Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「精神」

想田和弘監督による観察映画第2弾「精神」


「精神」公式サイト
http://www.laboratoryx.us/mentaljp/index.php



 
概要(wikiより)『精神』は外来の精神科クリニック「こらーる岡山」を舞台に、心の病を患う当事者、医者、スタッフ、作業所、ホームヘルパー、ボランティアなどが複雑に織りなす世界を観察したドキュメンタリー。 日本社会がタブーとして来た題材を敢えて正面から見つめ、当事者たちの日常生活、思想、不安、悩み、苦しみや喜びに肉薄する。


 専門の同級生の江尻から誘いもあって前から観てみようと思っていた想田監督「精神」をイメージフォーラムに観に行く。ここに着たのは「IZO」以来で五年振りだった。


 観察映画とはナレーションも音楽も挿入しないドキュメンタリー。ドキュメンタリー映画も編集によってナレーションや音楽を入れる事で観客に対して作り手の思惑通りに映画を受け止めてさせることは容易にできる。


 音楽の盛り上がりによって観ている人の気分はあっさり左右される。ナレーションによって観客は自然とそのナレーションが導く感情の向かう方に思考が動いてしまう。


 それらを排除するとスクリーンに映る画のみで各自の観客が判断することになる。僕だけが笑っているという箇所ももちろんあった。
 だからといって観察映画は客観的に完全に事実を映しているとは言えない。編集されて二時間少しの作品になっている、実際には膨大な時間の撮影、そこから素材を選び、編集されているので監督の視線というはある、がそれはナレーションや音楽がないだけかなり削ぎ落とされている。


 そういう意味でかなり新鮮な映画だった。ものすごく解釈を観客に任せているというのはあまりないから。あと物語というものはほぼない。作られた物語と言う意味で。


 「こらーる岡山」に来る患者さんにカメラを持った想田さんはごく普通に被写体になぜ通院するようになったのかを聞く。それに彼や彼女達は当たり前のように話す。観ながら思ったのはまず二人の女性の通院するようになったきっかけの事件や出来事が非常に重い。かなりしんどい内容だった。


 ひとつは親子関係というのがかなり大きな原因。社会に出てからの人間関係のことで崩していく人。精神の問題というのは基本的には対人関係で不幸な事に不幸な事が重なり最終的に爆発する。
 膨らんだ風船が今にも爆発しそうなまでになった時にたった一言で割れて壊れる。壊れたものを再生させることができるのかどうか。再生できないのなら壊れたままで抱えて生きていくか自ら終わらすしかない。


 中にも出てくるが健常者という言葉。僕もだが完全な健常者という人間はもちろんいない。いたとしたらそれは「神」でしかない。だから「神」は存在いない。
 いろんな人がなんらかの欠陥を持っている、肉体なり精神なり、それが公にならない、病院にかかっていないだけで健常者ということになっている。ようするに「普通」の人間や「普通」の環境と同じようなことだ、そんなやつはいないしない。平均値に近いというのが「普通」という言葉に含まれているから「普通」という言葉は存在できている。


 スクリーンに映る彼らは僕らと何が違うのか? 僕らが勝手に線引きをして、彼らもまた自ら線引きをして言葉があって境目があることになっている、なってしまったその線はいとも簡単になくなる。


 なんだろうなあ、人間がむきだしな感じというか。患者さんの日常生活にもカメラは向けられている。スタッフの人にも。カメラがとらえるといろんなものが自然と浮かび上がってくる。
 老後の問題の心配、生活の問題、法改正による負担増、追い込まれている人が国から見捨てられてさらに追い込まれていく構図が見えてくる。「とてつもない」日本は優しさなどなく、「構造改革」は痛みを押し付けて後始末も再生もしなかった。


 古田新太さんにけっこう似てる患者さん、詩とか書いたりしててけっこう喋るおっさんが「優しいってのは人べんに憂いって書くじゃろ、憂いの多い人ほど優しい」って正確ではないがこんなことを言ってた。


 客の年齢層はかなり高かった。年を取ればそういうことが自分や自分の身近に起きてくるから興味が若い層よりも強いんだと思う。


 この人たち普通じゃんって思う時点で僕が知らずに線引きをしていることを知らされる。観終わった後はけっこうグッタリした。


 終わって江尻と少し酒飲んで帰って行く時に買った大塚英志物語論で読む村上春樹宮崎駿」の新書を読んでたら寝てた。でも江尻の電話で起こされた。


 でいっきに読み終わった。村上春樹にとってオウム真理教が自らの鏡像になってしまったこと、宮崎駿にとってはそれが「ゲド戦記」を作った息子だったこと。おそらくオウム事件がなければ村上春樹歴史小説を書いていたのだろうという辺りはなんか同意できた。


 「ねじまき鳥クロニクル」においては「僕」は壁の向こう側で妻の兄をバットで殴りつけ殺すが、現実世界では急に倒れた兄の呼吸器を妻が切り殺す。「海辺のカフカ」では父をまるで他人のおっさんが殺してくれ、「僕」は死の世界において母や姉と性交をする。


 村上作品において主人公は他人に通過儀礼的な行為を行わさせ、象徴的な母性と関係を持ってまるで大人になれない、あるいは成熟するのを拒否しているような感じは読んでいて普通に感じる。補論として最新巻「1Q84」について書かれている。


 村上春樹の再「スター・ウォーズ」化というは興味深い。村上春樹が私は「文学」という「パシヴァ」の発したものの「レシヴァ」であると小説の中でのふかえりと天吾に言わせているととらえるとこの「1Q84」は彼の文学者宣言であるとみえる等。


 「ポニョ」が大人になれない息子のために男子の胎内回帰の物語を描いてみせた、ということになってしまうというのを読んでちょっと観たくなった。羊水という母性に包まれてしまう胎内回帰の物語がヒットするのは誰も大人になって責任取りたくない時台の背景もあるんだろう。


 宮崎駿作品だから子供に見せるのはいいと思ってるのはけっこうやばいことだと最近思うけど。女の子が主人公だとまだ移行対象のジジが話さなくなるとか様々なことで最終的には成長していくけど男の子が見てもマザコン気質かロリコンに走るだけのような気がしてきた。


キムタク主演「実写版 宇宙戦艦ヤマト」 監督は「三丁目の夕日」の人
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51487189.html


 木村拓哉主演で「ヤマト」実写化で映画みたい。本当だろうか、原作ファンからすでに原作レイプという声も上がっているが。なんでも映画化すればいいってもんでもないだろうし。オリジナル脚本でやったほうがいいような気はするなあ。


 「文化系トークラジオ Life」 本日12日(日)の17時くらいから次回の予告編と、番外編を収録しますが、Windows Liveの「文化系トークラジオ Life リスナーグループ」内でウェブ中継を実施する予定です。
 放送ではありませんので、打ち合わせが済んだらゆるゆると始めるという感じで、時間などもはっきりしませんが、リスナーグループのトピで「そろそろやりますよー」という情報はお伝えしますので、チェックしてみてください。スペシャルなゲストもお招きしています。

 
 ということでhttp://www.tbsradio.jp/life/2009/07/blockbusterlife628.htmlからアクセスしてWindows Liveに登録すれば聞けますよ。


 AV女優で大沢佑香の名前で活躍していたけど名前が晶エリーって改名してた。http://akiraelly.livedoor.biz/
 フリーになったみたいだけどフリーだとある程度は仕事をコントロールできるのか、でも営業とか大変なのかもしれない。