Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『博士と彼女のセオリー』


 仕事終わって自転車を国立競技場の方へ北へ向かって走らせて途中で横にそれて新宿を目指した。いつも原宿からまっすぐに明治通りを通ってバルト9とか大塚家具が見える辺りの交差点に出る。目的地はシネマカリテ。
 自転車は東京の、特に都心部では有効な乗り物だ。危険でもあるしもろもろの問題はあるのだけど電車の乗り換えだとかで近いはずなのに遠回りな感じを覚える場所もショートカットしちゃえば本当にすぐだったりする。そういう意味では目的地に行くための路線のせいで行き辛い足を運ぶのが億劫な所もショートカットさえできれば問題なかったりする。本当に気持ちはアクロスザユニバース。
 東京という街はやはり電車によって通勤・通学し社会が回っている場所だというのは住んだらすぐにわかるし本当にそうなんだなと思う。車も当然たくさん走っているが人々が働く(通学する)場所と住む場所はやはり路線などが重要なものであるからだ。そこを無視して自転車で走っていると正直電車には乗りたくなくなるし満員電車に乗って精神を病むのはもってのほかだと思う。僕は岡山のど田舎から上京して最初の二年は調布市に住んだけどそれ以降は世田谷区に住んでいる。田舎から出てきたのに新宿だとか渋谷に一時間とか電車に乗らないといけない場所に住む理由はなかったし、家賃がそういう場所より高くても総合的に電車代や移動時間を考えたら都心部近くに住むのが一番だと思う。働く場所や学校が都心から離れているならその近くに住むのはもちろんのことだけど。
 やっぱり僕が重要しするのは「時間」だ。だってそれは限りがある。この人生はいつか絶対に終わる。絶対にだ。いつかはわからないが生まれたということは死ぬということだ。死ぬまでの時間しか人生はない。だからお金は増減するとしても時間だけは自分の人生の時間だけは減り続けていく。だから僕にとって大切なものは「時間」だ。だから無駄にしたくはない。無駄な時間というものがとても大切なものだということもわかっている。それは限りあるものを無駄にするという贅沢さが伴うからだ。
 シネマカリテに観に行った映画は「時間」に関する作品だった。




監督/ジェームズ・マーシュ
出演/エディ・レッドメインスティーブン・ホーキング)、フェリシティ・ジョーンズ(ジェーン・ホーキング)、チャーリー・コックス(ジョナサン・ヘリヤー・ジョーンズ)、エミリー・ワトソン(ベリル・ワイルド)、サイモン・マクバーニー(フランク・ホーキング)ほか





ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を抱えながらも最先端の研究に励み、現代の宇宙論に多大な影響を与える車椅子の天才科学者スティーブン・ホーキング博士の半生と、博士を支え続ける妻ジェーンとの愛情を描き、ホーキング博士を演じたエディ・レッドメインが第87回アカデミー賞で主演男優賞に輝いたヒューマンドラマ。ジェーンが記した自伝を原作に、ドキュメンタリー映画「マン・オン・ワイヤー」でアカデミー賞を受賞したジェームズ・マーシュ監督をメガホンをとった。ジェーン役は「アメイジングスパイダーマン2」のフェリシティ・ジョーンズ。物理学の天才として将来を期待される青年スティーブン・ホーキングは、ケンブリッジ大学在学中、詩を学ぶ女性ジェーンと出会い、恋に落ちる。しかし、直後にスティーブンはALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。余命2年の宣告を受けてしまう。それでもジェーンはスティーブンと共に生きることを決め、2人は力を合わせて難病に立ち向かっていく。(映画.comより)




 まず最初にポスターを見ていいなってなんとなく思っていてニュースで主演したエディ・レッドメインが第87回アカデミー賞で主演男優賞を受賞したこともあって観に行こうと思っていた。友人の有田が去年カナダに留学していた時にすでに観ていて僕が好きなタイプの作品だと言われていたので早めに観に行こうと思って今日仕事終わりに行ってきた。
 アカデミー賞を取ったのもあっただろうけど18時半の回もわりとうまっていた。客層はその時間の新宿だからってのもあるのかもしれないが二十代、三十代が多かった気がする。確かにエディ・レッドメインホーキング博士に扮したあの演技を観るだけでも充分に価値のある映画だと思う。


 ポスターから感じられる恋愛映画の要素もある。がそれはホーキング博士と妻となるジェーンがケンブリッジ大学で出会って恋をし彼が難病であるALSになって結婚するまでだと言えるだろう。ジェーンの強い意志が余命二年と宣告された彼を救う、いろんな意味で。未だに生存しているホーキング博士のことを思うとその宣告は外れて彼が現代の宇宙論に多大な影響を与えたことはこの世界の意志だったのかもしれない。
 神を信じてるジェーンと無神論者のホーキング。彼の体は年々自由が効かなくなっていく。博士号を取り新しい理論を発表し仲間だけではなく世間的にも有名になっていく彼はみんなと一緒に食事をするにしてももう自分でうまくご飯も食べれずに飲み物も飲めなくなっていく。その描写がやはり辛い。
 ジェーンの支えていく辛さとホーキングのどうしようもない体の自由が効かなくなっていく描写は観ていて自然と涙が出てしまう。恋をして結婚して支える人と支えてもらいながらも自分の研究を追い求める学者。
 彼がいう宇宙の始まり、時間の始まりについて。恋が始まって終わるように。時間が遡ればすべては無に還っていくのか。ブラックホールと時間の特異点、すべてはうまく理解できなかったが台詞の中でうまく説明されていて物語の中でそれらのことが化学反応して物語に深みを与えていた。
 ホーキングが最後に選んだこととジェーンが選んだこと。体が不自由になった夫をただ支えるだけの妻という美談で終わらせていないところがさすがだし突き刺さる。ジェーンが従順な良き妻で母であるという描写にしなかったのは現実でそうだったからだとは思うんだけど彼女をひとりの女性として最後まで描いた所がホーキング博士の追い求める宇宙に対しての考えのように深淵を僕らに見せてくれているようだった。
 僕の今年観る映画の中でもトップクラスだと思う。やっぱりこういう映画は観た後に響いてきてしまう。ずっと長い間残っていくと思う。