Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「大場電気鍍金工業所/やもり」

 ちくま文庫から出版されているつげ義春コレクション第二回配本の「大場電気鍍金工業所/やもり」を昨日読んだ。
 青春までのつげ義春自伝的作品群なのだが、私小説という言葉があるようにこの漫画は私漫画である感じがすごくして、その当時のことを知らない僕にすら濃密に、しかしながらあっさりと通過するつげ義春の青春の空気感が漂う。


 やっぱりこのつげ作品にある空気感というものはとても惹き付けられるものがある。日常の中の不穏な温度、生活臭と人との関わりの濃度の濃さと薄さ、性的なもの。
 特に日常の中での性的な表現が僕はすごく好きというか共感が持てる。
 愛してるとか好きだとそういうことでなく、ワルい言い方だけどむらむらしてやっちゃったから付き合ったり結婚したりとかの方がリアルというかそうなんじゃないかと思う。


 伸縮する空洞の中に侵蝕する空洞が入って動いて擦れて熱を発して気持ちよくなって感情がある種マヒする感じが性的なものだと僕は感じるし、そういう雰囲気がつげ義春作品にはある。
 

 浅野いにおファンである僕がつげ義春を読むとやっぱりつげ義春に影響されたというのは何となくわかる気がする。
 短編集「世界の終わりと夜明け前」に収録されている「東京」や「ひかりのまち」での漫画家など浅野いにおの分身かのような人物が出てきているのはある種の私漫画的な部分がある。
 最近だと伊坂幸太郎「モダンタイムス」の中に出てくる「井坂好太郎」という小説家も伊坂さんの分身的なものがあった。


 近代小説とは私小説だったと読んだのは大塚英志氏の本だったような気がするが、作家性とはどうしても滲み出てしまう自分と言う存在なのだろうし、自分と他者とが関わり合う事で見えてくるのが世界という場所だろう。だから他者を描かないことには世界は自分を護るだけの部屋であり、同時に世界から隔離される監獄になる。
 

 買って放置プレイしていた柴田元幸責任編集のモンキービジネスvol.3「ナイン・ストーリーズ J.D.サリンジャー柴田元幸全編新訳を読み始めた。とりあえず最初の「バナナフィッシュ」を読んだのだけど冒頭に近い部分。


 「彼女は電話が鳴っていてもいっさい何にも中断しないタイプの女の子だった。電話なんて思春期に達して以来ずっと絶え間なく鳴っているみたいな顔をしていた」


 というのを読んですごくいいなと思った。まあその後最後まで読んだけどいまいち単語とかわからない部分があり話が微妙な感じなのだが、この表現だけでも読んでよかったと思う。


 昨日仲俣さんのブログ(http://d.hatena.ne.jp/solar/20081114)を読んでなんか雑種と言う言葉が頭に浮かぶ。雑種って色んなもののハイブリッドだから強いもんなあ、いい個性が出ればもちろん純血よりも強いわなあ。
 あと僕の勝手なイメージだとアメリカ人って儚いって感じがしない、多国籍でハイブリッドだとしたたかに強いという感じがして純血とかって儚げな感じがする、日本人桜好きだしね。


 スニーカーをネットで探しているとエアジョーダンとスパイク・リーコラボのシューズがあって、そういえばスパイク・リーの作品観た事無いなあって思ったので「ゲット・オン・ザ・バス」と「25時」をレンタルした。「ゲット・オン・ザ・バス」は抗議に行くためにバスに乗る黒人の話だったような気が、ジャケットにはそんな感じで書いてたけど。
 「25時」は観てなかったけどスパイク・リーの作品だとは知らなかった。



 仲俣さんのブログで取り上げられているリチャード・パワーズの『われらが歌う時』は読みたいが高い。

世界の終わりと夜明け前 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

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ひかりのまち (サンデーGXコミックス)

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モンキー ビジネス 2008 Fall vol.3 サリンジャー号

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われらが歌う時 上

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われらが歌う時 下

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