Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『 Jポップと現代社会』第一回 Mr.Children

 東工大の『東工大 Jポップと現代社会』(詩人、東工大世界文明センター・フェロー 水無田気流×評論家 宇野常寛)に行ってきた。大岡山はわりと近かった。雨だったけど。岡山出身者なので大岡山という言葉で親近感が沸く。久しぶりに大学の構内に入って、講義がある棟の教室に。
 このお二人は宝島社『音楽誌が書かないJポップ批評』での繋がりで、編集者で音楽ライターの田口さんもいらした。講義中のサポートとしてパソコンの操作や間の手なんかをいれたりされてた。


 僕が以前『音楽誌が書かないJポップ批評』の『コブクロ』と『SMAP』に原稿を書かせてもらったのは田口さんに声をかけてもらったからだった。昨日ツイッター上で田口さんを発見してとかいう流れもあり、お久しぶりにお会いしたのでご挨拶を。
 『SMAP』の方は『野島伸司』と絡めて書こうとしたらこんがらがっちゃったけどさ。次期フジテレビ木10は野島伸司脚本・天海祐希主演『GOLD』だそうです。この枠は『愛という名のもとに』に以来かな。


天海祐希、野島伸司氏と初タッグ…フジ系ドラマで熱血ママ役
 主人公(天海)は最高のDNAを受け継ぐため、計算してレスリングの金メダリストと結婚するも、4人の子供をもうけた後、即別居。バリバリ仕事をしながら、長男は水泳、次男は陸上、長女は高飛び込みで、それぞれロンドン五輪の候補選手にまで育て上げた熱血ママだ。


 父性が失われて、もはや存在しなくなった社会や崩壊する家族を描いた作品がゼロ年代にはたくさんあったが、園子温監督『紀子の食卓』なんかまさに。ずっと母性を求めていた野島伸司が父性を必要としないというか男は種馬でしかないという話のプロットは正直怖い。


 ホームドラマにも父親はいらないのか? 『薔薇のない花屋』の片親とはまるで意味の違う家庭だ。彼のデビュー作は、ヤングシナリオ大賞受賞作は『時には母のない子のように』だったのだが、はたしてどうなるのかこのドラマ。主題歌どうするんだろう。


 初めてお会いした宇野さんにも挨拶して、少ししたら講義が始まった。普通の教室で普通に講義みたいな感じ。スクリーンにパソコンの画面が映ってYou Tubeの画面と歌詞が表示される。第一回目に扱ったのは『Mr.Children』。音楽性とか全部じゃなくて「歌詞」のみが対象。


 ここからはメモしたものを。トークイベントとかは普段何も書かないんだけど作家さんのトークとかは残るものだけが必要だしあとで思い出せることが重要に思える。これは講義だから学生気分に戻ってメモというかノート。


 Jポップの言葉。89年のJ-WAVE以降に始まったJポップ。
 コミュニケーションのための言葉に 対抗する Jポップの言葉 
 政治と社会性。1930/戦中/1980/1987(サラダ記念日)
 ポエトリー/リリック


1992 デビュー 『君がいた夏


 直喩・暗喩がない。世界観の欠片もない。喪失感。ストレートな歌詞。
 ベタが繊細だと思われていた時期。同語反復・雰囲気が残る。


1994 『innocent world』


 100%ナルシストリリック(と聞いてどうもこの曲が今まで一度も好きになれなかった理由がわかった。ライブでも何でもこの曲で盛り上がった記憶がない。生理的にこの歌詞がダメだったからなんだ)
 自分(おとこ)とルビをふる。世の中をどう見ているか/内に閉じていく/自分の中にしか希望がない


「入り組んでる 関係の中で いつも帳尻 合わせるけど」
 背景的な世界観・自己。世界の複雑さに対しての自分のイノセント。


1995 『シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜』


 『everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-』よりの流れ。桜井と『ゴーマニズム』の小林が接近したことによる。コミットメントした歌詞。 自分の外側から持ってきた世界観。無根拠に対して。ヴィヴィッドなメタファーや換喩。


 90年代共働きが増える。95年、オウム・阪神大震災と日本のターニングポイントであり『シーソーゲーム』でミスチルのターニングポイント。 トライ&エラー→修行系へ。『シーソーゲーム』は小林的、宮台真司的。


1996 『名もなき詩


 『シーソーゲーム』に共通する世界観。自分よりも「ピュア」なものを守りたい・視点の変化。説教系/強迫観念。直喩が増える・淡白になっている。
 対象の距離が近い・外部性がない。


「いろんな事を踏み台にしてきたけど 失くしちゃいけない物がやっと見つかった気がする」←直接的。


1996 『マシンガンをぶっ放せ -Mr.Children Bootleg-』


 社会派の香り・萌芽。 「“また核実験をするなんて一体どういうつもり?”」


 村上春樹著『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』的。 ルールが変わった閑散とした世界。 喜怒哀楽の「怒」。
 世相が暗い。同時期『野島伸司三部作』。『新世紀エヴァンゲリオン』。
 ↑アンチテーゼとして。過剰に説教臭い。「世の中のことに目を向けなさい」的なことでしかない。 音では気にならないが歌詞だけ見るとなんじゃこりゃ?


1998 『終わりなき旅』 


 本格的に活動を再開。90年代後半はヴァリエーションを変えただけ。世界観を歌っている=外部がない。
 『終わりなき旅』の歌詞はTBSラジオ『文化系トークラジオ Life』的。自己模倣の時期。


2002 『HERO』


 桜井の小脳梗塞後復帰第一弾。ゼロ年代的な話の歌詞/セカイ系のような。入れ替え可能できないものにコミット←コミットしたものを最後まで信じよう。


 イデオロギッシュ/2002年もはや9.11以降の『HERO』の成り立たない時代。
 特撮もの、子供向けだった『仮面ライダー龍騎』ですらキャッチコピーが「戦わなければ、生き残れない!!」。
 ゲームに勝ったやつがセカイを決める。そういう意味で時代に逆バリしている。


 ゼロ年代/家族の価値が上がる。孤独死を回避orオブラート。酒井順子著『負け犬の遠吠え』、上野千鶴子著『おひとりさまの老後』。 社会から家族モード。『隔たり』の歌詞は『セカチュー』的な歌詞。


 04『シフクノオト』→05『I♥U』→07『HOME』へと繋がる。


2006 『箒星


 TOYOTAの車のCM=家族感。希望を歌うための希望。 小脳梗塞以後の身体感覚。表現の熱量が落ちている? 締念が怒りよりも先に。
 家族モード、横のミニアム、ぼんやりモード。


2008 『GIFT』


 90年強迫概念が消えた。「ポスト小泉期」の保守。小泉政権(イエスかノーか?)の後。


「白か黒のその間に 無限の色が広がっている」
 ↑そりゃそうだろ!とツッコミがはいるぐらいに当たり前のことを歌う。
 相田みつを的な。コンセプトがなくなった。世界観がシーン。


 家族モードからぼんやりとした。郊外化/ショッピングモール。


2008 『HANABI


 ホントに疲れが出てる感じ。「ちょっと疲れてんのかなあ」が詞になるのが桜井の凄さ。


DREAM COME TRUE 『何度でも』


 国民的歌手だからできる。ミスチルの歌詞はデビュー時・何にも考えてない→修行/説教系→家族→自分→どこに向かうか? おそらくはこのモードのまましばらくは行くだろう。環境や何かに影響を受けて喜怒哀楽の「怒」モードのようになる可能性もあるかも。


 二時間の講義終了。次回は7月予定。アーティストは未定。長く活動しているアーティストの歌詞かた現代社会の変動を見るのはリンクしているのがわかったりして興味深い。

ゼロ年代の想像力

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Mr.Children 1992-1995

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Mr.Children 1996-2000

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シフクノオト

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I LOVE U

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HOME(通常盤)

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SUPERMARKET FANTASY [通常盤]

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