにあった家の地図があった。海に近い場所には家もあったが、それは現在すべてなくなっている。津波があった時刻の時点で低学年は授業はすでに終わっていた。小学一年生でも補助輪をつけて自転車でくる子どもがいるぐらい遠くからの生徒もいたらしく、同じ集落や地域の生徒たちは上級生と下級生で集団下校することになっていた。下の子どもたちはグランドで上級生たちの5、6限が終わるのを待っていた。そのことが幸いし、津波が来る時に子どもだけで下校するという状況にならずに、登校していた生徒は全員学校にいた。
音楽室では当時の校長先生や先生が地震が起きて、津波が来るというニュースをテレビで見てどう行動したのかというインタビューと当時の海上自衛隊などが撮影した津波の映像などを見せてもらった。それを見ると屋上を案内してもらえる形になっていた。
どこかの学生の集団もいたが、僕は一人だけで映像を見て案内をしてもらった。東日本大震災の数日前にも大きな地震があったので、校長をはじめとして先生たちが地震が起きたらどう行動するかという話し合いがされていたことも生存率を上げる大きな要因になっていたという。地震発生時には僕がさきほど通ってきた中学校が避難先だったようだが、歩いてみたので肌感でわかるが10分以上はある。ましてや小学生たちが何十人といること、最初の津波警報は10分後に10メートルの津波が来るというもの(実際は1時間ちょっとだったみたい)で、みんなで中学校に向かってしまうと津波の被害に遭う可能性があったようだ
一階の高さが4メートルだとすると二階分で8メートル、そして高潮対策で2メートル嵩上げされていたので合わせると10メートル。そうなると津波がやってくると二階の天井までになり、助からない可能性が高いためそれより上の屋上に避難するしかなかった。全員が助かったという事実があるから校長の判断のおかげで助かったと言えるが、もし、それ以上の津波が来ていたらみんな津波にさらわれてしまい、死者が出ていてもおかしくなかった。そういう話もPTAの方がちゃんと話をしていて、映像を丁寧に作っているなと思えた。
校長の判断で生徒と先生と近くの一部の住人たちは屋上に上った。子どもたちに津波を見せないようにということで実際に津波を見たのは校長や一部の先生ぐらいだったらしい。いろんな偶然も重なって全員が無事だった。翌朝、上空を通っていた自衛隊のヘリが飛ぶ音がして、屋上の見える場所に出た生徒たちが手を振って気づいてもらって救助されたのは朝の6時ぐらい、それまで食べるものもなくましてや3月の時点ではかなり寒かったようだ。学校の前はほとんど津波で流されてしまったことで、瓦礫などもなくてヘリが降りれる状況だったこともあり、人数の割には比較的早い時間でみんなが救出された、という話もあった。
屋上のみんなが避難しているところは撮影は禁止だったので撮っていないが、天井が三角の斜めの部分になっていて実際に入ってみるとかなり狭い。屋上から海の方を見るともう民家はひとつもなくて、畑が広がっている。
今回の津波で被害に遭った地域は建築制限に関する法律ができたので、前に住んでいた場所に家を新しく建てることができなくなってしまった。住宅地としては使用できないので畑であったり、他の場所ではソーラーパネルなどが置かれることになった。だから、38号から海の方に見える景色が緑が一面に広がっているのは、もう人が住めない場所だった。かつて人の営みがあった場所に人が住めなくなって、新しい堤防ができてその内側には田んぼだけが広がっている。



福島県道・宮城県道38号相馬亘理線」を歩いて新地駅方面に向かった。3年前にはここはまだ開通していなかった。


古川さんと僕は津波に流された旧坂元駅を探していて、建設中の道路に入り込んでしまった。工事現場の人に確認をして車がまだ通行できないこの道路を歩いて進んだ。旧坂元駅の残骸や残っているものを見つけることができなかった。
語り部の方に道路を歩いたことを話すと一昨年開通したこと、イチゴ農園の看板があるところが旧坂元駅があった場所ですよと教えてもらった。そして、津波で流された常磐線の線路と並行する形だったらしい。僕は話を聞いている時に勘違いして、この道路は元々は常磐線があった場所に作ったのだと思っていたが、調べてみると並行していたと出てくるので、ほとんど常磐線という意味でおっしゃったのだろう。
そう考えると、やっぱり2020年の晩秋に車が通ることのなかった真新しい道路、Googleマップにも出てこなくて存在していない道を、震災までは常磐線の線路だったと言えるような道を、ほとんど常磐線だった道を僕らは歩いていた。そういうことをあとあとになって知る。今回は一人で歩いているけど、地層が重なるように僕の中の記憶と経験がさらに新しい層を作り、過去と現在の点と点が結ばれて線となった。『忘れられる過去』で読んだ「読書」と同じことが僕に起きていた。


宮城県から福島県に入り、38号を横目に田んぼの中の道を進んでいき宿泊予定のホテルグラード新地に向かった。写真の右がホテル、18時から鑑賞予定の『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ 朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版』は左にある新地町文化交流センター/観海ホールで上演される。
ホテルもここしか周りにはないし、上演時間的にも一時間に一本、夕方以降に二本ぐらいの電車なので終わった後に仙台まで戻って東京はかなりしんどい。翌日の13時からの二回目の公演もあったので、僕は公演のチケットが販売される前にホテルグラード新地の部屋を予約していた。昼の回を観て帰るのがベストだし、6号線の初日に泊まったのがこのホテルだったという縁もあった。
チェックインしてから汗はさすがにかなりかいていたので、すぐにシャワーを浴びたが飲むものもないし、昼間は何も食べていなかったのでコンビニか何か探そうとホテルを出た。
新地町文化交流センターの駐車場があるほうに管啓次郎さんが通し稽古終わりでいらしたのでご挨拶して、コンビニ的な場所は近くにありませんかと聞いたら、まっすぐ進んで国道にでるところに大きなドラッグストアがあって、食品も売っていると教えてもらった。飲み物と食べ物を買ってホテルに歩いて帰ってから、開場の17時半までホテルでのんびりしていたが、寝たら絶対に起きられないと思ってなんとか寝ないようにしていた。まあ、暑い中歩いたらかなり体力消耗するから眠くなるのは自然なことなんだが、こういう時に寝過ごしたら本当に意味がなくなってしまう。

東京に帰ってから今まで僕が観た朗読劇『 銀河鉄道の夜 』を調べてみた。こういう流れというか、鑑賞してこの日に至っている。

2013年3月11日(月) 本・つながる・未来 vol.14 光のしずく流れる春の川 朗読劇『 銀河鉄道の夜 』 Rainy Day Bookstore & Cafe


2013年12月8日(日) 朗読劇「銀河鉄道の夜」冬の公演 福島県郡山市 安積歴史博物館


2014年3月9日(日) 『ほんとうのうた~朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って~』先行プレミア上映 ユーロスペース


2014年7月20日(日) 朗読劇「銀河鉄道の夜」東京特別公演 明治大学アカデミーホール(お茶の水


2014年7月21日(月) 映画『ほんとうのうた〜朗読劇「銀河鉄道夜」を追って〜』 ユーロスペース


2018年1月20日(土) 朗読劇「銀河鉄道の夜南相馬公演 福島・南相馬市民文化会館多目的ホール


2018年9月29日(土)&9月30日(日) 世田谷美術館パフォーマンス・シリーズ「トランス/エントランス」vol.16公演 世田谷美術館
※9月30日(日)の公演は台風のため中止


2021年3月11日14時46分 コロナ時代の銀河 朗読劇「銀河鉄道の夜



2021年3月11日20時〜22時 古川日出男×柴田元幸×管啓次郎×小島ケイタニーラブ×河合宏樹「コロナ時代の銀河——朗読劇「銀河鉄道の夜」と10年」〜無観客野外朗読劇の映像公開記念〜 B&B(オンライン)

2022年3月11日14時46分「コロナ時代の銀河 」 英語/フランス語 字幕版配信
THE MILKY WAY IN THE AGE OF CORONA A PLAY OF VOICES: NIGHT ON THE MILKY WAY TRAIN



La Voie lactée au temps de la Covid Train de nuit dans la Voie lactée – lecture théâtralisée



2023年3月11日14時46分、ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」三話シリーズ期間限定で無料公開スタート


最初に「朗読劇『銀河鉄道の夜』」を観たのは東日本大震災から2年後の2013年、この時点で小説家の古川日出男さん、詩人の管啓次郎さん、ミュージシャンの小島ケイタニーラブさんの三人で始まったものに、翻訳家の柴田元幸さんも参加されて四人になっていた。僕は三人編成は一度も観れていない。
2018年の南相馬での公演が最後の観劇となっていた。同年の世田谷美術館での公演の二日目が台風のために中止になってしまい、その回のチケットを取っていたので観れなかった。
2019年以降のコロナパンデミックでお客さんを入れての公演ではなく、地震が起きた時刻にYouTubeで『コロナ時代の銀河』を銀河チームが発表、公開しているのをリアルタイムで観ていた。
5年ぶりの「朗読劇『銀河鉄道の夜』」を観客としてライブで観るのは5年ぶりであり、メンバーも俳優の北村恵さん、ミュージシャンの後藤正文さんも加わった六人編成での公演を初めて観れる機会だった。

2023年8月1日(火)18:00〜/8月2日(水)13:00〜 「常磐線舞台芸術祭2023」 ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ ラジオ朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版 新地町文化交流センター(観海ホール)

銀河ラジオ(ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ)の人気 DJ ゴトウのもとに、ある夜ふしぎな投書が届けられた。ジョバンニという弟が行方不明なのだ、とその女性のボイスメールは訴える。はたしてジョバンニ少年はどこにいるのか? そしてジョバンニの親友・カムパネルラはどうなったのか? 純粋な子ども たちの想いを追って、銀河ラジオの報道員(レポーター)たちの冒険が始まる。「宮沢賢治さん、 賢治さん、これがラジオです。これが銀河のラジオです」


「ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ」開幕に古川日出男後藤正文・小島ケイタニーラブが思い述べる(舞台写真 / コメントあり) 

上演中の様子はナタリーの記事と写真で観てもらうと出演者の立ち位置がわかると思う。この日は初日で、翌日の昼の二回目も観るので舞台の正面から観ることにした。開場を待っている時に、南相馬の公演の時にお会いしていた古川さんの後輩で『ただようまなびや』などもお手伝いをされていた方と5年ぶりにお会いできたのもうれしかった。
今年の3月に『ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」』として三回にわたって放送されたものがベースになっており、「朗読劇『銀河鉄道の夜』」を観ると毎回同じということはなくて、今回もラジオで放送されたものからさらにバージョンアップされていた。
古川さんが毎回脚本をブラッシュアップしていることもあり、宮沢賢治著『銀河鉄道の夜』がベースであるものの時間の経過とともに変化している作品でもある。今回は冒頭で弟(古川)と姉(北村)の会話があり、セリフの中で廃線とラジオについてのものがあり、物語を始めようという呼びかけとともに始まった。
宮沢賢治著『銀河鉄道の夜』があり、それを基にした「朗読劇『銀河鉄道の夜』」があり、ゴトウ(後藤)がDJである「ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ」というラジオ放送があり、さらにのちに兄妹の兄(小島)が作中に出てくるので三兄弟がいる時間軸がある、という風にレイヤーが重なっていた。この層こそがまさに時間と空間と創造であり、物語というフィクションと現実というノンフィクション(詩人は詩人として、翻訳家は翻訳家として、ミュージシャンはミュージシャンとしても存在し、音を声を鳴らして響かせる)もミルフィーユのように重なりながらもある時には同時に存在する、というものになっていた。
古川さんは高校時代や大学時代に演劇をやっていたことももちろん影響というか、舞台をどう構成して作り上げるかということの核にはなっているはずだ。舞台芸術というものはなまの人間が演じて、観客が物語のお約束ごとしっかり守って、あるいは信じて(舞台というものは観客の信頼によって成り立っていると思う)、舞台の上で起きていることを観ていく。そうすると異なる時間軸にいるはずの役者たちが同じ舞台の上ですれ違うことも可能となる。作り手と観客の想像力の飛躍と信頼によって、虚実を現実にトレースしながらさらにイメージを重ねていくことができる。それはフィクションでありノンフィクションであり、現実における可能性のようだった。

冒頭の弟と姉、さらにのちに出てくる兄という三兄弟に関しては、『ゼロエフ』でも古川さんが兄と姉に話を聞いていることが脳裏に浮かんできた。古川さんが三兄弟の末っ子であるというという事実、それが反映されているように、見えた。
単車を走らせて廃線で受信機だったはず、だからRX(Receiver)を持っていてなにか(ラジオ放送)を受信しようとしている弟、料理を作っている姉との電話での会話、のちに出てくる兄は送信機であるTX(Transmitter)を持っている。末っ子は受信する側であり、兄は送信する側である。姉はどちらも繋ぐ役割にも見えるし、どちらの要素も増加、増進させるような存在のようだった。
弟は兄と姉からなにかを受信していく、受け取っていく、あるいは継承していく、さらになにかを託されているとも考えられなくもない。そして、古川さんが、郡山で生まれ育った三兄弟の一人として、創作者としてこの脚本を書くということはそういう要素が入り込んでいると思うのが自然だろう。
古川さんはこの「銀河チーム」において座長、長であるなので、立場が弟から(長)兄となり、送信する側となる。RXとTXはもちろん、ラジオというものがあってのことだろうけど、受け手と送り手ならば観客と出演者(舞台に関わる人たち)になる。それは反転もするだろうし、この朗読劇を観た人たちが違う場所では送り手にもなることもある。
ジョバンニとカムパネルラが乗った「銀河鉄道」は生と死の境界線をずっと走っていき、最後には彼岸へ辿り着き、生者であるジョバンニはカムパネルラとずっと一緒に乗っていることはできなくなる。だけども、RXとTXが交差して入れ替われるように、生者と死者も同様であり、また離れていても繋がれる瞬間が、刹那の時間や空間だってどこかにあるはずだ。
死者も生者である僕たちと同じ場所にいるし、僕たちもやがて死者になっていく。まっすぐに線を引いてここから先はなになにで、ここからまでがなになになんてことは人間というか生命にとって利害とか利益みたいな社会的な行動の時以外には使えないし、実際にはそういうものは混ざり合っているのだと思う。そういう揺らぎのようなものの中で僕は生きて死んでいく。出会って別れていくけど、それらは全部一緒にあって、死んでいるけど生きているように誰かの心に残っていたり、別れてもどこかで存在している、みたいなことが積み重なっていくというのが大きな意味で生きるってことだし、死ぬことなんだろう。
こうやって文章を書きながら浮かんでいることは、当然ながら朗読劇を鑑賞中にはまったく考えても思ってもいなかった。ただ、六人の声と身体性と物語が僕の中に沁み込んでいった。それらを時間が経ってからできるだけ言語化しようとしている。でも、他の人からしたらまったく違う感想になったり、解釈だったりもするはずで、それでいい。



終わってから出演者の方々と少しお話をさせてもらう。外に出てから撮影をしている河合くんと今回の「常磐線舞台芸術祭2023」のサイトやパンフなど全体的なデザインを担当された形山さんがいたので入り口付近で立ち話を。
またホテルから10分ぐらい歩いてドラッグストアに食料を買いに行くのはしんどかったので、ホテルの一階のお食事処「悠」に行って、せっかく海近いしと思って炙りしめ鯖定食を頼んでビールを二杯。部屋に帰ったらすぐに寝落ちした。

 

8月2日
ホテルは朝食込みにしていたので6時半に起きて、朝食の時間が8時までだったので顔だけ洗って「悠」に行って朝食を食べた。バイキング形式はとりあえずよそっていくと何が食べたかったのかわからなくなる。
問題はこのあとだった。二日目も隣の新地町文化交流センターで13時から開演、開場は12時30分からだったが、ホテルのチェックアウトは10時までだった。常磐線はだいたい一時間に上下線ともに一本ぐらい。近くで時間を潰せそうなところは見当たらない。12時にセンターに行くとしても2時間は空く。3年前にここに来た時にみんなで行った釣師浜海水浴場に一人で歩いて行って時間を潰すことにした。
東京に比べたらまだ気温は高くないし、浜風もあればギリギリ歩けるかなという考えだった。ノートパソコンを一応持ってきていたので、荷物はそれと着替えの入っているバックアップと財布とカードケースだけが入っている小さなショルダーバッグだけだった。
前の時も夏場に歩くだけでも疲れるけど、荷物の重さが時間が経つとだんだんと効いてくる。2020年は4号線と6号線はNHKのドキュメンタリー撮影の人もいて、一部区間ではノートパソコンだけは車に置かせてもらったりしていた。それが本当に助かったが、今回は一人きり。


チェックアウト後に外に出てから駅前にロッカーないかと思ったら、なくて新地町文化交流センター付近をうろうろしていたら、ホール横に観海タウン(観光協会・UDCしんち)という所があった。そこではレンタサイクルの表示があったので建物に入って、電動自転車をお借りさせてもらった。しかも、そこには無料ロッカーもあったので、ノートパソコンが入っているバックパックも置かせてもらえることになった。これで本当に肩の荷もおりた。
新地町サイクリングマップももらって、外にあった電動自転車に乗った。ヘルメットも一応公共機関のものなんで、と言われたので文句言わずに装着して走り出した。実は今まで電動自転車に乗ったことがなかったのだけど、なるほどこれは楽ちんだ。とりあえず、海側に向かって走り出した。


2020年7月31日に古川さんと田中くんと坂元駅から新地町のホテルまで歩いて、到着後にNHKの車両に乗せて連れていってもらった場所を今回は自転車で巡った。砂浜には多くはないけど家族連れが海水浴を楽しんでいて、前よりも浜辺がキレイになっているように感じた。



歩いたら2、30分程度かかる距離も自転車だと10分以内に着いてしまうので、そのまま海岸沿いを走る38号を自転車で南下して、海釣り公演という地図にある場所まで行くことにした。
左手から吹いてくる浜風が気持ちよく、道路を挟んで右側は津波で流されて家もほとんどなくなった場所に緑がもうもうと茂っていた。青と緑の間を灰色の道路が走っていて、自然の豊かさと生命力に圧倒される。時折自動車は通っていくが自転車に乗っているのは僕だけで、もちろん誰も歩いていなかった。
テトラポットや何メートルもある堤防というものを3年前にもいろんな場所で見たし、今回もこの海で見たけど、津波の被害を食い止めるためだというのはわかるんだけど、海と陸を隔てて区切ってしまうことはやっぱり違うんじゃないかなあ、と思ってしまう。行き来できないということは受け入れられないし、受け入れてももらえなくなってしまう。


帰りは6号線を通りたいと思ったので、海釣り公園からそれまで走っていた右側の方に進んでいくと6号線にぶつかるのがサイクリングマップを見るとわかった。
田んぼの美しい稲が揺れるのを見ながらのんびりと知らない町の知らない道を貸してもらった自転車で走っているのは、そんなに違和感はなかった。やがて6号線に出て、3年前とは真逆に新地駅方面に向かって自転車を漕いでいった。


『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ ラジオ朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版』の二日目は前日に正面から全体像を観ていたこともあって、黄色いクリアファイルの譜面台がある古川さんの斜め後ろから鑑賞することにした。
古川さんの前には管啓次郎さんが、さらにその前には小島ケイタニーラブさんが、彼らの後ろ姿を見る感じであり、円筒のスピーカーの横のカメラの場所には河合くんがいて、古川さんを撮影しているというのも見える位置だった。僕の座った場所の左側の方にはゴッチ(後藤)さんのラジオステーションにもなる場所がある。古川さんと管さんと小島さんの反対の位置には柴田さんと北村さんが立つ。
初日には僕が気づいていなかっただけだろうけど、ゴッチさん以外の五人が立っている場所は線路のように立ち上がっていた。最初に古川さんと北村さんの弟と姉がゴッチさんが立つことになる場所にいてそこから左右に分かれる、その時に列車の出発音のような起動音が鳴っていたが、その時にここの部分が動き出して高くなっていった。その後に他の出演者が出てきて定位置に向かっていくという流れだった。正面の座席で観ていた時に最初は暗闇なのでそこが立ち上がっているとまったく気づかないで初日は観ていたということに翌日、後ろ側から観てわかった。線路のようにと書いたけど、そう思うだけでもよりこの朗読劇が深い部分で演出されているのもわかる。それに気づかないままだった可能性もあった。
一日目は古川さん達もお客さんの前で今回のバージョンの『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ ラジオ朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版』をやるのは初めてだったし、観客も初めて観るという状況だった。当然ながらそういう場合はどちらもやっぱり緊張はする。また、観客はリアルタイムで物語がどうなっているのかをセリフや状況で判断していくので、その処理と目の前で起きていることを結びながら、ということになる。
昨日について書いているのは家に帰ってから四日になって、時間が経ってから書いているし、この日も同様で、時間が経たないと自分の中を通過した物語や声たちがどんな色や匂いや重いとか軽いとか、を判断というか理解ができなかった。今書くことでそれらが一気に蘇ってきている。
二日目は物語の筋や流れはある程度把握できていることもあって、そちらに理解や気持ちを意識的により向けなくてもいいので、フラットな気持ちで朗読劇を受け取ることができたのではないかと思う。また、古川さんの近くで観たことでよりエモーションを感じられた。近くで実際に観るからこそわかる動きや表情の変化というのはとんでもない情報量になって、僕の中に入り込んできていた。

紅一点であり、出演者の中で唯一の女性でもある北村恵さんはこれまでにも古川さんの演出舞台や朗読劇などにも出演している俳優さん。彼女は古川さんよりも年齢は下だけど、なんというかどこか姉のような存在として、古川さんを見守ってきた女性たちがひとつの存在となって舞台にいる、という印象を受けることがこれまでに何度かあった。もちろん二人の波長とかがあう、信頼感があるからこそ、同じ舞台に立っているんだと思う。北村さんの声はやわらかいんだけど、ふっと入ってくる(抜ける)強さもあるし、真夏のサイダーのように甘すぎない爽やかさ。

翻訳家である柴田元幸さんは四人目としてこの「朗読劇」に参加されていて、作中で話される英語が物語の奥行きというか世界観を広げていると思っている。また、柴田さん自身の言い回しのファニーさというか、語尾に「よござんす」みたいな時にもうれしくなるというか微笑んでいる自分がいる。トワイライライトの熊谷くんが柴田さんを全国に連れて朗読イベントもたくさん開催していて、柴田さんはそれだけでなく、ご自身が翻訳された作品の刊行の際にも朗読イベントをされていることもあって、朗読がとんでもないレベル、朗読者にもなっているなといつも思う。世界中でもあんなにすごい朗読できる翻訳家はたぶん、というかきっといない。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONのフロントマンであり、Gotchとしてもソロ活動もしている後藤正文さんは震災後の福島だけでなく、東北でのイベントなどにも出演されていて、他にも様々な活動をされているし、自分の思っている(考えいている)意見を言葉にできるミュージシャン。どちらもファンだった後藤さんと古川さんが一緒に朗読劇やコラボレーションをする機会を観れていなかったの今回観れたのも嬉しかった。「ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ」のDJゴトウとして話す声はいつもその場所にいる人たちを、その地域で起きていることを自分の目で見て、人に話を聞いてから考えたいという彼の姿勢と思いやりの気持ち(眼差し)が感じられるものだった。ギターで鳴らす環境音というかそのシーンに必要な音も心地よかった。

小島ケイタニーラブさんは初期から三人で始まった時からのメンバーで、その時点でも一番若く、この朗読劇における音楽をメインで担っている。他のメンバーからすれば若いはずの小島さんの声がしっかりと伝わってくる、老成しているとは違うような、落ち着いて物事を客観的に見ながらも動ける人のような視線や意志のようなものがそこに孕まれている。最後に朗読劇を締める役割でもある曲『フォークダンス』は彼がメインで歌っているが、二日目の方が自分でもなぜだかわからないけど、深く深いところに届いて揺れて、視界が潤んで、その後ろ姿がぼやけていた。

詩人であり、古川さんに声をかけて「朗読劇」が始まるきっかけを作った管啓次郎さんの声は、カムパネルラとして出される時に一緒に銀河鉄道に乗車したジョバンニを導き(あるいは保護し)、自分の運命を受けれながらも友人のジョバンニと一緒にいる時間を愛おしく感じているように聞こえる。管さんが後半に詠む詩とカムパネルラであることがこの「朗読劇」への観客の没入力をさらに高めていると感じるし、物語が立体的になっていると思う。ちゃんと重さがあって軽やかで、生きている声と詩。それはやっぱりポエジーであり、生命のきらめきだと思う。

脚本を書き、自らもジョバンニとして出演している古川日出男さんは、今作の中心であり、核である。だが、みんなが古川をただ盛り上げているのではなく、古川さんはそのシーンごとに中心となる人がその瞬間にしっかりと生きていること、呼吸して声を出すことを軸にして脚本を作っている。それによって各出演者の演じる人物達の輪郭がはっきりとしてくるから物語が出演者にとっても観客にとっても受動的なものではなく、能動的なものとして生きた物語になってくる。そうするとみんながその物語を生きて、古川さんの演じるジョバンニのシーンもより切実で魅力に溢れたものとなっていく。
「朗読劇」だけではなく、自作である小説の朗読なども何度も観てきているけど、毎回想像の先に、見たことのない場所に連れていってくれる。それを作り上げるのは困難であり非常に大変だと思うが、それをいつも古川さんが越えてくるから一緒に作品を作っている人たちもその先に共に進もうとするし、スタッフの人たちも集結(尽力)して、チームとしての結束力と信頼が年々増していっている、そのことが「朗読劇『銀河鉄道の夜』」がどんどん前へ進めている原動力なんだと思う。いつも古川さんの朗読や今回のような「朗読劇」を観た後はうまく言葉が言えなくて、「よかったです」としか言えないのが申し訳ないのだけど、その時に言葉にできなかった想いがこうやって文章になっている。

初日はすごいものを観て、どう言葉にしたらいいのかわからなかった。二日目のほうがゆっくりゆっくりと寄せては返す波のように、僕の感情が「朗読劇」によってどんどん鼓舞されていくのを感じた。最後の『フォークダンス』でのみんなの声が重なっていく、その声とリズム、そして、その場に自分が居れることにただただ感動していた。

小島ケイタニーラブ – フォークダンス





上演が終わった後に出演者の皆さんとお話もできた。電車の時刻が近づいてきたので、古川さんたちに挨拶をして駅に向かった。そして、仙台行きと原ノ町行きが両方来て、原ノ町方面に乗ろうとしていたことに気づいて、反対側に走ったが電車は出ていってしまい、会場に戻るのは恥ずかしいので40分ちょっと後の次の電車をホームで待っていた。
次の電車の時刻が近づいてきたら、北村さんたちや照明などをされていたスタッフさんがに仙台方面に向けて帰ろうとホームにやってきた。仙台に戻ってから新幹線で東京とかに帰るしかないので、みんな同じ方面になる。
1番線も2番線もどちらも「仙台・原ノ町方面」と表示されていて、次に来る電車がどちらも同じ時間だったので、みんなどっちなんだよとちょっと前の僕のようにプチパニクっていたが、仙台方面の電車が1番線に入ってきたので、みんなそれに乗った。常磐線に乗って約一時間、窓の外を流れる景色を見ていた。電車が停まって仙台駅に近づくたびに乗車する人は増えていった。

この二日間の常磐線と『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ 朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版』についてはこの日記を公開する前にnoteで先にアップした。

 

8月3日
昨日家に帰ってすぐに眠った。疲れもあったのだろう、しっかり眠れて寝起きもよかった。鏡を見たら両腕がかなり日焼けしていた。一日目は1時間半以上は外を歩いていたし、二日目も2時間程度自転車に乗っていた。そりゃあ、肌は焼ける。
前日は有給を使ったので、さすがにこの日はいつも休みの木曜日だがリモートワークで仕事を開始。思いのほか仕事が溜まっていなかったのでスムーズにこなす。


午後に講談社に打ち合わせに行った。今やっているライティング関連の仕事を依頼してくれた人から別の件でお声がけをしてもらったので、直接打ち合わせをしに。帰る時に本社一階にある書店で神田伯山著『講談放浪記』を購入した。
社名となった「講談」を巡るあれこれの歴史。そして現在における「講談」を知らなかった僕らですら、名前を知ることになった講談師・神田伯山。この書籍が講談社から出ていることのおもしろさ。
〆切のスケジュールは問題はないのだけど、やっぱりこの前立てたばかりのこの数ヶ月のスケジュールは変えないとパンクする。

仕事終わりでニコラに寄って、ガトーショコラとアイスコーヒーをいただく、平日の夕方だけど混んでいた。
この日の作業中は月曜深夜の『アルコ&ピース D.C.GARAGE』でアルピーの平子さんのお父さんに関するトーク(二回目)から、水曜日深夜の『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』でいわき市出身者(『サクマ&ピース』コンビ)繋がりの佐久間さんが平子さんの話を受けてのトークとなっていて、それを聴いていた。
その二つのラジオのトークが結ばれる形、原因となった『独占生中継2023 隅田川花火大会 SIDE B 地上波放送の裏で佐久間宣行とアルコ&ピース酒井がスペシャル生トーク!』をスケジュールを再考しながら(たまに見ながら)聴いていた。めっちゃテレ東の人たち出まくりな不思議な配信、花火もそこそも見れるし、いい感じに緩い番組だった。

 

8月4日
福島の疲れが出ているのか、昨日に引き続きぐっすり眠れた。起きてからリモートワークを開始して作業をしていると佐川急便さんが荷物を届けてくれた。

田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 1』がカドカワストアから届いた。重っ、デカっと嬉しい誤算。コミックス1巻「小林洋介」からコミックス6巻「PSYCHO FAKE 3」までを収録。

今日のパフォーマンスでは我々の声が、富岡から始まって、浜通り、福島、そしてどこというのは関係なくどんどん広がって、種になって芽吹いて、もう一度命を宿すように、違う物語になればいいなと思います

「二つの駅舎、ボイス・オン・ボイス」古川日出男アジカン後藤正文がコラボ

1日と2日は『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ ラジオ朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版』が新地で開催されたが、古川さんと後藤さんは引き続き、『二つの駅舎、ボイス・オン・ボイス』を3日に富岡駅周辺で、4日に新地駅周辺で行われることになっていた。こちらも観たかったが、時間帯と場所の問題で泊まる場所、そこから帰ることなどの問題から諦めざるを得なかった。これを観れなかったのが今回の心残り。

金曜日はいつも通り、作業中は『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を聴いていた。日付が変わる前に『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴きながら寝落ちしたので平常運転に戻った。
新地で自転車に乗って海岸沿いを走っている時は『星野源オールナイトニッポン』を聴いていたし、新幹線で仙台から大宮まで帰る時には『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。移動には徒歩であろうが、自転車であろうが、新幹線であろうがラジオがお供になっている。

 

8月5日
起きてから洗濯をしたり、月曜日にミーティングをするのでその資料を読んだりする午前。10時すぎてからスーパーに行くついでに寄ったTSUTAYAで発売されていた本を数冊購入した。


松本直也著『怪獣8号』10巻。ついに10巻か、と思う。僕にしては珍しくジャンプ作品で最初から読んでいる漫画作品。「怪獣」は自然災害や現在の地球環境のメタファーにも取れるが、「怪獣」を退治する日本防衛隊に入った日比野カフカは謎の生物に侵食されて怪獣化し、「怪獣8号」となってしまう。敵の能力を秘めた主人公と日本防衛隊で「怪獣」との戦いの最前線に立つ仲間たちを描いている。
ジャンプのバトル漫画的な部分があるので、出現する「怪獣」たちもどんどん強くなり、カフカだけでなく、防衛隊のメンバーも「怪獣」の能力を利用する武器などでそれと戦える強さになっていくので、強さの渋滞というかアクセレレートしている。それは物語の展開上当然のことなんだけど、どこかでなんだかなって思ってしまう部分がいる。成長を描く上でそうなっていくのはわかるんだけど。
また、今回の表紙になっている四ノ宮キコルはカフカたちの同期だが、16歳で大学を飛級し最年少主席卒業した防衛隊期待の新人であり、防衛隊長官である四ノ宮功と元防衛隊第2部隊長だった四ノ宮ヒカリの娘という設定になっている。母もかつて防衛隊の最強の一人として「怪獣」を討伐していた存在であるが亡くなっている。
四ノ宮キコルに関しては誰もが「エヴァ」のアスカを彷彿する存在であり、母が亡くなっていること、その母が周囲から天才と呼ばれるような存在だったことなど基本的に天才ツンデレ少女というパターンを踏襲している。今作でも母娘問題が「エヴァ」同様のものが描かれていくのは、どちらに作り手が男性だからなのか、あるいは天才ツンデレ少女を描こうとするとこのパターンが馴染みがよく、ほかのことをやると受け手のノイズになるからなのか。ちょっと気になる。


山崎峰水漫画/大塚英志原作『くだんのピストル』四巻。今回の各タイトルは寺山修司による監督作品の長編映画と短編映画のタイトルから。

 

炭酸水を飲みながら、燃え殻著『ブルーハワイ』を読んだ。かつて一緒に居た、居合わせた誰かの記憶や思い出が現在にふわっと浮かび上がって、なにか波紋のようなものが広がってくるエッセイ。花火やかき氷の話もあった。そして、週刊連載を続けられているの本当にすごい。

夕方まで作業をしてから、マシュー・チョジック初監督『トシエ・ザ・ニヒリスト』日本初公開!カンヌ短編オムニバス上映会を観るために代官山のシアターギルドへ。歩いて40分ぐらい夕方過ぎだったのもあるが、気温も暑すぎず風も少し吹いていて歩くにはちょうどよかった。途中、蔦屋代官山書店に涼みがてら寄ったら店外で出店的な感じのことをしていたので浴衣を着た親子連れがたくさんいた。
はじめてのシアターギルドだったが、オシャレなバーという感じの場所でのんびりとソファなどに座って、各自それぞれにワイヤレスヘッドフォンが渡されてそちらで音声を聞く感じの映画館だった。
マシューセレクションということで彼の作品が最後でほかはカンヌで彼が見つけてきた二作品がセットで上映されるものとなっていた。マシューが飛行機のパイロットでカンヌに行っていて、作品を紹介するというVTRがそれぞれの作品の前と後にあり、二作品に関してはどちらも監督からのコメントもあった。
マシューがやっているちょっとおちゃらけた映像に関しては彼が出演している『世界まる見え!特捜部』のオマージュというかネタにしているようなものだった。満席だったが、海外の方も半分近くいた感じで多国籍な観客になっていたのも印象に残った。

 

『フラッフィテイルズ(Fluffy Tales)』
監督 アリソン・クーン 
キャスト ナディーン・デュボワ、ローレンツクリーガー、アレクサンドラ・サグルナ
製作国 ドイツ (15分)

予告編 (英語字幕のみ) 



作品紹介:英国アカデミー賞ノミネート作品。映画界で大注目を集める新進気鋭、ドイツ人の20代女性監督アリソン・クーンによる風刺コメディ。主人公エラが、ドッグフードの新ブランド広告キャンペーンモデルに起用される。彼女と共演していたモデルの犬が撮影の際にうまく振る舞えなかったため、写真家とクライアントはエラに犬役をもオーダーする。エスカレートする要求にエラはどう応えるのか。MeToo時代に必見の作品。

モデルのエラが犬の代わりに犬的な行動をさせられていく、資本主義における人間がシステムに隷属化していく、奴隷あるいは家畜化されていくというアイロニーを描いている作品だった。最終的に新しいモデルであり犬になる女性がやってくるが、エラはソファの上に立ったままである行為をする。マシューによれば、カンヌやフランスではかなり爆笑だったという。それは彼女なりの反撃であり、同時に飼い慣らされて犬化したようにもどちらにも見えた。
日本だとこの皮肉やアイロニーに関しては、やはりどう受け止めていいいのかの判断が難しいというのもあって、ほとんど誰も笑ってなかったんじゃないだろうか、フェッドフォンしているので外の声は聞こえないというのもある。もし、ヘッドフォンをしていなくて誰かが笑ったら、気兼ねなく笑えたという人もいそうだ。この辺りはある種日本的なものだなと終わった後のトークで聞きながら感じた。
風刺というものへの理解とか文化や芸能的なものが少ないというのもあるのかもしれない。批評を批判や悪口だと考える人が多いのをSNSで見ること自体、そういうものを受け入れる土台が薄い。批評と創作の関係性、そもそも創作は個人の自由と基本的人権とも関わっているので、そういうものをきちんと教育してこなかった日本において、風刺というものを見て笑うとか、受けとけて考えるとかはやっぱりそういうことに意識がないと難しいのかも。この作品は単純にショットの、映像の撮り方も広告撮影の場所というのを奥行きを見せていてうまかった。

『ナルシス(Narcissus)』監督 蒋闻
キャスト カン・チャン、ワン・ダン
製作国 中国 (19分)

作品紹介:古代ギリシャ神話のオマージュで、トロントインディーズ映画祭のLGBTQ最優秀賞受賞作品。LGBTQの大学生が出会い系サイトで知り合ったひとりの男性に会いにいくところから始まる。彼との出会いを通して主人公が味わうさまざまな感情や人生の旅が、ため息の出るような中国の風景とともに描かれる。困難を乗り越えながら成長し、自己愛と向き合う主人公がいくつく先はどこなのか。普遍的かつ哲学的な作品。

マシューさんがトークの時にもう少し長かったが、監督に断りを入れて少し短くしたと言っていた作品。西湖?かな、湖のボートに出会い系で知り合った男性と乗る予定だった主人公のLGBTQの大学生は、彼が来れなくなってしまい、一人でボートに乗る。そこで美しい湖の景色と流れるような美しい音楽が流れていく。その後、男性とはクラブで再度約束をして出会うのだが、彼の家庭の事情なども描かれていく。
一気にITが進んで日本を追い越していった中国でも、スマホから出会い系サイトを利用する人たちはたくさんいるわけで、そしてLGBTQの大学生は髪は背中を越えるほどの長さで化粧もクラブに行く際にはしっかりとして華やかさがあるが、トイレは男性用を使っている。彼が出会い系サイトで出会った男性は家庭はあるようだが、同性愛的趣向があるのか、あるいはゲイであるのを隠すために普通の結婚をして家庭を持っているのかはわからないが、夜な夜な出会い系サイトで男性と出会っているようだ。
湖の自然な風景と神秘的な音楽、クラブでの人工的な電飾の点滅と低音の効いたダンスミュージックの対比が面白く興味深い。大学生が最後に行うある行動はその場所のことを考えると、彼はやはり自分の気持ちに正直に、自然なものでありたい、受け入れたいと思っているように感じた。

 

『トシエ・ザ・ニヒリスト』
監督 マシュー・チョジック
キャスト 比嘉梨乃、矢部太郎古川日出男、米本学仁、日高七海、マシュー・チョジック
製作国 日本(15分)

予告編



作品紹介:仮想通貨のオフィスで働く主人公トシエ(比嘉梨乃)の彼氏(矢部太郎)は、刑務所から出たばかり。トシエは彼氏と一緒に釈放を祝うはずだったが、彼氏からはとんでもないお願いをされ、モンモンとする日々。そんなある日、通勤途中に不慮の事故に見舞われてしまうトシエだったが、ベトナム戦争の英雄とされる人物の息子に救われ、日本からハワイまで泳ぐことになる。トシエの運命はいかに!?ユーモアあふれる作品。

チャーミングであり、不思議とかわいいがどうもマシュー的なアイロニーがところどころ、意識的なのか無意識なのか入り込んでいる短編。矢部太郎さんが彼氏役で刑務所から出所したばかりという役所だったので、それはカラテカとして矢部さんの相方が起こした不祥事とかを踏まえてのキャスティングなのか? どうなんだ? と思いながら見ていた。あとから聞いたらその意図はなかったらしい。いやあ、でも、この前の二作品が風刺やアイロニーのあるものだから、そう見えなくもない。そんなんは僕だけかもしれないが。物語としては彼氏と再会するものの、彼氏は刑務所で出会って一緒に出所した友人とのほうが彼女よりも大切になっている感じもあり、彼氏のために右往左往していくが、ある時に出会ったアンドンという謎の人物とハワイまで向かうことになるという珍道中。
千葉までチャリで行くし、そこから二人泳いで行くし、とかもう意図的にコントちっくな状況を作っているし端折っている。それは観る側が観ながら「なんでやねん!」とツッコミせざるをえない状況であり、綺麗な海と二人が泳いでいるっぽい映像を雑に重ねてみるとか、丁寧に作りながらもB級映画パルプフィクションぽい低俗な感じを出している。この辺りが頭がいい人がふんだんにアイロニーとかをぶち込みながら作っている感じがした。マシューさんの可愛らしいというか、笑顔すらもフェイクなんじゃないかなって思えてくるほど、でも、そういうものをひっくるめて人間なんで、まあおもしろい人だなってやっぱり思った。

上映後はキャストの方々がトークゲスト(比嘉梨乃、矢部太郎古川日出男、米本学仁、日高七海、マシュー・チョジック)として登場。
マシューさんや出演されている矢部太郎さんたちと上映後に飲みながらたくさん話せたのもよかった。古川さんも「常磐線芸術演劇祭」で一週間の福島に滞在後に来られていた。ほんとうにお疲れ様です。
このマシューセレクションは短編を観るいい機会にもなるし、すごくいいので、マシュー監督作品を毎回入れ替えて継続してほしいと伝えた。海外の作品もいいし、日本の作品でもいいのかもしれない。
場所的にもバースタイルにもなるから、観に来た人たちが終わってから交流もしやすいし、新しいものへ展開して繋がっていくものになりそうだなって思った。

 

8月6日


『サンデーうぇぶり』の「あだち充キャラクター神経衰弱」めちゃくちゃ難しい。20秒という制限が難易度上げてる。いい設計。 何回もやってようやく100%。


13時過ぎに家を出て、渋谷まで歩いて半蔵門線の永田町・赤坂見附駅で降りてから日比谷公園へ。家からTOHOシネマズ日比谷が入っている日比谷ミッドタウンまでが2時間ほどあるので、赤坂からスタートといった感じで首相官邸や国会議事堂横を通ってだいたい30分かからないぐらいの距離。
コロナパンデミックで去年、一昨年と開催が中止になっていた「THE MATSURI SESSION」ライブが100周年目の日比谷野外音楽堂で行われた。

LEO IMAI (LEO今井 岡村夏彦 シゲクニ 白根賢一)バンドセット
ZAZEN BOYS
KIMONOS
向井秀徳アコースティック&エレクトリック

出演者の演奏した流れは上記のもの。公演について友人の青木と合流してから、開場まで時間があったので公園でやっているイベントなのか、出店のように食べ物や飲み物を売っているところと、テントのようにお客さんが座って飲食ができるスペースがあったのでそこでビールを飲みながら近況報告。
天気は朝から急に雨が強く降ったり晴れたりを繰り返していた。ビールを飲んでいる最中には急激な大粒の雨が短い時間だけ降るということもあった。飲食スペースにいたから濡れずに済んだけど、野音前で待っていたらびしょ濡れになっていたと思う。

Zazen Boys - Amayadori 7.19 2018


まさに「Amayadori」状態だったけど、前回のリキッドルームのライブでも新曲をたくさんやって、ニューアルバムを出すと向井さんがMCで話していた。この曲のこのバージョンもアルバムに入れてくれたら最高なんだけどなあ。

最初はLEO IMAIが一人で出てきてギターを弾きながら歌っていき、終わり頃にバンドメンバーが出てきて、という形。けっこうゴリゴリなサウンドではあったが、気持ちのいい轟音だった。
そのあとはZAZEN BOYSが登場し、最初と最後以外の、8曲中6曲が新曲をやっていた。リキッドルームで僕は聴いていたので知っている曲だったけど、おそらく最近、去年の後半ぐらいからのワンマンには来ていなかった人からするとニューアルバムを出すというのはうれしいとしても、聴きたいという曲がほぼない状態だったと思う。やっぱり新曲が鳴っている時の反応は薄かった。
KIMONOSは向井秀徳&LEO IMAIのユニットで、ZAZEN BOYS同様に前にアルバムが出たのが10年以上前、僕も青木もアルバムが出た当時にライブでは観ていたが、近年は観ていなかったのうれしかった。やっぱりサウンドがカッコいい。ちょうどKIMONOSがやっている頃に日が暮れていったので、その雰囲気ともよく合っていて気持ちいい音が鳴っていた。『Tokyo Lights』も久しぶりにライブで聴けたけど、最高でした。この曲良すぎるよ。

Kimonos – Tokyo Lights



最後は向井秀徳アコースティック&エレクトリックで締め。向井さんが歌ってる時に大声で歌ってるやつがいて、向井さんは別に音源通りには歌わないし、ギターとかのリズムだから自分でいかようにもできるんだけど、そいつはライブにほとんど来ていないのか、ところどころ外してた。たぶん、音源のリズムや早さで曲を覚えているからそうなる。現場での曲のタメとかがある時にそれが如実になった。
野音はみんなビールとか酒をすぐに売店に買いに行けるから比較的酔っ払いが増えるし、多くの人が酒を飲んでいてちょっとテンションが上がっているのでそういう感じになりやすい。「向井〜」とか大声で叫んでいる人が、男性ばっかりだった気がするが、そういうのに向井さん答えないって、なんかそういうのはちょっと白けた。そういう奴らは新曲ばっかで聴きたい曲が聴けなかったのがなあ、とか言ってそう。
個人的には大満足なラインナップだったのでよかった。秋から全国ツアーをすると言っていたけど、さすがにそれに合わせてちゃんとニューアルバムを出してほしい。
帰りも赤坂見附駅まで歩いて電車に乗って帰った。やっぱり気温がめっちゃ高くはないといえど、湿気がすごかったから駅に着くまで汗だくになった。8月上旬だけど夏のイベントはもう終わった感じもする。今月はまだイベントとかライブには行くには行くけど、夏休みが終わって日常に戻るような気になる。これから〆切もどんどん近づいてくるし、それらをしっかり終わらしていかない、しっかり遊んだから働こう。

 

8月7日
ぐっすり眠れたのは昨日の疲れもあるし、ビールを飲んでいたからなんだろう。起きてからすぐに可燃ごみをだしてから、リモートワークまでにシャワーを浴びた。
いつも通りのリモートワークを始めるが、家にいても冷房入れないと蒸し風呂で汗をかくからクーラーを入れてサーキュレーターを回す。昨日も雨が降ったけどなんだか来週から雷や雨マークの天気予報になっていた。天候がどんどん変わっていくと体調を崩しやすいから気をつけないとダメそうだな。

 30min辺りで、酔いと暑さが、我々のビートをよりキツく厳しいものにした。僕は「あそうだ」と言う感じで、ペペトルメントアスカラールに「トルメント=拷問」という単語を含ませたのか、ありありと思い出した。もう耳が潰れ果てている僕にも「これはデカい」と感じるほどの音量で、僕は拷問を行なっている気分になった。何せ、半べそをかきながら両耳を押さえ、座り込んで泣いている女性や、非常に厳しい表情で居眠りしている男性がいるのである笑。「焼き払え菊地成孔」と僕は自分を鼓舞し、大いに鼓舞されるのであった。

 僕は自分が怖い。思えばそのことを長い間忘れていた。「粋な夜電波」は、僕の仕事の中で唯一、タイムラグなく一瞬で全て伝わったもので、そりゃあ磔になる人も多いだろう。僕は自分の恐ろしさをすっかり忘れていた。ラジオのマイクは、少なくとも僕の善人の側面を引き出す。スクイーズされている感じだ。もちろん、それも大いに結構だ。

 しかし僕は、座り込んで泣いている女性が「このまま辛すぎて死なないかな?笑」と思いながら、低音を(DJブース自体が揺れるほど)ブーストし、一瞬で高音をブーストし、はっきりと拷問の態度をとった。まあ彼女が死なないまでも、失神はして欲しいよな。ゲロ吐いたらすごいのに笑。とギラギラになってしまっていたのである。「理解されたい」「愛されたい」と渇望している飢えた猿たちに言いたい。お前たちが飢えるのは、自分に嘘をついているからだ。嘘は他人につけ。 

 突然、上半身裸の、全身タトゥーの青年たちが3人組でフロントにやってきて、暗黒舞踏とブレイキンの中間みたいな、素晴らしいダンスを始めた。30min聴いて「掴んだ」のである。こういうフロントライナーは必ずいる。体は動かないが、完全に陶酔しきっている人々は、彼等のダンスに見惚れる余裕もなさそうだった。

菊地成孔の日記 2023年8月7日 午前9時記す>

フジロックに菊地さんが「Q/N/K」として出演した際の日記。10年代になってからTBSラジオ菊地成孔の粋な夜電波』が土台にとなって僕は菊地さんがやっているバンドや音楽、プロデュースしてきたミュージシャンの曲をリアルタイムで聴くようになった。
菊地さんが自分でも書いたり言われているように、たぶん数年とか何年か早い、世の中に浸透しやすくなったり、受け入れられる前の音楽をやっていることは確かにあるし、あった。上記の全身タトゥーのフロントライナーたちはその先鋭隊というかアンテナが瞬間合ってしまったのだろう。ちょっと羨ましい、けどフジロックには興味はない。

21時から先週出版社で打ち合わせしたことの続きをオンラインミーティング。初対面の人もいたけど、この間打ち合わせしたことの再確認と今後の日程とかもろもろを決めたりする。
今やっているライティング作業が形になるのは来年とかだいぶ先だろうけど、見えない間にしっかりと根を張るように進めていけばたぶん大丈夫なはず。諸々やっているものが形になるまではできるだけ健康で、死なないようにしたいという気持ちにはなってきている。

 

8月8日

7時少しに目覚ましで起きる。Tシャツの首襟から胸の辺りにかけてかなり汗をかいていた。公開してから観にいくタイミングがずっと合わなかった『ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE』を朝一の回で観に行こうと思っていてウェブでチケットを取っていたので8時前に家を出て渋谷に向かう。
起きてから『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴いていたので、渋谷に着くちょっと前に聴き終えたので、次は『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴き始めた。『空気階段の踊り場』は日付変更とともに始まるので寝る時に聴いていたんだが、最近そういう日付変わってからのラジオの一時間番組のものを聴いてから、聴きながら寝ることが増えた。夜になっても気温が下がらないし、寝ようと思ってもなかなか寝付けないからだと思う。
平日だけど、火曜日はシネマイレージデイで料金は安く、子供は休みに入っているのか、母親に連れられた子も観に来ていた。一人は母親、その子供の友達で三人の少年みたいな組み合わせがいたが、小学中学年ぐらい、10歳ぐらいだったけど、上映中は話もせずに大人しく観ていた。ちょうど僕の前にその三人がいて、母親は少し離れた端っこの方に座っていた。
アクションのすごさとかはわかるだろうけど、AIの話とかいろんな国とか出てくるので小学生にはもしかしたら難しいかもしれない。でも、60歳のトム・クルーズがガンガンにアクションをしているのを小さな頃に映画館のスクリーンで観たということが彼らの、その中の誰かの中にきっと残る、残るといいなと思った。

トム・クルーズの代名詞で、世界的人気を誇るスパイアクション「ミッション:インポッシブル」シリーズの第7作。シリーズ初の2部作となり、イーサン・ハントの過去から現在までの旅路の果てに待ち受ける運命を描く。タイトルの「デッドレコニング(Dead Reckoning)」は「推測航法」の意味で、航行した経路や進んだ距離、起点、偏流などから過去や現在の位置を推定し、その位置情報をもとにして行う航法のことを指す。

IMFのエージェント、イーサン・ハントに、新たなミッションが課される。それは、全人類を脅かす新兵器を悪の手に渡る前に見つけ出すというものだった。しかし、そんなイーサンに、IMF所属以前の彼の過去を知るある男が迫り、世界各地で命を懸けた攻防を繰り広げることになる。今回のミッションはいかなる犠牲を払ってでも達成せねばならず、イーサンは仲間のためにも決断を迫られることになる。

シリーズを通して数々の命懸けのスタントをこなしてきたトム・クルーズは、今作ではノルウェーの山々に囲まれた断崖絶壁からバイクで空中にダイブするアクションシーンを披露。共演はサイモン・ペッグレベッカ・ファーガソン、ビング・レイムス、バネッサ・カービーらに加え、第1作に登場したユージーン・キットリッジ役のヘンリー・ツェーニーもカムバック。「キャプテン・アメリカ」シリーズのヘイリー・アトウェル、人気刑事ドラマ「NYPDブルー」のイーサイ・モラレス、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのポム・クレメンティエフらが新たに参加した。監督・脚本は「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」以降のシリーズを手がけているクリストファー・マッカリー。(映画.comより)

噂通り、アクションがどんどん加速していき、最後らへん笑っちゃった。凄すぎると笑うか引くかしかないという作品だった。物語のキーとなる、実際に二つの鍵が重なることで十字になる鍵をイーサンとその鍵が何に使えるかを知っている敵が終始、鍵をスったりスられたりと、重要なアイテムが両陣営を行ったり来たりする。その意味では2時間40分ぐらい物語が劇的に展開しているとは言い難い。だが、その鍵を奪い合う中でド派手なアクションが展開されていくというもので、やりすぎだなって思ってしまうと笑えてきた。最後の方はこれは前編にあたる「PART ONE」なので、続きがあるのはわかっているのでもう終わろうぜとは思った。
今作でもオリエント急行の列車が鍵の受け渡しの場所に使われていた。予告編にも出てくるような橋が爆破されていて、列車が川に落ちていくというお金かかってるな(CGも含め)というものだったが、スピルバーグ監督の自伝的な『フェイブルマンズ』も主人公が幼年期に映画館で観た列車の爆破シーンを自ら再現して撮影をしようとしていたシーンなども印象的だった。
いわゆる最初の映画というか、スクリーンに映し出された汽車の映像を観客は本物の汽車が突っ込んできたと勘違いして劇場から逃げ出したという有名な話がある(まだ映画という概念ないから、初体験だった)けど、そういうものを意図的にトム・クルーズスピルバーグ監督が意図的に作品に取り入れている。
『ハリウッド映画の終焉』という宇野維正さんの新書でも書かれていたが、僕たちが映画だと思っていた作品の作り方や興行システムが終わりに向かっているということも反映されているのだろう。トム・クルーズにしろスピルバーグにしろ、それが終わってしまう前に自分たちが映画だと信じるものをやろうとしている、そんな意志が感じられる。そして、どんなジャンルでも終わりには始まりが参照される、ということなのではないかと思った。


家に帰ってから昼ごはんを食べながらTVerで『ラヴィット!』を見始めた。もうスタッフが全力でボケてきてて、ほんとにすごいとしかいいようがない。TBSなのに今日は「フジテレビの日」だからガチャピンとムックが出てる。コラボとかではないし、完全に『ラヴィット!』側が遊んでいるし、それにガチャピンとムックもノってきている。番組キャラクターのラッピーとの絡みもあったりして、和気あいあいとしてすごく楽しい雰囲気になっていた。
ガチャピンとムックは「令和のいいとも」とも言われることもあるけど、やっぱり「令和のラヴィット」としてバラエティの歴史に残る番組になるだろうなって思う。テレビでしかできない悪ふざけも含めて、この番組きっかけでテレビで働きたいと思う若い人が次のバラエティの担い手になるかもしれない。

TESTSET - No Modern Animal feat. Mukai Shutoku (Live from BETA Q)


「THE MATSURI SESSION」でもKIMONOS最高だったから、また音源出したりライブをやってほしい。

夕方から来週〆切に向けてのライティング作業&資料関係を読み直し。金曜が山の日で祝日だから、金土までにある程度仕上げておいて、その二日間で一気に仕上げておきたいものが二つある。それがクリアできたら中旬以降にあるものにガッツリ取り組めるはず、その予定だが、まずは一つを終わらせたい。

とあることで自分がやらかしていたことを知る。自分の配慮が足りていなかったし、そういうことを考えなかったことで冷や汗というか、情けない。こういうことで信頼を失ってしまう。積み立ててきていても、一瞬で崩れて元には戻らない。でも、それは自分が悪いのでどうにもならない。

 

8月9日
起きたら異常に喉が渇いていた。すぐに水を飲んだが、いつも風邪は喉の痛みから来るパターンが多いので、気をつけないと夏風邪を引くかもしれない。これだけ暑くて、おまけに台風とかの影響で湿気が高い中、熱出したり体がダルくなったらと思うだけで嫌だ。
結局、一日中喉がちょっとイガイガする感じはあったが、どうもいつもの風邪引く前とは違うような。リモートワークで夕方まで家にいてオンラインミーティングもあったから話もしたけど、そもそも人と話していないから喉使っていないとか関係あるのかもしれない。

昨日、やらかしていたことがわかった件に関しては、そのことで謝罪して、関係する人に許してもらったというか理解してもらったんだけど、でも、そういう時に自分の配慮が足りなかったことなんかで自分が嫌になるし、信頼がなくなっちゃうだろうと思うと朝からけっこう凹んでいた。


雨は降ったり止んだりを繰り返していて、リモートワーク中にも雨が降る音は時折聞こえていた。雨雲レーダーで家の付近に雨が降ってないのを確認して13時過ぎに家を出て昼食を買いに行った。そういえば、Twitterで見て気になっていたちくま文庫大塚英志著『「14歳」少女の構造 ――大塚英志まんが評論選集80’s-90’s』が発売になっているかなとTSUTAYAに行ったら出ていたので購入。定価は1300円(税別)でかなり分厚い。
補論として『三島由紀夫の「首」と「1970年」の蜂起する少年まんが』というのが最後にあとがきと一緒に収録されていた。いつもはあとがきから読んでしまうが、今回は補論からとりあえず、休み時間に読んだ。


仕事が終わってからニコラに行って、ネクタリンとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。家を出た時に雨が上がっていて、湿度もあまりなかったので汗もほぼかかずにお店についたので久しぶりにアイスコーヒーではなくホットコーヒーを。冷たいのも美味しいけど、温かいとより香り立つのでその匂いが好きだなと再確認。

水曜日のリモート作業中は『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を聴いている。
『あののオールナイトニッポン0』は日本ハムファイターズの試合の始球式に出たあのちゃんがそのまま北海道から生放送をしていて、キャッチャーが防具をつけている意味もあまりわかっていない感じだし、ほんとうに野球というのものを知らないみたいだった。次の時間の上柳さんが先週の放送で言った発言に対して、話していたら東京のスタジオにいる上柳さんと繋がって話したりといつものと違う感じの放送だったけど、やっぱりおもしろかった。RIJに出演した話もしていたし、北海道ということでBloodthirsty butchersの曲をかけたりとロックな放送だった。

ano「F Wonderful World」MUSIC VIDEO



夜は週末に提出するライティング作業の続きをやったけど、日程が近づいてきて金曜日が祝日で助かるなという気持ちになった。〆切集中する時はアドレナリン出すとかもう勢いでやるしかない。

 

8月10日
いつもより汗ばんでいないように感じた寝起き。20年来の友人の誕生日だったのでラインで「おめでとう」というメッセージを送った。普段からほとんどラインを見ないので気づくのは数日後だろう、それでもいいというか、それがいつも通りでいいんじゃないかなって思った朝。
リモートワークは通常通り。昼休憩は少し遅らせてお米を炊いてレトルトカレーを食べた。休憩中に数日前に届いた田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 1』を読み始めた。



1997年の連載からリアルタイムで読んでいて、コマを覚えているわけではないけど、今回の『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 1』に収録されたものを読んでいると時々線が違うよな、みたいな箇所がいくつか出てきた。
コミックス6巻までを2巻ずつにまとめた3冊がこの「BOX 1」には収録されているが、その1冊目と2冊目で何度か明らかにこんな絵だったっけなと思うものがあったが元の最初に出たコミックスで確認せずに最後までを読み終わった。
3冊目の最後に美和がハイジャックする後半部分のコマは絵が昔の田島さんのものではなく、現在に近いなとはっきりと思えたのでコミックス6巻を引っ張り出して気になったところを比べてみるとやはり加筆修正されていた。
田島さんにインタビューを最初にさせてもらった時から完全版として出すために加筆修正はちょこちょこやっていると聞いていたが、やっぱり昔と今では線や描き方が違うんだなと改めて感じる。漫画家として修正したい箇所が長年読んできた読者にはサービスにもノイズにもなるということかもしれない。連載が19年続いたから終盤の、現在に近い線に統一したいみたいなことなのだろう。
『MADARA』は兄が買っていたので小学4年生ぐらいから大判コミックスで読み始めていたので、僕は短く見積もっても30年以上は田島さんの漫画を読んできているし、『多重人格探偵サイコ』終盤のサイン会をやるようになってからは、画集やその展示にも足を運ぶようになっているのでずっと見続けている。だからこそ、かつて描いていた漫画のコマの中に、その90年代後半やゼロ年代初頭に田島さんが描かれた線とは違う現在に近い線が出てくると違和感というか、なにかが反応するのだろう。
小説で言えば、文体が違うという感じが近いのかもしれない。ただ、小説でも単行本から文庫になった際にかなり加筆修正するタイプとまったくしないタイプがいて、基本的には後者が多い。伊坂幸太郎さんは今はわからないが、昔は文庫になる時に単行本で出た時に書いていたものをその現在の筆力でアップデートすることが多かった印象がある。たぶん、伊坂さんのやっていたことと田島さんのやっていることはジャンルは違うけど近いのかもしれない。

「LIGHTHOUSE」予告編 - Netflix 


ネトフリの佐久間宣行プロデュースの星野源×若林正恭の新番組『LIGHTHOUSE』のメインテーマは「Mad Hope(feat. Louis Cole, Sam Gendel)」らしい。星野さんはサンダーキャットとコラボするんじゃないかなとなんとなく思っていたが先にルイス・コールだった。
去年のサンダーキャット来日ライブの時に盟友ルイス・コールはドラムで参加していたのを観たが超絶テクニックだったが、彼はドラマーというわけではなく楽器はたいていできてしまうというマルチな天才プレイヤーでもある。。feat.に名前のあるサム・ゲンデルもルイス・コールやサンダーキャット界隈のLAシーンの人だし、星野さんの音楽とも相性いいだろうし、星野さんが海外に移住するならたぶんLAだろうなと思う。

Thundercat feat.Louis Cole "I Love Louis Cole" at TOKYO GARDEN HALL 5.16.2022 2nd Show




仕事が終わって、作業がひと段落してから夕木春央著『十戒』を読み始めた。前作『方舟』がかなりミステリ業界では話題になっていて、それは読めていないが気になっていた作家さんの新刊。これがおもしろかったから『方舟』を読むつもり。

今日外に出た時に、この数日間で言えば暑さはマシなほうだったが、なぜかコンビニとかの自動ドアがすぐに反応せずに僕が開かないドアの前に立ってちょっとしたら反応して開いた。あれは暑さでセンサーが鈍くなっているのか、僕の存在が認識しにくいなにかがあったのだろうか。
ユニットバスの蛇口(水栓)がそろそろ劣化でおかしくなっているなと最近感じていたのだけど、普通に浴槽に水を出す蛇口とシャワーへと切り替えるレバーがどうも動きが鈍いし、どちらかを使用としていて、もう一方に切り替えようとするとうまく切り替わらない感じになってきた。そして、水とお湯を出す際に回すハンドルのお湯のほうが閉める際に最後まで回すとグッとなって閉まり切りましたみたいな感覚があったけど、それがなくなっている。水の方はまだある。中のパッキンみたいなゴムとかが切れたのかもしれない。
水がずっと流れ出ているわけではないけど、いつもなら回して閉めていたら出ていなかった水滴がちょっと落ち続ける時間が長かったりする。自分で水道業者呼ぶのではなく、大家さんに見てもらって相談しないといけないが、わりとこういうタイミングの時に限って捕まらないだろうなというのと、お盆に入っていくと業者もすぐに来ないんじゃないかなって思ってしまう。でも、この真夏にシャワーとか使えなくなったら地獄なので早く大家さんに相談しなければいけない。

 

8月11日
8時前に目が覚めて、しばらくしてから散歩がてら家を出た。30℃ぐらいだったので歩けるなと思ったのもある。9時に代官山蔦屋書店でオープンなのでその時間に合うイメージだった。BGMがてらradikoで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を行き来で聴いた。2時間のラジオを最後ぐらいまで聴き終わるぐらい歩いていたのでちょうどいい運動になった。
帰ってすぐに大家さんのところに行って、ユニットバスの蛇口のことを話して、見にきてもらって確認をしてもらった。お盆の時期ということもあって、業者さんがいつになるかはわからないけど、早かれ遅かれ蛇口は取り外されて新しいものに取り替えらることになりそう。
僕はこのアパートに住んで12年以上経っているし、僕が入る前には高齢の女性が数年間は住んでいたと前に言われたこともあったので、ユニットバス自体がもう20年近く経っているはずなので、諸々と経年変化で壊れたりガタがき始めている部分とかが出てくるのは仕方ない。でも、人間が住まないと家とか部屋って一気に荒れて住めなくなるというけど、僕が住んでいるからまだマシな方なのかもしれない。僕の気配とか匂いとか強くこの部屋にはこびりついているんだろう。


昨日寝るまでに夕木春央著『十戒』を読み終えて、前作『方舟』がどんなものか気になったので朝の散歩の時に購入した。帰ってから数十ページ読んだが、どちらも共通している部分があった。ともにクローズドサークルもので、タイトルが「旧約聖書」から取られている。諸事情で閉じ込めれた人物は十人ほどで、まず最初の殺人が起きる。その後、脱出不可能が状況や犯人からの指令でその場にとどまることになる。など構造としては踏襲されているように思えた。
この二作品は「メフィスト賞」受賞作家らしいクセはあまり感じられなく、非常に読みやすいエンタメミステリーだなって思えた。これ以降に同じラインが出るなら旧約聖書からなら『城壁』『詩篇』『箴言』『哀歌』『黙示』、新約聖書からなら『福音』『使徒』『書簡』あたりの漢字二語のタイトルかもしれない。


昼ごはんを食べながらTVerで昨日放送された『アメトーーク!』の「ダチョウ倶楽部を考えよう2023」を見た。おじさん(あるいは初老)はかわいげかスキがあるかないかで、下に慕われるかどうかが分かれるんだなあと思わされる内容でもあった。
上島さんという中心人物がいなくなっても、ダチョウ倶楽部が可愛がってきた主に事務所の後輩が育った(芸人として売れた)ことで残ったリーダーとジモンさんを彼らが盛り立てているし、やっぱり信頼があるからこそのやりとりから笑いが生まれてるのがよくわかる。
自分はこういうかわいげのあるスキを見せれるおじさんになれていないし、なれそうにないなと思うし、知り合いの上の世代でそういう人はあんまりいない気もする。個人同士の付き合いの問題なのか、そういう関係性を僕やその人たちが築けていないのか、どっちなんだろう。

ガーウィグ:もちろんマテル社は会社として、私たちがやろうとしていることに対する不安や意見もありました。とくに長年バービーが抱えてきた複雑な部分を私たちがどう見せていくのか、という点には、いろいろ思うところもあるようでした。でも結局、私がつくりたい映画はこれだったんです。

私にはプロデューサー、出演者としてマーゴット・ロビーがいるという、アドバンテージもありました。この映画は、彼女がつくりたい映画でもあった。もしマテル社がこの映画をつくりたくないなら別にいい、私は「バービーの映画」をつくりたいんじゃなくて、「このバービーの映画」をつくりたいんだ、という気持ちでした。

なぜかというと、バービーを描く映画なのであれば、バービーのごちゃごちゃした部分を描かなくてはいけないという強い思いがあったんです。そうでないと不誠実になると考えていました。最終的には、マテル社の人たちも「居心地悪いのが居心地良い」みたいな状態になっていましたね(笑)。

『バービー』グレタ・ガーウィグ監督インタビュー。「世代を超えて手を差し伸べることに興味がある」

過去作も素晴らしかったグレタ・ガーウィグ監督の新作『バービー』は原爆の父を描いた『オッペンハイマー』とアメリカでは同時上映されている。SNSで宣伝なのか広報が『オッペンハイマー』のとのコラボというか残念なやらかしをしているので、興味持っていた人がちょっと興味を失ったりしていたり、観るのをやめようかなという声も実際に聞いた。だけど、彼女のこれまでの作品やインタビューなどから作品としては今観るべきだし、きっと観たほうがいいものだと僕は思っている。
このインタビューでも触れているけど、主演のマーゴット・ロビーがプロデューサーというのがやはり大きな要因になっていて、日本映画で主演の俳優がプロデューサーというのは大きな商業映画ではまずない。この違いが作品における作家性であったり、どういうものを作るかという時の覚悟にも関わってきていると思う。製作委員会方式はお金の面でもわかるんだけど、いろんな会社が関わって金だけでなく内容でもなく口も出してくるせいで、という気持ちもあるので、彼女たちやトム・クルーズが自作をちゃんとコントロールできているのがいいなと思ってしまう。

友人の隆介くんが今はゲームクリエイターズラボで編集と担当をしているので、一緒に遊んでみたがかなりおもしろかった。実際にYouTubeの動画で有名な人たちが一緒にしたプレイ動画がアップされて一気に認知度が上がったみたい。そういういいサイクルがあると一気に広がっていくみたい。
このゲームはひとりではプレイできないので、誰か一緒にやる相手を探さないといけないという最初の壁はあるのだが、やったらかなりおもしろい。そこが一番の関門だが。

明日〆切のライティング作業を夕方から開始。スケジュール的に来週の火曜日ぐらいまでに終わらして提出するものと重なっているけど、それがOKになればかなり余裕が出てくるはず。
火曜日以降には別のことでしっかり取り組みたいものもあるし、この流れで執筆していって形にしていけたら一番いいけど、順調な時の方がなんか起きそうで安心できない。

 

8月12日
寝る前に夕木春央著『方舟』を読了した。『十戒』同様に最後に連続殺人事件の犯人がわかったあとにもうひとつエピソードがある感じの展開になっていた。どちらも作品の中で一人称で語っている主人公と犯人の関係性で、ちょっと嫌な終わり方というか事件は解決した(かのように見える)がバッドエンドみたいな部分が共通していた。
特に『方舟』のほうがバッドエンド感がすごい、クローズドサークルものでそういう裏切り方もあるんだなって驚いたし、そりゃあ、評価高いのも納得。あれは予想できる人ミステリー好きな人でもどのくらいいるんだろうか。しっかり裏切られるラスト。おそらく著者がラストの犯人の行動あるいはセリフを決めてから作ってるようにしか思えないんだけど、どうやって書いているのか気になる。

8時過ぎに起きてから、radikoで『JUNK バナナマンのバナナムーン』『EXITのオールナイトニッポンX』『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら、本日〆切のライティング作業を開始。
昼ごはんを食べて、1時間ほど休憩してから夕方まで続ける。とりあえず、最後まではできたので時間を置くために今日初めて家を出て散歩に出る。
深夜に雨が降るという予報を見たが、夕方に近づいているので暑さもだいぶ和らいでいて、汗ばむほどではなかった。昨日が祝日で休みだったから、なんだか今日は勝手に日曜日だと勘違いしていた。
スマホradikoのアプリでもう一度『三四郎オールナイトニッポン0』を聴き直した。PCとスマホだとどちらかで同じアカウントで聴いても、一方で聴いてももう一方ではそれはカウントされないので、時間があいても放送から一週間以内なら二回聴ける、外でよく聴くから助かるだけどシステムの設計としてはいかがなものかといつも思う。

18時過ぎに戻ってきてから、『SUBARU Wonderful Journey ~土曜日のエウレカ~』を聴きながら作業を再開。今回のゲストは宮藤官九郎さんだった。毎週聴いているけど、川島さんがゲストの話をしっかり聞いているのですごく人間性が伝わってくるし、おもしろくて楽しみにしている。
宮藤官九郎さんと「大人計画」主宰の松尾スズキさんの出会いというか、劇団に入る時の話とか、「大人計画」が有名になる前だったのも大きかったんだろうし、『JUNK バナナマンのバナナムーン』でもバナナマンライブをずっとやっている放送作家さんがどうやってバナナマンとオークラさんと知り合って放送作家になったか、という話ともちょっと通じていた。
後者の方は今だったらたぶんダメな感じのやりかたで、怖いと思われたりする可能性がある(昔もどうなんだけど、ネット以前のほうがヤバいやつはちゃんと対応しないとマズいからちゃんと接したらそこから縁ができたり、人間性がわかったりするというワンチャンがあったり)けど、今何かになっている人はそういう時に縁が繋がっていく。こればっかりはどうにもならないものだなと思うけど。
宮藤官九郎さんは『ビートたけしオールナイトニッポン』のヘビーリスナーで、たけしさんに相槌を打って笑っている高田文夫さんに憧れて放送作家になろうとしたのがきっけかになっているから、『ビートたけしオールナイトニッポン』が生んだ最良の結果なのかもしれない。
21時前には夕方までに一度最後まで書いたものを見直しながら修正して見直してから提出、明日のミーティングの時にどういう感想なのか、自信があるとかないとかではなくて、この方向性で合っているけど、それがどのくらい先方に理解されるか、響くかなのかであとは待つしかない。

この数日間で口唇ヘルペスができたみたいで唇付近がなんか痛い。舌で触ってみたら左下唇の内側付近に芯のようなものがあって、触れるとちょっと痛い。痛みが出てきているということは免疫力が落ちてきている&ストレスが溜まり始めているということなんだろう。
時折、口唇ヘルペスができるので、自分の体の免疫とか落ちてるなとわかるので体が信号を出してるんだなと思うようにはなってきた。無理しないでやっていきたいが、今週来週ある別の〆切が終わってOKが出るまでは難しそう。

 

8月13日

7時ぐらいに起きて、スマホでスケジュールを見たら9時20分から六本木で映画のチケットを取っていたので7時半過ぎてから家を出て歩いて向かう。夜中に雨が降っていたおかげで暑くなく、おまけに湿気もあまりなかったので歩きやすかった。
六本木までは1時間20分ぐらい、ちょうどいい距離。『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩いた。六本木ヒルズにはドラえもんがたくさん置かれていた。ドラえもんにはなんにも思い出もないし、漫画もアニメもパッと見はあるけど一冊を読み通したとか一話全部見たとかの記憶がない。そういうものは通ってこなかったのは家庭の環境かもしれないけど、結局自分の趣向ではないんだろう。



バービーランドで楽しく暮らしていたバービーだったが、ある日、「死」ということについて考え始めると、その世界にいろんな変化が起き始めてしまう。その裂け目を閉じるにはリアルワールド(人間世界)で自分の持ち主に会うしかないと教えられて、バービーはひとりで向かおうとする。彼女に振り向いてほしいケンが車に忍び込んでおり、二人で一緒にリアルワールドに向かうことになる。だが、そこはバービーワールドとはまったく違う男性優位社会であり、女の子たちに夢を与えてきたと思っていた自分(バービー)がフェミニズムを後退させ、身体性についても嫌悪されていると持ち主だと思った小学生の女の子に言われてしまう。
人間世界が自分たちの世界とは間逆な男尊女卑で男社会なのを知った脇役で長年、バービーの恋人未満の存在でい続けるケンはその価値観を持ち込んでバービーランドを支配しようとする。また、女性の自立やその身体はその人のものであり、男性や他人にとにかく言われる必要はないというメッセージも含めて、バービー人形を通して現代社会を批評的にアイロニー満載で描いていた。
万能感を得ようと体を鍛えてムキムキになった男性のマチズモ、男性優位主義の助長。女性は男性に守られるべき(か弱き存在)だ、という勘違いから始まる他者への支配欲&攻撃性は戦争の根源になる、ということも描かれていた。僕がマッチョになっていく芸人やアーティストから気持ちが離れるのは基本的にはそういう思想だと思うから。そういう奴らが観たほうがいいんだろうけど、観てもわかんないだろうなと思ったりもした。
今作においてはリアルワールド(人間世界)における家父長制の問題が背景にあるのは間違いがなく、アメリカだとトランプ元大統領を支持したプアホワイトがたくさんいる南部の農村地帯なんかはキリスト教原理主義が多かったりする。そこでは中絶は罪であるとか、現在進行形の問題となっている。妊娠した女性が自身の意志で中絶することが州法違反になるなどは原理主義的な問題がベースだが、妻の身体は夫の意志によってという価値観があるからだ。嫁入り前の娘が傷物にされた、みたいな表現も基本的には家父が一家の女性たちの身体も支配している、持ち物だという価値観である。当然ながらバービー人形の映画でありながらも女性の自立について描いているので、有名な漫画家がこの映画を見て、「映画、バービー観た。最初の方はお洒落だし可愛いし笑いながら観てたけど後半になるにつれてだんだん冷めていった。なんか強烈なフェミニズム映画だった。男性を必要としない自立した女性のための映画。こんなの大ヒットするアメリカ大丈夫なの?」とツイートして炎上してますが、そりゃあ、炎上するよ、今の時代にその程度の価値観と認識だと。
フェミニズム映画でなんら問題ないし、フェミニズムは女性だけでなく、もちろん男性のことでもある。だからこそ、男性へにも向けてこの作品は作ってあるからこそ、ケン(基本的にバービーランドにいる男性の名前はケン)たちが人間世界で知ってしまった男性優位主義みたいなものから、いかに解放していくのかという物語も描いている。
バービー人形を製作販売している会社の重役全員が男性で女の子のためにとか言っている場面とかも皮肉な視線で、バービーの持ち主だった女性が抱える社会への不満だとかしっかり描いている。男性側としては見ながら肩身が狭いと思える場面もたくさんあるが、そういうものもケンたちの反乱を収めていく過程で笑えるものに昇華していて、そういうやり方も見せ方もうまい。
グレタ・ガーウィグ監督が今後のアメリカ映画における最重要監督の筆頭になったと今作で世界的にも認識されると思う。彼女が俳優として出演しているマイク・ミルズ監督『20センチュリー・ウーマン』もこの作品に通じていると思うのでオススメ。主演のマーゴット・ロビーがプロデューサーなのも批評的な部分で妥協しなくてすんでいるはずだ。こういう部分は日本映画ではほとんどないので、羨ましいと思っている俳優や製作者は多いんじゃないだろうか。

『バービー』が完璧な映画になった3つの理由を解説!【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


『バービー』を観にいく前に宇野維正さんの動画を見ていた。ちゃんと映画に使われている音楽についての話をしてくれるのがよかった。
クエンティン・タランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はマンソン・ファミリーがシャロン・テートを殺害した実際の事件(この事件の後、ハリウッドの高級住宅街ではしっかりとセキュリティをするようになり、セキュリティ関連会社の株価が上がった。現在のセキュリティ社会、監視社会の始まりになったと言われている)を基に描いていて、この作品で殺害されたシャロン・テートを演じたのがマーゴット・ロビーだった。宇野さんが話しているようにこの映画で彼女が殺されなかっならという歴史改変ではないけど、映画的な想像力でマーゴット・ロビーから『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と『バービー』と繋げているのはすごくいいなと思った。

杉田俊介さんのここから始まる一連のツリーはうなづくことばかり。
冒頭の『2001年宇宙の旅』オマージュにおける赤ちゃん人形の破壊と、ラストシーンでのバービーの発言からすると、先進国の白人女性が身体的な自己肯定感を得るという杉田さんのツイートの意味もわかる。途中で「マーゴット・ロビーが言っていたら説得力ない」みたいなツッコミ的なセリフも出てきたりはした。この映画自体がさまざまな論争を生むものであり、それが大事な部分であるのは間違いがない。
あと夢の国でもあるバービーランドはケンたちの暴走を食い止めることには成功するが、その後も最初のガールパーティー的な場所からの変化は見られない。だから、この一連のツイートでは劇画されたフェミニズムディストピアであるように見えるのもわかる。自己撞着的な部分が至る所にある作品であり、それゆえに観客の価値観や男性&女性観が出てしまうものになっているんだろう。
この作品が語り合うための足場になるかどうか、でも、そういう議論のできる余地があるかどうかってのはデカいし、日本だとそれ以前の問題だろうなと思う。統一教会日本会議にひれ伏している政治家たちが政権与党だけではなくほかの野党にもたくさんいる時点で、彼らは家父長制を維持することに熱心で無くそうなんて微塵も考えていないのだから。

Billie Eilish - What Was I Made For? (Official Music Video) 



GG:映画の序盤は、なんの力もないケンの逆転劇だから、まあ彼はある種の反撃を試みてちょっと行き過ぎてしまうんですが。ただ映画の結末でたどり着きたかったのは、最後の最後の場面、みんながすべてを取り戻した時なんですね。
これはプロダクションデザインの細かいところだし、皆さんが必ずしも知る必要はないんですが、実際、バービーランドは「元通りの世界」にはなっていないんです。バービーが3分の1、ケンが3分の1、変てこなバービーが3分の1くらいでしょうか。そのことは様々に異なるデザインの要素をもたらしました。私たちがこのセットに入った時に「この世界こそが最も美しい」と感じたのは、すべてのものが揃っていたからなんです。というのは、私たちは「誰が上に立つにしろ、ヒエラルキーは人々にとってそれほどいいことではない」という事実に関心があったし、登場人物たちもそう思ったんだと思います。男性が愛する馬や、「変てこなバービー」が住む丘の上のバービーハウスの形、そしてオリジナルのバービーのルックスにも、敬意を表することに意味があります。そしてそのすべてがひとつに溶け合うことに。私たちが最終的にたどり着きたかったのは、そういったところでした。

グレタ・ガーウィグ監督が『バービー』を通して伝えた本当のメッセージ【CINEMA ACTIVE! 撮る人々】女性監督の歴代ナンバーワンの興行成績を記録。

上記の映画を観た感想をFBにアップしていたら、知り合いからこの記事を教えてもらった。「その後も最初のガールパーティー的な場所からの変化は見られない」と僕は書いているがこれは間違いだった。ただ、僕がラストシーンでそのことに気づけていなかったということだ。
インタビューを読んだら本当に映画としてだけでなく、観客が映画館を出てからもっと現実世界にコミットするというか、考えるきっかけや誰かと対話するスタートになる要素がたくさんあって、改めて素晴らしい作品だと思った。もう一回観たほうが僕はいいかもしれない。

終わってから来た道を引き返すように歩いて帰っていたら、セルリアンタワー東急ホテルを越えた辺りで大雨が降り始めた。傘も持っていなかったので強くなり始めて、駐車場とかで雨雲が通り過ぎて雨足が弱くなるのを待った。雨雲レーダーを見たら5分ぐらい待てばだいぶ雨は弱くなるみたいだったので、スマホで時間を潰してから小雨になってから池尻大橋方面に向かって歩き出したら雨雲から抜けて雨は降らなくなった。湿気よりも雨が降っていたおかげで気持ち涼しく感じられた。帰ってからシャワーを浴びたら左腕の日焼けしたところの皮が抜け始めていた。

21時から定期的なミーティング、いつもは三人でやっているが先方の一人がいなかったので一対一の二人で初めてやった。作業のことの確認なんかもしたが、二人なのでわりと普段していない話なんかも都度都度できたのはなんかよかった。回数を重ねているからできるというのもあるんだろう。今後のことについても話をして詳細についても決めれたのでよかった。やっぱり10月以降にもう一回環境とか変わっていくんだろうなってこの作業だけではなく、他のことも含めて感覚としてわかる。となると8月残りと9月はそれ以降の準備期間になりそう。

 

8月14日
月曜日はいつも通りなスタート。朝の執筆はできなかったけど、代わりにライティングに必要な資料を読んでから、リモートワークを開始。時折、窓の外から雨が打ちつける音が聞こえてくる。
ザーザー降りの音はほんとうに台風が近づいてきたときのそれと同じで、天気予想などを見ても関西に直撃で明日の新幹線の運休なども決まっているのに、関東でもかなり強い雨になっている。急に雨が止んで1時間ぐらいは晴れ間がくる感じで、雨雲レーダーを見て昼間に朝食を買いに外に出る。雨には濡れなかったけど、湿気がかなりあった。


仕事が終えてちょっと作業をしてから20時半過ぎに傘を持って家を出る。雨は降っていなくて、湿度は高くはないけどちょっとジワッとくるぐらい。渋谷まで歩いてTOHQシネマズ渋谷へ。もう夏休みということもあって、午前中とかお昼の上映会はそこそこ埋まっていたみたいだが、観客が多いのは初日とかIMAXとかデカい所で観る以外は勘弁してほしい(基本的にマナーが悪い人が必然的に多くなるから)ので、最終回にしたら終わりが23時過ぎるのもあって未成年は入れないし、少なく感じる程度の客数だったので、21時半からの宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』を鑑賞。
個人的には観るつもりはなかったけど、シネマイレージが6ポイント貯まったら観ようかなって思っていたのと、前にニコラに行った時に曽根さんが観た感想を聞いたのも観ることにした理由。

宮崎駿監督が「風立ちぬ」以来10年ぶりに手がけた長編アニメーション作品。

千と千尋の神隠し」で当時の国内最高興行収入記録を樹立し、ベルリン国際映画祭でアニメーション作品で初となる金熊賞、ならびに米アカデミー賞では長編アニメーション賞を受賞。同作のほかにも「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「ハウルの動く城」などスタジオジブリで数々の名作を世に送り出し、名実ともに日本を代表する映画監督の宮崎駿が、2013年の「風立ちぬ」公開後に表明した長編作品からの引退を撤回して挑んだ作品。宮崎監督が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーで、タイトルは宮崎監督が少年時代に読み、感動したという吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」から借りたものとなっている。

主人公の少年・眞人役の声は、映画「死刑にいたる病」、ドラマ「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」などに出演する若手俳優の山時聡真が担当。音楽は宮崎作品を支えてきた久石譲、主題歌は米津玄師の書き下ろし新曲「地球儀」。タイトルとポスター1枚が発表された以外、映画の内容やキャスト、スタッフの情報なども明らかにされず、一切のプロモーションが行われないまま劇場公開を迎えるという異例の体制で話題を集めた。(映画.comより)

ジブリ、というか宮崎駿作品が嫌いな僕みたいな人間からしたら、『君たちはどう生きるか』は宮崎駿が欲望をむきだしにして観客を置き去りにしてやりたいことしかしてないなって感じがした。途中ぐらいから笑ってしまった。もうやりたいこと(描きたいこと)だけで、世界観とか状況とかも説明する気もなくて。突っ走ってる感じがした。今までの作品の破片というかピースはジブリ好きな人からするといろんなところに見出せるのだろうけど、そういうのがわからない僕でも総集編というか集大成的なものなのだろうなと感じられた。
主人公の眞人は戦争中に病院に入院していた母を火事で亡くしてしまう。疎開もかねて父が経営している?携わっている平気工場がある田舎に越して、そこで新しい母親と暮らすようになる。その新しい母親は眞人の実母の妹であり、瓜二つであり、すでに父との間に子供ができて現在妊娠中である。彼女たちの大叔父が建てたという屋敷近くの洋館のような場所に湖にいる青鷺に導かれて、冒険へという話。

眞人からすれば叔母である新しい母親が洋館の奥にある世界に行ってしまい、彼が連れ戻そうとするのだけど、境界線の向こう側に行って帰ってくるという物語の王道パターンをやりながら、その向こう側の世界では様々な理が現実世界とはまるで異なっている。屋敷に奉公している七人のディフォルメされた老婆たちの一人も眞人と一緒に洋館に入ってしまい、別の世界に入ってしまうとそこでは、みたいなことが起きたり、亡くなったはずの母は眞人と年の変わらない少女の姿で彼を導く、など主人公である少年は「妹の力」であり、「妣の力」というか、女性たちに庇護されながら冒険を進んでいく。
この辺りも宮崎駿作品ぽいし、村上春樹っぽい、僕がこの二人が苦手なのは彼らが描くそういう部分でもある。今作においては母という実態を失った少年がそっくりな叔母に恋心というか性的なものを感じているとしか思えず、宮崎駿的なこじらせ方でそちらに向き合うのではなく、冒険によってそれを端っこに追いやっているようにも見える。
最終的に洋館から繋がら扉の向こう側にはいろんな時間軸や世界があり、大叔父から彼が作り上げた、守り続けている場所を引き継いでほしいと眞人は頼まれるが、最終的には叔母と共に元の世界へ帰ることになる。

眞人も大叔父も宮崎駿の分身であり、宮崎駿の後継者はどこにもいない、しかし彼が作り続けてきた作品からその遺伝子は世界中にバラまかれていて、いろんな場所で形にはなっている。ジブリも畳めればいいんだろうけど、いろんな利害関係や大人の事情もあるのだろうからそれは無理だろうし、映画で意思表示しているようにも見れる。これがラストになるなら素晴らしいんじゃないかな、創作する人がみんな憧れる部分がたくさんある映画だと思う。
青鷺以外にも今作では様々な鳥たちが出てくる。鳥は飛ぶことが自然な行為で、今までの宮崎駿作品における少年は自力では飛べず、少女と共にしか飛べなかった。自力で飛べるのは呪われた豚だけだった。ということを踏まえるともはや主人公は少女と飛ぶこともなく、少女も飛ぶわけではない。それは想像力の欠如というか、この現実世界が空想する力を失ったことの暗喩なのかもしれない。
風立ちぬ』で零戦の機体のフォルムの美しさにフェティッシュを感じているものに通じるのは、今作でも兵器工場から屋敷に戦闘機のコクピットのガラス面を運んできた際に父親が「美しいだろう」みたいなセリフを言っていた。戦前生まれの宮崎駿の世代は機械芸術論とかの影響があって、戦闘機が戦争で人を殺すということがわかっていも、同時にその機体自体の美しさみたいなものに憧れ続けて無自覚に描いてしまうと大塚英志さんのインタビューで言われていたのを聞いたけど、やっぱりそうなんだろうなってそのセリフで思った。あんだけ鳥をたくさん出してたくさん飛ばさせたから戦闘機や旅客機みたいな人工物を飛ばす必要もなし、少年少女も飛ばなくていい。宮崎駿は鳥が飛ぶ姿を描きたかっただけなのかもしれない、ずっとそれだけやりたかったのかもしれない。

映画館を出て帰る時に持ってきた傘を使うことはなく、雨は家に着くまで降らなかった。

 

8月15日
敗戦の日にはこの曲を。 
THA BLUE HERB "REQUIEM"【OFFICIAL MV】



起きてから本日中に提出のライティング作業を開始。10時過ぎに一回駅前まで行って銀行とかスーパーで買い物したり諸々を済ませる。
書いて資料読んでイメージ膨らませて、ちょっと休んで書いて、みたいな繰り返し。急にフォーカスが合うような時があって、そういう時はたぶん方向性があってるなと思えて進む。
あまりにもずっと座っているのがしんどくなったので夕方過ぎに雨が病んでいたので下北沢のボーナストラックまで歩いていく。ちょっと欲しい本があったので、あるかなって思ったんだけどなかった。まあ、仕方ない。とりあえず、歩いたおかげで脳内にあったものがコロコロ転がってきた。
家に帰ってからはずっと作業を進めて、日付が変わって数分後になんとか提出したのでギリギリOKにしてほしい。これがうまく進めばいいんだけど、来週〆切のやつもこれでガッツリ取り組めるはず。

ユニットバスの蛇口は壊れたままで、最大限回すところを閉めていてもポツリポツリと一滴ずつ水滴が落ちていく。栓をしてそれがどのくらい溜まるのか見ているけど、日に日に一滴が落ちる速度が速くなってる。不思議と落ちていくのを見るとおちつく。

今回はこの曲でおわかれです。
Bruno Major - Columbo (Visualizer)