Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年3月1日〜2023年3月15日)

2月下旬の日記(2023年2月15日から2月28日分)


3月1日

コトゴトブックスで注文していた西村賢太著『蝙蝠か燕か』が届いた。前に遺作となった『雨滴は続く』、そしてその際に作られた『西村賢太追悼特集』も注文していた。この未刊行小説集もコトゴトブックスで頼んでいた。西村作品の装画を数多く手がけられていた信濃八太郎さん描き下ろし絵葉書が特典でついていた。
最後の『雨滴は続く』から読み始めたような人間だけど、西村さんの小説を読んで人間の業を、自分の人生というものを私小説として全部書こうとした姿勢とその人間性には惹かれてしまう部分があった。もちろん、どうしようもねえ人だなって思うけど、そこも含めて人間らしすぎるその西村さんの分身である北町貫多のことを無視できない。そう考えるとチャールズ・ブコウスキーが自分の作品で書いていた分身的な存在であるヘンリー・チナスキーと同種のものだから、僕は惹かれてしまうのかもしれない。

朝からリモートワークをして、夕方から新しく始まる仕事があったのでそのために15時に早上がりをして打ち合わせ場所に向かう。17時から収録を含めて顔合わせして、二時間があっという間に終わってしまった。次回の日程なども決めてからオフィスが入っているビルを出て電車に乗って家の最寄駅に向かった。お仕事をご一緒させてもらった方が帰る方面が一緒だったこともあり、車内でどこかで飲みませんかとお声がけしてもらったので、僕の最寄駅で降りてその方がコロナパンデミック前に行っていたというお店に連れていってもらった。
お酒を飲みながら収録の際にできなかったお話もさせてもらった。そこから次回にもつながるようなものもいくつかでてきた。お酒もあったけど楽しく話をさせてもらえて、すごくいい時間だったし初めて会った日にしてはかなり気を許してもらえたと思った。
飲み終わったあとはニコラに寄ってコーヒーを飲んだ。アルヴァーブレンドのほどよい濃さはビールを飲んだあとに染みるというか、酔いがいい感じで抜けていく。カウンターに常連が誰もいない、という珍しい日だったらしく、仕事が終わった曽根さんと由賀さんとしっかり話もできて、とても充実した3月始まりの一日としては素晴らしいスタートダッシュになった気がする。

 

3月2日

2011年、東北の地を思いつつ、生まれた朗読劇「銀河鉄道の夜」。
小説家の古川日出男が、宮沢賢治の原作を公演ごとに新たなオリジナル脚本に仕上げ、詩人の管啓次郎、ミュージシャンの小島ケイタニーラブ、翻訳家の柴田元幸とともに、上演時期や上演する土地にあわせて脚本や演出を変容させながら、東北をはじめ全国23か所10都道府県をかけめぐり、12年にわたり上演活動を続けてきました。2021年には無観客上演として映像作品「コロナ時代の銀河 -朗読劇「銀河鉄道の夜」(監督:河合宏樹)を無料配信。本作は、第32回宮沢賢治賞奨励賞を受賞しました。

2023年、新たに書き下ろした脚本にて、音声のみでお届けする全3話構成の新作『ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」』が完成しました。
銀河の常連4名に加え、古川の声がけにより、「コロナ時代の銀河」にも出演の北村恵、2016年に岩手県・種山ヶ原「KESEN ROCK FESTIVAL」で上演された「銀河ロックンロール鉄道の夜」で共演を果たした親交深いミュージシャンの後藤正文が出演と音楽で参加。
千葉県・小湊鐵道無人駅・上総鶴舞駅の駅舎にて録音されたせりふに、後藤と小島が生み出した銀河の時空をかけめぐる音が加わり、聴衆を夜空に誘うような朗読劇が誕生。出演者のコメントと、ヴィジュアルイメージをお届けします。

ラジオ朗読劇は、<ふくしまFMエフエム岩手 共同特別番組>としてラジオ電波にのせて放送されるほか、朗読劇「銀河鉄道の夜」公式WEBにて期間限定で公開。ふくしまFMでは、3月7日~9日の3夜連続、エフエム岩手では3月12日、19日、26日3週連続での放送となり、各話20分ほどの本編後に、古川日出男、小島ケイタニーラブ、後藤正文出演のインタビュートークが放送されます。(radikoにて聴取可能)銀河公式WEBでは、3月11日14時46分より期間限定で無料公開。(4月10日23時59分まで/本編のみ)ぜひあわせてお聴きください。

今夜もDJゴトウがナビゲートする銀河ラジオ。
弟ジョバンニを探している、という姉のボイスメールが届きーーー

だれの上にも瞬く星空に「本当の幸い」を探し続けながら、あらゆる思いをのせて時空をかけめぐる銀河鉄道
静かな夜に耳を傾けて、どなたさまもぜひご乗車ください。

ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」三話シリーズ 放送決定

昨日、朗読劇「銀河鉄道の夜」がラジオで放送するというお知らせが出ていた。
ふくしまFMエフエム岩手 共同特別番組」ということだが、radikoもプライムに入っているからエリアフリーで聴くことができる。できれば7日から9日までのふくしまFMで聴いておきたい。その後は3月11日からは朗読劇「銀河鉄道の夜」の公式サイトでも期間限定で公開になるので、この日記がアップされた16日以降も聴ける。
銀河鉄道の物語がラジオとなる。今回は映像はなくて音だけだと思うけど、とてもいい朗読劇になっていると思うのでたのしみ。

オレのいた慶応の中3が青学、暁星、玉川なんかとチームをつくろうってなって『ティーザーズ』っていうのを組んだんだけど、それは多分、初めての中学生だけのチームだったと思う。しばらくして、明中の中3も『フリーダム』っていう『ファンキース』の予備軍を作って。そいつらとも全然友達だったしね。オレのファースト・アルバムのリリックに入ってる死んだ友達も『ファンキース』のヤツで、親友。一方で、同じ明中のHIRO君がつくった『ストリート・エンジェルス』とも仲良かったし。そういう風に、オレ等の世代はすげーフリーだった。あと、高1の頃、映画の『ウォーリアーズ』に感化されて、多国籍軍みたいのを作ろうって、色んなインターのヤツとつるんだり。そこには、アメカジもいればパンクスもいて。そう言えば、その時期からチームがストリート・カルチャーに寄っていったような気がするな。皆、スケボーとかやり出して。そのうち、センター街にたまるようになった。そこではスケボーをやってるヤツもいれば、オレはラジカセを持って行ってヒップホップを流したり。それまでも店の前に溜まるとかはあったけど、道に座ったりするようになったのはまさにオレらの世代がいちばん初め。

Tシャツをめくるシティボーイ 第16回  渋カジとは何だったのか・その4 / 文:高畑鍬名(QTV)

こちらも昨日最新回がアップされていたパン生地君こと高畑鍬名くんの連載。
今回興味深かったのは、渋カジを始めた第一世代を先輩として知る1971年生まれのZEEBRAのインタビューを記事の中で参照しているところ。それは「ヤングキング増刊 YOUNGBLOOD 渋谷不良少年20年史Vol. 2」に掲載されたものでライターの磯部涼さんがロングインタビューをしているもの。
「チーマー」ではなく「チーム」だったという当事者の話などもカルチャーとして重要な証言になっていると思う。インタビューだし盛っている部分があったり、記憶間違いとか、あとから補正していることもゼロではないだろうが、当時の空気感が伝わるものになっていた。

【予告編】『カリスマ ~国葬・拳銃・宗教~』 


現在公開中の『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』の佐井大紀監督の新作のお知らせメールが来ていた。
一月の試写の際に佐井さんとお話をしている時に、次は「カリスマ」についての作品なんですよと言われていたので、そうなんですねって話をしていた。来年とかもっと先に公開で今撮ったり、準備しているのかなって思っていたがすでに撮り終えて編集中だったということだろうか。
前作『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』同様に佐井さんが取材対象者にマイクを向けているシーンも予告編にあるので、フォーマットとしては同じ感じで作ったドキュメンタリー映画ということだろうか。

朝からリモートワーク。新しく始まることの打ち合わせとまではいかないが連絡ややりとりもちょっとありつつ、先月で終わったことの連絡もあったり、入れ替わっていく感じがすごくあるのがこの数日。
休憩中に外に出たら花粉でひどすぎてくしゃみが止まらない、ほんとうに暴力的なまでに花粉が飛んでいる気がする。目も痒いし、すぐにくしゃみは出るし、これマスクしてなかったらもう無理だわ。コロナウイルス以前にやっぱり花粉症の症状が出る人はこの時期マスク外せない。

 

3月3日

A24ファンとして去年からずっと楽しみに待っていた『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の初日をTOHOシネマズ日比谷のIMAXにて鑑賞。
今日観るために、普段休みの昨日は出勤してこの日を休みにしていた、ぐらいには期待度マックス。
TOHOシネマズ新宿のIMAXも候補だったけど、そっちのほうが混んでいる気がしたのと客層的に気持ち大人な感じもあるのでこちらを選んだが、お客さんは半分もいなかったと思う。三、四割程度か。金曜日の平日の昼間前から映画をふつうはそんなに観にこないのも理解はしている。

カンフーとマルチバース(並行宇宙)の要素を掛け合わせ、生活に追われるごく普通の中年女性が、マルチバースを行き来し、カンフーマスターとなって世界を救うことになる姿を描いた異色のアクションアドベンチャー。奇想天外な設定で話題を呼んだ「スイス・アーミー・マン」の監督コンビのダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート)が手がけた。

経営するコインランドリーは破産寸前で、ボケているのに頑固な父親と、いつまでも反抗期が終わらない娘、優しいだけで頼りにならない夫に囲まれ、頭の痛い問題だらけのエヴリン。いっぱいっぱいの日々を送る彼女の前に、突如として「別の宇宙(ユニバース)から来た」という夫のウェイモンドが現れる。混乱するエヴリンに、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と驚きの使命を背負わせるウェイモンド。そんな“別の宇宙の夫”に言われるがまま、ワケも分からずマルチバース(並行世界)に飛び込んだ彼女は、カンフーマスターばりの身体能力を手に入れ、まさかの救世主として覚醒。全人類の命運をかけた壮大な戦いに身を投じる。

エヴリン役は「シャン・チー テン・リングスの伝説」「グリーン・デスティニー」で知られるミシェル・ヨー。1980年代に子役として「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」「グーニーズ」などに出演して人気を博し、本作で20年ぶりにハリウッドの劇場公開映画に復帰を果たしたキー・ホイ・クァンが、夫のウェイモンドを演じて話題に。悪役ディアドラ役は「ハロウィン」シリーズのジェイミー・リー・カーティスが務めた。第95回アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演女優ほか同年度最多の10部門11ノミネートを果たした。(映画.comより)


観終わったあとに六本木で観てきたイゴっちと銀座にあるミスドで待ち合わせをして穴の空いているもの(ドーナツ)を食べる(イゴっちが映画の内容を知っていたり、なにかで読んだりしたからミスドかと思ったがただの偶然らしかったが、しかし、この形が映画でも重要なものだった)。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はバカバカしくてオマージュもたくさんなのに、なにかに似ているようで似ていない、好きなものをぶちこんだのが観ている僕にちゃんと伝わってくる謎の感動があった。
中国系移民が主人公(エヴリン)とその家族であり、娘のジョイはゲイであるなど社会的にマイノリティの側とされる人たちの話であり、娘の恋人も母親のエヴリンからすれば白人だが、セリフの中でメキシコとのハーフだよと娘が話している。アメリカでこの作品が賞レースを席巻しているのはそういう部分もあるのだろう。マルチバースという一種のSFというかファンタジー的なギミックはあるが、軸にあるのは現代性というか今日的なアメリカにおける状況であり、そのことも追い風になっているはずだ。
ゼロ年代初頭の優れたアメリカ文学の多くは親や祖父母が移民である二世や三世たちによるアメリカ人として生まれ育ったアイデンティティと自らに流れる血の始まりの祖国と上の世代との葛藤を描く移民文学だった。それが当たり前になったかのように思えた頃には、トランプが大統領になってしまうという悪夢が起きる。

日本は敗戦以降はずっとアメリカの属国でしかないので、トランプがまだ実業家(わかりやすい新自由主義の象徴だったなって)でリップサービスで中国をディスって国内支持を得ながらちゃんと中国の富裕層から献金とかもしてもらっていているから戦争はしないという守銭奴だが、A級戦犯だった岸信介アメリカが利用するために巣鴨プリズンから助けられた人であり、その孫である安倍元首相はもちろんアメリカに逆らうこともなく、おまけにそこに統一教会もあるっていうダブル傀儡という笑えないコメディだった。
だから、野球もサッカーも嫌いというわけではないけど、侍ジャパンとかサムライブルーとか侍の意味とか考えてんのかって思う。そのことに違和感も持たずに応援してるのを見るのが気持ち悪い、そういう人は少ないみたいだけど。明治維新は侍(身分的には武士)たちのクーデターであって、ただ権力がスライドしただけであり、この国では民衆による革命は起きてないんだから。つまり、そういうことだよ。
日本はあきらかに他国と比べると移民問題だけではなく、政治家が同性婚気持ち悪いとか普通にツイートして表現の自由だと抜かすような、基本的人権とかすらも理解できてない奴らが政治しているようなお粗末な民事主義もどきな国だから、たぶん、この作品における核の部分は伝わりにくいとは思う。今敏監督とかいろんな日本アニメの影響もオマージュもあるけど、アメリカや他の移民が多い多民族国家の国のほうが共感も高いだろうし、カルト的な人気になっていく気がする。

最初は主人公にジャッキー・チェンにしそうとしたが諸事情でダメになり、ミシェル・ヨーで行くことにしたころで主人公を父親から母親に変えたとインタビューでダニエルズ(監督がふたりともダニエルだから、そのユニット)は答えているが、そこから一気に話がうまく出来上がったようだ。
移民としての母とアメリカ人として育った娘の話があり、そこには母が娘時代の父(祖父)との関係性もあるが、途中で出てくるカンフーのヌンチャク代わりに使われるふにゃふにゃのディルドはまったく役に立たず、女性器にも見えるベーグルみたいなあれは生と死における円環の輪であり出入り口になっていて、ギャグみたいなディルドもあとから意味あったなとか、母と娘じゃないと成り立たないものでもあったのがわかる。
ジャッキー・チェンが父親だったらたぶんこれ失敗してるか、成り立たないから別のテイストになっていたはずだ。
今作では父親のウェイモンドを演じたのは『グーニーズ』などで子役としてブレイクして、今作で役者として復帰した形になったキー・ホイ・クァンだったが、やっぱり彼だったからこその味があったし、ミシェル・ヨーとのコンビもよかった。また、別のユニバースで指がソーセージになっている世界ではエヴリンとジェイミー・リー・カーティスが演じた国税局職員のディアドラの女性同士の関係性も描かれているし、おまけに生命が誕生しなかった世界での石になったバージョンもあったりとそのありえたかもしれない、というかこの作品においては存在している他の可能性の世界もギャグっぽさもありつつも物語を豊穣なものにしていた。

ダニエルズはニヒリストな時代がトランプ政権のときにはあったみたいな話もしていて、それは作中における娘にも反映されていたような、僕もニヒリストでシニカルな部分が強いけど、それでも人には親切にしたいって思ってる。もう、こんなカオスな世界で不条理でやりきれないけれど、人に利害とか関係なく、それが浮かんだ時点で違うんだけれど、ただただ親切にすることぐらいしかできないんじゃないかなって。これはたぶんそういう映画でもある。

ano - ちゅ、多様性。 / THE FIRST TAKE

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』とこの前観た『逆転のトライアングル』と最近続けて観た映画では吐瀉する描写があり、後者は途中で何十人吐いてんの?ぐらい吐きまくりだったが、ドラマ『エルピス』の主人公の浅川恵那も作中で吐くという行動が彼女の状況を示していたのも記憶に新しい。
吐瀉するという行為が明らかに様々なことを吐き出せない世界のメタファとして描かれているのが感じられ、トイレとか飲み屋でもいいけど吐瀉とか糞尿も含めて体内から排出するというシーンというものが、ただ人間の本能というよりも現在の社会の息苦しさに対して作り手が描かないといけないと思えているんだろうなって。

 

3月4日

九段下に行くので家から渋谷駅まで歩く、その途中の緑道の梅の木が咲いていた。天気もよくて花粉が吹き乱れている。くしゃみが出そうになるとマスクをずらして大声というか大きな音でくしゃみをしてしまう。思いの外、外なのにくしゃみが大きく響く。


東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』を久しぶりすぎる武道館にて鑑賞。
舞台をたまに観に行く友人のノンがS席の注釈ありを先行で当ててくれたので観ることができた。実は二日目もその後に僕がS席の注釈ありを先行で取れたが二日は金銭的にもしんどいなってことで諦めた。そしたら、4日はオードリーの若林さん、5日はオードリーの春日さんが日替わりゲストということが発表されてしまった。それなら両日観たかったと思ったけど、まあ、仕方ない。
注釈ありというのは観にくいですよっていうことなんだが、写真でもわかるように普段だとアリーナの真ん中にステージと花道があり、普段のライブなんかだとステージになる場所にジャズバンドがいるという形になっていて、ステージの右横ぐらいの位置だったが、スクリーンも観やすいし、実際に出演者も顔の表情は微妙なところだったがかなり近く感じる場所だったので、まったく問題はなかった。

イントロダクション
単独公演のチケットは常に即完売、名実ともに日本を代表するコントグループ、東京03と作家のオークラが、“芸人” “役者” “ミュージシャン” “アイドル”など、様々なカルチャーシーンで活躍する人たち共に“もっと自由に”“もっとふざけて”というコンセプトで始めたエンターテイメントショー「東京03 FROLIC A HOLIC」(読み:フロリックアホリック)(=意味「はしゃぎ中毒」)。

今回、東京03が一緒に“悪ふざけ”をする相手は…様々な分野で活躍する人気ラップユニット、Creepy Nuts
さらに公演場所は、エンタメの聖地、日本武道館
さらにジャンルを超えたゲストたち集結する!

単なるコントライブともいえない、演劇ともいえない、音楽ライブともいえない…
『なんと括っていいか、まだ分からない』だけど超絶楽しい!
そんなスペシャルな公演をお届けします。

キャスト
東京03Creepy Nuts、吉住、GENTLE FOREST JAZZ BAND、佐久間宣行、
3月4日のみのゲスト・若林正恭(オードリー)、佐倉綾音
3月5日のみのゲスト・春日俊彰(オードリー)、百田夏菜子ももいろクローバーZ

東京03クリーピーナッツも生ではじめて観た。R-指定のラップすごいなって思ったし、もちろん全体的にはコントがあり、そこにラップやジャズの音楽が重なったりしていく。コントはそれぞれのコントが最終的にはつながっていることがわかったり、途中のコントが時間軸で考えると最後よりものちに起きた出来事だとわかるような構成になっており、最初の頃はバラバラだったピースが全部を観ると脳内で完成されるようなものとなっている。
ワンマンのコントライブではそれぞれのコントが最終的に最後のひとつの長尺なものに回収されていく、というものはわりと王道になっていると思う。それが物語をしっかり感じさせるものだからこそ強いし、観客も満足感が高まる。この「FROLIC A HOLIC」の作・演出は三人目のバナナマンともいえるオークラさんであり、東京03とも多くのコントライブを作ってきた人だからこその遊び心と違うジャンルの融合を目指したものとなっていた。最初から最後までずっと笑っていたので終わった頃には顎が痛いぐらいだった。

R-指定だからこそできるラップとそのテクニックにも魅了されたけど演技もふつうにうまかった、相方に対してというか演技は上手くないが世界一のDj松永はそのDjプレイを見せつけてくれたし、ある種の緩衝材的な役割もこなしていた、最後のオードリーの若林さんと一緒の時はほんとうにうれしそうだった。
戦後芸能界を作ることになったジャズをバンドで入れることでショー(孫のラップと祖父なジャズの相性の良さはロバート・グラスパーが十二分に証明してる)のレベルを上げていたし、生音というものの贅沢さ、アドリブを振られてもやってしまうテクニシャンだらけのミュージシャンたちはほんとうに縁の下の力持ち的な役割だったと思う。
そして、今回のメインである東京03は芸人としてコントライブで食べていけることを証明したコント芸人の憧れであり、それが可能なのは圧倒的な演技力とその柔軟さなのだとわかった。三人が一緒にいる時のコントは見れてよかったし、あの空気感が見るものを惹きつける。チケット取れたらワンマンのコントライブには行きたいものだが。
佐久間さんたちが以前からラジオでも今回のライブで改めてとんでもない存在だと絶賛していた吉住の爆笑の爆弾をひたすら投げつけてくるコメディエンヌとしての圧倒的さはほんとすごい。
そして、裏方が出役に反転したときに時代を変えるような存在感を持つことになると思うのだが、その代表格である佐久間宣行(令和の大橋巨泉でも青島幸男でもいいけど)とレギュラーキャストがすごすぎた。
そこに声優界トップクラスとはアイドルとしてもトップクラスであるということが体現ができてしまうのだとわからせてくれた佐倉綾音。本編最後に出オチ的にワンシーン出てきてから、最後に松永と東京03とのコント部分では事故前のたけしさんを彷彿させる面構えだったオードリーの若林、アドリブをかましまくり、最終的にはステージに出るはずのなかった佐久間&オークラを呼び出すという観客としては最高なシチュエーションを作ってくれて本当に感謝しかないし、おもしろすぎた。

終わったあとに疲れるほど笑った。最上級のエンタメを体験できたことはなんだろう、素晴らしいとしか言いようがないし、配信でも十分楽しめるはずだが、ジャズバンドの生音があるということ、そのショー的な部分がより観客にダイレクトに伝わる場所で観るのがどう考えても最上のことであり、その初日に観れたことがほんとうにうれしい。
神保町に出て、クラフトビールが多めなアイリッシュパブっぽい飲み屋で感想を言いながら飲んでから帰った。しかし、こんなに素晴らしいエンタメを続けて堪能できていろんなイヤなこととか吹っ飛んだ気がする。厄払いみたいに笑いまくってる。

 

3月5日
起きてから少し作業をしたあとに散歩がてら代官山蔦屋書店まで行って帰る。その間はradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていた。若林さんが昨日の『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』の話をしていて、その中でも吉住を絶賛していた。今日の春日さんはいったいどうなるんだろう、気になるから早かれ遅かれ配信で見てしまう気がする。
帰りに野菜炒め用の食材と肉を買ってそれを炒めて昼ごはんにした。そこから読みかけだった西村賢太著『蝙蝠か燕か』の最後の中編で作品タイトルになっている「蝙蝠か燕か」を読み終える。ああ、これを書いた西村さんはもうこの世にはいないのか、という寂しさのようなものがあった。
生前は名前ぐらいしか知っていなかったし、作品も読んでいなかったが、この人の自意識と私小説の距離感とか自分の分身である北町貫多というキャラクターを配することで小説が書けたのだろうし、世界との関係性を築いていた、あるいはさらに壊していたような、亡くなったのは早すぎるのかもしれないけど、彼の小説を読んでいると西村賢太という人の人生の終わり方はなんだか納得できてしまう。
読んでいてなにかが僕の中で疼く、その気持ちいいような悪いようなものが疼く理由も自分ではわかるような気がする。たぶん、僕は西村賢太に自分のなにかを重ねているし、近いものをはっきりと感じた。


「スーパー・ササダンゴ・マシン」さんのプラモデルを作る時にプラモ用のニッパーを買った時にヤマダ電機にあった「オルタナティブジャスティス インフィニットドラゴン」を見て、あれっ、SDガンダムってまだ「スペリオルドラゴン」っているんだって思ってその場で調べたら、二種類で合体するって書いてあった。どうみてもこちらの紫色のほうはダークサイドだなって思ってニッパーと一緒に購入して、ライトサイドの普通の「スペリオルドラゴン」っぽいほうをAmazonで頼んでいた。そちらが届いたら一緒に作ろうと思っていた。
今日ようやく届いたので「SDW HEROES スペリオルストライク フリーダムドラゴン」と「SDW HEROES オルタナティブジャスティス インフィニットドラゴン」を作った、そして、二つを合体させて「スペリオルフォーミュラーファイナルドラゴン」にした。
リアルな「ガンダム」はほとんど触れなかったし、物心ついたら「SDガンダム」のカードダス「騎士ガンダム」シリーズかBB戦士「武者ガンダム」シリーズが全盛だったので、そこからアーサー王の伝説とか知ったりしていた。
特撮も冬の時代だったし、「ガンダム」もOVAシリーズとかでテレビでは放送していなかった。ポケモンは下に兄弟がいればやる可能性もあったかもしれない、そういう意味でファミコンスーファミゲームボーイはあったけど、おもちゃや子供のカルチャーにかんしても狭間の世代だったんだろう、ミニ四駆はあったけど。
僕は小学校の頃にはBB戦士のプラモデルばっかり作っていた(塗装する凝り方はしていない)のですごく久しぶりな感じがあって、物作るのたのしいなっていう初心みたいな気持ちになったりした。たぶん、それをどこかで求めていたのかもしれない。
光と闇が合体して神というか超越的な存在になるというのは昔から好きだけど、今思うと超越的な存在って別にすべてを壊して作れる存在だからいちばんカオスだよなって。しかも、味方じゃなければすべてゲームオーバーだしとか思ったりした。

夜も引き続き作業をしたが、3月に入ってからとてもいい感じ、流れがよくなっているというか。2月までのどこか陰鬱な雰囲気はかなり吹き飛んでいると感じる。

 

3月6日

 杉本は「本当に美しいと思えるものは時間に耐えたもの」という名言をかつて残しているが、「最後の 「写真家」は写真がいかに時間に耐えられると思っているのだろうか。
「今の写真の多くは、瞬間的に消費され、瞬間的に忘れられて、何も残らない。時間に耐えられるものを作るには、たくさん作らないことですよ。みんな、たくさん作りすぎです。昔の名作はとても時間をかけて作られていたんです。作る方も、後の代まで残るものを作ろうと意識したわけですよね。僕はこのままだと世界が滅びるだろうという確信が日に日に高まっているんですね。一方でアーティストとして、この世の終わりに立ち会えるとしたら、これほど幸せなこともないと(笑)。銀塩のモノクロプリントは百年後も残ると思います。プラチナ・プリントも多分残るでしょう。インクのプリントは長い時間の中で消えますね。デジタルのジェットインクでプリントしているのは、今さえ良ければいいということ。まあ、いい気味だというか(笑)」

菅付雅信著『写真が終わる前に』P291より


昨日寝る前に読んでいた『写真が終わる前に』を朝起きてから最後まで読み終える。知っている写真家の方が少ないが、知っている方もいたりして、写真に詳しい方ではないが、2016年ぐらいからの連載をまとめたものなので、コロナパンデミックとその以前と現在が時間の流れで書かれているので写真業界がコロナパンデミックの中でどんなふうになっていたかというドキュメントにもなっている。
ここで取り上げられている日本の写真家だと塩原洋さんと細倉真弓さんの写真集は買ったことがあるが、どちらもヌードを撮っているというのが共通している。
ヌードモデルの兎丸愛美さんのヌード写真を偶然Twitterで見てから興味を持って、写真展にもちょっとずつ足を運ぶようになった。塩原さんと兎丸さんが一緒に作った写真集も展示も見に行ったけど、女性のお客さんが多かった印象もある。
いろんな制約などもあるからこれからヌードというものは減っていくかもしれないけど、僕は写真家と被写体の人がきちんと契約とかお金のことをクリアしていたらいいとは思うし、若い時のものを残したい人ももちろんいるだろうけど、裸体というものを撮る/撮られる、観る/観られるということは芸術の本質みたいなものがあると思う。


朝からリモートワークを開始して、お昼休憩の時に西友で食材を買って、その帰りにtwililightに寄ってレアード・ハント著/柴田元幸訳『インディアナインディアナ』を購入。
装幀&装画を担当した横山雄さんの展示「弱く輝く人たち 2」もtwililightで開催している。レアード・ハントの小説は同じく柴田元幸訳の『優しい鬼』を読んでいて、レアード・ハントが東京ブックフェアかなにかで来日中の際のイベントに行ったような気がする。


夕方にニコラに行って土佐文旦とホワイトチョコとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドで一服。


満月みたいに見えたけど、明日が満月らしい。夜は文字起こしの作業の続きを。

 

3月7日

起きてから作業をしてからお昼前に新宿へ。いつもはライブに一緒に行っている青木とTOHOシネマズ新宿で『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』をIMAXで二回目の鑑賞。もともと青木と行く話をしていたのもあったが、初日に観たかったの僕だけ二回目で青木は一回目。
ストーリーは一応わかっていたので初見では見逃していたり、意味がわかっていなかった小ネタも意識してみた。過剰であること混沌としていること、構造的にわかりやすくはなく(マルチバースについて考え始めると色々矛盾してないかと思うところもあるし)、なんというか口には入れてみたが噛みきれないし咀嚼も難しい、なにかが喉に刺さるような違和感もある。
たぶん、僕はこの作品について愛着というか好きだと思えるのはその辺りの要素があるからなんだと思った。その上でこの作品をおもしろくないとかつまらないとかいう人がいるのもわかる。これは分かれるし、観客それぞれの人生や家族の関係性なんかが大きく作用してしまう物語だからだ。
同時にこの過剰さと混沌さは数字を取れればいいということやわかりやすさをもとめていく今の世界へのカウンターのように思えた。人間なんてめんどくさくて、心から向き合える人なんて数えるほどしかいない、この作品はある家族の物語であり、家族だって向き合うのは困難だ。マルチバースとカンフーの融合というアイデアを用いながら移民家族とLGBTQと男性優位社会とか今直面している問題に対して、どう思うの?としっかり問いかけてきている。

終わってから青木と大通り沿いにあるガストに入って昼ごはん。ほとんどファミレスには行ったことのない人間なのでとても新鮮。隣の四人組の二十代の男女がYouTubeの数字について話していて、こういうのがリアルなんだろうなって思ったり、YouTubeか何かの動画を再生している時に普通に音を出していて、ああ、こういうバカなんだなって思って、こちらも必要以上に声を出してみたり。こういう若者に『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を薦めるのは難しいかなって思う反面、観たら観たですごく共感もするのかな、どうなんだろう。あと猫の顔がデザインされた配膳ロボットをはじめてみた。店内はお昼過ぎでもほとんど埋まっていて、多種多様なお客さんたちで映画同様にカオスな感じで、ちょっとおもしろかった。
その後は時間があったのでヨドバシカメラビックカメラに青木と行って、プラモデルコーナーを見たりした。玩具コーナーって子供もいないし最近までプラモも作らなかったしゲームもしないので行く機会がなかった。今ってこういうものが売っているというのもたまには実物を見ていないと感覚として把握できないものだなって。わりと時間も潰せたけど、ガンプラってコロナパンデミックになってから需要が増えて品薄だとは聞いていた。ほんとうに売れ筋のものはないみたいで、コロナウイルスによる影響は玩具もだし、至る所で僕らの生活を変えてしまったのだなって。

17時半ぐらいに解散して、西武新宿線高田馬場駅まで乗って、18時に約束をしていたシーシャのお店を目指す。友人の隆介くんと打ち合わせも兼ねて話をしようということになっていたので、今日は人に会うことが続くという感じだった。去年から早稲田大学にちょくちょく行くようになっていたので何度か通った大通り沿いの交差点近くの二階にあるシーシャ&占い処「極楽満月」にちょうどの時間に入った。
隆介くんにシーシャの説明をしてもらいながらスッキリするような柑橘系のフレバーをお願いして、打ち合わせと世間話をしていた。彼にたまに誘ってもらってシーシャには行くぐらいだけど、吸って吐くという行為ってリラックスにはいいんだろうな、お店に入ってからは外を歩いている時に何度かで出てしまう花粉症によるくしゃみとかもなくなったし、呼吸を意識するからなのだろうか。

21時ぐらいに隆介くんが別の打ち合わせで一度席を外したので、僕はradikoでこの日の19時にふくしまFMで放送されたラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」の一回目を聴くことにした。
僕らが座っていた席は向き合った二人座れるソファで素材が緑色のベルベットというか、そして交差点近くにあるので大型バスなんか通っていくと時折建物が揺れた。そして、僕はシーシャを吸って吐いていてその煙は白くてモワモワしていた。なんというか汽車に乗っているような気がして、目を瞑って朗読劇を聴きながら時折真っ白な煙を吐いていた。そのシチュエーションは古川さんたちが作り上げた作品を聴くに最高の場所のように思えた。

22時ぐらいに帰ることにして、JRの高田馬場駅に乗って渋谷まで戻ってから歩くか田園都市線に乗ろうと思ったら、ここから一番近いには副都心線西早稲田駅だと思えてもらった。副都心なら渋谷に着くし、ちょうどいいなって。今まで何度も早稲田に行く時は高田馬場駅で降りていたから、西早稲田駅を今度から使おうと思って、お店に行くまで聴いていた『Creepy Nutsオールナイトニッポン』の続きを再生しながら歩いていたら、R-指定が「今度おとんになるねん」と言い出し、松永はしっていたがラジオのスタッフは知らなかったらしく、サプライズ報告をしていた。その後に流れたのは土曜日の武道館でも聴いたこの曲だった。

Creepy Nuts / のびしろ【MV】 


打ち合わせと雑談の時にも話したこととこの曲で歌われていることがすごくリンクしていて、ちょっと笑いそうになったけど、武道館の時に知っている曲だなって思った時も響いて感動した。しばらくはこの曲を僕のテーマソングというか創作におけるBGMにしよう。
渋谷駅で降りずにそのまま中目黒駅まで乗って、そこから歩いて帰ることにした。今日は普段とは違う場所に行ったりしていたから、帰り道もいつもとは違うところを通って帰るべきだろうなって、ただそういう気持ち。


家に着いた時に夜空を見上げたら、満月がひときわ輝いていた。

 

3月8日

起きてから仕事始まる前に昨日途中まで読んでいた『群像』で古川さんが連載している『の、すべて』第十五回をもう一度最初から読む。
今回はドライビング中の車内での会話によって展開していくのだが、最後の方で「ああ、そうだ、これは恋愛小説だったのだ」と思い出させてくれるようなセリフがあった。その言葉を言うのはヒロインのひとりである谷賀見讃からのものであり、この物語の書き手であり記録者である河原真古登に知らされることになる。完全に物語のテンションというかギアが終わりに向かっていっているのを感じる。

1991年の『Non-no』と1960年の『装苑』を見ていただきました。
ファッション誌では女性モデルの相手役として男性モデルが登場します。
そんななか、女性雑誌に呼び出されたシティーボーイとして、
私の手元にある一番古い資料に登場するのは三船敏郎でした。
1950年の『スタイル』のページがこちら。

映画『羅生門』の公開と同じ年にもかかわらず、
女性ファッション誌に呼び出された三船敏郎は、ほとんど背中しか見せていません。
「アベック講座」と題されたページで、車の乗り降りにさいしての心得が書かれています。
三船敏郎ですら、恋愛マナーの最新情報を引き立たせるデート相手になってしまうのです。

Tシャツをめくるシティボーイ 第17回  渋カジとは何だったのか・その5 / 文:高畑鍬名(QTV)

友人のパン生地くんの連載の最新回。前回に引き続き「渋カジ」について取り上げているが、今回は男性がメインではなく、彼らシティボーイをデート相手にしていた『JJ』や『CanCam』の誌面から女性たちのファッションも 含めて、女性誌におけるTシャツのタックイン&タックアウトについて資料を多く掲載している。途中であきらかにモデル時代の藤原紀香がいた。

いつも通りリモートで仕事を開始する。仕事中は自分のMacBook Airradikoを開いて深夜に放送していたラジオを聴いている。『爆笑問題カーボーイ』を流していたら、冒頭から太田さんが『ブラッシュアップライフ』の脚本を書いているバカリズムさんを絶賛し、そこからテレビプロデューサーの佐久間さんのビジネス本を、劇団ひとりさんの小説を、オードリーの若林のエッセイ本を、ハライチの岩井さんのエッセイ本を、ピースの又吉さんの小説を、と次々と褒めちぎりまくっていた。
これはどういうことなんだろう、モードが変わったのかしらと思っていたら、太田さんの書いた長編小説が発売になるとのことだった。こんだけ褒めたんだからみんなよろしくって感じがかわいくも見えたが、いちばんのベテランで先輩からの優しい振りしたカツアゲみたいだなって思えたけど、太田さんのキャラクターもあるし、笑いにもなるからなりたつよなって。プラスで書評家の豊崎由美さんに今までの小説をダメ出しされていたらしく、由美ちゃん読んでね〜って言っていて、この人は創作に関して照れ隠しはしているけど本気なんだなってよくわかった。

昨日の打ち合わせの時にも話をしたりしたので、六月までのスケジュールを見直してみた。執筆スケジュールもパツンパツンではなく、しっかり書き終えて次に行けるように組み直した。ひとつひとつ終わらして完成させること、そして一人になって籠る時間を確保すること。新しく始まったライター仕事もあるので、そちらの時間も確保しながら、ということになるので多少余裕がないとこの先しんどそうだなって。
夜に今日放送だったラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」第二回を聴いてから、作業をした。
寝る前に読みかけだった阿部和重著『オーガ(ニ)ズム』上巻を最後まで。上巻の半分ぐらいは前作にあたる「神町サーガ」第二作『ピストルズ』におけるアヤメメソッドに関するものが占めていた。『ピストルズ』を読んでいた方がわかるっちゃわかるんだけど、読まなくてもわかるように菖蒲家(系譜などが天皇家を彷彿させるようになっている)のことなんかがしっかり書かれていた。そこが退屈といえば退屈。

 

3月9日
起きてから一時間ほど作業をしてから散歩へ。もう一度ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」第一回と第二回を聴き直す。これまでに何度も観客として朗読劇「銀河鉄道の夜」を観てきたけど、今回のラジオ朗読劇はきちんとメディアを耳だけで聴くラジオとして脚本は書き直されている。
アジアンカンフージェネレーション後藤正文さんと俳優で古川さんの作品に今までに何度も出演している北村恵さんがいつもの四人(古川日出男管啓次郎、小島ケイターニラブ、柴田元幸)に加わる形だが、ラジオドラマとして再構成されていてとてもいい。
もちろん、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』がベースにあって、今まで彼らが培ってきたものがさらにそのベースに重なっている、地層というか作り上げてきた時間がしっかりと層になっていてそれを核にして新しいラジオ朗読劇の層が重なっていて、音だけの劇がシンプルなのに多彩な豊潤なものをリスナーに届けてくれている、そんな作品になっていた。

家に帰ってきてから『オーガ(ニ)ズム』下巻を少し読む。アヤメメソッドについての詳細というかおさらいも終わっていて、下巻に入ると主人公の阿部和重とCIAのケースオフィサーのラリーとのやりとりのあたりは、多くの人が指摘しているけど、伊坂幸太郎さんとの共著『キャプテン・サンダーボルト』を執筆したことが影響されているとは思う。
著者の名前を持った登場人物が出てくるというメタ要素(妻は映画監督の川上という人になっているなど現実とはズレた設定もあるが)はエンタメであろうが純文学であろうが、もう入ってくる一要素であり、そういう視点で私たちは小説や物語もだけど、自分がいる世界を見ているからそのほうがリアリティも強くなっている。フィクションとノンフィクションの境界線に立つような、そこにかかる橋みたいなものにメタ要素がなっているんじゃないかな。


新作速報!!NODA・MAP第26回公演『兎、波を走る』

野田地図の新作が今年あるというグッドニュース、しかも高橋一生さんと松たか子さんが主演、今まで観た舞台の中で一番揺さぶられたのが野田地図『逆鱗』だし、その主演が松さんだった。ほんとうに舞台で数回しか観ていないけど、舞台の松さんは素晴らしすぎて息を呑むしかない。チケット取れるといいのだけど、今年は気のせいか舞台を観に行く回数が増えてきているような、たぶん、モードが変わっているのとなにかが呼応している。

空いた時間に前回と今週放送されたNHKドラマ『大奥』を見る。こんなすごいことになってんの?みたいな展開になっていた。
徳川綱吉冨永愛)とその娘である徳川家重三浦透子)の最後の抱擁のシーンに至るまでの三浦透子のすごさ。これは彼女を家重にキャスティングした人はガッツポーズして小躍りしてるでしょ、このドラマは原作漫画がすごいと言っても配役がすごく気配りできていてこだわりが感じられる。シーズン2も主要人物を誰が演じるのか楽しみで仕方ない。

十九時から新しく始まるかもしれない執筆関連の仕事のオンラインミーティングがあるまでは、別のライター仕事の作業を進める。
先週末からエンタメ三昧をしていたので、その分やる気も出てきたし、プチ休みだった感じもある。これから先行き不安なことは多いけど、一月や二月の時よりは精神的には非常に楽ちんだしリラックスできている。今までのモードから解き放たれていくような、新しいバージョンなのかOSなのかが周りの環境が僕の意志を無視して変わったことで気づいたらインストールされていって徐々に変わっている、そんな気持ち。


オンラインミーティングはわりとうまくいったような、そんな手応え。一時間ぐらいだったけど、先方とも今後のことも話せたし、とりあえず課題というか最初にやることとのその期間が決まったので、そこに向かってスケジュールを決める。その課題次第で今後はという感じだけど、この流れはしっかり掴んで楽しめるところは楽しめるような予感。
ミーティングの中の話で出てきたラヴクラフト著『狂気の山脈にて』を買いに駅前のツタヤに行ったら、やっぱりあった。海外小説の棚は大きくはないが一冊棚差しされていた。この装幀は出た頃に非常にインパクトがあって記憶に残っていた。
会話に出てきて買い行こうと思ってそこにある、ということが僕には大事なことだった。流れを引き込むための行動であり、うまくいくイメージを膨らませる。この本を買いに行く間に友人と電話で軽く打ち合わせをしていて、そういう流れのこととか「令和の〇〇○プロジェクト」みたいな話をしていた。そうか、それだ。

帰ってから2月末にこちらには非がないのに不条理なことをしてきた夜のリモートワーク先の社員さんから謝罪の連絡があった。電話をしてきたのは知っている社員の人だったし、彼が板挟みみたいなポジションだなっていうのはわかるけど、謝罪してもらってもなんも意味ないっていうことだけは伝えた。
2月中旬に3月のシフトを出してと言われていたから提出していたが、26日には3月のシフトはゼロですって言われた。1日8時間の固定シフトで入れない人はシフトに入れることができないんですっていうのを3月直前にいきなり言われても、知らんがなっていう。で、4月もこのままですみたいなことを別の社員さんから数日前に連絡をもらっていたから、だったら実質クビと変わらないし、シフトが入らないなら辞めますよって話をしていた。
2月のシフトも1月の半分以下になっていたから、これはもう終わりも近いんだろうなって思っていたけど、いきなりゼロっていうのは怒る以前に呆れるっていうか、働いている人を大切にしないんだなっていう。その仕事における収入がいっきにゼロになるわけだから、違う仕事を探すにしても働いて給与が入るのはどんどんあとにずれ込んでいく。会社の弁護士にも確認したけど、契約中なので金銭的に補償もできませんって話だったからマジで電話で謝罪されても意味ねえなっていう。3月のシフトがゼロになるなら遅くても1月末に言わないとこっちはなんにもできないから不条理すぎて笑えてきた。
おかげでというか、この会社が不条理なことをしてくるたびに、新しい仕事というかライター関係のお話をいただいていて、ここと縁を切ることが一番この先自分にとってはいいんじゃないかなって思うことしか起きておらず、この電話をもらったのでこの前にミーティングしていた新しいライティング仕事もうまくいくだろうなと確信できた。

寝る前にふくしまFMで放送されたラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」第三回をradikoで聴く。耳で聴くことに特化していることで、目を瞑った先に広がっていく銀河鉄道の世界が今まで舞台で鑑賞していた朗読劇「銀河鉄道の夜」とは違うものになっていた。朗読する声の後ろで流れている背景の音もよくて世界にしっかり浸れた。
アジカンのゴッチさんがラジオパーソナリティーをやっていることで、物語の層がひとつでもないのもよかったし、北村さんの声は唯一の女性ということもあるのだろうけど、この朗読劇にやわらかさとあたたかみを増す要素になっていたと思った。そして、いつも朗読劇メンバーの四人の朗読も素晴らしかった。

 

3月10日
Nag Ar Juna - 街の終わり 


ニコラのカウンター友達というか知り合いの竜樹さんの個人的な音楽プロジェクトのMVがアップされていた。ちょっと冷たいような心地いい場所で聴きたくなるような声とリズムだった。

朝からリモートワークで仕事をしてから、夕方過ぎから20時前まで別の仕事の作業を進める。いろんな作品の固有名詞とかたくさん出てくるので、調べつつやっていると思ったよりは進みは早くはないが、wikiとかいろいろと調べて関係のある事柄を読んでいくと時代背景とか繋がりとかわかるので自分が知らないジャンルだとのちのち役立つし、理解が早まるのでこのやり方のままでよさそう。


スティーヴン・スピルバーグ監督『フェイブルマンズ』をTOHOシネマズ渋谷にて20時50分からの回を鑑賞。大きめのスクリーンだったけど、金曜日のレイトショー的な時間帯だけど、やっぱり洋画離れというか、アカデミー賞候補作品だけど注目されてないんだなって思える客入りだった。
まあ、スピルバーグ監督作品だと今40ちょっとの僕だって、90年代の金曜ロードショーとかで『E.T』とか『インディ・ジョーンズ』シリーズとかは見ていた感じだし、近年だと『レディ・プレイヤー1』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』や『戦火の馬』はスクリーンで観ていた。
映画史に確実に残る素晴らしい映画監督だと思うし認識はしているが、すごくファンかと言われると違うし、上の世代で20世紀の彼のフィルモグラフィーをリアルタイムで経験している人たちとはかなり温度差はある。僕よりも下の世代だとそもそも洋画を観る人はかなり少ないので、大御所だとしても名前すら知らない人の方が多いんじゃないだろうか。

ジョーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク」など、世界中で愛される映画の数々を世に送り出してきた巨匠スティーブン・スピルバーグが、映画監督になるという夢をかなえた自身の原体験を映画にした自伝的作品。

初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。

サミー役は新鋭ガブリエル・ラベルが務め、母親は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「マリリン 7日間の恋」などでアカデミー賞に4度ノミネートされているミシェル・ウィリアムズ、父親は「THE BATMAN ザ・バットマン」「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」のポール・ダノが演じるなど実力派俳優が共演。脚本はスピルバーグ自身と、「ミュンヘン」「リンカーン」「ウエスト・サイド・ストーリー」などスピルバーグ作品で知られるトニー・クシュナー。そのほか撮影のヤヌス・カミンスキー、音楽のジョン・ウィリアムズら、スピルバーグ作品の常連スタッフが集結した。第95回アカデミー賞で作品、監督、脚本、主演女優(ミシェル・ウィリアムズ)、助演男優(ジャド・ハーシュ)ほか計7部門にノミネートされた。(映画.comより)

スピルバーグの自伝的な映画だということはある程度知っていて、観たんだけどとても奇妙な感じを覚える作品だった。ユダヤ人差別とか父が理系の天才で、母は芸術肌の人、とか彼のルーツとか映画を撮り始めた少年時代から青年期までのこともわかる。
終盤で高校生の最終学年のプラムで上映したフィルムにおいて、スピルバーグの分身であるサミーを転校早々に殴りつけて、目の敵にしていたローガンがスクリーンに映った自分に困惑して、上映後にサミーに気持ちをぶつけるというシーンがある。そこではカメラを被写体に向けることの暴力性を描いているように見えた。
スピルバーグは意識的にそのことを物語に入れ込んだのだと思った。映画にしろ写真にしろカメラの暴力性を理解してない人のものは芸術にはならないんだろうな、と前から思っていた。スマホによるセルフィーも含めて、現在はカメラの暴力性からもはや逃れることはできない。そういう時代だからこそあえて入れたのか、自分が映画監督として虚を現実に、現実よりも強力なものとして映し出してきたことへの懺悔なのだろうか。
映画『チワワちゃん』においてチワワちゃんにやらせてもらえない男はずっとハンディカムを回し続けていた。彼は当事者でありながら観察(記録)者だったから、チワワちゃんとはやれなかったと僕には思えたのだけど、なぜだかそのことを思い出した。

芸術とは作り手も受け手も癒やすし壊すよって当たり前のことも描いていた。フェイブルマン家では母のミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)とサミーが芸術肌で似たものという感じもあり、ほかの下の三人の姉妹は母には似ておらず父寄りなのだろうと感じさせる。母親の理解があったからこそサミーは映画を撮ることに没頭していくが、そのことが母の秘密を暴くことにもなってしまう。そういう皮肉も描いているが、この映画は偉大な映画監督であるスピルバーグの自伝的な内容という触れ込みで観に行くといろんな意味で思っていたのとは違う内容の作品になっていると感じるものである。
誰ひとり傷つけない創作なんて存在しない、そういう当たり前のことがわからない人が増えて、自分に不快なものは排除していく流れが加速すると本当の意味での他者性の気持ち悪さがわからなくなる。それは唯一の自己を損なうことなんだよなあって思いながら夜の渋谷から歩いて家に帰った。

 

3月11日

古川日出男著『馬たちよ、それでも光は無垢で』&『ゼロエフ』を読んでみてください、と毎年3月11日には言っていこうと思います。

ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」三話シリーズ 2023年3月11日14時46分、期間限定で無料公開スタート

7、8、9日とふくしまFMで聴いていた『ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」』の3回分が公式サイトでも聴ける形になっていた。4月10日まで聴けるのであと何度か聴くと思うし、聴いてない人はぜひこの機会に。

浅野 自分が作品に向き合って、それにベストを尽くせば、それに伴った結果っていうのは出るとは、思うんだけどね。そっからさらに売れたいんだったら、欲を出して······。
鳥飼 X-ファイルみたいにするんでしょ。
浅野 そういう風にしていけば、結果が出る時もあるけど······。そもそも、やっぱりすっごい売れてる人って、きっと売れてる漫画が好きなんだよ。
鳥飼 そうなのよ!  最近それがわかった。「無理してやってるんじゃない?」って思ってたけど、してないんだよ(笑)。
浅野 そう、してない(笑)。素直にそれをやってるだけなんだよ。
鳥飼 心から本当にドキドキしてやってるから、そこが違うんだなっていうことだけはわかった。萩尾先生も「キュンキュンしながら描いてます」って仰っていて·····。 浅野さんも、キュンキュンしながら描いてる?
浅野 俺が? 描いてない(笑)。
鳥飼 即答(笑)。 キュンキュンしながら描くつもりもないんですか?
浅野 うーん。まあ、もうそういうのは描かないかな······。でもやっぱりそこら辺の素直さっていうか······。
鳥詞 『うみべの女の子』とかは、キュンキュンして描いてたんでしょ?
浅野 描いてないね。
鳥飼 え、描いてないの?
浅野 うん、やっぱりもう目線が違うんだよ。年上が若い子たちを見てるって感覚だから······。

鳥飼茜著『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』P156より

鳥飼 私も楽しかったです。でも、たまに「女だからズルい」って言われることもありますよ。古谷先生は思わないですか?
古谷 えー、そんなこと思わないよ。あなた見た目もいいから得する部分もあるでしょう、きっと。でも、それを使ってるという感じもないし、使う気もないでしょう?
鳥飼 でも、男の作家さんから「女だから怒ることがすでにあっていいな」とか言われることありますよ。「男には問題提起したり、自分の問題としてもの申せることがないからすごく苦労する。女の人って生まれた時点である意味マイノリティだから、自由にもの申せる」って。そういうこと思わないですか?
古谷 思わない。怒りはね、燃料にならないんですよ。一時は持つけど。
鳥飼 ね、ほら。こういうところ、かなわないと思うの。古谷先生にかなうところなんて何もない。
古谷 そんなことないよ(笑)。
鳥飼 怒りが原動力にならないとしたら、何が原動力になるんですか??
古谷 それはわからないけど、とりあえず怒りは使い物にはならないです。創作においてはね。政治ならいいんじゃない?
鳥飼 でも、今特にだけど、そういうコンプレックスみたいなものが読者に対する訴求力になる時代じゃないですか。「そういう強烈なコンプレックスや劣ってるものが自分にはない」って、何か童貞引きずってるみたいな感じで言われて。
古谷 なんだか耳が痛いな(笑)。ただ、今のそういう時流はわかるよ。
鳥飼 私はそんなつもりなくても、女というくくりで弱者扱いに見えてるんですかね。
古谷 いや、見えないでしょ。それにそんなの気にしてたらとっくにやめてるでしょ? そんなのにまで耳を傾けるの?
鳥飼 傾けるというより耳に入ってきてしまうので。

鳥飼茜著『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』P237からP238より


起きてから近所のスーパーに行く前にBOOKOFFに寄ってみたら鳥飼茜著『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』がなんとなく目に入ってパラパラと見ていたら、浅野いにおさんとのトークが収録されていて、読んでみたら僕が観に行ったB&Bでのお二人のトークイベントの文字起こしをしたものだった。その何年かあとにお二人は結婚して、去年ぐらいに離婚をした。鳥飼茜さんも浅野いにおさんも筑摩書房から日記テイストの書籍をどちらも出しているのでそれぞれの視線からの結婚生活のことが知れておもしろかったなっていう印象があって、その始まり、いや、初期の頃があの日のイベントだったのかなって。
最後に収録されていたのは漫画家の古谷実さんとの対談だったが、『わにとかげぎす』連載中に鳥飼さんがアシスタントだったという関係性があって、ある種の師弟関係の二人の話はおもしろかった。古谷さんの言葉は少なげだけどなにか見通せてしまっているような視線を感じさせるもので、作品にもそれが出ているような気がする。200円だったので買った。


駅前のツタヤによって浅野いにおさんの新連載が開始になった『スペリオール』を買ってスーパーに寄って家に帰ってから洗濯をしてご飯を食べた。
この新作『MUJINA IN TO THE DEEP』は一種のチャンバラというか新宿で刀を持った主人公と敵?が斬り合っているだけで、何の話かは一話ではまったくわからない感じだった。

夕方前から日付けが変わる前まで昨日の作業を続きをした。

 

3月12日
起きてから『オーガ(ニ)ズム』下巻の続きを読む。最後まで読み終わったが、ラストシーンの辺りはかなりインパクトがあったので覚えていたが、終盤に至るまでの展開はわりと忘れていた。
陰謀論的なものを扱っているので仕方ないのだけど、主人公の阿部和重とラリーが信じていたものや見てきたものがガラリと違う角度になっていく、アヤメメソッドの要素が大きくなり過ぎている感じもあるし、ある種の堂々巡りをしているなと。
上下巻でこの枚数で展開することで仔細な部分の枝葉が広がっていくからこそのおもしろさもあるし、サーガの三部作目として過去二作品を内包もできている。このあとに発売になった『ブラック・チェンバー・ミュージック』のほうがわかりやすいし、他の阿部作品読んでなくても楽しめると思う。それはこの作品で書き切ったからこそ行けた次の段階ということもあるんだろう。


10時になってからKAATで5月に上演されるロロ本公演『BGM』のチケットを「演劇最強論-ing」のページからGET。
チケットぴあやイープラス辺りだとビッグアーティストとかのチケットが同時間帯から発売だとサイトにそもそも繋がらないので、KAATで上演する舞台だと「演劇最強論-ing」か「チケットかながわ」から取っている。いつもロロを観に行く友人とどこに行くか決めたのでそこを狙ったが、今回は上演日数が一週間もないので土日の昼公演と千秋楽はすぐになくなりそう。

チケットは予約だけ完了の形なので近くのローソンに行って支払いをして発券してもらった。そのままお昼前まで『オードリーのオールナイトニッポン』をradiko で聴きながら散歩。先週に引き続き『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』のこぼれ話もしていた。なんとなく今年は舞台を観に行く一年なんじゃないかなって気はしている。コロナパンデミックが始まってからこのところは以前と比べると感染拡大がほとんどなくなってきていると言える状態だから、舞台関係だと配信もやりつつもライブでステージを見せるほうに完全に戻っていっている。
舞台の一回性というのはやっぱりエンタメとしては強いし、スポーツに興味のない僕のような人間は演劇や音楽のライブがリアルタイムで観たいと思えるものだから、観たいっていう欲求が高まるのかも。
若林さんが「日本アカデミー賞」の仕事で久しぶりに会った『ケイコ 目を澄ませて』で最優秀主演女優賞を受賞した岸井ゆきのさんの話もしていた。二人は2015年のテレ東の『SICKS〜みんながみんな、何かの病気〜』で共演していて、まだその当時は岸井さんもバイトをしていているぐらいの無名に近い状態で、プロデューサーの佐久間さんが舞台を観てフックアップして出演したという話をしていた。さすが佐久間さん舞台をたくさん観に行っている人だなって思うし、今の彼の知名度とポジションだと難しい部分もあるかもしれないけど、何年も前に一緒に仕事をしているということがのちの信頼とか眼力みたいなものに付与していくのもエンタメだなって思う。その時、そこに居てやっていることを誰かに見つかる、気になってもらえる人だったからこそチャンスは掴んで行ったとは思うけど、大事なはやっぱりその時そこに居るかどうか、それが運なのか実力なのかわからないけど、世に出る人はそれを持っているんだろう。


池尻大橋駅にあるあおば書店に寄ったら、先日購入していたラヴクラフト著『狂気の山脈にて クトゥルー神話傑作選』以外に『インスマスの影』と『アウトサイダー』とほかの「クトゥルー神話傑作選」もあった。
この前の打ち合わせの中で出てきたのは『狂気の山脈』に収録されているエピソードだった。「クトゥルー神話」という名前ぐらいは知っていたけど、実は今まで読んでこなかったので、ほかのもの読んでおくことにした。世界観ももう少し理解できていたほうがいいだろう。
そういえば「ネクロノミコン」という単語は前から知ってたなって思って、wikiで見ていたら『摩駝羅 天使篇』で出てきていたからだった。そして、「天使篇」にはラヴクラフトの苗字を持つ登場人物が登場していて、間接的に影響を受けていたんだなって。「クトゥルー神話」に影響を受けた作品で日本の作家や小説を見ていたら、どっちにしろ間接的に影響受けている人はかなりいるなっていう。SFとミステリ系は特に。

お昼過ぎから作業を開始。とりあえず、土台だけはできたので水曜日までにそこからいくつか違うフォームのものを作って提出はしたい。
20時前にどのくらいぶりかわからないほど久しぶりなランニングへ。午前中に歩いている時にそろそろ走らないと、と思ったのもあって作業でずっとイスに座っているのもしんどくなったので気分転換も兼ねて。2年以上前にランニングしていた時に着ていたものを来たら前よりも明らかにパツンパツンで自分があの時よりも太ったのを実感する。いきなりはしんどいと思ったのでまずは緑道を30分ほどゆっくりと走ることにした。太ももよりも先にふくらはぎのほうが痛みが出てきた。普段歩いている時には感じないけど、走るとお腹の辺りの揺れかたとかで改めて贅肉がついているのがわかる。この辺りをできるだけ減らしたい。今新しく始めた仕事のフィニッシュがどのくらいになるかはわからないけど、形になる頃にはせめて今よりも体重を減らしておきたい。新しいことが始まったのはいいタイミングだし、夜のシフトが入らなくなったので作業の時間もランニングする時間も自分でスケジューリングできるようになったのだから、このタイミングからがベストだと思う。しかし、体が重すぎるからできるだけ動きやすい方向に。

 

3月13日
寝る前にバカリズム脚本ドラマ『ブラッシュアップライフ』最終話を見る。友人二人(なっちとみーぽん)が遭遇して死亡してしまうことになる、デブリが旅客機にぶつかってしまう事故をあーちんと真里が防ぐという展開だが、人生を繰り返している人わりといるよね?と思ったけど、今までの伏線がしっかり回収されていくしっかりとしたラストになっていた。
このドラマにおいては主人公のあーちんはどの繰り返しの際にも結婚はしておらず、彼氏もいたことはあったが、恋愛は主軸にはならずに女友達や家族との時間を優先している。ラストも年老いた四人が仲良く老人ホームで暮らしているシーンも出てくる。それぞれが結婚したのかしなかったのかはわからないものの、シスターフッドを大切にしていて、ドラマもそこを軸にしていたことをはっきりと告げている最終回となっていた。このドラマが支持されたのはそこも大きかったと思う。恋愛をしないといけない、わけではないけどドラマだとどうしてもそこが入ってくる(もちろんそれを求めている人も多い)が、このドラマにおいては異性との関係性よりも同性の友人との関係性が大事であり、それを核にしたドラマ作りがされていた。とても今の時代にあったものとなっていて、仲良し三人組(のちに真里も加わる)のほのぼのとした何気ない日常が見る人には心地いいものとなっていたと思う。

目が覚めると軽い筋肉痛が太ももとふくらはぎと背中にあった。起きてからリモートワークで作業をしていると、アカデミー賞の速報が入ってくる。公開して1週間で2回映画館に行って観ていた『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』が予想を超えていく、オスカー取りまくりとなった。まさに2023年を象徴するできごとになった。

作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞助演女優賞脚本賞編集賞を受賞!

「私の母は84歳で、家でこれを見ています。ママ、たった今アカデミー賞を取ったよ!

 私の旅はボートで始まりました。難民キャンプで1年を過ごしました。そしてなぜか、ここハリウッド最大の舞台の上にたどり着きました。このような物語は映画の中でしか起こらないと言います。これが私に起こっているのが信じられません。これが…、これがアメリカンドリームです!

 ありがとう、人生最大の栄誉をありがとうございます、アカデミー賞。私がここにたどりつくために、多くを犠牲にしてきてくれた母に感謝します。弟のデイヴィッド、僕を気にかけて毎日電話をしてくれました。愛してる。ケン、サポートのためにしてくれた全てのことにありがとう。A24、ダニエルズ、ジョナサン、ジェイミー、ミシェル、そして一生の兄弟である『グーニーズ』のジェフ・コーエン。

 そしてすべては、私の人生の伴侶である妻のエコーのおかげです。何カ月も、何年も、20年間私に、いつか私の時が来ると言い続けてくれました。夢というのは信じなければいけないものです。私は自分の夢を諦めるところでした。これを見ているすべての人、夢を信じ続けてください。ありがとう。私をふたたび歓迎してくれてありがとう!愛してる!ありがとう、ありがとう、ありがとう!」

【全訳】『エブエブ』キー・ホイ・クァンアカデミー賞受賞スピーチ

助演男優賞を受賞したキー・ホイ・クァンが名前を呼ばれた時の映像は何度見ても泣けるものだった。

──アジア人男性として、あなたがハリウッドで成功するために直面した問題を考えると、少なくとも、かつてあなたが影響を与えた多くのアジア人俳優が、今日成功しているのを見て、いくらか報われたような気がしますか?

長年にわたり、現在ハリウッドで活躍する、才能あふれるアジア人とたくさん出会ってきました。いつも会うと感謝されるんですよ。「あなたの姿をスクリーンで観たことで、自分もいつかああなれると思えました。私たちのために、ハリウッドで道を切り拓いてくれてありがとう」って。面白いですよね、言うまでもなく、僕がカムバックできたのは、彼らが道を拓いてきてくれたからなんですから。彼らがもたらした進歩のおかげで、僕は戻ってこられました。

──あと2つだけ、質問させてください。まず、『グーニーズ』でチャンクを演じたジェフ・コーエンが、今はあなたの弁護士をしているそうですね。『グーニーズ』の仲間とは今でも親しいんですか? 

グーニーズは永遠ですからね。僕たちはいつまでもグーニーズで、みんな兄弟や姉妹みたいに思っています。あの映画で結ばれた絆は不滅です。そうですね。ジェフは良い友人です。彼は僕のエンターテインメントの仕事を担当する弁護士で、頻繁に会っていますよ。『エブエブ』のプロデューサー、ジョナサン・ワンは、データ(キー)をブッキングするために、チャンクと交渉したと言って、とても喜んでいました。
コリー・フェルドマンショーン・アスティンにもよく会います。ここ数年、パンデミックの間に、グーニーズのみんなで何度か集まることができました。監督のリチャード・ドナーや、スピルバーグ、脚本のクリス・コロンバス、主題歌を歌ったシンディ・ローパーも来たんですよ。ドナーが亡くなる前に再会できたのは、本当によかった。彼の遺したもの、それに彼の人生は、本当にすごいです。またみんなで4月に集まって、彼の功績を称えたいと思っています。

『エブエブ』で俳優復帰した『インディ・ジョーンズ』の元子役、キー・ホイ・クァンの多彩な人生

キー・ホイ・クァンアカデミー賞助演男優賞おめでとうございます!
我が家では一度も映画に連れて行ってもらったことはなく(中一の時に友達と行ったのが初だった)、ビデオデッキすらなく(誰も必要ではなかったから。中二の時に親父の最高順位を抜いたら買ってくれると約束してもらって買ってもらった)、映画は金曜ロードショーとかテレビでしか見ることができなかった。
小学校の頃は『グーニーズ』が放送されたら兄と寝るのを我慢して、母におにぎりを夜食に作ってもらって食べながら見ていた。今の僕が映画は映画館でしか観ないのはその時の反動があるのだろうと思う。ちょっといつもとは違う電車に乗ってぷち逃避行はしない(東京にいることがそもそも逃避行だから、ほかには行きにくい)けど、映画館に逃げ込んでいるとも思う。
グーニーズ』に出ていたキー・ホイ・クァンが俳優に復帰したこの作品でオスカーを取ったこと、『インディ・ジョーンズ』で共演していたハリソン・フォードとの抱擁、会場にいてキー・ホイ・クァンの姿を見ていたスピルバーグ監督の優しい笑み。時間が経ていろいろあったけど、生き延びたからこその再会があり、サプライズがあったんだと思う。でも、洋画が強かった時代の今の中年よりも上の世代の哀愁でしかないのかもしれないとも思うところもある。若い人たちは伝わりにくいかもしれない。
好き嫌いがはっきり分かれるこの『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』はやっぱり素晴らしい、熱狂か憤怒か、それのくらいわかれるものはどっちにしろなにかを残すのだから。

『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』の素晴らしいニュースがあり、以前にお願いしていた案件は検討したがダメだったというメールが来た。まあ、仕方ないし、今は新しいライティング仕事が入ってきたりしているから今の時期ではないということだと思うことにする。


小説家の大江健三郎さんが老衰で亡くなったとニュースを見る。僕は大塚英志作品でその存在を知っていった人間なので、どうしてもこのラノベのことが思い浮かんだ。僕が影響を受けている古川日出男さんも阿部和重さんも伊坂幸太郎さんもやはり大江さんの影響はあるのを感じる。
文壇というところからは距離をおいていたというか違う場所にいて孤独に孤立しながらも文学をやっていた人なんだというイメージがある。三島由紀夫大江健三郎、そして村上春樹、その三人ぐらいだけが日本の小説、文学の世界ではやはり異質な孤高の存在だし、村上さん以降はもう存在しないんだなって思ったりもする。
ある時期大江さんの小説を集中的に読んだことがあったが、僕は『万延元年のフットボール』と『M /Tと森のフシギの物語』が好き。大江健三郎賞が開催されていた時期に本谷有希子さんが受賞して、その授賞式というか対談イベントに応募したら当たったのに、なんでか行かなかったのが悔やまれる。


夕方に一息つきにニコラに行ってアルヴァーブレンドとガトーショコラをいただく。お茶をしてから3階のトワイライライトに寄って、3月11日に開店一周年を迎えたのでおめでとうと熊谷くんに伝えて世間話をした。

仕事が終わってから昨日に引き続き30分ほどランニング。昨日のウェアを洗おうと思ったら、今日は昼過ぎまで強めの雨が降っていたため、洗濯機を回していなかったのでどうせ汗かくしと思って、洗濯機に放り込んだのを取り出して着てみたら帽子とパーカー部分(帽子の上にパーカーを被る感じにして熱を逃さないようにして汗を出しやすくしている)がすげえ汗くさかった。こんなにも1日洗わないと臭うんだという事実、帰ってから湯船に浸かって疲れをほぐす。終わってから日記を書いて、昨日の作業の続きをちょっとやる。

 

3月14日
今日中に下準備を終わらせないと今後のスケジュールに無理が出てきそうだなって思ったので、このところやっている作業の続きを早めに起きて開始する。天気がよかったので昨日のランニングウェアを含めてたまっている洗濯物を洗濯して干した。
正午を過ぎてからさすがにずっと机に向かっているのはしんどくなってきたので気分転換に散歩に出た。radikoで『Creepy Nutsオールナイトニッポン』を聴きながら歩く、あとから桜の開花宣言のニュースを見たけど、暖かすぎず寒すぎずちょうどいいぐらいの日差しで、昨日雨が降ったおかげなのか花粉やちりが空中から一掃されたのか、あまり花粉を感じずにくしゃみもいつもよりは出なかった。
ラジオの中で今月いっぱいで終わるCreepy Nutsの番組の最後のゲストが前にやっていた菅田将暉という発表があり、同時にずっと菅田将暉も含めて番組以外でもやりとりや関わりのあった『三四郎オールナイトニッポン0』の今週の放送に二人が出演することも発表された。いいね、こういうつながり、コロナパンデミックになってからラジオを聴くようになったので、彼らの絡みややりとりはリアルタイムで楽しませてもらったので、また一緒に番組に出るのは非常にうれしい。16日に「オールナイトニッポン」の2023 年度のラインナップ発表会があるだけど、司会が三四郎だからこれもう一回三四郎が一部振り返りってありえるんじゃないかなって思ったりもする。でも、二部で今のままでできるだけ長く続けてほしいと思う自分もいる。
帰ってお昼ご飯を食べたから作業の続きを。どうしても固有名詞がたくさん出てくるので、そのままにしておくとあとあと大変だなって思うから、調べてちょっとした情報を書き出していたりすると全然進まない。とりあえず最後までは行けたけど、ここから改めて言われたものに仕上げていかないといけない。
今月の下旬に入ってからのスケジュールがめちゃくちゃ詰め込みな状態になりそうだから、もう少し先にやる予定の映画の予告編についての原稿を一回夜に書き上げる。ここからは心身ともにしんどくはなりそうだけど、勢いがうまくつけば4月以降がかなりいい流れになるはず。と思いたい。

 

3月15日

朝起きてから資料を読んでからリモートワークを開始する。仕事の合間に友人と言っていいのか、長年知っている方にとある相談をさせてもらう。理由などを話したら力を貸してもらえることになった。一応詳細について最初に電話で話した際に言われていた言葉が聞いた時よりもその後にずっと僕の中で響いていた。その言葉に対して僕なりの誠意でいつか倍返しではないけど、きちんとお返しできたらと思う。
昼の休憩時間を使って表参道に。街は春めいていて、みんなおしゃれを楽しんでいる感じが伝わってくる。こういう場所は来るだけでも気持ちが軽やかなになるんだなって。こちらも今僕が悩んでいることに対して、プロの方から見て問題はないのか、今後どうしたらいいのかを前から知っている方に実際にお会いして相談させてもらった。こちらも話をしっかり聞いてもらって、今後どうするべきなのかいくつかアドバイスをしてもらった。
今の自分ではどうにもならないこと、力が足りないことに関して、恥ずかしいことでもあるのだけど恥を偲んで相談したことで力を貸してもらえた。ほんとうにありがたかった。もし、あのまま自分一人で悩んでいても解決できず、どんどん悪いサイクルに入り込んでしまっていたかもしれない。話を聞いてくれる人がいるということはこんなにも心強いのだなと改めて思えたし、今の自分は非力で人の力にはなれることがほとんどないのだけど、信用している、信用してもらっている人になにか相談してもらえた時にできるだけ力になれるような存在になりたい。

仕事が終わってから相談したことに関して、今のうちにやるべきことがあったのでその対応をしてから湯船に浸かった。なんだかほっとしていたら、別の友人から思ってもいない角度からの報告があった。そのことは僕にもちょっと関係していたけど、その友人が前に会った時に話していたことだったのでよかったなって思えた。
やっぱり今年はいろんなものが今までとは違う形に変わっていく一年なんだろう。去年が前厄で今年が本厄だけど、きっと今までの自分とは嫌でも変わるしかない状況に僕はいるように感じる。

寝る少し前に友人から二人でないとできない『違う冬のぼくら』というゲームをやろうとお誘いを受けたのでやってみた。
2人プレイ専用のパズルアドベンチャーゲームで、最初の1面というか『MOTHER』の日本版みたいな感じもする主人公二人の少年が進んでいく画面のあとに、2面に入ると僕は2Pだったようで僕の画面に映るのは機械の世界になっていた。友人の1Pの画面ではおとぎ話のようなメルヘンチックな画面になっていると画面のスクショを見せてもらった。
このゲームは協力して進んでいくパズルゲームなのだが、二面以降は同じゲームだけどそれぞれが見えている世界観がまったく違うというものらしい。パズル自体もおもしろかったが、PCでゲームをほとんどしたことがないので慣れるのに時間はかかった。ふつうにコントローラーとかがあればもっとスムーズにできたはず。ファミコンの8ビットな感じのドットで作られた世界もレトロさもある。
こういう発想でゲームを作っている人がいるんだなって関心した。問題は2人いないとプレイができないってことだけど、YouTuberの人とかは一緒にやって配信しながらプレイをしている人もいるらしくて、レトロさがありながら今っぽさにも対応しているのも新しいなって、しかしゲームもまったくしないので知らないことばかりだ。
同じことをしているはずなのに見えている世界がまったく違うというのは、寓話ぽい話だけど僕たちの現実世界でも当たり前のように起きていることだよね。

今回はこの曲でおわかれです。
boygenius – Not Strong Enough (official music video)