Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「MUSIC」


 朝帰ってから少しばかりの仮眠というかうとうとして目覚ましで起きて祝日の田園都市線に乗って青山一丁目大江戸線に乗り換えて六本木へ。
 とにもかくにもABC六本木店に十時開店なのにその十数分前には六本木の地上に這い出ててぶらりと、ぶらぶらと麻布警察付近をぐるぐるとまわって時間つぶし。十時開店になって、僕以外には待っている人は男性が一人だけだった。


 ソッコーでレジに行ってそこに積まれている古川日出男最新刊「MUSIC」を手に取ってお会計をしてもらう。彼女の分も合わせて二冊。店員の人に「イベントとサイン会に参加されますか?」と聞かれるので「もちろん」とレッドブルで覚醒させておいた意識でYESの意志を伝えて。名前と連絡先を言う。
 ABC六本木でする「古川日出男ナイト」の司会というか進行をいつもされていてその回をやる時に発売した小説の文章や台詞をいろんなものからコラージュしたポスターを作っているいつもの店員さんも現れて電話対応をしている。聴こえてくる内容はそれもまたイベント参加者に対しての対応だった。


 サイン会に参加する整理券をもらう。ある意味ではこのために30日発売だけど29日の祝日に発売するっていうここに来てる。しかし、昨日近所のツタヤにはさらに前倒しで、祝日とゴールデンウイークが絡むから平台の新刊の所に置かれていて、内心ここで帰るじゃん、二日前にって思ったけど踏みとどまった。
 イベントの参加料はないし、本を買わなくても参加はできるんだが、そういうイベントをしてくれる書店さんで買って還元するのが筋だしさとかマジメに思う。その辺は僕は律儀だ。


 買って六本木を後にする。大江戸線まで地下に潜る。地上からマイナス何メートルなんだろう。モグラの視線とかみたいな。バックパックには二冊の新刊があるんだがハードカバー二冊ってわりかし重くて肩に重力的な重さ。


 行きの電車は「文化系トークラジオ Life」の「「様々なる定番」Part2」を聴きながら。そういえば「Part3」が今日深夜に更新された。「Part1」に津田さんに連れられて少し出た実はヘビーリスナーのラーメンズの片桐さんも出ているみたい、「Part3」ではお得意の「ガンダム」話。帰りはシャッフルで何を聴いたのか覚えていない。


 ラーメンズの小林さんは友達のウッチー所属のコントユニット・スペースラジオのワンマンライブの時に何度か見かけてて、片桐さんは僕のバイト先に来た時に商品聞かれて案内した時にウッチーの知り合いなんですって言ったらスペースラジオのライブ観たに来たんだけどって言われてた。でもその頃パブリックシアターで公演してたから無理っぽかった。


 つうか片桐さん「Life」のヘビーリスナーだったのか、黒幕(長谷川P)繋がりでも繋がるじゃん、世界はやっぱり狭いというか好きなものが似てたら近いよね、距離は。


 最寄り駅に帰ってからツタヤでYUKIうれしくって抱きあうよ」をレンタルした。「Life」で話に出て聞こうって思ったから。帰ってマックで読み込んで聴き始めた。あとTBSラジオの横の繋がり恐るべし。


 「MUSIC」は洗濯物と入れたりとか諸々終わらして読み始めようと思って、まずは音楽で。「さようなら、おかえり」という曲を何気に歌詞も見ないで聴いていたら「ええ?」と思う部分があったから歌詞カードで確かめてみたけどそんな部分はなかった。聴き間違いだった。

 
「未熟な乳房の匂いがした」


 と聴こえた。それは何かの始まりの一文みたいな感じで僕の中に残った。歌詞を見れば、


「遊んだ帰り道は 宵待草の匂いがします 転んでもまた起き上がる 未熟なれど男です」


 の部分が僕の中で勝手に誤変換され順序も変えられて「未熟な乳房の匂いがした」になった。そんな一文で始まる物語はどんだろう、ボーイミーツガールなんだろうなって思うし、感じた。「した」のだからそれを感じたボーイがいて、その匂いを漂わすガールがいる、いるよね。


 それからサウンドトラックはSmashing Pumpkins「Mayonaise」からスマパンシャッフルで始り、古川日出男最新刊「MUSIC」を読み始める。
 最初の冒頭部分は去年の12月に「古川日出男ナイトvol.9 古川サンタがやって来る!」で朗読されていた部分だった。だから僕にはその文体のリズムがわかるし、古川さんが朗読してたテンポで声に出して読み始める。
 確実に声に出すと、出して読むと強度が増すというか文章が甦る小説を書いているのが古川さんで古川文学だ。


 途中で声を出すのを止める。声帯が普通に疲れてかれ始めたから。二時間とか過ぎてBGMをBECK「Sea Change」にする。「MUSIC」の前作にもあたる、三島賞受賞作品「LOVE」においてトバスコが叔母から言われる「BECK」だけは聴いておきなさいと。そこから起因して。「LOVE」と「MUSIC」は同一人物が出てくるが別に「LOVE」を読んでいなくても読むのに支障はない。


 読んでいた方が設定や物語、時間の連なりに奥行きができる。もうひとつ連なる小説「ゴッドスター」があるがこちらの作品の登場人物は「LOVE」「MUSIC」と関連していない。だけどもこの三作は東京都の湾岸地区が舞台になっている。
 湾岸三部作とでも言えるラインにあって読むとわかる。江戸時代以降に埋め立てられた土地の物語群だと。「MUSIC」は湾岸以外にも舞台があるがそれは読んでのお楽しみ。


 それからjonsi「Go」をサウンドトッラクにして物語を読み進める。途中何度か声を出して笑う。古川さんはやっぱり「マジメにふざけて」いる。だからカッコいいし、カッコいい事は面白い。あるいは面白い事はカッコいい。


 残りを百ページ切ったぐらいでお腹が空いたのでご飯炊いて総菜買いにいってレトルトのカレーを食べてひと休憩。
 それからBGMはZAZEN BOYS「ZAZEN BOYS4」に。読みすすめらながらそのBGMが間違えてなかったと思う。文章とザゼンの曲がリンクしていて古川さんと向井さんは共犯者だなって、感じる。


Zazen Boys - Asobi


 直木賞候補作になった「ベルカ、吠えないのか?」は犬たちの系譜の小説で第二次世界大戦から冷戦終了までを犬の視線で一族史で語る犬小説だった。「LOVE」はその犬小説に対しての猫小説だった。で続編にもなりえる「MUSIC」も猫小説だった。


 名前ぐらいはいいか、ネタバレにはならないから主人公ともいえるような、物語の主軸にすらなる猫・スタバ(と名づけられる)が「MUSIC」を鳴らし、ニャつがどしどしと蹴って歩いて横断して連鎖させて地面という譜面に音符を書きなぐる、もちろんその肉球でだ。


 そこにはもちろん人もいる、彼らはスタバと邂逅するし、彼らも彼らの行動や思惑で音符を、そして各自の物語が音符が鳴り響いて音楽が生まれて「小説」になる。そういう小説が「MUSIC」だ。ハーメルンの笛吹きのような猫笛で猫を引き連れていっていても、物語の始まりにはスタバがいる。


 最後は畳み掛けるように終結していく。様々なピースが音符がそこに集結して鳴らす。文体のリズムがもはや音楽だとも思うし、そういうことを意図的に書いているのが古川さんの小説の特徴だ。ジャンルのクロスオーバーみたい。


ZAZEN BOYS - Honnoji (HD)


 声に出して読むと文章が文字が生き返る。最後の方はまた声を出して読んだ。脳内に浮かんだり思ったりした事を文字にして書くとその言葉は死んでしまうと、だから朗読することは降霊術だと以前に古川さんが言っていたはずだ。
 死んだ文字を、何かに印刷された文字の連なりに再び一瞬ながら生き返らす。それが朗読で声に出して詠むことで本来の言葉の強さだとか韻とかが甦る。


 写真はその瞬間を永遠に閉じ込める。今を瞬殺する。映像にするということは生きている今の時間をフィルムに埋葬することか? 映像はその連続とした連なりによって連続しているものだと錯覚させる。


 文章は今、こうしてキーボードを打つ度に僕がその文字を殺している。もちろんデジタルなパソコンだからデリートして打ち直せば新しい文字はそこに刻まれる。
 紙某体じゃなくてパソコンなどの画面に表示させる、紙にエンピツやボールペン、万年筆で書く、そこに刻まれた文字は声に出して読めば此岸に甦り、すぐにまた彼岸に戻っていく。


 そして声に出して文字を読むのは「MUSIC」になりえる。古川さんらしいというかお得意でもある言葉遊びみたいな使い方、そこが物語の展開にしてもそこから起因している所が大きいし、だからやっぱり読みながら、読み終わって思うのは古川文学は、古川さんは小説を「マジメにふざけて」やっているということだ。だからこそ僕は惹き付けられる。


 そこには覚悟とか自信とか自分にしか出来ない事をやろうという明確な意志がないと無理だからだ。新しい何かを生み出そうとする明確な意志だ。それが「マジメにふざける」ことができる本質というかコアだ、そう核だ。だから僕はどうしようもなく惹かれる。

MUSIC

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ゴッドスター

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LOVE (新潮文庫)

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うれしくって抱きあうよ

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ZAZEN BOYS4

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