Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『Burn.-バーン-』

 次号の『野性時代』で加藤シゲアキ×窪美澄対談があると聞いていたのもあっていい加減に買ったままで積読になっていた加藤さんの三作目である『Burn.-バーン-』を読み始めた。一気に読み終わってしまった。
 『ピンクとグレー』『閃光スクランブル』と続く「渋谷サーガ」の三作目であり当然ながら渋谷が舞台の小説。現在と過去を交互に展開していくが、ホームレスの徳さんとドラッグクイーンのローズさんのキャラがたっていて彼らが天才子役だが機械みたいだった主人公の心を燃やす要素(生きる喜び)になっていく。彼の安らぎの場所に宮下公園の徳さんの家はなっていくが物語は白と黒にしかわけない大きな力によって大きく動いていく。
 白と黒の間にあるもの、灰色の世界を認めようとしない。渋谷の浄化運動もだが歌舞伎町も実際のところそうだった。世界はふたつにわかりやすくわかれてはいない。白と黒の間にある様々なグラデーション、狭間にある多くの可能性だったり色を認めようとしない社会は確かにある。黒だったものを白に強引にしようとすればよけいに黒さは増していったりやがて暴発してしまう。
 いろんな事柄について許容できる範囲は年々減っていると思うのがたぶん今の日本に住んでいて感じられることではないだろうか、それがこの作品には出ているように感じられる。そこには当然怒りも孕まれている。明らかに今の社会はおかしな方向に進んでいる。
 物事は奇麗な部分とそうじゃない部分がありそれらは共存している。戦争をやりたくて仕方のないバカな政治家だったりは嘘をついてはそちらに押し進めていこうとしているようにしか見えない。その時エンターテイメントの力はかつて民衆を戦争に誘導した経験上同じ過ちを犯してはならないのだけど、新聞もテレビもスポンサーだったり政府が怖くて本当のことを報道できるかは疑問だ。だからこそエンタメの力がこの数年でもっと大きな意味を持つと思う。嫌な時代にしないための大きな力がエンタメにはあるし逆も然り。


 小説家・加藤シゲアキ作品はエンターテイメントの第一線でやってきた人であるのでこの作品もエンタメ小説になっているし芸能世界についての話はやはり当事者であるのでリアリティがあると読んでいる僕たちには思える。実際には書けないことのほうがたくさんあるだろうがそのことを知っているからこそ出せるリアリティはあると思うのだ。
 第一作の主人公と売れた役者になった友達との関係や主人公が最後に選ぶ事などは加藤さん自身であり死んで生まれ変わるという部分があった。「渋谷サーガ」には死んで生き返るという物語の基本構造があるというのは加藤作品の大きなテーマだと思う。そこにエンタメ要素があるので完成度が高くて読みやすいのだと思うしやはり文章がうまい。三作目の今作も再生の物語であるのはその流れを汲んでいる。この「渋谷サーガ」は続くのかな、続くのなら次作も読みたい。


以前『水道橋博士のメルマ旬報』に書いた『ピンクとグレー』と『閃光スクランブル』についての文章をブログに転載したときのやつ↓
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20140226



テレビプロデューサー・菅賢治インタビュー テレビの役割は「バカな政治家に戦争をさせないこと」【後編】
https://cakes.mu/posts/7290


不器用な愛と別離の物語 『二十五の瞳』 (樋口毅宏 著)解説・中山涙
http://hon.bunshun.jp/articles/-/2830




 数年前なら本多孝好乙一さん辺りが小説で書いてるような話ではあるんだよなあ。つまり泣けて売れるエンタメ(皮肉じゃなくいい意味で)だよね。つまり二回目。本当にいい映画だと思うしオススメできる。ヒロインのメアリー役のレイチェル・マクアダムスがめっちゃ可愛いというか仕草とかが素敵なのもいいし、父と息子の話でもあるんだけど観てると有限の時間について大切にしなきゃって思えるし優しい気持ちになれる。



『アバウト・タイム 愛おしい時間について』(一回目観たときのブログ)
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20141005



 『アバウトタイム』二回目終わりに帰ろうとしたらタイムラインに大盛堂二F通信の新しいのがルーエの花本さん特集みたいだったのでもらいにいってきた。

閃光スクランブル

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水やりはいつも深夜だけど

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