Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「ぐるりのこと。」

 シネマライズ橋口亮輔監督、主演・木村多江リリー・フランキーの映画「ぐるりのこと。」を昼間観てきた。


 バブル崩壊後の93年から物語は始まる、9・11のテロまでの十年間を木村・リリーの夫婦を軸に描き出していく。


 出版社に勤める翔子(木村)は決めたことはきちんとするという性格で、週に3回は夫婦の「する日」と決めていてそれをきちんとしようとする。一方、夫のカナオ(リリー)はそんな日に限って遅い、彼は靴修理屋で働いていたがテレビ局に勤める先輩からの紹介で法廷画家の仕事に転職する。


 翔子が妊娠し小さな幸せがその夫婦を包むが、その初めての子供を亡くしてしまう、やがて翔子は少しずつ心を病んでいく。翔子が精神の均衡を崩していく、その彼女を全身で受けとめようとするカナオ。
 一緒に一つずつ困難を乗り越えていく二人の十年、誰かと繋がることで希望を持つ、そして希望のありかを浮き彫りに丁寧に描いていく。


 夫婦の十年と並行し、法廷画家のカナオは法廷で90年代に実際に起きた実際の事件とその犯罪者たちを見ていく、そして描いていく。


 加瀬亮が演じるのは名前は違うが連続幼女殺害事件の宮崎勤であり、加瀬亮宮崎勤の雰囲気を醸し出している、話かたやものの言い方はおそらく実際の宮崎勤に近いものだと思われる。幼女の指を食べたや血を飲んだなどの実際に法廷で証言した発言も台詞として出てくる。


 僕は中学から影響を受けて読んでいる大塚英志関連の本で彼のことを知ったのだけど、オタク世代の犯罪と言われた宮崎事件の爪痕は未だに残っていると思う。
 秋葉原の事件とは本質は違うとは思わないけど(どちらもコミュニケーションの問題と理解されない孤独な自分、彼女がいないからダメなんだっていう秋葉原の加藤と幼女を車に乗せその子が帰りたいと泣き出したら殺意が芽生え殺した宮崎勤は似てはいないだろうか、世界は自分の思った通りにはならない、自分の思い通りにならないなら殺す、世界の方が悪いと言って無関係な人間を殺すのは本質は同じだと僕は感じる)その時代の病として反映としての事件だとどちらも捉えられるんだろう、それも一理あんだろうけどそれが全てじゃないはずだ。


 地下鉄サリン事件の実行犯の法廷シーンや、詳しい事件の名前は覚えていないが幼稚園に通う自分の娘の同級生の母親との問題でその娘を殺した母親の事件も描かれる。
 小学校に乱入して小学生を殺傷した池田小学校事件?だったかな、その被告を新井浩文が演じている。彼は最後まで反省する事なく、反省することがあるならもっとたくさん殺すべきだった、そしたら死刑そっこうで確定だろと言う。最後まで悪態をたれて、児童の保護者を罵って法廷から連れ出されるのだが。あれ以来小学校の環境って一変した、関係者以外は入れないのが普通になった。


 僕は橋口監督作品は「渚のシンドバッド」しか観た事はない。専門に入る前ぐらいかな、この監督は「ハッシュ!」で評価されたからゲイを扱う作品はもういいかなって思ったらしい。
 「渚のシンドバッド」は今や木更津のウッチーとして認知度を得てしまった元アサヤン(浅草橋ヤング用品店の方)でデビューした岡田義徳とか袴田とか出てて、アイドルだった頃の浜崎あゆみが出てる作品。
 監督は「ハッシュ!」のあとにうつになって1年間仕事を休んだらしい、その経験から産まれた作品のようだ。


 バブルで日本人の価値感が変わり、宮崎勤で日本の犯罪史が変わり、その後の阪神大震災オウム事件もあって、思いもしなかった犯罪が次々と起こったバブル崩壊から9・11テロまでの約10年間と、自分がうつになり、そこから復活するまでのできごとが重なり合うような気がしたんです。
〜中略〜
 テロのような激しく感情を揺さぶられる何かがあると、みんな絶対に影響を受けていると思うんです。その中で、テロ以降の人々がどうやったら希望を持てるかを考えると、やっぱり人と人との繋がりの中にしか希望は生まれない、そう思ったんですね。


 とパンフに監督のインタビューが載っていた。
 僕も今の世の中が絶望の中にあるとしても最終的な希望は人と人の繋がりの中にしかないと思っている。それしかないよ、そこを諦めたら本当に絶望しかないと思う。

 この夫婦の関係はすごく優しい撮り方で、会話もよかったし、バランスもいいなあと。前半部分では笑いもよく起こってた、リリー・フランキーはかなりおいしい役だと思う。


 木村多江演じる翔子が崩れていったのも切実だったし、几帳面っていうか決め事を完全にやろうとする完全主義者っぽい人はうつとかなりやすいものなんだろうなと思う。
 完全にできるってことはないし、完全を目指しても絶対に完全になるってことはないし、人生はイレギュラーなことの連発だから、自分の求める姿を追いかけて追いつけなくなって息がしづらくなると自分を責めてしまって、一緒に居る人にあたってしまうことはあるだろう。
 カナオはそれを受けとめて一緒にいたからこそ、翔子は少しずつ立ち直っていけたんだろうな。


 一緒にいることはとてもいとおしいけどめんどくさいってのがすごく出ていて伝わった。いとおしいからめんどくさいのか、めんどくさいからいとおしのかわからなくなることもあるんだろうけどね。


 いい映画でした。こんな時代だからこそ希望は人と人との繋がりにしかないっていうのはすごく伝わると思うし、共感できた。劇場出たら雨も止んでて優しい気持ちになったな、雨が降ってたらまたちょっと違うはず。


 あと、リリー・フランキーと小説家・石田衣良って似てるよね。三枚目よりがリリーさんで二枚目よりが衣良さんて感じが映画観ててすごくした。