Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

戯言ビーストモード

天地人伊達政宗松田龍平)↓
http://www9.nhk.or.jp/taiga/cast/index.html


 独眼竜な政宗ですが、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の次の「Q」の予告では独眼竜式波さんになってましたね。いろいろとなぜに?とツッコミどころがあるんですが、政宗と関連はあるんでしょうか。政宗は母親に毒殺されそうになったりとアスカ(惣流・アスカ・ラングレー)も母親との問題があってそこはリンクしている感じ。


 「惣流・アスカ・ラングレー」から「式波・アスカ・ラングレー」に改名されたと同時にアスカのバックボーンは新劇場版ではいっさい出自していないので不明。新劇場版のアスカの母親が碇シンジの母同様(旧アニメシリーズ・旧劇場版においての設定として)、エヴァンゲリオンへの接触実験を行い、これに失敗し「精神汚染により発狂」、後に廃人同然となっているかどうかは定かではない。


 「ガンダム」は父性の物語、「エヴァ」は母性の物語と言われたのは、アムロ・レイは父の設計したガンダムに乗り込み戦う、放送当時はまだ父の権威があった時代だったから。
 「エヴァ」のエントリープラグは母体であり羊水に満たされるなどの子宮のイメージ。初号機と二号機にはシンジとアスカの母親が乗り死んでいる、精神だけ取り込まれ廃人になっているという設定上、子供であるシンジとアスカが乗れてシンクロ率は高まる。エヴァアンビリカルケーブルはまんま臍の緒の意味の英語だし。


 師弟である宮崎駿庵野秀明は胎内回帰、あるいは海に象徴される母性に世界が覆われる物語を描く部分も類似している。


 そういうわけで「破」での多くの人が感動したレイを助けるというシンジとビックリするぐらい可哀想なことになっているアスカのその先は次回作「Q」「+α」において明かされるわけですが、母のクローンであるレイを助け共に初号機のエントリープラグにシンクロ率が圧倒的になって羊水のイメージであるLCLに溶けた時点で胎内回帰≒近親相姦的なことになってます。
 この時点で「破」は「ポニョ」の最後部分までを描いたことになってるのかもしれない。


 あとは師匠が描けないその先の、「胎内回帰」した男の子のその先をどう描くかがかなり大きな問題じゃないかなと、この先のアニメの可能性としても。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」+「文化系トークラジオLife
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20090629


 全ての物語が終わった後で思想家である東浩紀さんや批評家であり漫画原作者大塚英志さん、社会学者の宮台真司さんや宮台さんの弟子であるcharlieこと鈴木謙介さんなど僕が気になる人たちがどうこの「新劇場版」をとらえるのかが非常に気になります。


 今日は「文化系トークラジオLife」の次回予告とcharlieの「破」論がWindowsLiveでしたみたいですが、いかんせんWindowsメディアプレイヤーのダウンロードをなぜか失敗して放置してて聴けなかった。


 次回のテーマは「バンドやろうぜ!」みたいです。ギターを買ったけどまったく練習しないまま部屋の片隅に置いている僕ですが。音楽に関しては観客でいいやって気持ちが勝りますね。嫉妬とかないもん、小説読むとあるけど。


 charlieが今回の「破」での食事のシーンの多さについて語っていたとかいないとか。真希波に萌えたとか萌えないとか。眼鏡っ子で胸がデカイなんてモロ師岡なみにモロですよ。モロ師岡って寺門ジモンと同じ感じの芸名だな。
 真希波は思いっきりラノベのキャラですからね、村上春樹1Q84」のしらえりももろにラノベキャラなんですけどね。


 旧作品知ってると最初に違和感があるのがその食事シーン。団欒というか関係性が親密になるのはご飯を食べるということ。
 ネットによる「繋がり」過剰になってもご飯を一緒に食べるには一同に介して同じ場所にいないと無理なことだから、直接的なコミュニケーションの不在に対して意図的に描かれていると思う。庵野さんが結婚したのはその当たりに影響している感じ。


 食事が生命の連続の中に、生命の維持のために行われ、それが集団になることで小さいコミュニティが生まれる。最小単位の集団が家庭で、彼らは親がいない、あるいは一緒に食事できない中で集まって食事をする。その中で孤独ではない、寂しさを失う、また忘れることができる。逆に孤独である事を集団の中で再認識する。というのを意図的にしてる感じ。


 父の権威がバブル崩壊と共に失われたのか経済成長が停まり今までのスタイルが適用できなくなって父性の崩壊した家庭のその後を描くというのはたぶん園子温監督がレンタル家族を描いた「紀子の食卓」で顕著になっていたと思う。タイトルからしてそうだけども。「愛のむきだし」でも食事シーンは重要なシーンとして家庭を象徴するものだった。


 最後に教団本部に乗り込んで行くユウが目にしたのは自分以外の家族と教団信者の鍋をしているシーンだった。真っ白な部屋が真っ赤な血で満たされる、食事は中断され、破壊された。彼は彼にとって間違えている世界、を破壊する。大事なものを奪い返すために。


愛のむきだし」@東京フィルメックス
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20081130


 同じ物を食べていると連帯感が出てくる。キャンプでみんなでカレー食べるのは連帯感を促すものだし。だから食事する機会が減り、一人で食べるようになるとそのコミュニティは崩壊しかけてくるという感じなんだろうか。
 まあ、嫌いなやつと飯を食べようとは思わないしおごってもらえても嫌な奴と飯を食べたいとは思わないわな。


 一緒に食事ができない人とは関係性を持続できないということかもしれない。「破」論早く配信してほしいものです。


 charlieの師匠である宮台さんは園さんとも仲がいいので対談集とか出して欲しいんだけどな。八十年代から九十年代の渋谷で活動してた、フィールドワークしてた二人が語るこの二十年って社会の変化に直結してるし、読み物としてかなり面白いと思うんだけど。



 「ガキ使」の釣り選手権の冒頭で鬼太郎の格好をしているココリコ田中が小室哲哉に見えた。



 昨日は何もできなかったので今日はまじめに月末締め切りの新人賞用の小説書いた。40列×40字を一枚とするので一時間で三枚程度いけたらがいい感じ。軽めのプロットと以前書いた元ネタのシナリオがあるけど伏線や今後の展開を考えながら書くと進み辛い。


 終わりをある程度見据えて書いてはいるけどそこに向かう必要もないし、途中で変わるのは全然いい。一番いいのは書いている内に勝手にキャラクターというか登場人物が話しだして行動してくれること。そっちの方が書いている方も後から見直すと面白い、無意識化でそれが行われるのがベスト。


 感覚としては物語が降りてくるという感じ、自動書記に僕がなるということ。この場合僕が依り代となり物語が降りてくる感覚だと思う、そこに行きたいんだがめっちゃ難しい。


黒田育世×古川日出男『ブ、ブルー』予告プラス追記
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20090216


 自分の頭で考えていることなんてそんなに面白くない。そこからはみ出すものがきっと面白かったり興味深い部分だと思う。だから庵野さんみたいに暴走モードに入りたいというか二号機の「ビーストモード」になれたらいいのになと思う。


 圧倒的な表現者が常識の枠から外れて行って世間から乖離してしまうのはたぶん「ビーストモード」にスイッチを入れてしまったら、「ON」にしたらもう「OFF」に戻せない、あるいは「OFF」のボタンが消滅するからだろう。早熟なアーティストに多いと思う。でも現実的に商業的にも成功する人はその「OFF」が消えずに「ON」「OFF」の切り替えが可能な人だとも思う。


 訓練である程度のコントロールできるようになって書ける。シナリオも小説も訓練で書ける。学校とかスクールで習えば、まあ書き方の本でも読んで書く練習したら誰でもできるようになるわけで、でもプロになっていくのはそこからはみ出る何かを持った人でしかない。 そういうはみ出るものが個性と言われるんだけど、それが欲しいよなあ。あるいは「ビーストモード」へのスイッチの場所を教えてほしい。以上戯れ言。


 西尾維新戯言シリーズ」は途中で放棄したままです。


 「青春リアル」の第一期最終回を撮ったのを見るのを忘れてて見た。前からcharlieの声とオードリーの若林(ツッコミ)の声が似てんなって思ってて「青春リアル」でcharlieが出て話しているのを見たらなんとなくだけど二人顔も似てる。気がする。顔の作りが声に影響するっていうか顔の似てる人って声も似てるんじゃないだろうか。

1Q84 BOOK 2

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