Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『リアル鬼ごっこ』&『バケモノの子』



 『リアル鬼ごっこ』を劇場で観てきた。やっぱりドローンでの撮影がいい。東宝スタジオでのグリーンバックでのCGの撮影している時にお邪魔させていただいて園さんにPCで『グランド・オート・セフト』の映像を見せてもらって、やってないならやったら世界観がわかると言われたが(PS4ないし貸してくれそうな人がいなかった)走っているミツコを追いかける風の表現として素晴らしい。そこにあるゲームの感じと物語の世界観を考えれば納得ではある。
最後の終わり方についてはほとんど説明しない方向に舵を取っている。一応ちょっとはあったらしいけどそれは採用しなかったので時間的にはスリムな85分の尺になっている。
 ノベライズでは多少補足はしているけど園さんやPが考えていたそういう設定ではないのでなんともいえない。
 美少女たちが駆け回って血まみれなスプラッターという意味では夏向けな作品なんだろうと思う。


 映画の作品自体の構造や原作があったりとか再起動だとかスピンオフとかパチンコ版とか、とかとか。とかとかありすぎる多層な世界をノベライズはそれなりに形にはできたと思う。
 ノベライズに出てくる重要な少女のユウは決定稿にはいたが映画には出てこない。演じる女優さんが撮影中に病気になって残りが撮れなかったから存在自体も消えている。そのユウをノベライズでは活かしたのはたまたま、『リアル鬼ごっこJK』ノベライズの僕が書いた部分の骨格になった小説はフィリップ・K・ディックの『ヴァリス』シリーズのオマージュもあったのがデカい。 
 ディックの多層世界はのちのネット社会を描いているように思えるのだが彼自身も出生児は双子だった、妹か姉がいたがすぐに亡くなってしまっている。そのため彼はずっと自分の片割れの喪失感とともにありそれが終始彼の作品世界の基盤になっていた。それがあったので本来映画にはいないユウの存在はノベライズで存在し重要な役割を果たしている。
 書き終わって製本する前の最後のチェック読んで思ったのはミツコが園さんでアキ(本を出す前の)とユウ(本が出た後の)が僕みたいな関係だなと思った。


リアル鬼ごっこ』FBのページより↓
\『リアル鬼ごっこ』に斎藤工さんが出演していた…!/特殊メイク4時間半をかけて物語の重要な鍵を握る存在として老爺役に初挑戦した斎藤工さん。
「園組でのイメージを勝手に持っていたのですが、予想外に、なめらかな現場でした。撮影現場では、その場の嗅覚を園さんが先行させていくので、「生のうまみ」が作品に宿るのだなと確認いたしました。特殊メイクのシーンなどもあり、貴重な体験を楽しみながら、素晴らしい園組の一員として参加できてうれしいです」と語りました。
http://realonigokko.tumblr.com/post/124021098999
↑公開まで情報解禁できずなシークレットだったが公開したらそこを推す宣伝方式だったわけで。
ノベライズの彼の設定は僕が勝手に園作品とリンクさせるために『愛のむきだし』のゼロ協会の代表の息子になってる。あと出てくる島原ユカというキャラクターは『紀子の食卓』の吉高由里子が演じてた役のその後(こちらも勝手にリンクさせてる)。




 『リアル鬼ごっこ』観て『バケモノの子』を続けて観る。どっちも名前にまつわる話だなってちょっと思った。これは細田版『千と千尋の神隠し』じゃんって思って、もうジブリなくなっても細田さんが通過儀礼とか境界線を越えていく話をアニメでやってくれるから宮崎さんもう引退できるじゃん。
ま あ、毎年夏にジブリ作品がするたびに「これ好き!」って毎年観ている人がいると思うとどんだけ大人になれない国なんだここはと思っていたわけで、村上春樹が父親になれないことを書き続けるように宮崎駿の女の子の通過儀礼の話もたぶんどちらも大人になったら捨て去るべきな作品だけど構造がしっかりとある超耐久性のいい作品だからライナスの毛布みたいに手放せない(日テレが、まあ庵野さんエヴァ細田さんも、宮崎の弟子、子供世代をしっかり掴んでるけど)もの、二人とも創造者としては尊敬するしかないのだけどその消費のされ方とか需要のされ方とかが嫌いなんだよなあ、僕がひねくれ者だから仕方ないね。
 ディズニーもウォルト・ディズニーは偉大な創作者だけどディズニーランドは消費できない(まあ、それはトム・ヨークの発言のせいだけどさ)わけで。


 『千と千尋の神隠し』と違うのは主人公が男女で違う、『バケモノの子』は主人公が身体的に成長する、長年一緒にバケモノの世界で育つ。どちらも境界線の先では本来の名前ではない、名付けられる(ここ重要)けども『バケモノの子』の主人公の九太は青年になると渋谷の人間の街に普通にいけるようになってそこで出会った少女の楓に自分の本当の名前を言う。
 九太のシャドウである一郎彦の存在とか彼が最後渋谷で現わすあの姿とかキャンベルの神話論とかきちんと細田さんは徹底的にやってると思う。そりゃあ出来もいいし大ヒットするしこれから定番になっていくわ!
 父親になれなくても師匠にはなれるかもしれない、実の子供じゃなくても弟子を育てることで大人になれるかもしれない。
 熊徹が宮崎駿で九太が細田守で、九太が熊鉄という存在を受け継いだっていうのがすげえ宮崎ジブリのあとは細田スタジオ地図って言ってるようにも見える。まあ、世代交代しないとね。

リアル鬼ごっこJK

リアル鬼ごっこJK

受け入れない

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細田守の世界――希望と奇跡を生むアニメーション

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