Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「BOOKSTAND」で「月刊予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

Spiral Fiction Note’s 日記(2022年6月24日〜2022年7月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」


日記は上記の連載としてアップしていましたが、こちらに移動しました。一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。

「碇のむきだし」2022年07月掲載


先月の日記(5月24日から6月23日分)

6月24日

四方田犬彦著『さらば、ベイルート』の装幀と帯文に惹かれて購入。四方田犬彦さんの名前は知ってはいたが、書籍を読んだことはなかったのでこれがはじめて。
この本はノンフィクション作品であり、女性映画作家であるジョスリーン・サアブという方のことを書いている。僕はジョスリーン・サアブ監督という名前も知らなかったし、おそらく作品も観たことはないのだと思うが、なにかが「読め」と言っている気がして手に取った。

中東から西サハラヘ、さらにヴェトナムへ、瓦礫のなかで女性たちの人生を見つめ、歴史の証言者たろうとしたドキュメンタリスト、ジョスリーン・サアブ。骨髄を癌で犯され余命いくばくもない彼女から、わたしは最後の作品への協力を依頼される。それは元日本赤軍幹部・重信房子と娘メイの、母娘の絆の物語だった。だが、そんなことがはたして可能なのだろうか……。歴史は無慈悲に進行し、記憶は両手から零れ落ちる砂のように消えていく。死の直前まで彼女が見つめていたものは何だったのか? 知られざる女性映画作家の足跡をベイルートに辿り、その生涯を凝視する珠玉のノンフィクション。(河出書房新書サイトより)


引っ越し人生70年、吉祥寺に戻った四方田犬彦。ここは終の住処になるか

先月、作家の樋口毅宏さんが四方田さんにインタビューしていた記事。

古川日出男の現在地>連載ブログ第79回「満月と併走する」

古川さんイタリアから日本へ帰ってこられたみたい。30日のイベント「「ラテンアメリカ文学のブーム」の原点―マリオ・バルガス・ジョサ『街と犬たち』の魅力」モードになるには少し時間がかかるのかも、と思いつつ、僕もまだ読みかけの『街と犬たち』をまずは読み終わらないといけない。

PLANETSブロマガ連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」が公開になりました。
四年近く続いてきた連載も今回の『MIX』編で最終回となります。「前編」では、刊行中の18巻までのストーリーと登場人物たちについて取り上げています。


水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」2022年6月24日号が配信されました。今月は十八編の詩とそれぞれに自分が撮った写真をつけたものにしてみました。

 

6月25日

小川洋子堀江敏幸著『あとは切手を、一枚貼るだけ』文庫本を買っていたけど、読み始めていなかったので少し読んでみる。まずは最初の一編め。
小川さんと堀江さんがそれぞれ交互に手紙として書いたやりとりをしたというていの作品。以前、単行本で出た時に読みたいと思ったまま読んでいなかったので、文庫で出てくれてよかった。


「WDRプロジェクト」に出す脚本の参考としてクエンティン・タランティーノ監督『パルプ・フィクション』を先日観て、今日はダニー・ボイル監督『トレインスポッティング』を観た。
続きが気になる脚本ということで、書いてみようと思う登場人物たちがいる舞台がどうおもしろくなるかをこれらの作品に当てはめることはできるのかなと思いつつ。

前者は物語の中での時系列をズラしているので、中盤ぐらいから「あれ? たしかさっきこの人は?」みたいになっていく。物語のテンポが早いのとうんちくのような語りの台詞がリズムを刻んでいるところはやはり惹きつけられるし、各シークエンスごとになにかが起きているのも飽きさせないものとなっている。
後者は時系列としては普通に前に進むだけであるが、ヘロイン中毒の若者たちの怠惰的な青春と言っていいのかわからないが、転がり落ちておく人生を描いており、公開してからイギリスやアメリカ、日本でも熱狂的に支持されてヒットした作品だ。ある時期「トレスポ」のオレンジのポスターはおしゃれアイテムみたいな感じになっていたのを覚えている。
映像がスタイリッシュでスピード感があるからこそ、ヘロイン中毒の若者の怠惰がよりその時代と結びついていたのだろう。「トレスポ」の世界はただ見事にヘロイン中毒になって堕ちていく、その様子が性や暴力やスコットランドという国の雰囲気をも描いている。しかし、これは現在の世界は成り立たない物語でもあると感じる。

スマホというものが現れて以降の世界と以後の世界はやはり違う。そしてヘロイン(おおまかにドラッグというもの)のように現在では世界中でSNSがそのドラッグよりもヤバいものとして浸透している。この映画に感じるある種素直な怠惰や堕落みたいなものではなく、SNSがいろんなものを破壊して侵食しているので、観ながら少しだけのどかだなと思ってしまった。
パルプ・フィクション』と『トレインスポッティング』どちらも参考にはなりそうだが、舞台の1920年代をちょっと掘らないとまだ掴めないなあと思った。でも、この二作品ぐらいのテンポとリズムでいけたらけっこうおもしろいんじゃないかなと脳内で映像を浮かべてみる。

 

6月26日
日付が変わってもなかなか眠れずにいた。「ほぼ日イトイ新聞」で公開されていた佐久間宣行さんをゲストに迎えた『知恵と武器と感度。』を全部読んでしまった。

この中でも「09 お笑いと千利休」の話がすごく頷けるものだった。お笑いが権威化していった先にあるものとして、かつての千利休のことを引き合いにだしている。

深夜二時半ぐらいのラインが届いて、先日亡くなったコラムニストの小田嶋隆さんが以前に書いたものを再掲載した記事だった。
「晩年」という言葉から感じるものについての話から物書きとしての姿勢というか生き方について書かれており、そこに必要なものはプロの書き手であるという「覚悟」なのだと読み終わって感じた。送ってもらったお礼をしてから、ちょっと経ったら眠りに落ちていた。

 私のような職業的な書き手と彼らのようなアマチュアの凄腕に差があるのだとすれば、「職をなげうっているかどうか」だけだ。

 つまり、文章を書くことを専業として食べて行けるのかどうかは、もはや才能や筆力の問題ではないということだ。ライターとして独立できるのかどうかは、ひとえに「いま食えている仕事を投げ出すことができるのか」にかかっている。


起きると正午近くになっていた。部屋の空気はクーラーの除湿のタイマーが切れていたから、少し暖かくなっていて外はかなり暑いのだろうなと思わせるものだった。
こうやって文章を書いている時にはほぼ覚えていないが、なにか夢を見ていた気がする。おそらく自分の知り合いが出てきたような、夢だったのではないかとわずかにその切れ端を掴んでいるように思えるけど、それは千切れるのではなく風化して握っている感触としてはパサパサになって、最終的には砂みたいに分解して消えるイメージ。だからもうどういう内容で誰がでていたのかわからない。

炊飯器をセットして昼のご飯をおかずをスーパーに買いに行くついでに、その前にある区役所の出張所に選挙の期日前投票もしておこうと思って、送られてきていた投票券を持って家を出た。八月と言われても納得な熱気だった。
梅雨明けってしてないはずだが、これはなし崩しに「梅雨明けてました」とか言われそうだ。雨が降るとしてもゲリラ豪雨のようなものだと困るし、雨が降らないと降らないで農作物などいろいろと今後に影響が出てしまう。
おまけに円安で物価は上がっているのに給与は上がらずに、インボイスとか労働者からさらに搾り取ろうとしている。開催する必要のなかった東京五輪の収支なんかはしっかり出さないままで委員会は解散して、使ったお金はブラックボックスでもうわからないというか国民を誤魔化したままであいつらはオイシイところだけもらって逃げる。ただのクソだが、その構造を残念ながら変えることができない。

選挙でも政権与党に対抗する政党やそれらが一致団結しない(できない)のをいいことに、日本に住んでいる人たちがどんどん貧しくなり、無知にして逆らうこともできなくしていきたいのだろうなと思えるようなことしか今の政府はしていない、アメリカでは最高裁での中絶する権利を却下する判決が出ている。女性の身体を女性自身が決めることができない、しかも何十年も前に出された判決が覆されている。これはトランプ大統領政権下での保守化したことのひとつの結果のひとつだろうけど、これでまたアメリカでは大きな動きが出てくると思う。
日本ももうありえもしない「家父長制」的なものを復権させようとしているのが政権与党であり、彼らは確実に自分達の思うままに人を動かしたり、操るために個人の自由やその権利を保障するという法律も変えることを目標にしているのだろう。だが、それでも自民党が勝つだろうし、補完勢力でしかない公明党とその反対勢力に見せかけているだけの維新はただそれに追随しているように見える。

ただ、小田嶋隆さんのコラムに書かれていたように、「しかし、こんなバカなことが長く続くはずがない。」と思いたい。出張所に行ったら、そこでの期日前投票は7月3日からだった。一週間後だ、それでもいい。どうせ投票する先は決まっているから揺るがない。
お昼のおかずをスーパーで買って帰った。これだけ暑いと雨が降ると気持ちいいのになあ、と思うが日差しが強くなるばかりだった。その時ちょうど着ていたのはバンド「踊ってばかりの国」のNIETZSCHE(ニーチェ)のロゴが入ったバンドTシャツで、家に帰ってからその曲を聴いた。

踊ってばかりの国ニーチェ』LIVE@新木場USEN STUDIO COAST(2022.1.05)

 

6月27日
PLANETSブロマガ連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」が公開になりました。
『MIX』編「後編」で今回が最終回となります。現在における「父性」の問題として『トップガン マーヴェリック』と『カモン カモン』を引き合いにしてあだち充作品における「父性」について書きました。そして、この連載におけるテーマであった「戦後日本社会の想像力」としての「主体的に責任を取る大人になる」ことについて最後にまとめていました。
約四年近くの連載が終わりました。最初に企画書を出してみなよとお声がけしていただいた宇野常寛さんには感謝しかありません。ほんとうにありがとうございました。
また、連載の担当をしてもらった「PLANETS編集部」の菊池俊輔さん、中川大地さんにも本当にお世話になりました。いろいろとご迷惑をかけてしまった部分もありましたが、最後まで並走してもらえてうれしかったです。


今年はこの連載も終わり、数ヶ月前からいろいろなことが起こっていて、そのことについて落ち込んだり、どうしたらいいのかなと考えることが多くて、どうしても今までのモードや気分ではいられなくなっているというのがほんとうのところです。そういう時期は過ぎたんだろうなとも感じています。
たぶん、前みたいに自分の好きなものに突き進んでいったほうが僕には後々いいんだろうな。今年の下半期は来年以降のために種植えて耕す時間にしたいなと思います。

山下達郎オールナイトニッポンGOLD」をradikoで再生して仕事中にBGMとして流して聴いていた。
先日、散歩で代官山蔦屋書店に行った時に、2階の音楽フロアに山下達郎さんの新譜がCDだけではなくレコードとカセットテープといろいろなバリエーションのものが置かれていた。どんなニューアルバムなのかなと気になっていたので、ラジオを聴いてみようと思ったという、まさにプロモーションに引っかかった形だった。新譜は11年ぶり、テーマも「11年」ということもある、途中で東日本大震災の話もされていた。
世界中でのシティポップ再評価の波はいろんな要素があるけど、山下さん自身はサブスクは自分が死ぬまで解禁しないと言っていたはずで、そのせいもあってかYouTubeでは過去のアルバムとかまるごと違法アップロードされてそれが聴かれまくっている。そうやって出会う人たちもいる、でも、作り手に還元されなければジリ貧になっていく、というかもはやそうなっている。

ただ、漫画もかつては日本の作品の海賊版が国境をいとも簡単に越えていた、著者たちも出版社も知らないままに。文化は簡単に国境というラインは越えていく、そうやって何も繋がっていない、本来届かない場所にいない人たちに届いて、その遺伝子が別の進化を始めるということもある。
山下さんのパートナーである竹内まりやさんの昔の楽曲とかも今海外で聞かれているけど、それらはやっぱり前向きなことではなく、「ありえたかもしれない可能性」の消費の部分もあるし、英語圏内の曲は掘り尽くされているっていうこともあるだろうし、『ストレンジャー・シングス』シリーズもそうだけど、やっぱり1980年代から90年代というインターネット以前の世界にみんな戻ってやりなおしたいって欲望はあるんだろうなと感じるところもある。これは毎回書いていることだけど。
でも、過去に戻ってやり直せないし、ありえたかもしれないすべての可能性にコンタクトする方法はないし、あるとしたらやはり三次元よりも先の次元に行くしかないだろうし、つまり現状では想像でしかそれは叶わない。だから、輝かしい過去だけが亡霊のようにずっとくっついてくる。
山下達郎さんの音楽が、ということではなく、新譜の曲も聴いたけどやはり素晴らしいものであるのは間違いない。でも、この世界の現状としてはこうやって書いたことなんかを考えてしまう。

山下達郎「LOVE'S ON FIRE」


MV見たら出演している「Girl」役の人が河合優実さんだった。

稲垣吾郎さんがMCを務めるラジオ番組『THE TRAD』の【ENTERTAINMENT MAP】というコーナーに燃え殻さんが出演されたというのでこちらもradikoで聞いてみた。
稲垣吾郎さんと燃え殻さんは声の感じといい、話し方のテンポといい、同世代で同じものを見て影響を受けてきたということもあり、ほんとうにいいやりとりをされているなと思う。
燃え殻さんの小説『これはただの夏』映像化するなら、主人公は稲垣さんだといいんじゃないかなと思ったり。SMAPの『夜空ノムコウ』の話もよかった。

 

6月28日

起きてから渋谷までは歩いてそこから副都心線新宿三丁目まで。渋谷に行くまでは三十分ほどだが、この猛暑はやっぱりしんどい。汗だくだくとまでは行かないが、額の汗を何度か拭いながらユニクロの下の地下通路を通って副都心線乗り場へ向かう。
数年前からちょっとずつ見るようになった男性の日傘率も上がってきているように感じる。僕は持ったことはないが、雨でも傘差したくないっていうのもあるけど、生命が大事だから日傘を持つ人が増えるのはいいことだと思う。もはや僕らが幼かった頃の夏とは比べようもないほどに、日本の夏はクーラーなしだと死んでしまほどの酷暑になってしまっているからそのための対策は必要だ。僕はこまめに水分を取ることにしている。

青山真治監督『サッド ヴァケイション』 をテアトル新宿にて鑑賞。3月21日に亡くなった青山さんの代表作である『EUREKA』は先月テアトル新宿で上映された。『EUREKA』は一度も劇場で観たことはなかったのでこの間足を運んだのが初めてのスクリーンで観ることのできる機会となった。今作『サッド ヴァケイション』は2007年の公開初日にシネマライズで舞台挨拶付きを観ているので15年ぶり。

中国からの密航者を手引きする健次は、父親を亡くした少年アチュンを引き取ることに。職業を変え、アチュンや幼馴染の男の妹ユリと家族のような共同生活を送っていたある日、健次はかつて自分を捨てた母親・千代子に再会する。捨てられた恨みを果たすため、母と共に暮らし始める健次だったが……。青山真治が自身の代表作「Helpless」「EUREKA ユリイカ」に続く“北九州サーガ”の集大成として作り上げた1作。前2作と共通する人物も多数登場。(映画.comより)

サッド ヴァケイション』は『Helpless』『EUREKA』に続く「北九州サーガ」三部作目となる作品。『Helpless』から白石健次(浅野忠信)、『EUREKA』から田村梢(宮崎あおい)、三部作全てに登場するのは秋彦(斉藤陽一郎)であり、三部作を観ることでその世界観がより濃く届くものともなっている。
2007年の映画公開前に出版された小説版を読んでから、映画は観ていたはずだが、ある程度内容は朧げに覚えていたが、再見すると登場人物たちの関係性や些細なシーンは忘れていたので新鮮な気持ちで観ることができた。

白石健次という名前が小説家の中上健次からであり、彼の「紀州サーガ」からのインスパイアやオマージュとして「北九州サーガ」はあったはずだ。特に前二作では暴発的な犯罪を犯したり、それに巻き込まれた人たちの物語であったが、『サッド ヴァケイション』はかなり「血」について濃厚な物語になっており、「母性」と「父性」をめぐる内容である。
健次をかつて捨てた母、そして母の新しい家族、種違いの弟、優しい義父、義父が運営する運送会社には問題を起こしたり、どこかに居られなくなった人が集まっている。この大きな擬似家族は、偶然、健次が母を見つけたことから大きな悲劇に巻き込まれていく。
だが、その悲しい出来事すらも母は飲み込んで行ってしまう。母親役である石田えりさんの微笑みは物語に進むにつれどんどん怖くなってくる。それは「母性」であるものの、すべてを飲み込んで支配していくような黒々とした波のようであり、健次は母への復讐を果たそうとするが、それすらも彼女の胎内に戻されるかのように飲みまれてしまう。
最後の母と息子が向き合うシーンではある衝撃の真実が母から知らされ、彼が起こした復讐がとんでもないことを引き起こしてしまったことを知り、その衝撃と絶望が彼を襲うことになる。その「血」にまつわる出来事や展開はやはり中上健次作品を彷彿とさせる。

2022年の現在になって見ると、健次が面倒を見ていたユリの劇中でのこともいろいろと言われてしまうのだろうなと思う。そこには「男性性」による加害による被害を受けてしまう展開があり、昔からだが物語において「女性」が殺されたり、性的な被害にあうなどのことが脳裏によぎってしまう。だが、今作においては健次の母という「母性」が「家」を守るためにではあるが、どこか狂っているほどの力ですべてを飲み込もうとしていることもあり、単純にユリのことだけがなにか言われるということはないとは思うのだが、そういうことを言う人もいそうだなとは思った。

『EUREKA』に引き続き、『サッド ヴァケイション』でも茂雄(光石研)と秋彦(斉藤陽一郎のやりとりはおもしろくてたのしくて、声を出して笑ってしまった。あれはアドリブに見えるんだけど、どうだったんだろう。
今作において一番アットホームというか和むのが彼らのシーンだった。青山真治監督が亡くなっていなかったら、茂雄と秋彦が出るような『サッド ヴァケイション』の先の物語が撮られていたのかな。


テアトル新宿を出て、次はTOHOシネマズ新宿に行く前に「いわもとQ」によっていつものを食べる。そばを食べるのは新宿で映画を観るときにここに寄るときぐらい。


TOHOシネマズ新宿にて『メタモルフォーゼの縁側』を鑑賞。シネマイレージデイで料金も安いこともあるのか、平日の昼間だけどかなりお客さんは入っていた。『サッド ヴァケイション』『メタモルフォーゼの縁側』どちらも光石研さん出ていたのである意味で「光石研デイ」。

鶴谷香央理の漫画「メタモルフォーゼの縁側」を芦田愛菜宮本信子の共演で実写映画化し、ボーイズラブ漫画を通してつながる女子高生と老婦人の交流を描いた人間ドラマ。毎晩こっそりBL漫画を楽しんでいる17歳の女子高生・うららと、夫に先立たれ孤独に暮らす75歳の老婦人・雪。ある日、うららがアルバイトする本屋に雪がやって来る。美しい表紙にひかれてBL漫画を手に取った雪は、初めてのぞく世界に驚きつつも、男の子たちが繰り広げる恋物語に魅了される。BL漫画の話題で意気投合したうららと雪は、雪の家の縁側で一緒に漫画を読んでは語り合うようになり、立場も年齢も超えて友情を育んでいく。「8年越しの花嫁 奇跡の実話」の岡田惠和が脚本を手がけ、「青くて痛くて脆い」の狩山俊輔が監督を務めた。(映画.comより)

原作である漫画は読んだことがなく、周りで読んでいる人から評価が高かったのでおもしろいのだろうなとは思っていた。映像化で漫画を読もうか考えたがとりあえず映画を観た。
BL漫画から始まった年の離れた友人関係を描いていくのだが、好きなものを好きって言い合える友達がいたら最高だし、年齢とかそういうものが関係なくなるって話で素敵な作品だった。
作中で二人が好きな作品の展開とうららと雪の物語が時折重なり(百合的なことではないが)、うまく多層化していく。また、うららの思春期における将来への悩みなども雪との関係性、そして幼馴染とその彼女という同級生たちとの適度な距離で展開されていく。
作中のBL作品を雪がみんないい人でやさしくて見守りたくなるというふうなことを言っていたが、それはこの映画の登場人物にも言えることで、ほとんど悪意のようなものは介在しないで進んでいく。そういう意味ではファンタジーかもしれないが、観ていて心地よく優しい気持ちになれる。

ハケンアニメ!』はお仕事もので舞台がアニメ制作だったが、今作はBL漫画を軸に展開していく、どちらも観ると勇気をもらえるし、悪とか悪意というものがなく、今の時代の感じもある。
悪や悪意がないわけではなく、そういうものを物語に入れなくてもいいというか、観客や受け手がそういうものを望んでいないのかもしれない。ぺこぱの人を傷つけないお笑いみたいなものから続いているような気もする。だとしたら、この世界は悪と悪意で満ちていて、みんな創作からはそれを避けたい時代ということなのかもしれない。

 

6月29日
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2022年07月号が公開されました。7月は『リコリス・ピザ』『ソー:ラブ&サンダー』『戦争と女の顔』『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』を取り上げています。


仕事終わってからニコラでアイスコーヒーを飲んで一服。外に出ると夕方過ぎなのにうだるような暑さだった。長いこと外いたら熱中症になってしまうだろうなと思う、ほんとうに危険だ。ひさしぶりのアイスコーヒー、すっきりとして美味しかった。
その後、友人とやっているミーティングという名の作業進行確認。週に一回やることで作業を少しでも進めないといけないという気持ちを持てるのがありがたい。

 

6月30日

魚豊著『チ。-地球の運動について-』第8集(最終巻)。想いや願いが次へ次へとバトンタッチされて引き継がれていくという話でもあり、最後のページの絵ではなく文章のところで知っている名前が登場した。たぶん、この終わり方は決めていたんじゃないかなと思う。アニメ化されるということだけど、演出次第では大失敗してしまう可能性がありそうな、気がしてしまうのはなぜだろう。


安田佳澄著『フールナイト』第4巻。『フールナイト』はTBSの「金10」とかで実写化したら面白いんじゃないかな。あの頃の『ケイゾク』『I.W.G.P.』みたいな感じというか、今の若手の映像クリエイターがメインでやったらカッコよさとこの作品の核がうまく融合しそう。
4巻では貧民街的な場所が出てくるが、政治的な対立や裏で糸引いているかもしれない人物などは今の日本社会っぽいというか、フィクションに現在を落とし込んで違った世界観で物語っている、アイロニーとかぶちこむながら著者のイメージと混ざり合って力強い作品になっていっているように感じる。


16時までになんとかマリオ・バルガス・ジョサ著『街と犬たち』を解説まで読み終えてから歩いて渋谷まで、ジュンク堂書店渋谷店でちょっと涼みながら新刊を見てから、半蔵門線に乗って半蔵門駅まで。
駅からは10分ちょっとでインスティトゥト・セルバンテス東京。麹町付近ってあまり用事がないけど、何度かは近くに来たことがあるような場所だなと思った。
インスティトゥト・セルバンテス東京で『「ラテンアメリカ文学のブーム」の原点―マリオ・バルガス・ジョサ『街と犬たち』の魅力』のイベントを見る(聞く)。

1960年代、世界文学史に金字塔を打ち立てたラテンアメリカ文学のブーム、その発端となったのはマリオ・バルガス・ジョサ(1936年ペルー生まれ)の出世作『街と犬たち』(1963年刊行)の成功でした。本作の新訳刊行を記念して、ラテンアメリカ文学の愛読者として創作を続けている小説家、古川日出男さんをゲストにお迎えし、翻訳者の寺尾隆吉氏(早稲田大学教授)、文学研究者の仁平ふくみ氏(京都産業大学准教授)とともに、世界を驚愕させたラテンアメリカ文学の魅力を語ります。

https://ciudad-y-perros.peatix.com/

というものだったが、仁平さんはいらっしゃらなくて、寺尾さんと古川さんの二人でのトークイベントになった。始まる前に受付をされているスタッフさんとイベントに来ていた知り合いであろう人たちの話し声が聞こえて、スペイン語だったのかな、たぶん。その明るい声とハグとかの感じがなんとなく伝わってきて、異国ではないけど文化が違う場所なんだなあと思った。こちらがここでは基本的にはアウェイであり、マイノリティなんだなあという気持ちになった。

研究者である寺尾さんがマリオ・バルガス・ジョサ(マリオ・バルガス・リョサ)の年表を元に、リョサガブリエル・ガルシア=マルケス、フリオ・コルタサル、カルロス・フエンテス四人を挙げながら、ラテンアメリカ文学ブームの話へ。
古川さんはマリオ・バルガス・リョサはリアリズムの作家であるこということを言われていた。ガブリエル・ガルシア=マルケスやフリオ・コルタサルマジック・リアリズムで幻想的なものを描くが前者は土着的であり、後者は都市部的なもので、自分はマルケス的な土着的なものに近いし、生まれた環境など通じる部分の話をされていた。

その後、リョサマルケスを殴ったパンチ事件などの話(日本でいうところの野坂昭如大島渚を殴ったあれみたいなものだろうか)もあり、その発端というかリョサマルケスの作品を網羅して批評として書いた『神殺しの物語』についてもレクチャー、この事件以後二人は会うことはなく、リョサが『神殺しの物語』を発禁したのでほとんど読めないものとなっていたのだが、なんと寺尾さんが翻訳していて今年の10月とかに出るという話もあった。
リョサはリアリズムの作家だが、『街と犬たち』刊行時の編集者がやった宣伝(舞台となった学校で小説がたくさん燃やされたとか、実際にはなかったことを喧伝し話題にした)などは魔術的なものがあったし、作品としては現実を描いていて、幻想の方向に向かなかった。だがマルケスの『百年の孤独』について批評がしっかりできるのだからマジック・リアリズムがわからないわけではなく、資質として向いていないのでやらなかったのではないかという話も出ていた。
読者を受動的ではなく能動的な存在として信じている部分があったからこそ、『街と犬たち』では誰が何を語っているのかわかりにくく、時系列も過去から未来という当たり前の一通ではなく時間軸が混在しているなど、読み手としては脱落してしまう人も多いだろうが、喰らいついてくれば血肉になる作品となっている。その辺りは終始作家として変わらなかったし、処女作からそうだったという話は興味深かった。

古川さんはマルケスたちマジック・リアリズムの書き手の方、幻想的な資質にある人なので、『おおきな森』ではマルケスコルタサルボルヘスたちが出てくるというのはある種納得であり、その話やラテンアメリカ文学の始点でもあるウィリアム・フォークナーの話も最初にのちほどしたいと言っていたけど、時間がなくてその話題がお二人でされなかったのでそこも聞きたかった。終わってから古川さんにご挨拶した。次にお会いできるのはしばらく先になりそうだが、これをきっかけでリョサの作品も読めたのでよかった。

STUTS - 夜を使いはたして / Yoru Wo Tsukaihatashite feat. PUNPEE "90 Degrees" LIVE at USEN STUDIO COAST


上半期が終わった。下半期への想いとかのマイテーマソングという感じがこの曲には感じている。

 

7月1日

スラヴォイ・ジジェク著『分断された天 スラヴォイ・ジジェク社会批評集』は下記のTwitterでの動画を見て、「ジジェク」って名前は聞いたことあったけど、こんな人なんだって思って興味がわいた。どういうものを書いているのか読んでみたいと思って、名前で検索したら先月の下旬に新刊が出たばかりだったので購入をした。


twililight(トワイライライト)で月も変わったので上巻だけ買ったままで下巻を買っていなかったトマス・ピンチョン著『メイスン&ディクソン』下巻を買って一緒にアイスコーヒーを。今はオカヤイヅミさんの展示が始まっているので鑑賞。オカヤさんの漫画『ものするひと』がとても好きで、そこからインスタなどフォローしていたので生の原画を見れてうれしい。

今、ひとつの時代が終わろうとしていることを実感する2人の“龍”。が、その実像が不鮮明なのはなぜか。そこで、この疑問を気になる6人の論客(吉本隆明河合雅雄浅田彰柄谷行人蓮実重彦山口昌男)にぶつけてみた。現代思想の核心に迫る磁場・サロン「進化のカフェ」で白熱鼎談の幕がおとされた。

アイスコーヒーを飲みながら店内の本を見ている時に目が合ったのが古本コーナーにあった村上龍坂本龍一著『EV.Cafe 超進化論』だったので、こちらも購入。単行本としては1985年に出版されたもののようだった。


シネクイントで前からたのしみにしていたポール・トーマス・アンダーソン監督『リコリス・ピザ』を鑑賞。

マグノリア」でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したほか、カンヌ、ベネチア、ベルリンの世界3大映画祭の全てで監督賞を受賞しているポール・トーマス・アンダーソン監督が、自身の出世作ブギーナイツ」と同じ1970年代のアメリカ、サンフェルナンド・バレーを舞台に描いた青春物語。主人公となるアラナとゲイリーの恋模様を描く。サンフェルナンド・バレー出身の3人姉妹バンド「HAIM(ハイム)」のアラナ・ハイムがアラナ役を務め、長編映画に初主演。また、アンダーソン監督がデビュー作の「ハードエイト」から「ブギーナイツ」「マグノリア」「パンチドランク・ラブ」など多くの作品でタッグを組んだ故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子クーパー・ホフマンが、ゲイリー役を務めて映画初出演で初主演を飾っている。主演の2人のほか、ショーン・ペンブラッドリー・クーパーベニー・サフディらが出演。音楽は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」以降のポール・トーマス・アンダーソン作品すべてを手がけている、「レディオヘッド」のジョニー・グリーンウッドが担当。2022年・第94回アカデミー賞で作品、監督、脚本の3部門にノミネート。(映画.comより)

予告編を何度か見ているけど、おしゃれな感じもありつつ、王道の青春映画みたいな雰囲気があって、本編はどういう感じなのだろうかと期待していた。主人公のゲイリーとヒロインのアラナは年が十歳近く離れている設定なのだが、最初に二人が出会ってゲイリーがどんどん積極的にアラナに話しかけることで物語が始まっていく。その後は恋愛というよりはビジネスパートナー的な関係もありつつ、という流れなのだが、どうも二人に感情移入ができなかった。
子役出身で野心家でビジネスも手がけていく「恐るべき子供」とでも言えそうなゲイリーに共感しないだけではなく、彼の葛藤とか苦悩が特に感じられない、感じられなかったせいか、相手のアラナは家族関係での問題や将来に対しての悩みなんかはあるのだけど、ノレなかった。
期待しすぎっていうのはあったとしても、この二人のビジュアルにそこまで惹かれていないというのもあったのかもしれない。この二人が一緒にいても恋愛や青春を僕がうまく感受できなかったんだと思う。途中で出てくるショーン・ペンブラッドリー・クーパーのシークエンスっているかなって思ったり、アラナがトラック運転するシーンはよかったけど。物語自体はちゃんと想いが伝わる感じで終わったけど、観ていて特に感動もなく。単純にポール・トーマス・アンダーソン監督と僕の相性が悪いのかもしれない。
個人的にはビジュアルとか音楽はよくて実際に観たらおもしろくなったパターン。

 

7月2日

田島昭宇 装画展『夢限パヤパヤ』サイン会 @ 吉祥寺リベストギャラリー創

田島さんが描かれてきた小説の装画の展示は6月30日〜7月12日まで開催。サイン会は抽選だったけど、今回も当たったのでラッキーということで17時からの回だったので15時半前に家を出て下北沢駅から井の頭線に乗って吉祥寺駅へ。リベストギャラリー創というところには来たことはなかったけど、地図アプリ見ながら歩いたら北口の商店街のアーケードを抜けた先にあって思いのほか駅から近かった。
17時少し前にギャラリー近くに行ったら、タバコを吸っている田島さんをお見かけしたのでご挨拶して少し立ち話をさせてもらった。かなりお久しぶりだったけど、お元気そうだった。その後、中に入って今回の画集を購入してサインをしてもらう。浮花さんもいらしたのでお話をさせてもらった。展示も充分見ることができて、サイン会が終わったあとにお声がけしてもらっていたのでギャラリー内でいただいた缶ビールを飲みながら談笑。田島さんともお酒を飲みながら色々話をさせてもらって大満足。
古川日出男著『サウンドトラック』文庫版の装画も初めて生で見れて嬉しかった。ちょうど午前中に先日の「ラテンアメリカ文学」のイベントのことでメールしていたものに、古川さんがメールを返してくださっていたので、そういう自分が好きで影響受けている人とやりとりが同じ日に出ているのはとても光栄だし、嬉しいことだなって思った。


KADOKAWAから出ている「山田風太郎ベストコレクション」の文庫本の装画を田島さんが手がけられていて、何冊か読んでいるんだけど、原画を見ると全部集めておきたいなって思う。三月に亡くなった青山真治監督の『Helpless』『地球の上でビザもなく』の原画もあり、書籍では色がついていたが、原画はモノクロのものだった。


サイン会が終わって家に帰ってから、ポストカードのランダム封入(六枚入り)のものを開けた。『サウンドトラック』の上巻のものも入っていた。久しぶりに『サウンドトラック』を読もうかな、と文庫版を本棚から取り出した。

 

7月3日
来週の日曜日、10日が参議院選の投票日だが早めに期日前投票をしに行く。候補者と政党名を書いて投票。候補者は前から決めていたので問題はなく、比例の政党は誰を当選させたいかと考えて党名を書いて投票した。
実家に送る書類があったのでそのまま世田谷郵便局まで歩いていって投函。帰りに肉のハナマサによってあとは焼くのみのバラ肉と鶏肉を購入したが、量がかなりあるので何日かもちそう。

トワイライライトで買った村上龍坂本龍一著『EV.Cafe 超進化論』文庫版をちょこちょこ読んでいる。単行本は1985年刊行らしく、今ならところどころアウトだろうと思わなくもない部分もあるが、この時期は村上龍さんが『愛と幻想のファシズム』執筆中みたいで「狩り」や「経済」の話は前のめりな感じ。
猿と人の違いとかから動物はインセスト・タブーを犯さないって話があって、人間も親しくなりすぎるとセックスしなくなる、性衝動が起こりにくくなるって話をしている。だから、不倫したり浮気するんだろうなあ、と思うんだけどそれも続けばまたセックスレスになるという繰り返しが起きるよね、とか思ったり。
あと幼なじみと幼少期からの付き合いあっても親しいから性的衝動は起こりにくいってことがあるはずで、思春期があるからトリガーが引かれるってこともあるのかな。あるいは親しいから性衝動が起こりにくくなるはずの人たちが恋をしたり、結ばれるというのはある種のインセスト・タブーだから、受け手は無意識にタブーを破ることを期待してるところはあるのかもしれない。
父性がなくなっていく、母性的なものに飲み込まれて父性が完全に没落していくということを紀州サーガ(『枯木灘』以降)で中上健次が当時書いていて、それはどん詰まりだからある程度したらその先に向かうはずだと期待しているのに、下の世代の糸井重里さんや高橋源一郎さんをまったく認めてない村上龍っていうのもおもしろい。

 

7月4日

雨が降ったおかげで少しは外を歩くのが楽に感じた。気温自体は高いが日差しが弱いとだいぶ感覚が違う。スーパーに買い物に行ったついでに下旬にある著者による朗読会を申し込んだので、佐藤究著『爆発処理班の遭遇したスピン』を購入。直木賞受賞作『テスカトリポカ』も凄まじかったのも印象に残っているが、今作は短編集。

爆発物処理班の遭遇したスピン…鹿児島県の小学校に、爆破予告が入る。急行した爆発物処理班の駒沢と宇原が目にしたのは黒い箱。処理を無事終えたと安心した刹那、爆発が起き駒沢は大けがを負ってしまう。事態の収拾もつかぬまま、今度は、鹿児島市の繁華街にあるホテルで酸素カプセルにも爆弾を設置したとの連絡が入った。カプセルの中には睡眠中の官僚がいて、カバーを開ければ即爆発するという。さらに同時刻、全く同じ爆弾が沖縄の米軍基地にも仕掛けられていることが判明。事件のカギとなるのは量子力学!?
他に、日本推理作家協会賞短編部門候補「くぎ」、「ジェリーウォーカー」「シヴィル・ライツ」「猿人マグラ」「スマイルヘッズ」「ボイルド・オクトパス」「九三式」を収録。(講談社サイトより)


昨日実家に送った書類が早くも届いたようで電話がかかってきた。東京から岡山まで一日もかからずに届いたことになるのだが、そんなに早かったっけな? レターパックだから早いってことなのだろうか。
調べていることで父に聞きたいことがあったので、質問を書いたプリントを送っていた。たしかにそれにボールペンとかで質問の答えを書くのは大変だろうし、五十年近く前のことなので覚えているかも疑問だったが、協力してくれると連絡の電話の時に言ってくれた。
久しぶりに電話でかなり長く話したが、声は元気そうだった。文章に残したいので書いて送り直してもらったものを僕が文字起こしする。ある程度は電話で聞いたりはしたが、メモも取れなかったので、やはり書いてもらわないと詳細はわからない。
一応ファミリーヒストリー的なものにもなるので、祖母の話も入るし、父のことも書ければこの百年ぐらいの我が家というか、祖母の血筋の物語が書き留めることができるんじゃないかなって思う。

 

7月5日

古川日出男さんが毎月寄稿している《考えるノート》の第5回「戦場でのおびただしい〈死〉の報に触れながら 戦争と平和、非日常と日常、善と悪――翻弄されることで見える何か」で取り上げられていて、公開されたら観に行こうと思っていたフランチシェク・ヴラーチル監『マルケータ・ラザロヴァー』を渋谷のイメージフォーラムにて鑑賞。

チェコ・ヌーベルバーグの巨匠フランチシェク・ブラーチルが、ブラジスラフ・バンチュラの同名小説を映画化。13世紀のボヘミア王国を舞台に、宗教と部族間の抗争に翻弄される少女の数奇な運命を壮大なスケールで描く。修道女になるはずだった少女マルケータは、領主の父ラザルと敵対関係にある盗賊騎士コズリークの息子ミコラーシュと恋に落ちる。しかし、両氏族間の争いはますます激化していき……。後に「アマデウス」でアカデミー衣装デザイン賞を受賞するテオドール・ピステックが美術・衣装、ヤン・シュバンクマイエル監督作などを手がけるズデニェク・リシュカが音楽を担当。中世を忠実に再現するため、衣装や武器などの小道具を当時と同じ素材・方法で作成し、極寒の山奥で当時と同じように暮らしながら548日間にもわたる撮影を敢行した。日本では2022年に劇場初公開。(映画.comより)

中世を描いた作品であり、ボヘミア王国を舞台にしているが、軸としてはキリスト教があり、登場人物たちは神を信じているかいないかという違いでわけられているようにも思えた。また、荘厳さと野蛮さが同時に描かれている作品であり、モノクロだからこそより崇高さも感じるものとなっていた。
語り部が一応いるし(徐々に存在感はなくなって薄れるが、修道士のベルナルドだったのかな。だとすると劇中には後半は色々出てくるが語り部としてはその代わりに薄れたってことかな)、章ごとだったり場面展開や状況が変わる前に字幕で説明があり、その後にどういうことが起きるかが簡単に示される。

舞台っぽさもあるし、聖書に書かれていることを反映したような雰囲気もある。中世のことやボヘミア王国に関してほとんど知らないので、どのくらい当時を再現できているのか、時代考証などが忠実かはわからないが、シーンや登場人物たちが映る画が魅力的だし、セリフや音楽のリズムもどこかクラシックさを感じさせ、これを作ろうとした監督の意欲とある種の狂気を感じる。どこか逸脱しているものが画面に浮かび出ている。

ロハーチェック家は父のコズリークが異教徒であり、野蛮さと暴力性の権化というか象徴になっている。息子のミコラーシュはマルケータを拉致して陵辱するが、次第に大切に思うようになっていく。もう一人の息子のアダムは片腕がないのだが、妹のアレクサンドラと寝たこと(近親相姦)がバレて父に左腕を切り落とされている。ここではインセスト・タブーが起きている。その妹であるアレクサンドラは兄と寝ていたが、捕虜として連れてこられた伯爵の息子で次期へナウの司教となるクリスティアンと恋に落ちる。そして彼の子供を身籠ることになる。
そう考えるとアレクサンドラは敬虔なクリスチャンであるマルケータとは対照的な女性として描かれているようにも思える。だが、終盤にアレクサンドラは発狂したクリスティアンを殺し、捕らえられるが、マルケータはミコラーシュを失うが子供を宿して物語は終わる。そして最後の字幕によるモノローグはちょっとだけ『チ。-地球の運動について-』に似た終わり方をしていた。物語はここで終わるが、次世代になにかが引き継がれていくという感じである種のオープンエンドさも感じさせる。

映画の公式サイトには古川さんもコメントを寄せられているが、なにも調べずに観るとところどころわからない部分があるし、あとから登場人物の説明など読んで理解できた部分もあるが、「未知の世界」に入っていく(魅入られていく)体験ができる作品である。
狼や馬や鳥やネズミや動物たちもたくさん出てくるし、当時の近代化されていない自然と共にある中世の匂いがするかのようだった。約三時間の上映時間だが、長く感じないわけではないが短くもなく、このくらいの時間をかけないと描けない世界観なんだなってわかるものだった。

 

7月6日

ちょっと空いた時間にニコラに行っていちじくとマスカルポーネのタルト、コーヒーは庄野さんがちょっとだけおまけで送ってくれたというウガンダというもの。スッと入ってくるけどそのあとに濃さがくるという味だった。

ニコラのカウンター友達というか知り合いの竜樹さんが劇中音楽を担当していますとツイートしてたMBS制作のドラマ『ロマンス暴風域』。監督のひとりが『猿楽町で会いましょう』の児山隆さんで、映画の劇中音楽も竜樹さんが担当していたから、その流れなのかな。第一話をTVerで鑑賞する。最後に次週へのいい引っ張りのセリフがあった。主演の渡辺大地さんは文化系さがあるので、こういう役は抜群に合う感じがする。



コーヒー飲んだあとに本屋によってジャンプコミックス松本直也著『怪獣8号』七巻、馬上鷹将作画&末永裕樹原作『あかね噺』一巻、藤本タツキ著『さよなら絵梨』を三冊購入。『さよなら絵梨』はジャンプ+で公開されている時に読んでいるが、コミックになってなにか変わっているのかなと思った。『怪獣8号』は一巻から読んでいるのでたのしみ。
『あかね噺』は落語ものということでちょっと気になっていた作品。これはアニメ化と実写化するだろうな、落語家となるあかねをちょいと前なら広瀬すず辺りが適任な気もするが、今なら誰だろう。宮藤官九郎脚本『タイガー&ドラゴン』が作った流れが今に続いているわけだけど(その始まりは高田文夫さんだった)、『あかね噺』がメディアミックスで映像化したら、新しい流れがまた生まれそう。

19 時前に実家からの荷物が届く。その中に父に頼んでいた質問の回答を書いてくれたものも入っていた。父の実筆を見るのはだいぶ久しぶりだなと思う。

 

7月7日
今年になってから特に初生雛鑑別師の大伯父の新市さんのことをちゃんと書かないといけないなと思うようになった。四年近く続いた「あだち充論」の連載も終わったし、今年は他にも自分が関わってきたものや人たちが大きな変化を迎えていて、いろいろと終わっていく(いやでも関係性や状況が変わっていく)時期というか一年なんだなって思うことしか今のところ起きていないからなのだが。
それで新市さんのことはノンフィクションの新人賞に出そうとまた調べ直そうと思った。二十代前半の頃に大伯父がいた北アイルランドに遊びに行った父へ当時のことや彼にとっては伯父である新市さんはどんな人だったのかと聞こうと、質問を書いたプリントを送った。父はメールとかできないし、PCも使えないので直筆で書いてもらうしかなかった。
コロナ前に実家に帰った際にも色々聞いてはいた。高校を出た後は大阪の大阪ダイヤに就職して、ザ・フォーク・クルセダーズのコンサートに行っていたとか、ヨーデルが好きだというのでスマホYouTubeからヨーデルの曲を流して聞かせたらかなり嬉しそうにしていた。

父は登山をしていて、アルプスに行きたかったのでソ連からウィーンに行って、山歩きをしてから北アイルランドの伯父さんのところに三ヶ月ぐらいいたと昔は言っていた。
五木寛之さんの『青年は荒野を目指す』の影響をドンピシャ受けた世代だから、それでソ連を経由したと言っていた。てっきりシベリア鉄道に乗ってヨーロッパに行ったかと思ったら、2回ジェット機に乗り換えてウィーンに行くパックだったと言われた。パックかよ、シベリア鉄道乗ってねえのかなとは思った。
コロナ前の時に聞いたら小田実さんの『何でも見てやろう』の影響だとも言っていた。今回は書類を送った時に電話ではやっぱり『青年は荒野を目指す』の影響って言っていたから、結局その二つが彼らの戦後生まれ(父はビートたけしさんと同学年)のバイブルだったんだろう。
Peter, Paul and Maryは昔来日コンサートに行ったら、レコードのバージョンじゃない違うアレンジで歌ったのがすごく嫌だったみたいで金返せと思ったって言っていたのが僕の記憶に残っている。実家にはPeter, Paul and Maryとか昔のヨーデルのレコードが帯とかついたままのかなりの美品で残っている。僕らが生まれてからはレコードとか聴いてなかったから、そのままだったのだろう。

父が質問に答えてくれたものを送り返してくれたが、新市さんについて知らなかったこともわかったけど、行った際に養鶏場は手伝っていなかったらしく、詳しくは知らないしわからないと書いてあった。庭の芝刈りとかはしていたようだ。
新市さんと共にマン島に収容されて日本に帰ってこなかった伊藤さんという人のことはちょっと書かれていた。彼ら二人については戦前の仲間だった方が戦後しばらく経ってから、伊藤さんが亡くなったあとに北アイルランドに行って、一人残っている新市さんに日本に帰ってこいと会いに行った時のことが書かれている資料がある。そこで書かれている二人の人間性みたいなものは父が書いているものとほとんど同じなので、そこは間違いがないのだろうとわかった。

昔のことは当人か近くにいた人が何かに書き記して、さらにそれが時代を経ても残っていなければ実際のところや詳細はわからない。ある程度の資料とか証言とかでなんとなく見えてくる全体像を掴んだり、一部だけわかっていることから広げていって、そこからほかの細部をイメージして事実と照らし合わせて拡大させていく。
パズルの破片を自分で作ってははめていき、なんとかひとつの像が見えるようにする。だから、そこはノンフィクションといえど、ミッシングリングみたいに至る所が失われているから創造的な部分が大きい。想像力で補える部分とそうではない部分があるし、事実は歪めてもいけない。
新市さんと伊藤さんが日本に帰らなかった理由に関しては、資料と我が家の話からひとつの予想ができている。だが、それが事実だとすると傷つく人もいるだろうなと思う。その辺りのことも考えないといけない。

去年の夏に「週刊ポスト」の連載が終わって、原稿料もよかったからダメージ大なんだけど、春先にその連載を振ってくれた副編集長の人と近所でばったり会った。その日に調べ物をしていたら、「小学館ノンフィクション大賞」って主催が「週刊ポスト」と「女性セブン」だって気づいて、ああ、これは去年の夏以降にもらっていなかった原稿料を取りに行く感じでやったほうがいいなって思った。
ノンフィクションの賞だと「開高健ノンフィクション賞」もあるんだけど、それは集英社だし、集英社は馴染みがないし縁もない。だから、小学館のほうで引っ掛かれば、小学館で漫画を引っ張ってきてくれた漫画家のあだち充さんについて書いてきた「あだち充論」も多少考えてくれそうだよねって浅はかな気持ちもある。
今年の夏は「小学館ノンフィクション大賞」と「メフィスト賞」のふたつを書き切って応募する。結果はどちらも今年中には出る。
三月に四十になった途端、今までの足場がどんどん崩れていっていくのを見たので、結局新しいことは始めないといけないタイミングなんだなって思った。僕がうまくやれてるのって損得とか考えない時だし、自分が好きなものに突き進んでいってちょっと客観視ができないぐらいがちょうどいい。




友達とランチの予定を入れていたがお子さんが発熱したとのこと延期になったので、なにか映画を観ようかなって思ってちょっと気になっていたヨアキム・トリアー監督『わたしは最悪。』をル・シネマにて鑑賞。木曜日はBunkamuraサイトの会員だと1200円とお得な日だった。

「母の残像」「テルマ」などで注目されるデンマークヨアキム・トリアー監督が手がけ、2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で女優賞を受賞、2022年・第94回アカデミー賞では国際長編映画賞と脚本賞の2部門にノミネートされた異色の恋愛ドラマ。30歳という節目を迎えたユリヤ。これまでもいくつもの才能を無駄にしてきた彼女は、いまだ人生の方向性が定まらずにいた。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、最近しきりに身を固めたがっている。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、そこで若く魅力的なアイヴィンに出会う。ほどなくしてアクセルと別れ、新しい恋愛に身をゆだねたユリヤは、そこに人生の新たな展望を見いだそうとするが……。トリアー監督の「オスロ、8月31日」などに出演してきたレナーテ・レインスベがユリヤ役を演じ、カンヌ映画祭で女優賞を受賞。(映画.comより)

なんというか「R-18文学賞」受賞作家が「小説新潮」じゃなく「小説現代」で発表した長編小説みたいだなあ、と思った。他の人には違うと言われるかもしれないけど。
近年の様々な問題(30代になった女性の妊娠や女性の性の話、恋愛格差や親子問題、文化的な背景やそれで議論になる男性による女性への敵意や差別など)が章仕立てでフェミニズムを軸にうまく描かれていた。こういう問題における浸透率と理解度に関して日本は諸外国よりも数段遅れているんだろうな。

悪くはないけど、めっちゃよかったかと言われると難しい。ただ、物語の終盤における主人公のユリヤの元恋人のアクセルとのやりとりなんかも今までだったら男性視点で描かれていたものが多いから、その元恋人も女性だったし、ある病気で死期が近づいているとか御涙頂戴みたいな展開になって、その恋人が亡くなって男の主人公は成長していくみたいな、女性を犠牲にすることで成立していた部分があったと思う。今回はそのアクセルの病気はお涙頂戴みたいなには描かれてはいないようにも思えたので好感が持てた。
主人公のユリヤはいい人でもなく悪い人でもなく、自分の欲望に忠実な、素直な女性でそこは共感できるし、それがリアルなんだと思う。あとヨガにハマった女性と付き合っていた男性はちょっとエコな発想になるけど、同じようなヨガにハマる女性とは付き合わないっていうのは世界中で起きてる一種の「あるある」なんじゃないかな。

劇場内で始まる前に書店で買っていた「群像」の掲載されていた燃え殻さんのエッセイを読んでいた。終わってからトイレに行って廊下に出たら、燃え殻さんとばったりすれ違ったので、後ろ姿に声かけたら驚かせてしまった。申し訳ないと思いながら、帰りのエレベーターの中でエッセイを読んだことを伝え忘れたことを思い出した。

 

7月8日
タイカ・ワイティティ監督『ソー︰ラブ&サンダー』をTOHOシネマズ日比谷のIMAX3Dにて鑑賞。3Dはいらなかったというか特にその意味は感じなかった。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』メンバーが出るのが楽しみだったが、ほぼ序盤のみでしか登場はしなかったのが残念、シリーズ「3」めっちゃ楽しみにしてる。
タイカ・ワイティティ監督らしいというか、子供たちの扱い方とかはやっぱり『ジョジョ・ラビット』作るような人だよなって感じた。ヒューマニティーとユーモアのある人がヒーローものを作るとこうなるのだろう。過去作の「ソー」シリーズを観ていないから初期からそうなのかはわからないのだけど。

クリス・ヘムズワース演じる雷神ソーの活躍を描いた、マーベル・シネマティック・ユニバースMCU)の「マイティ・ソー」シリーズ第4作。「アベンジャーズ エンドゲーム」後の世界を舞台に、「神殺し」の異名を持つ悪役ゴアとの戦いを描く。サノスとの激闘の後、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々とともに宇宙へ旅立ったソー。これまでの道のりで多くの大切な人々を失った彼は、いつしか戦いを避けるようになり、自分とは何者かを見つめ直す日々を送っていた。そんなソーの前に、神々のせん滅をもくろむ最悪の敵、神殺しのゴアが出現。ソーやアスガルドの新たな王となったヴァルキリーは、ゴアを相手に苦戦を強いられる。そこへソーの元恋人ジェーンが、ソーのコスチュームを身にまとい、選ばれた者しか振るうことができないムジョルニアを手に取り現れる。ジェーンに対していまだ未練を抱いていたソーは、浮き立つ気持ちを抑えながら、新たな「マイティ・ソー」となったジェーンとタッグを組み、ゴアに立ち向かうことになる。前作「マイティ・ソー バトルロイヤル」から引き続きタイカ・ワイティティがメガホンをとり、主演のへムズワースやヴァルキリー役のテッサ・トンプソンらが続投。ジェーン役のナタリー・ポートマンが、シリーズ第2作「マイティ・ソー ダーク・ワールド」以来、およそ9年ぶりに本格的にMCU作品に復帰した。ゴアを演じるクリスチャン・ベールや、ラッセル・クロウといった豪華キャストも新たに参戦。(映画.comより)

今作を観終わって印象的だったのは、今年日本で公開されたマイク・ミルズ監督『カモン カモン』と26年ぶりの新作で世界中でヒットを飛ばした『トップガン マーヴェリック』と実は同じテーマや描こうとしている部分があったことだった。
現在の世界における「家父長制」の崩壊と「父性」の問題。先進国では特に顕著であり、実社会に大きな影響を与えている事柄だ。
今の映画ではかつての男女が恋をして結ばれるという王道な「ラブロマンス」が成り立たない、あるいは大きな共感やヒットには結びつかなくなっている。価値観や多様性の転換期の最中なのだから、今までの王道はもう王道ではなくなっている。
今作では男女の「ソー」が活躍し、恋愛的な部分も描かれている。しかし、最後まで観ると描かれたものは現在のアメリカが抱えている「父性」を巡る問題だった。

あだち充論」の最終回の『MIX』編で『カモン カモン』と『トップガン マーヴェリック』の二作品を取り上げた。『カモン カモン』は主人公の叔父と甥っ子、『トップガン マーヴェリック』は主人公とその親友の息子、という風に子を持たないまま、ある年齢を越えた男性の登場人物たちが擬似家族というよりも、擬似父息子の関係を得て「父性」を身につけたり、息子世代との交流でなれなかった(あるいはならなかった)「大人」へと成長していく物語でもあった。
『ソー︰ラブ&サンダー』は約二時間の笑えるポップコーンムービーであり、MCUの最新作であるものの、やはりマーベルはその辺りをしっかり物語に入れてきている。
たぶん、それはタイカ・ワイティティ監督の資質もあるのだろうが世界中でヒットするエンタメを創出しながらも、時代の中で変わっていく価値観や多様性をしっかり取り入れようとするマーベルのブランド力とその影響力がわかっているからこそ、の部分だろう。

この三作品では、主人公は白人男性(ソーは神だけどさ)であり、子のいない男たちの「父性」のありかたやその発芽をどう描いていくのかという共通点があるが、それはトランプ政権誕生以後のアメリカ社会におけるプアホワイトたちのアイデンティティとも当然関わっているし、オルタナ右翼へと繋がっていったからこそ、今描かなければいけない問題だということ。そのことは日本では起きていないというわけではなく、僕たちが見てきたネトウヨや差別主義者なんかになってしまう人たちの根底にあるものと重なっている。
自分のアイデンティティを国家や政権や宗教に託すなよ、くそダサいなとは思うけど、不安な時代になにもなくてなにも誇れない自分を国家やそういうもので重ねることでなんとか自分を保とうとする人がいるのもわからなくはない。
9.11以後の『ダークナイト』や『仮面ライダー龍騎』みたいに正義とはなにか?とヒーロー作品がヒーロー自身と世界に問いかけたように、今アメリカも日本などの戦後に先進国だった国々では「父性」をどう描くかが大事なテーマになってきていると思う。

昼前に安倍元首相が銃撃を受けて心肺停止というニュースを見る。その後も仕事用のノートパソコンで作業をしながら、自分のPCでTwitterなどを開いて流れてくる情報を見ていた。
今回のテロだと言っていいはずだが、それを見ているとオウムのテロを起こした死刑囚たちを死刑にしたことを思い出した。殺してしまったら事件の真相はわからなくなってしまうということを僕たちは知っているはずなのに。安倍晋三は語らなければ、話さないといけないことがたくさんあるから。
教育と民主主義をきちんとしないと言葉で語れないし、通じないとテロリズムに走る世界なんか間違ってるし絶対にダメだ。

今回のテロのことで古川さんの小説『曼荼羅華X』のことも浮かんできた。東日本大震災もいとも簡単に風化して東京オリンピックも復興五輪なんて嘘のまま開催された。そして、東日本大震災の風化の早さ、そしてオウムというテロを犯してしまった集団たちのことを風化させてしまったことについて、近い世代でリアルタイムで見ていた古川さんは書かなければならないと決めて、『曼荼羅華X』を書いた。僕はそのことを知っている。


古川日出男の現在地>第80回「この「時代」というもの」

私はいま、この「現在地」を今日綴るのはいやだと感じている。ほんの1時間前にその号外のニュースを受信して、だからいやだなと感じている。しかし書いてみる。私の雑誌連載中の小説『の、すべて』は、前回のエンディング部分で、著名な政治家がテロに遭うというシーンを書いた。その詳細を、物語はこれから描出するはずだった。けれども、今日、元日本国首相が銃撃テロに遭って、その死去の報を(号外として)受けたばかりの私は、いったい何をしていいのかわからない。

古川さんのブログが更新されていた。前号の『群像』に掲載された『の、すべて』のラストを読んでいて、次回は時代がたぶん現在に近づくと思っていた。そして今号を昨日買って読んでいた。だからこの第80回にも書かれているけど、前号のラストと今日の事件のことが重なった。
僕は安倍元首相への銃撃事件で古川さんの『曼荼羅華X』と現在連載中の『の、すべて』のことを思い出していて、仕事もうまく集中できなかった。


夕方すぎてニコラに行ってアアルトコーヒーとベイクドチーズケーキをいただいて一服して、カウンターで今日のことを話す。話すことが大事だったし、誰かがいる場所にいたかった。

 

7月9日

七日に『の、すべて』第7回を読んでいた。昨日の安倍元首相殺人事件で『曼荼羅華X』とこの作品のことが浮かんできたから、今日前回の第6回と第7回を読み返した。
政治家へのテロと宗教団体が背景にあるという部分でまさに予言的な部分がある。古川さんが「この「時代」というもの」で書かれていることがさらに身に染みるというかよくわかるものだった。

「今からでも乙武洋匡を(消去法で)当選させなければいけない3つの理由」

僕はすでに期日前投票していたが、宇野常寛さんの書かれていることに概ね同意だった。もちろん、個人的には考えの違う部分もある。
ここで書かれている「山本太郎」氏と「れいわ新選組」に関しては、宇野さんのように僕は東北出身者ではないがノンフィクション作品『ゼロエフ』の取材を手伝った者として、震災後に何度か福島県に行った者としても彼のことは信用していない、「日本維新の会」と「れいわ新選組」の関係性はどこかある種の同族嫌悪的なものも感じてしまう。
ネーミングセンスとして「維新」とか「新選組」と党名につけることがそもそも僕には理解できないし、小泉純一郎元首相が「自民党をぶっ壊す」と言って、日本を破壊してしまったあやうさに近いものがあるとずっと感じている。ようするに危なっかしいし、過信しているように思ってしまう。
自分が知っている人がそこから出馬しても僕が応援できなかったのは、代表が山本太郎であること、そのやりかた(国会ルールをハックしたこと)に賛同できないし、危険だとしか思えなかったからだ。
僕が「水道橋博士のメルマ旬報」で何年も前に書いていた小説は正直に言えば、大塚英志原作漫画『東京ミカエル』の設定をパクった(『東京ミカエル』も大江健三郎著『芽むしり仔撃ち』のオマージュというか子供たちが閉じ込められるという設定を使っている)もので、17歳になる前の少女たちが気がつくと壁に囲まれた閉鎖された渋谷にいて、それぞれが特殊な戦闘能力を与えられて、殺し合いながらなんとか17歳になるまで生き延びる(それが大人への通過儀礼)という話だった。その時に、僕は山本太郎をイメージした元俳優の政治家が総理大臣になっているという設定にしていたが、それは応援ではなく皮肉的な意味だった。
別に俳優が政治家になるのは今に始まったことではないし、ロナルド・レーガン大統領だって、政治家になる前はラジオアナウンサーであり、映画俳優だったのは有名な話だ。役者や芸人という人前に出て演じられる人、話芸が卓越している人が政治家に向いているかどうかはわからないが、その能力を最大限にすれば、人前に出ることが当たり前ではなかった他の候補者よりも魅力的に見えるし、注目もされるので支持される可能性は高くなる。その意味でも祭り的な要素を持つ選挙で、盆ダンスパーティーをして人を集めているのを見ていると、人に注目してもらうことや巻き込むのがやはり上手いんだなって思ったし、同時にイベンターみたいだなと感じた。
出馬した水道橋博士さんを僕の知り合いの人たちは応援していた。長年の関係性や付き合いがあるから応援したいというのはもちろんわかる。最初の普通選挙の際に周りの顔色を見てから投票した人たちを見た柳田國男がそれでは「魚の群れ」であり、「近代にならない」と嘆いていたことを知っていたから、僕は自分が考えることに近い人、政界にいてほしいと思う人に投票をした。

大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本がバカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(2/4)

柳田としてはパブリックなものを作っていく最終手続きとしては選挙しかない。だから選挙の時、自分で考えるバックボーンを個々人が持つべきであって、群れとして行動しちゃダメですよ、そうすると近代にならないよって言っていたわけです。

いろいろと書いたけど、大塚英志作品を長年読んできて、ご本人にも何度かインタビューをさせてもらったりと僕はかなり影響を受けている。大塚さんの先生であった千葉徳爾さんは柳田國男門下生だったわけだから、大塚さんはいわゆる孫弟子にあたる。
僕は民俗学的なものを取り入れたフィクションを楽しみながら、大塚さんが読者に出会わせたかった文学に出会ったし、その出会ったものにも影響を受けてきた。もちろん、大塚さんが徳間書店から角川書店に移ってからやってきたメディアミックス作品も楽しんできた。それが戦前戦中に始まったものであり、大衆や民意を動かしてしまった危険なものであることを知っている。
戦後の文学者で最もメディアミックスを駆使して成功したのは亡くなった石原慎太郎であり、彼はそれを自民党に入党して伝えてしまった側面もあるし、最終的には都知事にまでなってしまった。そして、やらなくてもよかった東京五輪の招致にも大きく関わった。
そういうことは若い頃の石原慎太郎大江健三郎三島由紀夫江藤淳が出てくる『クウデタア<完全版>』が刊行された時に大塚さんにお話を聞いた時に知ったことではあるが。


大塚英志×西川聖蘭『クウデタア 完全版』刊行インタビュー:アンラッキーなテロ少年と戦後文学者をめぐっての雑談

 

7月10日

ニコラに徳島のアアルトコーヒーの庄野さんが来られて、店主の曽根さんとの「駆け込みアアニコ vol.12『小さな店が生き延びるためには』」というトークイベント、一時間後に庄野さんによる「アイスコーヒーのすべて」というコーヒー教室、どちらにも顔を出して、その後いつもの美味しいものしか出ないお店で打ち上げ。

ニコラに帰ってから数人の常連も加わって深夜過ぎまで飲んで話をしていた。僕は翌日の仕事があるので三時には家に帰る。
スマホで選挙結果を見ながらいろんな気持ちになるが、水道橋博士さんは国政に関わる政治家になるのだから、任期期間は国民のためにしっかり働いてもらいたい、それだけでしか言えない。当選おめでとうございました。
お酒のおかげですぐに寝落ちした。

 

7月11日
起きたらちょっとした二日酔い。ポカリを飲んで、しばらく経ったら大丈夫になった。
仕事の空いた時間に本日が誕生日の古川日出男さんにお誕生日のお祝いメールを書いて送る。あとから翻訳家の柴田元幸さんもこの日が誕生日だと知る。たぶん、毎年お二人が同じ日ということで驚いている気がするけど。

田島昭宇さんの装画展「夢限パヤパヤ」に古川さんが訪れていて、『サウンドトラック』文庫版の上下巻の装画の前で二人が写真を撮られていた。二人のファンとしてはとてもうれしい。


仕事が終わってから神代辰巳監督×長谷川和彦脚本×細野晴臣音楽『宵待草』をユーロスペースにて鑑賞。

頃は大正、浅草六区の活動写真館の弁士、黒木大次郎を首領株に「ダムダム団」というアナーキストの集団があり、弁士見習いの平田玄二が副団長格で数十名の団員がいた。成金代議士・谷川武彦の息子で大学生の国彦もいつしか彼らの仲間になっていた。ある日、温泉場へ行く乗合馬車で国彦は令嬢風の娘・しのと出会い、虚無的な男・北天才とも知り合う。だが翌朝、北は大木で首を吊っていた。北の通夜の翌日、しのが東京に帰ったのを知り、国彦も後を追うように帰京する。一方、交番襲撃に失敗したダムダム団は、今度は政界の黒幕・北条寺の孫娘を誘拐した。その娘を見た国彦は驚く。娘はしのだった。ところが彼女の方は誘拐とはつゆ知らず、国彦が自分を口説くために友人を使ったと思い、その夜二人は愛を確かめ合うのだった。(公式サイトより)

大正時代が舞台であるということ、アナーキストについてというのをあらすじで見たのでまったくどういう作品か知らないけど、長谷川和彦監督が脚本なら観てみようと思った。主人公の国彦たちが終始歌を歌っているし、テロ的なことをしているのに、中途半端なことばかりで国彦(高岡健二)としの(高橋洋子)と玄二(夏八木勲)の三人の逃避行になるが、ドタバタコメディっぽさもあり、やりたいことを詰め込んでなにがやりたいのかよくわからない作品だった。
最後の方でずっと前転しているとか、三人が歩いている雰囲気とか制作した当時のなにかはあるんだろうし、しのの身代金が上だけ本物で札束の中は新聞紙でそれを車からばらまくのは長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』の銀座の百貨店の上から札束をばら撒いたシーンを彷彿させた。
あと国彦がセックスをしようとしたり、近くで性行為がはじまりそうになると頭痛がしてしまうというのも、なんだか笑えない、やりすぎてるからコントみたいになっていて、それがおもしろいって人もいるんだろうなと思う。僕はいろんなものが過剰なせいで胃もたれした感じな作品だった。

と大塚さんがツイートされていた。僕は2014年に、
酒鬼薔薇、ネオ麦茶、秋葉原通り魔、遠隔操作ウイルス、2ちゃんねる直撃な世代の1982年生まれの男子たちがダークサイドに堕ちて、同学年に宇多田ヒカルがいるっていうのは、この年代の抱えていく問題なのかなあ、なにが問題かわらないけど。」
とツイートしていた。僕は早生まれの1982年だが、やはりいつも気になっていたし、今回の安倍元首相を殺害した山上は同学年かひとつ上だろう。

 

7月12日

昨日観た『宵待草』の口直しというか、気になっていたタイ・ウェスト監督『X エックス』 をホワイトシネクイントにて鑑賞。

史上最高齢の殺人鬼夫婦が住む屋敷に足を踏み入れてしまった3組のカップルの運命を描いたホラー。1979年、テキサス。女優マキシーンとマネージャーのウェイン、ブロンド女優のボビー・リンと俳優ジャクソン、自主映画監督の学生RJとその恋人で録音担当のロレインら6人の男女は、新作映画「農場の娘たち」を撮影するために借りた農場を訪れる。6人を迎え入れたみすぼらしい身なりの老人ハワードは、宿泊場所となる納屋へ彼らを案内する。マキシーンは、母家の窓ガラスからこちらをじっと見つめる老婆と目が合ってしまい……。出演はリメイク版「サスペリア」のミア・ゴス、「ザ・ベビーシッター キラークイーン」のジェナ・オルテガ、「ピッチ・パーフェクト」シリーズのブリタニー・スノウ。「サクラメント 死の楽園」のタイ・ウェストが監督・脚本を手がけた。(映画.comより)

史上最高齢の殺人鬼夫婦が出てくるホラー映画としても楽しめたんだけど、若さと老い、セックスと宗教をしっかり描いていて、「よっ! さすがA24製作作品」と思える出来だった。A24作品はできるだけ劇場で観ているけど、二年ほど僕としては期待外れなものが多かったから余計に嬉しかったんだと思う。
エンドロールあとに殺人鬼夫婦の若き頃を描いた『Pearl』っていう作品の予告編流れたけど、ギャグとか監督の希望ではなくマジでやるみたい。そして調べたら三部作としてやるみたい。となれば、『X エックス』が1979年、『Pearl』が1910年代ぽいから、三部作目が現在か2010年代辺りかな。

↑公式サイトに観たあとに見てくださいというネタバレコンテンツがあるが、それを見るとさすがだなと思える作り込みで、『Perl』もだしできれば三部作まで作って楽しませてほしい。

 

7月13日

あだち充著『MIX』19巻&『ゲッサン』2022年8月号を購入。
最新刊では『タッチ』における上杉和也が亡くなってしまったこと、『H2』における雨宮ひかりのお母さんが亡くなってしまったこと、に通じる突如の主人公の身内や深い付き合いのある人が亡くなってしまう出来事が起きる。そして、そこには『タッチ』でもそうだったが主人公を鼓舞する「賢者」的なサポートの役割としての原田正平がいる。あだちさんが彼を投入したのは大きな出来事が起こるのをなんらか予感していたのだろうと思う。
1980年代初頭にリアルタイムで『タッチ』読んでいた若者が現在にタイム・リープしたらあだち充まだ現役? 明青学園舞台なの?と思うんだろうな。


LIQUIDROOM 18thANNIVERSARY 踊ってばかりの国 / THA BLUE HERB @ LIQUIDROOM

THA BLUE HERBで最初から泣いてしまったし、ライブでは初めてな踊ってばかりの国も最高だったし、最後のコラボもあの場に居れてよかった。ほんと素晴らしかった。

↑セトリ。THA BLUE HERB最初にBOSSが登場する前にDJプレイがあり、BOSSが登場してそのまま「あかり from HERE」を少しラップしてから、このセトリに入ったはず。イントロ扱いってことかな。

久しぶりに生で『時代は変わる』聴いたけど、やっぱり圧倒的すぎた。
BOSSカッコよすぎる、今年51歳に最初からずっと泣かされた。


踊ってばかりの国の『ghost』はライブで聴いたら、想像を越えまくってきて鳥肌がすごかった。

 

7月14日
【完全】さよならプンプン【ネタバレ】浅野いにおインタビュー

1980年代初頭生まれの精神史のひとつとして、また読まれればいいと思う『おやすみプンプン』。 浅野いにお作品にはカルトや陰謀論はなんらかの形で出てくるのは僕らが子供の頃はそういうものは、ノストラダムスオウム真理教だけでなく、フィクション(『MMR』とか)であろうがいろいろあったから、違和感はないし時代の鬱的なものと呼応していたんだと思う。結局それはいろんなものを飲み込んでいたということが今わかりやすい形で表出しているだけ。
上の世代とは違うのは思春期(中学、高校)にネット黎明期があり、携帯を持ち始めたから、アナログからデジタル移行期のどちらでもあるけど、どちらでもない世代。
エアポケットに入り込んでいるように年々思うようになったし、就職氷河期世代でロスジェネも最後尾として被るから非正規が多くなり、ゆとり世代デジタルネイティブ)のちょっと前までのイメージ。
少年Aと呼ばれた彼が殺害したのが当時の小学5年生(1987年前後)で、僕の感じだと『ポケットモンスター』をリアルタイムで小学生の時にやっている世代が「ゆとり世代デジタルネイティブ)」の印象。僕個人で言えば、今まで一回も「ポケモン」をやったことないし、ピカチュウしか知らない。
少年A(酒鬼薔薇聖徒)、ネオむぎ茶西鉄バスジャック犯)、加藤(秋葉原無差別殺人犯)、PC遠隔操作犯、青葉真司(青葉は1978年生まれ、京都アニメーション放火殺人事件)、山上徹也(安倍晋三殺害事件)と同世代が起こしてしまった事件は他人事ではないというか、彼らと社会との関わりとかを考えていかないといけないし、それがたぶん犯罪者にならなかった自分たちの今後のこと考えることになる。

政府はインボイスとか国葬とかほんとうにやらなくていいことしかしないな。
NHKニュースには実績として「東日本大震災からの復興や日本経済の再生」って書いてあったけど、「復興五輪」とは嘘だったし、「日本経済の再生」ってどこがだ? 貧しくしかなってないぞ、加えて公文書の隠蔽と破棄とか三権分立の認識ないとか、民主主義を破壊しただけだった。東京プリズンから岸を出さないっていう時間軸の可能性を夢想してしまう。


小山虎著『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』(PLANETS刊行)が届いた。書籍がビニールに入っているので、こういう日でも中が濡れなくて安心。

 

7月15日
昼休憩で外に出た時は雨が止んでいたが、買い物をして家まであと数分というところまで戻ってきたら雨脚が強くなりだして間一髪。その後は強い雨がずっと降っていた。戻り梅雨という言葉があるのかわからないが、完全に梅雨みたいだ。
セブンイレブンでざるそばを買ったので、商店街の揚げ物屋さんの天政さんでイカとトリの天ぷらを買って気持ちは天ざるにした。うどん派だったが、この夏はちょっとそば派になりかけている。新宿の「いわもとQ」以外ではそばは食べなかったけど、味覚とか好みが変わり始めたのかもしれない。

朝起きてから仕事前になんとなく書籍を減らそうと思った。それですぐにバリューブックスの買取の申し込みをして売る本を選んだ。なにを残すかという判断になるわけだが、作家として何冊も残しているレギュラーチームはほぼ手をつけずに、最近読んだけど家に残しておかなくてもいいかなと思ったりしたものを段ボールにつめた。18時以降に回収を頼んでいたが、18時少し前にクロネコヤマトさんが取りにきた。雨の影響なのだろうか。

明日から三連休だが、夜はずっとバイトを入れているし、この日から来週の水曜日まではなんらかの仕事がある。その間に「WDRプロジェクト」に応募する脚本の一稿を仕上げないといけない。昨日最初の部分を書いたらわりと行けそうな感じになっていたので早めに最後まで書き終わらせて、二稿までは仕上げて応募できればと思っている。
それもあって、NHKで放送している「星新一の不思議な短編ドラマ」を何話か見たけど、クオリティが高いし、役者陣も豪華だし、まさに「朝ドラ」に対しての「夜ドラ」としてちょうどいい十五分ものになっていた。

快快/新作公演/コーリングユー

快快の3年ぶりの舞台、八月末から公演なら九月の初めに観に行こうかな。

 

7月16日

寝る前に『大江健三郎全小説3』に収録されている『セヴンティーン』を読む。続けて『政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)』も読もうと思ったが、『セヴンティーン』だけでもわりと時間がかかったので諦めて寝た。
数年ぶりに読んだのだが、内容をまったく覚えていなかったので最初は「あれ?こんな話だったっけな」と進めていくと徐々に思い出してきた。最初の箇所で勃起やオナニーに関しての部分があって、前に読んだ時にも石原慎太郎の『太陽の季節』の勃起した性器で障子を突き破るというのは、この作品と呼応するところがあり、突き破るというのが石原慎太郎的だなとも思う(男性性ありきというか家父長制っぽさの担保みたいな)のだが、戦後を代表する作家がそれを描くことが敗戦国としての日本で成長した男子の身体性とも深く関わっていたのだろうなと思えるが、そういうのは誰かがしっかり書いているはずだ。
僕の同世代が起こした事件のことが頭にあるから、この小説を久しぶりに読もうと思うきっかけだった。

起きてからバナナマンの八月頭に開催されるライブのチケットを取ろうとパソコンの前に十時前からいて準備をしたけど、まったく繋がらずに取れなかった。そのまま机に座ったまま、「月刊予告編妄想かわら版」の原稿を書いた。
四作品中、二作品を書いてから買い物に出たが、今日も雨降りだった。あの暑さはいったいなんだったのか、と思えるほど雨がずっと降っている。
買い物帰りにまた雨が強くなって降り出して、なんとかずぶ濡れになる前に家に帰れた。ご飯を食べてから残りの二作品も書いた。とりあえず、数時間放置してからもう一度見直してから原稿を送るため、軽く昼寝をした。
夕方からはリモートワークの作業をしてから、もう一度原稿を見直して修正をして原稿を送った。

 

7月17日
星新一の不思議な不思議な短編ドラマ」を初回から見始めた。
「逃走の道」は大人計画村杉蝉之介さんとコウメ太夫さんコンビだが、 コウメ太夫さん白塗りのイメージが強いけど違和感なくて味のある感じでよかった。


狩野さんが芸人として愛されるのもよくわかる。トークサバイバーでも証明されてたけど、トークもいけてエピソードもたくさんあるのがわかってすごくいい企画だった。
【超豪華】狩野英孝ガチ語り!いじりが凄い大物芸能人ベスト9!



TBSの金10で始まったドラマ『石子と羽男―そんなコトで訴えます?―』と日テレの土10で始まった坂元裕二脚本『初恋の悪魔』も見る。
一話を見る感じでは二話以降でどう盛り上げてくるのかとたのしみであるが、離脱者も多そうな印象。今の時代に合っている感じもするが、そういえば坂元裕二脚本作品の日テレドラマって僕はあまり見たことがないけど、この先どうなるか、TBS『カルテット』のバージョンが違うものに見えなくもない男女四人組のミステリアスコメディ。

夕方からの仕事が二十二時に終わってから、二十三時からミーティング。四十分ほど話をしてから寝る前に風呂に入って髪を洗おうと湯船を溜める。風呂に入ろうとしたらライン電話がかかってきていた。
水道橋博士さんの選挙活動の際に秘書として活躍していた山本くんからで、博士さん同様にコロナになっているとのことだった。湯船が冷めてしまうので入りながら電話。深夜帯に入っていたので、隣の話し声も多少聞こえるアパートではこの時間に電話するのは非常識だなとは思うところもあるので風呂場で電話をする。一時間半ほど話をしていたので風呂はかなり冷めたが、夏だったのでまあ大丈夫だった。冬ならやばかった。

 

7月18日

起きたら朝の八時過ぎで「海の日」ということで、夕方から仕事なので映画かなにか観ようと思って検索した。城定秀夫監督『ビリーバーズ』 が昼前に上映する回があったので渋谷まで歩いて行き、そこから副都心線新宿三丁目駅で降りる。紀伊国屋書店新宿店に顔を出したが欲しい小説や書籍はとりあえずなかったので少しブラブラしてから歩いて テアトル新宿へ。

漫画家・山本直樹がカルトの世界を通して人間の欲望をあぶり出した同名コミックを、「アルプススタンドのはしの方」の城定秀夫監督が実写映画化。とある無人島で暮らす2人の男と1人の女。宗教的な団体・ニコニコ人生センターに所属する彼らは、互いをオペレーター、副議長、議長と呼び合い共同生活を送っている。瞑想、見た夢の報告、テレパシーの実験など、メールで送られてくる様々な指令を実行しながら、時折届くわずかな食料でギリギリの生活を保つ日々。それは俗世の汚れを浄化し、安住の地を目指すための修行とされていた。そんな彼らの日常はほんの些細な問題から綻びを見せはじめ、互いの本能と欲望が暴き出されていく。「ヤクザと家族 The Family」「東京リベンジャーズ」など話題作への出演が続く磯村勇斗が映画初主演を務め、「かくも長き道のり」の北村優衣、「罪の声」の宇野祥平が共演。(映画.comより)

山本直樹さんの漫画が原作なので、もちろんどこまでエロさが出せるか、ということも重要な部分となるが、副議長役の北村優衣が見事にその役割を果たしていた。個人的には『青春の殺人者』の原田美枝子さんを彷彿させるような魅力のある女優さんだなと感じた。なんというか可愛いけどちゃんとエロい。陰と陽でいうと陽っぽさがある顔つきなので裸で海にいるとほんとうに瑞々しく美しさが増す感じだった。
メインの登場人物が三人なので、そのパワーバランス、男性が二人、女性が一人という関係性がカルト教団のメンバーで煩悩や俗世からの欲望から離れようとするのに、離れようとすることでさらに身近な異性の性的なものにより敏感になってしまう、という感じがしていて、それは体験したことはないけどリアルに感じられた。
古谷実作品における平凡な主人公が可愛くて自分のことを好きになってくる彼女ができることで不幸であったり事件に巻き込まれていくように、そういう女の子が主人公を好きになるというのが最大に皮肉に思えるのだけど、山本直樹作品ももちろんエロがあるから女の子は可愛くてエロい、そういう人がたった三人のうち一人の女性というのも普通に考えればファンタジーではあるのだが、まあ、そう要素がないと観ないし読まないということはあまり考えない方がいいのだろう。

安倍元首相の殺害と統一教会の関係性が騒がれている今だから、よりカルト教団というものを扱っているこの作品は現在の日本と嫌でもシンクロしてしまっているのも面白くもあり、怖い部分でもある。
オウム真理教にしろ統一教会にしろ、他の教団や宗教団体なども日本社会にしっかり根を張り、身近にいない感じがしてもどこにその信者がいるのかわからない。だが、それを信じたりすがったりすることでどこか救われている人たちもいるのだろうとは思う。
陰謀論やさまざまな情報がカオスに流れる中で、世の中で生きていく中で息苦しさを感じれば感じるほどに、会社や家族のことで悩む人が助けを求める時にそういう団体や宗教なんかがセーフティネットになってしまうところはある。人に迷惑をかけなければいいとは個人的に思うが、やはり暴走してしまうという問題もある。

僕はこの映画で描かれているような煩悩や俗世間のものを断捨離するようなことは正直すべきではないと思う。欲望を抱えて、なおかつそれをほどほどに自分で処理したり、悩みながら付き合っていくしかないと考えるから。どうせ誰も助けてはくれないし、僕たちが心の底から救われるということもないと思う。そういうちょっとした諦め、諦観みたいなものと共になんとかやっていくのが狂わずに、カルトにもならずに済む方法なんじゃないかなって前から思っている。
最後のニコニコ人生センターのある終わり方は見ていて笑ってしまったけど、ちょっとオウムの強制調査とかの雰囲気もあんな感じだったのだろうか。
何度かオペレーターの夢に出てくる川、それを渡り切ってしまうかどうかがモチーフにあったりしたのも死生観のわかりやすい表現で、ボートにオペレーターと副議長が乗っているのはおだやかでいいシーンだった。宇野翔平さんはますます存在感のある俳優さんになっている。宇野さんが出てくる終盤のシーンはかなり笑えた。

 

7月19日
朝晩と続けてリモートワーク。来月KAATで上演される快々の新作『コーリングユー』を観に行こうと思っていて、知り合いの誰か誘いたいと考えていたので、KAAT近くに住んでいる友人にLINEして誘うとOKだった。昼公演がある日に行って、そのまま飲む約束をした。
コロナがまた爆発的に増えているが、なにか大きな対策をするとは考えにくい。舞台なんかは出演者などがコロナにならなければ上演はされるはずだ。しかし、この状況だともうどこで貰っちゃうか本当にわからないだろう。ワクチン接種四回目もしたらもう少し気持ちに違うのだろうが、そういう話は会社とか自治体からは来ていない。
仕事で必要だったので、エンタメ関係のメディアのプレスリリースをいくつかまとめて読んだ。プレスリリースって自分の会社の作品や商品とか紹介するためだが、結局のところ自社で紹介したいものの資料がどのくらい揃っているか、なにを喧伝したいかっていうのが内部で意思疎通できていたらすぐにできる。資料作る人が書くのがベストだろうなってちょっと他人事みたいに思った。

大塚英志著『木島日記 うつろ舟』の書影が出ていた。大塚さんが出版元の星海社のツイートをRTしていた。ずっと未刊行だった『木島日記』の長編小説が20年ぶりの書籍化。もちろん買って読みます。

 

7月20日

『SWITCH』最新号「「少年ジャンプ+」とマンガのミライ」を書店で立ち読み。
冒頭に佐々木敦さんによる「「主人公」の死と再生 藤本タツキ試論」があったので長々と立ち読みはできないので早めに読んだが、やっぱりゆっくりと読みたいので購入した。

昨日に引き続き、朝晩とリモートワーク。夕方仕事をしながら、「直木賞芥川賞」受賞会見の中継をしているニコ生を流す。とりあえず、音だけ聞く格好でも話はわかる。
いつもより発表は早く感じたが、直木賞窪美澄さんの『夜に星を放つ』、芥川賞が高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』と決定した。
窪さんには何年か前によくしていただいていたので、直木賞を受賞が決まってほんとうによかったと思う。おめでとうございます!

直木賞芥川賞の受賞会見の中継をしているニコ生のスタッフであるパン生地くんこと高畑くんは、会見前に質問なにかある?とラインで聞いてくれるのでいくつか質問を送っていた。そんな流れもあり、今回も送っていたら窪さんの最後の質問がパン生地くんで僕の送った「家族関係」についてのものだった。
会見終わってからのニコ生の放送でも最後の質問よかったと褒められていた。これは我ら二人の手柄だと思いつつも、みんな「性」について聞きすぎだったし、そこばっかり聞いても仕方ないじゃないじゃんって、中継聞きながら思った。そういう質問が続いたからあれがまともな質問に見えたっていうのはあると思う。
R-18文学賞」受賞作家として世に出て、初の直木賞作家になったのが窪さん。「メフィスト賞」とかある賞を取った作家群みたいな流れがあるけど、近年「R-18文学賞」から多様な作家さんたちが出てるから、直木賞受賞作家が出たことでひとつの区切りにはなるのかなあ、と思ったりもした。

直木賞の窪さん「恥じない作品書いていきたい」 一問一答


以前僕が書いた窪さんの小説のレビュー
窪美澄晴天の迷いクジラ』書籍(新潮社)


いつか誰かと居たことを懐かしむ前に、差し込む光のように(『さよなら、ニルヴァーナ』)

 

7月21日

前に約束をしていたがお子さんが発熱したためにランチが延期になっていた友達から、明日空いていたらランチ行かないとお誘いをしてもらったのですぐにOKを伝えていた。お昼前にタイカリーピキヌー近く駒沢大学駅前で待ち合わせ。
246沿いを三茶からまっすぐだが、世田谷郵便局と世田谷警察より西にはほぼ用事がないので、何年かぶりに駒澤大学方面に向かって歩いた。
友達がグリーンカリーを頼んだので、僕は同じ辛さ2のレッドカリーを注文したら、お店のおばちゃんにカントリーカリーがオススメだよって言われたので、なにがカントリーなのかわからないがそちらにした。
カリーがサラサラというか水っぽいので、食べやすくて胃に溜まっている感じがしなかったので思いのほか早く完食してしまった。食べ終わると唇がちょっとヒリヒリしたけど、最高の辛さの7とか食べられる人はもう胃とかもろもろが強すぎるのだろう。僕は2でもちょっと辛かった。もちろん、美味しかったし、病みつきになる人がたくさんいるのもわかる味だった。
その後は、近くのカフェに行って紅茶とデザートをいただきながら、いろいろと話をしていたらあっという間に二時間ほど経っていた。店を出てから若林の方まで散歩がてら歩いていき、家の近所まできた友達とそこで別れてから家の方に歩いた。一日で12キロほど歩いていたが、ナイキのランアプリで距離を測っていたので、どこを歩いたかを見たら246沿いと環七どちらともかなりの距離をまっすぐ歩いていた。


家に帰るとポストに西村賢太さん遺作『雨滴は続く』とのセットで頼んでいたコトゴトブックス制作『西村賢太追悼文集』が届いていた。『雨滴は続く』はとても面白かったので、こちらもたのしみ。文庫サイズなので持ち運びにも良さげ。


夕方過ぎにニコラに『西村賢太追悼文集』を持って行って、アルヴァーブレンドとネクタリンとマスカルポーネのタルトをいただく。
木曜日は仕事を入れない日にしているので久しぶりになにもしない休日になった。

 

7月22日
「ラディカルな意志のスタイルズ」

 「もうバンドはやらないでおくべきか、やるのか?」を考えた。もう歳も歳だし。そして、昨年の秋頃から「来年(22年)は、コロナだオリンピックどころではない酷い世界になる。途轍もないことになるだろう」という直感が働き、そのための音楽が必要になる。第一には自分に。そして年が明け、直感は当たった。いつだって現代は混迷する酷い社会だが、今の現代は今までの現代よりも酷い。バンドを結成することにした。年齢的に言っても、高い確率で人生最後のバンドになるだろう。上手くゆくと20年ぐらいはやるので。

 ライブは、解散まで全て、公演名を「反解釈」とする。9月14日(水)が「反解釈0」で、11月27日(日)が「反解釈1」となり、以降、カウントが続けられる。衣装が完備されるのは「反解釈1」からである。今後、「ライブに来てくださいよ」というのは「反解釈に来てくださいよ」と言い換えられることになる。(「ラディカルな意志のスタイルズ」より)

「ビュロー菊地チャンネル」からブロマガ更新のお知らせがきた。
前から菊地成孔さんが話していた新バンド「ラディカルな意志のスタイルズ」についての話だった。バンド名はアメリカの批評家であるスーザン・ソンタクの代表的な著作であることは以前から話が出ていたが、バンドのビジュアルは日本のブランド「HARTA」が担当することも発表された。
最初のライブ「反解釈0」が9月13日ということなので、チケット情報を見ると数日後から先行抽選の申し込みが始まるようだ。もちろん申し込むし、それで取れなかったならなんとか一般で取って観にいきたい。
DC /PRGの解散ライブは閉館して無くなってしまったスタジオコーストでしっかりと見届けたが、始まりに加担したいというか観たいという欲望もある。菊地さんがどんなバンドを始めるのかが一番興味あるし、ライブで体感したい。
と書いたら、本日二本目のブロマガがメールに届いて、菊地さんコロナになったとの報告だった。菊地さんが治るまでは「ビュロー菊地チャンネル」は10日ほど休止の形になるとのこと、ちょっと残念だが早く治っていただきたい。

小栗旬×保坂慶太 対談

「WDRプロジェクト」のサイトを見たら、二日前に対談が追加されていた。
現在放送中の『鎌倉殿の13人』で主演を務めている小栗旬さんとプロジェクトの発起人の保坂さんの対談。小栗さんはアメリカで映画の撮影を体験しているので、海外での脚本がどういうものなのかということを知っているのでなるほどと思える人選。
話の中でアメリカの脚本には登場人物の気持ちとか設定が細かく書かれているという話が出ていた。僕がかつて映画学校やシナリオセンターで脚本を勉強した時には登場人物の「気持ち」は書くなと教わった記憶がある。
「気持ち」や「感情」はセリフやト書や柱(場所)とかの変更で見せるものだと言われたはずで、シナリオ本などを読んでも、プロの脚本家でもト書とかセリフに感情や気持ちについて書いている人はいない気がする。それもあって説明セリフみたいなものも増えやすい面も日本の映画やドラマにはあるのかなと感じなくもない。
この「WDRプロジェクト」は海外で主流になっている複数人での脚本開発をしていくものだから、従来の日本の脚本というよりはアメリカとか海外的な脚本作りを目指していきたいってことを暗に示しているのかもしれない。

「雉鳩荘が完成する」

古川日出男の現在地」の最新回が更新されていた。一度お邪魔した雉鳩荘も屋内が完成したようだ。あとはお庭を、ということなのだろう。庭をよぎっていく近所の猫たちは雉鳩荘にちょくちょく顔を出しているのだろうか、僕が行った時には新顔と言われていた一匹を見かけたけど、庭には来るようになっているといいのだが。
ここで書かれているように短編や中編という作品も作品集としてひとつの形になってほしい。『太陽』『焚書都市譚』もどちらも文芸誌に掲載された時に読んでいるけど、一冊にまとめられると手に取って読める機会が増えるし、これを読んだ編集者さんがすぐに連絡して早く形になるといいな。

安倍元首相の国葬閣議決定したというニュースを見る。結論ありきのやり方で閣議という見えない形で国民生活や人々の思想などに関係することを決めていくという横暴さと傲慢さ。ほんと、民主的って言葉を捨てたいとしか思えない自民党、彼らを支持した人は近代とかどうでもいいんだろう。
国葬が予定されている9月27日は平日の火曜日、小学校とか中学校とかでは黙祷という言葉は使わないで、学校側に彼らの意思で生徒たちに黙祷をさせようと政府や今回の国葬に関わる連中や組織が動くのだろう。親側がその日は休ませるという人も出てくるだろう。民主的ではないやりかたによってさらに分断が進む、それを彼らは利用したいのだとしか思えない。自民党公明党とか補完勢力に投票した連中がクラファンでもして国葬っぽいことをすればいいと思わなくもないが、それはまた違うし、ただ分断が進む。
国民はおおむね国葬に理解を示しているとか平気で言うやつが大臣とかな時点で終わっている。だが、大多数から支持されている、過半数以上から支持を得て政権を運営している(選挙で勝ったというのは事実)、ということになっている彼らは数の論理でやりたい放題にやって、少数意見を切り捨てる、無視している。それはどこも民主的ではない。
ほんとうに民主主義ということを蔑ろにしていけば、ただ国として終わるだけであり、腐っているものを終わらして再生させようとしても、このままではただ終焉のみがやってきて、新しい始まりはないようにしか感じない。
政治というのは民意の反映だとは言うが、その母体というか支持するもの、力を得た理由が宗教であったりするとこれはまた別物だ。一神教でなく、八百万の神がいるという日本ではいろんなものを受け入れてしまいすぎて、気づかないうちに茹でガエルになってしまうということなのだろうか。
アメリカの状況を見ても、「古き」家族観や家父長制を誇示したい、変化させたくないという勢力が蔓延っているわけで、変化を恐れる人々と新しい価値観や変化を求める人たちの意見や考えが激しくぶつかっている過渡期という見方もできるのかもしれない。僕は後者の変化を求める人たちの側にいたい。

 

7月23日
起きてから、先行の抽選で落ちて取ることのできなかった向田邦子原作『阿修羅のごとく』の舞台チケットを取ろうとPC前にスタンバイ。
まったく繋がらず、繋がった時にはすべての回は終了していた。東京はシアタートラムが箱で、出演者のことなんかを考えると即完なのもわかるけど、小泉今日子さん、小林聡美さん、安藤玉恵さん、夏帆さんの四姉妹をしっかりと自分の目で見たかった。
オンライン配信とかするかどうかはわからないけど、やっぱり舞台系は空気感とかも含めて、ライブじゃないとわからないというか伝染するような緊張感とかを味わいたいという気持ちが強い。


安倍元首相銃撃事件のあとに『大江健三郎全小説3』収録の『セヴンティーン』を読んでいて、チケット争奪戦に敗れたあとに『政治少年死す──セヴンティーン第二部』を読み始めて一時間ほどで読み終わった。
二作品の主人公のモデルとされているのは山口二矢だけど、もちろん今回の安倍元首相殺害犯の山上徹也とはまったく思想も主義も違う。
17歳の右翼少年と母親が宗教にのめり込んで家庭が崩壊したのを味わった中年(80年初頭生まれ)の山上は別物ではあるが、山上と「少年A」をはじめとする82年生まれの犯罪を起こしてしまった彼らとは同世代の人間としては、彼ら(僕ら)が14歳、17歳というあるポイントを過ごした時の時代とか社会の流れとかがどんなふうに影響をしたのか、しなかったのか。
80年前後生まれのやっかいさみたいなことは同世代の僕らがこの先抱えていくだろうし、なんらかの形にしていくことになるんだと思う。そのひとつとして浅野いにおさんの『おやすみプンプン』がある。
小説家の古川日出男さんの一連の作品たち、中でも『南無ロックンロール二十一部経』と『曼荼羅華X』がそうだったし、オウム真理教をリアルタイムで見てきた彼らと同世代の人が自分達の世代の問題として風化させないように形にしていったように、これから僕たちの世代が向き合ってなにかの形にしていくんだと思う。
80年前後生まれが思春期を過ごした90年代という時代と今を結ぶこと、それは「失われた30年」と言われる日本の斜陽の時代の始まりだった。山上が同世代と知ってから、なぜかこの曲が浮かんできて、久しぶりに聞いたら10代の時よりも強く優しく響いた。

【LIVE】Four Seasons -Kyocera Dome Osaka, 2020.2.11-



偶然だがこの曲名がアルバムタイトルになっているTHE TELLOW MONKEYの5thアルバム『FOUR SEASONS』は1995年に発売された。

夕方から「本の場所」の「佐藤究朗読会」イベントに参加してきた。佐藤さんは直木賞を受賞した『テスカポリトカ』発売時にインタビューさせてもらいたくて江戸川乱歩賞受賞以後の作品を読んでいた。その後Twitterで相互フォローになったので、インタビュー依頼をしようと思っていたが諸々タイミングが合わず、依頼もできないままになってしまった。発売後に『テスカポリトカ』は山本周五郎賞直木賞をW受賞することになり、ああ、インタビューしたかったという気持ちがずっと残っていた。
今回のイベントは新刊の短編集『爆発物処理班の遭遇したスピン』発売と合わせたもので、書評家の豊崎由美さんが作家さんをセレクトしたものだった。前回の古川日出男さんの朗読会にも参加していたから、雰囲気はわかっていたし佐藤さんどんな人かなぁ、と興味があり参加した。
20名より少ない参加者は女性の比率が高かった。バイオレンス的なもの、血が飛び散るものなど過激な作品が多いが、やはり「群像」出身という純文から出てエンタメを書かれるようになった作家さんなので、基礎というか骨格には純文的素養がある。ただエンタメだけと言う人よりも繊細さとか感情の機微みたいなものもありながら、エンタメ的な読んだら止まらないという勢いがある作家さんは思いのほかあまりいない。
朗読の前の話の中でワーキングクラスということ、ペンキ塗りの親父がいて高校出たあとはペンキ塗りをやっていた話であったり、アメリカの作家ブコウスキーが好きな話もあって、いろいろ共通点があった。うちの親父はほとんど仕事をしてなかったがインテリアのクロス貼りの仕事だったし、僕も佐藤さん同様に大学も出ていないし、ブコウスキーは墓参りするぐらい好きな作家だったりする。
『テスカポリトカ』を書く前のテスト的な短編『くぎ』を佐藤さんが朗読し、三島由紀夫が朗読した『サーカス』のカセットテープを聞いてから質問タイム、その後書籍を持ってきていたらサインしてもらえたので、ご挨拶を兼ねて並ぶ。
名刺渡して、ご挨拶したら「古川日出男さんの作品を手伝ってますよね」と言われたので、『ゼロエフ』の話をしたらサイン入れのお手伝いをされていた講談社の編集者さんも反応してくださった。

豊崎さんに挨拶して帰ろうとしたら「佐藤さんは来ないけど打ち上げいきませんか?」とお誘いいただいたので、参加したら豊崎さんと僕を含めて四人だった。
「本の場所」を主催している川崎さんも少ししてから打ち上げに参加された。前回の古川さんの打ち上げにも紛れていたが川崎さんとはお話はしておらず、不勉強ながら川崎さんがなんの人か知らないままだった。
顔を出してすぐに帰ると言われた川崎さんも少人数だし、ゲストの作家がいないこともあって、豊崎さんたちが川崎さんにいろいろ話を聞かれていた。普段そんなことはなかったらしい。
皆さんの話から、断片から推測すると川崎さんはCMディレクターでトップまでいかれた人であり、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラーで出演されていた、ということがわかった。幼少期に父と『元気が出るテレビ』を見ていたが、隣に座られている白髪の川崎さんの顔を見ても、僕の中の記憶は動かなかった。ひな壇に座っていたはずの川崎さんのことは思い出させなかった。
ここはバカなフリをして、川崎さんに経歴を伺うしかないと思って聞いてみると、「川崎徹」さんという僕より上の世代の人なら知ってるであろう敏腕のCMディレクターの方だった。そこから『元気が出るテレビ』の話とか、当時のプロデューサーだったテリー伊藤さんのことなどたくさん話してもらった。CMディレクターとして限界を感じた時の話とかも次元が違うというか、トップに行く人だけの孤独のようなものも感じた。
普段の打ち上げはゲストの方がいるので、川崎さんの話をここまで聞けることは今までなかったと豊崎さんが言われていたのが印象的だった。無知であるから恥知らずで聞けることもあるし、その中でたまたま最年少なだけで若い扱いしてもらってたけど、やっぱりあとあとわかってくると怖い部分はある。無知で許してもらえるのは二十代までだなあ、と改めて思いながら表参道から歩いて帰った。


今月はこの曲でおわかれです。
OMSB - CLOWN



Lucky Kilimanjaro『地獄の踊り場』