Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『ピンクとグレー』

 お昼に本屋に行くと加藤シゲアキ著『ピンクとグレー』の文庫が出ていた。以前『水道橋博士のメルマ旬報』 vol.10に『ピンクとグレー』&『閃光スクランブル』について書いたやつをブログに再録。


『ピンクとグレー』文庫版
http://www.kadokawa.co.jp/product/321309000121/
↑文庫版のほうが装丁いいなと思った。



水道橋博士のメルマ旬報
http://www.webdoku.jp/premium/merumaga/page/s_hakase.html



1942年2月15日のアメリカ西部軍管区発表によると敵性外国人としての逮捕数は日系人が3250人、ドイツ系人が1532人、イタリア系人が369人。日系人の数はこの国の人口の比率からみると格段に多い数だった。その上収容所の人数を決定的に多くしたのは1943年2月19日付の大統領命令。太平洋岸の日系人住民に立退きがせまられ3月27日までの自由立退期間に立ち除いたもの5396人、期日以後強制収容された人は11万2千人と発表された。これは太平洋岸への日本軍の上陸に備えて取られた処置だったと考えられる。
1931年の満州事変。
1937年の日中戦争
1941年の日米開戦にいたるこの当時の日系人の思想は一世と二世でまるで違った。
一世は日本の主張を信じて幾度も日本軍に献金等を行なっていたが、二世はアメリカ市民権に基づいてデモクラシーを主張する風潮だった。こうした風潮の中での強制立退きによって収容された人達はチーフに立つ人19ドル、その他の人は16ドル支給されていた。収容所からは二世で米軍兵役へ入る人々も多く、収容所が賑やかだった日はこの人達を送るパーティだった。一方、ヨーロッパ戦線での四四二部隊の大活躍とまた対日戦線の好転は睨まれていた一世の人達の志願参戦をも許可されるようになった。
戦後には住み慣れた太平洋岸へ帰る人もいたが大部分は戦時移転局のアドバイスで各地に集団生活ではなく転在してアメリカ人に溶け込むようにという指導をいかして、イリノイに18000人、コロラドに6000人、アイダホ、ミシガン、ニュージャージーミネソタ等に新天地を拓いた。
戦後の日系人の大きな特質は太平洋岸の人達の大量奥地移住を短い期間に成功させた事だった。そしてこれを成功させた大きな力は皮肉にも長い排日運動の中で創り出した県人会のような組織とその協力体制だった。排日運動時代の県人会のこの国での役割は善隣会を表面にして、その実は小領事館的な働きと頼母子講を中心にした経済的協力等々が今度は戦後に生かされてその力を大いに発揮した。そしてそれを助長したのがすでにそれまでに全米各地に拠点を持って大活躍していた初生雛鑑別師達だった。


ジャニーズのNEWSのメンバーである加藤シゲアキによる二作目の小説『閃光スクランブル』を読み終えた。一冊目『ピンクとグレー』を数日前に読み、その数日前には『ジャニ研! ジャニーズ文化論』(大谷能生速水健朗・矢野利裕、共著)を資料として読んだ。
資料として読んだ『ジャニ研!』を読んでいく中でジャニーズ事務所社長であるジャニー喜多川氏(以下・ジャニーさん)について僕が今まで知らなかった事がたくさんあった。意外というか驚きとジャニーズという事務所について納得するものだった。


上記のアメリカでの日系一世や二世の文章は去年僕が調べていたものからだが、これはジャニーさんの人生とも大きく関っている。彼はアメリカのロサンゼルスで1931年に生まれてアメリカで育った日系二世である。そして太平洋戦争開戦後には家族と共にカリフォルニア州内の日系人強制収容所に抑留されている。11歳の時に第一次日米交換船で日本に渡り、両親の出身地の和歌山市に移住するも戦争末期にアメリカ軍の和歌山大空襲で焼け出され日本の敗戦後にロサンゼルスに戻り高校に通う。
19歳の時に父の勤務先だった真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が美空ひばりアメリカ公演の会場になったので、そのステージマネジメント全体を担当。それを機に美空ひばりと親しく交流するようになる。これが彼の日本芸能界への進出の一歩となる。
1952年に姉(メリー喜多川)と共に再来日(ここ重要! 来日なんです、そうなんです。ジャニーさんとか言われてるしアメリカ出身だけど日本人でしょ? ジャニーさんって思ってますよね。両親は日本人だけど彼は名前でわかりづらいけど根っからのアメリカ人なんですよ)し、アメリカ大使館の陸軍犯罪捜査局に勤務した後は朝鮮戦争勃発で板門店に出向いて現地の子供に英語を教えていた。その後上智大学に進学し卒業後に芸能界に参入している。

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マッカーサーが日本を去って、そして、アメリカからジャニーさんがやってきた、というわけです。
戦後、アメリカが日本にもたらしたものは、まずは「民主主義」。そして「ジャニーズ」です。マッカーサーは、戦後の日本で占領政策を布き、財閥を解体、農地を解放し、おしつけの憲法と民主主義とチョコレートを配り、実質的な再軍備である警察予備隊を生み出します。その後を受け継いだジャニーさんは、顔の可愛い男の子たちのグループを次々と生み出し、芸能という分野で日本の文化の実効支配を行なったのです。
大谷能生速水健朗・矢野利裕著『ジャニ研!』より

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上記は『ジャニ研!』の一部分ですが、この本は個々のグループ、楽曲、ミュージカルや舞台、それらを仕掛けるビジネス上の戦略を研究するものです。
著者のひとりである速水健朗さんの著書『ラーメンと愛国』は国民食になったラーメンのその始まり、戦後の食糧不足とアメリカの小麦戦略にあったという所から始まります。戦争に負けた日本を統治したGHQアメリカは小麦粉が余りすぎていた。ならば敗戦国に売っちゃえばいいわ。でも日本人は米食う国民だしなあ、じゃあパンを給食に出して車で日本全国回ってパン食はいいですよ的なアピールをし、小麦粉を消費させる国にしちゃおうぜ! というパン食とラーメン文化に繋がっていった流れを記した第一章は阿部和重著『シンセミア』が元ネタだと速水さんご自身も言われていました。
シンセミア』の主人公の家系は戦後からパン屋を営んでいます。もちろん日本とアメリカという関係を描く時に、戦後の文化戦略でアメリカ的生活を受容しアメリカ化した日本を描くのにそれは最も適している職業だったのです。


そして、戦後に日本文化に溶け込み大衆化したアメリカ文化と言えばベースボール、そう野球でした。SMAPの中居くんの巨人好き、熱狂的な野球ファンと言うのは知られている事です。なんか毎年ジャニーズってデッカイ球場で野球大会してるよなあと思いません? 僕はなんでジャニーズって野球やってんだろうなって思ってました。そもそもジャニーズ事務所の始まりは野球だったのです。ワシントンハイツという米軍の施設だった代々木公園でジャニーさんは日本の少年たちに野球を教えていた。そこから現在に至るまでのジャニーズ事務所の歴史が始まっている。
ジャニーさんはある日その少年野球のメンバー四人を連れて映画館に連れていき、『ウエスト・サイド物語』を観て大変感動します。そしてその四人を歌って踊れるアイドルのメンバーに仕立て上げて初代ジャニーズ(僕でも知ってるメンバーはあおい輝彦さんですね)が誕生します。そこから今に繋がる日本の芸能文化、男の顔の価値や意識を変えていったジャニーズ事務所という歴史の幕が開いたのです。
僕の年齢で近いジャニーズの人はKinKi Kids堂本光一さんやタッキー&翼滝沢秀明さんで彼らはなんかずっと舞台でミュージカルやってるよなってイメージがあります。ジャニーズの始まりはそう『ウエスト・サイド物語』でした。だからこそ舞台やミュージカル、そしてコンサートという劇場でのライブ体験はジャニーズの核なのです。
そしてアメリカ人としてジャニーさんを本名のJohnny H.Kitagawaとして考えると、光GENJIや忍者や嵐といった最初に聞いた時は「マジか?」というグループ名もアメリカから見た日本のイメージでありネタとかじゃなくて本気でつけたんだ! と納得もできるのです。元KAT-TUN赤西仁さんがシカゴ、サンフランシスコ、ヒューストン、ロサンゼルス、ニューヨーク五都市を巡るツアーを行なったのは、ジャニーさんが日本で作ってきたエンターテイメントで、故郷である本国アメリカで勝負しようという気持ちの表れのひとつだったのでしょう。

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中村一義アルバム『100s』 track2『キャノンボール』の歌詞

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そんなジャニーズ所属で小説家としてデビューした加藤シゲアキはなにか異質に思えました。ジャニーズのアイドルで男前、中学高校大学と青山学院でデビュー作が12万部ってもう嫉妬しかない! しかも一冊だけじゃなくて二冊目も出て書店では平積みになっている。
一冊目はまだ興味があっても読まなかった、二冊目が出たら書店で加藤シゲアキの上半身裸の背中にダリアのようなもの書かれたポスターとよく目が合うし、もう嫉妬だらけだけどメルマガに書くから読むぞと決めて二冊一気に買った。


『ピンクとグレー』あらすじ
大阪から横浜へ越してきた小学生の河田大貴は、同じマンションに住む同い年の鈴木真吾と出逢い、中学高校大学と密接した青春時代を送る。高校生になった二人は、雑誌の読者モデルをきっかけにバイト替わりの芸能活動をスタート。大学へ進学した二人は同居生活を始めるが、真吾がスターダムを駆け上がっていく一方で、エキストラから抜け出せない河田だけが取り残されていく。やがて二人は決裂。二度と会うことのない人生を送るはずだった二人が再びめぐり逢ったその時、運命の歯車が回りだす…(公式サイトより)


多少ネタバレも含みますがご了承ください。
小学生で転校してきた大貴は親たちに「スタンド・バイ・ミー」と称される仲良し四人組になって真吾たちとつるんで遊ぶようになる。河田なので河とリバー・フェニックスからもじってリバちゃんとあだ名をつけられる。まずなぜ『グーニーズ』ではなく『スタンド・バイ・ミー』なのか? と最初に思ったのは僕が『グーニーズ』大好きだからだったからだが物語の展開上は『スタンド・バイ・ミー』を使う事で意味を持たせている。
スタンド・バイ・ミー』の語り部は誰だったのか? クリスを演じたリヴァー・フェニックスの末路は? 読みながら『スタンド・バイ・ミー』という作品名が出た事による物語の含みや役者になってスターダムになっていく白木蓮吾(真吾の芸名)はどうなるのかという興味がページを前に前に進めていく。
「渋谷サーガ」として構想されているのは、青学出身である加藤シゲアキ自身が十代を過ごした街として渋谷はもっとも書ける場所/風景であるからだろう。物語の二人もそこに通っている設定で、彼らの先輩でもあった尾崎豊レリーフがある渋谷クロスタワー二階のテラスから17歳の章が始まるのも象徴的だ。
あと読んでいて多くの人が思い浮かべるのは村上春樹ダンス・ダンス・ダンス』だろう。人気俳優の五反田君と僕という関係は、鈴木真吾と河田大貴の関係に近しい。『ダンス・ダンス・ダンス』での世界の謎や羊男というメタファーはないがそれが芸能界というもの、何かを演じるというものが代わりに機能を果たしているように思える。


『ピンクとグレー』は死と再生を描いている。河田と鈴木の主要登場人物は加藤シゲアキの影と光の部分であると見るのが普通だろう。どちらかが失われた場合、片方がもう一方の役目を伴うようになる、あるいは人格の統合のようにもそれらを引き受けて生きていこうという強い意思表示にも読める。
本名と芸名(あるいはペンネーム)の間にあるものについて、著者は自覚的だろう。芸能人である自分と本来の素の自分を二人に分離しながらも最終的に統合して行く、本書はジャニーズの加藤シゲアキの自己セラピー的小説として機能もしている。だからこそ彼はこの作品を書かなくてはならなかったと思える。しかもそれをアイドルである自分をきちんと客観し、多くの人が読めるようにエンターテイメントに昇華しようとしている。それは彼がアイドルとしてエンターテイメントの世界で生きてきた人だからこそ、純文学のように閉じられた世界ではなく開かれた場所で届かそうとしているのだろう。という事を読んだ人が思うように設計されている小説なんじゃないかなってそれもまた思う。


鈴木真吾は芸名の白木蓮吾として若手スターになっていく中で、芸名の白木蓮吾として生きていくしかなかった。もう逃げだす事はできなかった。キャラを演じるように役を使い分けていくように名前と言うのは人を善くも悪くも縛っていく。
芸名で思い出すのは横山やすし・西川きよしの二人が辿った人生の話だ。
木村雄二が横山やすしを演じているうちに本来の木村が消えていき、横山やすしでしかいれなくなったためにそのキャラに支配されて行き不祥事を起こし(本人の気質や性格も災いしただろうが)破滅していったが、西川きよしは本名(漢字をひらがなにした)だったためにさほど乖離せずに生き残れたという話を前にどこかで読んだか見たことがあったのだけど、この小説を読んでいて浮かんだのはそういう「名前」にまつわるエトセトラだった。



閃光スクランブル』あらすじ
人気アイドルグループ、MORSE(モールス)に所属する亜希子は、自らのポジションを確立できず葛藤している。同期の卒業、新メンバーの加入と、亜希子を追い込む出来事が立て続けに起きる中で、年上のスター俳優・尾久田との不倫に身を任せていた。そのスクープを狙う巧。彼は妻を事故で亡くして以来、作品撮りをやめてパパラッチに身を落としていた。巧と亜希子が出逢った夜、二人を取り巻く窮屈な世界から逃れるため、思いがけない逃避行が始まる。互いが抱える心の傷を癒したものとは――。(公式サイトより)


こちらはアイドルというものの周辺を書いていて前作よりはエンタメ要素が高い。前作は気持ちのありようがメインというか大きく全体的にはおとなしいシーンが多かったのだけど今回は乱闘というか派手なシーンがあるので静と動という比較で読めるかもしれない。
あとアイドルグループのメンバーが主人公のひとりなので読み手はいろんな事が浮かんでくるのは仕方ない。
MORSEのセンターであり亜希子の親友だった水見由香が卒業していく、それは裏で進行していたが同時にスキャンダルも発覚し卒業後のソロ活動も白紙になってしまう。その中、亜希子は彼女がいなくなった分だけさらに気を張ってこのグループを引っ張って行こうとするのだがそこに自分に憧れて入ってきた新メンバーが現れる、時代は変わろうとしていた。彼女は自分のポジションや価値が見出せなくなっていく。
もう一人の主人公はパパラッチである巧だ。彼は妻を亡くしてから作品を撮らなくなっているが、仕事として亜希子を追いかけているうちに人々の欲望と現実と虚実の間にある利権や力関係、思惑に巻き込まれていく。その中で彼は失ったものを、時間を取り戻してまた作品が撮れるようになるのか? という内容です。
二作品とも喪失における再生を描いているという部分は共通している。英雄神話の基本構造である「出立」「イニシエーション」「帰還」をやっていて基礎構造がしっかりしているので読んでいて違和感もあまりない。
加藤シゲアキという作家は何かを失った人が再び生きてく決意だとか、何かを得ていくことを書き続けていく人なのかもしれない。


アイドルとパパラッチだと浮かぶのは阿部和重著『クエーサーと十三番目の柱』という作品。戦後のアメリカと日本の関係を書き続けてきた阿部和重という圧倒的な小説家の最も新しい単行本だ。
神町サーガ」に代表される日米関係と天皇小説の系譜に現在のネットや技術をぶち込んで世界を多層化し時にはメタフィクションを、成熟しない故に成り立ったこの国の文化を小説にぶち込める作家が阿部和重である。ただ今作は日米や天皇小説ではなく、日英と女王にまつまる小説。しかしながら読んでいてゾクゾクする展開とタイトルに込められた意味がわかり始めると物語はさらに加速度を上げて暗闇のトンネルの中へ、そしてクエーサーな干渉に似た光のプリズムに包まれる。東浩紀桜坂洋『キャラクターズ』を読んだ後に読むとさらに考えさせられる作品というか相乗効果がある作品。
この作品の冒頭はパパラッチがある一台の車を追っている所から始まる。パパラッチから逃げているのはウェールズ公妃ダイアナドディ・アルファイドが乗っていた車だった。事故はトンネル内で起きて車は十三番目の柱にぶつかり大破して、物語が始まっていく。


「渋谷サーガ」の二作目は渋谷のスクランブル交差点が物語の中で大きな意味を持つ。主人公の巧や亡き妻がよく聴いていたのは中村一義ピチカート・ファイヴであり作中で出てくるのもそれらの楽曲だ。著者の加藤シゲアキ渋谷系などをリアルタイムで聴いていた世代ではないだろうから後追いのファンだろう。だから巧は彼よりも年齢が上でそれらをリアルタイムで聴いていた世代にしていると思われる。
そこに関しては好きなものを自分の作品に取り込みたいという欲望と自分のファンや読者に自分の好きなものを伝えたいという願望が感じられる。だからそこは微妙に背伸びをしている風にも読んでいて思えなくはない。
パパラッチとして生計を立てている巧は罪の意識がないわけではなく、芸能人の熱愛スクープをすると贖罪のように体に(大小≒代償の)タトゥーを入れていて数は日ごとに増えていっている。この事で僕が最初に思い浮かんだのは僕が大好きなバンドのDragon Ashのボーカルであり現在はNHK大河ドラマ『八重の桜』で新撰組斎藤一を演じているKjこと降谷建志さんだった。
彼は自分名義のアルバムを出す毎にタトゥーを入れている。一枚アルバムがリリースされる毎に彼のタトゥーは増えていくのだ。僕は二十代半ばまでそれに影響されて普通に作家として自分の作品が一冊でも世にドロップアウトできたら一冊毎にKjを真似てタトゥーを入れようと考えていた、わりとマジで。ちなみに僕の体には未だにタトゥーは刻まれていない。
この一枚毎にKjがタトゥーを入れていることを加藤シゲアキは知っているはずだ。
僕はあまり書評を読まないので確かめていないのだけど、加藤シゲアキ関連の作品でこの事を指摘している書評家やライターさんはどのくらいいるのだろう。いるとしたらおそらく僕と同世代か三十代半ばの人だろうと思う。


1999年日本の音楽シーンは大きな転機を迎えた。
宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』が空前の売り上げを記録し、浜崎あゆみもブレイクし現在のAKB48のメンバーが幼少期に見ていたであろうモーニング娘。LOVEマシーン』が大ヒットした。
Dragon Ashは『Let yourself go,Let myself go』『Grateful Days』『I LOVE HIP HOP』でブレイクしていった。ブレイク後に降谷建志は父が俳優の古谷一行だと口を開いた。
降谷建志と同じ年である椎名林檎が90年代に流行った「渋谷系」をもじって「新宿系」として『ここでキスして。』によるヒットで一躍ブレイクする。『ミュージックステーション』で頭に小さな王冠を載せた椎名林檎タモリさんが同じ画面に映っていたのをなぜか今でも覚えている。そんな前世紀の最後辺りに十代後半だったのが今の三十代半ばから三十歳ぐらいまでの人たちだ。

高等部で中退しているが初等部から中等部、高等部と降谷建志は青山学院に通っている。加藤シゲアキにとっては彼もまた尾崎豊同様に学校の先輩である。そしてそのタトゥーの事と物語の最後に明かされる巧の秘密もおそらくは降谷建志がモデルになっているのではないかと思われる。
「渋谷サーガ」は三部作みたいな形になるみたいなので次も出たら読みたい。この物語をどう繋げていくのか、一冊目と二冊目の接点はない。繋げるなら二作の脇キャラが三作目の主人公や物語と絡んでシェアワールド化するのが妥当だし読み続けるファンには嬉しいだろう。次はやっぱり小沢健二小山田圭吾とかその辺りの渋谷系の王道をメインに持ってくるかなあ、どうだろう。
でもそうやって上の世代と下の世代を繋げてクロスオーバーさせられる作家さんになっていくのかもしれない。それもエンターテイメントの魅力のひとつだから。

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中村一義アルバム『ERA』 track15『君ノ声』の歌詞

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