Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』


 ドラマ版が『if もしも』内で放映された日は台風が日本列島を直撃し巨人戦は中止、チャンネル権を放棄した父は風呂に入り、たまたまリアルタイムで岩井俊二監督作品をはじめて見ることになった。
 小学生たちの台詞のなかに「戌年のくせになまいきなんだよ」というものがあり、戌年早生まれの僕は彼らは同学年だと知る。だからこそ、のちに見返すことでなにか共有されるノスタルジーをドラマ版に持つことになった。ノベライズ『リアル鬼ごっこJK』のライトシーンがプールサイドなのはそれが理由だった。


 観終わって思ったのはなぜ、時代背景や彼らの学年がわからないぐらいの感じにしてるのに、また原作の小学生と違うようにしているにも関わらず、ラスト近くの灯台で各自が「〜〜が好きだ!」て叫ぶシーンでみのるが「観月ありさ!」て叫ぶんだ?


 「広瀬すず!」とかでメタな風にしたほうがまだわかる。舞台設定が不透明にしてるなら、かつての伝説の美少女の名前言ったらすごい違和感。「広瀬すず!」じゃないなら「奥菜恵!」でもまだいいかもしれない。いろんな可能性が見えるシーンがあるが、そこではなずなと典道が東京に駆け落ちしたワンシーンもあるが、東京駅は新しいものでスカイツリーも二人の背景にある。ならば、限りなく現在に近い。とすると「観月ありさ」はどう考えても原作のドラマの時代なので、時間の乖離、つじつまが合わなすぎる。
 大根監督で実写でリメイクでできるだけ原作に忠実に、時代だけは現在にして撮った方が原作のようなノスタルジーを再現できたのではないだろうか。


 原作がプールサイドだったからアニメ版は違うラストの場所にしてあるんだけど、あの世とこの世の境目にも見えちゃうから、どっちかが死んでんのかなあとか。ふたりをイザナミイザナギみたいにしたら構造が『君の名は。』になるんだろうか。原作・脚本・総監督それぞれの良さがうまくハイブリッドできずに、何か風呂敷を広げたまま畳めずに終わってしまった感じが強い。


 始まる前に予告編で観た菅田将暉主演の『火花』は面白そうだなと思う。