Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『逆鱗』


 初めての確定申告をしに。微妙にわからないとこを聞いて提出しようと調べたら世田谷税務署が松陰神社前から用賀に変わってたけど、確定申告書類作成と提出は青学近くのベルサール渋谷ファーストとかいう所やった。渋谷区だし! 雑費とか間違えてたから最初から教えてもらって作成した。来年からはもうちょっとスムーズにできるかな。



「人魚は、ひとつの『逆鱗』を食べる」
http://www.nodamap.com/gekirin/
 一昨年は、古川日出男戯曲×蜷川幸雄演出『冬眠する熊に添い寝してごらん』を、昨年は野田地図『エッグ』を。そして、『逆鱗』を。




「百年の想像力を持たない人間は、二十年と生きられない」
古川日出男著『冬眠する熊に添い寝してごらん』






 マコトもキングもGボーイズもいない「池袋ウエストゲートパーク」。あの時始まったものはゼロ年代の景色や想像力の萌芽だし、なにかの終わりだったんだろう。その一連は「あまちゃん」に辿り着いて。


から回るVELVETの空で
きっと声は聞こえてる
鮮やかで悲しいこの空で
僕の声が聞こえているから




 当日券販売開始の18時まで四時間弱、てれびのスキマさんの新刊『1989年のテレビっ子』を読んでいた。増田俊也さんの『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読んだときに感じたものと同質の感触がある。圧倒的な熱量と想いが託されて綴られた一冊の本はジャンルなんか吹き飛ばしてしまうということを。『逆鱗』当日券並びしてる三時間半で、てれびのスキマさんの『1989年のテレビっ子』読了。あ〜、とんでもなくすげえなあ。最後で泣きそうになってしまった。





 『逆鱗』四時間少し並んで当日券でS席取れた。一階の一番後ろの列だったけど全体見えるしまったく問題なかった。あと座れたのはデカい。



 パンフとTOTO。会場のBGMがセックス・ピストルズ



 野田地図『逆鱗』は去年の『エッグ』と地続きで、最後は涙が止まらなかった... どちらも前半のテンポと伏線が後半まったく反転して意味が変わる。野田秀樹という作家はストレートにぶちこんでくる、去年は終戦から70年であったことを。アナグラムと言葉遊びが今の深刻さとあの時を思い出せ、と。今日は確定申告で並び、当日券で並んでる最中に『1989年のテレビっ子』の熱量にやられ、『逆鱗』で涙が止まらず。並んで泣いてばっかりだった。



 信頼してる人がオススメしてくれるものは、お金と時間がある限りは観たり、聴いたり、読んだり、食べたり、触ったりしていかない限り、自分の狭い尺度が広くならないのを痛感するこの数年間。
 オススメしてくれたものが響かなくてもわからなくてもよくて、未知と触れないと僕は全然成長できない。信頼してる人の数はあまり多くはないけど、僕のことを想ってオススメしてくださる人はわかるし、そうではなくてもノリで行ったらよいこともたくさんあるし。たぶん、そこに行動が伴えば発見はあったりする。
 今日、観に行った野田地図『逆鱗』も、先週、窪美澄さんたちと舞台を観に行った帰りに話をしていて、前日に『逆鱗』を観られた窪さんがオススメしてくださったから。前年に『エッグ』観てて先行で落ちたから今回はいいかなって思ってチケットを取ってなかったわけだけど。ネタバレしていいからどんな内容か聞かせてもらったから観に行かないわけにはいかない内容だった。


 『逆鱗』は「人魚」を巡る演劇でした。ほぼネタバレはしませんが、前年の『エッグ』が卵を使った架空の競技・スポーツを題材にしながらもその卵を巡る演劇に隠されていたのは、実は卵を使って細菌兵器を開発していた戦中の中国とかにいた日本人研究者の話でした。終戦から70年経った去年、野田秀樹という舞台人はストレートに戦争というものに挑みました。そして、そこには押し付けられた責任や大きな流れに翻弄され潰されてしまう個人と彼らを巡る集団の恐ろしさなんかを僕ら観客に見せつけました。『逆鱗』はその『エッグ』と明らかに地続きの物語でした。


 「エッグ」がそういう題材なのであれば、「人魚」がなにかということはわかってしまうのですが、はっきり言ってしまえばネタバレがどうこういうレベルの作品ではない、ということでした。僕は四時間以上並んで観れたことはその時間以上の価値があったと思います。たしかに早めに並んでS席が取れたので座れて観れたのはラッキーでした。チケット代もS席は9800円します。その価値は充分すぎるほどです。しかし、高校生や大学生が観るのは高いでしょうし、当日券で立ち見とか安い席もありますが、東京芸術劇場という場所で演劇を観る人はそれなりにお金を持っている人や余裕のある人たちだと思います。あるいは文化に対してきちんとお金を払いたいと思っている人。
 こういう作品がもっと若い世代に観られることこそが大事だと思わなくもありません。社会的地位やお金を持っている人たちは戦争や国が悲惨な方向に流れた時に逃げ出すことができる人たちでもあるので。そういうあべこべな部分も演劇というものは孕んでしまっていると、たまにこういう大きな劇場に舞台を観に来ると思ったりします。



 最後の方は涙が止まりませんでした。哀しくてどうにもならない想いが溢れてきて。圧倒的に凄い作品でした。僕の中に落ちていったものはいつか浮上するのかもしれません。



『逆鱗』
キラキラと光る鱗の輝き
それは水中に届いた光が反射している
一匹が犠牲になってほかの集団を助けるという
人間の死が、魂が海の底に沈殿する
死は塩になっていく
鱗は水中に浮かんでいるか
人の魂は、いや死というものも水中にある
しかし、底にある、地ではなく天に向かわず、海に
逆立った鱗に書かれている言葉は暗号だ
アナグラムであり言葉遊びだ
キラキラと光って輝いている
人魚が泳いでいる海の底にあるもの
人が作りし哀しき人魚と踊っていった魂たち
沈んでしまった底には光が届かない
だけど、忘れてはならないものが逆立った鱗みたいに光っている