Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

東中野から初台へ

 昨日はというか朝まで友人と飲み。東中野にある友達がやっている焼き肉屋「大樹苑」で美味い肉食って飲んで、その後は初台の友達の家で始発まで飲み。友人の一人は芸人さんで昨年のキングオブコントセミファイナリストに残っていて、今日のM−1では芸人の中では敗者復活で「流れ星」がくるという話らしくて、あとはバンクブーブーがいくかもって話をしていた。


 僕としては東京ダイナマイトに優勝してほしい、問題は右半身がダルいのできちんと生放送で見れるのかが疑問だけども。昨日家を出た後にアマゾンが来て東浩紀著「クォンタム・ファミリーズ」を持ってきていた。午後七時半って来るの遅すぎるだろう。来年一発目に読む小説になりそう。


 M-1が始まる数分前にエホバの証人の二人が訪ねてきた。聖書に興味はありませんか?とあるよ、そりゃあ。神話と一緒だもん、ただの物語の古典としてね。


 全ての宗教がなくなれば戦争はなくなりますよね?


 戦争や苦しみがなくなるのは人類がいなくなった時でしょ。


 死んだ後の事、死生観を求めるから宗教が存在するんでしょ、今を生きるので死んだ後の事はどうでもいいっす。


 言いたい事は言っておいた。彼らは純粋な目をして僕を見ている。僕には宗教や何かを一心に信じているが故にあるその純粋さが悲劇を起こすとしか考えられないのだけども、そういう客観視ができなくなっている事を考えないのだろうか。


 神ってなんか嫌だし、キリストだってキムタクみたいな感じの人気で、弟子がその後に勝手に作り上げて祭り上げたんでしょ、神として。


 いえ、聖書では神ではなく創造主です。


 だから呼び方はどうでもいいし、元々は東洋のものでイスラエルが、だからユダヤイスラム、キリストは元は同じ兄弟宗教だろう、知ってるわ。だからずっと兄弟喧嘩して戦争し続けてんだからくだらねえっての。


 物語作りたい人間にとっては聖書は古典的なストーリーとして興味はあるけど、引用はするだろうけど、聖書に書いてあるような死んだらどうなるのとか、そういう哲学とか死生観とか道徳とか、やりたいように書くし創造しますから。


 でも、書く人間は創造主ではなく、物語を産み落とす、だから物語を受胎し産み落とす。土地を歩く事で物語の精子を浴びて受胎する。by古川日出男


 僕は神には憧れない。いくらかの物書きの人たちに憧れている。空中に浮かんでいる物語の破片をつかんでそれを形にする。時には自動書記のように降りて来るような事もあるらしい。僕にはまだその領域に入った事がない。


 神とか宗教が嫌いなだけ、それを善意だと押し付ける裏の悪意。だから僕が十九から書きたい一つのテーマは宗教。だけど力量がまだ全然ない。


 書店にはいろんな物語が溢れている。僕にとって物語の聖書はある。


 またお邪魔して話をしてもいいですか?
 宗教の話じゃなくてM-1とかの話ならいいよ。
 お笑い好きなんですね。
 ええ、大好きです。


 「M-1」見ていて南海キャンディーズ見てたら「クォンタム・ファミリーズ」がようやく来た。

13 (角川文庫)

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LOVE

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聖家族

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クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズ