DJまほうつかい 「All those moments will be lost in time」featuring 吉田隆一(blacksheep)& MOE(Moe and ghosts)
西島大介さんのツイートより↓
I Care Because You Doはこの展示にも響きあう部分があると思います。行ければ僕も観に行きたいですね。わ、もう20年前だ、そりゃYOSHIKIもBABYMETALと並びますね
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/chronicle1995.html
というのを一昨日ぐらいに見て行こうかなと思って、まあ休みだし今月末までの開催みたいなので東京都現代美術館に行ってきた。
開館20周年記念 MOTコレクション特別企画
クロニクル1995−
1.バブル崩壊後の社会不安が蔓延するなか、阪神淡路大震災、オウム真理教事件が起き、戦後50年、インターネット元年など、日本の社会的・文化的節目としてこれまでも数々の論考により言及されてきた「1995年」について、 現代美術の分野において検証・展観する初めての機会です。
2.第一部では、この年の前後において、現代美術の分野でどのような表現が生まれていたかを、数々のキーワードとともに辿ります。第二部では、1995年以降に活動を開始した作家たちの表現を、当館の若手作家コレクションを通して概観します。1995年を起点とする歴史的な俯瞰図によって、当館の20年の歩みを辿るとともに、現在進行形のシーンに対する視座を提示します。
第1部 about 1995
ホンマタカシ、都築響一、大竹伸朗、会田誠、O JUN、ヤノベケンジ、平川典俊、小沢剛、オスカール大岩、額田宣彦、小林孝亘、奈良美智、落合多武、杉戸洋、丸山直文、米田知子、郄柳恵里、
島袋道浩、八谷和彦、宮島達男、芦田昌憲、舟越桂
第2部 after 1995
小谷元彦、石田尚志、照屋勇賢、田中功起、名和晃平、加藤泉、加藤美佳、田幡浩一、小金沢健人、小泉明郎、Chim↑Pom、指差し作業員、竹内公太、伊藤存、金氏徹平、淺井裕介、冨井大裕、
森千裕、千葉正也、泉太郎、青木陵子、高木正勝
夏休みだったので親子連れが多かったので、気持ち的にも集中したかったので音声が流れる所以外ではイヤフォンをしていた。BGMはHow to count one to tenのアルバムにしていた。
九十年代という近過去。約二十年前が1995年だ。オウム地下鉄サリン事件があり阪神淡路大震災があった。Windows95が発売になり『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメが始まった年だった。ハルマゲドンは起こらなかったが明らかに終末に向けての何かが押されたような時代だったのかもしれない。
僕はまだ14歳の学年で、早生まれだったから13歳だった中学二年だった。部活から帰ると『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディングの海にたゆたう綾波が、海からその先の月が見えるようなシーンが流れていたのを覚えている。僕は時折見る程度で実際にはたいていの人たちと同じように深夜の再放送でまとめて見てハマりそのまま今になっては旧劇場版と呼ばれる映画を高校になって観に行ったのだと思う。月日が流れて二十代になった僕らの前にエヴァが現れたがそれは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』としてだった。
『序』はたぶん一人で観に行って、あと数回は知り合いと行ったはずだ。周りになぜか一人だと映画に行けない人がいたからだ。『破』『Q』は同学年だった前の彼女さんと観にいった。『破』は確か公開初日にヒューマントラスト渋谷に朝一で行って並んで観たんだと思う。
『クロニクル1995-』に話を戻せば三階から始まり最後は一階の展示になる。三階は1995で一階はafter 1995である。三階の最初の所ではホンマタカシさんの郊外の風景の写真「TOKYO SUBURBIA」からだった。
ファスト風土化と呼ばれることになる均一化したどこにでもある風景が日本中に広がっていた。バブルは弾けていた。角栄の日本列島改造論がもたらしたものはどこに行っても繋がっている道路と代わり映えのしない風景だったのかもしれない。と同時に都築響一さんの撮っていた地方でのおかしなもの、巨大なカエルの橋だとかバブル時代に作られたようななにかがいびつで明らかに風景からズレているものたちもそこに残された。シュールな光景であるともいえるし、もはや同化しているともいえる。
僕は伊賀大介さんや古川日出男さんによって知ることになった大竹伸朗さんの作品も展示されていた。着ていた「ニューシャネル」のロゴTシャツの元になったものを展示されていた。すごい大竹伸朗ファンみたいだな俺と思ったけど。
小沢剛さんの地蔵建立シリーズは地蔵を書いた紙をオウムで有名になってしまった上九一色村で置いてみたりいろんな国でそれをしている。よくある風景の中に地蔵が建立されるという異物を持ち込むことで景色はどう変わるのかというもんだった。
リーフレットには展示でのキャプションが載っているのでその流れだけ、キーワードとして。
1999年の風景
郊外
阪神淡路大震災の当日の写真、煙のあがる街。
ホンマタカシさんの「TOKYO SUBURBIA」での郊外の風景。この東京都現代美術館の開館もまたウォーターフロントの発展と無縁ではないとある。2020年の東京オリンピックでさらに東京湾、ウォーターフロントは開発される。江戸時代に徳川幕府によって埋め立てられて海を侵略することで拡大した土地が江戸であり、東京という街だった。
向井秀徳アコースティック&エレクトリック Water Front
あいまいな日本の私
バッドテイスト
大竹さんの出品作品『ぬりどき日本列島』は場末のスナックや観光地のポスターをモチーフにした作品群。都築響一さんとともに日本全国を国道を走り代わり映えのしない風景に失望しながらも二人はそこにある細部にリアリティと共感を見いだしていく。
戦後50年
普段生活していると忘れてしまいやすいが、八月になるとさすがに広島・長島の原爆投下と終戦日は意識するけども、1995年が戦後50年という大きな節目にあったことを僕はすっかり忘れてしまっていた。だからこそ近過去としてのこの年は戦後から反世紀が経った時だったのだ。ということは来年で戦後70年になる。
グローバリズムの浸透
アジアの中の日本
移動する作家たち
僕も1995年について書く時に意識的に書いたことがあるけど野茂英雄のメジャーリーグ進出であり彼によって前年のストで人気に陰りがファンが離れて行きそうになった時に救ったヒーロー(英雄)だったということだ。それほどに彼の活躍は大きかった。
モダニズムを越えて
フラジャイル
社会的な動きと歩を同じくしていた作家たちがいた一方で、時代とのはっきりとしたつながりはなくとも、20年後に振り返るなら、確かにひとつの精神的な潮流を作っていた作家たちもいた。
とあるが同時多発的に出て来る表現。表現とは社会と無関係では当然いれるはずがないので目に見えてわかる表現の人たちと何年かあとになってわかるような流れを作る人たちがいるのはわかる、感覚としてだけど。
具象絵画の興隆
パーソナルな日常
僕でも知っている作家さんはここでは奈良美智さんだった。書かれているように確かに首つりの輪の前にいる子供だとか捨てられている犬だとかの視線はまっすぐでなにも恐れていないようだ。もはやすべてを受け入れているような、達観している。確かに自己を投影させる要素になっているというのはなるほどなあと。
新しいネットワーク
大地震をきっかけにしたボランティアの一般的な広がりやネットが繋がりだしていくそんな時代。出会えなかったはずの他者ともいとも簡単に結びついてしまう時代がすぐそこに来ていた。関係性は検索ワードから始まってしまうような。
一階でのafter 1995の展示でチンポムのカラスを集める映像の展示はやはり興味深く。エリーがカラスの偽物を持ってカラスの鳴き声などを使ってバイクで都内を走っているとカラスが上空に集まってきてそのまま国会議事堂とかに向かうというものだが、小説『サウンドトラック』みたいなことを人為的に起こせるんだなと感心した。
世界の終わり / thee michelle gun elephant
以下は西島大介著『I Care Because Yo Do』発売時にクッキーシーンwebに書いたレヴュー。
「しょーこー、しょーこー、あさはらしょーこー!」そんな歌がテレビから聞こえていた1995年。その年、日本では阪神淡路大地震があり、オウムによる地下鉄サリン事件が起きた。「おめでとう、おめでとう、おめでとう!」と『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメの最終回で、主人公の碇シンジがみんなにそう言われたあの最終回。漫画原作者であり、編集者である大塚英志はこれを「人格改造セミナーだ」と言った。
西島大介氏の最新刊である『I Care Because You Do』という漫画は、その時代を描いている。この物語は、作者自身にとっての三人の神様を巡る物語だ。庵野秀明を崇拝する少年、リチャード・D・ジェームスに酔いしれる少年、そして、YOSHIKIを知った少年―西島氏の分身でもあるだろう三人の高校生たちが、「終わると思っていた世界」が終わらずに、でもある意味で終わった90年代を通りすぎていく漫画である。
西島大介は早川書房より漫画家として『凹村戦争』でデビューする。同じく早川書房より出した『アトモスフィア』では増殖していくドッペルゲンガー化する世界を描き、スター・ウォーズ・サーガ的な科学と魔法が対立している世界である『世界の終わりの魔法使い』シリーズ、同作の四巻目『世界の終わりの魔法使い? 小さな王子さま』は今作と同時発売である。ベトナム戦争を舞台に描くボーイ・ミーツ・ガールな『ディエンビエンフー』などがある。
今作の中で庵野秀明と『エヴァ』にハマっている少年は、付き合っている彼女とオザケンの事を話したりする。そういう時代だったのだ。渋谷系の王子が旅に出る前の95年。そして、庵野秀明にハマった事を思い出しながら『トップをねらえ!』について考えたことのナレーション的な台詞がこれである。
「とにかく引用の果ての真剣さに僕はしびれた。明らさまなパクリの中にも魂は宿る。...って アレ? それってオザケンと同じか。元ネタありきのサンプリング感覚」
タランティーノ以降、ヒップホップ以降の世界での表現としてのサンプリング感覚。オリジナルとコピーとは何かを巡る問題や捉え方についての考え。
西島大介は大塚英志の弟子筋にあたる。大塚英志を長年読んできた僕が西島大介を知ったのも、『新現実』という大塚英志の作った雑誌に載った漫画だった。それが後の『凹村戦争』に繋がる。大塚英志が語るオリジナルとコピー問題は昔からあった。近年では代表作でもある『多重人格探偵サイコ』においてもスペアという問題で現れているし、『多重人格探偵サイコ』は目玉にバー・コードを持つ殺人者たちの物語だが、バー・コードとは所詮大量生産という証でしかないというオリジナルを巡るテーマが根本に流れる。
西島大介は『アトモスフィア』において主人公の前に現れるドッペルゲンガーがどんどん増殖し、その世界すらも並行世界のように世界すらもドッペルゲンガー化し増殖していく世界を描く。増え続けると、もはやオリジナルとコピーの区別はほぼなくなってしまう。「オリジナルとコピー」。僕とは一体何者なのか? 何かを創る時に影響を受けたものから逃れられない複製としての表現。もはや"n次創作"が溢れる世界において。
『I Care Because You Do』は90年代に思春期を過ごした者にとっては懐かしい空気感を持つ漫画だ。そしてノストラダムスの予言はあたらずに、大地震が来ても宗教団体のテロが起きても世界は終わりはしなかった。だけど主人公である三人の世界はある意味で終焉し、彼らはその先を生きて現在までが描かれている。かつての少年たちは、もう三十代に入っている。もはや95年は近過去だ。カッコわるくみっともなくてダサイ、でも何かを信じてたあの頃。だからこの物語は彼らにとっての神様たちと彼らが別れていく物語だ。これは90年代に青春を過ごした彼らの通過儀礼の物語。とても哀しく、愛おしい物語。
「パターン青、使徒です。使徒ってテクノっぽくね?」
「心の傷、エンドレス・レイン」
西島大介の漫画は、コマに台詞しかないものが続いたりする。文学的な部分がありながらも、絵がなくてもそれはやはり漫画だ。西島氏とさやわか氏が主催している『ひらめき☆マンガ学校』という参加者全員を漫画家にするという企画があるのだが、その一学期をまとめたものが講談社BOXより出ているので読んでみてほしい。表現をどう考えているかがよくわかるし、マンガ以外の表現にも有効的なものがたくさんある。
昨年2クール放映されたアニメ『輪るピングドラム』も物語のバック・グラウンドにあったのは地下鉄サリン事件だった。そこで描かれた95年から現在に至る間に、かつての少年少女たちは、それまでの倍の時間を生きて三十代になっている。当時よりも酷いかもしれない日本の現状の中、あの頃の僕らと同じ思春期の子供に、そして現在の僕らにむけた作品が現れてくるのは当然の流れなのだろう。僕らが居た時間の肌触り。僕と趣向は違うけど、知っている温度の時代がそこにはある。今の若い世代は、どう感じるんだろうか。
『I Care Because You Do』を読むと90年代に思春期を過ごした者のノスタルジアが見事に昇華されていて、最後は泣きそうになる。西島作品の中でこの先一番好きになっていくかもしれない、あの頃と95年から、どんどん時間が過ぎれば過ぎるほどに。
僕のゼロ年代の神様も三人いるけどここでは教えない。
《神様はいない。けど、いた。'90年代の終わり頃に。
もちろん麻原彰晃じゃなくて。
リチャード・D・ジェームス、庵野秀明、そしてYOSHIKI。
これが僕の神さま。なんてことだ、三人もいる。
'90年代の話を書こうと思う。本当のお話、本当の物語を。
神さまに、置いてきぼりにされた瞬間を。
'90年代のどんな事件より、どんな災害より、
もっと決定的に世界を終わらせてしまった出来事を。
彼がステージに姿を現してくれなかったあの日のことを。
あのテレ東のアニメの最終話を。解散と突然の悲劇を。
ほんのちょっと遅れてやってきた、本当の結末。
三人の神さまに、この物語を捧げる。
アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥー。》
そろそろ夕方のテレビが始まる。急いで帰らなくちゃ。
※西島大介「ゼロ年代最後の年に。まえがきにかえて」より。
- アーティスト: DJ まほうつかい
- 出版社/メーカー: Headz
- 発売日: 2014/08/13
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (6件) を見る
- 作者: 西島大介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/01/23
- メディア: コミック
- クリック: 20回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
- 作者: 西島大介
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2014/08/27
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
- 作者: ホンマタカシ
- 出版社/メーカー: 光琳社出版
- 発売日: 1998/12
- メディア: ハードカバー
- クリック: 80回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編 (ちくま文庫)
- 作者: 都築響一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2000/12/01
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 16回
- この商品を含むブログ (44件) を見る
ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 西日本編 (ちくま文庫)
- 作者: 都築響一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2000/12/01
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 34回
- この商品を含むブログ (46件) を見る
- 作者: 大竹伸朗
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/07/19
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る