Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「Kids」

 タンニング、いやランニング、RとTを打ち間違えたらそうなるらしい、バイトは昨日ほどの忙しさはなかったが八時台に恐ろしく混んだので久しぶりに2日連続で殺意を覚えた。単純な話、単純労働をしているのでストレスが溜まるのは仕方ない。深夜にまた「文化系トークラジオ Life」の「規範なき現代〜萱野稔人×鈴木謙介〜」を聴いていた。


 コンビニや牛丼屋の店員さんに外国の人が増えてきたのは何年も前からだろうけど、マニュアルさえあればできる労働は賃金が安いし、低賃金を日本人が嫌がるなら外国の人がそこに就いて労働すれば単純なサービス業は彼らが占めて行く。
 でも不景気になって仕事がなくなったり、辞めたりさせられたりする時代だとそこすらも争いになる。この数年コンビニの店員に四十以上の人がやけに増えているような気がする。


 バイト先にも就職が決まっていない大学四年生とか、これから就活をしていく人がいるが、彼らに聞くと就職はしたいけど、特にこれって業種もないみたいだ。僕には考えられないがやりたいことがない人がいるのは当然ながら知っている。
 それでも就職を考えないといけないとなるとやりがいとかじゃなくて大学出たら就職して社会の一員として認められないといけないって無意識での思い込みがさらに自分を追いつめている。それは端から見ているとなんだか可哀想な気もする。

 
 僕のようなある種の楽観主義、アリとキリギリスのキリギリス的な人間だかりだと社会は成り立たないけども、生活があるのもわかるけど、なんだかなって思うことが多い。やりたい仕事がないから就職しないという考えもありだし、多様な考えがあってもいいのに。いろんな基準や価値観やシステムがもはや崩壊して新しいビジョンも探せない、提示されない、混迷した時代であるのに、旧価値観が以前と支配している。あるいは共同体としての世間体が。


 ぶっ壊せないし、壊し方もわからない。でも、何かを壊して新しい価値観が作られるために、どこまで破壊されるのか。テン年代はそうなるのか? でも新しい価値観についていけない人たちは取り残されてしまう。


 世間は気になるけど、あんまり気にしすぎると疲れちゃうのにな。学校が小さい社会だから子供の頃からそれが当然になるとそこからはみ出す怖さがあるのかもしれない。はみ出したら楽だけども。


 走っているといつもよりも日が昇るが遅くて6時過ぎても暗かった。冬だ、という感じだ。本格的に寒くなるのか、暖冬だと言っても寒いのには変わらないのだから。今の寒さが、全てで例年とかはあんまり関係ない。走りながら「タマフル」のPodcast「ちょこっとラボ & ザ・シネマ・ハスラー「曲がれ!スプーン」」を。本広監督ボロクソだな、来年の「踊る3」もぜひ「ザ・シネマ・ハスラー」でやってほしい。


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