Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年1月16日〜2023年1月31日)

1月上旬の日記(2023年1月1日から1月15日分)


1月16日

前日に長い間使っていなかったデジカメを起動させて保存されていた画像を見たせいか、夢の中に保存されていた画像に写っていた友人が出てきた。彼とはもう何年もやりとりも交流もしていないけれど、元気にやっているらしいことはSNS とかで少しだけ見ていて知っている。
その夢は当時の続きのような内容だったけど、夢にしてはどこか変なところもなくあの頃の日常の地続きみたいだった。
去年買っていたリディア・デイヴィス著『話の終わり』を起きてから、少しだけ読んでから朝仕事のリモートワークを始めた。

バカリズム脚本『ブラッシュアップライフ』の二話をTVerで見た。前回の一話では主人公の近藤麻美(安藤サクラ)が友人の門倉夏希(夏帆)と米川美穂(木南晴夏)と一緒に過ごした帰りにトラックに轢かれ死んでしまい、死後の世界で受付係(バカリズム)に来世はオオアリクイですと言われ、戸惑っていると今世で徳を積んでいないからと伝えられる。もう一度近藤麻美として生まれ直して二回目の人生で徳を積めば来世はオオアリクイにはならないという話から生まれ直しを選択して二回目の人生を歩み始めたという所で終わっていた。

二話は二回目の人生の幼少期から始まり、記憶にあるバッドな展開にならないように裏で動いていくというものになっていた。友達の父親と保母さんの不倫を止めるとか、そういうことをしていき小学生となり中学生となり高校生になっていく。仲良し三人組は二回目でも友人関係となって一緒の日々を過ごす。
一回目は市役所で働いていたが二回目は薬剤師となり薬局で働くなど、前回は違う人生を進んでいる。一回目で付き合っていた田邊(松坂桃李)がギャンブルばかりするようになって最後には五万貸して別れたという記憶が残っていたので二回目では彼に近づかないで知り合いになることもないという選択をしていた。そうなると一回目での彼といた時間や記憶も存在しないこととなる、というありえたけどありなかった可能性へそれを選んだ本人がノスタルジーを感じるという複雑な状況になっていた。

一話ではポケベルがキーアイテムとなり、二話ではゲームボーイアドバンスがキーアイテムとなっていた。近過去の今は存在しない、使われることがなくなった懐かしいアイテムが重要なアイテムになることも今作では大事な軸となっている。麻美たち三十三歳の世代やその上の世代からすれば「あったね、そういうの」というものであり、それより下の世代からすれば「平成レトロ」と呼ぶようなものが出ていて、この辺りのバランス感覚はさうがバカリズムさんだなと思う。
麻美役の安藤サクラ、夏希役の夏帆、彼女たちの同級生でありラウンドワンでバイトしている福ちゃん役の染谷将太など園子温作品の常連や作品に出ていた人がメインどころにいて、ちょっと複雑なきもちにはなる。

水道橋博士の辞職で注目される国会議員の「責任の取り方」…活動なしガーシー氏の去就は 

水道橋博士さんが議員辞職というニュースがスマホのポップアップに出てきた。11月にうつ病を公表して活動を休職していたが、辞めるという判断を下したとのこと。このニュースにあるガーシーはそもそも政治家として問題外だし、いろんな処分か逮捕なのかが早急に行われて早く辞職してほしいとしか言うことはない。
個人的には博士さんが立候補する時にれいわ新選組から出馬するというのを知って応援はできないと思ったので、れいわも博士さんの名前も投票時には書かなかった。僕は山本太郎を一切信用していないから。
しかし、僕の周りの博士さんの友人知人や関係者の人たちは博士さんにがんばってほしいから投票したとSNSでも表明していたが、今どう思っているのだろう? 誰も責任取らないだろうし、そもそも取れないわけだが。

議員辞職すれば議員としての給料はもらえなくなってしまう。政治家になったことでレギュラー番組はなくなったし、メールマガジン水道橋博士のメルマ旬報」も終わってしまっているから当然ながらお金の問題も出てくると思う。でも、うつ病を治すことが最優先だから表に出るような仕事ができるのは少し先なのかな。
だから、政治家になるずっと前からご本人が書きたいと言っていた師匠であるビートたけしさんについての伝記「たけし正伝」と「PRIDEの怪人」と呼ばれていた百瀬博教さんの人生を描く「百瀬博教伝」を書かれたらいいと思うし、そのサポートを周りの人たちがするのがベストなんじゃないかな。
前に休業した時も復帰するタイミングで春日太一さんの『あかんやつら東映京都撮影所血風録』文庫版の解説を書いたことが大きな要因になったはずで、だから今回もその二つの博士さんが書きたいと言われていたことを書くことがキーになるんじゃないかなと勝手に思っている。文章を書くのは体力も必要だし精神的にも大変なことだから、うつ病の時には非常に難しいことだとはわかってはいる。でも、それが再生や復帰には重要なことになってくると僕は思う。

好きな本のジャンルはミステリー。巨匠といわれる作家の本も読むし、若い作家の本を読んで新しい風を感じるのも好き。好きな作家の新刊が出たら、いてもたってもいられず、すぐ買いに行っちゃう。

実は二十代の頃からミステリー小説を読み漁っていたのだが、そのあと女性関係のほうが忙しくなっちゃって(笑)、ちょっと離れた時期もあった。また熱心に読むようになったのは六十代になってから。「自分の時間」の作り方が上手になってきたんだと思う。

読書は寝る前に、目がしょぼしょぼする寸前くらいまで。夢中になってストーリーを追いかけて、犯人は誰だろう?どういう結末になるんだろう?と考える、楽しい時間を過ごしている。そして僕の推理はけっこう当たる。

井上順の渋谷さんぽ~ありがとう、東急百貨店本店①~|さんたつ by 散歩の達人 

井上順さんは東京百貨店付近で何度かお見かけしたことがあり、気になって調べたら父と生年月日がまったく同じでちょっと親近感を勝手に抱いている芸能人。たくさん本を読まれているのは前から記事などでも知っていたけどミステリー好きというのもいいな。
井上さんもインタビューで言われているけど、ほんとうにMARUZENジュンク堂書店渋谷店がなくなったら本好きにとってはかなりきつい。

二日ほど前から唇周りに口唇ヘルペスができ始めた。水ぶくれが三つほど潰れて今はかさぶたになっている。口唇ヘルペスって疲れやストレスで免疫が落ちている時に症状が出るものなのだが、知らない間に疲れやストレスを感じていたと思うと体は正直だ。明日はちょっと高めのチョコラBBのドリンクを飲もう。

 

1月17日
1995年の阪神・淡路大震災から28年、当時は中二だったが岡山県広島県の県境の我が家もちょっと揺れた。まるで他人事だったが、テレビで被害を見てもリアリティが沸かなかった。東日本大震災は東京で揺れを体験して、福島県にはその後に何度も足を運ぶようになったけど、やっぱり年齢というのが大きかったのだとは思う。あの時二十歳とか過ぎていたらもっと感じ方も違ったのかもしれないと今なら思う。

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』本予告【3月3日(金)公開】 


おっ、エブエブの本予告きた。アカデミー賞授賞式の前に公開になるわけだが、この作品とスティーヴン・スピルバーグ監督自身の自伝的な『フェイブルマンズ』が本命なんだろうけど、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が作品賞とか取ってほしい。


十五時半から佐井大紀監督『日の丸〜寺山修司40年目の挑発〜』の試写を角川試写室で観る予約をしていたので、お昼の一時過ぎに家を出た。距離とすると二時間ちょっとだったので歩いて行くことにした。
渋谷まで出て宮益坂を上ってからは246沿いを外苑前駅近くまでまっすぐに歩いて、明治神宮外苑方面に少し北上してから元赤坂の北側を沿うような安鎮坂を進んでいくと四谷駅に出る。そこから市ヶ谷駅に向かって少し通り過ぎて新見附橋を渡ると総武線と中央線が下に走っていた。目の前に法政大学の市ヶ谷キャンパスが見えてきてコロナパンデミック前に何度も試写で行っていたKADOKAWAがある富士見のエリアに入ったのがわかったので、角川第二試写室へ。

寺山修司が構成を手がけた1967年放送のTBSドキュメンタリー「日の丸」を現代によみがえらせたドキュメンタリー映画

街ゆく人々に「日の丸の赤は何を意味していますか?」「あなたに外国人の友達はいますか?」「もし戦争になったらその人と戦えますか?」といった本質に迫る挑発的な内容のインタビューを敢行した同番組は、放送直後から抗議が殺到し閣議でも問題視されるなど大きな反響を呼んだ。

TBSのドラマ制作部所属で本作が初ドキュメンタリーとなる佐井大紀監督が、自ら街頭に立って1967年版と同様の質問を現代の人々に投げかける。ふたつの時代を対比させることで「日本」や「日本人」の姿を浮かび上がらせていく。(映画.comより)

かつて1967年に放送されたものと現在の2022年というふたつの時間軸で同じ質問をしていく、というアイデアはおもしろく、異なる時間それぞれを対比させることで時代や世界の状況が違っても(冒頭で語られているが1967年と2022年はオリンピック後、万博が決まっている、ベトナム戦争ウクライナ戦争ということでは相似形ではある)急に無機質な感情を入れないインタビュアーから「日の丸の赤は何を意味していますか?」「あなたに外国人の友達はいますか?」「もし戦争になったらその人と戦えますか?」など矢継ぎ早に質問された街行く人たち。彼らは普段考えてもいないことをきなり聞かれて戸惑いながらも自分の意見や考えを話す。もちろんどこか困惑していたり、怒りにも近い感情を露わにしている人もいる。
まさしく十人十色の回答があり、それぞれの人たちが質問について自分の意見を言う時の間や空気感、表情や仕草などが質問の答えよりも全てを物語っているかのように見えてくる。
スクリーンに映るものを観ながら、自分にもこの質問が来たらどうしよう、どう答えるのだろうかと考えていた。それはとても居心地の悪いもので文学と似ている。他者が入り込んでくる嫌な感じが文学の本質だし、それが自分の本質を揺らがしたり、変容させるきっかけとなる。この映画はその意味でインタビュアーが質問する姿とそれに答える人たちを通して、観客へ入り込んできた居心地の悪さが非常に重要なものであり、寺山修司が仕掛けたものなのではないだろうか。

普段考えていないことを聞かれて口から出る答えは無意識で思っている本音に近いものだとは思う、同時にいきなりカメラを向けるという暴力性についても考えていた。
古川日出男さんのノンフィクション作品『ゼロエフ』の中で、僕が実際に古川さんに言った「カメラには暴力性がありますからね」と言う言葉が活字になっている。それはやっぱりフィクション作品を作る時のカメラで撮るという行為とノンフィクションで被写体を撮るということは意味がまったく違う。スマホを急に向けて撮ることも非常に暴力的であり、その意味をわかっていない人も増えているとは感じる。
このようなドキュメンタリー作品において作り手がどのくらいその暴力性をわかっているのか、わかった上でどのように解釈しているのか、それは大きな違いとなっていく。
今作ではインタビュアーは佐井大紀監督自身が行っている。そして、寺山たちが1967年に行った際には、その前にも急にインタビュアーが一般の人に質問をして答えたものを集めたドキュメンタリーが放送されており、それで手応えを掴んだ寺山たちが「建国記念日」の前に「日の丸」に関するインタビューを行ったドキュメンタリーを作って放映していたことが作中でも語られる。
今作ではその前の作品でインタビューをした女性に佐井大紀監督が話を聞きに行っており、日の丸でインタビュアーを多くしていた女性について話をしていた。ここでわかるのはカメラに急に撮られることも暴力的であるが、機械的に感情を出さないで人にインタビューするということは限度があり、それも暴力的だったということがわかる。
詳しくは映画で観てほしいが、そのことがわかっていた佐井監督はインタビューを他人には任せないで自分でやることにしており、そのことを話しているのを見て僕は信用できると思った。そこについてしっかり作品内で言及するかどうかは大きなことだと思う。

また、今作では寺山修司の作品だけではなく、ある特撮ヒーローの作品も取り上げている。そこでは沖縄にかかわること、そしてインタビューを受けた人の中にはアイヌの血筋の人もいる。そう、北海道と沖縄という土地について考えることは非常に大事なことで外せない。
「日本人」とはなにかと考えるときに、「外国人」とはなにかという問いがどうしても出てくることになる。そういう事柄についてこの作品では答えを出すのではなく、観客へ問いかけてくる。あなたはどう思うんだ? あんたはなにものなの? 
佐井監督の主観によって彼が見せたいものを見せる、問いたいことを問うための過去と現在の対比があり、観客自身の中に入り込んでくるそれらの問いがあった。その確信犯的なやり方に非常に好感を持ったしおもしろかった。

「日の丸の赤は何を意味していますか?」という質問、途中で赤と白による日本国旗の真ん中の赤が筒のように伸びて行くアニメーションの場面がある。そう赤い筒は空洞である。僕はその赤は太陽であり天皇だと思ってしまうから、そこが空洞であるということはまさに日本そのものだなと思った。
終わってから佐井監督から試写に来た人への挨拶があり、試写室を出てから少しだけお話をさせてもらった。次の作品も今撮っているとのことだったのでそちらも非常にたのしみだし、どんどんおもしろいことやご自身が興味あるところに足を踏み込んでいく人だと思うので、これからも作品を観たい。

帰りはさすがに歩いて帰るにはしんどかったので九段下駅で渋谷駅まで半蔵門線に乗ろうと待っていたら、信号トラブルかなにかで十数分間とかホームで待つことになった。うしろにいたサラリーマンのおっちゃんがなんかぶつくさ文句を言っていたので気になったが、「日の丸の赤は何を意味していますか?」って質問したらどんな顔をするかなって想像していた。
渋谷駅で降りてから歩いて帰ろうとしたら小雨が降っていた。週末にかけて寒くなるらしいが、雪が降ったりするのかもしれないなあ。

本書は、2022年12月16日に回収を決定し、12月18日に概要を自社HPにて掲載いたしましたが、それぞれの対応決定につきましては、弊社判断で行い、樋口氏に事前に報告や確認をしておりませんでした。自社HPでの掲載内容では、説明が足りない面が多く、さまざまな憶測が発生し、樋口氏に多大なるご迷惑をお掛けしましたことを改めてお詫び申し上げます。

『中野正彦の昭和九十二年』回収について

イースト・プレスから樋口毅宏著『中野正彦の昭和九十二年』についてのコメントが出ていたが、今回の対応に関して著者に事前に報告や確認してないっていう時点でまるでダメだし、お話にならない、本当になにやってんだろうね。著者のことなんかどうでもいいですって言っているようなもんだけど、出版社として大丈夫か、それ以前にこの文章を読んでも今回の回収における責任の所在もなんらはっきりしていないし、ただ会社の信頼を失うだけの誰に対してのお詫びなのかわからない文章。

Creepy Nuts、2023年3月をもってオールナイトニッポン卒業を発表「このラジオがなかったら今の俺らは絶対いない」 

今日起きてから最初にニュースで見たのはこの話題だった。そっか、クリーピー三月まででオールナイトニッポン卒業か、残念だけどしょうがないなって放送を聞いたら思った。前にやっていた菅田将暉の後を引き継いだわけだけど、音楽活動をしっかりやっていきたいという話はよくわかるものだった。
菅田将暉クリーピー三四郎の絡みが非常にたのしかったし、コロナになってからradikoでラジオを聴くようになってからクリーピーもラジオを聴くことで興味を持って音源も聴くようになったので残念なのは残念、さびしいね。
三月の「東京 03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」が元々放送作家のオークラさんの発言がきっかけで、オールナイトニッポンで発表されたものだから、これがCreepy Nutsオールナイトニッポン関連の最後のイベントということになるのかもしれない。

三月末までは今のラインナップで四月からの改変で誰がCreepy Nutsのあとに月曜第一部をやることになるのか。佐久間さんが昇格するか三四郎が再び一部に返り咲くという可能性も浮かんだけど、二部で今の温度感でずっとやってくれたほうがリスナーとしては嬉しい気もする。
わりとマヂカルラブリーが昇格するんじゃないかっていう人もSNSには多いけど、ネームバリューや知名度とかからするとやっぱりそうかなと思ったり。でも、今は月曜日がCreepy Nuts、火曜日が星野源、水曜日が乃木坂46(久保史緒里)、木曜日がナインティナイン、金曜日が霜降り明星、土曜日がオードリーだから、マヂラブが月曜日になると芸人が四組になってしまうとちょっとバランスは悪そうな、と思うと裏方の星である佐久間宣行さんという気もしなくがないが、どうなるんだろう。佐久間さんが月曜日になっちゃうと裏のTBSラジオのJUNKは伊集院光さんということを考えると、ずっと聴いてきたラジオパーソナリティーの裏はやらないかなって気も。
Creepy Nutsのあとにやっているフワちゃんが昇格っていうのはおもしろそうだけど、ダメかな。今回の放送も卒業を発表したあとにフワちゃんがやっていたけど、クリーピーのリスナーを労う発言をしていたり、すごく優しいというか根がいい人なんだなってわかるものだった。

Creepy Nuts / よふかしのうた【MV】 

 

1月18日

朝晩とリモートワークで仕事。昼休憩の時に駅前のTSUTAYAで野﨑まど著『タイタン』文庫版を購入。単行本で出た時に気になったが読まなかったのでこの機会に。
単行本の時の装幀デザインのほうがAI感は出ていたようには思えるのだが、文庫版はかなりデザインが違う方向に舵を切っている。

作業中はいつものようにradikoで深夜放送のラジオを聴いていた。『星野源オールナイトニッポン』で55周年記念のジングルで未発表だったオードリー若林さんとのコラボ曲を発表していた。

リリックにオールナイトニッポンの歴史を詰め込んだ粋なものとなっていた。三月で卒業し、デビュー前から『オードリーのオールナイトニッポン』のリスナーだったCreepy Nutsの松永とR-指定の名前が入っているのも今回の状況もあって感慨深い。

Tシャツをめくるシティボーイ 第10回  同調圧力の時刻表・その2 / 文:高畑鍬名(QTV)

パン生地君の連載の最新回。歌人穂村弘さんのエッセイから前に取り扱っていた『脱オタクファッションガイド』が改良版だったことに気づいたという話はおもしろいし、よく気付いたよなあ。
機動戦士ガンダムX』と『機動戦士ガンダムW』という一年違いの作品におけるシャツのタックインとタックアウトの違い。そして『男はつらいよ』シリーズにおける満男のファッションの変化など文化として漫画やアニメや映画における90年代のタックイン&タックアウトの変容を資料をもとに検証していた。
スタイリストの伊賀大介さんなど映画やドラマやファッション誌などでスタイリングを長くしている人にもぜひ話を聞いてもらったらおもしろそうだなと思う。スタイリストの人たちが一番早くファッションの変化を感じ取っているはずだし、その変化の理由とか流れも知っているんじゃないかなって。

 

1月19日
起きてから散歩がてら渋谷まで歩いて丸善ジュンク堂書店渋谷店や帰りに代官山蔦屋書店に寄って本を見る。家に帰って昼ごはんを食べて洗濯をしてから、読みかけだった小川哲著『地図と拳』の続きを読む。どう考えてもこれが今日発表の直木賞受賞作になると思う。
『地図と拳』は史実と虚実(創作)が多層的に積み重なり、混ざり合っている素晴らしい小説だと思う。現実ではポスト・トゥルース以後の世界であり、歴史修正主義などの問題があるから、そのカウンターのように読める。それらにはこうであってほしかったという願望やある種のロマンティシズムみたいなものが孕まれている。『地図と拳』は構造的に書くことでそれらを廃していながら、多層的な時間を描いたエンタメ小説になっていた。


十六時少し前にトワイライライトに行って装幀から気になっていたリチャード・ブローティガン著/中上哲夫翻訳『ここに素敵なものがある』を購入。店主の熊谷さんと今日の直木賞芥川賞どうなるだろうねとちょっと立ち話を。
ニコラがオープンしたので下の二階へ降りてビールとサルシッチャとラルドのクロスティーニを頼んだ。曽根さんが前にも教えてくれたのだが、イタリア産の生ハムなどが輸入できない状況になっており、このサルシッチャとラルドのクロスティーニに使われているラルドも輸入できなくなっているので、今後食べられなくなってしまう。

イノシシの豚熱でイタリア産生ハム輸入停止の事態、現地の状況と根絶計画と管理措置


出来上がって食べている時にその話になった。輸入が復活するとしても四、五年はかかる可能性があるらしく、そこまでの時間かかるとイタリアで生ハムとかラルドを作っている業者の方が先に廃業してしまうかもしれない。あとラルドってあまりそこまで使われるものではないので、輸入もなくなってしまうかもしれない。
コロナのことだけでなく、世界的な経済のことだったりなど複合的に物価はあがっているから、それほど需要のないものは高くなってしまうか、なくなってしまう可能性も高くなってしまう。
曽根さんからある提案をしてもらったので、それが今年の大きな軸になるかもしれない。自分でもまったく想像もしていなかったことだったのでうまく反応できなかったというか、一瞬「え?」と思ったんだけど、うまくいくといいな。

「青山の体の状態もありましたので、クランクインできるか、できないかの瀬戸際でした。すごく有名な方が主演することを快諾してくれたので、スケジュール調整に入ろうとしたら容態が急変したんです。プロデューサーの仙頭武則さんは『最後にスタートを言わせたい』とおっしゃってくださり、遠隔でも青山のいるところと繋げて撮影をするような話までしてくれていました」

青山監督がメガホンをとる予定だった今作は、「話はまだ生きています。監督は青山ではなくなるけれど、脚本は青山。今年、ゆっくり形にしていければいいなと思っています」と現在進行形の企画であると、とよたは明かす。

新作は実話を描くといい、「脚本が壮大で、戦後の復興の感じをロケするとなると、相当な製作費が必要になってくる。別の監督で、どのくらいコストを抑えながらやれるかでしょうね。映画関係の話なんですが、ひとりの人間が成長していく青春映画でもあるし、親子の話でもある。色々な要素が入り込んでいるから映画好きの方々に届けるだけではなく、多くの方に届けるために、ぜひ映画化できたらいいなあと考えているんです」と説明してくれた。

青山真治監督との出会いから別れまで… 妻・とよた真帆が明かす新作映画の存在

青山真治監督が亡くなる前に撮ろうとしていた映画の話などを妻のとよた真帆さんが話している記事。ほんとうに映画ができあがるのを願っている。

芥川賞は井戸川射子著『この世の喜びよ』&佐藤厚志著『荒地の家族』、直木賞は小川哲著『地図と拳』&千早茜著『しろがねの葉』と受賞者が四人だった。『荒地の家族』は気になるから読みたいな。

 

1月20日
朝晩とリモートワークで仕事。夜はシフトが削られていたので二十一時という中途半端な時間で終わった。金曜日の二十一時に仕事終わっても出かける気もしないし、働いた時間もわずかなので大したお金にもならないのでなんというかすごく微妙な気持ちになった。

朝の仕事は来週のインタビュー仕事の準備でずっと小説を読んでいた。シリーズものなので最初のストーリーからその後に展開していく際に、前に解決した謎と残された謎をどう組み合わせて新しい謎や目的を作っているのかなとか考えながら読んでいた。
「終わりなき日常を生きろ」by 宮台真司という時代が九十年代後半にはあり、その後のゼロ年代はまさしくエロPCゲームのフローチャート的な繰り返しの物語がそれを物語っていたように思える。ひとつしかないTRUE ENDを目指すがほかはすべて主人公が死んでしまうや目的が達成できないBAD ENDが訪れ、何度も死んでもコンテニューのたびに生き返った主人公はすべての可能性を試して繰り返される日常の先に向かって行った。そのひとつは『ひぐらしのなく頃に』だったと思う。
今日読んでいた作品も『ひぐらしのなく頃に』に近い要素がいくつかあった。たぶん、九十年代という時代を知っている人は、過ごしてきた人にとって繰り返される日常というモチーフは馴染みが深すぎるのだと思う。その後、東日本大震災が起きて世界は一気に崩壊はしないが徐々に崩壊していくということを体験してしまうと、「終わりなき日常を生きろ」的な繰り返されるモチーフのリアリティは徐々に失われていったように思う。作者はどのことについてはどんなふうに感じているのかは聞いてみたい。

Steve Lacy - Bad Habit (Official Video) 

昨年10月頃、「Bad Habit」のライブ動画が英語圏Twitterで大騒ぎになった。最前列にいる観客は「Bad Habit」のワンフレーズしか歌えず、他のヴァースでシンガロングを促しても沈黙。「TikTokでバズった箇所だけ知ってて、それ以外は興味のない人」が争奪戦となったチケットを入手していることに、ファンはSNS上で怒りとショックを露わにし、音楽メディアもこの出来事を「事件」として大々的に取り上げるなど、TikTokヒットの新たな問題が浮き彫りとなった。

SNS強者たちは「スティーヴ・レイシーが今イケてる」と気づくと、TikTokやインスタなどで「『Bad Habit』生で見た!」みたいな投稿をするためだけに最前列を陣取ってしまう。彼らはコンテクストの上澄みのみを消費しているだけで、アーティストに対するリスペクトは微塵も感じられない。

ここで大事なのは、アーティストにとって何が本当に「良い人気」なのかを再認識することだ。実績も才能も備えたスティーヴ・レイシーのような人が、「TikTokアーティスト」として認知されることで、本当に彼の音楽を愛する人たちがライブに行けなくなるという構造的な問題が生まれつつある。TikTokがアーティストの発掘に大いに貢献していること、新たな音楽がかつてないスピードで生まれるイノベーションの現場になっていること、新たな音楽との出会いの場になっていることが、非常にポジティブな要素であることは間違いない。ただ一方で、このような「アーティスト/曲の表層的な消費」が生まれる原因の一つにもなっており、「音楽の新たな楽しみ方」とどう向き合うべきか考える必要がある。

スティーヴ・レイシーが体現するクィアなZ世代らしさ、TikTokヒットが生み出す新たな問題

仕事中にこの記事を読んだ。スティーヴ・レイシーというアーティストは去年友達に教えてもらったので知っていたが、TikTokでバズっていてこんな状況になっていたのは知らなかった。
消費のされ方とスピードが変わり、かつてのようなアーティストとファンの関係性もSNSと自分を発信する(他者の物語ではなく自分の物語がメインとなった)という文化によって大きく変わってしまっている。こういうものを見ているとバズってしまうのは「ブレイクするのはバカに見つかることだ」と有吉さんがかつて言っていたことを思い出す。しかも、見つかってしまうと一気に骨の髄までしゃぶられてすぎに捨てられてしまう可能性が高くなっている。

boygenius - $20 (official audio) 

こちらもTwitterで見て知ったのだけど、時代が一回りも二回りもしたという感じもするし、こうやって歴史の層が積み重なっていくというのを見ているとも言える。Boygeniusの曲を聴いたらかなりよかったので三月に出るアルバムも期待できそう。

 

1月21日

目が覚めたが寒くて二度寝。起きてからリチャード・ブローティガン著/中上哲夫翻訳『ここに素敵なものがある』の途中から読むのを再開する。ひとつひとつの詩は非常に短いので、最後の訳者かいせつやあとがきのほうがたぶん本文にあたる詩の文字数よりは多いと思う。
ブローティガンの小説だと『アメリカの鱒釣り』『西瓜糖の日々』『芝生の復讐』は前に読んでいて、詩集だと『東京日記』はニコラでだいぶ昔借りて読んでいた。ビート・ジェネレーションを代表する詩人だが、解説にも書かれていたが本国のアメリカよりも日本やフランスの方が読まれていて評価が高いというのもなんとなくわかる気がする。
日本だとやっぱりチャールズ・ブコウスキーがある時期にすごく読まれていたとか、ある種ビート・ジェネレーションやパンクさを感じる詩人や小説家の翻訳がされてある世代にはかなり読まれて影響を与えていると、それがある程度経つとまた取り上げたりすることで世代を超えて読まれていき、忘れられていっている本国アメリカよりも影響力やいろんな世代の読者が存在するようになるのだと思う。おそらくフランスも日本と似ているのではないかと思う。
リチャード・ブローティガンの詩を読んでいるとなんだか寂しがり屋というか、人のことは好きなんだろうけどどこかドライな視線があって、世界や自分を客観視しているような、そういう自分が好きでもあるけど嫌でもあって、それが糞とかののしるような言葉になっているように感じた。とてもミニマルな自分の目の届く範囲の日常を、足元を見ている視線を詩にしてたんじゃないかなって。

十四時から新宿でタロット占いの予約を入れていたので、天気もいいし歩いていくことにして十一時半過ぎに家を出た。一時間半ぐらいで新宿には着く感じだったので、最初は『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら歩き、着いてからは『バナナマンバナナムーンGOLD』を聴いた。
前者は『Creepy Nutsオールナイトニッポン』が三月末で終わることを最初からずっとイジっていて、愛があるというか同じオールナイトニッポンブランドでやってきた仲間というか同志という感じがあって微笑ましかった。その後は風俗ネームの話に展開していっておもしろかった。後者は日村さんの正月休暇の爆食いの話の続きとスタッフのヤバい話だった。
渋谷で東京百貨店に寄ってMARUZENジュンク堂書店渋谷店で人にプレゼントするようの書籍を一冊購入。月末で東京百貨店が閉店ということもあり、棚も書籍がなくてすっからかんというかスペースができているところもある。ここだけでも渋谷のどこかに移転してくれるとうれしいのだが今の所そのニュースは出ていない。
芥川賞を受賞した佐藤厚史著『荒地の家族』は品切れになっていた。それはこのあと足を運んだ新宿の紀伊国屋書店本店でもそうだった。おそらく受賞するかどうかわからないということもあっただろうし、純文なので最初にそこまで冊数を刷っていない状態で発売したらすぐに芥川賞を受賞したので一気に書店にあったものが売れてしまって棚から消えたパターンなのだろう。


渋谷のNHKのほうから代々木体育館を横目に山手線沿いに原宿へ向かって歩いていく。原宿付近では人がかなり多く、マスクはしている人はさすがに多いけど、コロナによる外出自粛というのは遠い昔なんだと思える賑わいだった。
この春からコロナが5類に移行するというニュースが出ているが、また感染爆発とかするんだろうなとなんとなく思う。その浮いた分の金はアメリカから武器を買うための防衛費に回されるという話も出ているが、たぶんそうなんだろう。
第二次世界大戦で敗戦国になってからずっとアメリカの属国である日本、その政治をずっとしてきた政権与党の自民党アメリカに逆らうことはない。阿部和重さんの「神町トリロジー」は小説であり、フィクションだが日米の関係性をずっと描いてきているから、もっと読まれればいいのにといつも思う。安倍政権や自民党の多くが統一教会の犬であった事実以前に、そもそも日本はアメリカの犬であり、その属国であり自分たちの意志で決めることは今までずっとしてきていない。

阿部和重著『オーガ(ニ)ズム』文庫版上下巻

神町トリロジー」完結篇の『オーガ(ニ)ズム』が文庫版になって二月に出る。
最初に単行本が出た時に読んでいるけど、文庫版で少しでも多くの人に読まれてほしい。僕は著者にお金を払いたいので文庫版も買うけど、解説とかは佐々木敦さんとかかなあ、単行本刊行時にインタビューしていたからそれがそのまま掲載というのもありえそう。

原宿駅を過ぎて線路沿いに千駄ヶ谷方面へ歩いていく。以前にも何度も歩いたことのある場所なので、リトルモアはこの辺だなとか思っていると見かけたりした。副都心線北参道駅あたりで明治通りに出てから、そのままその通りを北上すると新宿高島屋が見えてくる。
タロット占いの場所はその付近だが、時間に余裕をもちまくって家を出たので十三時ぐらいには着いた。そのまま時間つぶしで紀伊国屋書店方面に歩いていって、二階の小説コーナーを見たりしていた。その後は新宿高島屋を中心にその周辺をぐるぐるまわるようにして時間を潰していた。十四時に占ってもらう場所(とあるマンションの一室)に行ってピンポーンとチャイムを鳴らして部屋に入った。

前に来たのが二〇二〇年九月で二年四ヶ月ぶりぐらいだった。二〇二〇年の前後五年の運勢を占ったものをその前の二〇一九年の年末にもらっていた。それで去年が断捨離の年でいろんなものと縁が切れたりするのでエゴや人間関係を手放すことになり、人間関係を再構築する年と書かれていたのだけど、それがかなり当たっていた。
僕からではなく、向こう側の都合やもろもろで続いていたものが終わったりしていたので、二〇二三年は嫌でも新しく種を蒔いたりしないといけないし、そもそもこれまでとは人間関係が変わるだろうなとは思っていた。こういう時はタロット占いで占ってもらうことも楽しみではあるのだが、そのことを踏まえての話を聞きたいし、自分が考えていることを話すことで気持ちのデトックスみたいなことをしたいなって。

例えて言うと、マッサージや整骨院とか自分の体を預けている(相手に殺意があればすぐに殺される状況)とその信頼感もあってか、他の人には話さないことを話すということがあると思う。体に触れられるのはある種の信頼感につながると思う。それもあってか人はマッサージや整骨院とか歯医者でもいいんだけど、そういう場所で本音を吐露したりする。
風俗もそれに近いものだと思っていて、いきなり裸で向き合うとそれが終わったあとには隠すものはゼロではないけど、知り合いにでも言っていないこととか油断とは違うんだろうけど、言えてしまうことがある。そういう演技というかプレイにも見えるかもしれないが、人間というのは体を曝け出した相手には通常の知り合いや家族とかにも言えないことをさらりと言えてしまうんじゃないかなって。
それは占いも実は同じで、裸を晒していないし、触られていないけど、心の部分で自分のことを占ってもらうし相談とかすることで中身を曝け出しているので本音が言いやすいんだと思う。占いに関しては女性の方が多いと思うけど、曝け出して本音を言うことでデトックスになっている部分がかなりあると思っている。

二年四ヶ月ぶりの美音さんのタロット占いは四十五分でお願いしていたので、最初は今年の運勢と今やっている仕事ってどうなるかということから聞いた。以前にも見てもらっているので仕事関係とかは話していると思い出してもらったりしたのもあって話がスムーズに進んだのもよかった。
元々は今働いているWebサイトスタッフに呼んでくれた友人が占いに行って当たるという話から興味を持ってここに半年とか一年に一回ぐらい足を運ぶようになった。もちろん人間だから合う合わないもあるけど、僕はここの占い師さんの話し方とかも落ち着けるというのが足を運んでいる一番大きい理由かもしれない。こういう仕事だと相手に波長を合わせるという能力も高いのかもしれないけど。

去年は終わっていく年だったから今年はしっかり種まきをしておくと三年後、二〇二五年に芽が出たり、大きな成果になるよと言われた。本業というか自分が書きたいものを今年から本腰入れて書くしかないとも言われて、自分でも元旦に決めていたことだったので一安心。実際誰かにそう言って欲しいみたいな気持ちもあったことだった。
占いが当たる当たらないというよりも占いはある種の統計学だったりする部分はあるから、言われたことを当事者がどのように捉えるかでだいぶ変わる部分もある。
占いに依存しすぎてしまうと芸能人とか有名人で時にある洗脳みたいな話にもなってしまうし、占う側に悪意や思惑があれば簡単に人を誘導もできるとは思う。かつての王という絶対権力者に進言できたのは占い師だったわけで、それゆえに占い師は王が気に食わないことを言うと殺されたり、邪魔者にもされる存在だった。そういう意味でも多少の距離感は残していないといけないとは思うし、こういう時は気持ちとしては主観と客観が半々ぐらいで聞くのがいいとは思っているところはある。

僕の誕生日は春分の日の翌日なのだが、春分の日前後に新しい小説をスタートさせるといいよと言われた。今書いているものとは違って、その日前後から書き始めるというのではなく作品を始めるということ、資料を集めたりこういうものを書きたいと決めると長く向き合うことになるものになるらしい。その時期になにか書いてみたい作品のアイデアとかイメージが沸くのかもしれない。そうなったらいい。
あと引っ越しも勧められたんだが、今年は部屋の更新はするけど引っ越しするお金もないんですよって話をしたらカーテンとかベッドシーツみたいな面積の大きなものを変えるのもいいよって言われた。ずっとワンルームに住んでいるので部屋の中で面積の大きいものってカーテンやベッドシーツというのは確かで、誕生日ぐらいになったら変えてみようと思った。気分転換にもなるし、自分で変える時期を決めちゃえば、その時からのモードチェンジの始まりも自分で流れが作れそうだなって。

あとは自分の今の働いている会社のことだったり、ほかの仕事のことも聞いてみた。ライターの仕事で言えば、本当は毒づきたいのにやってないからそれができるところとか探してみればと言われた。ほかの執筆関係だと今いろいろはじまりそうないくつかのことについても聞いてみると、いろいろと自分の考えていることと一致していたので、このまま進めよう。
恋愛のことってほとんど聞かなかったけど、それも最後に聞いたら二〇二五年の形になって以降だし、今興味ないでしょって言われて、僕は今後なにか形になってからでないと恋愛もしないし興味が出ないらしい。ということは今年来年で種蒔いて芽が出て花が咲かないと僕は何も得ることはないっていう恐ろしいことになるって話ではある。
四十五分はあっという間な気もするけど、話を聞いている時はゆっくりな感じでもあった。その場にいる時はなんだかおだやかで早くも遅くもない時間が流れていた気がする。終わったあとに占いってどのくらいの頻度でくるもんなんですかって聞いたら、来たい時にタイミングが合う時でいいよって言われた。だから、次はいつになるかはわからないけど、二〇二五年までには一回は行こうかなって思った。

夕方から仕事だったので帰りは副都心線で渋谷駅まで乗って帰って、そこから道玄坂をのぼって246沿いを歩いて帰った。
土曜日ということもあるけど、人がどこもいっぱいでコロナパンデミックになってからだいぶ時間も経ったこともあるんだろうけど、みんな油断しすぎじゃないってぐらい以前と近い状態に戻ってきている。これからどうなるんだろうと不安にはなる。
僕はなんとか生き延びて種蒔きをして水と肥料をやりながら自分の作品が形になるようにしていくしかない。アドバイスでほんとうは情緒的なものを書きたいんだろうけどそれがあまりできてないから、そのために恋愛じゃなくても立場や環境が違う人には会ったほうがいいよって言われたんだけど、色々複雑ではある。でも、SNSをやったり見る回数が減っていくのと反比例してリアルに人とは会ってお茶したり話したりをやりたいんだよな、たぶんコロナの反動もあるだろうけど。

 

1月22日
一時間ちょっと散歩がてらradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩く。
帰りにスーパーで惣菜を買ってお昼を食べてから、昨日占いでも言われたことも後押しになって、お話をいただいている件を前に進めるためのメールを一つ書いて送信。
このあとどう転がるのかはわからないが、ずっと凪だったものに変化が、水面に小石を投げて波紋ができるようなことになれば、それはそれでいい。あとはメールした相手側からの返事を待てばいい。その返事次第でどう動くかはある程度は考えているのでこちらとして問題は今の所ない。

「いいですか、日本の仕組みについて、この点を理解する必要がある」。とある高名な学者が、私にこう言った。

「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」

1868年の日本では、欧米列強によって中国と同じ目に遭うのを恐れた改革派が、徳川幕府を倒した。それ以降、日本は急速な工業化へと邁進(まいしん)することになった。

しかし、この明治維新は、フランス革命におけるバスティーユ陥落とは全く異なる。明治維新は、エリート層によるクーデターだった。1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の「名家」はそのまま残った。圧倒的に男性中心のこの国の支配層は、日本は特別だという確信とナショナリズムに彩られている。第2次世界大戦において、日本は加害者ではなく被害者だったのだと、この支配層は信じている。

たとえば、殺害された安倍晋三元首相は元外相の息子で、岸信介元首相の孫だった。岸氏は戦時下に閣僚を務め、戦犯容疑者としてアメリカに逮捕された。それでも絞首刑は免れ、1950年代半ばに自由民主党の結党に参加した。この自由民主党がそれ以来、日本を支配し続けている。

日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る

明治維新ってエリート層のクーデターだったし、その末裔がずっと政治の中枢にいるし、第二次世界大戦においての戦犯であるにもかかわらず、その血筋がいまだに権力を持っているというのはただの事実。海外から日本にやってきた特派員の人がニュートラルな意見を書いているがこのことすら多くの人は気づいていないし、知ることもない。もちろん、知らせないようにしている支配層がいるというと陰謀論みたいだが、自分がそちら側だったらそうするでしょって話。
だからサッカーはそもそも嫌いだけど、日本代表をサムライブルーとか言っているのはほんとうにバカみたいだなって思うし本来の意味を考えろって思うし、WBSCの野球でもそうだけど、侍ジャパンって呼び方もバカみたいだなって思う。侍って支配階級であり、たいていのやつの先祖は士農工商の士以外だしさ、そのエリート階級が明治維新というクーデターをして未だにそれが続いているって思ったら、そんな名前つけられないのになあ。
まあ、みんなそういうことに興味も関心もなくて、サッカーでも野球でも応援できるものが欲しいし、それを誇りみたいに思えて感動できればいいんだろう。だから、僕はまったくそういうもの(特に日本代表とかのもの)に興味が湧かない。
エリート層によるクーデーターによって近代化しようとした明治以降の日本ではフランスや韓国では起きた市民による革命は一度も成し遂げられたことがなく、第二次世界大戦以後の日米という関係性は市民にはさほど関係がないように見えるのに政治上ではずっと続いていて日本はアメリカの属国として従属し続けている。だから、この国はバカみたいに単純に見えるのに見えないところで複雑さを抱えている。その複雑さは日本に住んでいるとわからなくなってしまう。

 

1月23日
仕事は今週あるインタビューのために資料読みをずっとしていた。先日までは小説を読んでいて、今日はそれを元にコミカライズした漫画だったが、二十二巻ほどあったが小説で概要はわかっているのもあって読み始めたらわりと進むのが早かっや。両方読むとどちらのよさもわかるし、物語が相互に補強されるような感じもある。
小説では時系列が刊行順ではわかりにくいところがあるものの、漫画ではその流れが整理されているのでわかりやすくもあった。文章で読んでいるとどうしても空間把握能力がある程度ないとわかりにくい部分はあるので、執筆時にそれぞれの登場人物はその時どこにいるかというタイムライン的なものなどを作っていたりしているのだろう。
基本的には空間と時間の制限があるパニックものだと作る時にはある種のパズル的なものを作っている時には感じているのかなとも思ったりした。

昼間に少し買い物がてら家を出た。明日が十年に一度の最強寒波が到来で日本海側大雪や暴風雪、太平洋側でも積雪を要警戒という天気予報が出ているが、確かに肌寒いし風がこの数日と比べてもかなり冷たいものだった。
大雪が降って積もってしまうと交通機関がマヒしたりといろいろな弊害が出てしまう可能性があるが、大きな事故とかが起きないでほしいなと思う。あと今週中にインタビューさせてもらう人は関東在住ではなく、東京に仕事かなにかで来ているタイミングで話を聞かせてもらうことになっているのだが、大雪が降って交通機関とかアウトになるといろいろとバラしになる可能性も出てくる。その時はその時の対応をするしかないのだが、どうなるんだろう。無事に実行できればいいに越したことはないが。

——Q/N/Kが動き出した直接のきっかけは何だったんですか?

菊地:まずはコロナですね。あらゆるミュージシャン活動が緩慢化するなかで、「そろそろやろうか」と。僕は良くも悪くも、ですが、世相とか時代とがっつりリンクするところがあって、コロナの直前夜である2018年に『粋な夜電波』(菊地がパーソナリティーを務めていたラジオ番組『菊地成孔の粋な夜電波』)とTABOOレーベルが大企業に止められて(笑)、今から思えば、コロナに向けて待機した格好になるんですが、それがあくまで僕の中では、ですが、一通り終わって、DC/PRGも解散して、よっしゃあまたいろいろ始めよう、と思ったら戦争が始まって。後から出てくる「ラディカルな意志のスタイルズ」の初演の前夜に(ジャン=リュック・)ゴダールが亡くなって。世の中に動かされてるところがあります。

——なるほど、松丸契さんとの出会いが起点だったんですね。昨年9月に最初のライブ(『反解釈0』)、11月に2度目のライブ(『反解釈1』)が行われましたが、音源リリースの予定は?

菊地:今のところはないです。まあ、名は体を表すというか、ラディカリズムを表明しているので(笑)。曲名すらアナウンスしてないですね。アルバムを聴き、曲の内容がわかったうえでライブに来るという情報の共有をすべてはぎ取ろうと。「この曲、地味に好きなんだよね」「キラーチューン来たー」「ライブのがやっぱすげえ」みたいな状態を、起こさせない。という。消費の快感を変える一つの方法だと思っています。自作解説もしません。僕はこれまで自分の音楽について語り続けてきたし、「菊地の音楽をいちばん上手く語れるのは菊地だ」と言われたりしてきましたが、ラディカルな意志のスタイルズに関しては、自己言及は一切しないつもりです。

——DC/PRGとのつながりも感じていましたが、まったくアプローチが異なるバンドなんですね。

菊地:転換ですよね。フレッシュネスの津波というか。結局、僕が今やっていることは、最初に言ったように、ポストコロナ、ポスト夜電波、ポストTABOOレーベルなんです。男性アーティストをプロデュースするのも、自分の音楽に言及しないのも、コロナ後の僕の自然体ですし、何せ、今年は還暦になるので。自分でも信じられませんが(笑)。老いの自覚も含め、あらゆることが全部フレッシュ過ぎて(笑)。

菊地成孔が語り尽くす、Q/N/Kとオーニソロジーの同時制作 ラディカルな意志のスタイルズ始動の経緯も

大恐慌のラジオデイズ」でも話をしていたリアルサウンドでのインタビュー記事がアップされていた。
Q/N/KはMVとか「大恐慌のラジオデイズ」で流れた曲を聴いてはいるのだが、まだライブでは観れてはいない。オーニソロジーの2ndアルバム『食卓』リリース記念ライブは予約しているので三十一日に観に行く。場所が代官山の「晴れたら空に豆まいて」というイベントスペースで、名前も場所も知ってるんだけど一度も行ったことがないのでどういう雰囲気なのか楽しみではある。

 

1月24日

年末に届いて少しだけ読んでいた「メフィスト2022 WINTER Special Issue」号に収録されている須藤古都離著『ゴリラ裁判の日』の続きを読んでいる。
単行本としての発売は少し先の3月15日。Amazonを見ると概要が出ていた。

カメルーンで生まれたニシローランドゴリラ、名前はローズ。メス、というよりも女性といった方がいいだろう。ローズは人間に匹敵する知能を持ち、言葉を理解する。手話を使って人間と「会話」もできる。カメルーンで、オスゴリラと恋もし、破れる。厳しい自然の掟に巻き込まれ、大切な人も失う。運命に導かれ、ローズはアメリカの動物園で暮らすようになった。政治的なかけひきがいろいろあったようだが、ローズは意に介さない。動物園で出会ったゴリラと愛を育み、夫婦の関係にもなる。順風満帆のはずだった――。
その夫が、檻に侵入した人間の子どもを助けるためという理由で、銃で殺されてしまう。なぜ? どうして麻酔銃を使わなかったの? 人間の命を救うために、ゴリラは殺しもてもいいの? だめだ、どうしても許せない! ローズは、夫のために、自分のために、正義のために、人間に対して、裁判で闘いを挑む! アメリカで激しい議論をまきおこした「ハランベ事件」をモチーフとして生み出された感動巨編。第64回メフィスト賞受賞作。

「ハランベ事件」とは↓
米動物園ゴリラ射殺、責任は母親にあるのか

久しぶりに小説を読んでいて笑ってしまった。中盤でいかにもアメリカが舞台らしい場面があって、その件はそれが好きにとってはやりたかったことのひとつだろうし、コントにも見える。いや、よくよく考えてみたらこの小説は『ダウンタウンのごっつええ感じ』の「トカゲのおっさん」に通じているものがある。
「トカゲのおっさん」はおじさんの哀愁を笑う(『働くおっさん劇場』に繋がっていく)という松本人志的なものだったが、『ゴリラ裁判の日』では主人公をゴリラのローズにしていることで、男性優位社会における女性の尊厳や自由を描きながら、そもそも人間と動物の違いとは、人権とはなに?というテーマを重ねている。そして、メインテーマに正義と法律の問題が入っているので非常に現代的なモチーフになっていた。
また、このところ映画やドラマや小説でもよく出てくる「手話」が今作でも重要なものとなっていて、ローズは手話(とそれを認識して言葉を話す装置を使って)人間と会話をすることで意思疎通ができる。
やっぱりこの数年での「ナラティブ」という言葉が使われるようになって、「語り」の概念の幅が広がった(意識されるようになった)ことでボディーランゲージや手話というものも創作物でもよく見かけるようになってきたということなのだろうか。
そう考えると『ゴリラ裁判の日』という作品はいろんな要素から非常に今日的なテーマやモチーフを孕んでいるけど、どう考えても「メフィスト賞」以外の他の新人賞で送るところはないとも思える小説でもある。

演劇モデル・長井短が見た『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』(東京都現代美術館)。宙ぶらりんのまま世界を肯定する

友人が観に行っていてとても絶賛していた『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』についての記事が出ていた。
長井さんが俳優の仕事の現場で、一個人として生活の中で感じたことも言葉にされていたのも素晴らしいと思うし、展示の詳細も書かれていたので早めに行かねばという思いを新たにした。

くるり - ばらの花 

「ばらの花」は、2001年1月24日にシングルで発売された楽曲で、これまで様々なアーティストによるカバーやリミックス音源が発表されていたり、教育芸術社が発行する「令和5年度 高等学校用教科書 音楽Ⅱ 高校生の音楽2」への掲載が決定しているなど、くるりの代表曲として語り継がれている1曲です。

Music Videoは福島県いわき市の海岸で撮影され、岸田繁佐内正史が監督を務めています。これまでYouTubeではショート尺が公開されていましたが、この度、1月24日のリリース日に合わせてフルサイズが公開となりましたので、ぜひご覧ください。(くるりオフィシャルサイトより)

何度もくるりのライブで聞いている曲だけど、MVはそっか佐内さんが手掛けていたのかと思いながら映像を見ていると知らないうちに口ずさんでしまう。そしてなぜだか涙が出そうになる。
この曲を一緒に口ずさめる、同じような気持ちになる人と過ごしたいなと思いながら夕方からの仕事をしていた。途中でコンビニに買い物に行ったら強烈な寒波による強くて冷たい風が僕たちの町で暴れるように遊んでいて、人はほとんど見かけなかった。

 

1月25日

今年になって初の出社したのはインタビューのためだったけど、しかし、外は寒い。九段下駅で降りて少し歩いてパレスサイドビルについたのはお昼前。そこから色々と準備をして十四時から作家さんにお話を聞かせてもらう。いつもお願いしているフォトグラファーさんにも来てもらっていたのでインタビュー中の撮影と終わってから何枚か撮ってもらった。
インタビューをさせてもらった作家さんがいろいろと話してくれる方で話も弾んだし、横道とかにも逸れたりもしながらいろいろ思っている本音に近いものも聞かせてもらえてよかった。あとは文字起こしして横道に逸れたものなどもいくつか本筋に取り込んで構成原稿を作ればかなりおもしろくなりそうだなって思う。
写真は会社の入り口のスペースに置いてあった筒井康隆著『残像には口紅を』の生原稿。こういうものがあったことも今日初めて知ったけど、なんだろう譲ってもらったって感じもしないけど、どういう経緯なんだろう。右上の小さな紙に書かれてそうだけど、読んでいる暇はなかった。

仕事が終わってからニコラに寄ってきんかんといよかんマスカルポーネのタルトとあるヴァーブレンドをいただく。去年の同じ時期にもいただいているが、季節のくだものを食べるというのは、季節の食材を食べるというのはとても気持ちがいい。もちろん、美味しい。
カウンターは僕だけだったので曽根さんと由賀さんといろんなことを話せて、それもよかった。人間というか個人事業主やお店って義理って大切だよねって、不義理をしないようにしていかないとヤバいよって話とかをしていた。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2023年02月号が公開されました。2月は『すべてうまくいきますように』『Sin Clock』『別れる決心』『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』を取り上げました。

Tシャツをめくるシティボーイ。
第11回は「電車男とは何だったのか」。

1990年代にはジーンズの外に出していたTシャツの裾を、
2020年代にはジーンズの中へ「イン」するようになった。
30年間で起きた若者たちのTシャツの裾の変化の真ん中に『電車男』の2005年があること。

この重要性を繰り返してきましたが、肝心の『電車男』の内容、
登場するオタクファッションそのものに触れておりませんでした。
2005年に社会現象を巻き起こしたTシャツの裾の表現を、しっかりと見ていければ。

今回は『電車男』を軸に、オタクファッションとは何か、
さらにいえばTシャツの裾にとってオタクファッションとは何だったのか考えていきます。

まずは、この30年間に若者たちの間で生まれた同調圧力の流れをもう一度。
1991年、Tシャツの裾出しは「ダラシない」。
2005年、Tシャツの裾を入れるのは「みっともない」。
2021年、Tシャツの裾を出してると「笑われる」。

それを出そうが、入れようが、
流行現象になった瞬間から同調圧力を生み出すTシャツの裾。

脱オタクファッションの必要性を世に知らしめた『電車男』では、
どのようなファッション指南によって脱オタクをしていくのでしょうか。
そもそも、主人公たちは脱オタクするのでしょうか。

じつは、映画版ドラマ版ともに、
タックインをやめるよう呼びかけるシーンは出てきません。
むしろ映画版ではTシャツはずっとタックアウトされています。
ドラマ版でも、家着ではTシャツはずっとタックアウトされているのです。

Tシャツをめくるシティボーイ 第11回  電車男とは何だったのか 前編 / 文:高畑鍬名(QTV)

友人パン生地くんの連載最新回。『電車男』の映画とドラマで描かれたシャツの「タックインorタックアウト」についての深掘りと考察。いい視点だなと思うし、時間が経っているからこその文化論にもなっている。

水道橋博士さんが久しぶりにツイートされていた。まずは心身とも少しでも良くなってほしい。このツイートに対してたくさんの人たちからあたたかい言葉がいっぱいあって、博士さんも勇気づけられたんじゃないかな。博士さんは正義感も強い人だから声に応えようとして無理しないでほしいなとも思った。

『ラヴィット』に梅田サイファーが登場して「キングオブコント2022」のオープニングを飾った曲のリアレンジ版の『KING』を披露。
見取り図の盛山さんとR-指定さんが並んだり、盛山さんの席にR-指定さんが座るチェンジなどバラエティらしい展開もあってほんとよかった。こういうことができるのが『ラヴィット』の強さだしおもしろさになっている。

 

1月26日
普段は休みにしている木曜日、昨日のインタビューの文字起こしをするためにリモートで作業(出勤)をしていた。自分がインタビュアーだったから、覚えてはいるんだけど、細かい部分とか自分が話した時の温度感とか相槌の入れ方とか聞いていると反省するところが多々あるけど、創作に関しては興味深い話があってうまく構成できたらいい記事になりそうな気がする。

チャック・パラニューク著/池田真紀子訳『インヴェンション・オブ・サウンド
「全世界の人々が同時に発する悲鳴」の録音を目指すハリウッドの音響技師ミッツィ、児童ポルノサイトで行方不明の娘を探し続けるフォスター。2人の狂妄が陰謀の国アメリカに最悪の事件を起こす――(ハヤカワオンラインより)

休憩時間に渋谷まで行って東急百貨店本店MARUZENジュンク堂書店で『ファイト・クラブ』の著者であるチャック・パラニュークの新刊『インヴェンション・オブ・サウンド』(18年ぶりの新刊邦訳作)を購入。

文房具売り場とかは31日の東急百貨店の閉店に合わせてセールをしていてかなりスカスカになっていたし、お客さんも平日のわりにはかなり多かった。
書籍の棚も徐々にスペースが広がっていて、並んでいる棚の左側は何も置かれていなくて右側に少なくなったものがまとめられている感じになっていた。
『インヴェンション・オブ・サウンド』と一緒に芥川賞を受賞した『荒地の家族』も買おうかなと思ったんだけど、今じゃなくてもいいかなって思ってしまった。このままMARUZENジュンク堂書店渋谷店での最後の買い物は『インヴェンション・オブ・サウンド』にはならないだろうし、最終日は休みだからたぶん東急百貨店には足を運ぶと思う。本を買ってすぐに帰ってからまた文字起こしの続きをやった。

渋谷へ行って帰る間はradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていたんだけど、そこで佐久間さんが『大竹伸朗展』の話をしていて、そういえば行こうと思ったままで行ってなかった。できるだけ早めに行こうと思ってサイトを確認したら、2月5日までだった。今月末に行ってその帰りに東急百貨店に寄る感じになるんだろうなとスケジュールを脳内で立てた。 

世界最高峰のラッパー、KENDRICK LAMARがヘッドライナーに決定!


Kendrick Lamar - N95



Twitterのタイムラインで音楽好きがかなり反応していたが、サマソニにケンドリック・ラマーがヘッドライナーに決定したことが発表されていた。ああ、たしかにケンドリック・ラマーは観たい。
でも、去年のリバティーンズの開催一週間前のキャンセルとか忘れてないし、もちろんバンド側にもあるけど主催者のクリエイティブマンに不信感が残っているのもあるし、フェスには行きたくはないし、とか考えるとサマソニには行かないかな。
というかケンドリック・ラマーでワンマンやってくれたらチケ代一万とかではもう無理だろうけど、二万ぐらいなら行くしさ、単純にフェスってものが嫌なんだよなあ。行き帰りもめんどくさいし、ほんとうに金があってケンドリック・ラマーのパフォーマンスが観たいならアメリカ行けばいいって話でもあって、こんな時代の金ない日本によく来てくれるよなとは思うんだけど、やっぱりサマソニに行きたいって思えない。

 

1月27日
寝るまで『インヴェンション・オブ・サウンド』を読み進めた。第1章まで読み終わったので半分とは行かないが五分の三ほど終わっているが、メインの二人はまだ出会っていない。一人からもう一人の存在を認識というか見えているという描写はあるが関わってはおらず、それぞれの話が展開している。
娘がいなくなった男のフォスターはダークウェブなどで非合法のポルノや児童虐待のサイトを見て、いなくなった娘を見つけるヒントを得ようとしている。ただ、ダークウェブが出てくるがそこに関しての詳しい話はなくて、それを使うことで非合法なものにアクセスできるという使い方になっていた。
もう一人のハリウッドの音響技師である女性のミッツィは「音」を取るためにすでに法律や常識の向こう側にすでに行っている。また、肉体破壊や暴力的なセックスなどの描写に関してはこちらが担っている感じになっていた。フォスターのいなくなった娘がミッツィというオチはないだろうし、次元を飛び越えていたとかもなさそう。第2章でフォスターとミッツィが出会ってからアメリカ中の人々を殺すためになにかを仕掛けたりしそうな雰囲気ではある。『ファイト・クラブ』のラストシーンも崩壊というか終わりを描いていたので、その流れの20年代版になるのかなと予想。

(ぜひ遊びに来てください。あなたがどんなに、祝祭と分析に飢えていて、盛り上がり、萌え狂うことと、情報を整理する快楽に身を奪われているか、僕は知っています。あなたは悪くない。しかし、だからこその、またしても、音楽は必要なのです。あなたに「余裕」が生じたので、余裕のある音楽が聴けるようになるのではありません。「余裕のある、遊んでいるような、しかし本当は最高品質な音楽、それがあなたの中に「余裕」を生じさせるのであります。こんなん一番いいたくないけど、「ミラーボールズ」とかもやっちゃうよーん笑)

菊地成孔の日記 2023年1月27日午前3時記す> 

オーニソロジーのライブは予約をしているのでたのしみではあるが、チケットがさほど捌けていないらしい。『ミラーボールズ』やっちゃうんだって思うんだけど、菊地さんの活動を追いかけている人たちからするとこの曲やるなら足を運ぼうという人は少なからずいるだろうな。

仕事の前にNHKオンデマンドでドラマ『大奥』第三話を見る。漫画の原作は読んでいないが、ほんとうに男女逆転「大奥」だが設定や人物配置がうまくて、今回のドラマは役者陣がハマりにハマっているというのがちょっと強すぎる。
八代将軍徳川吉宗を演じている冨永愛、三代将軍徳川家光を演じている堀田真由とメインがほんとうに素晴らしい存在感で、その相手役の男性の俳優さんたちももちろんいいのだけど、彼女たちをキャスティングしたことがまずドラマを作っている人たちが手応えを感じたのだろうし、民放だとこの二人をメインにするかというとネームバリューや実力があっても、もっと有名な女優にスポンサーとか利害関係でせざるを得なかったのではないか、と思ってしまう。NHKの強さがそういう部分にもしっかりでているからより見応えのあるドラマになっているように思える。

続いてParaviで『Get Ready!』を一話と二話を見た。演出/監督が堤幸彦さん、プロデューサーのひとりが植田博樹さんという僕ら世代としては『ケイゾク』から始まるいろんな作品で組んでこられた二人が座組に入っているドラマ。
お二人が過去にやった医療ものドラマだと『ブラック・ジャック』『ハンドク!!!』があったけど、今回の『Get Ready!』は集大成的なものも感じるようなストーリ展開になっているようにも見える。
プロデューサーの一人には先日『日の丸〜寺山修司40年目の挑発〜』の試写でお会いした佐井大紀監督の名前もあったりして、複数人のプロデューサーが関わっているから、幅広い世代が集まって作っているんだなって感じるし、今の時代にどんなドラマを作ってそれを見てどう感じて欲しいのか、何を考えて欲しいのかということをしっかり考えて作られているのも伝わってくるので早めに第三話を見て、リアルタイムで追いかけていこうと思う。今クールは『大奥』『Get Ready!』『ブラッシュアップライフ』の三作品のドラマを見ているけど、前クールに引き続き僕としては久しぶりにドラマを見ている。


昼休憩で西友に行って惣菜のアジフライを買った。トレイに銚子市産とあって、菊地成孔さんの日記を午前中に読んでいたからか、普段はほとんどアジフライを食べないんだけど、その連想ゲーム的に繋がって気がついたら買っていた。その帰りにトワイライライトに寄って、前に他の書店で見かけて気になっていた横道誠著『ひとつにならない 発達障害者がセックスについて語ること』を購入した。

Thundercat / サマーソニック2023、第一弾アーティスト発表! サンダーキャットの出演が決定!

昨日のケンドリック・ラマーがヘッドライナーという発表のあとに次はサンダーキャットがきた。おおっ、と思ったけど去年普通に遊びにきていたサンダーキャットを渋谷で見つけて写真を撮ってもらって握手もしてもらったし、そもそもコロナで二年延期になった恵比寿ガーデンホールのライブには行っていたのでサマソニは行かなくてもいいやって思えたし、もう一回ワンマンで東京やってくれたら行きたいかな。彼は東京、日本好きだからワンマンは絶対にやってくれるだろうからそちらに期待したい。

小説『の、すべて』は、あと10日ほどで第4部の始まりのパートが活字になる。この連載を誰がリアルタイムに読んでいるのか、私はわからない。わからないけれども、この小説はここまで来ている。そして、その10日後に活字になるパートのさらに先を私は書いていて、それは、さらに恐ろしいところに来ている、と記す。あのさ、俺は基本的に小説家なんだぜ。だからさ、まだまだ成長するんだぜ。わかってるの? ……って誰に怒っているのだ。うーん、鎮めねば……。

その小説家だからこそ、私は朗読する。私は脚本も書き、詩も書いた。まだ書く。評論だって書いているし、もっとやる。それで朗読や脚本だけれども、今度の朗読劇「銀河鉄道の夜」はいちばんコアのメンバーが多い状態で、いちばん創造的な側面を拡張して、発表は今年3月から夏の8月頃までを見据えて、たぶん展開する。考えてみると、私は2011年12月からこれをやっているのだった。そして、まだやっているのだった。「いつまで?」とは考えない。そういうことは問わずに、いま、ここ、現在、そこらじゅう、みたいなところだけを考える。このプロジェクトは、助けてくれる仲間、共振してくれる表現者たちが欠けたら、たぶんストップする(それはそれでかまわない)。いまは、こんなにも、いろんな人たちが集まってくれている、ということだ。

古川日出男の現在地」<軽さと重さ>

連載小説『の、すべて』をリアルタイムで読んでいる読者のひとりだが、いつも古川さんの連載を読んでいて思うけど、毎回思ってもいないような身震いする物語になっていく凄みがあって、もちろん単行本になってから読んでみすごいのはすごいけどリアルタイムだとほんとうにびっくりすることが毎月あって、今月頭に出た号に掲載してあったものから次はフェーズが変わりそうだなって思っていたので、次からの第4部がどう展開していくのか楽しみであり、怖い。
『朗読劇「銀河鉄道の夜」』はおそらく3月からということなので、3月11日に行われて、そこから8月までいろんな場所で行うのだろうなと予想はできる。もちろん、東日本大震災が起きた3月11日に朗読劇が行われるだろうなは思っているので予定は空けて待っている。夏までの中で東京ではない場所でも観たいと思っているんだけど、今は正直夏頃に自分の環境がどうなっているかちょっとわからなくなってき始めている。でも、行きたいな。

朝晩とリモートワークしてずっとイスに座っているから体がバキバキ、寝る前に熱めの湯船に浸かって少しでも疲れを取りたいし、寒いので体が冷えているのもあって毎日のように湯船に浸かってなんとか生き返っている。

 

1月28日【柳井イニシアティブ】展示とトークセッション「ここにいた」

小説家、彫刻家、工学者、メディア・アーティスト。
それぞれがそれぞれの視点から。
4人のアーティストによる展示とトークセッション

講演者・小田原のどか、筧康明、古川日出男藤幡正樹
藤幡正樹・マイケル・エメリック

起きて十一時ちょっと前に家を出て渋谷駅まで歩く。高田馬場駅までで山手線に乗ったが土曜日ということもあるがかなり人が多かった。駅を降りてから早稲田大学まで二十分ぐらい歩いて向かう。この半年ほどで早稲田大学には三回ほど来ているが、そもそも僕は大学も出ていないし、早稲田大学にも縁がほとんどなかったけど古川さん関連で足を運ぶようになったのは不思議な感じであるが、学べなおせよということなのかなって思ったりもする。
今日は早稲田大学小野記念講堂というところで展示とトークセッション『ここにいた』を鑑賞&拝聴。

十三時に開場&展示スタート、入り口に藤幡正樹さんの全米日系人博物館(JANM)で行われた「BeHere / 1942」展の映像が三つのモニターで流されていた。
2017年にロサンゼルスに行った際にリトルトーキョーと全米日系人博物館にも足を運んでいた。大叔父の初生雛鑑別師の新市さんが日系移民の服部さんに呼ばれて渡米したのが排日運動が高まっていた1934年(ボニー&クライドが殺された年、カーネル・サンダースはまだ自経営のガソリンスタンドに併設した食堂で母直伝のフライドチキンを提供していた)だったこともあり、日系移民の強制収容所のことも見ておきたかった(その服部家は開戦後に日本に帰っていたが、終戦後にアメリカに戻るが交通事故に遭ってしまい家族全員が亡くなってしまったらしい)。
リトルトーキョーには高野山米国別院があり、そこで戦後のジャニー喜多川は仮住まいをしていて、美空ひばりなどがそこの舞台に立ったことあって彼はプロモーターのようなことを始めることになる。リトルトーキョーと全米日系人博物館という場所(地域)は戦後日本の芸能ともかなり密接な関わりが、始まりの萌芽があった所でもある。
日系移民の強制収容所送りから50年以上経った1995年、ロサンゼルスに本拠地があるドジャースのユニフォームを着た野茂英雄がそのマウンドに立ち、それまでアメリカ人が見たこともないトルネード投法奪三振ショーを繰り広げることになる。それを日系移民の人たちの視線で、それまでの移民の歴史から野茂英雄メジャーリーグのマウンドに立ったことまでを繋げて書いている人はアメリカにはいそうな気がする。日系移民の人たちにとって野茂英雄という存在はほんとうに大きかったはずだから。
2017年にUCLAに行った時に会ったエリックさんは現在は「早稲田大学 国際文学館」助教だし、今回のファシリテーターのマイケル・エメリックさんもその時にお会いしていて、イベント後に古川さん夫妻と一緒に車に乗せてもらって駅に送ってもらって、カーステからRadioheadが流れていて、やっぱり聴くんだって思った記憶がある。六年経って早稲田大学ってところで繋がっているのは不思議だけどおもしろい。

筧康明さんの展示は数メートル離れた二ヶ所に紙コップが二つずつあり、それぞれがモードで繋がっていて真ん中に機械があった。一方にビー玉を入れて振ったりすると繋がっているもう一方の何も入っていない紙コップを持っているとまるでビー玉が中に入って回っていたり、なかにあるかのような感覚になるというもの。紙コップの底に装置がつけられていてそれがもう一方の振動をそのまま伝えていた。
もう一つはモニターに映った紙にえんぴつで文字を書いたものが映し出されているが、台に置かれている紙とえんぴつがあり、そのえんぴつを持つと、モニターに映っているえんぴつが動く感覚が自分の持っているえんぴつに伝わってくる。モニターに映っているえんぴつの文字を書く動き、それは他者の文字の書き方であり、自分とは違うものであり違和感がある。書いているものを真似てもいいですよとは言われてもやはり違う、身体性が違うということがわかる。
小田原のどかさんの展示は白い正方形の紙の真ん中に拡大鏡かな、ついていているものでそれが何ヶ所かにあった。説明を聞いたのだけど僕がうまく聞けていなかった。あとはこれは小田原さんなのかどなたの展示かわからないのだけど、映写機が男性とコップを壁に映しているもの。そこに人が座ったりすると一方は存在してるがもう一方はいないけどいるみたいなことになっていた。ちなみに偶然小田原さんが座った時にいたので写真を撮っていた。

十四時に開始されて早稲田大学小野記念講堂の地上部分の階段を降りてくる古川さんが壇上の壁に映し出されて音声も聞こえてくる。テキストを読みながら展示されているものに触れたりしながら、地下にある僕ら観客がいる講堂にやってくるというパフォーマンスをした。iPhoneで撮影していたのは河合宏樹さんだった。古川さんの撮影だし、河合さんが一番上手くできると思うし、信頼もされているから彼しかできないだろうなとも思う。
途中の階段では講堂の画面よりわずか前に古川さんの朗読する声が聞こえ、わずかに遅れて講堂のスピーカーから声が聞こえる、それはちょっとしたズレなのだけど、そこにいるけどいない、いないけどいるというあとのトークセッションで出てくる亡霊的なものがあった。講堂に入ってきてステージの上まで行ってパフォーマンスは終わった。
そのあとは藤幡さんのパフォーマンスで、録音した女の子の声をあるボタンを押すと聞こえてくるというものともうひとつはおじさん(藤幡さん)の声で、ボタンを押しながら会話をするというものだった。
そのあとに筧康明さんのご自身がやってきたこと(「Air on Air」など)の話、小田原のどかさんの「生命の河 原子病の話」と「矢羽型のモニュメント」についての話をされた。その後はファシリテーターのマイケル・エメリックさんの話があって、ほかの四名も壇上にあがって五人でのトークになったという流れ。

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2023年1月28日 早稲田大学小野記念講堂
『ここにいた』

古川さんパフォーマンス・藤幡さんパフォーマンス

メディア、テクノロジー発展 人を阻害してしまう 

筧さん「ここにいた」 「BeHere / 1942」に親子でエキストラ参加
テレイグジスタンス 
Air on Air


小田原さん 生命の河原子病の話 46-48年 矢印
爆心地

マイクル・エメリックさん 
全米日系人博物館(JANM) 「BeHere / 1942」展

AR拡長現実 自分の作品『インターレグナム』のLAパートに「BeHere / 1942」展を入れてみる?

メディアテクノロジー 繰り返し
近さ・もの・遠い・イメージ
インタラクション 亡霊


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コップ(展示されていた筧さんの作品について)・不気味 VR・近づく動く←iphone使うと

関係を整理するまで

タブレットを使うことで(「BeHere / 1942」展における)アメリカ人の(日系移民強制収容所へ行くためのバスに乗る前を撮っていた)カメラマンの立場に(政府に監視されている)
ひっくり返し、筆跡、 加害者ににひっぱられる 

「不気味」なのはつながらないものがつながってしまうから

触角-知覚にすぐくる 
アクセプトできると他者になれてしまう
ARのタブレットを自分で使う「LA」(JANM) 他者が入る←カメラマンを操作する 
亡霊と憑依は違う

(「BeHere / 1942」展を体験した日系移民三世や四世の人たちは)おじいちゃんおばあちゃんはそこにいた と感じた 

触覚は閉じれない
肉体をなくす・環境を作ると憑依する
ipadで「BeHere / 1942」展のARをみて、終わって誰もいない(JANM前の)広場を見るとより感動する、何かが変っている

いたはずの自分の存在が消える、いないはずの人たちがいる 

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彫刻を触れる/触れないとき
像を見ていた人たちがいた(現在の自分の前に過去にいた人たちの存在を感じる)⇆ARとつながる? 通じるところ

最初に原子爆弾が投下された広島|二番目に原子爆弾が投下された長崎にはGhostを感じる・宗教(浦上天主堂など)・偶像を作り出す

作ったものがモニュメントになると困る/藤幡さん 
半永久的に残る

形がないほうが残る・亡霊的
「BeHere / 1942」展をARで見ていた人たちはバスに乗るために待っていた人々が見える

(古川さんの朗読パフォーマンスで読んでいた紙を切ったことに関して)テキスト切る・壊される・ハサミを出すということの暴力 

デジタルは残らない・身体的記憶に沁み込むから残る

消えてしまう、人が残そうとするかしないか
エネルギー表現しだい

・物を置くとそこに立てない・外側から見るしかない
視点 AR自分で取りにいく

台座の問題・見上げる/見下される像


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台座の問題・モニュメントになりたくないに通じる
物があって永遠に見ればいいということでない
銅像を見上げる、引きずり落とされる
広場で誰が最初にくいを打つかから始まる(フランス・メタファー)

SNS 像が向く同じ方向に立ち 操られる/像を見なくなってしまった

自分を保持したままで聖なる空間に入る
モニュメントのあり方が変わる
木に文字刻むということ ここにいた/けど/そこにいない
「セルフィー」→ここにいなかった証拠になってしまう

時間の話 BE HERE/命令形
ipadを持っていると現在にいると思ってる
→ARで見ると1942年(「BeHere / 1942」展の写真が撮られた時代)のLAにいたと思ってしまう 

現在から80年前に戻ってカメラマンが撮ったものを現実に持ち帰る
カメラマンの存在

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ネガを直接デジタイズするとなぜか新鮮ものに見える

LAの前 香港で「BeHere」を藤幡さんはやっている  香港とは何か?という問い
文化大革命でやってきた人たちによって人口が11倍になった
イギリスは香港に興味がなかったから「歴史がない」記録されていない

ロジャー・ガルシア(映画祭ディレクター)が「BeHere」がいいと言った

BE時制がない どこにでも使える
1942年の亡霊へ←「BE」参加してください 命令ではなく、誘いのニュアンス

HERE/THEREの違い

Be Here・裸でいる・像の前にいる

「デジタル」フレッシュ 毎回フレッシュなのは危険
物なしているかどうか、身体と関係できる、かさぶた・傷

デジタルは傷つかない・フレッシュ・ゼロから始まる

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ディスプレイの鮮度・遍在化
テクノロジーの力でポストモダン化して歴史が消える
過去と現在が重らない、無意識

80年前と今が一緒に在ると歴史化できない。
Googleフォトなどで個人が)統一していなかったものがデジタルで勝手に統一されてしまう←時間が串刺しになってしまう

「わたしは何なのか?」が狂う。

・差異化する努力をフラットにされる(デジタル)
一環性がないと思ったら、ある?

「↓」の矢印にすべての人が見えることがある(小田原さん) 
加害者(GHQ)でも46年から48年まであった長崎の「↓」(原爆落下中心地にあった「矢羽型のモニュメント」)で写真を撮っている。
矢羽型のモニュメントの傾きで時間がわかった 

矢羽型のモニュメントとGHQの兵士たちが写真を撮っているという一場面だけで見ると、取り出すと意味が残る
「一面から見せないこと」

藤幡さんの「BeHere / 1942」展における立ち位置

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一番の観客、日系アメリカ人

・(日系人の強制収容される)子供の瞳の中にアメリカ人のカメラマンと政府の人間が見えた(映り込んでいた)からできると思った。

これはメディアの問題だとわかったからできる

政府が従順に従った日系移民にしたいから彼らの笑顔を使った。その意味がわかるということ 
ある女性はバスに乗り込む時に夫へ渡してもらうということでカメラに向けて笑顔を、しかしその写真は夫に届かずに80年後に藤幡さんに届き、インスタレーションとなる その時に感じる笑顔の意味、一場面だけではわからないこと

見る側の責任、受け手の問題
「複数の問いを出すアート」(藤幡さんの作品「BeHere / 1942」)

テキスト、言葉にする・わかったようなふりをする
視覚情報は読めない・文字よりも長い歷史

哲学が技術を扱ってこなかった。
技術哲学の時代が来る 
感じるかどうか、表現者のスキル テクニックで感動はしない 

余白を残すこと、人に委ねること、
完璧に作ると神様が入ってこない


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ナム・ジョン・パイク、ケーブルをあえて見せていた ←「余白」
モニター面だけが作品だと思われていた(当時展示をするとケーブルなどは邪魔だと工事関係者が勝手に隠したり見えないようにしていた)

デジタルになると(「余白」をどう見せるかが)難しい

体験をなくさない・意思を持っていないと見れないもの 
手助け AR/VR

歴史が消える?

「最初にあったものが 消えてしまう時代」

3.11以降「伝承」(メモリアル)というものが言われるようになった。

記憶の継承でどんどんこぼれ落ちていく

広島 伝承者←被爆者のテキストを語る

伝承とメモリアルは違うと思う(小田原さん)
語り部は憑依されない、祈りにはならない

テキストを読んで伝える、憑依はされない
アートとしてカウンターとしてやらないと残らない

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テクノロジーを最優先すると過去が消える(かも) データがあればいいわけではないが、
意味のない写真、集めれて大量にあれば
未来には価値をもたせれるかもしれない。

誰かのためにやっていたことが違う形で届く

芸術はそこに向ける

1942年の写真 インパウンドされていた 公民権運動では使えなかった
1980年以降- 50年後には見える(アメリカらしい)民主主義・公文書(日本は無理、廃棄する、大戦から現在に続くこと)

データのありか、誰が開けられるのかが問題かも

質問者:「BeHere」体験後に体調を崩した
過ぎ去る過去を作る ←「BeHere」はそうではない

シャーマンみたいな人が各国にいる・普通にあった
過去とのつきあい方

近代の過程で歴史や過去が出てくる

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「BeHere」=「お盆」と思った(藤幡さん)
実感がないことを真面目に考える(未来は存在しない)という哲学者 ← 本当の未来は現在化しないもの、別の場所にあるんじゃないの?

表現する場所・置く所
場所はコンテクトがある・作品は場所性を作るものでない→「曲り角を作る」

小説・本・場所を問わない 読んでいくと肉体を失う シャーマン化している

音読でスタートした日本文学『源氏物語』→コピー(手移し)して渡すプレゼントだった(その立場や権力を誇示できるものだった)

基本的には宗教的意味付けがないと残らない/お寺に寄贈とかのものだった。

そもそも最初から文学はパトロンがいないとなりたたないものが小説という芸術だった。しかし、活版印刷後に変わった。

終わってから古川さんと千枝さんにご挨拶をして少しお話を。古川さんのパフォーマンスを撮影していた河合くんとスタッフのエリックさんにも会えたので挨拶をしてから高田馬場駅まで歩いた。
渋谷駅を降りたら十八時ぐらいだったけどすごい人手の多さだった。

LCD Soundsystem - All My Friends (Official Video) 


日記を書いていたらなんだかこの曲が急に聴きたくなった。

 

1月29日
朝起きてから散歩がてら代官山蔦屋書店まで行って新刊とかなにかないかなと見てから、帰りにスーパーに寄って昼ごはん用の惣菜を買う。家についてNIKEのRUNアプリで距離を見たら今日の時点で1月はあと数百メートルで300キロに届く距離を歩いていた。これはちょっと歩きすぎだなと自分でも思う。
ご飯を食べたあとにチャック・パラニューク著/池田真紀子訳『インヴェンション・オブ・サウンド』の残りを最後まで読んだんだが、これはイマイチというか最後の終わり方もあんまりノレなかったなあ。もっと分厚い物語にもできたと思うんだけど、わざとそこを避けているのかなあ、なんか物足りなかった。

夕方の仕事前まで西寺郷太著『90’s ナインティーズ』の第2章まで読んだ。帯にもコメントを寄せている曽我部さんのバンドであるサニーデイ・サービスの曲をBGMとして流していたら、章の終わりに曽我部さんが出てきた。
自伝的小説なのだが、90年代の下北沢を舞台にしていて当時の東京の景色や文化が描かれているので、出てくる固有名詞が懐かしいものもあるしまったく知らないものもある。
同じくメルマ旬報チームだった小説家の樋口毅宏さん同様に郷太さんは団塊ジュニア世代で日本において一番最後に人口が大きい層ということもあり、「失われた30年」を青年期から体験しているが、インターネットはまだ黎明期であり、経済大国日本という景色を大人になる手前から二十代ぐらいでギリギリ体験しているというのは大きいだろう。
固有名詞が使えるというよりもそれが通用するパイがデカいというのはあるんだろうな、樋口作品と物語の感じは違うが固有名詞の使い方がどこかしら通じている気がする。そういうこともあって、ときおりエッセイと小説が混ざっているような読み感がある。

 

1月30日
寝る前に『90’s ナインティーズ』を最後まで読んだ。郷太さんがかつて見てきたもの、その主観による90年代の下北沢の風景とそこに集まってきていたバンドマンたちとその友人や仲間やファンたちの姿がしっかりと綴られていた。
下北沢に足を運ぶ理由になった憧れの、師匠のような先輩バンドマンとの出会いと別れが書かれていた。それが主軸にあるのでストーリーとして入りやすく、読み終わったあとにカタルシスが残る。思春期でも青年期でもいいのだけど、自分にとって大切だった存在を失ったり、その人が自分の代わりに(象徴的でも)死ぬことで人は大人になっていく。だから、先輩バンドマンとの別れはまさに象徴的な死であり、かつての自分の一部が死ぬということでもある。
もちろん自伝的小説であるので、もちろん書けないことは山のようにあっただろう。そこから自分がどうしても書き残したいこと、書かないといけないこと、書きたいけど書けないことなどを取捨選択して物語にうまく落とし込まれていると感じた。
ひとりの青年が下北沢という町と当時勢いのあったバンドシーンの中で青年時代を過ごしながら、プロミュージシャンになるために必要なものを見つけていく。同世代への嫉妬や仲間意識などあらゆる感情が混ざり合いながら、自分だけにしかできない音楽を見つけていった。
もちろん、書いた郷太さんは生き残った側の人であり、多くの、ほとんどの人たちはプロにもなれず、なったとしても長く活動はできずに辞めていった。ミュージシャンであろうが小説家であろうが、いわゆる創作系の人が描く自伝的な物語は生き残った、なにかになった人が何者でもなかった時代の話となる。だからこそ、そうなれなかった人たちの憧れと嫉妬を生むことにもなる。輝かしいステージの下にはおびただしい骨が、骸骨が眠っている。光と闇は同等であり、創作は生と死をよりくっきりと浮かび上がらせる。

起きてから朝晩とリモートワーク。休憩の時に銀行に行ったら月末だしかなり並んでいた。ウェブで家賃を振り込めばいいのだけど、住民税の支払いがあってコンビニでも払えなくもないけど、銀行の税金の支払いできる機会ならキャッシュカードが使えて、残高が減るからそちらのほうが都合いい。
最初に住民税払うために前に三人いたので座って待ってから、次は家賃振り込みしようとATMに並んだら人が多くてなかなか自分の番が来なかった。なんだろうな、ウェブで振り込むこともあるけど、紙の通帳に馴染みがあるからそちらに記載したいっていう欲望の方が勝るというか。
家に帰ってから仕事を続けていたが、夕方前から何度かくしゃみが出た。これはもしかすると花粉なのか。コロナパンデミック以降はいやでもマスクをするようになったから春先になっても花粉症の症状がでないということが続いていたのに、風邪の引き始めなのか花粉症なのか、部屋の埃が原因なのか謎だ。

最近ちょっと気になっているのは、大塚英志さんのTwitterが5日以降一度もツイートされていないということ。もしかして体調を崩されているのかなとも思ってしまうのだが、どうなのだろう。例えば中国に行っていて通信の問題でしていないとか、出版する作品のために缶詰になっているとか、の可能性もあるが、中の人は大塚さんと事務所のスタッフさんの二人なわけだからまったくツイートしていないというのもなにかあったのかと心配にはなる。
去年、吉祥寺でお会いしたさいには「来年、原作を手がけられている『東京オルタナティヴ』が刊行されたらインタビューさせてください」とお願いしているので、また直にお会いしてお話を聞かせてもらいたいから、何事もないといいのだけど。

数日後の予定確認でラインしているが、まったく既読にならない人が知り合いに数人いる。僕はメールでもラインでも来たらすぐに返さないと気持ち悪いと思ってしまうので、メールも迷惑メールは全部拒否してゴミ箱に入れていて、すべてのメールは開封しているし、ラインも全部既読にしている。
でも、明らかに既読になってなかったり、その数字がアイコンに示されていたりしても気にならないという人はいる。そういう部分で自分とはまったくタイプが違うんだなと改めて思うのだけど、既読にもならないと生きているのか死んでいるのか、なにか起きてるのかと心配になってしまう。だけど、気にならない人はそういうことも気にならないし心配にならないんだろうなと思ったら、まあしばらく待ってみようかと思えた。

 

1月31日
東京国立近代美術館で開催中の「大竹伸朗展」を鑑賞するために八時半前に家を出て渋谷駅まで歩いて、半蔵門線永田町駅で降りてから東西線竹橋駅方面に向かって歩く。東京国立近代美術館と会社は目と鼻の先だが、火曜日は仕事休みだけどほぼ会社に行っているような気持ち。ちょうど開館時間の十時前に着いて数分待つだけで中に入れた。ウェブでチケットを買っていたのでそのQRコードを入り口で見せてから展示エリアへ。

もともと行くつもりだったが先週の『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』で佐久間さんが観に行った話をされていて、調べたら2月5日までだったので、今行かないと最終日前の週末は激混みになりそうだなと思って平日にした。人が少なくてのんびり見るとしたら平日の午前中がいいだろうなと思った。大竹さんの作品で言うと「ニューシャネル」という有名なロゴのTシャツを一時すごく着ていた時期があった。それはスタイリストの伊賀大介さんが着ているのを見ていいなと思ったからだったが、文芸誌「新潮」のロゴも大竹さんが手がけられていて、たぶん2010年以降になってからだと思う。矢野さんの編集長だからこそ大竹さんという感じもするし、その矢野さんがもう二十年編集長だからそろそろバトンタッチするとしたら、おそらく表紙やロゴのデザインも変わるんじゃないだろうかは思う。
展示を見ているとそもそも展示されている作品の量がすごい。ひとつひとつが平面ではなくて立体というか何層にも重なっているものが多くて、時間や空間などを融合したり層を作ったものが作品として現れている感じがする。なんだか、吸い込まれるようなものもあるし、こわってなるようなものもあるし、その圧倒的なパワーがなによりもすごいし素晴らしい。この世界における破壊に対しての創造性を見せつける、作り続けるという意志の表明に見えた。


東急百貨店 渋谷・本店が最終日だったので、大竹伸朗展を観た東京国立近代美術館から国会議事堂と内閣総理大臣官邸を横目に歩いて赤坂から青山墓地の南端にあるかおたんラーメンえんとつ屋へ。


昼食がてら塩ラーメンを食べてから墓地中央から西方面にある青山橋を渡ってから246に出て、青学前から北上してMIYASHITA PARKとタワレコの横を通り抜けてPARCO渋谷とWWW横の道を下って東急百貨店へ。最終日なのでどの階もにぎわっていた。

MARUZENジュンク堂書店渋谷店で最後に買ったのは古川日出男著『ベルカ、吠えないのか?』文庫版と井上順著『グッモー!』の二冊。
曼陀羅華X』朗読イベントでお会いした書店員の植田さんが帯コメントを書いている『ベルカ、吠えないのか?』文庫版。僕はこの文庫版が出た2008年にはじめて古川さんにお会いした。その年、『聖家族』が発売されたデビュー10周年だった。今年は25周年なので15年も経っている。
『グッモー!』は何度も東急百貨店近くで井上順さんをお見かけしていて、偶然だが井上さんと父の生年月日がまるっきり同じ。渋谷生まれの渋谷育ちで、MARUZENジュンク堂書店でミステリー作品などたくさん買われて読まれているのも記事で知っていたので記念というか。
これから東急百貨店が解体されて、新しく再開発されていくのを定点観察がてらこの数年は見ていくことになるんだろうけど、上京してからの20年でさえ、渋谷はあまりにも変わりすぎていて、止まると死んでしまう生き物みたいに風景が留まることがない。だから、場所と記憶が年々ズレていってやがてどちらも消えていく、いや行方不明になってしまう。懐かしいとかそんなものすら笑われるように資本による破壊と再生がただ繰り返されていく。思い出だけが性感帯だとしても、その思い出が彷彿されるはずの場所が失われて、変わり続けていくから渋谷には性感帯がない。だから、円山町にはラブホテルとライブハウスがある、肉体が揺れて触れて気持ちよくて悪くてどうしても他者性がないと成り立たないものが、太古から人間の快楽とともにあったセックスと音楽が、とか書いているとできそこないのチェルフィッチュ『三月の5日間』みたいだなと思った。


「オーニソロジー2ndアルバム「食卓」リリース記念ライブ」を代官山「晴れたら空に豆まいて」へ観に行く。出演はオーニソロジー(vo,g) / 宮川純(key) / 小川翔(g) / 守真人(Dr) / Yuki Atori(E.Bass) / 菊地成孔(sax&more)というメンツ。

2023年初ライブ、オーニソロジーのアルバム『食卓』はiTunes」ストアで購入して聴いていて、ライブが発表になった時にすぐに申し込んでいた。この「晴れたら空に豆まいて」という場所の名前は知っていたけど来るのは初めてだった。メールで申し込んで整理番号が送られてくるので、その番号順に並んで入り口で会計してから入るというもの。
お客さんはどのくらいだろうか、はじまったらかなり埋まっていたから百人ぐらいはいたんじゃないかな。オーニソロジーは聴いていたけどライブでは観たことがなかったけど、声に特徴があるけど、すごくカッコいいなと思った。
バンドではなくひとりでやっているユニットで、今回はプロデューサーの菊地さんと録音の時のメンバーでのバンドスタイル、途中でひとりでも歌ったりしていた。ソロとバンドではそれぞれのよさもわかった。何曲か菊地さんがサックスを吹くものがあったが、やっぱり管楽器が鳴るとメロウで艶やかな感じになって、夜がより深くなっていくみたいだった。まあ、そうするに色っぽい。
最後はオーニソロジーと菊地さんと二人でDC/PRGの『ミラーボールズ』のカバーを演奏してくれた。ライブで心地よい揺れがあって、いい空間になっていた。オーニソロジーの声はとてもいいなと改めて思ったし、これからもライブがあれば行きたい。


ライブ前にfacebookを見ていたら、親友のイゴっちが恵比寿のバーで働いているというのがタグづけされていた。週一回このお店で働いているみたいなのは知っていたが、「晴れたら空に豆まいて」からお店までの距離を見たら歩いたら七分ぐらいと出たのでライブ終わったら何も言わずに行って驚かそうと思って久々の恵比寿へ。
Bar driftはマップ見ながら歩いていたらすぐに見つかって、窓から中が見えてイゴっちの姿も見えたので入りやすかった。前にイゴっちと一緒に行ったバーの店主の人も来ていたのでその隣のカウンターに。そこから深夜『空気階段の踊り場』でのもぐらさんの離婚について彼は話をしたかったみたいでその話をしてから、「JUNK」「オールナイトニッポン」のラジオについての話を三人で話していた。彼の奥さんとその友達でお店を手伝っていた友人も合流して、いろいろと話をしながら日付が変わるまで飲んでそこから歩いて帰った。
一人で飲みに行くこともそもそもないし、今日はなんといいうか「かおたんラーメンえんとつ屋」と「晴れたら空に豆まいて」という初めて行った場所が二つあって、一月末だし二月へ勢いをつけるというかこれからの変化も期待をこめて、二よりは三の方がいいなって思って、「Bar drift」に行こうというのもあった。そうすると初めての場所が三つになって、なんかいい感じでおもしろいことが始まりそうな気になるから。


酔いはほとんどなかったので歩いて帰ったらナイキランアプリでの一月の走行力(走らずに歩いてしかいないけど)初めて月間で300キロを越えていた。さすがに歩きすぎだ。

今回はこの曲でおわかれです。
Gotch, GuruConnect - Heaven - MV