Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「BOOKSTAND」で「月刊予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『よるのふくらみ』


その体温が、凍った心を溶かしていく。


29歳のみひろは、同じ商店街で育った幼なじみの圭祐と一緒に暮らして2年になる。もうずっと、セックスをしていない。焦燥感で開いた心の穴に、圭祐の弟の裕太が突然飛び込んできて……。『ふがいない僕は空を見た』の感動再び! 
オトナ思春期な三人の複雑な気持ちが行き違う、エンタメ界最注目の作家が贈る切ない恋愛長篇。
http://www.shinchosha.co.jp/book/325924/


 窪美澄著最新刊『よるのふくらみ』のツイッターに書いたツイートをまとめたレヴューと以前に『水道橋博士のメルマ旬報』vol.2に書いた『ふがいない僕は空を見た』の映画公開時の窪作品について書いたことを再録してみる。
 『別冊文藝春秋』連載中の『さよなら、ニルヴァーナ』が単行本になったらまたメルマ旬報で書きたいと思っている。


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『よるのふくらみ』レヴュー
 最初の『なすすべもない』読み終わって溜め息。ふぅ〜凄い、エロさが日常や家族的なものを丁寧に描いてる故に際立ち、彼女の苛立ちが映える、そして最後の行動の熱の行き先と高まりが。二人だけでいいのに付随してくるものや関係性。
 『よるのふくらみ』もだし過去作も連載中『さよなら、ニルヴァーナ』も連作短編集として各登場人物の視線から一話が書かれて一冊の小説に綴られている。だから窪さんの連作短編集はやはり素晴らしく巧いし、いろんな読者から支持されるのはいろんな視線があるから。


 『平熱セ氏三十六度二分』はもう、こういう話大好きというかもうねえって感じだわ。窪さんの小説好きな人は『素晴らしい世界』『ひかりのまち』なんかの初期の浅野いにお連作短編好きだと思った。
 『なすすべもない』読み終わった感想。男女の空洞が互いに挿入され擦れ熱が生まれる。溢れでる液体は喜びや哀しみ、愉悦や劣情様々な感情をすでに孕んでいる。熱と液体により生まれた僕たちは空洞を埋めるためにもとめるが満たされることはなく、満たされても刹那という永遠の中に。
 『星影さやかな』を。主要人物三人の視点で各話展開しているから少しずつ同じ時期の出来事に対しての想いやバックボーンがわかってくるから三者三様の中に自分に似たものを見つけることになる。そういうのを読むと窪さんは丁寧な書き手だなあといつもながら思う。丁寧に傷に塩を塗り込んでくるとも言える。
 マリアさんの胸に顔を埋めたいと思わずにいられないのが「星影さやかに」なんだけど、いんらんおんなと言えて自分のしてきたことを引き受けるしっかりしてる女に甘えたいんだよなあ男は。で、その弱さもわかるし彼女は何にも言わないからどうにもならい怒りが圭ちゃんみたいに表れるんだよなあ、本当に。最終的にミミと圭ちゃんの関係にも繋がるわけで。
 『よるのふくらみ』表題作を読み終わると朝だった。ふくらんだものは膨張し破裂するか抜けて萎むしかない。生活の中で想いや性欲やそんなものたちは自我で抑え込めるか膨らむのを止めないか、だけどもどちらになろうとも後悔は後ろ髪を引きずっと居座るんだろう。
羽化(浮か)して翔べるんだろうか?
 六つ目の「瞬きせよ銀星」読み終わり。四つ目の「よるのふくらみ」以降が特に心を揺さぶられた。五つ目の「真夏日の薄荷糖」と最後の「瞬きせよ銀星」で泣かされた。心の奥の方の自分だけの場所をかき回された感じがする。正確には読んで波立てたのは自分なのだけど。
 なんだろう、三つ目の「星影さやかに」以降なんか、なにかが明らかに変わってる感じがすんだよなあ。窪さんの執筆力というよりもなんか最初の二編となんか違うものが宿ってるそういう感じっていうか、なんだろうよくわかんないけどギアチェンジというか意識が変わってるというか。そんな気がした。


 『よるのふくらみ』はいろんな人を泣かせる小説になると思う。感動とか泣けるとかじゃなく泣かせるのは無意識化に、ブラックボックスに仕舞いこんだ自分の感情や欲望と小説を読みながら向かい合うことになるから。自分の感情や欲望に向き合うとチャクラが開かれていろんなものが開放されてしまう。
 開かれた後の大問題はそれもう閉まらないよっていうラインを越えてしまうから戻れない。こういう作家は怖いんだ、世界のみえかたを改変させれちゃうから。窪さんといい樋口さんといい、熱狂的な支持を受ける作家は読者のOSを新しく物語によりインストールして尚且つアップデートしちゃう、質が悪いw


水道橋博士のメルマ旬報
http://www.webdoku.jp/premium/merumaga/page/s_hakase.html
水道橋博士のメルマ旬報』vol.2(2012年11月25日配信)より


おはようございますの方、こんにちはの方、こんばんわの方、どうも第二回「碇のむきだし」です。
原稿書いている今日は曇天模様で雨が降っています。
風も冷たくなって寒さが増してきましたが皆様お体にはくれぐれもお気をつけ下さい。
僕は季節の変わり目にはよく風邪をひいてしまうので今年はきちんとうがいをしようと思ってます。
と思いつつ毎年しないから12月に風邪引くんですよねえ〜。
今回僕が取り上げる作品は11月17日より公開が始まった『ふがいない僕は空を見た』という映画とその原作小説を書いている窪美澄さんという小説家についてです。


水道橋博士のメルマ旬報』vol.1の前編の樋口毅宏さん『ひぐたけ腹黒日記』を皆様読まれたかと思いますがその中の6月29日の日記の一文に、


小説新潮」の新井編集長とバッタリ。恐れていたことが起こる。
「樋口さ〜ん、いつになったらウチの連載をやってくれるんですか〜」
大阪の取材費を出させておきながら書いていないんだ俺が。
泣きながら平謝りするが、酔った新井編集長は許してくれない。
酒に酔うといつもよりさらに目が座っていて怖い。
肉厚の体型を揺すりながら、借金の取り立てだったという前職の片鱗が垣間見える。
「あんたね〜そんなんだから窪美澄とどんどん差がついていくんだよ」
てめえ俺の前でNGワードを出しやがったな。


↑この窪さんです。
窪美澄さんは新潮社主催の第八回R-18文学賞を『ミクマリ』にて大賞受賞し受賞作を含む『ふがいない僕は空を見た』で2010年に小説家デビューされました。


R-18文学賞(アールじゅうはちぶんがくしょう)は、新潮社が主催する公募新人文学賞である。
応募者は女性に限られており、また選考委員の作家や下読みにあたる編集者も女性のみとしている。当初は、性について描かれた小説全般を対象とし、女性のためのエロティックな小説の発掘を目指していたが、第11回より、女性が性について書くことは珍しいことではなくなり、性をテーマにすえた新人賞としては一定の社会的役割を果たしたとし、募集作品を「女性ならではの感性を生かした小説」と定めた(官能をテーマとした作品も受け付ける)。最終候補作はウェブ上で公開され、選考委員の合議により選出する大賞と、ウェブ上の投票により選出する読者賞を設ける。(wikipediaより)


映画『ふがいない僕は空を見た』は「元いじめられっ子で、姑から不妊治療や体外受精を強要されている主婦・里美(田畑智子)。友達のつきあいで行ったイベントで“あんず“と名乗る里美と知り合い、アニメキャラクターのコスプレをして情事に耽るようになるが、その写真が何者かにばら撒かれてしまう高校生の卓巳(永山絢斗)。
助産師として様々な形の命の誕生を見守っている卓巳の母(原田美枝子)。痴呆症の祖母と団地で暮らし、コンビニでバイトしながら極貧の生活に耐える卓巳の親友・福田(窪田正孝)。元予備校教師で福田に勉強を教える田岡(三浦貴大)……。
現代社会に生きるそれぞれの登場人物が抱える思いと苦悩がリンクし合い、やがて一筋の光が見えるラストに収束していく群像劇」(公式パンフより抜粋)。


監督は『タカダワタル的』、『百万円と苦虫女』、蜷川実花監督『さくらん』の脚本を手掛けているタナダユキ監督。
脚本は山下敦弘監督の作品の多くを手掛けタナダ監督の『俺たちに明日はないッス』でも組んでいた向井康介さん。


原作小説である『ふがいない僕は空を見た』がR-18文学賞から出た事もあり性について書かれた作品で映画もそれを丁寧に描いているのでR-18指定になっています。
映画はR-18指定だけど高校生とか中学生が観てもいいのになあというか観た方がいいと思うんですけどね、セックス描写もあったりするからの配慮なんでしょうけど結局人が今そこにいる過程の最初はそれなんだから避けられようもないですし隠す事でキレイキレイな嘘な環境の方が気持ち悪いですね。
でも、これをもし読んでいる中高生の方がいたら映画はまだ無理だけど小説は問題ないのでぜひ読んでほしいです。


まずは映画から。
小説は連作短編集で同じ町を舞台にしていて短編ごとに主人公が変わります。
卓巳・里美・七菜(卓巳の事が好きな同級生の女の子)・福田・卓巳の母と各章で視線が変わっているが物語は連続していたり、あるシーンの裏側で他の人はどう動いていたかなども描かれる。
冒頭で卓巳と里美のコスプレセックスから始まりその映像がバラまかれて彼らのひとつの想いや様々なものは終りを告げていきます。
姑(銀粉蝶)から不妊治療や体外受精を強要されている里美は気持ちをうまく言葉にはできません。
日曜日に姑が新鮮な野菜を買って家に乗り込んできて料理を作り出す、玄関で一度置いた荷物から落ちた野菜についていた土が廊下やマットを汚している。そんな描写のひとつひとつが日常の中で損なわれてしまう、どうしようもない気持ちを表していきます。
夫(山中崇)は卓巳とのことがわかっても離婚はしないという。
感情を出さない夫が感情を露にするあのシーンだけでも山中さんを起用した理由なんだろうなと思えました。


話が少し逸れますが山中崇さんは最近よくお見かけするようになった役者さんです。
CMだとJTだとか、今年だと西川美和監督『夢売るふたり』、北野武監督『アウトレイジ ビヨンド』、園子温監督『希望の国』、三池崇史監督『悪の教典』に今作『ふがない僕は空を見た』と話題作にひっぱりだこです。
山中崇さんが出ている今年の映画外れなしです。
山下敦弘監督の作品の中でも僕は一番好きな『松ヶ根乱射事件』の
主人公(新井浩文)の双子の兄で注目された役者さんなんですけど
僕の感じだと数年前の田中哲司さんや大森南朋さんが今みたいにブレイクする寸前によく映画とかドラマで見るようになってなんかいいなってオーラみたいなもの、ブレイクする前の何かが匂ってくるんですよね〜。山中崇さん目当てで来年から出てる映画観るのもありです
よ、ホントに。


小説の流れを映画は辿っていますが七菜視線の『2035年のオーガズム』は映画には取り込まれていません。
なので映画では七菜の存在感は限りなく薄いです。
ただ卓巳の事が好きな同級生の女の子程度の役割で。
でもこの判断というか脚本で入れなかったのはすごく流れもすっきりして映画のルックとしてはよかった。
2035年のオーガズム』は七菜の勉強できすぎた兄が新興宗教に入って連れ戻されて帰って来て町が大雨で川が氾濫してやばい家が〜みたいな話でお父さんは遠くに単身赴任しててという話です。
お父さんが単身赴任していて家にいないというのは窪作品にとっては実は大きなものがあると僕は考えていますがそれは後ほど。
窪さんは四十代半ばですがこの新興宗教についての書き方というか感じ方は僕とはやっぱり違うなと読んで感じました。
今の四十代半とかその上の世代の人は1995年の地下鉄サリン事件があったのもデカイと思うんですけどオウムとかにいた信者の人は世代的にも近かったはずで自分達の世代的な問題の一部として否応ながら引受けているような気がなんとなくします。


今年話題になった映画『桐島、部活辞めるってよ』は同じ出来事(時間軸)を各人物から見て構成された物語でした。
ふがいない僕は空を見た』も群像劇ですが全体的にはそういう風にはなっていないのですが卓巳と里美の二人の出来事はそういう見せ方で展開していました。
その後に親友である福田の住む団地の話になっていくのであの辺りの事も考えると卓巳と里美の出来事を丁寧に描いて団地編というか福田の話と卓巳の母の話に入っていくから気持ち長く感じたのが正直な気持ちです。
二時間半ぐらいの上映時間だと思いますがもう少し最初の卓巳と里美の件を短くしても充分伝わると思います、テンポがよく進むわけではないので二時間ぐらいだと観やすいかなと。


卓巳と里美のコスプレセックスの画像や動画が卓巳の家や学校に送られたり撒かれたりして二人の関係は終焉していきますが卓巳の親友である福田と彼の幼なじみであるあくつが取る行動は確かに残酷であるのに美しく青春映画のワンシーンとしても輝いています。
そのシーンがどのようなものであるかは映画で観てもらいたいです。
小説にできることと映画にできることはもちろん違います。
あのシーンは小説でも福田とかの気持ちわかるし自分でもそれやっちゃうだろうなって思えるけど映像にしたらもっとわかるっていうか躍動感も含めて残酷さの中に潜むキラキラしたものが映し出されていました。


あとは卓巳の母で助産師をしている原田美枝子さんの安定感ぶりが
ハンパないですね。なんだろうあの感じは。
メルマガの水道橋博士編集長とさきほどの樋口毅宏さん繋がりで言えば原田美枝子さんはゴジさんこと長谷川和彦監督『青春の殺人者』のケイ子が浮かんできます。
もう素敵な肉体でしたねえ、可愛いしスタイルもいいし。
今作でも田畑智子さんが絡みのシーンで脱いでるんですがこういう先輩が同じ映画に出演されていると心強いのかななんて思ったりするんですがどうなんでしょうね。
青春の殺人者』に一緒に出ていた桃井かおりさんと共に蜷川実花監督『ヘルタースケルター』に原田さんは出演されていました。
全身整形な主人公・りりこの芸能事務所の社長が桃井さんでその整形外科医をやっていてりりこを改造したのが原田さんという役どころで、こういう先輩が役どころとして固めていたから沢尻エリカもやりやすかったりしたのかなとか思ったり二人をそういう役どころで配置してさらに追い込んだのかなって。
でも、原田さんや桃井さんみたいな天然(美少女だった)が年を経て人工的な美を作り出す役どころというのもすごい皮肉には見えたりするんですけどね蜷川さんの。
ヘルタースケルター』では原田さんは冷たい感じなんですが今作では助産師さんで温かいというか命について信じている人で、生を描くためにもちろん性はさけて通れないし性がなければ生もまたなくて命についてずっと考え続けてる人でした。
だから言葉がすごく沁みてくる。


観終わってスカッとするというよりはジワジワと染み込んできたものが内面のひだに届いていろんなことを考えたり思うきっかけになるような作品だと思います。そして役者陣はすごくよかったです。
主演の二人の佇まいもいいですし、二人の会話は少ないけどどうしても避けられない欲情に戯れて何かを失っていくあの感じはもちろんバカにできない、誰にだって起きうることだから。
「バカな恋愛したことないやつなんているんすかね?」と助産師の母親の下で働いている長田が言うんですけどまさにその通りです。
永山さんは冒頭で顔が映った瞬間にやっぱり兄の瑛太さんに似てるなって思いますね、輪郭なのかな。
特に気になったのは福田役の窪田さんでした。
こないだ放送されたNHKドラマ『平清盛』で演じた平重盛役も素晴らしかったです、これからもっと見たい役者さんのひとりです。


ここからは小説というか窪さんについて僕がなんとなく考えたことや前に読んだ時のレヴューを書いてみようと思います。
窪美澄さんの小説は現在三冊刊行されています。
取り上げたデビュー作『ふがない僕は空を見た』(第24回山本周五郎賞受賞、第8回本屋大賞二位)、『晴天の迷いクジラ』(第3回山田風太郎賞受賞)、最新作『クラウドクラスターを愛する方法』。


僕が最初に『ふがいない僕は空を見た』を手に取ったのは単純にタイトルのセンスというか惹かれるものと装丁がよかったからでした。
僕はCDやレコードのアルバムをジャケ買いする人がいるように本屋に行くと装丁買いすることが多々あります。
タイトルと装丁で惹かれるものがあれば自分の中にあるものと何かしら呼応しているので大抵外れはないです。
そういう一冊が『ふがいない僕は空を見た』でした。
僕が買って読んだ頃にはある程度売れていたと思います。
出版社の担当者さんが足をつかって本屋さんに出向いて全国の書店員さんもこれは売らなきゃと思って展開したりというまず愛され売れていった本であるということです。
本屋大賞二位というのはその表れです。僕も書店で二度ほどバイトをしたことがありますが書店員が好きな作家を推す時の想いは熱く、この作家はまだ世間的には売れていないがなんとしても展開してすこしずつでも売るという伝道者としても書店員さんたちは働いているのを知っています。
しかも本を読みまくっていて目は肥えていますから本当に数年後にブレイクしていく作家さんたちをいち早く押し上げていくのが書店員さんたちなんです。
そういう人たちにこの本をお客さんに読んでもらいたいと強く思える小説だったんですね、『ふがいない僕は空を見た』は。
だからこそ余計に届いていった作品です。


第二作『晴天の迷いクジラ』はは四つの章からできています。
構造として物語の主軸にあるのは一作から続いて章ごとに主人公(目線)が変わる部分ですね。
個人の「私小説」的な一人称で見た世界を描くのではなく章ごとの主人公がなんらかの関係を持ちながらも目線が変わる事で、同じ出来事も細部が変わってゆく。
同じ体験をしてもそこにいた者同士でも考える事や思う事はもちろん違う。
生きている人間の数だけ細部の異なる世界が存在しているのが僕らの世界の成り立ちである。
窪美澄という作家はそこを丁寧に描ける作家さんです。
第一章「ソラナックスルボックス」は仕事の忙しさから鬱になり、学生時代の恋人にも振られ、勤めていたデザイン会社が潰れそうな青年の由人の物語。
第二章「表現型の可塑性」はがむしゃらに働いてきたが、不景気のあおりで自らのデザイン会社が壊れて行くのをただ見守る女社長の野々花の物語。
第三章「ソーダアイスの夏休み」は母親の偏った愛情に振り回され、やっとできた友だちも失って引き籠るリスカ少女の正子の物語。
終章「迷いクジラのいる夕景」は湾に迷い込んだクジラを見に行く事になった由人と野々花、そして途中で彼らと出会い、一緒に同行することになった正子の物語。
そこで出会う人々と喪失の先にあるものが、少し柔らかい日差しのような希望として描かれています。
「家族」という個人の最初の場所が引き起こす個人の歴史における痛みと生きづらさ、ある種メタファーとして迷いクジラ。
それらが出会う、集う場所は他人同士が同じ場所に居るある種いつわりの「家族」だけれど、そこでそれが癒され、心がほどかれていく。


「家族」は一番小さな社会でありコミュニティなのは誰も否定できないでしょう。
窪作品に性的な描写があるのが僕は当然だと思うのは人の発端はそこからだし、その欲望がなければ人は生まれてこないからです。
「家族」を描く際に個人の欲望(性欲)を描かない方が僕はやはり不自然です。
作家が家族を描くことは「性」を嫌でも引き受ける事で、それが始まりであるから。
だから「家族」について描き続けている作家ほど性のことをきちんと描き続けている。


各自それぞれに喪失を抱えた由人、野々花、正子の三人が訪れる場所に迷い込んでいるクジラ。まるで先祖帰りして陸を目指すかのような
この巨大な生物の行動は、自殺に似ている。三人は「鯨の胎内」に入り、再び出てくるという死の世界から戻って来るような通過儀礼の代わりに、その町で(彼らと同じように)大事なものを失った人とある種の偽装的な「家族」のような日々を過ごします。
そして、死のベクトルから生のベクトルに向かって行く。
それは癒しに似ている生への渇望であり、柔らかな日差しが差し込んで冷えきった体の緊張が解かれるような喜びのようです。
闇をきちんと見据えた上での光。
それは共存し、どちらかがなくなることはない。
彼らは死の側(絶望)から生の側(希望)に少しだけ向かいだす。
僕たちは出会った人たちとすべて別れて行く。
得たものはすべて失ってしまう。あなたも僕もやがて消えて行く存在だ。
だけど、いつかやって来る喪失と向かい合いながらも諦めずに日々を生きて行くこと。
それは、死を見据えながら毎日を生きて行くということ。
そんなふうに、それでも誰かと生きていきたいと思える小説が『晴天の迷いクジラ』です。
ほんの少しの光や温かさが冷めきった心をわずかばかりに癒す、完全には癒せなくてもそれで少しだけ笑えたら、前に進めたらそれはとても素敵な事だなと読んでいて心がほっこりしました。


第三作目が『クラウドクラスターを愛する方法』。
窪さんの小説は視点の変わり方がうまくてその視点の変化と描かれている景色や風景や何かの色彩が登場人物に心象風景に重なっていく。
今作では主人公の紗登子の視線だが彼女の両親と母方のおばたちとの関係、ある種の女系家族の関わりをこの小説ではメインに書いている。
家を出て行った母とやがてそこから出て行った紗登子。
どことなく金原ひとみ著『マザーズ』に通じている視線を感じなくもない。
マザーズ』はとんでもない作品なのでこちらもオススメです。
女系家族で姉妹の中で唯一嫁にいかなかった叔母と紗登子の時間。
虹というワードとその色彩に希望のようななにか期待がある。
暗闇の中にいても虹は出るのか、出すためには光を集めるのと光源が必要です。


光はどこから灯すべきか。


紗登子の弟の現在が描かれていない(出てこない)のは女系家族の中で期待されていた母の死んだ兄のように祖母や叔母が住んでいる家には男はいらないし、いれないからだろう。
娘たちはその家というある種のライナスの毛布があるだけ外にいける。
しかしその娘たちの系譜の家は女たちの聖域であって男は迎えに来ても長居はできない。
迎えにくるのはその家と血縁関係のない紗登子の母と結婚したおじさんだけだった。


ふがいない僕は空を見た』『晴天の迷いクジラ』は傑作だし窪さんが熱狂的に支持されていくのは読めばわかるので人に勧めたいといつも思う。
だが心のどこかで勧めた人には重すぎるかも、その人の精神状態によっては諸刃の刃になりかねないとも少し思ったりしていたがこの作品はどちらかといえばライトだ。
だからといって質が落ちているというのではなくとても受入れやすい。あと三十前後の女性にはどストレートを投げつけられているのですごく響きすぎてしまうだうなとは読んでて感じました。


一緒に収録されている短編の『キャッチアンドリリース』の方が少年と少女を主人公に置いているのに表題作よりも重い、なんだかチョコレートを溶かしたものを飲んでいるように何かドロドロと重い。
オナニーを覚えかけの少年の父へ抱いた仄暗い気持ち、心を置いて体は勝手に女になっていく少女。
彼女を見る大人の男が自分を女として見てくるその気持ち悪い視線。
体は大人になっていくのに心はまだその段階に追いついていかない不安定な時期、いつか僕らが通りすぎた季節でずいぶん忘れていたような思春期の入り口にあった自分の記憶と彼らの物語とが時間軸も違うのになにかリンクしていく。
表題作の「クラウドクラスター」とはいったい何なのか、何を示しているのかがわかった時に窪美澄という小説家のタイトルのセンスと作家性がわかってニヤリとしてしまう。
そしてまたやられたあと思いつつページは進んでしまいます。


『ふがない僕は空を見た』、『晴天の迷いクジラ』、『クラウドクラスターを愛する方法』と三作のタイトルは空がワードに関っている。これも特徴のひとつですね。
神とは空の抽象化にすぎないと考えることもできますがどうしようもない時に空を見上げてしまうのはそんな存在がいると信じていようがいなかろうが自分の足がついている大地ばかり見ていても仕方ないからふと見上げてしまうのかもしれません。
先ほど書いた『2035年のオーガズム』では父親は単身赴任していました。『クラウドクラスターを愛する方法』を読んでいると完全に女系一族の話です。
窪さんの体験とかが無意識化に出ているんだと思いますが窪さんの物語には父がいない、父性がない。
ふがいない僕は空を見た』の卓巳の父親は彼と母とは別に住んでいます。
福田にいたっては父は死んでいて母すらも彼氏の家に入り浸って父の母である痴呆症の姑の面倒も息子に任せています。
この母親は園子温監督『ヒミズ』の住田の母親に限りなく近い感じです。


朝日カルチャーセンターで園子温監督×脳科学茂木健一郎さんの
トークイベントにて園監督が『ヒミズ』に出てきた茶沢家にあった絞首台の話をされていたのですが、監督はいろんな女子高生に取材をしたら実際に家で両親が絞首台を作っている家が何件かあったそうです。次の模試の試験の結果が悪かったらそれで死ねよと。
ふがいない僕は空を見た』で出てくる里美の姑は息子や里美のために子どもを作れとは言っていませんでした。
自分のために自分の孫が欲しくてそう強要していたのですが、試験の成績が悪かったら死ねと言えてしまう親。
最初は子どものためだったのだと思いますが大事な事が失われてすり替わって自分の為に何かを人にさせようとすると人は思いやりとか温かみみたいなものから削がれて残酷な事が言えるようにできるようになってしまうのでしょうか。
少しずつ損なわれてしまうもの。


窪さんの小説にはどうも父性が絡んでこないのは読んでいるとなんとなく感じることです。
タイトルには空が出てきて女系家族ばかりではないけど父がいない家庭が多い、あるいはあまり描かれない女性的なものや母性、その象徴は海。
空と海。
人が足をつけているのは大地。
そうやって窪さんは父性の失われていく現代を書いているのかもしれません。

窪さんが作家として出てきたR-18文学賞が当初は性について描かれた小説全般を対象とし、女性のためのエロティックな小説の発掘を目指していたこともあり僕の中ではR-18文学賞から世に出ている小説家さんの事を考えるとなにか漫画家の岡崎京子さんたちが居た場所について考えてしまうことがこの所ありました。
前述した蜷川実花監督『ヘルタースケルター』の原作としても有名だし代表作『pink』『リバーズ・エッジ』など90年代を代表する漫画家である岡崎京子さん。
ヘルタースケルター』の映画化で一番よかったのはその関連で過去に発売された漫画が新しく刷られて数冊の岡崎京子の作品について書かれた本が出た事でした、僕的には。



そうよこれがB-Girlの品格
ど真ん中 プラスNo.1
自分を誇るのが基本 乙女なキラ目の主人公の
少女マンガの中に後ろ姿 見つけられなかった仲間達のため
(RHYMESTER B-Boy+Girlイズム feat. COMA-CHIより)



この歌詞がなぜか岡崎さんの居た場所を考える時にどうもBGMとして浮かんでしまう。
岡崎京子のメジャーデビューの舞台になったのはロリコンマンガ誌『漫画ブリッコ』でした。
今では『多重人格探偵サイコ』などの漫画原作者でもある大塚英志氏が編集者でいた雑誌で中森明夫さんが「『おたく』の研究」という連載を始めてここから「おたく」という言葉が生まれたと言われています。
少女マンガでは自分達の書きたいことは書けずに漫画を書く場所がなかった岡崎京子白倉由美桜沢エリカらは男の論理で作られたロリコンマンガや自動販売機だけで売っていたエロ本などに書きながら世に出て行った。
今本屋に行けば少女漫画とは別に岡崎京子たちが出してから一般的になっていた少女マンガのコミックよりも青年誌連載のコミックよりも小説のハードカバーよりも少し大きいA5判コミックが並んでいるのは彼女たちが作っていった足跡の軌跡の形だ。
岡崎京子が出している物語集『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』やコミックのあとがきに書かれていた彼女の文章を読むと小説も書いてほしかったと思う、この人が小説を書いたら新しい何かは生まれたのかななんて思えたりするから。
大学在学中にエロ劇画誌『漫画エロジェニカ』でエロ漫画家とデビューし同期だったまついなつきさんと女子大生エロ漫画家として取り上げられていた山田双葉名義で世に出てその後小説家になった山田詠美さん。
その事を思うと余計にそういう可能性もあったんじゃないかと思ったりもする。そんなのはもちろん後の祭りだけども。


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彼ら(彼女ら)の学校は河ぞいにあり、それはもう河口にほど近く、広くゆっくりと澱み、臭い。その水は泥や塵やバクテリアや排水口から流れこむ工業・生活排水をたっぷりとふくんだ粘度の高い水だ。
流れの澱み、水の流れが完全に停止した箇所は、夏の水苔のせいですさまじい緑となり、ごぼごぼいう茶色い泡だけが投げこまれた空カンをゆらしている。その水には彼ら(彼女ら)の尿や経血や精液も溶けこんでいるだろう。
その水は海に流れ込んでいくだろう。海。その海は生命の始原というようなイメージからは打ち捨てられた、哀れな無機質な海だ。海の近く。コンビナートの群れ。白い煙たなびく巨大な工場群。風向きによって、煙のにおいがやってくる。化学的なにおい。イオンのにおいだ。
河原にある地上げされたままの場所には、セイタカアワダチソウが生い茂っていて、よくネコの死骸が転がっていたりする。


彼ら(彼女ら)はそんな場所で出逢う。彼ら(彼女ら)は事故のように出逢う。偶発的な事故として。
あらかじめ失われた子供達。すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。彼ら(彼女ら)は別に何らかのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠のなかにたたずみ続けるだけだ。


一人の少年と一人の少女。けれど、彼の慎ましい性器が、彼女のまだ未熟なからだのなかでやさしい融解のときを迎えることは決してないだろう。決して射精しないペニス。決して孕まない子宮。


惨劇が起こる。
しかし、それはよくあること。よく起こりえること。チューリップの花びらが散るように。むしろ、穏やかに起こる。ごらん、窓の外を。全てのことが起こりうるのを。


彼ら(彼女ら)は決してもう二度と出逢うことはないだろう。そして彼ら(彼女ら)はそのことを徐々に忘れていくだろう。切り傷やすり傷が乾き、かさぶたになり、新しい皮膚になっていくように。そして彼ら(彼女ら)は決して忘れないだろう。皮膚の上の赤いひきつれのように。


平坦な戦場で僕らが生き延びること。


リバーズ・エッジ』あとがきより



人影もまばらな夜に通りを抜けドーナツ屋に入ったとたん、そうだ、
あそこに行こう、とおもいたった。
町で一番高いマンションへしのびこむことにしたのだった。
びくびくしながら門をくぐり、わたしたちはガラスのドアを開けた。
管理人部屋を横目でにらみ、誰もいないことを確認した。
エレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押した。
ごとんごとんと機械の音。
手にはふかふかのドーナツと熱いコーヒーの入った袋。ドアが開く。
息をひそめて通路を曲がると、わたしたちの目の前に、夜明けの東京がひろがっていた。
群青から薄い青、そして茜色へのグラデーション。
雲はひとつもない。わたしは空を見上げた。
おはよう。おはよう。


『チワワちゃん』あとがきより
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居場所がない中で自分達の表現をしていく中で最初はエロ漫画であろうが出て行った彼女たち。
でも性をきちんと描こうとすることで生に対しての真剣さも尊さも儚さも書いて自分達のジャンルを形成していった岡崎京子さんたちのようにR-18文学賞出身の小説家の強みってあるんじゃないだろうかと考えていた。
第11回から女性が性について書く事はもはや特別な事じゃなくなったので女性ならではの感性を生かした小説を募集要項になったみたいです。
女性と男性の役割やできることが違うように描ける世界も感性も違うし女性のためのエロティックな小説の発掘にしたほうがより個性的な才能が集まるような気はする。
だってエロティックな小説という縛りがあってもそれを書いていたら他はどんなジャンルであろうが書いていいわけだしSFであろうが純文学でもラノベであろうが書き手は脳内ドーパミン出まくって逆に応募者の作家性がうまく出るような気がするのだけど、そうじゃないのかな?


ふがいない僕は空を見た』の中で卓巳が出産を手伝って生まれてきたばかりの赤ん坊についている小さなペニスを見て思う事。
小説では最初に収録されているR-18文学賞受賞作でもある『ミクマリ』の最後に、映画では最後に卓巳の台詞として言われる。
あれは男としてはたまに思わなくもないけどもたぶん言葉にしたり文章で書いたりしないかもなって思う部分があってあれを書けたのは息子さんがいる母でもあって女性な窪さんの視線だからって気がした。
映画は脚本の向井さんは男性だけどタナダ監督は女性であれはどうしても外せない部分としてきちんと台詞にしたんだと観ていて感じた。


窪さんは作家としてデビューする前に妊娠、出産、子育てなど、女性の体と健康を中心にした編集ライターとして活躍していた事が作品にもかなり影響して現れているのは間違いない。
その普遍的であり永久的に先鋭的なそのテーマを彼女は書き続けていくのだろう。
だからこそ僕たち読み手は小説に出てくる登場人物たちと環境や生まれは違うけど、気持ちを重ねることができる。
読んでいてしんどくなることもあるけれど、それでも前に進んで、時には逃げる彼らが愛おしくすら思える。
それは僕らの一部分でもあるから。
窪美澄という小説家の名前は嫌でもこれからもっと聞くようになっていくのは間違いないと思います。
まずは『ふがいない僕は空を見た』の文庫も出ましたし皆さんオススメですよ〜。
窪美澄さんと樋口毅宏さんの小説がもっと売れてお二人の作品を読む人が増えたら面白い事になっていくんだろうなってファンとしては思いますし小説の世界も新しい風が吹いてくんじゃないかなと期待しています。
僕は作家志望なんで好きな作家さんたちと殴り合いして本屋の平台を奪い合うバトロワに参加できるようにしなきゃなとも思います。

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