Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「ダンストリエンナーレ トーキョー 2009 ―限りなき瞬間― 」

 朝五時に家に帰り寝ないでそのまま。それから友人と以前から観に行くのを約束していた映画「20世紀少年 最終章「ぼくらの旗」」を朝一で観るために渋谷へ、道玄坂のテッペンというかセブンイレブンとそこを左に曲がるとライブハウスとラブホの一角になる直線でなにかの撮影をしていた、映画かテレビドラマみたいだった、ロケバスがあったから自主制作ではないだろう、ただ何を撮っているかはまったくわからなかったが。


 友人と話をしてから劇場へ。思っていたよりも客はいた感じ、公開一ヶ月ほど経ち、評価としてはつまんないというのが流れているのにもかかわらずいるといった感じで、親子連れや中高生のガキの集団がいた。親からすればまだ古き良きノスタルジーな昭和の匂い、中高生からすれば平成生まれには昭和なんてもはやファンタジーだろう。

 
 冒頭の五分ぐらいで前作、前々作の第1章、第2章「最後の希望」のあらすじが流される。二作で四時間少しの物語は五分で要約できるほどの内容しかないということだ。つまり三部作にするほどの中身はまるでないと冒頭でご親切に教えてくれる。いかに儲けて客を入れて制作費を回収するかということだけで三部作になったということだ。


 最終章「ぼくらの旗」はコミック「21世紀少年」の上下巻をい映画化している。原作コミックのただひたすらに延命させた内容をシナリオとしてきちんと構築させていないのでツッコミどころが満載な内容となっている。これで面白いと言えればたぶんほとんどの映画でつまらないと思わないのでないか、と疑問すら浮かぶ。


TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウイークエンドシャッフル」↓

ザ・シネマ・ハスラー20世紀少年<最終章>ぼくらの旗」
http://s01.tbsradio.jp/redirect/utamaru/432921.mp3
 

「映画野獣・町山智浩の邦画ハスラー!本土決戦SP!!」
<前編>「二十世紀少年<最終章>ぼくらの旗」
http://s07.tbsradio.jp/redirect/utamaru/492930.mp3


 観ながら笑ってしまった部分は何度かあって、「それはないわ」って思って。おっちょ(豊川悦司)が高機能性なロケットランチャーでウイルスを撒いている円盤の一機を撃ち落とすのね、レーダーがブレてすぐに打てないけどなんとか命中させる。円盤はまっすぐには飛ばないので、なのに復活した13(ARATA)が乗ったヘリコプターがそのもう一機の円盤に突っ込んでいって真っ直ぐに飛んでいって自爆して円盤を落とすっていうさ、当たらないよね? どう考えてもあと円盤よけれるよね。しかも街の上空で殺人ウイルス積んでる円盤撃ち落としたらダメだろ、どう考えても。


 「ともだち」が僕が犯人だ、世界中に殺人ウイルス撒きますって宣伝したのにみんな彼をなんとかしようとしない。しかも撒くって言った八月二十日だったかな、街に普通に人がいて、そいつら空飛ぶ円盤から撒かれた殺人ウイルスで死ぬのね、バカか、ありえねえし、そんな事になったのにほとんどの人が避難してねえってどういうことだよ、シナリオひどすぎる。


 避難させようとしたカンナ(平愛梨)がフェスティバルよって言って大観衆を集める。しかもそのフェスのメインはケンヂ(唐沢寿明)の曲だっていうさ、一応東京にいる人たちが心の寄り心にしている歌って設定。
 「叔父さんは絶対に来る」って言うんだけどさ、それはカンナの思い込みでしかないのね、ケンヂがフェスやるっていうビラを見たシーンもないし、誰もケンヂに伝えてないのね。
 ありえるのは巨大なロボットと「ともだち」(やっぱりフクベエ(佐々木蔵之介)でも実はフクベエではないっていうまじどうしようもない正体)との決着をつけた後におっちょかヨシツネ(香川照之)にフェスあるぜって言われたか、みたいなそれにないし。


 「ともだち」が操作する二足型ロボット、しかも内部には中性子爆弾搭載が秘密基地にまで来て、ケンヂとおっちょでなんとかする、ようするにロボットを倒す、転けさせて!(爆弾入ってるんだけどなあ〜)、で、友達を止めようとしていたヨシツネ、前半からヨシツネが「ともだち」じゃねえかって引っ張っている、無理がある。の三人、いきなり「ともだち」が登場する。「お前、あいつか」で有名な彼が来て、オチ的には「ともだち」の片腕だった万丈目嵐舟(石橋蓮司)が銃で撃つ。


 ある意味で万丈目は「ともだち」を暴走させた責任を取る、彼もまたロボットの下敷きになって死ぬ。マスクを取るとフクベエだった。なんでケンヂが殺さないのかがわからない、彼に責任の一端がというか彼の「予言の書」が発端だよね、彼が幼少期にした行為(万引き)が引き金になったんだよね、この一連の流れ。
 それでも自分で手を下さない主人公ですよ、自分で責任取りたくないんですよ、飽きれるよね。制作者からすると主人公に手を汚れさせたくないみたい、せめてケンヂの手によってフクベエのフリしてたこいつを殺してやる事がせめての責任だろ、と思う。


 しかも、フクベエが死んでてさあ、ガキの頃に。実験好きなカツマタ君(の幽霊が出るとか言ってた彼が普通に生きていたし、ましてや同級生だったって、はっはあああああああ、設定とか後先考えてないからこういう辻褄合わないことになるわけ)がなりすましていたという。ケンヂが地球防衛軍バッヂを万引きして、それが元でしてないのにしたことになって、フクベエ(幼少期)とかに虐められて次第に学校に来なくなって死んだ事になってしまったカツマタ、可哀想すぎるだろ。


 で、一旦「ともだち」のところが終わってフェスですよ、エンディングロールも流れるね。で、YMOの高橋さんがなんでかケンヂの元バンドのベースで、春波夫(古田新太)がドラムっすよ、高橋さんあなたは世界的なミュージシャンなんですからこんなしょうもない作品に出ないでください、しかも音楽シーンで。


 しっかもケンヂが歌う原作者・浦沢直樹が作った「Bob Lennon」ってのを歌うんだけどさ、これを聴きに数万人とか来てる感じになっててさあ、ウッドストック・フェスティバルみたいにしたいんだと思うんだけどこんな歌聴きに数万人が来るわけないじゃん、実際にロックフェス行ったことねえ連中が作ったんじゃないの?っていうさ。


 「ぐーたららすーだらら」みたいな歌詞があって、それのどこがいいんだよって。しかもケンヂのロックで世界を救うっていう自己実現をしてしまうわけでさ、これは中学の時にケンヂが放送室を占拠してT・レックスの曲「20th Century Boy」をかけたけど世界は変わらなかったという事に関連している。


 ロックで音楽で世界は変わらないよ、当然だけど。モーツファルトやビートルズが世界を変えましたか? 彼は偉大な作家だしミュージシャンではあるし、多くの人を魅了するカリスマ性を持っていたけど彼らが世界を変えたんじゃないでしょ、彼らの音楽を聴いて受け入れた新しい価値観を持った大衆が世界を変革していっただけ。
 彼らは磁石で強い力を思っているけど実際には彼らのもとに集まってくる砂という大衆が集まっていけばいくほど世界のあり方を価値観を変えてネクストフェイズに突入する。大事なのはいろんなものを受け取る受け手の数で世界は変わる、彼らは引き金になっている。


 しかも、エンディングロールが「Bob Lennon」ととも流れる。でロールに神木隆之介って出てて、一回も出てきてないぞって思うとエンディングロールが終わるとケンヂがやらないといけないことがあるって言ってヴァーチャルアトラクションに入ると小学生時代に、そこで万引きした過去の自分にジジババ(研ナオコ)に一生後悔するぞって謝らす。


 うん、謝ったら過去の過ちは解決するのか? 許されるのか? しかもここはヴァーチャルアトラクションであって現実世界の過去でもないしパラレルワールドでもない、ここで謝るのはただのケンヂの自己満。意味がない。


 その後中学校に、ケンヂがT・レックスの曲「20th Century Boy」をかける。屋上で自殺しようとしていたカツマタは思いとどめて、屋上にきたケンヂと話す。ケンヂはいいよって言ってお面取れよって言う。カツマタが階段で降りようとしたらおっさんケンヂが「カツマタくんだろ」と声をかけ、お面外してあいつと話してこいとかすまなかったって謝る、ここで彼に謝っても意味がないんだよ、実際。
 で、カツマタ君お面外すと神木でさ、ケンヂがメロディーは出来てるんだって言って、詞とか作れるみたいな話になって「ぐーたららすーだらら」って神木が口ずさんだらケンヂが「お前天才だな、すげえな」ってどこがじゃい、それは歌詞じゃねえだろうが。


 しかもこれでカツマタくんの暴走はケンヂと友達になったししないだろうし彼の人生は変わるんだろうみたいな終わり方をするんだけど、待って、ストップ、ストップ〜これはヴァーチャルアトラクションの中での出来事だから、現実世界で「ともだち」が大量虐殺したことは事実だし変わらないし、ヴァーチャルアトラクションの中の出来事は現実に起きてないから何の解決にはならないから。


 これ作った連中はそうやって辻褄合わないのに合わせた感じで逃げようとしたのか、映画見る一般の客はなんもわかんないだろうって傲慢なのかわからないが、これは間違いなくひどい作品ですよ。、こないだの「ディケイド」の劇場版を凌駕して今年のワーストワン。


 ほんとに堤監督の次回作が僕の大好きなコミック「BECK」っていうことが残念でならないな。まあイケメン集めてイケメン目当てなだけで物語とかに何の疑問も持たない若い女性客さえ入れば興行収入はなんとかなるんだろうしさ、どうでもよくなってきた。


 「20世紀少年 最終章「ぼくらの旗」」は別の意味でオススメですよ、この低レベルな作品観たらたいていの映画はマシです。こんだけ金かけて宣伝してもこの程度のものです、あとテレビ局開局何十周年作品っていう映画はどうしようもないです。テレビ局と広告業界の傲慢さと視聴者/観客を舐め腐っている事が肌に感じてわかります。


 この映画に関係した人にとって完全に黒歴史になる作品ですね。


 その後、ダッシュ青山ブックセンターに行き「ダンストリエンナーレ トーキョー 2009 ―限りなき瞬間― infinite moments トークイベント アーティストトーク黒田育世×古川日出男」を。角川書店の古川さんの担当者の方や「Life」繋がりの小西さんがいたりと顔見知りの人がいらしたので少しだけ挨拶。


 いやあ、このお二人が一緒にやった舞台「ブ、ブルー」のスライドショートか映像が流れた。映像で観ただけでも凄いけどあのライブで観た時のイメージが濃厚すぎる、あれは生で体感できてよかったと改めて思い知る。


黒田育世×古川日出男『ブ、ブルー』予告プラス追記
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20090216


 黒田さんと古川さんがコラボできた理由がよくわかるトークだった、このお二人はものに関しての捉え方や受け取り方、創作する姿勢が同レベルというかかなり近い場所にいる。
 だから、僕は聞いた内容をあまり考えないようにした、ただ受け取るように感じようと思った。だって考えても僕はそこの領域にいないだから考えればこんがらがる、理解できるのならば僕はこの二人のように人に届けれるレベルにいるってことだろう、だから感じることに重きを置いた。
 

 最初からメモは取らなかった、メモを取ろうとすると後には残るし読み返せるけど大事な本質が零れ落ちてしまう気がするから。例えばいつかお二人が話していたことがわかる時があれば聞きながら感じた事が身にしみるんだろう、たぶん感じた事がリアルに僕に響くのはそういう時だと思う。


 黒田さんが室内の一角で踊った、ダンスをギターの伴奏と共に舞った。まず最初に目がいくのが手の指の動き、関節と言う関節筋肉を自在に操る、動きで残像のようにも見えて黒田さんの輪郭が薄くなっている感覚、黒田さんの体を作る輪郭が消えていって世界と同調するみたいな、溶け出しているみたい。それで体全体を持って行われる。


 終わった後に古川さんが足が手になろうとしたり足が手にもなれるんだって話から始まって終わるまでの事、黒田さんは言葉にできない何かを表現するために踊ると。古川さんは自分がやってるのは小説と言うよりも文学だと言われていた。
 

 十月と十一月に「フルカワヒデオスピークス!」ってエクス・ポでの対談本が出て関連イベントがある。その後は十一月から来年の四月ぐらいまでは籠って作品を一気に書きたいし、来年は何冊か出すって言われてた。そういえば今年新作の小説は出てないし、出すと言っていた三島賞受賞「LOVE」の続編「MUSIC」も出ていないから、来年はまた何冊も新作が読めそうだ。


 空中に浮かんでいる物語を、すでに空中に存在している物語を掴む感覚、それを自分で書いたり、ダンスとして表現する行為って話は前の舞台後のアフタートークでもあったけど、その感覚を感じれるようになるには研ぎすますものが、色々必要みたいだ。


 終わった後はぐったりとしてしてしまってZEPPであった「Young Flag」には行けなくなった。体力的にもきつかったけどやっぱりできるだけ感受性を増そうとして受け身の状態になると精神的な疲労が思いのほかある。


 行けなかったライブのDragon Ashのセトリは友人から。


00.Intro(FREEDOM)
01.La Bamba
02.For divers area
03.Ivory
04.Callin'
05.Velvet Touch
06.百合の咲く場所で
07.Fantasista
08.運命共同体
【ENCORE】
09.Viva la Revolution


 まあ、モッシュとダイブしほうだいなセトリというか今年の基本的な夏フェスセトリに新曲「Callin'」がプラス。サプライズ的な曲はないみたい。まあ、11月にイベントあるからそれが今年のDragonAshの最後のライブかな、それにはなんとしても行くけど。