Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「色即ぜねれいしょん」

 観ようかどうしようかなって思ってたら観に行こうと言われたので昨日、公開2日目の「色即ぜねれいしょん」を渋谷のシネセゾンで観た。行くまでは歩いていった、「ライムスター宇多丸のウイークエンドシャッフル」の「シネマハスラー」の「ボルト」を聴きながら。


「シネマハスラー/ボルト」
http://s04.tbsradio.jp/redirect/utamaru/462908.mp3


 聴き終わる頃には道玄坂に着いたんだが、宇多丸さんの批評っていいね。「物語」の構造の話とかもわかりやすく言ってるし、一番簡単な物語構造が「行って帰る」って、とても単純なことなんだけど、小説にしろシナリオにしろその手の入門本を読めば絶対に出てくる事柄。「ボルト」かなりいいらしいっす。昔授業で「トイ・ストーリー」と「シュレック」を見たのを思い出した。どちらも構造的にはシンプルなんだよなあ、でも巧いっていう。


 で、来週はスペシャルウイーク(聴衆集計期間?)なんで、冒頭からモノマネしてた「HACHI 約束の犬」がサイコロの1から4までで、5が山形スクリーム、で6が劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー(リスナー枠)で、見事に6枠って。歩きながら吹き出してしまった。6出したあとのスタジオの空気感がね、面白い。


 今日はバルト9でそれを観に行くので宇多丸さん来てたら面白いんだけどなあ、ってなったらすげえな。


 で、目的のシネセゾンに。そういえばここで田口トモロヲ監督で、原作みうらじゅんと「色即ぜねれいしょん」でのコンビだった「アイデン&ティティ」を観ましたね、数年前に。あの頃僕はほぼ峯田君知らなかったなあ、ゴイステも聴いてなかったし。


 上映時間の1時間前の十時半に行ったすでに三十人ぐらい並んでた。さすが、人気あるなあ。監督、原作もだけどくるりの岸田君に、銀杏の峯田君も出てるのも相乗効果だなあって。並んでる客層から。


色即ぜねれいしょん」オフィシャルサイト
http://shikisoku.jp/indexp.html


 主演は「黒猫チェルシー」の渡辺君ってバンドマン。岸田君をちょいと明るく弛ませた感じっすな。映画はというと


 STORY


 僕の名前は乾純。京都の仏教系男子校に通う高校一年生。友達には「イヌ」って呼ばれてる。ボブ・ディランに憧れてる僕は、ロックな生き方を目指してるけど、学校では文科系は肩身が狭いし、家では優しすぎる両親が心配してくれるし・・・・・・ロックとはほど遠い平凡で退屈な日々に悶々としていた。あの夏休みまでは・・・・・・。
 「フリーセックスの島行かへん?」。友達のその一言から僕の世界が少しずつ変わり始める。ギターケースと旅行バッグを手に夜汽車とフェリーを乗り継いで向かったのは、隠岐島ユースホステル。そこで僕らを待っていたのは・・・・・・。


 INTRODUCTION


 原作はみうらじゅんの自伝的な青春小説「色即ぜねれいしょん」。“青春ノイローゼ”まっただ中のモテない少年が、ロックに憧れ、旅に出て、恋を知り、別れを経験する、ひと夏の成長物語だ。


 脚本には「リンダ リンダ リンダ」の向井康介を起用。
主人公の純役には、オーディションで、2000人を超える候補者の中から当時現役高校生だった期待の大穴新人、渡辺大知が大抜擢。
さらに23年振りの映画出演となる堀ちえみ、『ぐるりのこと』での演技が絶賛されたリリー・フランキー臼田あさ美ら俳優陣に、このところ映画での活躍がめざましい峯田和伸銀杏BOYZ)、待望の映画初出演となる岸田繁くるり)というミュージシャン勢が加わったミラクルなキャストが集結した。


 体育会系でも、ヤンキー系でもない。普段脚光を浴びることのない平凡な文科系男子を通して、青春時代の普遍的な悩み、そして手に入れるべき勇気を、涙と笑いで綴った映画『色即ぜねれいしょん』。青春まっただ中の若者から、かつて青春を謳歌した大人まで、胸がドキドキして熱くなれる青春映画の新たな傑作が、今、誕生しました。


予告


 感想は良い意味でも悪い意味でも最初から最後まで特に成長してない物語でした。観た人からすると成長してるよって言われるだろうけど僕はそう思わなかった。まあ、ヤンキーの同級生と話をするようになったのと京都の人のほぼ八割の人のファーストキスの場所鴨川で(ホンマか?)キスされたぐらいな・・・、童貞のままじゃねえか!


 友人の変化によって変わっていけない自分にいらだち、あまりにも理解のある優しい両親、中流階級の家、不満らしい不満がない。まあ彼女がいないとかセックスしたいってのは十代男子が当たり前に思ってること。だから十代の男子は馬鹿で哀しいほどに面白く見える、まあそこを過ぎたからそう思うんだけど。


 痛くて笑える感じなのかな、まあ僕はギターとかはしてなかったけど僕はなんだか笑う事もなく、他の人が笑わないとこ、キム兄が友達の親父でワンシーンだけ出たり、オリーブを追いかけるじゅんの顔で吹き出したりしてました。なんか彼の行動で好きですって葉書に書いて送ったり、僕はそんなことしてないけど、痛いとかという感じよりもなんか身近な感じがして笑う事もなく観てました。


 なんかいい時代だったんだなあって感じが次第にしてきてしまった。今だったら色々と無理だなあって、フリーセックスの島って聞いただけの勢いで行けてしまう辺りとか。家庭教師役のヒッピーの岸田君やユースホステスのヒゲゴジラである峯田君のような兄的な存在ってのがいいなって思った。


 一人っ子でも兄弟いてもいいんだけど、新しい世界への扉を教えてくれる、導いてくれる存在、あるいは人生を間違わせてしまう存在がいたということ、今でも出会うことはあるけども。情報が過多ではない時代には身近な人物たちが直接、間接的に新しいものに出会わせてくれたというのが伝わってくる。


 峯田君が前半かなりおいしいとこを持っていってる。台詞も行動も。台詞に至ってはちょいと説教臭い感じもするが学生運動経験者ってことなのでインテリな事を言うのは、実際に当時だとそうだっただろうな。


 なんか岸田君はツイストの世良さんに見えてきました、錯覚か、幻覚か。


 「優しい両親、平凡な毎日、それが僕のコンプレックス」というのがこの映画の根本に流れるテーマ。前作「アイデン&ティティ」での「不幸なことに不幸なことがなかった」へ通じるものだった。だから映画化ということでは逆の方がよかったんじゃないかって気もした。


 「色即ぜねれいしょん」を観ると「アイデン&ティティ」の方が僕にはしっくり来てしまったなあって。なんで「色即ぜねれいしょん」観て僕は心がまったく動かなかったんだろうか、なんか中高時代の思春期のノスタルジーも感じなかった。
 僕は部活はしてたけど恋愛沙汰はなかったしなあ、僕の方が童貞をもっと正しくこじらせてるような気もするし、ギター弾けたら真の文化系じゃないやいと言っておきましょう、それすらもできんのじゃっていうね。


 「アイデン&ティティ」は夢と現実の狭間で主人公たちが苦しむのが僕には切実なというかリアルなことだったというかその最中だからグサッと来たんだろうってのはある。これって先に「色即」やって「アイデン」やったら威力が加算された気がするんだが。


 映画としては特に山場がないんだよなあ、それが良いって言えばいいんだけどなあ。だから長く感じてしまう。童貞力は満載なんだが、特に苦しみもないので切実さがないんだな、女子の方が笑えると思う。


 好きで好きでたまらないって事もなく、セックスってどんなんかなって思うぐらいで、自分で詞書いてギター弾いて、ヒッピーな家庭教師がお兄ちゃんみたいで、家庭は両親は優しいしそこそこに金もあるし、将来に対しての不安もまだなくっていうお前満足だろ、今の状態でって思うとやっぱり山場がないんだよなあ、感情移入も特にできなかった。


 五十嵐大介海獣の子供」四巻を読む。海が生命の源っていうことをかなりデカイ規模でしてる物語になっている。この話前の巻から空いてるとけっこう読み始めてすぐに内容が入っていかないぐらいにいろんなことが細かく展開されている。
 マンガとしてはかなり面白いSF的な要素があっていい。しかし、これどういう流れになっていくのか楽しみだな、最初は岩井俊二「ウォーレスの人魚」に近い感じの世界観だと思ってたけど、こちらは生命というのがテーマで、後者は人間と人魚の恋だから目指すベクトルが違うんだよなあ、世界観的には少し似ているような気もするけど。

海獣の子供 4 (IKKI COMIX)

海獣の子供 4 (IKKI COMIX)