Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『水曜の夜のサバラン』

 昼休憩に近くの本屋に行って『GINGERL。』を立ち読み。お目当ては窪さんの『水曜の夜のサバラン』だった。ごめん、文芸誌関連で買っているのは古川日出男さんの『女たち三百人の裏切りの書』が連載されている『新潮』と柴田さんのやっている『MONKEY』ぐらいです。すいません。


 『水曜の夜のサバラン』を読み始めたらあっという間に読み終えた。かつての繁栄と高度経済成長の果ての国で生きている僕らは、その煽りをくらい、しかしその価値観はあの日を境にしても反転すらしないままに続いていて貧しさと不幸は誰にでも忍び寄る。
 やるせなさとつらさやどうにもできないものを抱えて生きている人をギュッというよりはふんわりと大丈夫だよと包み込むような小説を窪さんは書ける人だし届かせる事ができるんだなあと改めて。
 主人公のぶっきらぼうさとか二人の家庭の話とかは日本経済の衰退と共に失われた父性というか父親がダメになり母親が家計を支えて母性だけではなく共に父にもならなくてはいけなかったのがよく出てる。これは地方に住んでいる人の方がさらにリアリティーあると思う。
 年功序列も終身雇用も崩れたし、それは戦後何十年だけでそれは当たり前のシステムじゃないのにそんな幻想に囚われてる人がいる。
 震災後に日本を作り替えるのかと思えばまるで戦前みたいな先祖帰りをしたがっているように見える。
 窪作品に共通する父の(存在の)不在はそれらの具現化みたいだ。そんな両親から生まれた世代はいかに父母になるか、いやただの男と女の関係でいるのか、子供を作るのか。家族を作り続けていけるのかでも、僕らはだらしなさとか愛しさとか過去の痛みとさ償いとかバカらしさとか尊さとかを否応なしに抱えていて、大切な誰かといたいのにどうも世界の、社会の止まらないシステムの中で息苦しくなって息も耐えたえになる。そんな時にふとある優しさとか肯定されると嬉しくなる。そんな読み切りかなあと思った。




http://www.shinchosha.co.jp/book/139142/


 『晴天の迷いクジラ』文庫版装丁出てた。空を見上げている女の子は正子かな。『よるのふくらみ』に続いて森栄喜さんの写真だったりするのかな。なんとなく視線がそんな気するけど。少女への視線つうより少女を通して空を見てるような、なんとなくだけど。



飴屋法水×古川日出男「震災と福島、そして<ことば>」『ブルーシート』刊行記念
http://bookandbeer.com/blog/event/20140711_ameyafurukawa/


 おお、飴屋演劇観た事ないけどこれは行かなきゃ、という事で速攻で取った。 B&Bでの飴屋法水×古川日出男トークイベントの前日は三浦大輔パルコプロデュース演劇で三日後はロロの演劇だった。七月は演劇に呼ばれてんのかな。演劇クラスタの知り合いはたくさんいるけど。

GINGER L。15

GINGER L。15

晴天の迷いクジラ (新潮文庫)

晴天の迷いクジラ (新潮文庫)

冬眠する熊に添い寝してごらん

冬眠する熊に添い寝してごらん

ブルーシート

ブルーシート