Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年2月15日〜2023年2月28日)

2月上旬の日記(2023年2月1日から2月14日分)

 

2月15日
寒さで目が覚めた。もう少し寝たかったがもう一眠りしたら出勤時間よりもあとに目が覚めそうな気がして、仕方なくトイレに行って用を足して冷水で顔を洗った。
会社からの支給されたノートパソコンでリモートワークを始めて、自分のMacBook Airradikoのサイトを開いた。深夜に放送された『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いてから、その中でも話題がでていた先週金曜の『神田伯山の問わず語り』を聴き始める。
JUNK20周年イベントの中で神田伯山がVTR出演し、いろいろとわだかまりがある状態になっている伊集院光さんに対して武道館で二人会をしようとコメントをしていた。イベントの中では太田さんが『JUNK 爆笑問題カーボーイ』に伊集院と伯山のWゲストで呼ぶからそこで、という話になっていた。だが、神田伯山はレイティングの時にゲストというのも嫌だと、伊集院さんの落語が見たいから、武道館で二人会をしたいと話をしていた。
イベントで伊集院さんは亡くなった師匠である三遊亭円楽師匠との親子会の時に、師匠からゲストとして爆笑問題と神田伯山を呼びたいと言われたが、師匠に仕えて始めて物申すというか伯山がゲストは嫌だと言ったという話もそのトークの中でしていた。
そういういろんなことを踏まえて、武道館で講談師の神田伯山と元落語家の伊集院光として二人会をやろう、TBSラジオでイベントを組んでくれ、という伯山の言葉は伊集院さんがOKを出していないということもあるが、彼なりの舞台に立つ人としての真摯な気持ちのように聞こえた。もちろん、いろんなことがあるのでイベントが実現するかどうかはわからないけれど、もし二人会があれば観に行きたい。


昼前にスーパーに行こうと思って家を出た。やはり風がひんやりとして冷たかった。キャロットタワーに入っているTSUTAYA三軒茶屋店の文庫の新刊コーナーを見ていたら、講談社文庫の発売日だったらしく、新しい文庫本が並んでいた。その中には伊坂幸太郎著『モダンタイムス 新装版』上下巻が出ていた。伊坂さんがデビュー20周年ということらしく、先月は『魔王 新装版』が出ていて、その作品と繋がっている『モダンタイムス』も新装版としてリイシューされたようだった。
個人的には『魔王』『モダンタイムス』は伊坂作品の中でもかなり好きな作品。新装版『魔王』の装幀がイラストで僕にはしっくりこなくて、『モダンタイムス』も今回のうさぎが描かれているものもあまり趣味ではない。好きな作家には金を払いたいのだが、売れている伊坂さんの新装版の装幀がダサいなって思うと買わなくてもいいやって気持ちになってしまった。
先月発売されていた夕木春央著『絞首商會』文庫版と『MONKEY』 vol.29を一緒に購入した。『絞首商會』はメフィスト賞受賞作であり、この夕木春央さんという人は新刊『方舟』がミステリ大賞とかでも上位に入っていて、それで名前を知った作家さん。

 

一見、単なる三人称の小説のふりをしたこの『ベルカ、吠えないのか?』は、本当は僕によって語られている。作者の古川日出男によって、だ。
 いろんな小説で語り手を出したけれども、自分を語り手にしたのは、初めてだった。
 でも、どうしてそんなことをしたのか?
 二十世紀は僕の世紀でもあったから、に他ならない。ようするに、お行儀よく、じっとしているわけにはいかなかったのだ。他人事にするわけには、全然いかなかった。そんなことをしたら、嘘になる。あるいは世間的には「小説というのは嘘を書くものだ」と了解されているのかもしれない。でも、僕はちょっと待て、と言いたい。僕が本気で世間と渡りあうために書きつづけ/語りつづけている_こいつら_が、ただのフィクションだって? そんなの、冗談じゃない。たとえばテレビを観る行為、新聞を読む行為、あるいは一種類の教科書だけに歴史を学ぶ行為、そこにはフィクションがないって、誰かは本気で信じちゃっているのか? そして「小説はフィクションの側だ」って、線引きをしているのか?
 冗談じゃない。
 だから僕は書いた。二十世紀まるごとを、僕は書いた。それは戦争の世紀で、そしてイヌの世紀だ。そして僕の解釈するところ、ロシア革命ではじまり、ソビエト連邦の解体で終わった世紀だった。

古川日出男のセルフ解説>「ベルカの頃」

『MONKEY』 vol.29に掲載されている古川日出男さんの連載『百の耳の都市』の最新回「台所太平記」を家に帰ってから読む。無国籍の船とそこにいる料理人たちの物語になっていて、すごくおもしろかった。
料理人や料理について古川さんが書くのが僕はかなり好きだし、今回の話は前に出てきた登場人物も再登場していて、そのキャラもよくていつもよりもツボにハマった感じ。
で、公式サイトを見たら、『ベルカ、吠えないのか?』刊行時に書かれた文章がアップされていた。僕は1982年生まれなので、物心がついてすぐに「昭和」が終わり、「平成」という時代が幼年期、思春期、青年期、中年期がすっぽり重なっている。そう思えば、僕は18歳になった時が2000年だったから、僕にとって人生の半分は21世紀を生きていることになる。
21世紀を描こうとしたら、20世紀がどうしてもつきまとってくる。だから、僕は半世紀前のことなんかを調べないといけないし、知らないといけないのだと本能的にわかっている、のかもしれない。

とくに大事なのは、第3条ですね。

 第3条 アメリカンスクールの学生のようにシャツは裾を出す
 シャツの裾出しもありがちパターン。シャツをアウターとして着るときはもちろん、ジャンパーなどはおっている場合でもこの技を使うケースが多い。

第3条に登場する「技」という表現は見逃せません。
シャツの裾を出す。
それが一つのテクニックとして指南される。
逆にいえば、それまではシャツの裾は入れるのが大前提だったわけです。
「シャツの裾出しもありがちパターン」
「この技を使うケースが多い」といった表現からは、
ストリートでシャツを出し始めた若者たちのスタイルを、
雑誌が一生懸命おいかけて「分析」している様子が見てとれます。

なによりも重要なのは、
Tシャツの裾を出す「技」がその後30年以上も使われ続けると、
このとき誰も思っていないことです。

理解しきれない若者文化をメディアが後追いすることによって、
シャツの裾出し/タックアウトという新しい現象を「技」と捉えたことによって、
Tシャツの裾を出すという行為に、振り返りがいのある豊穣な誤解と混乱とタイムラグが生まれました。
2023年から振り返れば、なぜそんなにもテクニック、テクニックと繰り返すのか不思議ですが、
1989年のタイミングでは、裾出しは、来年には別の流行に押し流されるであろう一つの技、テクニックにすぎなかったのです。

Tシャツをめくるシティボーイ 第14回  渋カジとは何だったのか・その2 / 文:高畑鍬名(QTV)

友人のパン生地君こと高畑鍬名くんの連載の最新回。「渋カジ」を掘っていくその二。その名前のように「渋谷カジュアル」であり、渋谷に高校がある高校生たちが着崩した格好が「渋カジ」となり、それまでの雑誌が先導したものではなく街から若者から現れたスタイルを雑誌が後追いしていく形となったもの。
「渋谷」という街が若者の街であり、ファッションや音楽といったカルチャーの最先端だった時代が確かにあった。今は再開発だけの問題ではなく、ネットもあるために比べるのが難しいが街からなにかが生まれるという感じはあまりしていないように思える。実際には起きているのかもしれないけど、若者のことはやっぱり若者からの視線ではないとわからないということもある。
「渋カジ」も検証できるほどに時間が経っているし、資料も残っていることがこうやって連載でも詳しくとりあげて、そこから著者が考察できる余白もそれなりにあるのだと思う。

夜からのリモートワークは二十時からだったので、朝仕事が終わったあとに近所のコンビニに行って、お菓子とBRUTUSのジャズ特集の最新号を買った。ロバート・グラスパーが表紙を飾っていて、菊地成孔さんもその師匠の山下洋輔さんももちろん登場していていたし、星野源さんもインタビューに答えている。
菊地さん関連のライブを行くことが多くなったせいか、今回登場している日本人プレイヤーの演奏も聴いていたり、名前も知っていたりと知らない間に、菊地さん追っていればそうなるわけだが、ちょっとジャズに傾倒しつつあるような気がする。
ルイス・コールも来日時に取材を受けていたのか公園の遊具に座っている写真が掲載されている。僕がルイス・コールを観たのはサンダーキャット来日公演でドラムのサポートメンバーとしてプレイしていた時だけだが、彼のアルバムを聴いたら来日に行くべきだったと後悔した。

Thundercat - I Love Louis Cole

 

2月16日
「今ここでやらなかったらこの先やれる機会は一生ない|ウェルザード インタビュー」

久しぶりに「monokaki」で作家さんにインタビューした記事がアップされました。インタビューもある程度間隔が空かないぐらいの頻度でやってないと空気感をつかむのが難しいなと思う。もう少し踏み込んだ話もしてもらったけど、使えないものもあったのでこんな感じでまとめました。


起きてから作業を一時間ほどしてからスマホで確定申告を開始。去年までは青学近くのベルサール渋谷に設置された申告書作成所に行っていたが、令和三年分の申告は作成用のPCもなくなり自分のスマホでやってくださいという感じになっていた。そうなると最後にプリンターが使えること以外はメリットもなく、やり方も前回でわかったので今回は自宅で行うことにした。
確定申告のためにマイナンバーカードを作ったが、いろいろと便利そうに見えて不便だなと思う。カードなくなったらすぐには再発行できないし、スマホやPCがなければ申告もできないし、みんなが使えるものでもない。
四十分ほどかかってしまったが、とりあえず提出。去年はレギュラーでやっていた執筆仕事が夏ぐらいに終わってしまったのもあって、源泉徴収がさほど引かれていなかったので還付金もいつもの年と比べると三分の一ほどしかなかった。このなんというかログインボーナスみたいな還付金にけっこう助けられてきたが、仕事についてこの先いろいろ変えていないといけないなと思う。
今声をかけてもらっている執筆関係の仕事がどうなるかでほかのことも決まるんだけど、急かしてもしょうがないからもう少し待って、それからいろいろ判断するしかない。
近くのセブンイレブンで提出した書類を自分用にプリントアウトした。


還付金が思いのほか少なかったのでテンションを上げようと思って、前からオススメされていたS・S・ラージャマウリ監督『 RRR』がヒューマントラストシネマ渋谷を観ることにした。サービスデーだったので1100円とお得だったのも大きい。
ヒューマントラストシネマ渋谷は今年初めてだと思うが、サービスデーということもあり、また話題作でリバイバル上映しているぐらいの人気作なので平日だけどかなり席が埋まっていた。年齢層もわりとバラバラだったし、女性の方が多いと言えば多いけど、男性も三割はいた。

日本でも大きな話題を集め、ロングランヒットとなった「バーフバリ」シリーズのS・S・ラージャマウリ監督が、英国植民地時代の激動のインドを舞台に、2人の男の友情と使命がぶつかり合う様を豪快に描くアクションエンタテインメント。

1920年、英国植民地時代のインド。英国軍にさらわれた幼い少女を救うため立ち上がったビームと、大義のため英国政府の警察となったラーマ。それぞれに熱い思いを胸に秘めた2人は敵対する立場にあったが、互いの素性を知らずに、運命に導かれるように出会い、無二の親友となる。しかし、ある事件をきっかけに、2人は友情か使命かの選択を迫られることになる。

「バードシャー テルグの皇帝」のN・T・ラーマ・ラオ・Jr.がビーム、ラージャマウリ監督の「マガディーラ 勇者転生」にも主演したラーム・チャランがラーマを演じた。タイトルの「RRR」(読み:アール・アール・アール)は、「Rise(蜂起)」「Roar(咆哮)」「Revolt(反乱)」の頭文字に由来する。第95回アカデミー賞ではインド映画史上初となる歌曲賞にノミネートされた。(映画.comより)

バカバカしくて最高にたのしい映画だった。90年代の「少年ジャンプ」のヒーロー的な正義と友情があって、主人公のビームとラーマの関係性はもちろん友人でなのだがどこかほのかにBL感も感じさせつつ(そこに萌えている人もいるだろう)、インドの音楽と踊りが所々でバトルシーンみたいに入ってくるのだが、その多幸感たるや。笑っちゃうんだよね、知らない音楽だけどここまでやるの?みたいな、神聖な祈りみたいな歌と踊りなんだけど、インドの明るさみたいなものが爆発している。とくにエンディングは何分やってんだよって思うほど歌って踊っていた。ラーマの恋人のシーマ(アーリアー・バット)という女優さんが若い頃の小島聖さんみたいな顔で、エンデイングは特に楽しそうに踊っていてすごくキレイなんだけど可愛げのある人だなって思った。
植民地時代のインドが舞台なので、世界中を植民地にしようとしている大英帝国帝国主義)というわかりやすい悪役がいるので、ビームとラーマのそれぞれが抱えた戦う理由がすごくしっくりくる。今の時代だと複雑化しすぎていてここまで単純な構図で描いてしまうと嘘っぽくなってしまうが、1920年であるのでリアリティラインは守られている。
荒唐無稽な戦いのシーンもあってこんなことありえないよって思うんだけど、冒頭で一気に観客を味方につける描写があって、そのあとにビームとラームの超人ぶりを見せることでこの作品ではこういう人たちがバリバリ戦いますって宣言された感じになる。そのままテンションとノリで突っ切っていくので観客は二人を応援したくなる、それはとてもうまいやりかただなって思った。
あとは音楽が素晴らしいので音響システムがちゃんとした劇場で観るのがオススメ、配信されてから観てもこの音の問題がまったく違うとおもしろさがなくなりはしないけど、100%では享受できないんじゃないかな、劇場で観て笑顔になる作品かなあ。


十七時過ぎにニコラによってアルヴァーブレンドとアイノブレンドを飲んだ。バレンタインということでチョコプリンというか、前はメニューにもあった時期があるデザートをいただいた。アマレットが入っているのでちょっと大人な甘さだけど、プリンの部分と少しスポンジっぽいところがあって美味しかった。

そのあとは恵比寿駅まで歩いて行って親友のイゴっちとご飯。たこえびすという鉄板焼きのお店で二時間ほど美味しい料理とエビスビールをいただきならたくさん話ができた。今後の話というかお互いに中年になり、終活ではないけど老いていく中での話もチラッとした。そういう年齢になってきたんだなって思うけど、健康な間にこういう話はしといたほうがお互いのためにもいいんだろうなって。
そのあとに前に連れて行ってもらったハコニワというバーでのんびり飲んで、もっとたくさん話して深夜すぎてから家まで歩いて帰った。最近飲んだあとに一時間以上歩いて帰ることがちょくちょくあるが、飲みすぎてないからかちゃんと帰れていて自分で偉いなと思う。もしかしたら元々お酒を飲まないので、人と会う時しか飲んでなかったから腎臓とか肝臓とかがアルコールでやられてないからわりと飲んでも大丈夫だったりするのかな。

 

2月17日
お酒が残っていなかったけど、シャワーも浴びていないので眠気覚ましにお湯を溜めて湯船に浸かる。ほんとうに寒い時期のお風呂はいちばんリラックスできて最高の空間だと思う。シャワーでもいいんだろうけど、体の隅々まで暖かくなって血流の巡りが良くなっているのを感じる。血流の巡りが悪いと寒いし体がうまくうごかない気もする。
リモートで作業を開始、作業で読む小説を進めながら昨日出した記事のツイートを仕込んだりする。平穏な一日、良くも悪くもなんかボケーとしていても作業はいつもどおりできた。

青山真治監督『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』が3月に1週間限定DCP上映

先日、恵比寿に行った際に話にも出た復活した恵比寿ガーデンシネマで『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』なら観に行きたいけど、自分のスケジュールを見ると一日一回とかだと難しい気がする週ではある。でも、この作品は音響システムのいいところとかで観てなんぼの作品だし、こういう機会かタイミングだろうな。

去年、吹いてはいけないと言われていたサキソフォンを、結局そこそこ吹きまくってしまったツケは、やや大きく、今年は7月~8月まで、ガチンコでサックス休業することになった。でないと自己再生治療ベースにしたインプラント手術は、永遠に完成しないことになる。

 まあ半年吹かないぐらいは何てことはない。ちょうど、ぺぺもラディカルな意志のスタイルズもメンバーがノーマ(とうとう潰れた)ぐらい、つまり「予約は2~3年先」という状態になってきて、どっちにしろ春にはライブが一切できない笑、とわかっていたし(24年のスケジュールを今から切り直す笑)

菊地成孔の日記 2023年2月17日 午前0時記す>

ペペ・トルメント・アスカラールもラディカルな意志のスタイルズも夏すぎまではライブがないってことか、おお、マジか。となるとペペ・トルメント・アスカラールはアルバムを出すって話だったけどそれもかなり流れるのかな。
まあ、菊地さんのサックスを聴けるようになるまで待つっていうなら我慢できると思うし、復活をたのしみにできるか。この日記で陰毛と胸毛とヒゲが真っ白になっていたのに、下から上へと黒に戻ったっていう話を菊地さんが書いているんだけど、メラニンかな、復活するものなの? 僕も体毛のいろんな箇所に白髪が数えるほどだが生えてきていて、白いから逆に目立つから気づくけど、六十歳の菊地さん真っ黒になったらなったで怖い。


仕事が終わってからTOHOシネマズ日比谷にて本日から公開の『アントマン&ワスプ:クアントマニア』をIMAX3Dで鑑賞。

アベンジャーズ」をはじめとしたマーベル・シネマティック・ユニバースMCU)を構成する人気作品のひとつ、「アントマン」のシリーズ第3弾。未知の量子世界に入り込んだアントマンやワスプが、アベンジャーズの新たな脅威となる存在、カーンと遭遇する。

アベンジャーズ エンドゲーム」では量子世界を使ったタイムスリップの可能性に気づき、アベンジャーズとサノスの最終決戦に向けて重要な役割を果たしたアントマンことスコット・ラング。ある時、実験中の事故によりホープや娘のキャシーらとともに量子世界に引きずり込まれてしまったスコットは、誰も到達したことがなかった想像を超えたその世界で、あのサノスをも超越する、すべてを征服するという謎の男カーンと出会う。

体長1.5センチの世界最小のヒーロー、アントマンことスコット・ラング役にポール・ラッドアントマンのパートナーとして戦うワスプことホープヴァン・ダイン役のエバンジェリン・リリーをはじめ、マイケル・ダグラスミシェル・ファイファーらおなじみのキャストが集結。スコットの愛娘で大人に成長したキャシー役を「ザ・スイッチ」「名探偵ピカチュウ」のキャスリン・ニュートン、謎の男カーンを「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」のジョナサン・メジャースが演じる。シリーズ前2作「アントマン」「アントマン&ワスプ」を手がけたペイトン・リードが今作でもメガホンをとった。(映画.comより)

マーベル作品ファンはネタバレされる前に観たいという人が多いのでほとんど満席に近かった。数人の友達できている大学生ぐらいの男性とかがけっこういたような。男女も半々ぐらいで年齢層も二十代前半から五十代後半ぐらいまで幅広かった。
量子世界とマルチバースについての話であり、いわゆるMCUのフェーズ5の始まりという位置付けになっているので、時間を操れるヴィランとしてカーンが登場してアントマンたちの前に立ち塞がるというもの。量子世界とマルチバースという僕が好きな内容ではあるのだが、正直ガチャガチャしている感じがあった。映像とかはほんとうにすごいんだけど、情報量が多すぎてもはやよくわからないっていう。
スコットと娘のキャシー、パートナーのホープと彼女の両親という三世代五人の家族の物語にはなっているし、量子世界における解放の話にもなっていた。だが、最終的にカーンは過去現在未来とあらゆる時間軸とにも存在していて、その数は無数だということも最終的にわかる。今回のフェーズ5はこの無数の時間軸を正しいひとつのものにするのか、あるいはそれぞれの可能性としての時間軸は存在していても干渉させないようにする終わり方になるんだろうなって。
ただ、GW公開の『ガーディアンズオブギャラクシー:VOLUME3』の予告編を観るとこちらも『宇宙大戦争』現在版みたいな感じで、似た印象にならないのかちょっと不安になる。ジェームズ・ガン監督がDC映画の総監督(ヒーローものの統括)になったので『ガーディアンズオブギャラクシー』シリーズはこの3つ目がラストとなるのが寂しいから観には行く。
昨日の『RRR』を観た後だとカオスすぎてエンタメが渋滞していたような気がする。映画館じゃなくてもいい感じかなあ、って思うぐらいなのはなんか期待していたのと違うというイマイチ感があった。上映後の観客のテンションが明らかに上がっていなかったのは、みんな僕と同じように感じてたんじゃないかな。

夜になって寝るまでの間は「オールナイトニッポン55時間スペシャル」の『ナインティナインのオールナイトニッポン』と『オールナイトニッポン0』(フワちゃん、ぺこぱ、佐久間宣行、マヂカルラブリー三四郎)と『EXITのオールナイトニッポン』(ゲスト:Creepy Nuts)を聴きながら読書をしていた。
オールナイトニッポン0』は五組八人だったので四人ずつに分かれてという感じになっていたが、いい意味でゴチャゴチャワチャワチャしていてお祭りだなって思ったし、ふだんは一人でやっているフワちゃんと佐久間さんがめちゃくちゃたのしそうだったのもよかった。
ナイナイの二人は普段通りな気もするけど、なんで「オールナイトニッポン」だと二人はすぐ歌う感じになっているんだろう、この数年から聴き始めたのもあるけど、歌のパートはなんか恥ずかしい。
EXITとCreepy Nutsの一緒に番組もやっていた二組はそれぞれにいろいろあるけど、ひとつの青春というかブレイク以後のひとつのターニングポイントになる日だったんじゃないかな。

 

2月18日

昨日の『アントマン&ワスプ:クアントマニア』が消化不良な感じがあったので、十七日から公開で期待していたパク・チャヌク監督の新作『別れる決心』をル・シネマで鑑賞しようと思ってチケットを深夜に取っていた。
ル・シネマはBunkamuraに入っていて、四月で休館して再開発が始まるので営業は停止して、その後宮益坂をのぼるところにある渋谷東映が入っていたところに入って新しく営業を始める。その前には足を運んでおきたいというのもあった。

オールド・ボーイ」「お嬢さん」のパク・チャヌク監督が、殺人事件を追う刑事とその容疑者である被害者の妻が対峙しながらもひかれあう姿を描いたサスペンスドラマ。

男性が山頂から転落死する事件が発生。事故ではなく殺人の可能性が高いと考える刑事ヘジュンは、被害者の妻であるミステリアスな女性ソレを疑うが、彼女にはアリバイがあった。取り調べを進めるうちに、いつしかヘジュンはソレにひかれ、ソレもまたヘジュンに特別な感情を抱くように。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに見えたが……。

殺人の追憶」のパク・ヘイルがヘジュン、「ラスト、コーション」のタン・ウェイがソレを演じ、「新感染半島 ファイナル・ステージ」のイ・ジョンヒョン、「コインロッカーの女」のコ・ギョンピョが共演。2022年・第75回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。(映画.comより)

前作『お嬢さん』がとても素晴らしくおもしろかったので楽しみにしていたパク・チャヌク監督の最新作。刑事のへジュンと被疑者のソレが惹かれ合うというものなのだろうなと思ってみるとそれは間違いではないが、思いの外話はストレートではなく二転三転していった。
へジュンは不眠症であり、原発で働くエリートの妻とは週末婚という状態だった。ソレは夫が転落死した事件によって、警察から被疑者として捜査対象になり、へジュンから取り調べを何度か受ける。二人の人知れない蜜月的な関係性は体を求めるようなことには至らないが、官能的で二人だけの秘密なものとなっていく。
言葉にはしていないが目を見るとわかる、そんな距離感の男女。だが、捜査が進むにつれ、ソレが夫を殺した可能性が高いことを突き止めるへジュン。問題はそれで事件が解決して蜜月は終わって、彼は仕事(正義)をまっとうするかと思いきや真逆の行動をとる。そのことでソレは捕まらないものの、へジュン自体は(精神的にも)崩壊してしまうことになってしまう。
ここで男が壊れて終わるのではなく、物語は一年ちょっと先に展開していき、精神的に病んでしまった刑事は妻が働いている原発のある土地へ赴任していた。そこにソレが新しいトレーダーの夫と共現れるのだが、その男も死体で見つかり、へジュンは再びソレと関わることになっていく。そこから物語は過去の事件も含めて様々な真相が明かされていく。

タイトルの『別れる決心』という言葉も作中でソレが言うシーンが出てくる。思い合っているが真実を知っているへジュンはソレに思いを告げることもできず、ソレも同様だった。そして、ソレが選ぶ最後の手段は言葉よりももっと重いへジュンと「別れ」るための行動となる。惹かれてはいけない男女が惹かれあったことで起きた悲劇とも見えなくもないが、前作『お嬢さん』もぶっとんでいたので衝撃はそこまではなかった。ミステリと言えなくもないんだけど、やっぱりラブストーリーなのかな。
とにかく映像が素晴らしい。ワンシーンごとが画になっている。前の『お嬢さん』は室内のシーンが多かったが、今回は野外も多くて違う作家みたいな気もするような変化が見えた。

ソレの祖父が満州の抵抗軍だった話があったり、彼女は中国から韓国へ来ているので韓国語が万能ではないので、Apple WatchiPhoneで中国語を韓国語へ変換して意思疎通をしたりもする。このボイスメモが後半に重要なものとなっていくが、韓国人であるへジュンには中国語はわからない。だから、やりとりができていても途中で彼女が何を言っているのかわからないという場面が出てくる。
『silent』など去年は手話を使う作品がいくつかあり話題になったが、ここでは手話ではないが、他国の言語というものはコミュニケーションがうまくできない、理解できないものとしてあり、それを物語に組み込んでいるんだなって思った。
手話のように覚えなくてもiPhoneなどが自動翻訳をしてくることでコミュニケーション不全になる異なる言語であっても意思疎通が可能になっている時代だということが物語に関与しているのは現在っぽさがある。
一回観ただけだとわからないところもある作品なので、もう一回観ないとシーンの意味やセリフのことも理解できない気がする。最初の落下シーンと最後の海の浜辺のシーンと、ある種冥界に落ちていく、そんな象徴的なシーンが観る度に意味を変えていきそうな、観た人の中に刻まれていく感じの映画だった。

――夏帆さんはいつも徹底された役作りと、熱量のある演技をされている印象です。普段から役作りでは何を心がけていますか?

夏帆:『silent』は特に準備が必要な役でした。ただ、作品によって役作りの方法は変わるかもしれないです。自分の中でもどういうふうに役を作っていくのがベストなのかは、作品ごとに探りながらやっています。大体は、脚本を読んでイメージしたものになんとなく近づこうとする。そんな抽象的な感じでいつもやっています。“思い込む”じゃないですけど、自分自身を洗脳するような感じ。ただ、『ブラッシュアップライフ』で言えば、役作りは全然していないんです(笑)。逆に言えば、もしかしたらそれが役作りになるのかもしれないというくらいで。

――そうだったんですね。最初に脚本を読んだときの夏希の印象はどうでしたか?

夏帆:それが、「こういう役だな」とはならなかったんです。それこそ『ブラッシュアップライフ』の会見で木南晴夏さんが登場人物たちは“没個性”だとおっしゃっていたのですが、本当にそういう感じで。でも不思議と、出来上がった第1話を観たときに「それぞれの個性がすごく出てる!」と感じたんです。最初に読んだときは「このキャラクターはこういう感じ」ってキャラ分けをしていなかったし、それこそみんな同じ色の衣装を着ていますし。なので、キャラクターが際立っているというよりは、3人で1つのような印象でした。

夏帆が語るバカリズム脚本の面白さ 『ブラッシュアップライフ』は「役作りしていない」

――そのほか何か役作りで心がけていることはありますか?

染谷:余計なことをしないように心がけています。脚本に書いてあることだけで十分面白いので、何か面白いことをしようと思わないようにしています。セリフとト書き通りにやったら、もうスタッフさんみんなが笑ってくれるので、こんなにありがたい役はないと思っています。

――視聴者は、麻美、夏希、美穂の関係性に懐かしさを感じているようです。染谷さんは自身の学生時代と重ねてノスタルジーを感じることはありましたか?

染谷:時間を忘れてとりとめもなく喋っていた頃の感覚は身体レベルで覚えていました。だからオンエアを観ていても、この時間は自分も知っているなと身にしみて感じたんです。その感覚を意図的にドラマの中で作るというのはすごいことだと思いますね。観ていて本当に面白いなと思いました。

染谷将太が語る『ブラッシュアップライフ』福田役への共感 昔は「福ちゃんみたいだった」

バカリズム脚本ドラマ『ブラッシュアップライフ』は毎週見て楽しんでいるドラマで、メインクラスが好きな俳優さんたちばかり、園子温監督の映画やドラマに出ていた人たちが多い。
夏帆さんと染谷さんは『みんな!エスパーだよ!』ドラマで一緒にやっていたなとか思ったり、すごい役者さんが世に出て行ったしそのきっかけになったのに、とかドラマ関係のないことも思ったりもする。このインタビューはドラマとしっかりリンクしている内容だしよかった。同時にそういうこともちらりと脳裏によぎる。たぶん、このことはずっと思い続けるんだろう。


二十時からリモートワークだったので、渋谷から帰ってご飯を食べてからradikoで「オールナイトニッポン55時間スペシャル」のリアルタイムで十五時から『タモリオールナイトニッポン』(ゲスト:星野源)から一七時から『秋元康と佐久間宣行のオールナイトニッポン』を聴いて、二十一時からの『菅田将暉オールナイトニッポン』までの間は、深夜の聴けてなかった『三四郎オールナイトニッポン』(ゲスト:金田哲(はんにゃ.)、都築拓紀四千頭身)、KAƵMA(しずる))を、というラジオデイ。
タモリさんと星野源さんは音楽の話が多かったが、根っこにジャズがあるからこそできる話題があってどんどん深掘りしていく本当に魅力的な対話になっていた。やっぱりこの組み合わせは的確というかタモリさんに星野さんを組み合わせた人ってすごい。これはジャズ好きの人は嬉しすぎて喜びまくってるだろう。そしてジャズを知らなくても不思議と聞けるそんなおもしろいやりとりがずっとあった。欽ちゃんと若林さんが年一で正月にラジオをやっているように、タモリさんと星野さんも年一でやってほしい。



三四郎オールナイトニッポン』は金田&都築ゲストで始まり、KAƵMAが乱入してくるというこの番組好きとしては最高にたのしかった。このメンツもそうだけど、「オールナイトニッポン55時間」スペシャルは「JUNK20周年」とは違う印象をもつのは、こちらはかつてのレジェンドパーソナリティが多数出ているけど、若手というか三十代や四十代の脂の乗ったレギュラーのパーソナリティたちもいて、そこにレジェンドやゲストが絡んでいるところ。
一部はCreepy Nutsが抜けたあとに誰が昇格するのかというのも注目されているけど、第二部の時間の「0(ゼロ)」と二十四時からの「X(クロス)」は芸人やミュージシャンの若手が挑戦できる枠があるのでうまく新陳代謝していきそうだなって感じが「JUNK20周年」で感じた終わりの始まりのように感じたことと大きな違いなんだろう。

でも、「JUNK」というかTBSラジオニッポン放送の深夜帯のこのメンツの強さとバラエティには大きな差がついているようにも感じるけど、どちらかが全盛期であったり勢いがある状態であれば、そのもう一方は叛逆の狼煙を上げることができる。そのためには体制を変えたり、今あるものを終わらしたりして次世代を育てることをしないといけない。今の現役の人たちはまだしばらくやっていくだろうけど、彼らがいなくなったあとに人が育っていなければ、あるいは急に終わる時にその座に着ける能力や実力のある人がいなければいけない。今の「オールナイトニッポン」に対して「JUNK」含めTBSラジオがどんなカウンターを放つかはたのしみである。どちらにも関わっているパーソナリティーを務めたことがある伊集院さんがキーにはなりそうな。

秋元康と佐久間宣行のオールナイトニッポン』は大ボス的な秋元康、彼は高校時代に放送作家を始めていて、『タモリオールナイトニッポン』の作家だった時代もあり、この企画のエグゼクティブプロデューサー、そして彼が見込んだ佐久間さんというタッグに黒木瞳さんが手料理の筑前煮を作って持ってくるという不思議なカオス、とんねるずが乱入するかなって期待は多くの人がしていたと思うがそれはなかった。ただ、この放送で佐久間さんがフジテレビの復活する『オールナイトフジ』のMCということが秋元さんによって情報公開前に解禁してしまう、という流れがあった。やっぱり秋元さんってエンタメの人なんだなって思った。流れを作るかどうか、そのあとのことは未知数のこともあるけどおもしろいことを作る土台は用意している感じがプロデューサーとしてAKB48とかを成功させれる人なわけだ。
好き嫌いは分かれるだろうけど、この秋元康が時代を作ったというのは間違いがなく、それに踊ったり踊らされたりしてお金が動いて人や文化も変わっていったというのは事実であり、「オールナイトニッポン」が生み出した、世に放った異能の存在のひとりだというのは間違いがない。
二十一時からはリモートで作業をしながら復活した『菅田将暉オールナイトニッポン』を聴いた。コロナパンデミックからラジオを聴くようになったので菅田さんのラジオは三年ぐらいは聴いていたので懐かしさがあるけど、まだ三十歳になる年らしい。役者としての活動も楽しみだけど、中年とかになってまたラジオをやったらすごくいいんじゃないかな、ベテランになったあとで佐久間さんみたいなおじさんポジションっていうのもありかもしれない。

 

2月19日
赤坂見附駅から近く、246沿いを挟んで赤坂御所の反対側にある草月ホールにて「MATSURI SESSION 古川日出男×向井秀徳」を友人の青木と鑑賞。
午前中に作業をしてからお昼過ぎに歩いて赤坂に向かう。途中で渋谷ロフトに買い物で寄ったが店内は人がたくさんいて、渋谷の街にもコロナパンデミック前に戻ったぐらいの人の多さだった。マスクをしている人がまだ八割とか大多数を占めているが、感覚としては人の多さ は三年前とかと変わらないような、そんな日常的な日曜日の午後の風景。
タワレコを横目に坂を上って246沿いに出れば、あとは大通りに沿って皇居方面に歩けば自然と草月ホールに着く。開場時間よりも早めに着いたので草月ホール前を通り過ぎて豊川稲荷赤坂別院に寄ろうかなと思っていたら、ファミマのイートインに青木がいるのが見えたので、声をかけて一緒に豊川稲荷赤坂別院に行くことにした。
十七時の開場時間になってから草月ホールに戻って草月ホールの中に入る。一回か二回ほど来たことはあるが、何年かぶりだった。席はB列60番台だったのでステージの真っ正面ではないが、右側から少し斜めに見る感じで古川さんが立つ所に近くてとても観やすい場所だった。

最初は古川さんひとりで登場して萩原朔太郎の『猫町』の詩を読むところから始まった。早稲田大学の国際文学館で行われたレコードプロジェクトの際に、古川さんと向井さんが一発録音録りした時の共通項として坂口安吾が出てきていたが、今回も坂口安吾がひとつのキーになっていた。古川さんのギガノベル『おおきな森』に探偵として坂口安吾が出ており、そのパートが何度か読まれた。ほかには安倍公房の文章もあった。
長篇詩『天音』からの朗読もあり、古川さん自身の小説と詩からも朗読されていき、その場でリミックスされた新しい作品が生まれていた。前半はもうひとつのキーとして「猫」が出てきていた。向井さんの歌詞にも出てくる「猫町」が萩原朔太郎の『猫町』からということなんだろうなと脳内で言葉が結びついていった。
入れ替わりで出てきた向井さんは13 日の「Flowers Loft 3rd Anniversary いとうせいこう is the poet / 向井秀徳アコースティック&エレクトリック」でも演奏した「Amayadori」をこの日も演奏していて、この曲と「Water Front」(こちらも両日演奏)が僕はとても大好きで、再度聴けてよかった。この原曲はオムニバスアルバム『極東最前線2』に収録されているが、このベーシストのMIYAさん加入後のこのLIQUIDROOMのライブでしか聴いたことがなく、その後YouTubeにアップされたが音源が存在していない。そして、ソロバージョンはこのバンドバージョンよりは『極東最前線2』に収録されたほう(このライブバージョンよりも遅い)が近い気がした。
ZAZEN BOYSは2012年の『すとーりーず』以降アルバムが一枚も出てないのに毎年何回もライブあるし、「MATSURI SESSION」というワンマンも年一はある。既存の曲がひねくりまわされてこねくりまわされて、アルバムで聴いていたものよりも何段階も上のバージョンになっているという不思議な状況になっている。この日は13日に演奏した『カラス』はやらなかった。ソロだとナンバガザゼンの曲もやるのでさらに向井節が際立っているように思える。

一回休憩を挟んでから古川日出男向井秀徳がステージに並んで立って朗読セッションが始まる。過去に何度かあった此岸と彼岸の境界線を行き来させる、あるいはそんな場所を屹立させてきた古川さんの朗読を観てきたが、This is 向井秀徳がギターを鳴らして、ふたりが音を刻むと、ただただこの現し世で笑いながら互いが認めている最高の他ジャンルの圧倒的な才能との全力の殴り合い(アドリブ)のようなセッションライブを見せてくれた。これは名付けようのないものなんだよなあ、他に存在していないし誰にもできない。
久しぶりに『ベルカ、吠えないのか?』の朗読もあって、宇宙に飛んで地球を見たライカ犬第二次世界大戦で軍基地に取り残された軍用犬から連なる系譜の犬たちがその一頭であるライカ犬を見上げていた。第二次世界から冷戦が終結するまでを犬たちの視線で描いたのが『ベルカ、吠えないのか?』。僕が2008年に青山ブックセンター六本木店で初めて聴いた古川さんの朗読は『ベルカ、吠えないのか?』とスティーヴ・エリクソンの『アムニジアスコープ』だった。
だから、前半には「猫」がいて、後半には「犬」がいた。だから、『サウンドトラック』をはじめとして「猫」や「犬」以外に古川作品に何度も出てくる動物である「鴉」がいたらなと思ったので、向井さんの『カラス』も聴きたかった。
いつもZAZEN BOYSや向井さんのライブに一緒に行っている青木ははじめて古川さんの朗読を体験した日になった。「なんて言葉にしたらいいかわからないけど、とてもすごいものを見た」と冷静に、しかし昂揚している口調で終演後に感想を言っていたのも印象に残った。彼は古川さんのパフォーマンスにも驚き、まるで演劇を観ているだと言っていた。しかし、向井さんと一緒に音を鳴らすと完璧なバンドのようだとも言っていた。
このふたりのセッションはまさに「名付けようがないエンタメ」だし、古川さんも向井さんもそれぞれの存在がジャンルだから、また二人がセッションするときは絶対に足を運んだほうがいいし、もっと多くの人に観て感じてほしい。



入場時にもらったお知らせに河合宏樹監督『平家物語諸行無常セッション』が2023年初夏に劇場公開決定と古川さんが書いたであろう文字が印刷されたものが入っていた。
劇場でまたあの興奮が観れるなら、今回の二人が観れなかった人にも観てほしい。古川さんと向井さんに加えて坂田明さんが入って三人でのセッションは彼岸と此岸の境界線に連れていく、また違う景色を見せてくれるものになっている。

公演が終わってから古川さん繋がりの知人の人たちと話をしながら、終演後の挨拶をしようと待っていた。『世界まる見え!テレビ特捜部』にも出演していて、ご自身でも映画を作っているマシュー・チョジックさんと久しぶりに再会した。去年起きたもろもろに関して少し話をさせてもらった。僕たちの共通の人は古川さんと園監督だったから。その話は今度お茶でもしながらしようと約束した。
古川さんと向井さんが関係者と一部の知り合いが残ったフロアに出てこられたので、ご挨拶して今回の感想を伝えた。古川さんへの挨拶で並んでいた最後の方だったのでマシューさんをはじめ知っている人たちの数人で話ができたのもよかったし、なんかすごく柔らかな時間になっていたと思う。
セッションの余韻を無くしたくないので歩いて帰りたいと思ったので、電車には乗らずに、radikoで『伊集院光オールナイトニッポン』を聴きながら歩いて帰った。
伊集院さんがかつて「オールナイトニッポン」二部をやっていた時代の違う曜日を担当していたパーソナリティーが集まった同窓会のような雰囲気になっていた。それぞれの方々が生き延びたからこその再会というものもあるし、なんだかとてもいい時間が流れていた。今日の「MATSURI SESSION」もいつか話して懐かしみながら盛り上がる日が来るかもしれない、だからなんとか生き延びたいなって。

 

2月20日
Daft Punk - One More Time (Official Video) 


漫画家の松本零士氏が亡くなったというニュース、代表作『銀河鉄道999』などは知っていたり少しアニメで見たことがある程度だけど、やはり僕らの世代だとDaft Punkとのコラボレーションだよね。

朝からリモートワーク。先週出したインタビュー記事は週末にもけっこう読まれたみたいでうれしい。これから月末まではできるだけ集中する時間を確保したいので、仕事上でやっておかないといけないことに早めに手をつけて少しずつ終わらせていった。
仕事中は「オールナイトニッポン55時間スペシャル」で放送された『ネプチューン土田晃之オールナイトニッポン』と『ゆずとCreepy Nutsオールナイトニッポン』と『明石家さんまオールナイトニッポン』と『aikoと井口理のオールナイトニッポン』を続けて聴いた。
ネプチューン土田晃之オールナイトニッポン』の時にネプチューンの名倉さんが『タモリのスーパーボキャブラ天国』のテーマ曲だった小沢健二 featuring スチャダラパー『今夜はブギーバッグ』の曲紹介をしていて、ある人物が脳裏によぎったんだけど、もう過去のことだから問題はないのかなっていらぬことを思った。
『ゆずとCreepy Nutsオールナイトニッポン』は二人組同士である彼らの組み合わせは予想以上によかった。クリーピーの抱えている問題や思っていることなんかを十何年前に通り抜けていったゆず、お互いにシンパシーを感じるところが多いのがわかるものだった。ゆずはDragon Ash椎名林檎aikoが同年デビューだという話をしていたが、みんながそれぞれ新しいジャンルを作るような人たちだったので仲間がいなかったという話もあった。
ゆずがメジャーデビューした当時はビジュアル系全盛期だったから、そこでの上下関係とかがきびしいのを見ていたが、そもそも同時代に彼ら以外には二人組のフォークデュオはいないから、かなり上の祖父世代みたいなレジェンドクラスの吉田拓郎さんたちに可愛がられたという話もしていた。そういう当事者しか見えない景色っていうのがあるんだなあ。
明石家さんまオールナイトニッポン』は笑福亭鶴瓶師匠がゲストでずっと二人のやりとりを聴いていたかった。『aikoと井口理のオールナイトニッポン』はそれぞれのラジオを聴いたことがなかったけど、聴いていたら好きになるコンビネーションだった。その合間とか外に買い物に行った時にTBSラジオの『川島明のねごと』を聴いて、仕事が終わってから土曜日深夜に放送していて聴けていなかった『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いたら、裏番組だった『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をどうせみんな聴いているだろというフリで、彼らの『Shangri-la』を下ネタにして替え歌したものを放送中ずっとある女性と東ブクロさんが歌い続けるという最低で最高に爆笑できるものをやっていた。いやあ、深夜放送だね、くだらなくて最高だなあ。

気がつけば来週の水曜日には三月に突入してしまう。こちらからお願いした案件で先方から申し訳ないが、もう少しお返事に時間がかかりますという旨の大変丁寧なメールをいただいた。こういうことってほんとうに大事なことで、信用ってこういうちょっとこと下の積み重ねだし、それができない人はそもそもその積み重ねがないから信用がない。見習っていこうと思うし、そういうことにちゃんとやりとりができるのが当たり前の人でありたい。
もう一件、二週間前にお話をもらったことに関して連絡が来ていないので、これってどうなってますか?と聞いたら、僕に連絡する予定の人が連絡忘れているのでは?みたいなことになって、そちらのメアドを知らないのでSNSのDMで確認して聞いてみた。AさんとBさんで僕に伝える内容に関しての齟齬があったらしく、夜に詳細メールしますと返事がきた。すげえ両極端な感じだなと思いつつ、それでもライター仕事がもらえて形になって笑い話になるのを祈ってる。
古川さんに午前中に昨日のセッションの感想についてのメールを送ったら、お昼過ぎに早い返信があった。めちゃくちゃ疲れている時に申し訳ないなと思いつつも、感想が届いていることがうれしい。何だか今日はメールに関することがいろいろある一日。

 

2月21日


浅野いにお著『零落』が竹中直人監督で映画化したものが来月公開。『ソラニン』で種田が死ななくて、ミュージャンになって周りから見て成功していても抱えていただろう苦悩を漫画家の深澤は抱えているように見えた。
ラジオに出たときも紹介するほど好きな作品。ちふゆは河合優実さんじゃない?とか思ってたけど、斎藤工MEGUMI安達祐実という81年組な同学年がメインキャストにいる。
浅野さんは80年生まれ、80年代前半生まれって団塊ジュニアの文化には間に合わず、弟や妹世代がハマった『ポケモン』『ハリポタ』が出たときには高校生とかだったのが後にいろんな影響を与えた気もする。山上徹也の銃撃事件以後に同世代が起こした事件だから、やっぱり世代については考える。
安達祐実さんが出てた映画『REX』になぞらえて「GENERATION REX」というユニットをアナ、WEEKEND、PANORAMA FAMILYがやってたのを未だに覚えてる。


十八時過ぎまで作業してから家を出て中目黒駅に向かう。風が異様に冷たい、ちょっと寒すぎる。向かっている途中に仕事に関するメールが届いていて、いろいろと条件とか詳細が書かれていたので確認して、歩きながらスマホで返信を書いて送る、それに対してのメールがくるというのを三往復ほどして仕事が決まった。いろんなご縁もあってなのでありがたい。メールの返信を寒い中スマホで返すとなんだか正しく打てているかちょっと不安になった。
友達のパン生地くんと前に通りかかった時に行こうと話していたファイブスターカフェというシンガポール料理が出るお店に。出てくる料理は濃いめな味だと思ったがお酒がすすむ美味しい料理ばかりだった。
いつもみたいに小説のことやエンタメのこととか、彼の連載のことなんかを話ができた。時折、彼が言ってくれる僕へのアドバイスというか言葉がのちのち効いてくる、意味が理解できるようなタイミングがあるので、今回もいろんな角度がから話をしてくれてありがたかった。
三時間ほどしてお店を出てから、中目黒川沿いを散歩がてら歩いてエグザイル的なローソン(近所にエグザイルの事務所のLDHがあるので、店の壁いっぱいにTAKAHIROがチューハイをもったポスターというか宣伝があるローソン)に入って寒いと言いながら店舗前で缶ビールを飲んでいたら十一時近くになった。
パン生地くんの高校の先輩で十何年ぶりにばったり再会という感じらしく、その先輩さんは仕事先の社長と偶然僕らが立ち飲みをしている前を通りかかった。一緒にと声をかけられたので中目黒川沿いにあるバーに行って、飲みながらその社長さんといろいろ話してたんだけど、思いのほかファイブスターカフェで飲んだハイボールが徐々に聞いてきたらしく、ほどよく酔っていた。月に一回人と会う時に飲むかどうかなんだけど、ビール以外のものはわりと酔いやすい気がする。
よくわからないがご馳走になったらしい、深夜一時ぐらいを過ぎてから解散になった。酔いどれのままちょっとグロッキーな感じで歩いて家に向かった。『Creepy Nutsオールナイトニッポン』を聴きながらだったけど、内容を全く覚えていない。ただ、寒くて風が痛かった。風が冷たくて、歩いて帰るには微妙な距離だったが、ちゃんと家の近くでポカリを買っていたことを翌朝起きて気づいた。

 

2月22日
仕事が始まる少し前に目が覚める。寝転んだままだったが、何かの拍子に吐き気がやってきてトイレに行って吐いた。重くはないが二日酔いぽかった。テーブルは帰りに買っていたポカリがあったのでそれを飲んだ。

リモートで仕事を始めたが体内のアルコール濃度がまだ高いのか、気持ちが悪い。時折、気持ち悪くなって吐いてポカリや水を飲む、を繰り返す。だんだん吐いても胃液だけになり、なんというか自分の体の中のアルコール濃度がなくなったなと思うと二日酔いの感じはなくなっていった。

 ビートたけしについてずいぶん考えた。
 日本の作品でショックを受けたのはあの人のものだけだったからだ。
 まず第一にビートたけしが今のこの国では珍しく危険な存在感をスポイルされずに生きのびている芸人・役者だということがある。
 彼はそういう彼自身を映画に使える。
 でも私だって自分の言葉を使えるのだからそれは五分五分だ。
 それではなぜビートたけしは映画という容器に媚びなかったのか?
「映画なんて黙ってるとカメラマンが勝手に撮っちゃうからね」
 と、対談した時彼は言っていた。
 映画はハードを含めた強いメカニズムだから、敵意を持ってその自同律に立ち向かわないと転げ落ちるような敗北が待っているのである。
 そういうことを考えている時、浅草の舞台にいる頃のビートたけしが頭に浮かんだ。
 笑いと暴力の現場で、彼は一瞬の内にすべてを判断しなくてはいけなかっただろう。
 無名の群集を注目させ笑いをとるというのは、ある種のスピードと力だ。
 自分の性器を露出するようなプライドのない芸とはビートたけしはずっと無縁だったに違いない。
 私は、彼はきっとそういう舞台における一瞬のひらめきのようなものを、映画の現場に持ち込んだのだろうと思った。
 表現する側のアイデアと、表現を受ける側の反応ということでは、お笑いのスピードにかなうものはない。
 ジャズのインプロビゼーションだって、コードとテーマがある。
 音楽のライブだって前もって曲がある。カメラマンだって、たとえばポラロイドでも二分くらいに間がある。
 小説に至っては、作家のアイデアと読者の反応まで、五年くらいかかることだってざらなのだ。
 お笑いでは、言葉を発した瞬間、あるアクションをした瞬間にすべてが決まってしまう。
 小説の対極にある。
 だから、ビートたけしはその瞬時のひらめきで映画という容器に対したのだろう、と私はそう思ったのだ。
 それは半分間違ってると最近気付いた。
 問題は「ひらめき」というあやふやな言葉だ。ひらめきなんて信用してはいけない。感情や感覚にしたって同じだ。
 ビートたけしはおそらく浅草の頃から今まで他の人の何十倍何百倍と考え抜いてきたのだろうと思う。
 ひらめきが起こるのを待つような人は、単なるバカだ。
 ビートたけしは考え抜いたネタをナイフのようにとぎすまして舞台をうかがっていた姿勢を今も崩していない。
 いつも入念な準備があったという意味ではない。最後の最後まで、まるで飢えているように、強迫神経症のように、考えて抜いていたということだ。
 その積み重ねが、例えばテレビにおいてスポイルから彼を救っている。
 映画という容器からも自由になったのである。

村上龍著『村上龍全エッセイ 1987-1991』収録「映画という容器への距離」P451-P453

仕事が終わってからブックオフに行って読み終えた本を数冊売って、そのお金で村上龍著『村上龍全エッセイ 1987-1991』を買ってからニコラへ。上記で引用した部分はなにげなくペラペラと読んでいたら目に入った。1991年に出た文庫本だから23年前のものだが状態がかなりよくて、中にはその月の文庫本紹介みたいな折りたたみのやつも当時のままで入っていた。

仕事中に『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いていたら、太田さんが今回の「オールナイトニッポン55時間」スペシャルの話や伊集院さんのことをしっかり自分の思ったことを話していた。その話の中で『電気グルーヴのオールナイトニッポン』で瀧さんが捕まった時の話とか最高だったなって話をしていて、それを聞いてまた聴きたくなってしまった。

アメリカの夜 インディヴィジュアル・プロジェクション 阿部和重初期代表作1』『無情の世界 ニッポニアニッポン 阿部和重初期代表作2』の装幀デザインめちゃくちゃカッコいい。前に出たものも持っていて出たら買うつもりだったけど、デザインがいいっていうのはほんとうにうれしい。

 

2月23日

 最初の妻は僕の普通のファンで、僕が出演したテレビ番組は全部録画しているし、全アイテムを持っています。今でも年に何度か、何かあると(だいたいそれは訃報や、2人が夫婦だった頃の思い出が失われたとき。何ですが)連絡を取ったりしますが、クイックジャパンに書いた「布団の上で裸のままテレビを見ている彼女は<いつかタモリもたけしも死ぬのかなあ、私それ信じられない>」というコラムの「彼女」とは彼女のことで、僕が出演したタモリ倶楽部を、DVDに焼いて送ってくれました。多くの人が忘れていると思うんですが、タモリさんは「笑っていいとも!」も生前退位されたので、タモリ倶楽部もいつか来るなと思っていましたけれども、タモリさんが醸し出す濃厚な「死の香り」は、実際の死より芳醇な死だと思っています。

菊地成孔の日記 2023年2月23日 午前5時記す>

そうか、『笑っていいとも!』も生前退位という言葉で合点が行った。「平成」は現在の上皇だけでなく、象徴といえるSMAPの解散、安室奈美恵の引退という形で生前退位といえる形で象徴が消えた元号ともいえる。タモリさんもそうだが「昭和」に生まれた人間が「平成」という時代を象徴する存在だった。「昭和」は長過ぎたこともあるし、そもそも第二次世界大戦以前以後ではまるで違う、だが、その終わりには象徴といえる美空ひばり手塚治虫の死があった。そのことが脳裏にあるとどうしても「平成」は象徴が死ぬことなく表舞台から消えていったというイメージとなる。
この菊地さんの日記は「天皇誕生日」ということで祝日になった朝に書かれているということ、そして『タモリ倶楽部』が三月いっぱいで終了することと結びつけていることは僕にはそういうことを彷彿される。
この日記の最初の方ではかつてプロデュースをしていたモノンクルとぷにぷに電機の対バンライブを菊地さんが普通にチケット買ってWWWに観にいった話だった。たぶん、そこがいちばんの読みどころなんだと思うけど、ちょっと香ばしい感じもした。あとぷにぷに電機というミュージシャンの名前をはじめて聞いた。知らないことばかりだ。

ぷにぷに電機×80KIDZ『Night Session』officialMV 



今回は『POPEYE』と渋カジの関係に焦点をあてていきます。
連載の初回で、渋カジにおいて『POPEYE』が果たした役割や、
雑誌がストリートを後追いしたことを裏付ける「敗北宣言」についてふれました。
あらためて問題点を確認しながら、実際の誌面をめくっていきましょう。

Tシャツをめくるシティボーイ 第15回  渋カジとは何だったのか・その3 / 文:高畑鍬名(QTV)

友人のパン生地君の連載の最新回が公開になっていた。今回も渋カジについてだが、『POPEYE』の誌面をかなり参照にしているので文字は少なめ、同時に誌面を撮影した画像が大量に投下されている。
この間飲んだ時にもこの話をしていたけど、ファッションに疎くてもあの時代の空気を知っている(ファッション雑誌とか目を通していたら)と祐真さんという名前はわかるし、「水道橋博士のメルマ旬報」でご一緒していたスタイリストの伊賀大介さんの師匠の熊谷隆志さんがやっているGDCというブランドの服は彼がよくスタイリングしていた浅野忠信さんや安藤政信さんやKj(降谷建志)が着ていたから印象に残っているなどの同時代的な思い出がある。
彼は『POPEYE』だけでなくいろんなファッション雑誌も集めて文献にしているが、雑誌というのはわりとすぐに捨てられたりもして残りにくいものだが、一個のパッケージとしてその時々の状況をしっかり保存してくれているメディアだなと思う。
いろんな企画や記事があって、それを通して読むと時代というのものがわかってくる。昔はそういう送り手から受け手への一方通行だったけど、今だと誰でも発信できるようになってくれると時代性というのはまとめにくかったり、実は形としては残りにくい。ウェブにあげたデータがどこまで残るのかプラットフォーム次第になってしまうから。そういう意味でも彼の連載はファッション雑誌論にも繋がっているのでおもしろい。

仕事の関係で一度目を通した方がいいなと思ったので、名前は知っているが読んだことのなかった矢沢永吉著『成りあがり』を池尻大橋駅のところにあるあおい書店で見つけて買って読んだ。
糸井重里さんがインタビューと構成をしているのも知っていたけど、普通にインタビューしたものを自伝的にまとめたものとは明らかに違う。YAZAWAの声が聞こえるような気がしてしまうものとなっていた。
この本自体は最初は1978年に出版されて、その後に現在の角川文庫になっているから僕が生まれる前から存在していて、明らかにこの本によって今の矢沢永吉のパブリックイメージは出来上がったのだろうと推測ができる。その意味でもコピーライターの糸井重里を使ったことは大成功だったはずで、本の中でも元キャロルの矢沢永吉と言われたくないと言っていた彼にとって、この自伝がその後の人生に大きくプラスに作用したのもよくわかる。途中から口調がどことなくTHA BLUE HARBのBOSSっぽいなって感じたんだけど、言葉の区切り方が近いからだろうか。

夜まで作業してそこからリモートワークで少し働く。夜にCSスタッフでリモートワークしている仕事の分量が減ってきているので来月から始動するライター仕事をしっかりやって、次に次に繋いでいかないといけないし、たぶんそういう移り変わりの時期なんだろうなと思い込むことにする。

 

2月24日
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2023年03月号が公開されました。3月は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『ひとりぼっちじゃない』『零落』『マッシブ・タレント』を取り上げました。


リモートワークをしているとクロネコヤマトさんが荷物を持ってきてくれた。先月末に頼んでいたスーパー・ササダンゴ・マシンさんのプラモデル。

 「誰に頼まれるのでもなく、自分で設計して自分で金型を彫って、そこにプラスチックを流し込んで出てきた成形品に自分で値段を付けて売れるんですよ。夢みたいな商品ですよプラモデルって……」と語るスーパー・ササダンゴ・マシン。確かに金型メーカーは取引先から「こういうもんをこれくらいの値段で作ってほしい」と頼まれるのが常だ。要求される価格やクオリティや納期で泣いたこともあっただろう。事実、坂井精機はここ数年赤字経営だったという。

 ぶっちゃけ本人に会って話を聞くまで、オレはこのプラモを「金型メーカーが道楽でプラモを作ってみました。ちょっと出来が悪いけど、そこは冗談ということで許してちょ」みたいなナメたプロダクトだと思っていた。そして実際、出来が悪いのである。プラモデルの設計も初めてだから、何から何まで見様見真似、どうやったら安定した品質になるのか、どうすれば生産効率が上がるのかはすべて手探り。だからメーカー自ら「入手困難!組立困難!」を謳っている。

模型界の場外乱闘、スーパー・ササダンゴ・マシンのフル可動キットは「プラモデルのプロレス性」を体現した傑作です。

スーパー・ササダンゴ・マシンさんことマッスル坂井さんこと坂井良宏さんが代表取締役を務める坂井精機で作られたプラモデルであり、個人的には「水道橋博士のメルマ旬報」でご一緒していたのでプロレスをほとんど知らないけど面識のある覆面レスラーさん。
一度新宿の喫茶西武でロロの三浦さんのインタビュー取材する仕事があった際に、終わったあとに店内でパワポの作業をしているマッスル坂井さんをお見かけてしたのでご挨拶をしたら、ハンバーグのホットサンドをごちそうになった。ということがあったりして僕の中ではすごい優しい人だっていう印象が残っていて、時たまササダンゴ商会でTシャツを購入したりしていた。
このプラモデルも去年ぐらいから作っているという話があったので気になっていて、ご実家の坂井精機である種手作りされるのであれば買ってみたいと思っていた。
購入の際に記念だからサイン入りにしてもらったのだけど、これサイン入れてもらうと箱捨てにくいなっていう。そしてサイドの黄色と黒のシールは側面に伸びているので箱を開ける時にはハサミとかで切ったりしないと開かないようになっている、ようするに留め具的な役割を果たしている。
これはプラモデルだけど、開けない方がいいのではとちょっと思ってしまった。なんというか開けなかったら中ではすでに完成されたスーパー・ササダンゴ・マシンのプラモデルが存在しているが、開けたらパーツごとに戻ってしまう、そんな気が。これは「シューレンガーの猫」的な状況? だから「スーパー・ササダンゴ・マシンのプラモデル」的な、とか。
なんだかもったいないので開封してプラモデルを作るのは少し先にしよう。先日、パン生地くんと飲んだ時に、読んだり観たりするのをいっとき止めてみたらと言われたのも脳裏に残っていた。まあ、今月末の締切まで時間もないし、それでいいかなって。


仕事が終わってから外に出ていなかったので散歩がてら代官山蔦屋書店まで歩いていく。 Radioheadの七作目のアルバムが『In Rainbows [Japanese Expanded Edition] 』として復刻されて、発売日だったので蔦屋書店の二階の音楽コーナーにあるだろうなって。
すぐに新譜コーナーで見つけたのでレジで会計をしたら、購入特典のステッカー(GLAMORっていうなかなか貼るのに躊躇するデザイン)と購入者特典のくじ引きであたったワッペン(ハンティングベアっぽいやつ)をもらえた。
In Rainbows』はわりと好きなアルバムで2007年のリリース当時はたしかウェブでダウンロード方式になっていて、買う人が値段をいくらにしてもいいっていう実験的なものだったと思う。僕はいつものアルバムの感覚で2500円ぐらいにしたような記憶があるが。
家に帰ってから音源をiTunes(外付けHDに繋いだ)に取り込んでから風呂に入って、『In Rainbows』を繰り返して聴きながら寝るまで作業を進める。

Radiohead - Jigsaw Falling Into Place | Live at Saitama, Japan 2008 (1080p) 


In Rainbows』を久しぶりに聞いていたら、やっぱりこの曲好きだなって思った。たぶん、ライブでも観ている気はするんだが、この時さいたまスーパーアリーナに行ったんだっけな、覚えてないな。

 

2月25日

初めに記しておきたい。1998年2月25日に私はデビュー作『13』を幻冬舎から上梓した。書き下ろしだった。原稿用紙に換算して1111枚あった。こういう馬鹿げたスケール感の、日本とザイール(熱帯アフリカの、現コンゴ民主共和国)とアメリカ西海岸を舞台にした、いったい純文学なのかエンターテインメントなのかも不明極まりない小説を、受けとめ、刊行につなげてくれた幻冬舎の志儀保博さん(最初の担当編集者)に感謝する。どこまでもどこまでも感謝したい。そして、明日。それから25年を超えて、1歩が、1日めが始まる。

『天音』がらみで言うと、今日(2023/02/24)の読売新聞の夕刊には私の書き下ろしの詩が載り、こういう形で詩人として活動できる、というのは、明日から作家デビュー25周年に入る自分の、最大のエネルギーである。最大のエールでもある。ただただうれしい。MATSURI SESSION ではあえて脱力系の詩を披露したが、この読売紙上の詩は、たぶん〈元気〉だの〈希望〉だのといったものをチャージする。私は読者に、そういうものをチャージしてもらいたいから、書いたのだ。

古川日出男の現在地「とうとう、明日から」

日曜日の『MATSURI SESSION』のセトリというかどういうものを朗読したのかも書かれている日記だが、そう今日二月二十五日は古川日出男さんの小説家デビュー25周年目突入の日。書き続けるということはすごいことだし怖いことだと感じる。それをできるための精神力や体力や運、あらゆるものをそこに費やしているということだから。

古川さんにお祝いのメールを送って、あとはずっと執筆作業をする。夜に入れていたトークイベントに行く予定は諦めて、後日配信で見ることにしようと思ったが、古川さんの周年のお祝いもしたし、イベントの出演者の方々にも直に会って話ができたほうがいいなって思ったので、十八時ちょっと過ぎてから家を出て歩いて下北沢のボーナストラックへ向かう。


B&Bで開催された西寺郷太×伊賀大介×原カントくん「復活!『いごかんトリオ』(伊賀大介西寺郷太・原カントくん)1990年代の音楽、ファッション、そして下北沢を語る」『90’s ナインティーズ』(文藝春秋)刊行記念トークイベントに。

今回の『90’s ナインティーズ』は発売の際に担当編集者でもある文春の目崎さんに送っていただいて読んでいた。目崎さんもいらしたし、近くに予定があって偶然顔を出していた柳瀬博一さん(目崎さんの大学の同級生だと初めて知った)とも「文化系トークラジオ Life」関連以来ではお久しぶりにお会いできたし、「Life」関連の知り合いの佐々木さんもスタッフでお店に入っていた。
メルマ旬報チームでは『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝』で「本田靖春ノンフィクション大賞」を受賞した細田昌志さんが来店されていて、郷太さんの新潮社新書で出している『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』や『プリンス論』の担当編集者の金寿煥さんなど顔を知っている人たちと会えたのもよかった。
郷太さんと伊賀さんと原さんはちょうど二歳ずつぐらい離れているけど、三人でのトークは「メルマ旬報」時代からやっていたので、話をする時に誰かが話して他の二人が聞いてから、質問や思ったことを話すテンポがすごく自然でよかった。『90’s ナインティーズ』がテーマだから、郷太さんが当時の話なんかをしていると、伊賀さんと原さんがその話のもっと深いところに行くような問いかけや疑問を話す感じだった。
伊賀さんの「ナインティーズ」として、師匠である熊谷隆志さんのところに弟子入りした際の話なんかもあって、こういう話はファッション関係の人はもっと聞きたいだろうなというエピソードだった。
郷太さんはいつもバイタリティに溢れていて、好きなものをとことん追いかけたら巡り巡って自分にとっておもしろいことが起きるよって何年か前に言ってもらったことがあったのだけど、ほんとうにそれを実践し続けているんだなって話を聞きながら改めて思っていた。
質問の時に、郷太さんから名指しで当てられたので、小説に書きたかったけど書くことができなかったエピソードをここでだけ話してくださいと僕が話したことについて、たしかに書けないよなって思う内容のことを話してもらった。それは僕が読んだ時にこれは夢を追いかけて生き延びた人の青春譚だと思ったこととも少しリンクしているものだった。
終わってから出演者の皆さんや目崎さんにご挨拶をしてきた道を戻った。残って飲みに行ってしまうと残りの三日間のリズムが壊れてしまうなって思ったから。その分帰ってから作業を進めた。

 

2月26日
朝目が覚めてからすぐに布団から出ずに、寝たままでradikoを起動して『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いた。うとうとしながらだったのでなんとなく内容を覚えていないけど、人の声、さらばの二人の会話のリズムで次第に眠さが薄れていった。布団から出たくなかったのは単純に寒いから、部屋が冷え切っていたから。
十時前に一度家を出てスーパーのオオゼキに牛乳を買いに行って、そのまま一時間ほど散歩をしながら、『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていた。若林さんが結婚してから、子供が産まれてからのドキュメントみたいなこともどんどん話されているので、特に何年も前から聞いているリスナーには感慨深いんだろうなって思う。
おぎやはぎのメガネびいき』でも矢作さんが四十代後半でお父さんになったこともあって、子供の話とか父親になった自分の話をしている。
深夜ラジオの人気番組のパーソナリティーがある程度年齢を重ねてから結婚して親になっているから、この数年でそういう話題がかなり増えているような気がする。当事者でも関係者でもなくて第三者だけど、そういう話は聞いていて微笑ましい。
もちろん、そうなれない人たちが苛立ったり嫌いになったりすることもゼロではないと思うけど、そっちには行かないだろうし、そうなるともういろいろと無理じゃないかなって。そうなっても環境や関わる人との距離とかで苛立ったりしなくなったりもする人も中にはいるんだろうけど、不寛容な社会の一面が出やすいのが結婚と出産のことなのかもしれない。
去年のホアキン・フェニックス主演『カモン カモン』やトム・クルーズ主演『トップガン マーヴェリック』なんかは結婚や父親になっていない中年以降の男性がいかに「父」になるかという問題を、甥っ子や友人の息子との関わりの中で見出していくというものだった。そういうことは日本でももっと描かれていくようになるんじゃないかなって思っている。

――作画はともかく、ストーリーを考えるのは「手を動かしてさえいれば終わる」というものではありませんよね? ネームでアイデアが浮かばず、作業がズレ込んで苦労することはありませんか?

ピエール手塚 ネームでてこずることはありますが、期日までに出来たものをとりあえず編集さんに送るようにしています。ひとりで悩んで時間をずるずる使っちゃうよりは、「いったんここまで」と決めて、あとは客観的なアドバイスをもらったほうがいいと思っています。

――そこで「編集者にいったん渡す」という判断ができる作家は意外と貴重ですよね。ひとりでドツボにハマっていく人も多いので……。

ピエール手塚 そこは会社員としての経験が関係しているかもしれません。「完璧じゃないとしても、今あるものをいったん投げたほうが先方的には安心する」と理解しているので(笑)。

「連載2本&サラリーマン(課長)」を両立させる“ただ1人の漫画家”! 40歳の新人・ピエール手塚が「超多忙でも〆切を守る」理由

――手塚さんはデビュー前から『将太の寿司』の熱狂的なファンとしてネット上の一部の界隈で有名でしたね。

ピエール手塚 はい。2016年に開催された寺沢大介先生の原画展では、イラストをリクエストできるサイン会も行われました。普通は将太くんや味皇(『ミスター味っ子』)といったメインキャラを頼むと思うんですが、僕は大和寿司の親方をリクエストしたので、「それは誰だっけ……?」と寺沢先生を困らせてしまいました。

――『将太の寿司』に登場するアナゴ寿司の名人ですね。生き別れた息子とのエピソードなどは感動的ですが、登場シーンが多いわけではないので、たしかに作者が忘れていても仕方ないような……。

ピエール手塚 「そんなこともあろうかと大和寿司の親方の原画を購入しておきました」と原画を取り出したので、それはそれで戸惑わせてしまって(笑)。

 自分が漫画家になってから寺沢先生と対談させていただく機会があったのですが、「サイン会のあの客はお前だったのか」と言われました。サイン会で変なお願いをしてきた客、ネットで定期的に『将太の寿司』の話をしているやつ、たまたま目にした漫画の作者。その全てが同一人物とわかって驚いたみたいです(笑)。

6年かけてようやく「連載作家」に…遅咲きの漫画家・ピエール手塚(40)が明かす「チャンスを逃さない方法」

休憩中にTwitterで流れてきた記事を読んだら、かなり面白かった。このピエール手塚さんという漫画家さんのことは知らなかったのだけど、サラリーマンとしての生活があるからこそできる創作ということ、その経験が作品作りに役立っていることがよくわかるインタビューだった。
完成とは言えないものをなんとか期限内に出して、それにコメントや反応がもらえるほうが僕もいいんじゃないかなって思う派だなあ。
完璧なものを出すのは難しいから、とりあえずできたものを確認してもらって、その上で完成形を再確認したり、違う方向に舵をきったほうがいいか言われるとやりやすいことって多いと思う。これって日本人だと溜め込む人が多くてドツボに入りやすいのか、創作やっている人は完璧を目指しがちでドツボに入りやすいのか、どうなんだろう。
締切だけじゃなくてお金が発生するタイミングや権利問題なんかが日本とたとえばアメリカだと全然違うから、誰かに見せるまでの考え方も違っているって部分が大きいのかもしれない。

お昼過ぎに一件仕事関係のことに関してオンラインで打ち合わせをしたら、嫌な予感がしていたがその通りだった。あとは外に出ないで引き続き作業。
僕がやろうとしていたのは『ポータブル・フォークナー』みたいなイメージ。関係のある人物たちの中編がいくつか集まった長編みたいなものなんだけど、エンタメとしてやるならもっと大きい謎が解かれるような仕掛けがないといけないよなって思いつつも、いくつかの中編を並べて共通する人物が一番の中心であり、空洞っていうのが描きたいことだった。それはやっぱりもっと技量がいることだというのもわかる。
打ち合わせで言われたことがある意味では最悪なことでもあり、新しいことをするしかない展開になっているというか、そういうタイミングなんだって。焦らないといけないのはわかっているけど、三月の夜がだいぶ暇になったので、今書いている小説はもう一ヶ月締切をスライドさせて、「メフィスト賞」ではなく「ハヤカワSFコンテスト」のほうに送ることにした。SF寄りになっているけど、この状況なら無理して出すよりは推敲もしっかりした上で出してできるだけ可能性を高めたい。今書いているものが書けたら、そちら側が存在していたら存在しない側、の物語が書き始められる。そちらは「日本ファンタジーノベル大賞」に出す。

 

2月27日
去年、それまで10年とか長く続いてきたものが途切れたり、終わっていくのをただ見ていた。不可抗力だからどうにもできなかったし、結局のところは自分がやってきたことやそういうことの反映というか、生前の立川談志師匠は「よく覚えとけ。現実は正解なんだ」ということを言われていたらしいが、そういうことだろうと思っていた。
3月生まれからすると2月というのはなんというか区切りの月であり、新しく始まる前の古い一年の最後の月だからちょっともの悲しい。で、昨日も続いていたものについてある種の終わりを告げられて、これはかなり詰んでしまったなと思っていたら、朝に別の方向から仕事に関する話をもらった。本決まりではないけど、たぶん、決まって新しいことが始まる予感。終わりと始まりはそういうタイミングで起きるから。いやでも自分とか環境が一気に変わる時期というものがあって、この2年ぐらいはそういう時なんだろう。
部屋の更新もしたばっかりだったから生活とかやべえなって思ってたんだけど、もしも実家に帰っても(執筆関係の)仕事のことで声をかけてくれる人もいないけど、やっぱりなんだかんで声をかけてくれる人がいたりする、そういう居場所に東京はなっている。
今年のテーマは「生き延びる」だから、そのためにどんどん僕もそうじゃないものも変わっていくんだろう。

STUTS×SIKK-O×鈴木真海子 - SUMMER SITUATION (LIVE AT USEN STUDIO COAST 2021)


STUTSの6月の武道館ライブは先行で取っているから、この曲をやってくれたら最高なんだけなあ、今の気分にとても合う曲。

仕事前に昨日放送したドラマ『ブラッシュアップライフ』第八話を見た。主軸としては人生をやり直すという話だが、主人公のあーちんこと麻美(安藤サクラ)が現在4周目。それまでの人生で仲良しだったなっちこと夏希(夏帆)とみーぽんこと美穂(木南晴夏)とちょっと疎遠になっているという感じになっている。代わりに宇野真里(水川あさみ)とこれまでの人生から比べてみると親友のようになっていた。
という感じだが、前回の最後に真里が麻美に「何周目?」と聞いたところから始まった今回は、真里は麻美同様に人生を繰り返している人物であり、今回が五周目ということが判明する。
そして、真里にとっての一周目では麻美と夏希と美穂と真里が仲良し四人組だった。だが、夏希と美穂が飛行機事故に遭って亡くなってしまったという。その人生を変えるために二周目の真里はもう勉強してパイロットになることでその事故から二人を救おうとしていたため、他の三人との接点がなくなっていたこと麻美は言われる。
今回で四周目が終わって、次は人間に転生できると言われた麻美だが、もう一度人生をやり直して、真里とともにパイロットになることで残りの二人を救うことを決意して第八話は終わった。
見ていて思ったのが、麻美と夏希と美穂と真里、とくに麻美と真里の関係性ってどこかで前に見たような既視感があった。考えてみたら、おそらく『魔法少女まどか☆マギカ』のまどかとほむらの関係性に二人は近い。
ほむらはまどかを魔法少女にしないために何度も時間を繰り返していた。つまり、ほむらも真里も先に起こりうることを先に知っていたので一人でなんとかしようと動いていた。そして、主人公である麻美もまどかも後半になって、その真実を知ることになる。
おそらくだが、まどかが魔法少女になってほむらをある意味では救ったように、麻美が真里を救うことで、ほかの夏希と美穂も含めて救って最高のエンディングを迎えるという流れになるのだろう。ドラマとしてセリフとか場所やアイテムがほんとうにうまく伏線になっていて、パズルみたい。脚本のバカリズムさんもパズルを組み立てるように話を書いていってるんじゃないかなって思う。

朝のリモート仕事が終わってから吉報をくれた人との打ち合わせ、まだはっきりと決まったわけではないが、先には進めそう。精神的に楽になったというよりは今年と来年で一気に決めたい、やる気が出てきた。たぶん、今年は三月からの半年が勝負になるからバテないように体力をつけないと。

 

2月28日
起きてから読みかけていた樋口有介著『風少女』を少し読み進める。ミステリを読んでいてもあまり犯人やトリックはほとんどわからない、そうだから読んでいておもしろいというところもある。この著者はどんふうなトリックを使っているのか、犯人はこいつだろうとミステリ脳を発揮して読む人もたくさんいるのだろう。
この作品は今から30年以上前の青春ミステリであり、当時の風俗や文化なんかも描かれていて、そのことを僕はおもしろがって読んでいる。1990年に『風少女』は直木賞候補になっているので、描かれている世界はどんなに新しくても80年代のものだろうから、近過去といって差し支えはないと思う。ここで描かれている主人公の「ぼく」のどことなくぶっきらぼうで少し世界を引いてみているような視線なんかは違和感はない。
彼の初恋の人だった川村麗子が浴槽で溺死したことから彼女の妹の千里と「ぼく」は事故死ではないのではないかと周辺を探ることになっていく、というものだが、麗子や「ぼく」の同級生たちがわりと曲者揃いであり、前橋を舞台にしているがまだ何者になっていない二十代前半の彼らはすでになにかを諦めたような虚無感に苛まれている。このどことなく投げやりでゆるやかな絶望とともに生きている雰囲気は、当時のバブル景気とは無縁の世界のある種のリアリティだったのではないか、と想像もできる。この小説をおすすめしてくれたのは庄野さんだが、気がついたら庄野さんがミステリ好きなのもあるけど、今までおすすめしてくれた小説は東京創元社早川書房のものが多い。

夜の仕事までは時間があったので、今書いている作品を「メフィスト賞」ではなく「ハヤカワSFコンテスト」に出すことに変えたので郵便局にいって、レターパックプラスを買ってきた。そこのお届け先にすぐに早川書房の住所と「ハヤカワSFコンテスト」係と書いて自分の住所と名前を書いた。
メフィスト賞」は去年からウェブのみに応募に変わったが、「ハヤカワSFコンテスト」はいまだに郵送のみになっている。物理的に送るというのは時代錯誤感はあるが、プリントアウトして郵便局で出すというのは、応募したぜという感慨はある。そして、消印の問題もあるが、締切日はとにかく早く午前中ぐらいには出しておかないとあぶない。もう、一ヶ月しかないよ、と自分に言い聞かすためにレターパックというのはちょうどいい。
しかし、外出中はずっとくしゃみが出てしまって、これは花粉だ。暖かくなってきて一気に花粉が飛びまくっている。マスクをするのもしないのも個人で選んでくださいって感じになるみたいだけど、もうずっとマスクをしてきていて尚且つ花粉症の症状あったら春先はマスク外すの無理よ。


プラモ用のニッパーを買ったので、スーパー・ササダンゴ・マシンさんのプラモデルを作ることにした。三月からの予定も変えたので今月中に作ってしまおうと思って、作り始めたが、何年ぶりか覚えてないぐらい振りのプラモ作りは思いのほか楽しかった。
パーツがカチカチッと組み合わされていく、あの感触が気持ちよくて、出来上がっていくにつれちょっと寂しくなっていった。
箱の写真はスーパー・ササダンゴ・マシンさんとも仲のいいミュージシャンのラムライダーさんが完璧なまでに彩色しているものだが、ちょっと凄すぎる。彩色しないでも五つのカラーのプラパーツでスーパー・ササダンゴ・マシンさんだとわかるものができた。


先日、名前は知っているけど一度も読んだことのなかった矢沢永吉著『成りあがり』を読んだ。今度仕事をする人とのメールのやりとりの中でこの作品のタイトルがあったからだが、出されたら読んでおかないといけないよなっていう、程度の気持ちで。
新潮社の金寿煥さんが担当だってツイートしていた気がする錦織一清著『少年タイムカプセル』という自叙伝が出ていたので買って読み始めた。聞き手が西寺郷太さんなんですよ、構成が細田昌志さんなんですよ、で担当編集者が金寿煥さんなんですよ、ってこの間のB&Bで全員会った人たちじゃん!って思って。
読み始めたらどんどん進む。郷太さんが聞き手というのも大きいはずで、錦織一清さんのファンだし音楽も含めて深掘りもできるし、構成もかなり読みやすいように調整されているんだなって思いつつ、その中でけっこう大事なキーワードで矢沢永吉(錦織さんがファン)と『成りあがり』からの影響を公言されていて、おお、すごいいいタイミングで読んでるって思った。

夜のリモート仕事は短いのですぐに終わった。明日からはちょっと今までと違う時間の使い方になっていくはず。イレギュラーなことが増えるとは思うけど、新しいことが始まる時はしばらく安定なんかしないし、体調崩さないように気をつけてやっていくしかない。さて、三月からどうなっていくのかわからないけど、とりあえず巻き込まれていこう。しかし、洗濯物を取り込んだだけなのにくしゃみが連発するほどの花粉。今年は花粉がすごいということだけはわかった。

今回はこの曲でおわかれです。
ドレスコーズ「ドレミ」MUSIC VIDEO