Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション 1』


 『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション 1』をば。十年前に起きた 「サマー・オブ・ラブ」から描かれる最新シリーズ始まりの一部。『新世紀ヱヴァンゲリヲン』にしろこのシリーズにしろ、かつてオリジナルを見ていたときにはシンジたちと同世代だったりレントンたちと近い年だったけど、今やミサトや加持よりも年上になり、エウレカだとホランドとタルホ、今作では重要なレントンの養父母であるチャールズとレイよりも自分のほうが年上だったり同世代だったりするわけで。
 かつて自分が宿していたような青臭さ(現在まで引きずって)をレントンに見ながらも不条理な世界のシステムを諦めるように受け入れたフリをしながらもレントンを諭すチャールズにも共感して、そりゃあ、我らもおっさんになるわけだわなと思いながら観ていた。
 「父性」つうのが出てくる作品がなんか最近観る映画に異様にあるわけだが、これは成熟できない世界と20世紀的な「父性」がダメになったからこそみんな意識的に無意識で描いてるのかしら。
父と娘かあるいは父と血の繋がらない男の子(限りなく息子に近いが師弟関係に近いようにも)を扱っていて、最近僕が観た映画においては父と実の息子てのはない。
物語論的なベーシックな構造であるオイディプスを避けてるとかあんのかしら。血は繋がらないけど想いや希望や技術を次世代に受け継ぎたいみたいな男子的なロマンシズムだったりするのかなあ、とか考えてみたり。作り手が四十代より上だとまあそうなるかなあ。特典のステッカー(全四種類)がアネモネだったけどさ、この1にはアネモネワンシーンすら登場しないのだが。