Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『西野亮廣の渋谷ゴーストバスターズ』第一回

西野亮廣の渋谷ゴーストバスターズ

 

第一回
  

 9月25日に僕はキングコング西野亮廣さんのお宅に伺わせていただいてお話を聞かせてもらう機会を得た。10月からこの連載でなにをやろうかと少し前の8月ぐらいから考えていた。いつも6ヶ月、12回ぐらいを目安にして長編小説を書いたり、今年の4月から9月まではヌードモデルの兎丸愛美さんの写真を使わせてもらった短編を書いていた。
 10月からはちょっと考えていた長編小説を書いてみようかなと思っていたが今年の日比谷野音公会堂での西野亮廣さんの独演会2015も観に行き、8月中に青山通りにあった伊藤忠アートスクエアで開催されていた「おとぎ町ビエンナーレ」にも数回遊びに行ったこともあり芸人・西野亮廣という存在にすごく興味を持った。僕は西野さんにいろいろとお話を聞いてみたいと思うようになっていた。
 おとぎ町でのトークイベントの中でハロウィンの翌日に映画『ゴーストバスターズ』のコスプレをしてゴミ拾いをすると言われていて、僕はすごく興味を持ち参加しようと決めた。そんな流れから今回から6回分の連載は『西野亮廣の渋谷ゴーストバスターズ』と題して11月1日に行われるゴーストバスターズについて書いてみたいと思います。
 第一回目と第二回目はお宅にお邪魔してお話を伺ったインタビューをお届けしようと思います。文字起こしをして思いました、インタビューって難しいな、と。
 
 

<渋谷ゴーストバスターズについて>
碇本 今年の11月1日、ハロウィンの翌日に『渋谷ゴーストバスターズ』をされるわけですが去年の時点で西野さんは渋谷でハロウィンが終わった後にゴミ拾いをするのはどうだろうというお話をされていました。
ハロウィンが日本に文化としてどんどん根付いてきた結果として渋谷の街がゴミで溢れてしまうという現状があります。それに対してのカウンターとして『渋谷ゴーストバスターズ』をやってみたいという気持ちがあったのでしょうか?
 

西野 そうですね。なにかニュースをぼぉっと見ていたらハロウィンのあとの渋谷がすごく汚いというか街が汚されていて、出ていたコメンテーターの方がもっとモラルを持ってほしいと言われていた。
そのオヤジ連中はゴミは出しちゃダメだ。ハロウィンのなにがおもしろいかわからないとかそんなことばかりをずっと言っていたんです。で、コイツあったま悪いなって思っちゃうんです。僕は基本的に全部に関してもそうなんですけど、ヨットみたいにできたら面白いなと思っているんです。
 

碇本 来た風のままにという意味でしょうか?

 
西野 ヨットって追い風だったら帆を横にして進めるし、向かい風でも帆の角度を変えたらジグザグに進めるじゃないですか。
一番やっかいなのは風が無いときで追い風も向かい風もないときです。そうなると手漕ぎで進まないといけなくなると前に進むのはめっちゃ難しくなる。で、ほとんどの人は人生で向かい風があったらかき消したり潰そうとするじゃないですか。
 

碇本 力と力をぶつけて消滅させようとする感じですね。

 
西野 そう潰すんです。それはいいけど無風状態にしちゃったら前に進むのは難しくなる。なにかを押さえつけたり、やめろだとか言ったりするのはその無風状態にするのと一緒だなと思います。それをみんながやってしまう、せっかく向かい風が吹いているのにも関わらず。
渋谷のハロウィンの場合でいったらせっかくゴミが出るっていうのを使おうとしないのかなって。誰もやりそうにないからじゃあやっちゃおうかって感じになった。渋谷をキレイにするとかは僕の仕事でもないんですけどね。
 

碇本 そうですね、西野さんは渋谷に住んでもないし縁がある感じもないですよね。
 

西野 ないっす。でも遊びです!
 

碇本 僕は西野さんに二年前の独演会のチケットを新宿の吉本興業本社に買いに行って2014年の独演会を観に行かせてもらいました。本当に面白かったので今年のチケットも早めに買いに行かせていただいて観に行ったのですが、手売りで独演会のチケットを売るようになったのは何年前からでしたか?
 

西野 一昨年の一月ぐらいからですね。
 

碇本 去年と今年の独演会の二千枚のチケットの手売りも完売し独演会も大成功になりました。西野さんと言えばよく炎上されているというイメージがあります。おとぎ町ビエンナーレでのTBSプロデューサーの角田さんとのトークでも99%の人がディスってきてもその人たちは独演会のチケットもDVDも買わない。だから届く1%の人や独演会のチケットを買ってくれる人たちの数を増やしたりもっと深くファンになってもらうのが大事というお話をされていました。
おとぎ町もそうでしたが参加できるという場を西野さんが作りたい、大事にしたいというのが伝わってきました。おとぎ町ビエンナーレに行くとそこにいるお客さんは「西野さん」というキーワードの共通項しかないにも関わらず、ホームレスの小谷さんがハブになっていました。その存在が大きくて彼によってみんなが繋がっていくのを感じました。
西野さんがおとぎ町みたいな場所があることでライブができたり舞台をやったりトークイベントみたいなこともできるっていうのがすごく納得できました。
でも、世間の人からするとまた西野はなにやってんだって感じになっているのかもと思ったりもしました。また、炎上案件かよみたいな風にも見えていたと思うんです。僕はその代表格じゃないですけどナインティナインの岡村さんがラジオ等で西野さんについて言っていることは受け止め方も含めて世代差だったりインターネットとの付き合いかたもあったりするのかなって感じています。僕の感覚ですがインターネットが二千年代前半には一般的なものになり、サッカーのW杯に出場するのが当たり前になったのが一致しているのかなと。園子温さんのエッセイ『受け入れない』にも書かれていますが園さんが日本の首都に広場がないことが問題だと言われていました。
香港でも雨傘運動があったときに何万人集まれる広場があったが日本は構造として広場を作り損ねた。若者が集まれるような場所が渋谷のスクランブル交差点しかないからW杯のときのハイタッチとかもあそこでするしかない。だからあれはしょうがない。人が集まる場所が渋谷ぐらいしかないからあんな状態になってしまう。
サッカーだとか熱狂的な集団が集まって起こる出来事とインターネットでの悪意が集まるというのはW杯に出てからの日本人のなにかを応援する熱狂の感じと、西野さんが炎上したりディスってくる人ってネットの民意というよりは単純にストレスを発散できるなにかを見つけて暴発している感じがあります。集まれる広場がなかったから渋谷のスクランブル交差点で、絡みたいとかなんか嫌なことがあってその時に西野さんがいて絡んだら返してくれることはかなり繋がっている気がします。
 

西野 僕、スクランブル交差点ですか(笑)
 

碇本 西野さんの独演会に来るような人たちはAKB48の握手会に行くように西野さんに会いに行って、一回会って話をして写メ撮ってそこから西野さんのことを好きになる人もたくさんいると思うんです。それは西野さんがいつも言われていることですが、『はねるのトびら』をやっている時にこのままやっていても将来が見えてしまって、同じルーティンでバラエティ番組をテレビでこの先ずっとやることが嫌になってしまった。
西野さんにはそれができて岡村さんにはできなかったことではないかと思います。それが現在のお二人の立ち位置や考え方が圧倒的に違うことになってしまったのではないでしょうか。それができなかった世代としてやれなかったということで岡村さんが無意識に西野さんに当たってしまう、ラジオで苦言を言ってしまうということになってしまっているのではないかなって思うんです。
 

西野 なるほど。僕は岡村さんのことを別に好きでも嫌いでもなかったし、気にしている芸人さんでもなかった。そもそも僕は岡村さんのちょうど十年ぐらい後輩でむっちゃ後輩なんです。
僕が岡村さんにチクチク言っていたこともないのにやたらちょっかい出してくるんですよ。なんかやたらラジオやテレビで僕の話をしていてなんだこの人はって思って。
 

碇本 気にされてますよね。僕は西野さんの学年でいうと一個下なんです。僕らぐらいだと思春期に『ダウンダウンのごっつええ感じ』とかを見ていて、松本信者、松本チルドレンだったりします。ごっつええ感じを見てしまって普通の笑いに対して「フッ」っていう感覚になっているのが西野さんや僕らの世代(ロスジェネ後期)に多いはずです。
岡村さんはダウンタウンキングコングの間の世代なので嫌でもダウンタウンという大きな存在がすぐ上にあって天然素材などを経てナインティナインが東京で売れた。その後にきた世代がキングコングだったと思うので一番意識せざるえない存在だし西野さんを無視できなかったのだと思います。
さらにもっと下の世代にいくとラッスンゴレライをやってる8.6秒バズーカーとか音楽的なリズムネタで大ブレイクしている人は二十代前半でダウンタウンの呪縛はもうないですよね。

 
西野 もうないっすね。
 

碇本 ダウンタウンの呪縛がなくお笑いをできる世代とダウンタウンの直系というかすぐ下の世代である岡村さんって価値観がもはやまったく違うと思うんですよね。岡村さんが今、ひな壇にいないとおかしいと思っている世代の中で西野さんがそこにいない、そのルールから外れたことにイライラされているように感じられます。
 

西野 一回、岡村さんとしゃべってみたいです。
 

碇本 ぜひお願いします! メルマ旬報の連載であるエムカクさんの『明石家さんまヒストリー』を岡村さん読まれているらしいので、今回の西野さんのゴーストバスターズについて書いたことを岡村さんが読んでいただいたらいいです。このインタビューがそのフリになったら面白いんですけどね。
 

西野 それ面白いですね。
 
 

ゴーストバスターズ実現の流れ>
碇本 今回のゴーストバスターズは去年の時点で西野さんはやってみたらどうだろうと言われていました。今年本格的に実現に向かった流れや経緯を教えていただいてもいいですか?
 

西野 去年、ハロウィンが終わってからニュースを見て「来年のハロウィン翌日、ゴーストバスターズのコスプレでゴミ拾いをしようぜ」とツイートしたんです。それが『ワイドナショー』でも取り上げられて出演者からも「おー!」って驚きの声も出たんですけど松本さんには「言うてるだけでしょうね」とコメントされてしまいました。
 

碇本 そのお話が実際に渋谷区の許可や本家の映画『ゴーストバスターズ』のオフィシャルのオーケーが出たというのはいつ頃のことなんでしょうか?
 

西野 三、四ヶ月ぐらい前です。TOKYO DESGIN WEEK(去年までは TOKYO DESIGNERS WEEK)という青山で去年は十一万五千人とか来場者がいた国内で一番大きなアートのイベントの理事を僕がやっているんです。
去年ぐらいにTOKYO DESIGN WEEKを運営するデザインアソシエーションっていうNPO団体から理事になってもらえませんかという話をいただきました。
理事かあって、なんの理事でもよかったんですけど理事やってみたいと思っていたので引き受けました。
 

碇本 では、いきなり理事になられたということですね。前からTOKYO DESGIN WEEKに関わられていたということではなく、西野さんは有名人だしアートのことも好きそうだから理事をやってくださいみたいな依頼だったのでしょうか?
 

西野 一回お客さんとしてTOKYO DESIGN WEEKに行ったんです。
その時がハロウィンの時期で、ステージ上でハロウィンパーティみたいなイベントをやっていたんです。その仕切りやMCの進行がグダグダで見ていたら我慢ならなくなってステージに勝手に上がってしまいました。
「ちょっとマイク渡せ。俺の方が絶対うまくできる」って言って二、三時間ワーと喋ったんです。それで終わった後にその理事長とか代表の人に「あんなんダメダメ、こういう風にやらないとダメだよ」とか説教したんです。そうやって全然関係ない奴が二時間ぐらい話した後にスタッフに説教してしまって。
 

碇本 トークとかイベントの全体的なことをまるっきり外部の西野さんがダメだしするって、すごい横暴なことしてますね(笑)
 

西野 いまから考えるとひどい話なんですけど(笑)
 

碇本 でも、それをスタッフの方が受け入れるっていうことは本当にその場所に慣れてない人たちがトークとか進行をされていたってことなんですかね?
 

西野 ほんとそうなんです。
 

碇本 救世主が来た!って感じになり、その流れもあって今回の理事もお願いしますっていう感じですか?
 

西野 そんなことがあって去年、理事になってくれませんかってお話が来ました。これ面白いですねって了承して理事をやることにしました。理事になったら年に二回ぐらい温泉に行けるって聞いたんで絶対にやる!と(笑) 
アートとか本当に関係ないしアートとか興味ないんです。でも、理事はいいなって思いました。それで三ヶ月前ぐらいに代表の方がTOKYO DESIGN WEEKのいい宣伝の仕方ないですかねって相談をされてきて、だったらTOKYO DESIGN WEEKの期間がハロウィンと被るしハロウィンのゴミを集めるイベントを打つことにしましょうって話をしました。
参加する人は絶対衣装を揃えた方がいい。その人たちがゴーストバスターズのコスプレをしていて、そんな人が何百人とかいたら渋谷に遊びに来た人とかが写メ撮るので絶対話題になる。それはなんだってなればTOKYO DESIGN WEEKだということになって宣伝になるのでそれをしましょうということになった。
スタッフもそれいいですねということになってTOKYO DESIGN WEEKが本腰を入れてやり始めたら渋谷区からも話がきました。
渋谷区はハロウィンが土曜日で翌日の日曜日はゴミの回収がないので月曜日までゴミが散乱するのでぜひ協力させてくださいということになったんですが、そこから話がどんどんポンポンと進んでいってハリウッドの『ゴーストバスターズ』が今年公開三十周年ということも重なってきて。

 
碇本 それもTOKYO DESIGN WEEK側からハリウッドにお話をしてということですか?
 

西野 いや、ハリウッドの方からきたんです。厳密にいうとソニーピクチャーズが間に入っていて、そのソニーピクチャーズの人から話をいただきました。
 

碇本 今年が『ゴーストバスターズ』の公開から三十周年で、来年再始動した新作が公開されます。その宣伝にもなるのでソニーピクチャーズの方からこういうコラボはどうですかという話がTOKYO DESIGN WEEKに来たということですか?
 

西野 はい、そういうことですね。
 

碇本 『ゴーストバスターズ』の公式からもオッケーですということになりそのままそれが『渋谷ゴーストバスターズ』という流れになっていきタイミング的にちょうどいいという展開になったわけですね。
 

西野 いろいろうまいことちょうど重なったんです。
 

碇本 僕は今回の『ゴーストバスターズ』についてはおとぎ町ビエンナーレで角田プロデューサーさんとのトークイベントの時に少し早く西野さんが言われた時にはじめて聞きました。ちょうどその時に高橋源一郎さんといとうせいこうさんの戦争についての対談をネットで読みまして、高橋さんの作品にこういうものもありますよって紹介のところに『ゴーストバスターズ 冒険小説』という作品があって気になってました。
おとぎ町でトークイベントがある日も青山に行く前に渋谷の書店で数件探したんですけど全然なかったんです。それで西野さんからトークイベントの終わりに『渋谷ゴーストバスターズ』をやりますってお話を聞いて参加したいって思った帰り道に青山ブックセンターに寄ったら高橋さんの『ゴーストバスターズ』の文庫があったんです。それで僕はああ呼ばれてるんだなって勝手に思って、今回のインタビューとか『渋谷ゴーストバスターズ』について書かせていただくことはできますかって西野さんにすぐお願いをしたっていう流れがあります。『ゴーストバスターズ』という単語がキーというかなにか引っかかりました。
 

西野 ああ、その言葉がね。
 

碇本 ゴーストっておばけっていう意味だけではなく過去とかそういうイメージが僕にはあるんです。ゴーストって自分が通り過ぎてきた過去とかの足跡だったりするような。僕たちはそのゴーストとずっと一緒に生きているというイメージです。
 

西野 はあ、なるほど。
 

碇本 過去の自分の想いとか出来事や通り過ぎて行った人たちがゴーストとしてついていて、なんかが地層みたいに重なっていくというイメージもあって。
ゴーストバスターズというとゴーストを退治するっていう話じゃないですか、でも過去がないと人間は今その場所に立てないし生きていけないですよね。過去にとらわれるとがんじがらめになってしまうのでほどよく忘れたりしたほうがいいて感じもあるし。
30年経つとゴーストバスターズも時代がぐるんぐるんとしてまた新しいものになっていくのかなと思ったりするんです。ハロウィンだからゴーストでゴーストバスターズという風にポンポンポンと西野さんはうまく連想していかれたと思うんですが、今の若い世代だともうゴーストバスターズ観たこともないしたぶん知らないと思うんです。だから逆に新鮮に映るのかもしれません。


西野 そうですね、30周年だと若い子は観てないでしょうね。


碇本 僕らぐらいの世代だと金曜ロードショーとかで洋画を観てると思うんです。


西野 はいはい、やってました。


碇本 マシュマロマンってダンロップのあのキャラ?ぐらいにわからないだろうなと。若い人で参加する人は映画のゴーストバスターズってなんか知らないけど西野さんがやろうっていうなら面白そうじゃんって思っているんでしょうね。『渋谷ゴーストバスターズ』の参加人数っていったいどのくらいなのでしょうか?
 

西野 ゴーストバスターズのコスプレをして渋谷でゴミを集める人が500人で、集めたゴミでオブジェを作るのを手伝ってくれる人が100人です。
 

碇本 500人が前乗りも含めて来るってもう「村」じゃないですか。
 

西野 確かにね、そうですね〜。
 

 
<おとぎ町ビエンナーレというコミュニティとお土産>
碇本 一個の村が、おとぎ町の住人がやってきたという感じですね。おとぎ町に来ていた方がわりと参加すると思うんです。だから場所はないけど村長や町長が西野さんで住民は集まってきている感じがします。それでここでなんかやるよって言うとみんなが動く。村や町に住んでいるというよりも遊牧民が季節ごとに移動するようなものですよね。もっと規模が大きくなってくると固定するというか場所が必要になってくるっていうのがあって西野さんは今おとぎ町をどこかに作りたいと言われていて土地とかを探されているんだと思います。
おとぎ町についてのお話も聞きたいんですがこちらは今年の8月に青山にある伊藤忠アートスクエアでされていたわけですが先に今回のゴーストバスターズのほうが先にお話は進んでいたんですよね?

 
西野 裏で進んでいました。伊藤忠アートスクエアさんに今回のお話について言われたのは去年の夏ぐらいでした。

 
碇本 では、その時に来年やりませんかってお話がきて、西野さんは絵本も出されているので原画展みたいなものはどうでしょうかみたいな感じでしたか?
 

西野 伊藤忠アートスクエアさんからは個展をやってくださいと言われました。それで原画を飾ってもらえませんかという依頼でした。
でも、僕は個展とか行かないなって思って。自分が行かないものを楽しいから来てねとは言えないし嘘つくのもヤダだった。僕、個展とか本当に行かないんですよ。
 

碇本 本当に行きそうにないですよね。

 
西野 行かないですよ。でも、ビアガーデンには行くよなあと思って。ビアガーデンに絵が飾ってあったら行く、と思ったので個展を前に出すのではなくてビアガーデンだとか音楽だとか、開催していた期間中は草月ホールで『テイラー・バートン〜奪われた秘宝〜』という演劇もしていたんですけど演劇だとかいろんな理由でここにいろんな人を集めてしまおう。
それで集まったその場所に絵が飾ってあるぐらいの位置づけにすれば結果的にいろんな人に絵が見られるなって思いました。個展を前面に出すのを一回やめて「町」だって言い出したんです。

 
碇本 そのお話を聞いているとおとぎ町でも販売されていた過去に西野さんが出されていた絵本がおとぎ町のお土産という発想にも納得がいきます。
 

西野 そうです。それは岡田斗司夫さんとこの前喋っている時に腑に落ちたんですが、作品は絶対に売れないとしたほうが考えやすい。
例えばCD作っても作品は一枚も売れないという所から考えたほうが、それをどうやって売っていくかが考えやすくなっていく。作品は売れないけどトイレットペーパーは買うじゃないですか? 
お皿も電球も買うじゃないですか、必需品は買うから。作品を仕上げて最後に魔法の粉をかけてあげて作品を必需品にまでしてあげたら手に取ってもらえる。
必需品になってる作品ってなんだって思うとマーライオンの置物とかだなと浮かんできたんです。シンガポールに行ったら一応置物はいるかいらないかはさておきシンガポールに行ったという思い出は残しておきたいからお土産っていうのは思い出を買っているんだなって思ったんです。

 
碇本 記憶をなにか物体にするような感じですね。
 

西野 そう、忘れないようにね。だからやっぱり作品を届けたかったらその作品を買いたくなるような場所や体験をさせてあげることが大切なことだと考えました。
 

碇本 それはやはり体験込みじゃないとモノが売れないということですか?
 

西野 そうですね。

 
碇本 音楽のCDが売れなくなったけどライブの観客動員の数は伸びているって聞くんです。普通に考えたらライブの動員が上がっているとなると行っているライブをやっているミュージシャンの音源を聴いていると思うんですが、三十代や四十代はまだCD買ったり配信で曲を購入していても十代とか二十代になると代表曲や新曲をYouTubeで聴いてライブに行くらしいんです。その世代になるとアルバムを買ったら知らない曲があるけどこれ何ってなるらしいんですよね。

 
西野 えええええ!!

 
碇本 これまでは一曲目から十曲目までのアルバムの流れを音楽として楽しんでいました。途中でバラードがあったりとかアルバムのコンセプトを楽しんでいたのが、曲が途中でつまみ食いできるようになったり無料になるとそれが変わってきてしまった。
昔だとCDを買わせるために冒頭の一、二、三曲目にすごいいい曲とか勢いのあるシングル曲とかを持ってきていて視聴したら買おうかなって思わせる構成になっていました。でも一曲だけ聴けばいいってなると順序とかどうでもよくなってくるし、知らない曲があるとこの曲いらねえよってなるらしんです。
AKB48になると握手券のためにCDを買ってライブでやってくれるその一曲目があればいいわけですよね、そうなると握手という体験が曲よりも先にありきになります。おとぎ町でも誰かにあげようとかおとぎ町に行ったよっていう記念のために絵本をお土産として自分に買うという行為があったと思います。
絵本って物語としてもいいし、絵の可愛らしさだとか自分も欲しいけど誰かにあげたいと思えるものです。おとぎ町では中をウロウロしていたらホームレスの小谷さんに捕まって彼が主催の天才万博というフェスのチケットをiPadで出るミュージシャンのライブ映像とか見せられながらどうっすかね?ってチケットを買わされるっていうことも同時に起きていました。そういうのをビール飲みながら見ていてほんとうに町なんだなって。西野さんに会いに来て西野さんがいなくてもあんまりガッカリしないでそこで楽しんでるってすごいなって思いました。
 

西野 そうっすよね。僕がいてもほったからして向こうで飲んでましたもんね。あれはすごくいいですよね。
 

 
<「炎上リテラシー」の低さが炎上を加速させている>
碇本 西野さんがいなくても知らない人たちで飲んでました。西野さんたちがああいう空気や雰囲気を作れたということは炎上することの反対側にあるのかもしれないですよね。
炎上するっていうのはこの先、西野さんがエッセイなりなんなりを書く際にはひとつの大きなキーワードになると思うのですが、人に嫌われているとよく言われますし炎上しているというわりには西野さんを好きな人が好きな深度は深まっている気がします。
 

西野 そうなんですかねえ、どうなんだろう。僕はそうは思っていませんが世間の方が思っている炎上ってネガティブなイメージあるじゃないですか。
特に四十代から上の人って炎上していることイコール悪みたいに思っている感じがしますね。

 
碇本 火の見え方が違うんでしょうね。
 

西野 違うんですかね?

 
碇本 家が火事になって消防車が駆けつけているような炎上と、西野さんのは下手したらキャンプファイヤーをやっていてその火の周りで踊ってるぜぐらいな炎上だとしても物の見方や価値観が違うと、西野くんいつも大変だなっていうのと西野さんいつも楽しんでるなっていうぐらいの違いがあるのかもしれないです。
 

西野 そうですよね。あとこれはねえ、世間の方はこういう言葉はないのかもしれないですけど「炎上リテラシー」が低いと思うんですよ。この燃え方は火事なのかキャンプファイヤーなのか。みんな炎上すなわち火事になっちゃってる。
僕はキャンプファイヤーなんだけどなと思っていても、なんか完全に火事ってことにされて炎上してしまっている。これは火事というよりはキャンプファイヤーであって、これはそういう質問だよね?っていう。僕がこう言ったことがあなたには是が非かどうなのどうなのって言っているだけなのに。そして言ったことについて議論するのが面白いしそういうことを僕は面白がっているのにそれすらみんなわからなくなっている。
炎上している、悪だ!って言っているのが四十代より上の世代が全員とは言わないけどけっこうな割合でいて、そこの区別がついていない人が多い。


碇本 それは若い世代よりも上の世代なんですか?

 
西野 上ですね。炎上イコール悪っていうのは。

 
碇本 僕がその話を聞いて思うのは上の世代のほうが頭が固かったり、生きてきた中である程度の価値観がないと生きてこれなかったというのもあるんじゃないかなって思いました。
小説とかで話を聞きますが、終わり方がどっちにでも取れるような読者に任せますっていう答えを出さずに読者に託すというものだと怒る人がけっこういるらしいんです。
金を出したんだから答えをくださいみたいな。でも、小説って答えのないものでもあるし、人間はこんなにもどうしようもない部分があって救いがなかったりもするんだよって表現ができるメディアでもあるはずなんです。
でも、いやそうじゃない。読んだのだから答えが欲しいって言ってくるのは若い世代だって聞くんですよね。それはどうしてなんだろうなって思うと価値観がこれだけ多様になっていて本来は幾千もあるはずなのに超ヒットとその他みたいな一極集中みたいなことに実際はなってしまっていることも関係してるんだろうと。損したくないみたいな。上の世代はもともとどうなんですかね? 僕もその辺がわからなくて。
 

西野 上ってことでもないんかな、下の世代も。でも見極めが下手だなって思いますね。炎上の見極め方が下手っていうか。

 
碇本 それは西野さんぐらい炎上していて慣れていたら火の色とか高さとかわかってると思うんですけど、ただこうやって遠くから見ているだけの人にはわからないのかも。
あっ、これほんとうに熱いとか、あれこれってCGじゃんみたいなことは炎上をした経験とかがあればわかるんだと思うんです。言い方は悪いんですが遠くから燃えてるなって思ってみんなガソリンとか投げたりしてもっと炎上しろってなっていてそれを見て楽しんでいる感じもします。
炎上させたということも含めてエンタメになってしまっていて、そこには悪意しかない。ツイッターとかが今はそうなってしまっていますが安保強制採決に関してもこれはこうですねっていうと右翼からも左翼からのどっちからも攻撃されるみたいな。
「あれ? これどうなってるの?」みたいな状態になっている。インターネットでこれだけ人が繋がる時代に人を叩くという悪意しか見えなくなっているのはどういうことなんだろう。これが新しいフロンティアだったインターネットの未来だったのかと悲しい気持ちにもなります。自分が誰かよりも上だとか嫌いだから貶めるとかっていうことでしかネットで繋がっていることが見えないというのも炎上に関わっているような。
西野さんみたいに芸能人で売れていて有名で目立つ人が炎上しているってなると普通の人はあの人は有名人だから有名税だって感じでちょっとイライラしたこととかを西野さんに向けて石を投げるような感じでスッキリする。でも、普通はそれで終わるのに西野さんはそれに本気で殴り返しに行きますよね。


西野 (爆笑)

 
碇本 倍返しで思いっきりくるみたいな。そいつとしたら「あれ? こっちは一般人なのに!」って感じになってそれでそいつが殴り返されたことでさらにムカついてっていう構図ができている。
お笑いとか好きだったら西野さんにこういうフリがあるから俺がフったらこうフリ返してきて「もう西野さん(笑)」ってなればいいんです。なのにマジでフって返してきやがった、素人にボケじゃなくてフってきたよみたいな感じになってしまっている。先ほども言われましたが見極めができないのってここ何年かネットを見る限り増しているように感じます。もう少し昔はおおらかだったような。
 

西野 そうだと思います。

 
(インタビュー後編の第二回へ続く)
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20151223


↑は『水道橋博士のメルマ旬報』(https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/page.php?k=s_hakase)に掲載したものです。