世田谷美術館で行われている「ダニ・カラヴァン展」を観に行った。
ダニ・カラヴァンは世界各地で環境彫刻を手がけるイスラエル出身のアーティスト。カラヴァン自らが会場デザインを手がけ、初期の絵画作品から舞台美術や彫刻を経て環境彫刻へと至るその軌跡を、映像資料を交えて展示している。
「路字」関連で知り合った東京ピストルのアートディレクターの加藤賢策さんから13日のイベントにご招待してもらった。そのイベントはダニ・カラヴァン展関連企画「+1−音楽とともに展覧会を鑑賞する」というもので閉館後に特別観覧時間を設け、展覧会場の思い思いの場所で繰り広げられるミュージシャン達の即興演奏を感じながら、展覧会を鑑賞するという試みのもの。
出演というか演奏をしたミュージシャンは大友良英+Jim O'Rourke+Sachiko M+ユタカワサキというメンツ。で以前からJim O'Rourkeを観てみたかったのでよろこんで行かせてもらいました。
Jim O'Rourkeって元Sonic Youthなんだね、あんまり聴いた事ないけど。Jim O'Rourkeは「Eureka」のアルバム聴いてから聴くようになった。
大友良英さんも名前はよく聞くのだけど音は聞いた事がなく、「エクス・ポvol.5」にそういえば大友良英+宇川直宏対談があったなあと思ってたぐらい、まだ対談読んでないけど。
用賀駅からバスに乗って美術館まで行って、18時に閉館なのでそれまでは普通に「ダニ・カラヴァン展」を鑑賞する。絵画や舞台美術、環境彫刻など多岐にわたっていた、環境彫刻はプロジェクターで壁に映されていたり、液晶テレビがズラッと並んでいる所に映像として映されている。
実際には本当に巨大なものだったりするので想像すると圧巻だった、こんなものが実際にあるんだなあと。途中ぐらいから右足がダルくなってきた、わからないが僕は何かに圧倒されると吐き気を催したり、なぜか足がダルくなる事がある。要するに自分の中になかった基準というか物の見方とかを本来自分の中にある軸が揺らぐので拒否反応のようにそういう症状になるんだと思う。
観終わって世田谷美術館自体は砧公園内にあるのでイベントが始まるまでブラブラ散歩。夕暮れで森のような公園は薄暗くなってきて、コウモリが飛んでいた。コウモリを見ると思い出すのはスピッツの「涙がキラリ」だったりする。
入場開始して展示室に入る、イベントが終わる一時間後まで外に出てはいけないと言われる。
入るとすぐのハシゴのモニュメントにギターが置いてあり、大友さんがいた、少し進むと砂が敷いてある前にJim O'Rourkeがいて、そこから違う部屋に行くともう一人の人がいた。
僕は大友さんとJim O'Rourkeが見える場所でのんびり観るというか聴いていた。即興演奏である種のノイズ音で、一度館内をもう一度観ながら歩いた。
不思議な空間だった、音と展示物が合っているのかわからないけど何かが揺れているような錯覚、感覚というか。戻って、座り込む、けっこうみんな座り込んで聴いていた。
ノイズ系の即興音楽というのは聴いていると眠くなる、これは仕方ない。
半覚醒と覚醒を行き来するような状態に陥る。ましてその空間はカラヴァン自らが会場デザインを手がけいるので現実から切り離されたある種の異空間だ、ガラスの外に見える下界にしとこう、下界は闇で、ガラスに貼られた文字が見えたり鏡のように人が映る円柱に観客が映っては消える、動く人の気配や足音がノイズに溶けこむ。
途中で加藤さんが来られたのでお礼と挨拶して、しばらくして演奏が終わった。なんだか不思議なとやっぱり言ってしまうがそういう空間だった。非日常な異空間にいるみたいな。
その後、用賀までのバスが時間的にないのを時刻表で確認したので歩いて駅に向かうと迷う、知らない土地は歩いていると異邦人みたいな気持ちで新鮮だ、同じ東京なのに。
普通に遅刻してバイトする、まったくの日常的な風景、殺風景、終わりなき日常の延長、あれは異空間だった、ここは殺風景な日常、ノイズしかないのに、何かが違うから異空間にはならない殺風景。平坦な戦場の中では自分から意図的に意識的にノイズを発生させていくことが変化を起こせる唯一の可能性なのかな。
TOKYO PISTOL
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